白狼救済録 作:らんらん出荷マン
息が苦しい。
肺に焼けた空気が入り込み、口の中には乾いた砂が広がる。
まぶたを上げると、灼熱の太陽が瞳を刺した。
「ゴホッ……!!ゴホッ……!!ここは何処だ、砂漠? それに、声が……」
視界の端で、白いものが揺れる。
(白髪……? 俺は黒髪のはずだ……それにこんな長くもない)
横を見ると、以前とはまるで違う、細くしなやかな腕が見えた。
頭に触れると、ふさふさとした獣の耳――
背中には、耳と同様に毛が生えた尻尾が砂を払う。
胸元に触れた瞬間、あり得ない柔らかさが指先に返ってきた、否応もない現実を突き付けてくる。
――女になっている。
これは一体どういう状況だ。
幻覚か、死後の悪夢か、それとも誰かの陰謀か?
しかし、五感で感じる周囲の情報はあまりにも生々しい。
砂漠の熱、渇きによる喉のひりつき、脱水症による体の重さ。
全てが現実だった。
「……クソッ武器は勿論、水もレーションも無い。あるのはボロのBDUだけか――とにかく動けるうちに安全地帯を探す、女の体になったことで悲観するのは後だ」
ふと見上げると、雲一つ無い清々しい程の青さをした空が広がっている。
だが、この状況では嘲笑にしか見えなかった。
(……クソ忌々しい太陽め)
縮んだ身長に戸惑いながらも前世とは違う、己の足で歩き出した。
◆
終わりの見えない砂丘。
熱風に巻き上げられた砂が容赦なく吹き付ける。
(さっきまで泥と血に塗れてたと思えば、今度は砂と汗によるベタつき、もう沢山だ……)
延々と歩き続けたが、砂漠を抜ける気配が一向にない。
その事実に焦りが湧き起こる、体力だって限界を超えていた。
……だが足はまだ動く、生き続ける為に戦って来た傭兵に”諦める”という思考は無かった。
(……クソ、前が見えない)
視界が途切れかけた時。
遠くで、動くものが見える。
何か……いや、誰かが近付いて来る。
武装している。敵か?味方か?
反射的に身構えようとしたが、上手く踏ん張れず膝が折れた。
「だ、誰かいる!?おーい!ちょっと、大丈夫ですか!?」
知らない女の声、誰かが肩を支えてきた。
「うわっ……ちょっ…!待って!倒れないで!」
遂に身体の制御が効かなくなり、目の前が暗くなる。意識が遠ざかる中、彼女が叫んだ。
「ホシノちゃん! 早く来て!女の子が倒れてる!!」
『どうしたユウイチ、もう疲れたのか?情けないぞ』
黙れ。俺はもう眠いんだ……
――そのまま意識は完全に闇へ落ちた。
◆
(知らない天井だ)
目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
見渡すと、そばに白い壁とカーテンが見え、薬品のような匂いが鼻にツンとくる。
シーツの上に乗った腕を見れば、白い肌に白い包帯が巻かれている。
(部屋と言うより病室か……)
どうやら命拾いしたようだ。
――
「あ、ユメ先輩、目を覚ましましたよ」
「あ!起きた?よかったぁ……!あなたは危ない状態だったから、私たちの――アビドス高校に運んだんだよ!」
(学生……?学校……?ここは病院ではないのか)
窓の外を見やると、遥か昔の記憶にある景色に似た街が砂に沈みかけ、砂嵐が吹き荒れている。
何なんだここは。
◆
輪っかのようなものを頭上に浮かべた見知らぬ少女たちは、汚れた体を拭き、水と食料を与えてくれた。
あの薄っすら見える輪は何だろうか、天使か、はたまたホログラムか――。
「どう?少しは楽になった?あ!自己紹介がまだだったね、私は梔子 ユメ!隣にいる小さい子は小鳥遊 ホシノちゃんだよ!あなたはどこの学園出身?学年は?あと名前も――」
