白狼救済録 作:らんらん出荷マン
雷帝の詳細が一切不明なの、すごい困っています。
「では、これで“契約”は成立です!」
話は終わりだと暗に告げるように、連邦生徒会長は満面の笑みで手を叩いた――だが、その目だけは、どこまでも冷たかった。
レナは、シャチのキーホルダーを無意識に握り締める。
「レナさん。アビドスは、あなたの『選択』で孤立無援ではなくなります。……ええ、あなたが“そう望んだ”通りに。
……今日、今――この瞬間。私たちは、同志になりました。もう、後戻りはできません。
これから一緒に、キヴォトスをもっと良くしていきましょう」
そう言うと、生徒会長はソファから立ち上がり、レナに手を差し伸べた。
その手を前に、レナの指がわずかに震える。
それは、恐怖ではなかった。
過去にやってきたことの焼き増し――
懲りずに同じ選択を繰り返す、自分自身への怒りだった。
レナは、差し出された手を静かに握り返す。
その手は、少女らしく細く、柔らかい。
そして、確かに温かかった。
握手に合わせて、生徒会長が小さく呟く。
「これは……」
一拍、言葉を探すように視線を伏せる。
「……あなたたちにしか、できないんです」
言い淀みながら、レナから目を逸らし、そっと手を離す。
「作戦決行は、二週間後です」
生徒会長は懐を探り、一枚の紙切れを差し出した。
「集合場所とパスワードです。明日、ここへ向かってください。……誰にも見られないよう、深夜に動いてください。
この後は学園には戻らず、外で所定の時間まで待機をお願いします。
分かっていると思いますが、制服では来ないでくださいね?
……群長には、話を通しておきます」
――
ここから先は、SRTの任務ではない。
俺自身が引き受けた――“選択”の結果だ。
「ブラックオペレーション」
決して表には出ない任務。
失敗すれば、すべて無かったことにされる。
顔も、名前も、学籍も、すべて未登録に戻される。
友人の端末からも、俺たちの名は消える。
退学扱いにもならない。
――
アビドスへの送金履歴も、消えるだろう。
「生徒会長。一つ、質問をしても?」
「……何ですか?」
「なぜFOXチームなのですか? ……同じディールーのVIPERはともかく、彼女たちは……無関係では?」
「彼女たちしか、あなたに付いて行けないというのが理由です。……そして、保険でもあります。
失敗した場合でも、被害を最小化する『物語』を用意しています。
FOXとVIPERには、そのための“役”を担ってもらうだけです」
「……役?」
「はい、役です。……舞台が失敗した時、観客は誰かを『悪役』に求めます。FOXにはその役を……
そしてVIPERは、独断専行、欲に溺れた『愚か者』の役です……
最後は投獄し、記録は削除。社会から、きれいに消えます。
レナさん。これは……すべて、あなたを守るためでもあります」
彼女たちを――
“WOLFを守るため”に、万が一の捨て駒として投入するということ。
それを聞いても、胸の奥はひどく静かだった。
前世と、何も変わらない。
「償うためには……誰かが役を引き受けなければならない。
それが、組織というものです」
守ると言いながら、他人を切ることが、当然として組み込まれている。
「任務の内容は、あなたと同様に説明します。そして……彼女たちには、それぞれ“望んでいるもの”がある」
「……?」
「FOXは『ディールー昇格と正義』。VIPERは『平和と秩序』……それを“正しく”差し出すだけでいい。
善性に溢れた彼女たちが、断ることはないでしょう」
(断らないことまで、計算の内か……これでは釣り餌だ。人の感情まで、駒として使う)
レナ自身も、アビドスという餌で、ここに立っている。
正義も、平和も、救済も、ここでは“餌”に成り下がる。
「もしもの話です……雷帝を取り逃がし、私が捕まった場合は、どうする気ですか?」
「……そうですね。それは一番避けたい事態ですが――その時は、私が身を切りましょう。
ですが……レナさん。あなたは、すべてを守り切る。誓いましたよね?」
(……『身を切る』? 彼女の立場で、一体何を捧げる……? 誰も代わりなど務まらないだろうに)
なぜ――彼女は、こうも冷酷に振る舞える。
これでは、少女の皮を被った「悪魔」だ。
