白狼救済録 作:らんらん出荷マン
試しに分割無しで投稿します。
今回は1万字オーバーとなります。
廃墟の調査任務から数日後……
レナの傷はまだ完治していないが、彼女は外出届けを提出し、指定の制服に身を包んで外へ出た。
目的地は「水族館」だ。
D.U.とミレニアムを結ぶモノレールに乗り込み、ミレニアムの海沿いにある水族館へ向かう。
モノレール内は、清掃が行き渡っているのか非常に清潔だった。
ライフルを傍に立てかけ、シートに腰を下ろす。
レナが座ったシートは、ふかふかだ。これなら長時間座っていても腰を痛めることはないだろう。
そして、ピカピカに磨き上げられた窓に映り込む自身の顔は、相変わらず無表情だった。
しばらくするとモノレールが動き出し、窓の外の景色が流れ始める。
揺れに合わせて肩が無意識に強張るが、すぐに力を抜いた。
――
モノレールに揺られながら、レナはスマホでこれから向かう目的地の下調べをしていた。
(……なかなか、大きな施設だ)
水族館――水の中の生き物を、ガラス越しに眺める場所だ。
公式サイトの写真には、魚以外にも色々な生物が写っている。
窓の外を眺め、独りごちる。
(……海なんて一度も見たことないな)
幼少期はずっとスラムにいたし、兵士になってからは市街戦と野戦の繰り返しだった。
泳ぐ生物など、精々が渡河作戦の時に見た川魚くらいだった。
ふと周囲に意識を向けると、学生らしい声が増えていた。
敏感な獣耳が、小さな話し声を拾ってしまう。
「ねぇ……あの耳の生えた子、この前テレビに出てなかった?」
「あ!SRTの入学式で首席とか紹介されてたよね……!」
「仲間のために戦う……『かっこいい』宣誓だったよね。憧れちゃうなぁ」
「かっこいい」か……”憧れは、理解から一番遠い感情”とはよく言ったものだ。
あの宣誓は、散々仲間を見捨ててきた自身の「戒め」でもある。
そんな軽い気持ちで、口にしていいものではない。
――そうだ。もう、誰も見捨てない。
誓ったんだ。
――
しばらく揺られ、窓の外を見る。
D.U.の空高くそびえ立つビル群は姿を消し、景色は近未来的な大都市へと変わっていた。
そして、その向こう側には太陽の光を反射して光り輝く、川とは比較にもならない、どこまでも続く広大な水面が遠方に見えた。
それを見た瞬間――レナの呼吸が止まった。
(……!あれが……海)
海に釘付けになっていると、モノレールが減速し始め、身体が揺れる。
手首の時計を確認すると、時刻は昼前だった。
電光掲示板にはミレニアム第4地区シーランド前と表示されている。
――そろそろ到着する、降りる準備をしよう。
ライフルを肩にかけ、自動ドアの前まで歩く。
すると周囲の乗客が、ちらちらとこちらを覗き見てくる。
それが気になるが、視線が合うとすぐに逸らされた。
(……な、なんだ?)
居心地の悪さを覚える。
モノレールが完全に停車し、ドアが開く。
周囲の視線から逃げるように降りてホームに立つと、嗅いだことのない空気が鼻の奥に流れ込んできた。
塩気を含んだような匂いだ
改札口に切符を通し、駅を出る。
待ち合わせ場所は、水族館前にある「イルカ」という哺乳類のモニュメントだ。
照りつける太陽に焼かれながら、待ち合わせ場所に歩みを進める。
――
スマホの地図アプリを確認しながら歩き、現地へ到着した。
道中で見かけた光景は、今までの人生で見たことのないものばかりだった。
空間に写し出された、ホログラムの広告。
ビルの窓を掃除するドローン。
無人運転のタクシー。
歩道に設けられた、歩行補助の水平型エスカレーター。
全て自動で軽食を作り、提供するオートキッチン。
(まるで……SFの世界だな)
どれも便利そうで、整然としている。
それなのに、なぜか落ち着かなかった。
大通りを抜けると、一面に広がる海と、そこに架けられた大きな橋が向こう岸まで続いているのが見えた。
――その光景に、圧倒される。
(随分……デカい橋だな。何キロあるんだ?)
