白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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今回は16000字くらいです。
分割しようか考えましたが……面倒なので、このまま投げます。

読んでください。(投げやり)


第31話 泥棒

 

 

――ブラックマーケット南側。

 

旧整備区画へと続く薄暗い路地を、青い外套が駆け抜ける。

 

「ハァッ、ハァッ……!

ヴォーパル! ヴォーパル!――こちらビッグフット! 応答しろ……!」

 

骨伝導インカムを押さえる猫の獣人――ビッグフット。

その声からは、先ほどまでの余裕が微塵も消え失せていた。

 

『……騒々しいな。“おままごと”はどうした?』

 

ノイズ混じりの気怠げな機械声。オペレーター“ヴォーパル”だ。

 

「おままごとじゃない。

奴ら、“囮”を素通りして本命に向かっている……保管庫に捜査が入るぞ」

 

ビッグフットは荒い息のまま端末を乱暴に操作し、データを投げた。

 

「録音データを送る……。

――今すぐ“掃除”を始めろ」

 

『……ダウンロード完了。チェックする』

 

数秒の沈黙。

その後、インカムの奥で車のクラクションと雑踏のノイズに紛れ、音声が再生された。

 

《行くぞ。……これでお嬢様の不安も解消されただろう。危険な『旧整備区画』は避けて、安全な道を通って帰るとしよう》

 

紛れもない。

先ほどまで屋台で談笑していた“白狼”の、冷え切った声だった。

 

『ビッグフット、慌てるな……。

奴らの目的は、あくまで武器の流出ルートの調査だろう。“ブツ”の線は、まだ掴まれていない』

 

返ってきたのは、大企業特有の楽観と慢心が滲む口調だった。

その温度差が、ビッグフットの苛立ちをさらに煽る。

 

『そもそも相手は生徒だ。録音の通り、怯えて安全な道で帰る可能性も高い。

それに、必ず来るとは限らない』

 

「現場を知らないくせに、舐めるなッ……!

SRTはヴァルキューレの案山子どもとは違う!

ブラフの可能性が高い!」

 

脳裏に、先ほどの光景が焼き付いていた。

屋台の列に並びながら、一度も正面を向かなかった赤い瞳。

ガラスの反射を使い、死角を作らず、常に“出口”を押さえていた立ち位置。

談笑の最中でさえ、一瞬たりとも思考を止めていない顔。

 

あれは“護衛”の目じゃない。

 

(……“狩人”の目だ)

 

「――あの白髪は別格だ。

間違いなく、こちらの存在に気づいている」

 

『……』

 

一拍の沈黙。

やがて、いつもの気怠げな声が戻る。

 

『落ち着け、ビッグフット。ただの盗聴対策だろう。

それに、あのエリアは我が社の資産だ。令状も持たないガキどもが正面から来たところで、いくらでも門前払いできる』

 

「――ヴォーパルッ!!

わざわざ『旧整備区画』を名指ししたんだぞ!?」

 

インカムの奥が静まり返り、雑踏のノイズだけが流れた。

 

ただ――その沈黙は、思考の音だった。

発覚した場合の損失規模。

証拠隠滅に要するコスト。

現場情報の信頼性。

手元にある白狼の過去の実績データ。

 

『対象の戦歴を照会………』

 

『………』

 

『……確かに放置は、リスクとなり得るか……』

 

複数の変数を照合し、会社にとって“動く価値があるか”を試算する。

 

『……チッ……白狼か……。

分かった……念のためだ。第3セクターC棟に“A液・B液”の搬出を発令。

トラックに積み込み、裏口から速やかにライン外へ出す。PMC部門にも動員をかけ、警備レベルを引き上げる。

ネズミ一匹、敷地を跨がせん――』

 

一拍。

 

『先ほどの話が本当なら……貴様は今もマークされているはずだ。

整備区画には戻らず、そのまま離脱しろ。時間稼ぎにはなる』

 

「……ッ!?

了解……進路を変更、BMから離脱する」

 

 

 

――

 

――同時刻、ブラックマーケット南側・裏路地。

 

レナ、ユキノ、ニコ、スイの四人は、OVERLORDのナビゲートを頼りに、夕日が差し込む路地を駆けていた。

 

『――OVERLORDよりHUNTER1-1。報告。PM1が前触れもなく進路を東へ変更。追跡に気付かれた可能性が高い。オーバー』

 

(糸を切られたか……。

本部から“隠滅”と“撤退”の指示が出た――そう見るべきだな。時間はもう、味方ではない)

 

「HUNTER1-1了解。OVERLORD、釣り餌は仕事を果たした。即刻追跡を中止――。

PM1が向かっていた先に、倉庫群はいくつある? オーバー」

 

レナは暗い路地を駆け抜けながら、背後のユキノたちへハンドサインで『ペースを上げる』と指示を飛ばす。

サインを確認した三人は、無言で頷いた。

 

銃口を上に向けたハイポートへ移行し、地面を蹴る。

完全武装の四人が一斉に路地を突き進む。

 

だが、足音はない。

聞こえるのは、装備が擦れる音だけだ。

 

『スタンバイ……』

 

無線の声が遠のき、数秒のホワイトノイズ。

 

『確認した。大きく分けて四棟の大型倉庫群だ。オーバー』

 

「その中に黒いトラックが停まっているはずだ。

――どの倉庫か割り出せ。オーバー」

 

息一つ乱さぬ声で指示を飛ばし、レナはインカムから指を離した。

 

『――OVERLORD了解。

目標上空付近にてOrbit(旋回)軌道に移行。全センサーをアクティブ。当該エリアの大型倉庫群に対する広域スキャンを開始する――』

 

数秒の静寂。

 

