白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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お待たせしました。


第17話 譲歩

 

 

水族館に出かけてから、すでに数か月が経過していた。

 

その間にWOLFチームは、レナ直伝の過酷な訓練を黙々と繰り返していた。

そして身に付けた技術を、数多くの任務で遺憾なく発揮し、周囲から強固な信頼を得ていく。

 

いつしかWOLFは、一糸乱れぬ「群狼」へと成長を遂げ、とある称号を与えられる。

 

SRT―DRRU

 

――指定即応部隊(Designated Rapid Response Unit)

 

通称「ディールー」。

 

この称号は「SRT総司令」と「連邦生徒会長」。

二人の承認がなければ与えられない。

 

単独での作戦展開を許可された、SRT内でも指折りの精鋭部隊――

かつて“駒”だったレナが、ようやく“名前を持つ存在”になった証でもあった。

 

 

 

――

 

DRRUのバッジを付けてからは、報酬額も劇的に上昇した。初めて振り込まれた額を見て、思わず手が止まるほどだった。

 

そしてレナは、給料が口座に振り込まれると、一切の躊躇なく最低限の生活費だけを残し、残りはすべてアビドスへ送り続けた。

 

ユメとの電話で借金の状況を聞くと、滞りなく返済できているとのことだった。

 

約束は、果たせている。

 

だが――まだ不十分だ。

 

(そろそろ頃合いか……SRT内でも俺たちの評価は上昇し続けている。

連邦生徒会長に交渉するタイミングとしては、ベストだろう)

 

だが、この判断が正しいとは限らないことも、分かっていた。

交渉――失敗すれば、自身の首を締めることになる。諸刃の剣だ。

 

(ただ戦う駒であり続けた俺に……できるのか?)

 

覚悟を決めたつもりだったが、一瞬、迷いが生じる。

 

『……相変わらず、口説くのは下手だな。ユーイチ。俺が、お手本を見せてやる』

 

ふと、脳裏に懐かしい声が蘇る。

 

(いや……やるしかない。アビドスのためにも)

 

レナは事務室へ向かい、連邦生徒会長とのアポイントメントを取った。

 

生徒会長は非常に多忙な人物だ。

早々に会える存在ではないはずだが――

 

なぜか、あっさりと日程が決まってしまった。しかも“今日”だ。

 

(あまりにも簡単すぎる……まるで、最初から“来ると分かっていた”みたいだ。

俺の価値を、向こうはすでに測り終えているのか?)

 

事務員から面会時間を告げられ、「ユメとお揃い」の手帳に書き記す。

書き終えたところで、事務員が口を開いた。

 

「当日に……書類が通ったのは初めてです。さすが“ディールー”と言ったところでしょうか」

 

「世辞はいい。私にそんな権威はない」

 

「ご謙遜を……私たち1年生の間では、憧れの的なんですよ。誇ってください。

今のあなたなら……“少なくとも門前払いにはならない”でしょう」

 

そう言われると、背中がむず痒くなった。

 

「……そろそろ失礼する」

 

「はい……今度、いろいろお話を聞かせてください」

 

「……覚えておく」

 

レナは受付を後にし、小隊長に事情を説明するため、第1小隊のブリーフィングルームへと向かう。

 

途中の廊下で、上級生の隊員たちと鉢合わせた。

彼女らはレナの胸元にあるDRRUのバッジを見ると、揃って敬礼し、道を開ける。

 

レナも軽く敬礼し、その間を通り抜けた。

 

(……上級生に道を譲られるのは慣れないな)

 

 

 

――

 

――第1小隊ブリーフィングルーム前。

 

レナはドアノブを回し、中に入った。

 

その先では、非番の隊員たちがチェス盤を囲み、唸り声を上げている。

盤面は膠着しているようで、他の隊員がギャラリーになるほど盛り上がっていた。

 

「よう! ディール!」

「おはよう、首席殿!」

「おはようレナちゃん! 尻尾触っていいですか!」

 

気づいた隊員たちが、次々と声をかけてくる。

一人だけおかしなことを言っているが、レナは無視した。

 

「おはようございます。小隊長は、どちらに?」

 

チェス盤と睨み合っている一人が答える。

 

「ああ、訓練室で射撃してるぞ。何か用か?」

 

「はい、外出許可をいただこうかと」

 

「へぇ、仕事一辺倒のお前にしては珍しいな……って、おい!

