流星群は燃え尽きない   作:アグロニ

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強みを押し付けるという高尚な戦術

「おーし、だいぶ良い感じになってきたな」

「…はい。でももっとうまくやれます。頑張ります」

「うん、その意気だ」

 

トレーナー契約を結んでから、およそ一月が経とうとしていた。

風には少しずつ夏の匂いが混じり始めている。

 

俺の生活は激変した。

まず家にあまり帰らなくなった。帰宅の時間も惜しい程にやることが積み重なっているからだ。

幸い、トレセン学園には仮眠室やシャワー室など、一通りの宿泊環境が整っている。かつての俺なら「ブラック企業も真っ青だな」と毒づいていたところだろうが、今はその環境に感謝すらしていた。

前日の資料の見直し、トレーニングメニューの再考、栄養バランスのチェック、そして放課後は夕日が沈むまでターフに立つ。

 

正直に言おう。

最高に楽しい。

 

やっかみがないと言えば嘘になる。「落ちぶれた元トレーナーが、新人の怪物に寄生している」なんて陰口も聞こえてくる。

だが、そんな事はどうでもいいね。

埃をかぶっていた俺の情熱は、リュウセイグンという火種を得て、確かに燃え上がっていた。

今の俺は「神崎健人」という、あの頃のトレーナーに戻れていた。

 

目下の課題は初日に発覚したスタートの出遅れである。

これは練習の積み重ねにより、形にはなってきている。

というかそれ以外が完成されすぎていて改めてやる事が無い。

メイクデビューまでおよそ二週間。どこまでやれるのかというところだ。

 

「でもあんま力みすぎるなよ?焦ってもいいことなんもないからな」

 

給水ボトルを受け取りながら、リュウちゃんが不安げに眉を寄せた。

 

「けんちゃん」

「ん?」

「……やはり明確な弱みがあるというのは、レースにおいて致命的な隙を与えてしまうのではないでしょうか?」

 

彼女は自分の「ラグ」を気にしている。

「ラグ」そのものというよりは、なかなか問題を解決できない自分自身にイラつきを感じているような節があった。

俺はタオルで彼女の汗を拭いてやりながら、努めて明るく言った。

 

「一理ある。けどな?そういう時は強みを押し付けて誤魔化せばいいんだ」

「…強みですか?」

「おう。リュウちゃんで言えば純粋な基礎能力だな。スピードがあって、パワーがあって、スタミナがある。レース中に頭を回し続けるクレバーさもある」

「はい。走力と思考力には自信があります」

「だろ?」

 

俺は彼女の目を見て、指を一本立てた。

 

「多少出遅れようが、順当に行けば勝てる。短い距離だと厳しいかもしれんが、今回のデビュー戦は1600だ。十分に取り返せる」

「なるほど。リカバリー可能な範囲内である、と」

「だから今やってんのは未来への投資だ。この先重賞を目指すにあたって、基礎能力だけで勝てない時が絶対に来る。周りも強くなるからな。そうなったら総合力が物を言う」

「総合力」

「そ。だから明らかなマイナスポイントは削れるだけ削るし、伸びやすいところはどんどん育てる。そうやって全体の底上げをしていくんだ」

 

俺はグラウンドを見渡した。

そこには数多のウマ娘たちが、それぞれの夢に向かって汗を流している。

 

「リュウちゃんは控えめに言って天才だ。近年稀にみる、と言ったって良い。だけどこの魔境、トレセン学園には天才が腐るほどいるんだ」

「……」

「その中でどうやって勝ちを拾い続けるか。俺たちは常にチャレンジャーだって事を忘れるなよ」

 

俺の言葉に、リュウちゃんはコクリと頷いた。

 

「はい。肝に銘じます。弱点を補うだけではなく、長所を押し付ける。…少々強引ですが、嫌いではありません」

「だろ? 男らしくていい作戦だ」

「けんちゃんはおじさんですけどね」

「うっせ」

 

軽口を叩き合えるくらいには、俺たちの関係も板についてきていた。

 

         

 

そして迎えた、メイクデビュー当日。

6月の東京レース場は、梅雨入り前の晴天に恵まれた。

芝の状態は良。絶好のレース日和だ。

 

デビュー戦とはいえ、リュウセイグンの名前は既に耳の早いファンの間で話題になっていた。「規格外の新人」という噂が、パドックに独特の熱気を運んでいる。

 

「神崎さん、顔色が悪いですよ。死ぬんですか?」

「…死なねぇよ、うっせぇな」

「あっはは、神崎さんが怒ってる。感情あったんですね」

「お前よりはよっぽどあるわ。舐めてんのか」

 

