死がふたりを分かつまで 作:自棄ノ原
シリーズ「夜のオルクセン王国史」完結編。
軍楽隊の奏でる荘重な音楽のもと、会場の大扉がついに開かれた。
婚礼衣装を身に纏った王と王妃が初めて姿をみせて、列席した数百の来賓、数百の高官や貴顕たちが嘆声をあげた。
誰もが王の威厳と王妃の美しさに息を呑んだ。特に、日頃のアンダリエル少将を知る軍高官たちの驚きぶりは、その後の語り草になったほどである。
赤絨毯の上をしずしずと歩くディネルースは、大机を覆ってもなお余るほどのケープを被っている。
これだけは仕立て屋の手ではなく、アンファングリア旅団員たちの手縫いである。闇エルフ伝統の意匠を刺繍したものだ。我も我もと希望者が殺到して収拾がつかなくなりかけたが、旅団員の誰もが、せめて一針でも入れたいと言って譲らなかった。
その裾を持って随行する闇エルフは、アンファングリアの幹部たち。各連隊長、司令部参謀、そして参謀長である。
イアヴァスリルは朝から浮かない顔だったが、王とともに控え室に現れたディネルースの表情を一目見た途端、安堵とともに目元を抑えた。今は彼女自身も幸福そうな表情で、ケープの裾を運んでいる。
旅団の主だった者達の中で、第三連隊長ラエノールの姿だけがない。警備の指揮をとっているためだ。ティリアンに進駐しているのは第二連隊だから、本来は第二連隊長のアルディス・ファロスリエンが、そのまま指揮にあたるべきところだ。
しかし、ラエノールは「我が旅団の殊勲第一はお前だ。そのお前が式にでないなんて、第二連隊の兵どもに可哀想じゃないか!」と喚き散らし、ほとんど無理矢理に交代した。
その後、ぽつりと「私などが居ては、旅団長の晴れ舞台が血生臭くなってしまうしな」とラエノールが漏らしていたと、ほんの幾名かだけが知っている。その目に悔恨の涙が滲んでいたことも。
やがて入場を終えた王と王妃は、会場の中心に立ち、祭祀台の前に跪いた。台上に置かれているのは、何のことはない、王都ヴィルトシュヴァイン郊外の農地の土である。
やがてふたりは立ち上がり、列席者たちに向き直った。グスタフは一歩前に出て、本来が祭政一致のオーク族の王らしく、自ら宣言する。
「私、グスタフ・ファルケンハインは、今ここに宣言する。我が最愛の女、ディネルース・アンダリエルを我が妃として迎えることを」
ディネルースが事前に聞いていたのは、そこまでだった。そこで軍楽隊が高らかにラッパを鳴らして拍手を誘うと、そう聞かされていた。
しかし、グスタフの宣言は続いた。
「……そこで私の、いや我らふたりの誓いを、形にしてしめそうと思う」
王が手をかざすと、閉じていた扉が開かれた。礼装に身を固めた副官のミュフリング少佐が小さな箱を捧げ持ち、そのまま入場してきた。
皆がそちらに注目しているうちに、ディネルースは牡の袖をそっと引いた。
(グスタフ、あれは?)
(贈り物さ。君には馴染みがないと思うが、どうしてもやりたくてね)
(……?)
ふたりの前に辿り着くと、少佐は箱を開けた。会場の誰もが背伸びをし、箱の中を覗き込もうとする。何かが光っている。
その小さな黄金の輝きを手に取ると、グスタフは堂々と説明した。
「これは指輪だ。ひとつは私の、一つは我が妃のものだ。私は妃の、妃は私の指輪を持つ。豊穣の大地の前で互いの指につける。交換した指輪は、終生外すことはない」
会場のあちこちで嘆声が漏れた。結婚に際する指輪の交換は、人間族の国の一部で見られ始めた新しい習俗である。
オーク、コボルトやドワーフたちは王の斬新な着想に感心し、人間族の来賓たちは博識ぶりに驚いている。大鷲と巨狼たちは、何を考えているのかよく分からないが、荘厳な彫像のような姿勢でひたすらに儀式を見守っている。
グスタフに指輪をつけられながら、ディネルースは小声で尋ねた。
(ぴったりだけど、いつ測ったんだ?)