その手はナシだ! ノーカウント! ノーカウントだ!」

 

盤面が動いたのか、場が一気に騒がしくなる。

レナは軽く会釈をし、ブリーフィングルーム奥の訓練室へ向かった。

 

 

 

――

 

射撃ブースでは、小隊長のレンが黙々と的に向かって銃弾を放っていた。

 

射撃姿勢は美しく、弾痕のグルーピングもまとまっており、教本のようだ。

 

イヤーマフを装着して射撃に集中しているため、レナの接近には気づいていない。

 

撃ち切ったタイミングを見計らい、声をかける。

 

「小隊長! 今、よろしいですか!?」

 

レンは振り返り、イヤーマフを外した。

 

「あら……どうしたの、レナさん。今日は非番でしょう?」

 

「はい。外出届にサインをお願いします」

 

レンは差し出された書類に目を通し、横目でレナを見る。

 

「一応聞くけど……どこへ行くの? 前の古巣?」

 

「いえ、連邦生徒会です」

 

ペンを取ろうとしたレンの手が、その言葉で止まる。

 

「連邦生徒会……誰に会うの?」

 

「生徒会長です」

 

「質問ばかりで悪いけど……どうして会長に?

遊びに行くわけじゃ、ないわよね?」

 

「古巣……アビドスの現状を改善していただくための、交渉に行きます」

 

 

 

――

 

「支援要請が受理されない……か。なるほどね。状況は理解したわ。その上で言うけど……」

 

レンは一拍置いた。

 

「……あまり上手くいくとは思えないわ。確かに連邦生徒会には、キヴォトスを守る使命がある。

でもね……リソースには限界がある。一つの学園に肩入れするほどの余裕はないはずよ。

SRTが、分かりやすい例ね……」

 

書類から目を離して再び、レナを見る。

 

「……周りを見てみて。

常に人員不足で、満足に事件対応もできていない。後手に回って犯人を取り逃がすことも、少なくないでしょう?

生徒会長が就任してから、確かにキヴォトスは平和になった。

でも――足りない。今でも学園間の争いは絶えないわ。全面戦争に発展していないのが……奇跡ね」

 

正論だった。

レナに、反論の余地はなかった。

 

言葉を失い、押し黙る。

 

「……それでも、行く気なの?」

 

「――はい」

 

即答だった。

 

――アビドスを、少しでも良くしたい。

それが、彼女の行動原理だ。

 

「……はぁ、分かったわ。あなたには、いろいろ借りもあるしね」

 

レンはペンを走らせ、書類にサインを入れる。

 

「はい、これでいいわ。……頑張ってね」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 

――

 

レナはブリーフィングルームを後にした。

外出届を提出するため、再び事務室へ向かう。

 

その途中、見覚えのある小さな影が視界に入る。

 

WOLFチームのメンバーで、レナの部下――スイだった。

 

彼女はレナに気づき、声をかける。

 

「おはよう、隊長。どこか出かけるの?」

 

「……連邦生徒会だ」

 

その言葉に、スイは何かを思い出したように頷く。

 

「……ああ、話し合いに行くんだね?」

 

「すまんが、しばらく留守にする。何かあったら連絡を頼む」

 

一つお願いして立ち去ろうとしたところで、呼び止められる。

 

「隊長……一つ忠告がある……」

 

「なんだ?」

 

神妙な顔つきで、スイは口を開く。

 

「『弱き者がそうであるように、強き者もまた、そう振る舞わねばならない』……

連邦生徒会長には、堂々としていた方が好印象だと思うよ?」

 

「ありがとう……了解した」

 

「じゃあね、隊長」

 

 

 

――

 

事務員に外出届を渡して、外へ出る。

 

時刻は昼前、レナの視線の先にタクシーが見える。

 

手を上げて合図を送ると、徐々に速度を落としてレナの傍に停まり、後部座席のドアが開いた。

 

レナが乗り込むと、それに合わせて自動で閉まる。

 

(……自動ドアか)

 

それに少し驚いていると、“犬”の運転手が振り向いた。

 

「お嬢さん、目的地は?」

 

「……ああ、サンクトゥムタワーまで頼む」

 

「あいよ! シートベルトを締めな!」

 

ライフルを足元に立てかけ、シートベルトを締める。

 

