白狼救済録 作:らんらん出荷マン
主人公は決して、万能ではありません。
「……動きが変わっている……何かが介入している?……何だ……?
……違う……これは――」
「……直前で弾を避けたのは…………偶然……技能?
……いや、捻じ曲げているのか……?」
「……概念の操作……?
……
――沈黙。
ほんの刹那、雷帝の瞳から感情という色彩が抜け落ちる。
だが、その答えに辿り着いた瞬間――
煮え返るような、荒れ狂った憤怒が、心臓の奥底から爆発する。
「――連邦生徒会長ッ!!……ええいぃッ!! 無粋な真似をッ――――!!
これでは、測れないではないか!! 邪魔をするなあッ!!」
激情は理性を押し潰し、怒号となって噴き出す。
「……クソッ!!」
「否!! 断じて否だ――――!!」
「許容できるか……!!」
「原石に穴を開けるような暴挙だッ!!」
雷帝の周囲に、目に見えぬ圧が渦巻く。
床が軋み、空気が悲鳴を上げ、制御された狂気が支配した。
突然――今まで見たこともないほどの怒りを振りまく雷帝に、副官は反射的に背筋を伸ばしたまま凍り付く。
喉が鳴り、唾を飲み込む音さえ大きく感じる。
「そ、総統閣下……どうなされたのですか……?」
雷帝はその問いに答えず、力が抜けたように、ゆっくりと椅子へ身を沈めた。
「ああ……不変の結実に……一体……何の価値があるというのだ……」
低く、吐き捨てる独白。
変わらぬものに、進化はない。
変化を拒む管理は、停滞ですらない。――腐敗だ。
秩序を保っているのではない。
ただ、世界の呼吸を止めているだけだ。
――バン!!
何かが砕け散る音が、壇上裏の通路に反響する。
「……イレギュラー」
雷帝は、微かに口角を歪めた。
――
――展示会場・壇上/WOLF1 レナ
『Renegade System: STANDBY』
その瞬間、世界が――拡張された。
五感の輪郭が曖昧になり、尖っていた思考は“何か”に優しく包まれる。
荒波が凪ぐように静まり返り、同時に、鋭く研ぎ澄まされていく。
『Probability divergence: ENABLED』
目の前の盾兵がハンドガンを引き絞った刹那――
レナの首が、紙一枚ぶんだけ横に傾いた。
――パン!!
弾丸はヘルメットの縁を掠め、極小の火花を散らしながら虚空へ吸い込まれる。
同時に、床を蹴った。
沈むような、深い踏み込み。
流れるような一連の動作で盾を捲り上げ、無防備になった脇腹へ5連射。
衝撃に耐えきれず、彼女のヘイローが点滅し、やがて消失した。
装備が床に叩きつけられ、鈍い金属音が会場に響く。
すぐ背後にいた二人のMG兵は、理解するより早く恐怖に支配された。
身体が言うことを聞かず、指が引き金を拒む。
アレは、人の動きではない。
――獣。
それしか、言葉が浮かばなかった。
「……排除」
無機質な一言。
それが誰の声だったのか、自分自身にも分からない。
――ライフルを構える。
その動作に彼女らは一歩遅れた。
ほんの僅かな遅滞が、致命傷となる。
12.7mm弾が空間を薙ぎ払う。
至近距離からの連射。
黒鉄のアーマーは無惨にも貫通し、衝撃で身体が跳ね上がる。
操り人形のように愉快な踊りを披露し、そのまま糸が切れたように倒れた。
「排除」
次の標的。
レナは、会場左側で交戦するFOXチームを横目で捉える。
盾兵の足を撃ち抜き行動不能に追い込んでいるが、援護に出たMG兵の弾幕に頭を抑え込まれている。
――距離、弾道、残弾。
瞬時に演算。
踏み出す。
一歩、二歩、三歩。
速度は限界を超え、視界の端が歪む。
トップスピードのまま、一人のMG兵へ突撃。
肩に強い衝撃が食い込む。
弾き飛ばされた彼女は床を転がり、重機関銃を取り落とす。
即座に頭部へ二発。
ヘイローが霧散し、身体は痙攣もなく沈黙した。
残る一人が重機関銃を構えようとした、その瞬間――
FOXチームの弾幕が重なり、容赦なく撃ち抜く。
全脅威の排除完了――
レナの身体は意思を失ったように、仰向けに崩れた。
「アルファリード!?