『……FLIR(赤外線前方監視装置)およびSAR(合成開口レーダー)起動。

各建屋の熱源(サーマル・シグネチャー)を照合……』

 

UAV(無人偵察機)が上空から大型倉庫群を舐めるように走査し、一つずつ潰していく。

 

A(アルファ)(A棟)、ネガティブ。

B(ブラボー)(B棟)、ネガティブ。

両棟とも大規模な熱源反応なし。

……スタンバイ――』

 

無線の奥で、微かな打鍵音。

UAVオペレーターが捜索に入った瞬間、レナは走りながら左肩の無線機のスイッチを素早く叩き、チャンネルを部隊内へ切り替えた。

 

「WOLF2、こちらWOLF1。状況は? オーバー」

 

すぐに返事が来る。

 

『こちらWOLF2。聞こえています。現在、指定ポイントまで移動中。オーバー』

 

「WOLF2、たった今、“糸”が切れた。

OVERLORDが新しい糸を紡いでいる最中だ。オーバー」

 

『了解。すぐに動けるようにします――』

 

直後、OVERLORDから割り込みの報告が入った。

 

『――ブレイク、ブレイク。OVERLORDよりHUNTER1-1。

――Target Acquired(目標捕捉)

ビンゴだ。

グリッド――N(ノーベンバー) V(ヴィクター) - 9-7-2-7-1《ナイナー、セブン、ツー、セブン、ワン》

4-6-9-9-5《フォー、シックス、ナイナー、ナイナー、ファイブ》

 

 

指定呼称「ビルディング・チャーリー(C棟)」にて複数の熱源反応を確認。

搬入口にアイドリング状態の大型トラック二両。周囲に武装した警備員が約十二名。

当該地点を本命と判断する。オーバー』

 

「……ッ! よくやったOVERLORD。

BCを一望できるビルはどこだ。オーバー」

 

『……一望できるビルだな?

捜索中。スタンバイ――』

 

――数秒後。

 

『喜べ。ちょうど搬入口を監視できるビルを見つけた。

BCから北西、距離800メートル。グリッド――NV-9-7-0-6-2 4-7-1-7-5。オーバー』

 

指定されたのは、C棟搬入口を北西から見下ろせる雑居ビルだった。

情報が揃った瞬間、選択肢は消えた。

残るのは、“どう行くか”だけだ。

 

「了解。そのビルにWOLF2とFOX4を向かわせ、Overwatch(掩護・監視)に就かせる。

――UAVは引き続き偵察を継続。何か異常があれば報告せよ。オーバー」

 

『OVERLORD了解。UAVはOrbitを維持。

偵察を続け、異常があれば即時コールする。アウト』

 

再度チャンネルを切り替える。

 

「WOLF2、こちらWOLF1。新たな指令だ。

これから送る座標のビル屋上へ移動、観測点を構築せよ。お前たちが、もう一つの目になれ――。

グリッド――NV-9-7-0-6-2 4-7-1-7-5だ。復唱せよ。オーバー」

 

『WOLF2了解! グリッド――NV-9-7-0-6-2 4-7-1-7-5ですね。

目的地変更。移動を開始。到着次第、報告します。

行きますよ、FOX4――』

 

『はいはい。エレベーター動いてるといいけど……』

 

通信の奥で、オトギの気の抜けた声が微かに響いて途切れた。

 

通信が切れると同時に、夕闇に染まる倉庫群の巨大なシルエットが視界に開ける。

レナは歩調を緩め、隣を走るユキノへ視線を向けた。

 

「……見えたぞ。ユキノ、お前たちは正面から“協力要請”だ。

私は“裏”から証拠を失敬する」

 

それを聞いたユキノは、目を見開いた。

 

「……裏? まさか、最初からそのつもりで!?」

 

「そのまさかだ」

 

レナは視線を倉庫群へ向け、歩みを止めない。

 

ユキノは顔を強張らせ、レナの肩を掴んで引き止めた。

 

「待て! 同意もないまま私有地に侵入すれば、それは捜査ではない。ただの“泥棒”だ――!」

 

その強い制止に、レナは初めて足を止め、静かに振り返る。

 

「ユキノ……令状を持たないまま正面から挨拶しても、奴らは決して扉を開けない。責任逃れは企業の十八番だ。

あらゆる手を使って時間稼ぎをされ、数時間後には綺麗に掃除された空の倉庫を見学させられるだけだ」

 

レナはユキノの手をやさしく払い、冷え切った赤い瞳で告げる。

 

(……既に血塗れだ。今さら泥を被っても何も変わらん)

 

「お前たちは“正義”のSRTとして、“正当”な手続きで玄関を叩け。

……汚れ仕事は、私一人で十分だ」

 

ユキノは眉を吊り上げ、なおも食い下がる。

 

「証拠が取れても、それでは貴官自身が“罪人”になる……! 行かせるかッ――!」

 

ユキノが掴みかかろうとした瞬間――

二人の間にニコが滑り込み、ユキノを宥めた。

 

「ま、まぁまぁ……落ち着いて。今は言い争ってる場合じゃないよ……。

ユキノちゃん、止めたい気持ちは分かる。……でも今ここで揉めたら、敵が一番喜ぶんじゃないかな……?」

 

スイも声を上げる。

 

「そうだよ。ユキノ、落ち着いて――」

 

一拍置き、振り返る。

 

「隊長……。何でまた一人で『悪者』になろうとするのさ。僕たち、チームでしょ……」

 

「チーム……か。私は――」

 

レナが何かを言い返そうとした、その瞬間。

無線機が鳴った。

 

『HUNTER1-1、倉庫が騒がしくなった。コンテナにクレーンが近付いているぞ』

 