「締めたぞ」

 

「よし、じゃあ出発だ」

 

運転手はアクセルを踏み、タクシーが徐々に加速する――

 

しばらく進み、赤信号で停まると運転手が口を開く。

 

「お嬢さんは、SRTかい?」

 

「ああ……そうだな」

 

「へー! やっぱりそうか! 制服は他の子たちと違うが、特殊学園から出てくるのが見えたんでな!」

 

「これは、とある人物に指定された物だ」

 

ミラー越しに見える運転手は、感心したように頷いている。

 

「それはすごいな!――じゃあ、連邦生徒会に何か用事があるのかい?」

 

「連邦生徒会長と面会だ」

 

その言葉を口にした途端、運転手の雰囲気が変わり、声が低くなる。

 

「へぇ……生徒会長様と面会。お嬢さん、アンタ何者だい?」

 

「……」

 

レナは運転手の問いに、沈黙で返す。

 

「なるほどね……まぁ、無理に答えなくていいさ」

 

信号が青に変わり、タクシーは中央通りに出る。

すると真正面に目的地である、一際高い純白の尖塔――

 

サンクトゥムタワーが遠方に見えた。

 

その頂上からは眩い閃光が伸び、青き空へと続いている。

 

そしてその周囲には――

 

レナたち生徒と同じような巨大なリングが空一面に広がり、幾重にも重なり合っていた。

 

(ずっと気になっていたが……あれは、ヘイローなのか?

ヘイローは……言うなれば、俺たちの源。

意識がある時のみ姿を現す。

で、あれば……この世界にも、意思のようなものが存在するのか?)

 

レナは視線を下げる。

足元に挟んだライフルに付いた「シャチのキーホルダー」を眺めた。

 

(生徒会長……奴と直接会うのは、試験の時以来だ)

 

未来を見通す――「超人」。

彼女は世間から、そう評されている。

 

ちっぽけな奴隷兵士が、そんな人に向かって交渉に行く。

バカげた話である。

 

(だが……それ以外に選択肢はない)

 

「さあ、お嬢さん。到着だ――料金はこれくらいだ」

 

思考の海に浸っていると、運転手の声に引き戻された。

 

提示された金額は、通常よりも安くなっていた。

 

「……旦那、安くないか?」

 

「最近は物騒でな……アンタみたいなのが必要なんだ。これは奢りだ。頑張りな」

 

そう運転手は言い放ち、温かい視線を送る。

 

「……ありがとう」

 

レナは料金を支払い、タクシーから降りる。

 

振り返ると、運転手にサムズアップを掲げた。

彼もサムズアップを返し、アクセルを踏んだ。

 

「……さぁ、行こう」

 

 

 

――

 

――連邦生徒会エントランス

 

自動ドアをくぐり抜け、白い基調のデザインで統一された受付まで歩み寄る。

 

「本日はどのようなご要件ですか?」

 

白い制服に身を包んだ少女が問いかける。

 

「連邦生徒会長と面会の予約を入れた、大上レナだ」

 

「少々、お待ちください」

 

受付の少女は、PCの予定表に目を通す。

 

「はい、確認できました。係の者が参りますのでお待ちください」

 

レナは近くにあるソファに腰を下ろし、待つことにした。

 

(……全く落ち着かない)

 

視界に入るすべてが白いせいか、心拍数が通常時よりも高くなる。

 

自然と、シャチのキーホルダーを握る手に力が入る。

 

視線を忙しなく動かして辺りを観察していると、一人が近付いて来るのが視界に入った。

 

外見は――

 

膝丈付近まで伸ばした、非常に長い黒髪。

耳は尖っていて、メガネをしている。

目つきは鋭く、いかにも「真面目」といった雰囲気だ。

 

レナは立ち上がると、無意識に背筋が伸びた。

 

(……堅物そうな奴だ。冗談は好まなさそうだな)

 

彼女はレナの前に立ち、口を開く。

 

「大上レナさんですね? お待たせしました。行政官の七神リンと申します。生徒会長室まで案内します」

 

「……はい、よろしくお願いします」

 

エレベーターに乗り込み、最上階の生徒会長室へ向かう。

窓から見えるキヴォトスの広大な景色を眺めながら、リンは話しかける。

 