――2、4!!粒子砲を破壊しろ!!」
「「了解!」」
壇上に駆け上がったユキノは、跪いて動けない盾兵へ追撃を加えて完全に無力化すると、レナへ走り寄った。
肩を掴まれ、激しく揺すられる。
「レナ!……くっ……様子がおかしい。脈は正常……どうしたんだ……レナ! 起きろ――!」
ユキノはレナの目前でパチパチと指を鳴らすが、反応がない。
遅れて他の隊員たちが集まった。
「隊長! どうしちゃったんでしょう……?
急に飛び出したと思ったら、一人で全員倒してしまいました……」
リノが直前の様子を語り、顔を傾げる。
「隊長〜、寝ちゃダメだよ~」
メイがヘルメットを叩くが、反応がない。
金属を叩く乾いた音だけが虚しい。
もぬけの殻――
意識がまるで感じられない。まるで人形だ。
ほんの少し前まで“獣”だったものが、いまはただの“器”になっている。
「反応がない。何かしらのショックを受けた可能性が高い」
「グズグズしてられないわ! ヘルメット取る!?」
クルミがヘルメットのボタンに手を伸ばす。
ユキノがその手を掴み、遮った。
「ダメだ……今取ったら、同期が途切れる。何かの拍子で発作を起こすかもしれない」
「じゃあ、どうすんの! 反応がないのよ!?」
クルミに詰め寄られるが、ユキノは答えられない。
「それは……」
場に沈黙が落ちる。
「……外しましょう。」
リノが意を決して歩み寄る。
「リノ!――何考えてるの?!」
スイが手を掴み、リノを引き止める。
「少々荒っぽいですが……仕方ありません。ヘルメットを外し、瞳孔の状態を確認します。
ブラボーは先行して、雷帝を捕まえてください」
「……ブラボー1了解……任務を全うする――行くぞ!
私たちで……混沌を終わらせる!」
――
ここはどこだろうか。何も感じない。
音の反響はなく、自分の心臓の音すら聞こえない。
息を止めても苦しくない。
辺り一面が白。どこを見ても白。
俺は、何をしていたのか……思い出せない。
何か……とても大切なことを、忘れている気がする。
それは――誰かの名前だった気もする。
「ごめんなさい」
後ろから突如、声が聞こえる。
咄嗟に身構え、振り返り、身体に染み込んだCQCの防御体制を取る。
だが、その先には誰もいなかった。
「少々……やりすぎてしまいました。急なことだったので。
強く……巻きすぎてしまったようです……」
強く? 巻く?
言葉だけが浮いている。意味が、追いつかない。
「本当は、あなたを安定させるために掛けたのですが……加減を誤ってしまったので。
これでは、いけませんね……今の状態は本来の目的から外れています。
なんとか掻き集めましたが……少し、零してしまいました。」
零した――何を?