アヴァロンの連中と、何も変わらない。
唯一違うのは、金で動いていないということ。
だが、彼女が語った「シナリオ」は、失敗した時のもの。
そうだ――
成功させればいい。
俺が編み出した――唯一の“処世術”。
今まで、そうやって生き残ってきた。
「あなたの部下には、あなたが説明してください。
“真実”を言うか、“嘘”で塗り固めるか。お任せします」
――それが、あなたの“選択”です。
そう言い残し、生徒会長はソファに座り直した。
「さあ、レナさん。私たちは“友達”です。もう、敬語は要りませんよ?」
カップを掲げると、声のトーンが急に幼くなり、甘えるように強請る。
さっきまでの冷たさが、嘘のように消えた。
その変わり身の速さに、レナの背中に冷たい汗が伝う。
(……俺を駒として扱っていた奴の言葉じゃないぞ)
「……」
レナは無言でカップを乱雑に掴み取り、中の液体を一気に飲み干す。
「……ああ、そうさせてもらう」
「うふふ、よかった! みんな話しかけると畏まってしまって……対等に話せる人が、今までいなかったんです!」
生徒会長の声が弾み、目に光が灯る。
とても嬉しそうだ。
だが、これが演技なのか本心なのか、レナにはもう判別できなかった。
「あ、そうだ! 『レナちゃん』と呼んでもいいですか!?」
奇しくも、「最愛の先輩」と同じ呼び方を求められる。
身体が強張り、鳥肌が立つ。
それは――劇薬にも等しかった。
「……ッ、構わない。好きに……呼べ」
――
生徒会長室を後にし、外へ出る。
背後で光り輝く尖塔を、振り返る。
(……聳え立つ、クソッタレだな)
スマホを取り出し、WOLFチームのグループチャットに書き込む。
――
『連邦生徒会長から、任務が発令された。私服を用意しろ、内容は合流してから話す。
出ていく所は誰にも見られるな。群長には既に話が通っている』
『了解』
『コピー』
『りょうか〜い❦』
――
どう考えても、普通の任務ではないのに――誰も質問しない。
この信頼が、レナの心を締め付ける。
(そういえば……私服は、持っていなかった)
「……仕方ない、買いに行くか」
D.U.はキヴォトスの首都。
アパレルショップなど、腐るほどある。
ネットで一番近い店を調べ、そこへ足を向ける。
――
――D.U.中央通り
目的地のショップは、ガラス張りの外観に柔らかな照明が灯る、いかにも「流行」を売りにした店だった。
入口のディスプレイには、淡い色合いのワンピースやフリル付きのトップスが並び、レナの目には異世界の光景にしか見えない。
(……どう考えても、場違いじゃないか?)
一瞬、踵を返しかける。
だが、ここで引き返す意味はない。
「……入るか」
ガラスのドアを開け、店内へ入る。
即座に、猫の姿をした店員が駆け寄ってきた。
「い、いらっしゃいませ!……ぇ?」
黒を基調としたSRTの制服、ハーネスのポーチ類。
この店の世界観とは、あまりにもかけ離れている。
「これから出かける用事がある。予算は……これくらいだ。何か適当に見繕ってくれ」
スマホの残高を見せる。
「うわ……まつ毛長っ……最高の素ざ――じゃないッ! 畏まりました! 少々お待ちください!」
(……なんだ? 挙動不審だぞ)
店員は服の山へ向かい、「あーでもない、こーでもない」と頭を悩ませている。
「……人形みたいな人ね……耳と大きな尻尾……スッキリした方が……」
小声でぶつぶつ言っている。
「これと……これ、あーでも……これもいいわね」
取っ替え引っ替えする様子を眺めながら、レナは言いようのない不安に包まれる。
(大丈夫か……あいつ)
やがて、店員が小走りで戻ってきた。
「これなんて、どうでしょう?」
「……どんな服だ? 動きが制限されないか?」
思わずそう尋ねると、店員はきょとんとする。
「……え? 制限? お客様、デートとかでは……」
「……走れるか?」
「え?」
「伏せても問題ないか?」
「えっ!? 伏せる!?」
会話が噛み合わない。
「……いや、忘れてくれ。試着室はどこだ?」
服を受け取り、試着室へ向かう。
鏡には、黒い制服姿の自分が映る。
装備を外し、制服を脱ぎ捨て、下着姿になる。
映るのは、激しい訓練と戦いを重ねてきたとは思えないほど、細い身体。
(……色気の欠片もないな)