「ご活躍は聞いています……1年生の身でありながら、僅か数カ月でディールーの称号を獲得した偉業。あなたに会えて光栄に思います」

 

開口一番で、称賛の言葉。

一瞬、身構えたレナは拍子抜けした。

 

「……ありがとうございます。自分がこの地位に就けたのは、部下が献身的にサポートしてくれたお陰です」

 

レナが一歩引いた返答をすると、リンは目を見開いた。

 

「……部下に優しいのですね。どうやらあなたは、聞いていた『話』とは少々……違う人物のようです。もっと氷のような人間だと思っていました」

 

「……は、話?」

 

「……えぇ、全員無被弾、任務達成率100%。それを達成するためには手段を選ばず、冷酷無比で、情け容赦は一切かけない。以前……生徒会長があなたのことを話していました」

 

「……」

 

(……評価を“物語”として流布している、ということか。印象操作も甚だしい……)

 

ちょうど話が終わったタイミングで最上階に到着し、エレベーターのドアが開く。

 

「さあ、こちらへ」

 

リンに案内され、以前も歩いた殺風景な廊下を進む。

 

(眺めはいいが、相変わらず……つまらない場所だ)

 

二人は無言で廊下を進み、生徒会長室の扉の前に立つ。

 

リンが数回ノックする。

 

「生徒会長……大上レナさんを、お連れしました」

 

すると中から声が聞こえる。

 

「入ってください」

 

リンがドアを開け、入室を促す。

 

「どうぞ」

 

「……大上レナ、入室します」

 

レナが先に入ると、リンはドアを静かに閉めて後ろで待機する。

 

生徒会長は、以前と同じように窓の外を眺めている。

彼女は振り返り、僅かに微笑んだ。

 

「お待ちしてました、レナさん! その制服、似合ってますね!」

 

「はっ、ありがとうございます。生徒会長……お久しぶりです」

 

「さあ、レナさん。座ってください――あ! 紅茶でも飲みますか? トリニティの友人から、いい茶葉を貰ったんです!」

 

(……やけに明るいな。何を考えている)

 

「はい……では、お言葉に甘えて」

 

「じゃあ、リンちゃん。紅茶を用意してください」

 

(……リンちゃん?)

 

生徒会長にそう呼ばれたリンも、顔を顰めている。

 

「会長……その『リンちゃん』という呼び方は、お止めください。大上さんがいらっしゃるんですよ?」

 

「別に、いいじゃないですか」

 

「……よくありません」

 

そう否定すると、リンは湯を用意しに部屋を出ていった。

 

「紅茶が来るまで、少し時間がかかります。

……世間話でもしましょうか」

 

「……そうですね」

 

何を話すか――レナが手を組んで考えたところで、生徒会長が切り出す。

 

「……あっ、そのキーホルダー可愛いですね! どこで買ったんですか?」

 

「ああ、これは……水族館で、友人たちと買ったものです」

 

「水族館! いいですね!

はぁ……私も行きたいですが、仕事が山積みで……なかなか休めないんですよねぇ」

 

生徒会長は窓の外を見つめ、一瞬だけ物憂げな表情を浮かべる。

 

(超人だのと持て囃されているが、彼女もまだ子供……遊びたい盛りか)

 

「ええ、友人の一人が熱弁していましたが、良い所でした」

 

「……いつか、すべてが終わったら。みんなで行きたいですね……」

 

「……すべて? それは、どういう意味で――」

 

言い切る前に、ドアが開いた。

 

二人は雑談を止め、視線を向ける。

 

リンがティーセットをワゴンに載せて持ってきたようだ。

 

「お待たせしました」

 

リンが静かにティーセットをテーブルに並べる。

白磁のカップ、銀のティーポット、砂糖壺、ミルクポット。どれも過剰な装飾はなく、清潔で、機能美だけを追求したような佇まいだった。

 

生徒会長は立ち上がり、手慣れた動作でポットを手に取る。

 

「せっかくですから……私が淹れますね」

 

「……生徒会長自ら?」

 

思わずそう口にすると、彼女は楽しそうに答える。

 

「こういった息抜きは、長く仕事を続けるための秘訣ですよ?」

 

リンが用意していたティーポットに、沸かした湯が静かに注がれる。

中で茶葉が揺れ、淡い香りがふわりと立ち上った。

 