「だから……ごめんなさい。私のせいでした」
なぜ謝るのか。謝るくらいなら姿を現せばいいものを。
「それはできません。私は……そこに、いないので……」
“いない”。
その一言が、妙に重い。
「おっと、そろそろ切れますね。
でも……もう大丈夫です、私がついています。
あなたは、無敵の“スーパーレナちゃん”です」
スーパーレナちゃん……なんだそれは。
「それでは、失礼します」
……なんだコイツ。
――
「……ッ……では、外します……」
リノは静かに息を呑み、腫れ物に触るようにボタンへ手を伸ばす。
手が頬に触れた瞬間――
レナの手が手首を掴み、止められた。
「いッ!?……た、隊長っ!」
さっきまで気を失っていたとは思えない、非常に強い力がかかっている。
まるで骨が砕けそうな鋭い痛みがリノに走る。
だがそれも一瞬、すぐに痛みは引いた。
レナは上体を起こし、WOLFチームを見回す。
「……すまない、気を失っていた」
「隊長、本当に大丈夫? 普通じゃなかったよ……」
スイが不安げに聞いてくる。
「……貧血……いや、ただの生理だ」
「隊長〜それは、無理があるよ〜」
目茶苦茶な弁明にメイは訝しんだ。
その声は冗談めいているのに、雰囲気は笑っていない。
「いや?……私のは重いんだ。とてつもなくな……」
「気を失うほどの生理なんて、聞いたことないけど……」
ヘルメットで伺えないが、全員から物言いたげな目を向けられている気がする。
(……あの白い空間は一体……誰の声だ……)
「……サンダーヘッドは?」
「ブラボーが追跡しています」
「通信の回復は?」
「い、いえ。ダウンしたままです」
レナはヘルメットの自己診断プログラムを起動した。
[ Renegade System :: Post-Combat Self Diagnostic ]
Core System .................. OK
Neural Synchronization ....... OK
Probability Divergence ....... ACTIVE
Communication Systems ........ ERROR
Sensor Array ................. ERROR
Fire Control System .......... ERROR
Mobility Assist .............. ERROR
Defensive Systems ............ ERROR
EMP Shield ................... BREACH
External Interference ........ DETECTED
Cognitive Load ............... CRITICAL
Neural Stress ................ EXTREME
Personality Integrity Index .. DANGEROUSLY LOW
Computational Allocation:
Combat Prediction ........... 14%
Motor Control ............... 21%
Tactical Processing ......... 18%
Personality Preservation .... 47%
Combat Capability ............ 38%
Situational Awareness ........ 12%
WARNING:
Severe neural overload detected.
Core computational resources forcibly diverted
to maintain personality integrity.
Further engagement may result in irreversible cognitive damage.
Override Status:
Locked by Renegade System Core.
[ END OF REPORT ]
(……外部干渉、さっきの白い空間か?
それに、人格整合性……人格維持?
まさか……精神崩壊していたとでもいうのか……?)
どうやら俺は、一度『死んだ』ようだ。
(恐ろしいシステムだ……認知を歪め、人格を削り、最後は崩壊させるとは……)
こんな副作用、兵器としては欠陥も欠陥である。
しかも“ロック”だと? 解除権限が、俺ではない。
(会長、まったく笑えないぞ……殺す気か?)
レナは立ち上がり、全員に視線を向ける。
「……無線機が必要だ……通信手段を確保し、ケベックと迎えに連絡を取るぞ」
――
――展示会場三階・コントロールルーム前、籠城/VIPER1ミオ
ミオは空になったマガジンを捨て、ポーチから新しいのを抜き取る。
「ヤバい、さすがに弾がない」
通信が断たれた今、動くことはできない。
ミオたちにできることは――持ち場を死守し、後輩たちが任務を遂行した後の“逃げ道”を残すことだ。
だが、それも限界が近い。
反対側で反撃しているアヤハの足元には、空になったランチャー。
爆発物はなし。弾は底を突きかけている。
それでも彼女は、顔色ひとつ変えずに照準を合わせ続ける。
「限界か……
――ケベック3! 4! バリケードを放棄、後退するわよ!」