検量室前で、顔なじみの若手トレーナーに茶化されていた。

俺は胃のあたりをさする。

久しぶりの現場の空気。独特の緊張感。ファンファーレを待つ間の、永遠にも感じる静寂。

あぁ、これだ。俺はこのヒリヒリする感覚を待っていたんだ。胃痛と共に、武者震いが止まらない。

 

一方のリュウちゃんはといえば。

 

「観客席の人口密度、Bブロックが高いですね。あそこの売店の焼きそばが美味しいからでしょうか」

「…お前、緊張とかねぇの?」

「心拍数は平常時より上昇しています。適度な興奮状態です。バランス良し」

 

彼女は涼しい顔でターフと観客席を観察していた。

周りの新人たちが初めての空気に飲まれ、イレ込んだり委縮したりしている中で、彼女だけがどこか他人事のように景色を眺めている。

 

「いいか、作戦通りだぞ。スタートが決まれば先行して押し切る。もし遅れても焦るな。お前の脚なら届く」

「はい。いつも通りに、ですよね?」

「良く分かってるじゃないか。いつも通りに、だ」

 

顔を見合わせ笑いあう。このくらいの軽さが丁度いいだろう。

彼女は小さく頷き、地下バ道へと消えていった。

 

見届けた後、俺もスタンドへと移動する。

一般の観客に混じり、コース全体が見渡せる位置を確保する。

双眼鏡を覗くと、ゲート入りする彼女の姿が見えた。

一番人気。前評判によれば頭一つ抜けているという。俺も同意見だ。

だが、レースに絶対はない。特にメイクデビューは何が起こるか分からない。

 

「ファンファーレ、鳴ります」

 

場内に高らかな音が響き渡る。

俺の心臓が早鐘を打つ。

頼む、上手く出てくれ。

 

『各バ、ゲートイン完了。……スタートしました!』

 

ガシャンッ!

 

ゲートが開く音と、実況の声が重なる。

スタンドから「ああっ!」という悲鳴にも似たどよめきが上がった。

 

俺は天を仰ぎ、そしてすぐに苦笑いした。

 

『7番リュウセイグン、大きく出遅れた!これは苦しい展開です!』

「……ま、そうなるよな」

 

リュウセイグン、出遅れ。

ゲートが開いてからワンテンポ遅れて、ようやく彼女の体が動いた。

その間に、他のウマ娘たちは既に良いポジションを取りに行っている。

16頭立てのレースで、彼女は最後方からのスタートとなった。

 

本来なら先行策で、安全にレースを進めるはずだった。

新馬戦で後方待機はリスクが高い。前の馬がふらついたり、壁になって抜け出せなくなる可能性があるからだ。

ましてや東京のマイル戦。スローペースになりがちな新馬戦で、後ろから届くのか。

 

だが、俺は不思議と落ち着いていた。

双眼鏡の中のリュウちゃんが、全く焦っていないのが分かったからだ。

 

「…見えてるんだろ? リュウちゃん」

 

彼女は最後方を走っていた。

そのフォームに乱れはない。出遅れを取り戻そうと無理に脚を使うこともなく、淡々と、本当に淡々と走っている。

彼女の大きなメガネの奥の瞳は、前の馬群を舐めるように絶え間なく動く。

誰がどのペースで走っているか。誰がバテそうか。どこにスペースが空くか。

初レースとは思えない落ち着き。出遅れたとは思えない冷静さ。

リュウちゃんのレースを真に支えているのは頭のよさ、鉄壁の理性だろう。

 

レースは第3コーナーから第4コーナーへ。

案の定、ペースは上がらない。前の馬群が固まり始める。

このままでは行き場を失う。

 

『さあ、第4コーナーを回っております!』

 

実況の声が熱を帯びる。

リュウセイグンはまだ最後方だ。前には15人の壁がある。

 

コーナーを回り終えるタイミングで、リュウセイグンが動いた。

内を突く? いや、違う。

彼女は迷うことなく大外に持ち出した。

カーブで流されるままに体を大外へとずらしたのだ。

距離ロスなど意に介さないと言わんばかりの、大胆なコース取り。

前には誰もいない。ただ、広大な緑のターフと、遥か彼方のゴール板があるだけ。

 

『大外から! 大外から一気に上がってくる脚がある!』

 

最適なルートは作った。

あとは、物理的に「強さ」を押し付けるだけ。

 

『リュウセイグンだ! リュウセイグンが来た! まるで飛んでいるようだ!』

 

