死がふたりを分かつまで 作:自棄ノ原
シリーズ「夜のオルクセン王国史」完結編。
夢のような一日を終え、エレントリ館の一室に落ち着くと、ディネルースはソファーに倒れるように寝そべった。
まだ翡翠のドレスのままだが、皺がよろうが、折り目が入ろうが、もはや気にしてはいられない。気づかずにいた疲労が一気に押し寄せてきていた。
「ふう……肩が凝った。今日一日で私の目方は半分くらいになったはずだ。間違いない」
半分は言い過ぎとしても、鏡に映る彼女の頬はげっそりとしている。
ただ瞳だけは爛々として、気持ちの昂りも収まろうとしない。彼女はその勢いのまま、喋り続けた。
「だいたい、何なんだ。私達のテーブルに並んでいたご馳走はどこに消えたんだ? もったいない」
ディネルースの愚痴は、確かに事実ではあった。昼といい夕といい、新郎新婦の席にも豪華な婚礼料理が並んでいたが、手をつける暇は僅かしかなかった。
「……今のエルフィンドの食料事情で、あんなに無駄にして、民の不平を招いたらどうする気だ。占領軍司令部は何を考えているんだ。ちゃんと情報統制を敷いてるんだろうな?」
空腹の文句を占領政策にまで広げはじめた新婦を眺めて、新郎は笑っている。
「く、く、ふふ、ふふふ」
「何がおかしいんだ」
「は、はは。そういえば君は、結婚式というものは初めてだったか」
「あ、当たり前だ! 貴方だけだぞ、私は! 今さら何を……」
「いや、参加者としてもだよ」
「闇エルフが結婚式なんてするか。神話時代じゃあるまいし」
「じゃあ仕方がない。身分がどうあれ、結婚式というのは、そういうものなんだ。新郎新婦は飾りというか、神殿の神像とか聖体みたいなものだな。あの食事も、お供物のようなものさ。食べる暇は、なくて当たり前なんだ」
「理不尽だ。全く理不尽だ……ひとが慣れない服で重労働を強いられたというのに」
「ふふふ。まあ、空腹に耐えるのも王族の嗜みということかな」
「王族の……そうか……」
ディネルースが考え込んでいる間に、グスタフは立ち上がった。室内の保冷庫から魔法のように食べ物を取り出して、机に並べ始めた。
ディネルースは目を丸くしている。
「貴方、何でも用意がいいな」
「ご一緒にいかがかな、奥様」
「もちろん、頂こう!」
勇んであれこれとつまみつつ、ディネルースは、また取り止めもなく話続けた。
「二ヶ月で何とかなったな。実に盛大だった。エルフィンド始まって以来の大祭だったと思う」
「それは良かった。君がそう言ってくれるなら、グレーベンも喜ぶだろう」
「ん? なんでグレーベン少将がでてくるんだ?」
「実質、あいつが指揮したようなものだからさ」
「そうだったのか? 作戦局長に何をやらせてるんだ、貴方は」
ディネルースは呆れ返ったが、グスタフもまた呆れたように言い返した。
「君が言ったんだろう。この結婚は軍事作戦だって。参謀本部は何のためにあるんだ、とも……」
「物のたとえだ。本気にするやつがあるか。私が言ったからそんなことに?」
「いいや。元は官邸と副官部に任せるつもりだったんだが、ゼーベックのじいが聞かなくてな。実行委員長は絶対に自分がやると言って。となれば、その下で実務を仕切るのは、もちろんグレーベンだ」
「あの少将がなあ……。不貞腐れていなかったか?」
「まさか。楽しそうにやっていたよ。パレードの花びらだって祝賀飛行だって、あいつの演出だ」
「そうなのか!? 意外だ……」
「あいつ、本当に真剣に君のことを考えてくれていたよ。君たちが、そんなに仲が良いとは知らなかったな」
「うーん、いや、悪くはないとは思うが……」
食べながらの話題は取り止めもなく、次いでグレーベンの舅にも及んだ。
「そういえば占領軍司令官、たぶん会場内でいちばん食べていたな。食べているか泣いているかだった」
百戦錬磨の闘将がおんおんと号泣していたのを思い出し、ディネルースはくすくすと笑った。
「後で泣く気だったから、最初に詰め込んだんだろうなぁ、あれは」
グスタフも笑ったが、どこかしんみりとした顔だった。彼はシュヴェーリンのことを育ての親のように思っているところがあるのだ。
その顔を眺めているうちに、ディネルースは尋ねてみたくなった。
「なぁ……グスタフ」
「うん?」
「今日の私はどうだった?」
「世界一の花嫁だったよ」
ディネルースはクスリと笑った。
「妃として、ちゃんと振る舞えていただろうか?」
「ああ、最高の王妃様だ。私にとっても、オルクセン国民にとっても」