「「了解!」」
三人は部屋に入り、撃ち返す。
硝煙が入り口付近で溜まり、空気を淀ませる。
親衛隊が放った弾が室内に飛び込み、コントロールルームの設備を破壊する。
火花が散り、モニターが一つ、二つと沈黙していく。
「うわ、姉さん! 奴ら、お構いなしだぁ!」
「黙って反撃しなさい!」
入り口に張り付いた二人から離れ、ミオは頼れる毒舌家に歩み寄った。
背中越しに、弾が壁を削る音がする。
「進捗は?」
「セット完了、システムは確保」
「さすがね……後は、報告を待つのみ」
ふと、生きている監視カメラの映像を確認する。
会場外の道路。その向こうに点滅する何かが、暗闇に浮かんでいる。
サイレンの光が、嫌な予感を現実に変える。
風紀委員会――
(来るのが早い…………民間人が通報したのね。
時間をかけすぎた……システムのログを見られたら、言い訳が通用しない……
侵入痕も、権限の奪取も、改竄も――全部、“証拠”として残ってる。
そしてログは、端末の中だけじゃない。施設側の監査系にも複製されている。
下手をすれば情報部の経路まで逆引きされる……)
ミオは部屋の端に設置された円筒状の何かを見つめる。
“逃げる”のではない。“消す”のだ。
「できれば…………遠隔で起爆したかったけど……助けを待つ時間は無い」
(爆発したら……きっとこの建物は半壊する。
そうなれば、後輩が逃げ切れる保証はない。
……でも、きっと連絡は来る。来てくれる)
「そしたら……遠慮なく燃やせる……」
「……プランB、発動」
「――現時点をもって、Ωと端末を焼却。身分を消すわ」
「「「……」」」
一瞬、空気が凍りついた。
覚悟はしていた。それでも、手が震える。
積み上げてきたものを、自分の手で崩すのだから。
全員がヘルメットを脱ぎ捨てた。
端末とともに一箇所へまとめ、テルミットに着火する。
炎は瞬く間に広がり、痕跡という痕跡を、徹底的に焼き尽くしていった。
今、この瞬間から――
自分たちの存在は、抹消された。
システムの一切の補助を失い、むき出しになる人間性。
心の奥底に封じ込めていた、弱い自分が、じわりと滲み出してくる。
「……いざ、やるとなったら、怖くなるわね」
――
――展示会場・壇上裏、連絡通路/FOX1ユキノ
「ブラボー2、C2セット」
「了解」
FOXチームはドアの周りにスタックし、ドアにC2爆弾を貼り付ける。
ニコは設置が終わると起爆装置を握って列に戻り、頷いて合図を送る。
ユキノはフラッシュバンのピンを抜き、叫んだ。
「ブリーチ!!」
ニコは装置のトリガーを二回握った。
――カチ! カチ!
C2が起爆すると激しい音と共に、ドアを消し飛ばした。
即座にフラッシュバンを投げ、中が光に包まれる。
白い閃光が、入り口から漏れた。
クルミを先頭にFOXがなだれ込む。
コンバットブーツが一斉に踏み鳴らされ、そのリズムが先を制圧する。
FOXが突入した先は、広めに作られた連絡路だった。
その奥には椅子に深く座った雷帝、そして側近の副官が立っていた。
周りに親衛隊はいない。
罠のように感じられたが、隠れられそうなスペースはない。
「動くなッ!」
FOXの全員が雷帝と副官にライフルを突き付ける。
「余計なことはしない方がいいわよ! その綺麗な顔がボコボコになっちゃうから!」
副官は大人しく跪いて両手を上げた。
「2、その跪いた奴を縛れ」
ニコはプラスチック製のハンドカフを取り出し、副官に近づく。
「了解、隊長。
はーい、動かないでくださいね」
だが雷帝は無表情のまま、動く素振りを見せない。
視線だけが、どこか遠い。
捕まるかどうかではなく、別の“何か”を見つめている。
「……まったく、全て台無しだ」
「大人しく付いてきてもらう、連邦生徒会長に会いたいだろ?」
連邦生徒会長――その言葉がユキノの口から出た瞬間、雷帝の態度が一変した。
「貴様ッ!!――その名前を言うなッ!!! 連邦の犬め!!」
雷帝は激しい剣幕で椅子から立ち上がり、ユキノに詰め寄った。
怒りというより、理性の抵抗。
説明しようのない不快感がユキノに走る。
「……ッ!?……コイツ、動くなッ!」
「奴は禁忌を犯した!! 介入し、捻じ曲げるなど――あってはならないことだ!!」
「な、何を言って――」
「管理者など、そんな甘い者ではない!!」
「神にでもなったつもりか!? 人間の分際で観測を汚すとは――!!」
「連邦の犬!! 貴様らの自由意志は、何処にある!!?
……自由なき生物に、進化は与えられん――!!」
「これらは全てッ!!
――
ユキノが僅かに首を傾げた瞬間――
――バシュ!
「ッ!?」
後ろからくぐもった銃声がなった。
何かが傍を通り抜け、雷帝のエネルギーシールドに当たった。
オトギのライフルから硝煙が漏れていた。
「私たちは、犬じゃなくて狐なんだけどね。
……さっきのお返し。……また防がれたけど」
「……なるほど、銃撃でのみ発動する仕掛けか」
シールドの挙動でユキノは突破口を模索する。
「……くッ!」
雷帝はただ食いしばり、自身のハンドガンを素早く抜いた。
それは彼女の見た目や肩書きとは裏腹に、一切の装飾がなかった。
シンプルで美しく、丁寧に磨き上げられた、旧型のトグル式ハンドガン。
古いのに、手入れが行き届いている。“信仰”に近い執着がにじむ。
それをユキノに向け、3連射。
――パン! パン! パン!