「トリニティの茶葉は、香りが強すぎず、後味がすっきりしているんです。

……私は、これが好きで」

 

そう言いながら、彼女はポットの蓋を閉め、軽く時計に目をやった。

 

「蒸らしは……三分。短すぎると薄くなりますし、長すぎると渋みが出てしまいます」

 

その口調は、行政の長というより、ただの“紅茶好きの少女”だった。

 

レナは黙ってその様子を見つめる。

サンクトゥムタワーの最上階、キヴォトスを見下ろすこの部屋で、世界の均衡を握る人物が、今は一杯の紅茶を熱心に淹れている。

 

(……意図的、か)

 

敵意も威圧もない。

だが――その自然体が、レナに消えない違和感を残す。

 

三分が経つと、生徒会長はティーポットを持ち上げ、ゆっくりとカップへ注いでいく。

澄んだ琥珀色の液体が、白磁の中に静かに満ちていく。

 

「お砂糖とミルクは……?」

 

「……いえ、結構です。そのままで」

 

「そうですか。……ふふ、通ですね」

 

リンが横から差し出したソーサーの上に、カップが置かれる。

生徒会長はそれを両手で持ち、レナの前に静かに差し出した。

 

「どうぞ。――レナさん」

 

湯気の向こうに、彼女の穏やかな微笑がある。

 

レナは一瞬だけ躊躇し、受け取った。

 

「……ありがとうございます」

 

カップに顔を近づけると、柔らかな香りが鼻腔を満たす。

戦場の血と硝煙の匂いとは、あまりにもかけ離れた代物だった。

 

一口含む。

 

強すぎず、薄すぎず。

舌に残るのは、わずかな甘みと、静かな余韻。

 

「……美味い」

 

思わず漏れた言葉に、生徒会長は少しだけ目を細めた。

 

「よかった。……緊張している顔をしていたので。

少しでも、落ち着いて話ができればと」

 

その言葉は、優しさにも聞こえたし、同時に――

“ここはあなたの戦場ではない”という、静かな宣告にも思えた。

 

レナはカップを置き、背筋を正す。

 

(……なるほど。紅茶一杯で、場の主導権を握るか)

 

ここは、銃を持つ場所ではない。

言葉と意志で、やり取りする場所だ。

 

「……お気遣い、感謝します」

 

レナは視線を逸らさず、生徒会長を真っ直ぐに見据える。

 

生徒会長は、ふっと微笑んだ。

 

レナは覚悟を決め、言葉をぶつける。

 

「……単刀直入に言います。古巣……いや――アビドス自治区の復興を、支援していただきたい」

 

生徒会長がその悲願を聞いた途端、先ほどまでの柔らかい表情は消え、氷のような鋭い眼差しに変わった。

 

(……ッ、これが本性か)

 

生徒会長はカップを置いた。

彼女の視線が一瞬だけ揺れ、逡巡の後に口を開く。

 

「……レナさん。それは、難しい相談です」

 

断られる――だが、これは想定内だ。

 

「リソースの問題ですか?」

 

「ええ、それもありますが……」

 

生徒会長は、天井を見上げて言い淀む。

 

「各校から来る苦情……自治区の境界線で起きる紛争、一向に減らない支援の要請、溢れかえった落第生の再教育……分かりますか? 均衡を保つので精一杯です。

あなたの故郷より、今まさに崩れかけている学園が他にある」

 

「……それは」

 

「いいですか、レナさん……これは、優先順位の問題です。

私はアビドスの現状を知らない訳ではありません。確かに……借金塗れ、砂塗れで、自治区が徐々に衰退しているのは、嘆かわしいことです――」

 

生徒会長は紅茶を飲み、口を潤わせる。

 

「ですが、それでも踏みとどまっている。こんな情勢で肩入れすると、連邦生徒会が各校からの僻みを受けかねません」

 

(……小隊長と、同じことを言っている)

 

だが、レナは疑問を抱えた。

 

確かに今まで達成した任務の数を考えると、この世界は武力に溢れかえっている。

戦争をビジネスに変えた、前世の世界に引けを取らない密度だ。

 

なぜ――ここまで情勢が不安定になっているのか、何か原因があるのか?