罪悪感に耐えられず、鏡から目を逸らす。
「この体でも、また誰かの“運命”を背負うのか……俺は」
無意識に拳を作り、指が白くなる。
足元に立てかけたライフルを見ると、シャチのキーホルダーが光を反射して輝いていた。
自己嫌悪を押し殺し、服に腕を通す。
白と淡い水色のワンピース。フリル、細いリボン。
鏡に映るのは、戦場を知る兵士ではなく、あまりにも無垢な“少女の外見”だった。
これから、キヴォトスの命運を左右する作戦のブリーフィングに向かうとは思えない格好だ。
「……冗談キツいぜ」
小さく吐き捨てる。
前世の世界に放り込まれたら、即座に“回されて”路地裏で無惨な最期を迎えるだろう。
その変わり果てた自分の姿を想像し、背筋が凍る。
「……俺は、誰かに”消費される”つもりはない」
カーテンを開け、店員に見せる。
「……ど、どうだ。変ではないか?」
「……」
店員は固まり、言葉を失う。
「……?」
「……ありがとうございます」
「な、なぜ礼を言う?」
「気にしないでください。……髪はリボンで結びましょう。――あと! このイヤリング、いかがですか!? 絶対似合いますッ!!」
徐々にテンションが上がり、様子がおかしい。
詰め寄られ、レナは半歩下がる。
「わ、分かった! それも買うから、離れろ!」
「はい! お買い上げ、ありがとうございます!――ああ、そのワンピースは脱がなくて結構ですよ! そのまま行きましょう!」
会計を済ませた直後、店員に半ば強引に、リボンとイヤリングを装着させられた。
レナの気分は、最下層だった。
――
「ありがとうございました〜!」
(クソ、酷い目にあった。ただでさえ、金がないのに……余計な出費が重なってしまった)
「喉が渇いたな……どこか行くか」
辺りを見回すと、コーヒーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「いい匂いだ……紅茶よりな」
引き寄せられるように、カフェへ足を運ぶ。
木製のドアを押し開けると、チリリンと小さなベルが鳴った。
ドアを閉めると、外の喧騒が嘘のように消え、店内は静かになる。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
カウンターの奥にいる店主は、ヒゲを生やしたダンディなロボット。
なぜヒゲが生えているのか、気にしてはいけないのだろう。
店内は木製家具で統一されている。
「聳え立つクソッタレ」とは違って趣があり、リラックスできそうだった。
レナはカウンター席に腰を下ろし、メニューを開く。
木の香りと焙煎した豆の匂いが、荒んだ心を和らげる。
(小腹が空いたな……ついでに何か食べるか)
「マスター……オススメはなんだ? 今は、小腹も空いている」
レナの目前でコーヒーカップを拭いていたマスターは、ヒゲを撫でた。
「ふむ……そうですね。こちらの“モハ”などはいかがでしょう。フルーティーな味わいで、酸味とコクのバランスが良く、“レディに人気”の一杯になっております。
……僭越ながら、わたくしはパンケーキが得意でして。コーヒーとご一緒に、いかがですかな?」
「レディ」という単語に目くじらを立てそうになるが、ぐっと抑え込む。
「では、それで」
「畏まりました」
豆を挽く音が、静かな店内に響く。
カウンター越しに立ち込める湯気を眺めながら、隣の席に置いたライフルを撫でる。
(二週間後……奴は雷帝を消すと言っていたが、具体的には何だ。殺すのか?
しかし……この世界で殺人は禁忌に等しいどころか、それ以上に重い罪だ)
だが、選んだのは自分だ。
殺すか、生かすか、悩んでも仕方がない。
そうだ――俺は、アビドスの延命のために魂を売ったんだ。
(成功させればいい。そうすれば、全員が無事に戻れる)
「お待たせしました」
マスターの言葉が、レナの思考を断ち切る。
白磁のコーヒーカップと小ぶりの皿が、静かにカウンターに置かれ、柔らかい湯気が立ち上る。
カップから立ちのぼる香りは、さっきまでの街の喧騒や、頭の中を占めていた冷たい考えを、やわらかく押しのけてくる。
焙煎された豆の、味わい深い匂いが、肺の奥まで染み込んでくるようだった。
(……)
レナは両手でカップを包む。