「――HUNTER1-1了解。

ユキノ……時間がない。黒いトラックが敷地外に出たら、本当の意味で襲撃をかける羽目になる……それだけは避けたい」

 

レナはユキノの目を真っすぐ見つめる。

 

「コンテナ内に忍び込み、中身をボディカムに記録する。その後は事務室まで行き、関連データを根こそぎ盗む――。

それが終わるまで、お前たちは正面で騒ぎを起こしてくれ……。

 

……頼む………」

 

レナが口にしたそれは、命令ではなかった。

泥に塗れた傭兵が、ようやく絞り出した、不器用な願いだった。

 

ユキノは返答せず、ほんの数秒だけ目を閉じた。

正義を曲げたくない。だが、証拠を逃すわけにもいかない。

その相克を飲み込み、やがて――

絞り出すように言った。

 

「……四分。

それ以上は……期待するな。私は政治家じゃない」

 

「十分だ。感謝する」

 

 

 

――

 

――同時刻。

 

倉庫から800メートル北西のビル。

 

錆びついた屋上の鉄扉を押し開け、リノとオトギの二人は息を吐き出した。

 

「よかったぁ……エレベーターが動いてて。非常階段を全力疾走したあとに800メートル先を監視とか、拷問だよ……」

 

オトギは背中の大きなボストンバッグを下ろしつつ、半笑いでぼやく。

 

「ふぅ……そうですね……もし射撃支援が必要になっても、『息が上がって当たりません』では隊長たちに示しが付きません……」

 

リノは小さく息を吐きながら屋上の縁に伏せると、素早く小型三脚を展開し、高倍率のスポッティングスコープを据え付けた。

 

その傍らでオトギがセミオート式12.7mm対物ライフルを組み上げる。

リノはスコープのピントを合わせ、さらにレーザーレンジファインダーで目標までの距離を弾き出した。

 

「距離820、風速2、南東から……。視界はクリア」

 

リノはスポッターとしての冷徹な声色に切り替わり、インカムのスイッチを入れる。

 

「WOLF1、こちらWOLF2。観測点、構築完了。オーバー」

 

『――了解だ、WOLF2。これより私が“単独”で施設内に“侵入”し、証拠写真とデータを収集する。”誘導”は任せたぞ――』

 

返ってきたレナの言葉には、聞き捨てならない単語が混じっていた。

 

「は……誘導? た、隊長! 単独で侵入って何ですか――!? オーバー!」

 

リノは慌てて問い詰めるが、返ってきたのは聞き慣れたノイズだけだった。

 

「うわ。小隊長様、また何かやらかす気……?」

 

ライフルを組み立て終え、オーバーバレルの大型サプレッサーを銃身に固定したオトギが、視線だけを向ける。

 

「はい、これからエージェントの真似事をするそうです……」

 

「おっほほ〜……相変わらず愉快だねぇ……」

 

リノの傍らに伏せ、ライフルスコープを覗き込んだオトギの空気が鋭く変わる。

 

十発装填の巨大なマガジンを差し込み、重いチャージングハンドルを引く。

 

――ガシャン、と大きな作動音。

 

その裏で極大のスプリングがしなり、獣じみた唸りを上げる。

 

セーフティを外し、ゆっくりと息を吐き、手ブレを極限まで殺す。

 

(……撃てれば、トラックのエンジンブロックごと一発で沈められるのに)

 

歯がゆさを噛み殺しながら、オトギは“威嚇”と“観測”のためだけに、その凶悪な銃口をC棟へ向けた。

 

そうだ――私たちは、あくまで保険だ。

 

「ま、やることは変わらないけどね」

 

リノも隣でスポッティングスコープを覗く。

夕日の光が、屋上で伏せる二人を淡く照らし上げた。

 

「……はい。サポートは任せてください」

 

「いいね。頼りにしてる」

 

二人は拳を軽くぶつけ合う。

観測開始――これより、“型破りな問題児”の支援に入る。

 

 

――

 

――旧整備区画・第3セクター。

 

レナは通信の途切れたインカムを押さえたまま、夕陽に染まる倉庫群を見据えた。

 

C棟――ビルディング・チャーリー。

 

鉄板を継ぎ足して拡張したような、無骨で巨大な建屋。

高い塀が敷地全体を覆い隠し、中は窺えない。

 

「露骨だな……『後ろめたい事をしています』と暗に告げているようなものだ」

 

レナはそう吐き捨て、傍らに立つユキノへ視線で合図を送る。

 

「いいか、WOLF1。罪を被るのが貴官の役目だと思うな……」

 

ユキノは短く警告すると、ニコとスイを引き連れて、堂々と正面ゲートの灯りの中へ歩み出ていく。

レナはその背中を見送ることもなく、音もなく路地の影へ身を沈めた。

 

――それは捜査ではない。

“泥棒”という名の“正義”だ。

 

「OVERLORD、こちらWOLF1。これより、目標施設に単独で潜入し、証拠の確保を行う。オーバー」

 

 

 

――

 

ユキノを先頭に、ニコとスイを従えた三人は、C棟正面ゲートへ向かって堂々と歩を進める。

 

「うわ、全部塀じゃん。何も見えないね」

 

スイはLMGのチャージングハンドルを引くと気怠げに零した。

 

「WOLF3……私語は慎め」

 

ユキノが即座に注意し、正面ゲートを見据える。

 

「金属製のゲートに……監視塔。ただの倉庫ではないな」

 

その横でニコが周囲に視線を飛ばし、警戒している。

 

「……FOX1。監視塔に一人、見られてるよ」

 

ゲート脇の仮設詰所から、警備主任らしきロボットが一歩前へ出た。

 

「――止まれ。

この倉庫はカイザー・インダストリーが管理している。

関係者以外、立ち入り禁止だ」

 

ユキノは足を止めない。

ゲートの数メートル手前まで進むと、ようやく静かに立ち止まり、相手を真っ直ぐ見据えた。

 

学生証を掲げ、声を上げる。

 

「SRT特殊学園の七度ユキノ分隊長だ!