しばし眺めた後、思い出したように再び歩き出す。
(そうだ、待ち合わせをしているんだったな)
目的地は、この湾岸沿いだ。
海から反射した光が網膜に飛び込み、視界を白く染める。
(どこまでも……続いている。この世界は広大だ……前世の世界も、こんな景色があったのだろうか)
目を晦ませながら視線を向けると、大きな施設が見えた。
入口は青色に染められ、「ミレニアムシーランド」と大きく書かれた看板が設置されている。
手前には噴水があり、その中心にイルカのモニュメントがあった。
そこへ意識を向けると、見覚えのある人影が2つ見えた。
(……少し待たせてしまったか)
レナは小走りでその二人に近づいた。
1人がレナの接近に気づき手を振る。
「あ、レナちゃーん!!こっちだよー!!黒い制服かっこいいね!!」
最初に気づいたユメは、今日を心待ちにしていたのか元気いっぱいだ。
「ふー……すまない。二人とも、待たせたな。」
「久しぶりですね、レナさん。その頬のガーゼ……怪我、したんですか?」
(……さすがに聞かれるか、だが部外者に詳細は話せない)
「ああ、ちょっと訓練でな。SRTは厳しいから仕方がない」
ホシノは一瞬、訝しんだ視線を向ける。
「そうですか……大変そうですね。さぁ、立ち話はここまでにして早く行きましょう。……お魚たちが待っています!」
どうやらホシノも相当楽しみにしているようだ。
冷静さを装っているが、全く隠せていない。
意外な一面を見た、レナの心に小さな衝撃が走る。
「んふふー、意外でしょ?ホシノちゃんはね、海の生き物が大好きなんだよ!オタクと言ってもいいかもね!」
「ゆ、ユメ先輩!余計なことは言わないでください!!――行きますよ!!」
(……なるほど、だから水族館か)
――
三人でゲートの前まで行き、チケットを見せる。
「はい、三名様ですね。ありがとうございます。……申し訳ありません。当館は武器の持ち込みを原則禁止とさせていただいております。お手数ですが、こちらのロッカーにお預けください」
ロボットのスタッフが指し示した方向には、鍵付きのガンロッカーがずらりと並んでいた。
銃を手放すことに若干の抵抗を覚えるが――
『ここは戦場じゃない』
小隊長の言葉を思い出し、肩にかけたライフルとマガジンポーチなどを装備したハーネスを外してロッカーに収める。
横目で見ると二人も自身のショットガンと格納式タワーシールドを入れていた。
「よし……これでいいか?」
「はい、ありがとうございます!海の世界を、ごゆっくりお楽しみください!」
ゲートを通って中に入ると、水族館内は意図的なのか照明が抑えられ、全体的に薄暗かった。
レナの目に映ったのは、見たこともない巨大な水槽。
大量の水が満たされ、その中を見たことのない魚たちが自由に泳ぎ回っている。
水槽は照明でライトアップされ、水面が影となって床を彩り、幻想的な光景が広がっていた。
「これは……すごいな。薄暗い理由が分かった」
「どうです?すごいでしょう!これから私が、海の魅力をたっぷり教えてあげますよ!」
隣にいるホシノは、今にでも小躍りしそうな雰囲気が溢れている。
「……あ、ああ。よろしく頼む」
――
「この魚はチンアナゴといって――」
「おい……ホシノ。私と目が合うと隠れるぞ、失礼な連中だ」
「ヒョロヒョロしてる。なんだか、かわいいね」
――
「このタコはメンダコ、私のお気に入りの一つです――」
「……小さいな。手榴弾みたいだ」
「わー、この子かわいい!」