白い陶器は、掌にじんわりとした熱を伝えてくる。
カップを傾け、一口含む。
口の中に広がる味は、想像していたものとは違った。
仄かな酸味と、僅かな甘さ。後から抜ける深いコク。
飲み込むと、それはゆっくりと消え、余韻が残った。
(モハ……だったか。戦場で飲んだ泥水のような代用コーヒーとは、わけが違う)
「マスター、とても美味いコーヒーだ」
「それはよかった。わたくしの目に、狂いはないですね」
満足そうに頷くマスターの手には、皿が載っている。
「さあ……お待ちかねの、パンケーキでございます」
目の前に置かれた皿の上にあるパンケーキに、目を向ける。
淡い“きつね”色に焼き上げられた円形の生地が二枚。
表面には、溶けかけたバターがゆっくりと広がり、縁からは、ほのかに甘い香りが立ちのぼっている。
上からかけられたシロップが、光を受けて琥珀色にきらめいていた。
「……ッ、これが……パンケーキか」
無意識に、喉が鳴る。
我慢できず、即座にフォークとナイフを構える。
ナイフを入れると、抵抗はほとんどなかった。
ふわり、と音もなく割れ、内側の白い生地が顔を出す。
フォークに刺し、一口。
(……)
思わず、言葉を失う。
外は香ばしく、中は驚くほど柔らかい。
噛むたびに、卵と小麦の甘みが広がり、そこへバターの塩気と、シロップの優しい甘さが重なっていく。
もう一口、パンケーキを運ぶ。
続けて、コーヒーを啜る。
ほどよい甘さと苦さが、口の中で調和する。
「……美味い」
温かいものを、ただじっと、一人で味わう。
それだけの行為が、これほど“生きている”感覚を呼び起こすとは、思っていなかった。
このまま時間が止まれば、どれほど楽か。
――
「お客さん、何か悩みでも……お持ちですかな?」
食べ終わって口をナフキンで拭いていると、マスターが尋ねてきた。
「……なぜ、そう思う」
「……長年の接客で得た経験から、ですかね?」
レナの表情は、まったく変わらないはずだ。
それをマスターは、経験だけで言い当てた。
その勘の良さに、レナは息を呑む。
「……とある人から、仕事を任された。キヴォトスに関わる――重要な仕事だ。
決して失敗は、許されない」
「……」
マスターは、ただ静かに聞いている。
「……もし、失敗したら。大きな混乱を、呼び起こす。もしかしたら、あなたにも影響があるかもしれない」
雷帝は、非常に頭が切れる人物だという。
もし取り逃がせば、いずれカバーストーリーを見破り、連邦生徒会長の差し金だと気付く可能性が高い。
そうなれば、終わりだ。
「独裁者」と「管理者」が潰し合う――終わりの始まりだ。
主導権の奪い合い。
どちらかが斃れるまで続く闘争が、火蓋を切る。
二人の間に、沈黙が広がる。
「あなたは……可憐な姿の裏に、自身の限界を超えた運命を背負っているようだ」
「……」
「ですが、それを耐えられないと思いつつも。あなたは、逃げない」
違う――逃げないんじゃない。
逃げ道が、ないだけだ。
「……逃げずに立ち向かう。それだけで、十分ではありませんかな?」
空になったカップを見つめ、ごちる。
「……はたして、それが正解なのか」
ライフルを担ぎ、制服が入った紙袋を持つ。席から立ち上がり、代金を置いて離れる。
「……また来る」
「はい、お待ちしております」
マスターは、ゆっくりと頭を下げた。
ドアを開けて、騒がしい外に出る。
カフェから出て空を見上げると、太陽はまだ地平線の上にあった。
(まだ日が沈んでないな……集合時間は深夜。
恐らく、眠る時間はないだろう。どこかで仮眠を取るか)
ネットで情報を漁ると、こんなものが出てきた。
「ネットカフェ」
個室の中にPCがあり、そこで自由に寛ぐ娯楽施設。
(ふむ……こういうのもあるのか)
それがある方角へ向きを変えると、犬の市民の集団が近付いて来る。
全員がアクセサリーを全身に身に付け、オーバーサイズのゆったりした服を着込み、キャップは斜めに被っている。
ラッパー擬きの格好で威圧的な歩き方をしているが、見た目がふさふさの犬なので、まったく怖さを感じない。
一人が前に出て、レナに声をかける。
「YO! ねーちゃん! 可愛いね、俺たちとお茶しない?」
まるで値踏みするような、全身を舐め回すような視線を向けられる。
「……なんだ、奢ってくれるのか?