「……ッ!」
ユキノは咄嗟に身を屈め、深く踏み込み、一瞬で距離を詰める。
――CQC。
銃が効かない今は肉弾戦が効果的、と予測した。
ハンドガンと腕の直線上から半身をずらし――
フラッシュバンを投げて懐に滑り込む。
「
――バンッ!!
「ぐっ!……小癪な真似を!」
ユキノは手を伸ばし、ハンドガンを奪い取ろうと掴む。
「ッ!?……その汚い手で触るな!」
だが奪えない。凄まじい力で抵抗される。
インテリ系とは思えないフィジカル。
筋が違う。どうやら少しは、戦闘の心得があるようだった。
(思ったより反応が0.5秒速い……なら)
掴んだままハンドガンを下に押し下げ、頭突きをお見舞いした。
「がッ!?」
予想外の攻撃で一瞬、力が緩んだ――
その些細な隙を見逃すほど、ユキノは甘くない。
ハンドガンを握った右手を捻り上げ、マガジンを抜き取り、排莢させた。
「!?」
流れるように掌底を腹に打ち、体勢をさらに崩す。
「うッ!」
そのまま右腕を引き寄せ、床に張り倒した。
頭を強く打ったのか、雷帝はそのまま動かなくなった。
ユキノは奪い取ったハンドガンを捨て――
雷帝を見下ろし、短く吐き捨てた。
「……さすがに、頭突きは予想外だったか?
もっと勉強しておくんだな……
3、奴を担げ」
「了解」
ユキノは拘束された副官に問い詰める。
「お前は、どこまで知っている。配置された親衛隊の数は?……答えろ」
「……私の権限では答えられない。何も知らされていない。
それに――外から見れば、君たちは“テロリスト”だ。
ここで起きたことは、私には分からない」
(なるほど……“知らない”で逃げる気か)
ユキノは一度だけ鼻で笑う。
「ふっ……そうだ。私たちは”革命家”だ」
銃口を下げないまま告げた。
「……命拾いをしたな。今ここで、お前と遊んでいる時間は無い。
……お前が“何も知らない”ことに感謝するんだな。知っていれば、連れて行く必要があった」
ユキノは視線を流し、拘束を確認する。副官の手首はきつく縛られ、膝も固定されている。
副官の胸元にあるタブレット端末を引き抜くと、床へ叩きつけて踏み潰した
「――ブラボーチーム 撤収!
そいつは縛ったまま放置だ。アルファと合流する!」
――
――展示会場・壇上/WOLF1レナ
「会場の設備は死んだが、アナログの非常系は別だろう。
非常用階段を当たる。連絡を取った後は屋上に行く。
アルファ4はこの場に残り、ブラボーが戻ってきたら伝えろ」
「イエスマム!」
「急げ、 時間がない。
上階にはまだ親衛隊が彷徨いているかもしれん。警戒を怠るな」
「了解!」
「アイコピー!」
――
会場の照明は完全に落ち、非常灯だけが床と壁を淡く照らしていた。
緑色の「非常口 →」の表示が、霧のような暗闇の中で浮かび上がる。
「こっちだ……続け」
三人はその矢印を追い、防災扉を押し開けた。
重い金属音とともに開いた先は、打ち放しコンクリートの非常用階段。
外界の喧騒から切り離されたような、異様な静けさが広がっている。
踊り場の壁面には、赤く塗装された防災設備盤。
《非常放送》《非常電話》《非常用通信》
その表示を見つけた瞬間、レナの表情が変わった。
「……いいぞ」
内部には、耐衝撃ケースに収められた非常用無線機と、有線式の非常通報端末。
「通信を確保する。――今すぐだ」
レナは無線機を掴み取り、窓際へ駆け寄った。
(回収を呼ぶ前に――対空だ。
SAMが生きているか死んでいるかだけでも把握しなければ、チヌークは撃ち落とされる)
無線機のダイヤルを捻り、立ち上げる。
無線機のスピーカーから、砂嵐のようなノイズが吐き出された。
だが、その奥に――“声”が混じるかもしれない。
レナはスイッチを押し込む。
「――ケベック、ケベック。こちらアルファリード。対空の状況を報告しろ。SAMは封じたのか?オーバー」
――ザザッ……ザ……ッ。
返ってくるのは、切れ切れのノイズだけ。
「ケベック。聞こえるか?