「王妃か……なんとまあ。この私がなぁ」
つくづく信じがたい。何という変転だろう。
エルフィンド王国の片田舎で生まれ、まずは狩人、次いで軍人として生きてきた闇エルフの自分。
ロザリンド会戦では猟兵を率い、襲い来るオーク達を撃退した自分。
白エルフ達による虐殺から逃れ、仲間を引き連れてオルクセンに亡命し、種族の指導者になった自分。
オルクセン軍の騎兵旅団長になり、エルフィンドを存分に打ち破って、宿願の報復をやり遂げた自分。
そして今やオルクセン王妃ディネルース・アンダリエル。
「私がオルクセンに亡命してから、まだ二年と経っていないのにな。まったく。貴方といると退屈しないよ」
これからは何が起こるのだろう。自分はどう変わっていくのだろう。
不安はどこかへ消え去っていた。未知の生活を楽しみにしている自分自身に、彼女は気づいた。
何が起きても大丈夫だ。自分はただの妃ではない。グスタフ・ファルケンハインの妃、王妃ディネルースなんだから。
空腹が満たされると、疲労は溶け落ちて、未来への興奮が湧き上がってきた。
「何でも学ぶつもりだ。これからは王妃として貴方の支えになりたい」
笑顔でそう言うと、グスタフは何やら泣きそうな顔になった。
「ありがとう……ありがとう、ディネルース」
「ダンスも出来た方がいいな。社交の会話も。上流階級の夫人たちって、何を話すんだ? 戦術には興味ないだろうし……詩文とかだろうか。王都に戻ったらシュヴェーリン夫人に教わることにするよ。それから――」
それから、それから。
やるべきこと、やりたいことが山積みだった。
何もかも未経験。
数百年も生きてきて、新しい生涯へと生まれ変わったようだった。
しかし、別の者へと無理に変えられてしまったわけではない。
自分の意志で変化を選んだ。そして新しい自分に出会うのだ。楽しみで楽しみでたまらない。
「――横乗りの馬術も必要だな。あの方が難しいらしいじゃないか。やり甲斐がある。明日から訓練するよ。それから――」
それから、それから。
未来に胸を膨らませ、喋り続ける彼女の前で、牡は困ったような、悩むような顔をしている。
「どうかした? 優先順位が変だったか? 少々焦り過ぎかな」
「いや……前向きに考えてくれて嬉しい。私は世界一の幸せ者だ」
「それは私の台詞だぞ?」
ごく自然に言い返すと、牡は涙を拭って笑顔を見せた。
「うん……ありがとう。私も努力する。君を幸せにする」
「もう幸せだよ」
「これから、もっとだ」
「それは大変だな。おぼれてしまいそうだ」
すると彼女の夫は、少し口ごもった。
「その……それで、何だが」
「何だろうか? 何でも言ってくれ。夫婦の間に隠し事は無しだ」
何気なく言った一言に、グスタフは惚けたような顔になった。オークの薄桃色の頬が赤くなっている。
「……? 何だ。私は何か変なことを言ったか?」
「いや……その、嬉しくて。夫婦というのが」
「ふふ、ふふふ」
「それで、だ。ディネルース。これも、闇エルフには無い習慣かもしれないんだが……」
ディネルースは身構えた。立派な王妃、この王の助けとやるため、何でも学ぶつもりである。
王はたどたどしく続けた。
「その……君が熱心に先のことを考えてくれるのは嬉しいが」
「うむ、何か見落としているんだな?」
「ディネルース、私たちは夫婦だ。今日、結婚した」
「……ん? そうだが?」
「それで、オークや人間の文化では、なんだが」
「前置きが長いな」
「婚姻から最初の夜は、とても特別なものとされているんだ。し、新婚初夜と言って……」
ぽかんとした新婦の前で、新郎はわたわたと腕を振りながら言った。
「だからその、先々を熱心に考えくれるのは嬉しいんだが……ああ、もう。すまない、もう少し素敵な誘い方がしたかったんだが。ちょっと待ってくれ、やり直す。いま考えるから」
くすくすと笑い、ディネルースは彼女の新郎の膝に乗った。
「せっかちな我が夫よ。察しの悪い妻を連れて行ってくれるか?」
「うん……」
「もっと早く言ってくれれば、私も作戦を考えてきたところなんだがな。貴方に期待するよ。さぞ、特別なんだろう?」
「……君の協力を要請する」
「善処しよう」
彼女は夫の首に腕をからませた。すると夫は彼女を横抱きに持ち上げ、寝室へと運んでいった。
ディネルースは間近にある夫の照れ顔を見つめ、寝台へと運ばれながら、高鳴る自分の心音を感じている。
――さて、私としても、今夜どう振舞うか。その戦術方針を考えるとしよう――
(完)