調査の結果、貴社施設内に無登録兵器保管の疑いが生じた!

よって事情聴取と倉庫の開示を求める!――責任者を呼べ!」

 

警備主任は鼻で笑う。

 

「ふっ……令状は? 学生の社会科見学なら予約が必要だが?」

 

「無い!」

 

あまりにも堂々とした即答に、警備主任は一瞬レンズのピントを狂わせ、笑い声を上げる。

 

「…………ハッハッハッ! 面白い冗談だ……。無登録兵器? ずいぶん物騒なごっこだな。

――申し訳ないが、お引き取り願おう。ここは我々の私有地だ!」

 

(……令状なしの強行突破はSRTにもリスクがある。このまま法論争で引き伸ばせば、証拠隠滅の時間は十分に稼げる)

 

警備主任はレンズの奥でそう計算し、余裕の態度を作った。

だが、その計算の穴を突くように、一人の“曲者”が忍び込もうとしているのは知る由もない。

 

ユキノは学生証を下ろさない。

その背筋は真っ直ぐで、声にも一切の揺らぎがなかった。

 

「繰り返す。私はSRT特殊学園、七度ユキノ分隊長だ。

貴社施設に対し、無登録兵器保管の嫌疑が生じている。“任意”での施設開示と責任者の出頭を求める」

 

「ほう……任意ねぇ……。あらぬ疑いをかけられるのは、我が社とて容認できるものではない」

 

警備主任のレンズが細まる。

口調こそ軽いが、その背後では別の警備ロボたちが持ち場を変え始めていた。

監視塔の上でも一人、ライフルの角度が下がる。撃つためではない。照準を通すための準備だ。

 

ユキノはそれを視界の端で捉えながら、あくまで正面の相手だけを見据えた。

 

「疑いを晴らしたければ協力しろ。責任者を呼べ。話はそれからだ――」

 

「――拒否する」

 

即答だった。

 

「令状がない貴様らには……

立入権限はなし。

法的強制力なし。

話す必要もなし。――以上だ」

 

その言葉と同時に、ゲート脇のスピーカーから電子音が鳴った。

ロック機構の確認音――つまり、内側では完全封鎖の手順に入っている。

 

(……予想通り。時間を稼ぐつもりだな)

 

ユキノは一歩だけ前へ出た。

 

「“何もない”と言うには、些か警備が厳重すぎる。

それとも、ただの倉庫に監視塔と重武装の警備員を置くほど……カイザーは“神経質”なのか?」

 

挑発に警備主任のレンズが、わずかに揺れた。

 

「……企業秘密だ」

 

「ふん……企業秘密か。安い言葉だな」

 

ユキノが吐き捨てるように言った瞬間――

 

背後のスイが気怠げに、ヘルメットのバイザーを下ろす――

そして、極めて威圧的な動作でLMGを腰だめに構え直した。

 

ニコは手元のスマホで堂々と、警備員たちの姿を録画し始める。

 

だが、発砲はできない。

完全なブラフだ。

 

本当に撃てば困るのは、むしろこちら側。

それでも“撃てる顔”を崩さない虚勢だけが、唯一の武器だった。

 

 

 

――

 

――ユキノたちと別れた直後。

 

「OVERLORD、こちらWOLF1。これより、目標施設に単独で潜入し、証拠の確保を行う。オーバー」

 

『何……!?』

 

無線の向こうで、複数の声が一斉に上擦った。

 

『――待て、WOLF1!

貴官の行為は連邦法第130条、および連邦捜査手続法第218条に抵触し、正当性を失う!

ただの不法侵入だ!

即刻中止――繰り返す!即刻中止せよ!』

 

声を荒げるオペレーターとは対照的に、返したレナの声は冷たく、波のない水面のようだった。

 

「ネガティブ。これしか手段はない……。

逃せば、また振り出しに戻る。多少の危険を侵す価値は……十分と判断した」

 

「WOLF1、勝手な真似はするな! これは命令だ! ……あっ……総司令!」

 

途中で、オペレーターの声が遠退いた。

その代わりに、確かな信念が宿る鋼のような声が現れた。

 

『……WOLF1、こちらWARDENだ。一つ聞きたい』

 

無線の奥で、静かな息遣いが聞こえる。

 

『失敗は……しないな?』

 

レナは即座に応じる。

 

「――はい、必ず」

 

『……黙認しよう。

だが、その代わり……UAVは下がらせる。いいな?』

 

「了解……」

 

(……失敗すれば『暴走した生徒の単独犯』として切り捨てる。

完全に『連邦は無関係』という線引きだな)

 

レナは通信を切ると、呼吸を一度整える。

夕陽はすでに倉庫群の輪郭を赤黒く染め始めていた。

 

コンクリートの塀。

周囲を威圧する監視塔。

一定間隔で照らす仮設照明。

夕焼けに浮かぶ、忙しなく往来するサーチライトの閃光。

 

すべてが、「ここには入らせない」と語っていた。

 

(……裏を返せば、その“安心”が命取りだ)

 

レナは塀から少し離れた物影へ身を滑らせる。

足音は殺し、重心は低く、呼吸は浅く、一定に。

 

正面から響く、警備主任とユキノの声を獣耳が拾う。

 

「――責任者を出せ!