こちらアルファリード。 SAMの状態だけでいい、応答しろ、オーバー」
――ザ……ザザッ……。
反応なし。
レナは舌打ちを飲み込み、窓の外の闇を睨んだ。
(………回収予定時間は大幅に過ぎている……仕方がない。まずは、迎えとのコンタクトを優先だ……)
レナは呼吸を一度だけ整え、送信先を切り替える。
スイッチを押す指に、迷いは残っていなかった。
――ザザッ……ザ……ッ。
「アル……――こちら……ジャク……ョン1……聴こえるか……? すでに回――時間………経過し……る。燃……料は残……り僅か」
(……繋がった。すでに向こうが呼びかけている。時間は残されていない……)
無線機のスイッチを押す。
「――ジャンクション1、ジャンクション1。
こちらアルファリード、 非常事態だ。 至急回収を頼む。 オーバー」
『…………アル…ファリード、こち…らジャン…クション1。受信……た。簡潔に……状況……言え。オーバー』
「会場内で交戦発生。強力なEMPが使用され、電子機器はすべてダウン。
現在は非常用無線機で交信中。
建物内には複数の親衛隊が健在。
ターゲットは未確保、ブラボーが現在追跡中だ。オーバー」
『ジャンクション1了解。アルファリード。座標と進入方位を送れ。風はどうだ。オーバー』
レナは踊り場から外に出て風向きを確認する。
「……グリッド――
進入路は西側が比較的クリア。風は体感で北西、弱。オーバー。」
『U、E、90864 43509。確認した。
当機は北東からアプローチ中、ピックアップポイントは屋上で固定か? オーバー』
「ああ……屋上でいい。オーバー。」
『ジャンクション1了解。――対空・監視は制圧したのか?
稼働しているSAMはあるか。オーバー』
「対空システムの状況は不明。制御室にいるケベックと交信を試みたが応答なし。オーバー」
『クソッ……綱渡りだな……。
――ジャンクション1了解。回収シグナルを統一する。IRストロボは生きてるか? オーバー』
「IRストロボは生きている。屋上で展開可能。オーバー」
『了解した。他の対空火器の有無など、状況は分かるか? オーバー』
「親衛隊の携行SAMの可能性は否定できない。館内にはまだ複数の敵性勢力が残存。
LZはホットになる。オーバー」
『ジャンクション1了解。LZホット。回収はタッチ・アンド・ゴー、30秒。
アルファリード、確認する。ピックアップは“屋上LZ-1”、IRストロボ展開。視線が通る位置で指向IR中継、だな? オーバー』
「そうだ。屋上LZ-1、IRストロボ展開。指向IR中継、実施する。オーバー」
『了解。
敵のSAMを警戒しつつ、屋上に突入する。ダウンウォッシュに注意しろ、オーバー』
「アルファリード了解。屋上進出後、伏せて待機。オーバー」
『IRシグナルは“短・短・長”を1セット、繰り返しなし。繰り返すと位置が割れる。
燃料も僅か、チャンスは1回だ。
視認できなければ、離脱する。オーバー』
「アルファリード了解。IR“短・短・長”、1セット。繰り返しなし。オーバー」
『敵対空の兆候。発射音、誘導音、照準レーザー等、何かあれば即時コール。
合言葉は“ブレイク”。オーバー』
「アルファリード了解。“ブレイク”で通報。オーバー」
『最終ブリーフ。扉開放10秒、乗り込み15秒、離脱5秒。
遅れたら置いて行く。繰り返す、遅れたら置いて行く。オーバー』
「アルファリード了解、全員で帰る。アウト」
レナは無線を切り、後ろで警戒している二人へ呼び掛ける。
「屋上に行くぞ。180秒しかない。アルファ2、先行しろ。3は後方だ。外に出たらIR準備。
――ムーブ」
「了解!」
「アイコピー!」
三人は急いで駆け上がり、屋上に向かった。
屋上の非常用扉にスタックし、一斉に外へ出る。
「クリア!」
「オールクリア!」
「アルファ3、 ストロボだ」
「ウィルコ!」
レナは姿勢を低くし、非常用無線機でVIPERとの交信を始めた。
「ケベック、ケベック。 こちらアルファリード。聞こえるか? オーバー」
――ザザッ……ザ……ッ。
「……SAMの状況知らせ……応答しろ、ケベック。