――
「このオレンジ色の魚はクマノミ、イソギンチャクとの共生関係で――」
「ニモだね!」
「……ニモ?」
――
ユメがオタクと言うだけはあり、ホシノの知識は無尽蔵だった。
様々な水槽を巡るたび、即座に解説が始まり、言葉が途切れることはない。
まるで、生きた図鑑だ。
「ホシノちゃんすごい!ガイドさん要らないね!」
「ガイドさん?」
「ホシノちゃんみたいにお客さんに説明してくれる人がいるんだよ」
歩くペースが速くなり、先を行っているホシノが振り返った。
「さぁ……次はとっておきです!水中トンネルですよ!」
「水中……トンネル」
水中トンネル――その名の通り、透明なトンネル型水槽。
水を通して青く染まった光が内部を照らしている。
その光に導かれ、足を踏み入れた瞬間――
視界のすべてが、水に包まれた。
頭上を巨大な影がゆっくりと横切り、その周囲を小さな影が追いかける。
光に照らされて生まれる淡い影が、美しいコントラストを描き出していた。
「わあ……きれい」
「どうですか?レナさん……これが海です」
「あぁ……綺麗だ。こんな世界があるんだな」
時間を忘れて眺めていると突然、大きな音が響いた。
音の方を見ると、ユメが顔を真っ赤にして腹を押さえている。
三人の間に、沈黙が落ちる。
「……ご、ごめんね?お腹……空いちゃった」
「ふむ、そろそろ昼の時間ですね。この水族館にはレストランもあります。そこで食事にしましょう」
「おお!いいね!早く行こう!」
ホシノとレナは、ユメに手を掴まれ、グイグイと引っ張られていった。
――
昼時なだけあって、レストランは他の客で混み合っていた。
スタッフに空いている席に通され、レナが店内を進むと、複数の視線が向けられているのを背中に感じた。
(……ここでもか、さっきから何なんだ)
席に着くと、その視線は無くなった。
「うーん……二人は、何食べる?」
「カレーがオススメです。私はそれにします」
「カレーか、いいね!私もそれで!……レナちゃんはどうする?」
ユメに渡されたメニューを眺めるが、レナには何が美味いのかさっぱりだった。
(カレーか。……そういえば昔、わざわざトレードで入手したレーション『チキンカレー』を笑顔で食べている仲間を見たことがある。)
「トレード」
要は物々交換だ。
その過去の仲間は、たかがレーションに色々な物を商人に差し出していた。
それほど――美味いのだろうか。
「……では、同じ物を」
「よし!決まりだね!――あのー!すいませーん!!」
ユメは傍のスタッフに声をかける。
「はい、ご注文は?」
「このカレーを三人前でお願いします!」
「かしこまりました、少々お待ちください」
――
「それで……ちゃんと馴染めてる?」
カレーを待っている間、ユメが恐る恐る聞いてきた。
「……ああ、配属初日で分隊長にされた」
「初日で分隊長……? それは……凄いですね。でも、あなたなら不思議でもないですね」
それを聞いたホシノは目を丸くしたが、すぐに納得したのか頷いている。
「……ぶんたいちょう?ってなに?」
「ユメ先輩……部下を持ったってことですよ。それくらい、分かってください」
「わあー!レナちゃんすごい!それに……制服も他の人たちと違うよね?」
「ああ。この服か。連邦生徒会長が直々に指定した物らしい」
――連邦生徒会長。
その言葉が出た瞬間、二人の動きが止まった。
ホシノの視線が鋭くなり、ユメの表情に影が落ちる。
(どうした……なにか言ってしまったか?)