話はそれからだと言っている!」

 

警備主任の苛立った電子音が返る。

 

「何度言わせる! 

令状がないのであれば、これ以上の会話は不要だ――!」

 

怒鳴り合いは騒音になり、視線を集める。

視線が正面へ集まれば、他が薄まるのは必然だ。

 

塀の向こうから声が聞こえる。

 

「おい――SRTが来た。01、02、応援に行くぞ!」

 

「「了解!」」

 

複数の足跡が遠退いていった。

 

(……いいぞ、手薄になった)

 

レナは窪みに設置された排水溝へ視線を落とした。

人一人分が通れるほどの穴に汚水と油が溜まり、格子の隙間には黒い泥。

だが一箇所だけ、最近こじ開けた痕がある。ボルトの一部が錆びついていた。

 

(業者か……手癖の悪い下っ端か……)

 

膝を汚水に沈める。

ヘドロが厚手のソックスとニーパッドに貼り付き、ブーツの中へ生温い水が流れ込む。

饐えた匂いが鼻を突くが、レナの表情は微塵も動かない。

 

格子の隙間にナイフを差し込み、テコの原理でボルトをこじ開ける。

僅かに金属が軋む音が鳴った。

グローブ越しに格子を押し上げ、ゆっくりと横へずらす。

素早く内部へ侵入し、そのまま駆け足で突き進む。

 

無線機が震えた。

 

『……WOLF1、こちらWOLF2。先ほどOVERLORDからUAVを後退させるとの連絡が来ました。何かトラブルが……?』

 

レナは静かにインカムへ手を伸ばす。

 

「司令部は……不干渉を下した。お前たちが頼りだ」

 

息を呑む音が微かに返る。

 

『……ッ……了解。最善を尽くします』

 

排水溝の先は、コンクリート製の細い保守トンネルだった。

天井は低く、身を屈めないと進めない。

 

古い電線管と排水パイプが蜘蛛の巣のように走り、壁面には油の染みが黒く広がっている。

 

突き当たりには錆びた梯子。

上を見上げると、微かに光が漏れていた。

 

「WOLF2、こちらWOLF1。現在地、保守トンネル内、敷地の真下にいる。マンホールを確認できるか?」

 

『……確認しました。エリアの最端です。トラックは、そこから前方200メートル――。

所々コンテナが置いてあり、死角となっています』

 

「よし、今から外に出る。頼んだぞ」

 

レナは梯子に手をかけ、登り始める。

 

『了解。私が隊長の“眼”になります』

 

頭上のマンホールの隙間から、夕闇の光と重機動音が漏れてくる。

レナは通信機のマイクを指で二回叩き、『外に出る』という合図を送った。

 

『――ホールド。そのまま。……警備員が二名、隊長の頭上を右から左へ通過します』

 

リノの冷徹な声がインカムに響く。

直後、頭上の鉄蓋を金属の足音が踏み鳴らして通り過ぎていった。

 

『……クリア。ムーブ』

 

足音が完全に遠ざかるのを確認し、レナは錆びついたマンホールの蓋を肩で静かに押し上げる。

 

外の新鮮な空気が肺を満たす。

周囲の仮設照明と、サーチライトの軌道を瞬時に脳内にマッピングする。

 

「……出たぞ」

 

『――見えています』

 

蓋を元の位置へ静かに戻し、すぐ傍の物陰に身を潜める。

 

『現在、隊長の右方向およそ30メートルに警備員が二人。ただし、視線はゲート側(ユキノたち)に向いています。

コンテナの影を伝ってください』

 

「……了解」

 

レナはアスファルトを這うように、低く、素早く移動し、コンテナの影に張り付いた。

 

等間隔に置かれたコンテナを伝う。

徐々に、そして確実に、トラックへと距離を詰める。

 

あと少し――。

 

『ホールドッ――! コンテナの向こう側。監視塔からサーチライト。そのまま出たら視界に入ります』

 

数秒――。

 

『クリア。ムーブ』

 

サーチライトの光芒が通り過ぎた直後、レナは黒いトラックの車体下へ滑り込んだ。

 

巨大なディーゼルエンジンのアイドリング音が、レナの微かな衣擦れの音すらも掻き消してくれる。

 

(そろそろ……ユキノの語彙も限界だろう)

 

エンジンの重低音が、腹の底まで震わせてくる。

オイルの匂いと排気の熱が、アスファルトの隙間から立ち昇っていた。

 

レナは車体の陰に身を潜めたまま、ゆっくりと首を巡らせる。

 

(間に合った……ギリギリだな)

 

搬入口のクレーンがゆっくりと旋回している。

警備員たちの視線は、正面ゲートの騒ぎへ集中していた。

レナは腹ばいのまま、静かにトラック後部へ移動する。

 

『ホールド。監視塔のサーチライト……今、トラックを横切ります』

 

リノの声が耳元で囁く。

白い光がトラックの上を滑る。

鉄の箱が光を弾き、影が地面に長く伸びた。

 

数秒――。

 

『……クリア。ムーブ』

 

レナは素早く荷台後部へよじ登り、金属のロックバーに手をかけると、わずかに軋みを上げた。

 

(……固い)

 

しかし完全な封印ではない。

作業途中のロックだ。

 

グローブ越しに力を込め、ゆっくりとバーを持ち上げる。

 

――カチッ。

 

極力音を抑え、レナは片手で扉をわずかに引いた。

 

隙間が開く。

内部は暗い。

 

だが、搬入口の外灯が差し込み、積荷の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせた。

 

整然と積まれた黒い箱。

ただの箱ではない。

角は分厚いゴムで補強され、開閉部には重厚な気密ラッチ。

さらに封緘タグまで通されている。

 

(……軍需輸送用か)

