死がふたりを分かつまで 作:自棄ノ原
シリーズ「夜のオルクセン王国史」完結編。
しかし、その後、ディネルースが自分の不安についてグスタフと相談を持つことはなかった。
会う機会は何度となくあったが、凄まじい勢いで進む成婚式の打ち合わせに忙殺されて、切り出せなかったのだ。
あれよあれよという間に準備は進んでいった。式の日程が決まり、招待客が決まり、席次が決まり、会場の飾り付けや式の流れまで出来上がった。
ディネルース自身も、王都ヴィルトシュヴァインから呼び出された一流の仕立て屋たちに採寸され、姿勢を矯正され、あれこれと好みを聞かれて、二着のドレスが完成した。
一着目はところどころ金糸飾りをつけた純白の婚礼ドレス。式の途中で着替えるもう一着は、彼女の褐色の肌に合わせ、エルフ族の伝統色が緑であることも考慮して、深く鮮やかな翡翠色の夜会ドレスに仕上がった。
それらドレスに合わせるようにと、グスタフは見事なダイヤとサファイアの胸飾りを贈ってくれた。胸飾りに合わせるティアラと耳飾りは仕立て屋が選んでくれた。
内心に深い憂いを秘めていても、ドレスが仕上がれば嬉しく、初めて男から宝石を贈られれば胸は高鳴った。オークの家政婦長から入念に化粧を施されるのは珍しい体験だった。それら全てを身につけて姿見の前に立ってみれば、驚き呆れ、そして戸惑わざるを得ない。
鏡の中に佇むダークエルフは、よほど高貴な婦人のように美しく、それこそ王妃のように華麗だった。
それが問題なのだ。
ベレリアントの山地を駆け、巨狼すら討ちとった狩人の面影は、どこにもない。
八千の騎兵を率い、敵の後方に乱入して戦勢を決した女将軍には、とても見えない。
山地をものともせぬ太腿は優雅なスカートで覆われている。
山刀や騎銃を自在に振るう両腕はドレスの長袖と飾りレースに隠され、確かにあったはずの筋肉の逞しさを感じさせない。
どちらのドレスも背中は大胆に開き、発達した背筋を露出させている。しかし、そこにも施された入念な化粧が陰影のつき方を制御して、美しさだけを見せている。
――これが私か。まるで……お妃様みたいだ。
そう内心で呟くディネルースは、安心しつつ、不安をますます深めるのだった。
――これでいいのか。こんな女らしい私で。私がこれまで得てきたものは、スコルの狩人は、氏族長は、旅団長だった私は……どこにいってしまうんだ?
その高揚と混乱が新たな不安となり、自分の身体への懸念について遂に切り出せないまま――気がつけば、成婚の当日が来てしまった。
エレントリ館の一室、王と妃の控室に指定されて部屋で、彼女は開式までの寸刻の猶予を過ごしている。
共にいるのはグスタフただひとりだ。
「グスタフ……」
何を今さら。今になって切り出しても、もう遅過ぎると知りながら、彼女は言わずにおれなかった。
口に出さなければ、鏡の中の美しい王妃に追い出されてしまった元のディネルース・アンダリエルが、彼女を許してくれないように思えたのだ。
グスタフは優しく促した。
「なんだい、ディネルース」
牡は、彼女の男で、これから夫となるグスタフは、まるでいつも通りだ。だから彼女は勇気を出すことができた。
「私は、あまりいい妃にはなれないと思う……」
「何を言うんだい。私にとって君以上の妃がいるはずがない」
「うん……でも、見てくれ」
「とても綺麗だよ」
「この私が好き?」
「もちろん。大好きだ」
「前の私よりも?」
「……君は。そうか、そうだったか」
グスタフの少し困ったような顔を見て、ディネルースは泣きそうになった。
そんな感情の起伏を見せる自分が、もうすっかり以前から変化して、軟弱な女になってしまったようで嫌だった。
「ディネルース、聞いてくれ。私が君を好きになったのは普段の君を見てのことだ。今の君も、普段の君も、どちらも世界一素敵だ」
「私は……エルフィンドの山奥の村で生まれて、ずっとそこで生きてきた。狩人の姿で山に入って、狼の毛皮の上で寝て……木の実を齧って、鳥やウサギを撃つんだ。
その後はエルフィンドで軍人になった。戦いなら貴方の役に立てる。どんな敵だって貴方のために倒す。
でもお妃としては……貴方のために何ができるのか、分からない」
「すまない、もっとよく話し合うべきだった。君がそばにいてくれれば、私はそれでいいんだ」
「ただの女として? 貴方に抱かれることだけ考えていればいいと?」
「そんな風には言ってない。つまり……」
「私にはそんなことも……子供だって産めないかもしれないのに」
グスタフの表情に衝撃が走った。しばしの沈黙の後、牡は混乱した様子で喋り始めた。
「ディネルース。みんな私のせいだ。気づけなくて、すまない。
つまり、私は君に、妃としての……私を支えて欲しいと思っていて。
言った通りで、王政を続ける気はないし、そうじゃなくたって子供は……それはつまり……ああ、もう!」
いつもの長口上をかなぐり捨てて、グスタフは叫ぶように言った。
「つまり、つまり……君を愛してるんだ!」
室外に聞こえるほどの声でそう言うと、グスタフは彼女のドレスの両肩に手をやった。
「そうだよ、王の結婚は政治だ。君が最適任だ。あらゆる面で。でも、そうじゃなくたって、きっと君に結婚を申し込んでいた。
子供はどっちでもいい。授かれば嬉しいが、大事なのは君が側にいてくれることなんだ。私は妃が欲しいんじゃない。君と一番堂々と一緒にいられる、その形が結婚だというだけなんだ。
私は王だから、色々な負担をかけてしまうのは分かってる。君の生き方の、色々な可能性を閉ざしてしまうことも。
でも、これも私の我儘だが、君に別のひとになって欲しいなんて思わない。私が好きになった君でいて欲しい。
どんな妃と王になるかは、これからふたりで考えていこう。それではいけないかい? ディネルース」
言い終えると、グスタフは全力疾走した後のように息をついた。
ディネルースは求めていたものが与えられたことを知った。彼女が求めたのは、解決策ではなく、まして優しさなどではなかった。ともに悩み、困り、迷惑をかけ合っても、離れるなんて考えることもできないという、乱暴で率直な気持ちを、グスタフがともにしてくれること。それだけでよかった。
「……式の前に、こんなことを言い出すような女でも?」
「もちろんだ、ディネルース。改めてお願いする。私の妃に……いや」
王は居住まいを正し、深く息を吸い、彼女を見つめ、ただの男として言った。
「私と結婚してくれ。一緒に生きていこう」
「……はい。り、了解、だけど」
「だけど?」
「も、もう少し控え目に言ってくれ。それか式の後に。この化粧、二時間もかかったんだから」
新郎は微笑すると、彼女の目元に口づけ、溢れかけた潤いを吸った。
分厚い唇が離れると、ディネルースは無理に笑顔を作って言った。
「キラキラしてる。笑い物になるぞ」
そしてハンカチを取り、夫の唇を拭いてやった。
拭かれ終わると、グスタフは言った。
「さあ、行こうか。皆が待ってる。各国の大使たちもいる。早く世界中に宣言してやりたいよ。グスタフ・ファルケンハインは、ディネルース・アンダリエルを愛しているんだって」
「貴方、それだけ言ってれば、私が満足すると思ってるだろう?」
ディネルースも不敵な笑みで言い返した。
「まあ、概ねその通りだけど。私も愛してるよ、グスタフ。もたついて悪かった。さあ、出撃といこう」