撤収だ、 オーバー」
『……ええ、こちらケベック1、聞こえるわ。安心して……ここは、ちゃんと守ってる』
ミオの声は、どこか遠い。
途切れ途切れで、ノイズの膜を一枚挟んでいる。
『……アルファリード。さっきの呼びかけ……受信はしてた。
でも立て込んでて……返せなかったの……』
「……そうか。
ブラボーがサンダーヘッドを追い詰めた。帰りの便も呼んである、急いで屋上に来い。あと120秒しかない」
ミオは即答せず、無線の向こうで悩んでいるようだった。
『……ごめんね。レナちゃん……それは難しいわ』
「なぜ……」
『包囲されたのよ。マヤ以外は……ハンドガンしか弾がない。
ここを制圧されると、稼働しているSAMが動いて逃げられなくなるわよ?』
一番聞きたくなかった報告だった。
だが――何かが欠落したように、レナの心は平坦だった。
「どうする気だ……」
『こんなことも、あろうかと、サーモバリック爆弾を用意したの。これを起爆し、全ての記録を抹消する。
展示会の閉館マニュアル通りに“火災想定”で放送も流したから、民間人も概ね避難した。実行可能よ』
「何を考えている。いくらヘイローがあっても死ぬぞ?」
『事態が大きくなりすぎた、もうカバーストーリーは通用しない。
……もっと大きなもので覆い隠すしかない。爆破テロに見せかけて、全てを隠す。
……プランBよ…………』
(……ミオは最初から知っていたのか――
…… これも奴の指示か。死ぬことも作戦だと)
『でもね……レナちゃん。あまり、あの子を恨まないであげてね?
……あの子もまた、苦しんでるの……』
「……なにを――」
『さあ、行って。ここは吹き飛ぶわよ。
VIPER1……京咲ミオ、”通信終了”』
――ザザッ……ザ……ッ。
「…………WOLF1……了解……」
階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
「隊長〜お待たせ〜❦」
「レナ、ターゲットは捕まえた。 ヘリを呼んだんだろ? 撤収しよう」
ユキノが報告する。
クルミが気を失った雷帝を担いでいるのが見えた。
任務完了。
長居は不要だ。
「ねぇ……レナちゃん? ミオ先輩は?」
「………」
ニコに問われ、心臓が跳ね上がった。
どうする。正直に言うか?
彼女はミオを一番慕っている。
見捨てると言えば、恨まれるかもしれない。
「……奴は残った」
その言葉で全員が凍り付いた。
「え……それは――」
「包囲されているらしい。奪われるわけにはいかないと」
「そんな……先輩達はSRTの身分を無くすの……?」
(まだ……信じているか)
「……そうだ」
「せ、生徒会長が……何とかしてくれるよね?」
無線機を握る手に力が入る。
「…………そうだ」
(どちらにせよ、記録は消える。彼女たちに追跡は不可能だ)
微かな音が空から聞こえてきた。
唸るような低周波。
遠雷のような轟音が、次第に輪郭を持つ。
重く、太く、圧倒的な存在感。
ローターが生み出す空気のうねりが、夜の帳を引き裂くように迫ってくる。
「来たな……ストロボ用意」
「了解! ストロボ展開!」
――短、短、長。
レナは顔を上げ、暗闇の彼方を睨みつけた。
短い閃光が二度、続けて一瞬の間を置き、長い照射が一度。
その光は、闇夜に彷徨う旅人を導く篝火のようだった。
「伏せろ! 風圧に注意!!」
その瞬間、闇の中から巨大な影が現れる。
その巨体を支えるために付けられた二基の大型ローター。
連邦生徒会を象徴する白ではなく――
黒。
特殊作戦用に塗りつぶされている。
チヌークは巨体に似合わず素早い動きで降下を始め、屋上上空で急制動。
ローターが叩きつける暴風が、屋上を蹂躙する。
コンクリート片が跳ね、身体が押し流されそうになる。
『ジャンクション1よりアルファリード、LZインサイト。タッチ・アンド・ゴー、30秒。繰り返す、30秒だ。オーバー』
「アルファリード了解。――スタンバイ!」
レナが腕を振り、突入を指示。
WOLFチームが一斉に伏せの姿勢から跳ね起き、担架と雷帝を挟んで待機する。