ユメと名乗った騒々しい少女は、ユウイチに興味津々なのか矢継ぎ早に質問を捲し立てる。
「ユメ先輩、落ち着いて下さい、一気に言っては混乱してしまいます。それと……だれが小さい子ですか?」
そしてもう一人の小柄な少女は、口数が少なそうで馴れ合いは苦手なように見える。
どう答えるか――戦って死んだはずが”いきなり砂漠”で倒れていた、と言っても信じてもらえないだろう。
それに見た目こそ子供だが、善人とは限らない。
傭兵と知った瞬間、態度を豹変する可能性もある。
――真実は言わない、身を守るために。
「……分からない、何も思い出せないんだ」
迷った末、ユウイチは嘘をついた。
自分の置かれている状況が不明な今は、この青い世界に混ざる理由がない。
「記憶喪失、ですか……怪しいですね。その格好も含めて、嘘をついているように見えます」
そう言った彼女の目は切れ味の良いナイフのようで全く信じてないのが分かる。
喉元に違和感を感じた、ユウイチの身体が強張り、鼓動が跳ねる。
(ッ!殺気のような気配……なんだこいつは!……ただのガキじゃないな!?)
選択を誤ればただでは済まない、ユウイチの中で警鐘が鳴り響く。
「ちょっと!ホシノちゃん!?病人にそんな態度ダメだよ!!」
「ユメ先輩が甘いんです、普通の制服ならまだしも戦闘服ですよ!?明らかに怪しいですよ!!」
「ここまで弱った子を放っておけないよ、それに――お人形さんみたいに可愛い子が悪さをする訳ないでしょ!」
(……お、お人形……?可愛い……?)
俺は戦士だ、そんな筋合いは無い。
「はぁ……呆れて物も言えません。そう思う根拠は何ですか?」
「ん~~?―― 勘!!」
元気よく言い放つユメに、ホシノは言葉を失った、敗北である。
(……状況が分からんが、胸がデカい方は警戒心の欠片も無い。逆に心配になるぞ)
少なくとも片方に害は無い、むしろ好意的だ。
「そうだ!名前が分からないままなのも可哀想だし、思い出すまでの仮の名前を付けてあげる!」
ユメが考え込むと同時にアホ毛が激しく揺れる、まるで生き物だ。
「どうしようかな、うーん?………」
「――そうだ!“大上 レナ”ってどう?」
(素性が一切不明な怪しい奴を、自分たちの拠点に招くどころか名前まで付けるとは……)
「何故、その名前を?」
「んー、なんとなく!あなた狼っぽいし!あっ、下の名前は昔飼ってた”ペットの犬”からだよ!」
(……ペット)
――犬だと?冗談でも人に付けるものではない。
どうやらコイツの頭は空っぽのようだ。
彼女の能天気さに、胸の奥から僅かな怒りが湧いた。
ユメの緩い性格にユウイチは終始呆気に取られていた。今まで出会った人達に、こういうタイプは居なかったのだ。
そして名前を与えると言うことは、居場所を与えるとでもある。
だが、死んだ人間にそんな権利は無い。
いや――もういいのかも知れない。
俺はもう、俺ではないのだ。
レナは静かに頷いた。
「あぁ、構わない」
「よし! じゃあ今日から、あなたは大上 レナだよ!よろしくね、レナちゃん!」
(……レナちゃん?)
そう呼ばれて鳥肌が立つが、彼女の屈託のない笑顔に警戒心がほんの少し緩んだ。
気を取り繕い問い掛ける。
「それで?ここは一体どこだ、教えてくれ」
ユメは豊満な胸を張って堂々と言った。
「ようこそ!ここはキヴォトス!沢山の学校が集まってできた学園都市だよ!」
新しい名前、新しい身体、新しい世界。
だが戦場の”悪夢”だけは、何も変わらない……。