 

「ですが……一つ、問題を解決していただけたら考えます。あなたの力を使わないのは、勿体ないです」

 

生徒会長は紅茶を飲み干し、視線を窓の外へ向ける。

 

「これは……まだ構想段階のものですが――」

 

(……何だ、何をさせられる)

 

「キヴォトスの二大自治区に和平協定を結ばせ、情勢の安定化を図る計画です。

前例のない試みですが――私たちは、これを『エデン条約』と呼んでいます」

 

「エデン……条約」

 

エデンとは、すなわち理想郷である。

誰も争うことのない――「永遠の楽園」。

 

(二大自治区……『トリニティ』と『ゲヘナ』か)

 

――和平。

 

前世のような、争いを糧に変換した世界では裏切りは絶えず、決して結ばれることのない理想論に過ぎない。

それに近い状況のキヴォトスで、それが無事に成就されるとは、今までの経験から考えて微塵にも思えなかった。

 

「……あの二校は、昔から犬猿の仲と聞いています。条約で結ぼうとすれば、大きな反発があるのでは?」

 

「ええ……ですので。その布石の一つを、あなたに打ってもらいます」

 

生徒会長は紅茶を注ぎ直し、カップを口元へ運ぶ。

 

「……この混沌の原因の一つに、ゲヘナの現生徒会長『雷帝』の暴虐が関わっています」

 

雷帝――

 

恐慌政治を用いてゲヘナ学園を治める暴君であり、類まれな策略家であり、発明家でもある。

 

彼女が生み出した発明品は、キヴォトスを混乱に陥れるほどの力を持つ凶悪なものが多い。

平和を掲げる連邦生徒会にとって、行き過ぎた目障りな存在だ。

 

「……彼女はやり過ぎた」

 

生徒会長の表情は、能面のように平坦だった。

 

「……部下の失態による失脚を装い、表舞台から――消去(Delete)します。

雷帝直属の護衛『親衛隊』は選りすぐりの戦士で構成されており、どう処理するか悩んでいたのですが……」

 

そう謳う声には、一切の温度がなかった。

 

生徒会長は、レナに微笑む。

 

「あなたという、最強の『ルーク』が手に入った」

 

ルーク――その言葉を聞いた瞬間、レナの中で警鐘が鳴り響いた。

 

(……クソッ! 最初から、これが狙いだったのか!?)

 

「これを達成したら、私の権力が続く限り、アビドスを支援することを約束しましょう」

 

『ターゲットの捕獲、よくやった。では殺したまえ』

 

(……これは、国家転覆に等しいことだ。予防線を張らなければ――逆に消えるのは俺たちだ)

 

「……WOLF以外に参加する部隊は?」

 

「そうですね……あなたと同級生のFOXと、DRRUのVIPERを用意します」

 

「捕まったりして失敗した場合は? 切り捨てられるのは……御免です」

 

「……見捨てないことは、約束しましょう。ですが二度と表舞台には立てなくなります」

 

「この任務を達成して得られる支援は?」

 

「……借金に関しては正規の契約なので、介入はできませんが――定期的な物資の配達と、治安維持のために数名のヴァルキューレを派遣しましょう」

 

生徒会長から提示された報酬は、リスクに対して十分ではなかった。

 

その事実が、レナに苛立ちを募らせる。

 

「……報酬がリスクに見合っていません。私が断れば、あなたはこの計画を中止せざるを得ない――違いますか?」

 

「……分かりました。では、あなたの給料をさらに上げましょう。これを借金返済の足しにしてください」

 

(……俺の給料で返済。すべてお見通しか)

 

「最低でもヴァルキューレの派遣は恒常化、物資もアビドスが安定するまで送り続ける。――これは譲れません」

 

『無謀です!!――逆に利用されるだけですよ!!』

 

(ホシノ……お前の言う通りだった)

 

また、選択を誤った。

 

(俺一人が責任を負うだけなら……まだ許せた……クソがッ!)

 

仲間を守ると誓ったはずが、逆に窮地に追い込んでしまった。

失敗すれば、この作戦に参加した全生徒が、キヴォトスでの居場所を失うことになる。

 

「ふふっ、大丈夫です。失敗はしません――だって、あなたがいるんですから」

 

見透かしたように、生徒会長は微笑んだ。

 

レナは震える手でカップを掴み取り、すっかり冷めきった紅茶を飲むが、全く味がしない。

 

 

 

チェックメイト――

 

 

レナにはもう、勝ち目はなかった。

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