一頭、また一頭。

懸命に走る他のウマ娘たちが、背景の一部のように置き去りにされていく。

彼女たちは気づいただろうか。横を通り過ぎた流星に。

いや、気づく余裕すらなかったかもしれない。

 

残り50メートル。

彼女は先頭に立っていた。

後ろからは誰も来ない。来るはずがない。

 

「…ははっ、めちゃくちゃだな」

 

俺は双眼鏡を下ろした。もう見る必要はない。

彼女は独走状態で、ゴール板を駆け抜けた。

 

『強い! 強すぎる! 出遅れなど関係ない! 規格外の新人、リュウセイグン!2着に3馬身の差をつけて、 圧巻のデビューです!』

 

大歓声。

どよめきと称賛が混ざり合った、地鳴りのような音。

 

モニターには、息一つ切らさずにウイニングランをする彼女の姿が映し出されている。

彼女はスタンドの俺を見つけたのか、あるいは見つけていなくても「そこにいる」と分かっているのか、小さく手を振った。

その表情は、いつもの淡々とした笑顔だった。

 

「……ったく。可愛げがない勝ち方しやがって」

 

俺は目頭が熱くなるのを誤魔化すように、目元をこすった。

事務屋になっていた数年間。

この熱狂を、この興奮を、ずっと忘れたふりをしていた。

だがここまで来てしまった今、もはや見ない振りなど出来そうになかった。

 

         

 

控室のドアノブに手をかける。

レース直後だ、多少は疲れているか、あるいは興奮冷めやらぬ様子かと思いながらドアを開けると――

 

「……」

「……」

 

椅子にちょこんと座ったリュウちゃんは、まるで俺が入ってくるタイミングを秒単位で計っていたかのように、じっとドアの方を凝視していた。

 

「…なんだよ、その待ち構えてましたみたいな顔は」

「いえ、廊下を歩く足音がけんちゃんのものだったので。入ってくるかなぁ、と」

「…そんなこと分かるの?」

 

俺は彼女の前に立ち、大きく息を吐いた。

 

「まずはおめでとう、リュウちゃん。いい走りだったぞ」

「ありがとうございます。勝てて良かったです」

「だな。どうだった?初めてのレースってやつは」

 

リュウちゃんはスポーツドリンクのボトルを弄りながら、あごに手を当て何やら考え込む。

 

「そうですね、いつもより気が散りました。観客の声援、実況、シャッター音。ノイズが多かったです。とは言っても許容範囲内でしたが」

「まぁそりゃそうだろうな。人が多いし、相手も必死だ。緊張もあっただろ」

「はい。あとは……想定よりも粘られました」

 

彼女は少しだけ不服そうに唇を尖らせた。

 

「予想ではもう1馬身程は差をつけていたはずなのですが」

「あぁ、2着の子な。最後、猛追してきてたな」

「はい。彼女の疲労度からして、あのラストスパートは予測できませんでした」

 

俺は苦笑して、彼女の隣に腰を下ろした。

 

「そこはお相手に拍手だな。『負けたくない』って気持ちが足を前に出させたんだよ。そういう理屈じゃない所の底力ってのは、馬鹿にできないからな」

「そう、みたいですね?…目に見えないものを想像するのは苦手です」

 

リュウちゃんはそのまま、しかめっ面で遠くに目線を飛ばす。

こういうところは子供っぽいんだよな。かき氷の時とか。

 

「一番大きかったのは出遅れを既知としていたことですね。おかげで混乱せずに走れました」

「お、じゃああの練習も無駄じゃなかったってことだな」

「はい。一瞬頭が真っ白になりましたが、すぐに復帰できました。けんちゃんのおかげですね?」

「お互いの努力ってことだろ?恩を着ようとするな」

「そうでした。けんちゃんに失礼ですね」

「一言多いな、お前は」

 

彼女は立ち上がり、パンパンとジャージの埃を払う。

 

「私の強み、押し付けられましたか?」

「そりゃもう。会場全体がドン引きしてたぜ」

 

俺が笑うと、彼女もつられるように微かに笑った。

デビュー戦勝利。

だが、これはまだ第一歩に過ぎない。

 

「よし、じゃあ帰るか。今日は奮発して美味いもんでも食いに行くぞ」

「本当ですか? では甘いものが食べたいです。フルーツケーキを所望します」

「へいへい、お望みの通りにいたしますよ」

 

俺たちは並んで控室を出た。

 

このあと、フルーツケーキを分解し、果物別に食べ進めるリュウちゃんを見た俺のやる気は下がった。

これなら果物の盛り合わせでよくないか?だめ?こだわりがある?へー、そうなんだ。めんどくさ。

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