「……どうしたんだ?連邦生徒会長が、なにか?」
レナが尋ねるが、二人は顔を見合わせるだけで何も答えない。
ユメがレナの目を見つめ、溜息を吐く。
「……はぁ、えっとね」
「……ッ!ユメ先輩!」
ユメが口を開こうとした瞬間――ホシノが立ち上がり、慌てた様子で止める。
「ホシノちゃん……そろそろ話すべきだよ。レナちゃんは、もう仲間だよ?」
「……」
ホシノは鋭い視線のまま沈黙し、やがて椅子に座り直した。
「……無理に話す必要はない、私は気にしないぞ」
「大丈夫……レナちゃんも知っておいた方が、いいと思う……」
ユメは一度、言葉を切る。
「……連邦生徒会にはね、支援要請をずっと無視されているの。借金の相談とか、不足している弾薬の支援……
直接サンクトゥムタワーに行っても、まともに取り合ってくれない……」
学生の頂点である連邦生徒会が、危機に瀕している学園を見捨てている。
その事実は――レナにとって大きな衝撃となると同時に、納得もしていた。
(……企業に好き放題されているのも、これが原因か。連邦生徒会……)
「お待たせしました、カレーが三つになります。ご注文は以上ですか?」
重苦しい空気を断ち切るように、スタッフが大きな皿をテーブルに置いた。
「は、はい。大丈夫です……さぁ、カレーも来たし、食べよう!」
差し出された皿の上には、白い米と煮込み料理と思われる茶色い液体。
レナの鼻を香辛料の香ばしい香りが包む。
(匂いは美味そうだが、具材は……なんだ?赤い色をした丸いのと……白い輪っか)
「な、なあ。この具材はなんだ?」
隣にいるホシノに尋ねてみる。
「……知らないんですか?イカとエビですよ。海の定番です。
総称してシーフードカレーと言います」
「シーフード……カレーには、フレーバーがあるのか」
「あー!もう、待ちわびたよ!いただきまーす!!」
ユメはそう言うなり、スプーンを掴んでカレーを頬張った。
「うー!おいひい!」
「ユメ先輩!下品ですよ!
……いただきます。ん……いいですね。魚介類の出汁が効いています」
ホシノもカレーを一口食べて舌鼓を打っている。
それを見て、レナもスプーンを取る。
「……い、いただきます。」
口に入れると深みのある味わいが一気に広がり、唾液が溢れ出る。
(……!)
さらに一口。
香辛料と魚介の旨味が、幾重にも重なって押し寄せる。
さっきより多く掬い取り、口に放り込む。
レナは黙々と食べ続ける。
二人に見つめられているのに、全く気が付かない。
「ふふっ……美味そうに食べるね」
「……ええ、いい食いっぷりです」
――
二人はまだ食べているが、レナはあっという間に平らげてしまった。
(……これがカレーか、あいつが必死になっていたのが……分かった気がする)
「どう?美味かった?」
コップに入った水を飲みながら、ユメが聞いてくる。
「ああ、美味い。レーションとは大違いだ」
「レナさん……レーションと比べるのは失礼です」
「……そ、そうか」
「午後からは、シャチのショーがあります。食べ終わったら三人で観に行きましょう、迫力満点ですよ?」
シャチ――また知らない単語が出てきた。
「シャチとはなんだ?」
レナの問いに、ホシノは一瞬だけ嬉しそうに目を輝かせた。
「シャチはですね……端的に言えば海の頂点です」
「頂点……?」
「ええ。あのサメですら捕食対象になる生き物です。
知能が非常に高く、群れで役割分担をしながら狩りを行います。水中で彼らに敵う生き物は、存在しません」
一拍置き、ホシノは更に解説を続ける。
「戦い方も非常に合理的です。
囲い込み、追い込み、陽動……状況に応じて戦術を変える。
単独でも最強レベルで強いですが、群れになった時の脅威は別格ですね」
レナは腕を組み、少し考え込む。
「……まるで、精鋭部隊だな」
「はい。しかも無駄な殺しはしません。
必要な分だけ狩り、仲間と分け合う。仲間が傷つけば、全力で守ります」
ユメが静かに笑った。
「シャチって……怖いだけじゃなくて、優しさもあるんだね。家族愛?」
「――家族愛。ユメ先輩、たまには……いいこと言いますね。
そうです……シャチは家族単位で行動して、お母さんを中心に何世代も一緒に暮らします」
「ホシノちゃん……”たまに”って、一言余計だよ」
――家族。
戦争孤児だったレナには、無縁の存在だ。
「彼らには、強いだけでなく愛嬌もあります。レナさんも、きっと気に入ります」
「家族、か。……そうだな、楽しみだ」
館内に備え付けられたスピーカーからアナウンスが流れる。
《みなさーん!もうすぐ、シャチのショーがはじまります!