 

レナはわずかな隙間に身体を滑り込ませ、コンテナの中へと入り込んだ。

 

内部は外気よりもわずかに冷えていた。

壁面には簡易断熱シートが貼られ、床には滑り止めのラバー。

箱一つ一つが固定ベルトで拘束され、荷崩れ防止バーまで噛ませてある。

 

扉脇には小型の温湿度ロガー。

数値が緑表示で安定している。

 

(……徹底しているな)

 

レナは胸元のボディカムを指で叩いた。

起動確認。

レンズが暗闇を捉える。

 

「OVERLORD、こちらWOLF1。映像を送信する」

 

『はっきり見える。そのまま撮影しろ』

 

無線から返ってきたのは、先ほどの狼狽したオペレーターの声ではなかった。

低く、重厚な――総司令の直接通信だった。

 

「……ッ!?……了解」

 

レナは箱の列に近付き、ライフルのフラッシュライトを点灯した。

細い光が黒い外装を照らす。

 

側面には白い文字が整然と並んでいた。

 

――

 

KAISER INDUSTRIES

 

A-COMPOUND

 

LOT AC-7R-1142

TEMP 5–15°C

 

AUTHORIZED HANDLING ONLY

NO IMPACT / NO STATIC

 

――

 

箱の角には、黄色と黒の警告帯。

さらに、小さな三角マーク――静電気対策を示すESD警告が貼られている。

 

その下には、黒い矢印と簡素な表示。

 

THIS SIDE UP

 

天地指定だ。

 

レナの視線が細まる。

 

(……なるほど)

 

隣の箱へライトを滑らせる。

 

――

 

KAISER INDUSTRIES

 

B-COMPOUND

 

LOT BC-7R-1142

TEMP 5–15°C

 

PAIR LOAD ONLY

NO OPEN FLAME

 

――

 

ロット番号の末尾が一致している。

 

AC-7R-1142

BC-7R-1142

 

(AとB……対管理)

 

つまりこれは、単体では意味を持たない。

二つが揃って初めて完成する。

 

レナは表面を指で軽く叩いた。

内部は緩衝材で固定されているのか、乾いた鈍い音しかしない。

 

(温度管理、静電気対策、衝撃厳禁……)

 

――火気厳禁。

 

そこまで読んだ瞬間、答えは出た。

 

(……コイツがミオたちを焼き払った)

 

酸化エチレン系燃料。

金属微粒子を混ぜ込んだ反応剤。

――二つが揃えば、空気そのものが凶器になる。

 

レナはボディカムのレンズを、箱の列全体へゆっくりと向けた。

 

「……見えるか、OVERLORD。

カイザー・インダストリー名義。ロット番号一致。温度管理輸送だ」

 

『確認した。映像は記録している。恐らく中身は……酸化エチレンと微小アルミニウム粉末だろう。

忌まわしい素だ。よくやった』

 

レナは無言で頷き、さらにレンズを箱の列全体へ向けた。

固定ベルト、温湿度ロガー、断熱処理、危険物表示。

証拠として必要なものを、一つも漏らさない。

 

『隊長、急いでください。作業員が戻り始めています』

 

リノの低い声が、インカム越しに告げた。

 

レナは最後に、ケース列をもう一度ゆっくりと舐めるように撮る。

印字、ロット、警告表示、固定状態。

証拠として必要なものを、一つも漏らさない。

 

ライトを消してライフルを背負い、静かに後退。

扉の隙間から外へ出る。

 

ロックバーを元の位置へ戻す。

――これで十分だ。

 

(物証は確保した……だが、不十分だ)

 

カイザーが“違法な物”を隠していた証拠にはなる。

だが、それだけではまだ逃げ道がある。

 

下請けが勝手に運び込んだ。

現場判断だった。

会社は知らなかった。

 

企業は、そういう言い訳をする。

 

(……カイザー・インダストリーと繋がる帳票か、通信ログが要る)

 

レナはトラックの影に身を沈め、次の標的――C棟事務所へ視線を向けた。

 

搬入口の脇。

プレハブを継ぎ足したような二階建ての管理棟。

外壁は白ではなく、煤けた灰色。

カイザーコーポのロゴがプリントされている。

 

窓は少ない。

明かりは点いているが、人気は感じられない。

 

(……PCの中にデータがあるはずだ)

 

『WOLF1、こちらWOLF2。事務所右側の角、警備員一名。壁に寄りかかってスマホを見ています。おサボり中ですね』

 

SRTが来ているというのに、随分と呑気なものだ。

 

(……まさか生徒が不法侵入しているとは、微塵にも思うまい)

 

レナはトラックの下から素早く身を滑り出させ、影に溶け込むように事務所の左壁面に張り付く。

 

(気絶させれば巡回の欠如で足がつく。……痕跡は残せない)

 

レナは壁面に張り付いたまま、事務所の角を覗き込む。

 

ロボットの警備員は完全に油断していた。

壁に背を預け、片手で端末を弄り、もう片方の手でライフルのスリングを掴んでいる。視線は画面に落ちたまま。

 

正面から入れば気付かれる。

 

(開いた窓は……)

 

レナの視線が、プレハブ正面の壁を滑る。

地上から約二メートルの位置。レナの真上に換気のために数センチだけ開けられた、スライド式の小窓を見つけた。

真横には雨樋から伝ったパイプが通っている。

よじ登れば、侵入できそうだ。

 

問題は、奥の角に立つ警備員の目――

 

(気を引く。……一瞬でいい)

 

レナは足元に転がっていた手頃な小石を拾い上げ、指先で重さを確かめる。

 

視線は警備員ではなく、彼から見て正面――

十数メートル先に積まれたドラム缶の山へと向けられた。

 