チヌークは完全には着陸しない。
後脚を僅かに接地させ、前脚を浮かせたまま、斜めにホバリング。
――まさに“触れるだけ”。
ランプが降下し、機内の赤色灯が闇に浮かび上がる。
機内クルーが出てきて手招きをする。
「ゴー! ゴー! ゴー!」
レナの怒号で一斉に動き出す。
スイとメイが先行し、雷帝を担ぎ込む。
FOXが続き、リノが最後尾のレナに振り返った。
「隊長!」
「先に行け!」
レナは陣取り、最後まで周囲を警戒する。
全員が機内へ滑り込む。
誰も来ないことを確認すると、チヌークへ向かって走り出した。
『20秒!』
レナはランプの直前で立ち止まり、最後に屋上を一瞥した。
「……ミオ」
名前を呟いても、胸の奥は冷えたままだった。
確実に何かを失った。
――だが、それが何なのか判別できない。
そんな自分に苛つきを覚え、歯ぎしりを立てるとランプに飛び乗った。
『全員乗ったな!?』
「――ああ!」
『ランプ、アップ!――上昇開始ッ!!』
油圧音と共に、後部ランプが急速に閉じる。
徐々に高度を上げ、チヌークは展示会場から離れて行く。
――
「はぁ……行ったわね……」
――バン!
「――ッ!?
マヤ……………私……だけ……」
ミオの顔に、暗い影が落ちた。
コントロールルームに重装備の親衛隊がなだれ込んでくる。
周囲を囲まれ、無数の銃口を向けられた。
「動くなッ!――もう諦めろ!!
残っているのは、お前だけだ!!両手を上げて跪けッ!!」
ミオは振り返り、不敵に笑う。
笑おうとして、口角の端がひくつく。
「――あら、遅かったじゃない?」
ゆっくり膝を曲げ、両手を上げた。
右手には起爆装置が握られている。
背後には――
赤い光と断続的な音を鳴らす、サーモバリック爆弾。
「でも、もう……手遅れよ…全て終わった……
え……えぇ…楽しかった……わ」
視界が滲む。
口元が引きつり、歯がかち合って音を立てた。
指先が言うことを利かない。起爆装置の上で、小刻みに跳ねている。
「……クソッ!――自爆する気だ――!!
退避――!!総員!退避――!!」
親衛隊は即座に散開し、出口に向かって走り出した。
生存確率を少しでも上げるための、条件反射的な撤退。
誰一人、振り返る者はいない。
「……は、は……逃さ……ない…わ」
「わ、私たちの……剣は……義の、下……に……」
「……そう……だから……大丈夫……」
「……だい、じょう……ぶ……」
「――ふ、ふふ……う…ぅ……ごめ…んね…………」
トリガーに指を添え――
――身体が、拒む。
本能が、最後の最後で“生”に縋りつく。
「――ッ!!!」
理性が――悲鳴を上げる。
「――あああぁぁぁッ!!!」
――自ら”賽”を投げた。
――
[ Renegade System: :Recovery Sequence ]
Override Status .............. RELEASED.
Personality Integrity Index .. STABILIZED.
Damaged Personality Sectors .. REPAIRED.
System Whisper:
"おかえりなさい、レナちゃん"
[ Renegade Network: :Post-Combat Status Report ]
VIPER1:Signal Check...
VIPER2:Signal Check...
VIPER3:Signal Check...
VIPER4:Signal Check...
VIPER Team: :Halo Signal — LOST.
Personal Data Purge .......... INITIATED.
Identity Records ............. NULLIFIED.
Biometric Traces ............. ERASED.
Residual Footprints .......... PURGING.
Existence Proof .............. INVALIDATED.
[ END OF LOG ]