(ドレスの採寸に紛れてさ)
(言ってくれればいいのに)
(全部あからさまじゃ、興醒めじゃないか)
言い合いながら、ディネルースもグスタフの太ましい指に指輪をつけようとした。なぜか左手の薬指を示されたので、彼の望みに合わせた。
――まったく、グスタフめ。色々なことを考える。私を驚かせて、喜ばせて……。
指輪の交換を終えて、グスタフは会場に向き直った。そして言った。
「私、グスタフ・ファルケンハインは、ここに集ってくれた諸国の来賓、文武百官、栄光の諸連隊旗、そして豊穣の大地に誓う。
我が妃ディネルース・アンダリエルを、永遠に愛することを。死がふたりを分かつまで!」
所定のラッパが高らかに鳴り響き、エレントリ館は大喝采に包まれた。
成婚式は丸一日をかけ、エレントリ館に留まらず、ティリアン市一帯を使って行われた。
この日に立ち会ったオルクセン国民は「あの日は、豊穣祭と年始祭がまとめてやってきたようだった。それも数年分が」と後々まで語ったほどだ。
祝宴の途中で翡翠色のドレスに着替えたディネルースは、再び列席者の惜しみない賛嘆を浴びた。
こんな風に見られ、褒められて喜ぶことが我が身に起ころうとは想像したこともなかったが、満更でもない気持ちだった。そのような彼女を見て、グスタフもひたすらに喜んでいた。
祝宴の後は王と王妃のパレードである。この日のために作られた大型馬車に乗り、巨狼族とアンファングリアの騎兵たちに護衛されて、ティリアンの大通りを練り歩くのだ。
沿道の建物のバルコニーや屋上からは幾百万枚の花びらが撒かれた。撒いているのは兵士たちであり、狙撃点になりそうな場所の事前制圧を兼ねている。
馬車がティリアンの中央広場に辿り着くと、上空で大鷲軍団の祝賀飛行がなされた。単に隊形をくんでまっすぐ飛ぶのみならず、常には見せない様々な曲技飛行まで披露して、大歓声、大喝采を巻き起こした。
そのクライマックスで、大鷲軍団長ラインダースが颯爽と降下して広場に降り立った。その背から降りたコボルトの飛行士が大鷲から特に見事な鷲羽ひとつを抜き、王と王妃に献じた。ラインダースは、大鷲の翼が永久にふたりを守護することを高らかに宣誓した。
鷹揚に頷いた王に続き、ディネルースは興奮のままに声をかけた。
「ありがとう、ラインダース殿」
「王妃殿下」
「たいへん素晴らしいいものを見せて頂いた。あんな技、いつ訓練なさったんだ?」
「雛鳥の頃からの遊びのようなもの。殿下のご所望あらば、今後は一層の磨きをかけて、いつなりとも天覧に供するでありましょう」
「その、ラインダース殿、貴公にそこまで言われては、何とも光栄というか……」
「どうか、ラインダースとお呼び下さい。殿下」
「……はい。慣れるようにする。ありがとう、ラインダース」
ディネルースは献じられた羽を自分の髪に刺した。それでまた、わっと群衆はどよめき、手を叩いて喜んだ。
パレードが終わり、日没が近づくと、沿道には占領軍が手配または後援した炊事車や屋台が並び、さまざまな食べ物を無料で振る舞い始めた。
街ぐるみの大宴はいつ果てることもなく続き、警備の任務に当たらなかった将兵は王と王妃の吉日を心から寿いだ。
白エルフの市民たちの内心には当然複雑なものがあった。しかし、かつて経験したことのない絢爛豪華な祝祭を雰囲気にあてられ、また一時の食糧難からは考えられない豊かな饗応にありつけて、素直に喜んだ者も決して少なくはなかった。
夜には色とりどりの花火まで打ち上げられた。眠りを忘れたような街をそのままに、王と王妃は所定の行事を終え、静かにエレントリ館に戻った。