大きくて、かっこよくて、とってもかしこいシャチたちが、ジャンプやスピンをたくさん見せてくれますよ!
会場はマリンステージです。
前のお席では、びしょぬれになるかも?
さあ今すぐ、海のヒーローたちに会いに行きましょう!》
「早く行きましょう!席が埋まってしまいます!」
「わー!楽しみだね!」
二人は立ち上がり、レナを急かす。
「ああ、今行く――ッ!?……ぐっ!」
テーブルに手を置いて立とうとした途端、激痛が走り、動作が一拍遅れる。
背中を撃たれた時の負傷が治っていないのだ。
「レナさん?大丈夫ですか?」
ホシノがレナの異常に気づき、駆け寄った。
(クソッ、このタイミングでか……今、悟られるのはまずい)
「すまない、食べすぎたようだ。……ふう。さあ、早く行こう」
レナは咄嗟に誤魔化すが、背中を見つめるホシノの視線は歪んだままだった。
――
会場に向かうと既に何人か観客が座っていた。
ホシノがスタッフに話しかけると、最前列に案内された。
レナを中心に長椅子へ腰を下ろす。
「ほ、ホシノちゃん……一番前だよ?大丈夫かな?」
「……それは、彼らの気分次第です。祈りましょう」
最前列――絶好の席のはずなのに、二人は落ち着かない様子だった。
「……?」
会場全体が暗転し、観客席にざわめきが広がる。
水面に設置された照明が落とされ、プールは深い青に沈んだ。
天井から差し込む光だけが、水面をゆっくりと撫でている。
《それでは皆さま――
ミレニアムシーランドが誇る、海の頂点。
シャチたちのショーを、どうぞお楽しみください》
アナウンスが終わると同時に、水面が大きく揺れた。
――ドン。
低く、腹に響く音。
次の瞬間、巨大な黒と白の影が水中から躍り出る。
「……ッ」
レナの喉が、無意識に鳴った。
それは“跳んだ”というより、空間を割って現れたと表現した方が正しかった。
観客席から一斉に歓声が上がる。
だがレナは、声を出すことも瞬きをすることも忘れていた。
(……何だ……あれは)
体長数メートルはあるだろう。
その質量が水面を叩いた瞬間、最前列まで水飛沫が飛んでくる。
ユメが悲鳴とも歓声ともつかない声を上げる。
「きゃっ!す、すごーい!!」
ホシノは、身を乗り出すようにして水面を見つめていた。
「……やっぱり、すごいですね!」
水中では、もう一頭のシャチが静かに泳いでいる。
派手な動きはない。
だが、先ほど跳躍した個体の位置を、正確に把握している。
レナの目が、自然とその“動きの意味”を追ってしまう。
(……連携している。自分たちが何をしているのか、分かっているのか)
スタッフの合図で、二頭が同時に動いた。
一頭が大きく円を描くように泳ぎ、もう一頭がその内側を高速で回る。
水流が生まれ、波が渦を巻く。
《ご覧ください!シャチは単独でも非常に強力な捕食者ですが、群れになることで、その力は何倍にもなります!》
レナは、無意識に歯を食いしばっていた。
(囲い込み……追い込み……役割分担)
頭の中で、戦術用語が浮かんでは消える。
次の瞬間、片方のシャチが水面から跳び上がり、もう片方が一拍遅れて同じ軌道をなぞった。
完璧なタイミング。
寸分の狂いもない。
観客席が再び沸く。
だが、レナの胸に浮かんだのは別の感情だった。
(……誰も、置いていかない)
派手に跳ぶ個体と、静かに支える個体。
どちらが欠けても、この動きは成立しない。
(前に出る者と、後ろを守る者……)
不意に、背中の傷がじくりと痛んだ。
レナは小さく息を吸い、吐く。
ホシノが、隣で気づいたように口を開いた。
「……シャチはですね。仲間が怪我をすると、絶対に置いていかないんです」
レナは視線を水面から外さず、静かに聞いていた。
「泳げなくなった個体がいれば、体を支える。
捕食できなければ、代わりに獲ってくる。
それが……彼らにとっては、当たり前なんです」
水中で、シャチたちが並んで泳ぐ。
先ほどまでの激しい動きはなく、ゆっくりと、寄り添うように。
その光景は、不思議なほど穏やかだった。
「……だから、強いんだな」
レナの口から、思わず言葉が漏れた。
ホシノは驚いたようにレナを見て、そして微笑んだ。
「はい。だから……強いんです」
ただ、胸の奥に溜まっていた何かが、少しだけ解けた気がした。
ショーの終盤、一頭のシャチが突然こちらに向かってきた。
(……急に動きを変えた?)