手首のスナップだけで、小石を弾き飛ばす。

暗闇に正確な放物線を描き――

小石はドラム缶の側面に命中した。

 

「ッ!……なんだ!?」

 

警備員がビクリと震え、端末から顔を上げた。

不審に思い、ライフルを片手に音の鳴った方向へゆっくりと歩き出す。

その背中が壁から外れた瞬間、レナは地面を蹴った。

 

雨樋のパイプに左手を掛け、身体を引き上げる。 ブーツの底が壁面を二度だけ蹴り、重心を上へ送る。 右手が開いた小窓の縁を掴んだ。

 

小窓を開けると身体を持ち上げ、窓枠に腹を引っ掛けて一度だけ呼吸を止める。

 

室内は薄暗い。 蛍光灯が一本だけ生きており、白く濁った光が机と床を照らしている。 鼻を刺すのは、古い紙と埃、そして安価な消毒液の匂いだった。

 

レナは音もなく室内へ滑り込み、着地の衝撃すら殺した。

 

プレハブの事務室は想像していたより狭い。 入ってすぐ左にロッカー。正面にデスクが二つ。壁際には監視モニターが並び、敷地内の要所を映している。 そのうち数枚は、正面ゲートでユキノたちと押し問答を続ける警備主任の背中を映していた。

 

「室内に侵入した。これより情報の奪取を試みる」

 

『――了解』

 

レナはすぐにデスクへ寄った。 片方の端末はスリープ状態。もう一台は監視ソフトを立ち上げたまま放置されている。

 

(……杜撰だな。いや、“ここまで来る者はいない”と高を括っているのか)

 

マウスを軽く動かす。

モニターが明滅し、画面が起きた。

 

ログイン状態のまま。

ファイル一覧、監視カメラ映像、簡易チャットソフト、搬出予定表。

雑多なウィンドウが無造作に重なり、整理もされていない。

 

レナはジャケットの内側から、黒いUSBメモリを抜き取った。

保護キャップを外し、端末の側面ポートへ差し込む。

 

ピピッと小さな電子音。

 

(頼むぞ……)

 

エクスプローラーを開く。

共有フォルダ、監視記録、搬入出ログ、保守点検記録。

その中に、ひどく“浮いた”名前のフォルダがあった。

 

――

 

《C-SECURE》

《TEMP_CHEM》

《OUTSIDE_TRANSFER》

 

――

 

(……隠す気があるのか、ないのか)

 

まず《TEMP_CHEM》を開く。

日付ごとのCSV。温度管理表。搬入ロット。保管時間。

先ほど見たケースの番号と一致する記録が並んでいた。

 

AC-7R-1142

BC-7R-1142

 

保管場所:C棟冷蔵区画

取扱区分:対管理/分離保管

搬出先:未記載

 

(当たりだ)

 

レナは即座にフォルダごとコピーを開始した。

プログレスバーがゆっくりと伸びていく。

その間に、《OUTSIDE_TRANSFER》を開く。

黒い画面に、簡素な帳票データ。

 

搬出申請番号。

車両番号。

担当部署。

承認欄。

 

その最上段、ほんの数分前に更新されたばかりのデータが目に飛び込んだ。

 

――

 

TRANSFER ORDER

SECTOR-C / EMERGENCY MOVE

 

ITEM: A-COMPOUND B-COMPOUND

CLASS: THERMOBARIC WEAPON COMPONENT

DEST: D.U. INDUSTRIAL BLOCK-06 KAISER INDUSTRIES / PLANT-2

STATUS: LOADING

 

――

 

レナの指が、一瞬だけ止まる。

 

(あったぞ……これで繋がった)

 

旧整備区画の保管庫。

ブラックマーケットへの横流し。

そして――D.U.の製造元。

 

これは終わりではない。始まりだ。

 

「OVERLORD、こちらWOLF1……聞こえるか」

 

『聞こえている』

 

今度も返ってきたのは、総司令の声だった。

 

レナは画面から目を離さず、低く告げる。

 

「C棟事務端末の記録からサーモバリックの文字を確認。A液・B液は緊急搬出扱い。 搬出先はD.U.工業区画06、カイザー・インダストリー第二工場だ」

 

無線の向こうで、短い沈黙。

 

『……記録できているか?』

 

「コピー中だ……」

 

レナは画面の隅に浮かぶプログレスバーを睨んだ。 白い帯が、じわじわと右へ伸びていく。

 

 

―10%。

 

 

―20%。

 

 

その時――

 

『WOLF1、こちらWOLF2。警告。正面ゲート側で動きあり。 陽動班……押し返されます』

 

リノの声は冷静だ。だが、その奥に硬さが混じっていた。

 

『同時に、正面応援に回っていた警備員三名が正面ゲートから離れました。事務所方向へ戻る可能性あり』

 

レナは視線を画面から外さない。

 

 

―30%。

 

 

―50%。

 

 

―70%。

 

 

プレハブの壁越しに、外の足音が近づいてくる。 乾いたブーツ音。砂を噛む音。金属スリングが装備に当たる軽い接触音。

 

『WOLF1、警備員三名。事務所側へ進路変更』

 

リノの声は小さい。だが、硬い。

 

 

―80%。

 

 

―90%。

 

『警備員三名。事務所、正面に到達』

 

―100%。

 

 

プログレスバーが端へ届いた。 小さな電子音。コピー完了。

レナは即座にUSBを引き抜いた。 保護キャップを噛ませるように押し込み、ジャケットの内側へ滑り込ませる。

 

そのまま指先だけで操作を続ける。 開いていたフォルダを閉じる。転送履歴のポップアップを消す。監視ソフトの画面を最前面に戻す。 最後に、マウスカーソルを元の位置へ寄せる。