だが――あいにく、今さっきコーヒーを飲んだばかりでな。遠慮させてもらおう」
せっかく落ち着いた所を無遠慮に踏みにじられ、レナは苛つきを覚える。
だが、暴力に頼って目立っては、私服に着替えた意味がない。
持ち前の精神で怒りを抑えつけ、追い払う言葉を考える。
「えー、そう言わずにさぁ〜」
「そんな可愛い服着ちゃって、これからデート? 彼氏なんかより、俺たちと遊ぼうよ」
「……はぁ、それで? 茶に誘った後は?」
レナが問うと、彼らは戸惑う。
「……え? その……後って」
「体が目当てか? 数人で寄って集って、私を襲うのか?」
その言葉は予想外だったらしく、ナンパ犬たちは固まった。
「はぁ!? ち、ちげーし! なんてこと言うんだ! ねーちゃんよ!?」
「そ、そうだ! 本当に“魅力的”で話したかっただけだ!」
「アンタ! 可愛い顔して、とんでもねぇ言葉を使うな!?」
彼らはドン引きして、一歩下がる。
レナの気迫で何かに気付いたのか、ナンパ犬の一人が目を見開く。
「ああ!! コイツ! SR――ン!?」
レナは目にも留まらぬ速さで距離を詰め、口を塞ぐ。
そしてゆっくりと耳元に顔を近づけ、身が凍えるような低い声で囁いた。
「……それ以上、言うな。舌を抜き取るぞ」
詰め寄られた彼は、涙目で必死に頷いた。
周囲の視線が集まるのを感じたが、すぐに消えた。
それに安堵し、レナは胸をなで下ろす。
「私は今……機嫌が悪い。また今度にしろ」
「あ、お茶は……いいんだ」
「さっさと行け!」
レナが怒鳴ると、彼らは一目散に逃げ出した。
「クソ……台無しだ」
吐き捨てるように呟くと、目的地へ歩き出す。
――
レナが足を踏み入れたのは、中央通りから一本外れた雑居ビルの一階だった。
看板には、簡素な文字で「24H Net Café」とある。
ガラス扉を押し開けると、室内の空気が一変した。
防音対策が完璧なのか、外からの物音は一切なく、静かだった。
代わりに、空調の唸るような低い音だけが、フロアに響く。
消臭剤の甘ったるい匂いと、プラスチックとビニールのような無機質な空気。
レナは一歩踏み出し、カウンターへ向かう。
「いらっしゃい。時間は?」
カウンターの奥から、メガネをかけたフクロウの店員が顔を出した。
「短時間だけ、使いたい」
「じゃあ、この3時間パックでいいか? ドリンクバーもセットだ」
「……ああ」
「じゃ、学生証を見せてくれ」
連邦生徒会長に、紙切れと一緒に渡された――潜入用の「嘘」の学生証を提示する。
「ふーん。山海経の“西園寺エレナ”さんね。ブースはM-14、ドリンクバーは突き当たりだ」
「……ありがとう」
カードキーを受け取り、通路へ足を踏み入れる。
薄暗い廊下の両脇には、等間隔に並ぶ個室。
扉の隙間から漏れる光の向こうで、誰かが動画を見、誰かがゲームをし、誰かが眠っている。
M-14と書かれた扉の前に立ち、カードリーダーにキーを通す。
電子音と共に、ロックが解除される。
中は、畳一畳ほどの空間。
簡素なリクライニングチェアと、古びたデスク、モニター、キーボード。
壁には吸音用の黒いパネルが貼られ、天井は低い。
「狭いな……まるで棺桶だ」
だが、不思議と落ち着いた。
四方を壁に囲まれ、外界から切り離された箱。
ドアを閉めると、世界が完全に遮断される。
レナはライフルをゆっくりと壁に立てかけ、紙袋から制服を取り出してハンガーに吊るした。
ワンピースの裾を軽く摘み、リクライニングチェアに腰を深く沈める。
背もたれを倒すと、視界の上半分を天井が占める。
横から出た、ふわふわの尻尾を撫でて目を閉じれば、生徒会長の言葉が蘇る。
『“真実”を言うか、“嘘”で塗り固めるか。お任せします』
「今だに……答えは出ていない」
指先が無意識に、胸元のリボンへ伸びる。
「俺は……どうすれば」
仲間の顔が、次々と浮かぶ。
無線の向こうの声、訓練場での笑い声、無言の信頼。
“真実”を言っても、彼女たちは任務を遂行する。俺が育てたんだ、それは確信できる。
だが……それは、逃げる選択肢を奪うことになるのではないか?
FOXとVIPERが捨てられ、自分たちの存在も消え去ると知ったら――
アクシデントがあれば、全力で守りに動くはずだ。
それを、あの「悪魔」が許すか?
“嘘”を言えば、彼女たちは下される命令に一切迷わないだろう。
任務の恐ろしさと、裏に潜む政治の深淵を、知ることもなく。
……結局は、俺の“エゴ”でしかないんだ。