そのシャチは水槽の端に急接近したと思えば、レナたちの目の前で大ジャンプを披露した。
黒光りした巨体が水面に当たった衝撃で大量の水飛沫が上がる。
「――ッ!?避けろ!!」
レナは両隣にいる二人を弾き飛ばした。
溢れ出る水が襲い掛かり、レナは全身ずぶ濡れになってしまった。
素晴らしいコーディネートをした仕立て人を睨みつける。
生意気にもレナの目の前まで来て、水槽越しに舌をレロレロと動かして嘲笑っているようだった。
「この、クソ野郎。……やってくれたな」
レナが怒りの言葉をぶつけると、シャチは一目散に戻っていった。
「……ふざけやがって。――大丈夫か、二人とも?」
「……えぇ、大丈夫です」
「レナちゃんこそ大丈夫!?風邪引いちゃうよ!スタッフさんにタオル貸してもらおう!?」
「私は大丈夫だ。濡れるのは慣れている」
「そういう問題じゃないよ!――スタッフさーん!!」
――
「いやー、酷い目にあったね」
「まさか、一直線にこちらを狙ってくるとは……思いませんでした」
「……ああ、面白い奴だ。気に入ったよ」
レナは顔を拭きながら言うが、全く感情が籠っていなかった。
「……」
「……」
そんなレナを見て二人は、目を合わせる。
「……さ、さあ。次で最後ですが、この水族館で一番大きい水槽ですよ!」
最後と言うだけあり、今までのとは比べ物にならない大きさで、中にいる魚も数が桁違い。
その中でも、とてつもなく大きな魚も泳いでいる。
「わぁ……ジンベエザメ。でかいねぇ」
ユメもその光景に、圧倒されている。
「……ホシノ、あのジンベエザメとはなんだ?」
レナの問いに、ホシノは目を細める。
そして、水槽の奥を悠然と泳ぐ巨大な影へ視線を向ける。
「ジンベエザメは……世界で一番大きな魚です」
「一番、だと?」
「はい。体長は十メートルを超えることもあります。ですが――性格は、とても温厚なんです」
ホシノは指先で、水槽のガラスをなぞる。
「彼らは小さなプランクトンを主食としています。あれほどの巨体を持ちながら、他の生き物を襲うことは、ほとんどありません」
レナは、ゆっくりと泳ぐその影を見つめた。
(……あれだけ大きいのに、ただ泳いでいるだけ)
「脅威にならないからこそ、他の魚たちも近くを泳げる。小さな魚たちは、あの身体の周りに集まって身を守ることもあります」
「……守る?」
「ええ。ジンベエザメ自身は、何もしていません。ただ“そこにいる”だけで、周囲を安心させる存在なんです」
一拍置いて、ホシノは静かに続けた。
「強さを誇示しない。支配もしない。でも、誰もがその存在を知っていて、逆らおうとは思わない」
「……」
「彼らは、頂点にいながら“争わない”選択をした生き物なんです」
レナは腕を組み、しばらく黙って水槽を見ていた。視線は、ゆっくりと泳ぐ巨大な影から離れなかった。
レナは、傍にあるベンチに足を進めて腰を下ろす。
それに釣られて二人も隣に座る。
並んだ三人は、一言も語らず大きな水槽を眺める。
ジンベエザメの周りに多数の魚が集まる。
青い光が群れに反射して、美しい群青色を織りなす。
魚に囲まれてもジンベエザメは何事もなかったかのように、ただ静かに、青の中を進んでいく。
「……そろそろ帰ろっか?お土産買っていかない?」
ユメにそう言われ、時計を見ると水槽を眺めてから結構な時間が経っていた。
「……もうこんな時間ですか。一日が終わるのは早いですね……」
ホシノも名残惜しそうに水槽へ視線を向ける。
「……また来よう。三人で」
「うん、そうだね!」
――
出口の手前には、様々な海の生き物を模した土産が売っていた。
「キーホルダー買っていかない?私は――これ!」
「……では、これに」
「……ふん。コイツだ」
三人が選んだのは――
ユメは丸々としたアザラシ。
ホシノは呑気な顔のクジラ。
レナは鋭い目をしたシャチ。
三人はレジにキーホルダーを出して支払いを済ませ、出口に向かう。
スタッフに預けた武器を返してもらい、外に出ると既に日は地平線の向こう側に沈みかけていた。
噴水の前まで行くとホシノが話しかけてきた。
「レナさん……その怪我は、訓練のものじゃないですよね?」
(……気づかれてたか)
「ホシノちゃん……どういうこと?」
「……」
「あなたが背中に傷を負うなんて、普通じゃ考えられません。何があったんですか?」
「……ッ!レナちゃん……怪我が酷いの?」
(真実は……全て話せない)
「……とある任務でな、仲間を庇って背中を撃たれた。すまないが、これ以上は言えない。」
「……レナさん。どうしても話せないんですか?」
「……ああ」
先ほどまでの空気はどこかへ消え失せ、暗い感情が三人に湧き起こる。
「レナちゃん……私、心配だよ。こうして三人でいるのは、ずっと一人だった私にとって奇跡のようなもの……」
「ユメ……先輩」
「ねぇ……レナちゃん。今からでも、アビドスに戻れない?」
ユメの声は震え、俯いている。
顔に影がかかり表情は伺えない。
「それは……できない。守らなくてはいけない部下がいる。これは、義務だ」
「……」
ユメは顔を上げて、レナの目を見つめる。
口元には力が入っているのか、歪んでいた。
「心配するな、私はそんなにヤワじゃない。SRTにも利点はある。立場を利用して機会があったら連邦生徒会長に直接、交渉してみるさ。
どうやら私は、お気に入りらしいからな」
それを聞いたホシノが、慌てたように口を開く。
「連邦生徒会長相手に交渉!?無謀です!!――逆に利用されるだけですよ!!」
(過去に散々、尖兵として使われ続けたんだ。今更気にするかよ)
「大丈夫だ、ホシノ。弁えてるさ」
「そういう問題じゃ……ないです!」
ホシノは頑なに拒み、認めようとしない。
なぜ、そこまで不安視するのだろうか。
「……そろそろ帰りのモノレールが来る時間だ。お前たちも早く帰れ、もうすぐ日が沈む」
「うん……じゃあね、レナちゃん。また遊ぼう?」
「……ああ、また会おう」
レナは二人に背中を向ける。
一瞬だけ足が止まるが、手を振りながらその場を後にした。
「……ユメ先輩、私たちも帰りましょう」
――
レナは帰りのモノレールに揺られている。
シャチのキーホルダーを袋から取り出し、銃のスリングベルトの金具に固定する。
銃の横で静かに揺れる“それ”を――
ただ、黙って眺め続けていた。
いつもは3千字前後を基準に投稿してますが、もっと詰めた方が良いのでしょうか?