 

「……コピー完了。外に出る」

 

レナは一歩で窓下へ退いた。 椅子も机も動かしていない。床に足跡も残していない。 蛍光灯に白く照らされた事務室は、入った時と寸分違わぬ顔をしていた。

 

『WOLF1、警備員三名が事務所に入りました……急いでください』

 

小窓へ跳ぶ。 窓枠に左手、上体を引き上げ、腹を滑らせるように外へ出る。 外の空気が頬を撫でた。

 

侵入前と同じ開き幅になるよう、ゆっくり窓を元に戻し、指先でスライド幅を合わせ、パイプに足を掛ける。

 

その直後――

 

窓の向こうから、警備員の声。

 

「……しつこい連中だ」

 

窓の向こうで、もう一人が鼻で笑った。

 

「全くだ。熱い”ラブコール”で興奮しちゃうね」

 

「あの狐耳。キツイ雰囲気だが、結構かわいい顔してるよな」

 

「なんだ、お前らロリコンか?」

 

「はぁ何言ってんだ?

俺はなぁ――!もっとデッケェ方が好きだ!まな板は遠慮しておく!」

 

「「「ハッハッハッ!」」」

 

戦友を馬鹿にされ、レナに僅かな殺意が滲み出る。

 

(……下衆め)

 

今すぐにでもスクラップにしてやりたい。

 

だが――今は、そんな場合じゃない。

レナは湧き上がる殺意を押し潰し、パイプへ体重を預けた。

 

息を吐ききり、装備が擦れる音すら殺しながら、重力に逆らうことなく足先から静かに着地する。

ブーツの裏がアスファルトの僅かな砂利を噛んだが、その音は遠くの重機の音に完全に溶け込んだ。

 

『WOLF1、監視塔のサーチライトは現在……陽動班の方へ集中しています』

 

リノの冷徹な声が、殺意で熱を持ったレナの頭を強制的に冷却する。

 

「……了解した。これより脱出に移行する」

 

レナは背中をプレハブの壁に預け、一瞬だけ目を閉じた。

左胸のポーチの奥、硬いUSBメモリの感触が確かにある。

 

サーモバリックの存在証明。そして、D.U.工業区画への移送記録。

カイザーの喉元に突きつけるための「刃」は手に入れた。

 

「WOLF1よりOVERLORD。

データは確保した。これより保守トンネル経由で進入地点まで戻る。

……FOX1には『時間だ』と伝えろ」

 

『了解。FOX1へ撤退を指示する』

 

レナは深く沈み込むように身を屈め、先ほどと同じルート――トラックの車体下へと滑り込む。

エンジンのアイドリング音が相変わらず腹を震わせる。

 

だが、先ほどとは状況が違っていた。

頭上の荷台から、重い荷物を押し込むような音が響いた。

 

「おい、急げ! モタモタするな!」

 

現場監督らしき怒声が響く。

 

(……搬出が早まった)

 

ユキノたちが正面で騒いでいるからか。

それとも、あの監視員からの報告で、既に上層部が「火消し」へと舵を切ったか。

 

どちらにせよ、これ以上留まるのはリスクとなる。

 

『WOLF1、トラックの周囲に作業員が四名増員。

……右後輪のすぐ横、足元に一人。ホールドです』

 

リノの警告通り、レナのすぐ目の前、わずか数十センチの距離に作業用ブーツがドスンと降り立った。

エンジンの振動で誤魔化されているが、少しでも動けば衣擦れの音を聞き取られる距離。

 

レナは呼吸を完全に止め、アスファルトの冷たさに身を任せた。

赤い瞳だけが、静かにそのブーツの動きを追う。

 

「よし、これで最後だ! ロックをかけろ!」

 

「了解!」

 

ガチャン、と重々しい音を立てて荷台の扉が閉められ、ロックバーが下ろされる。

先ほどレナが開けた時よりも、遥かに堅牢な封印。

 

「すぐに出るぞ! ゲートを開けろ!」

 

作業員のブーツが離れ、運転席のドアが乱暴に開閉される音が響いた。

エンジンの回転数が跳ね上がり、排気管から黒い煙が吐き出される。

 

『トラック、動きます! クリア!』

 

レナはその場に留まらず、即座に横へ転がった。

 

巨大なタイヤが、先ほどまでレナの頭があった場所を無慈悲に踏みしだいていく。

車体が通り過ぎ、視界が開けた直後。

レナは立ち上がることなく、這ったままコンテナの影へと進む。

 

目指すは、侵入時に使ったマンホールの蓋。

コンテナの死角に滑り込み、来た道をなぞる。

 

マンホール傍のコンテナに辿り着くと、周囲を素早く確認した。

 

警備員の視線は動き出したトラックと、依然として正面ゲートで粘るユキノたちに向いている。

 

(……今だ)

 

レナはマンホールの蓋に指を掛け、音を立てずに持ち上げる。

暗く饐えた匂いのする縦穴へ、滑り落ちるように身を投じた。

蓋を内側から慎重に閉め、完全にロックがかかった感触を確かめる。

 

「……WOLF1、保守トンネルに到達。これより陽動班と合流する」

 

『WOLF2了解。流石ですね。見事な手際でした。……こちらも撤収準備に入ります』

 

『はぁ〜……心臓バクバクだよ』

 

オトギの安堵したようなため息が混ざる。

 

薄暗い保守トンネルの中を、レナは足早に進む。

侵入時と同じように、壁面の油汚れと錆びたパイプが続く。

だが、足取りは確かな重みを持っていた。

 

(これで外堀は埋まる。あとは……)

 

出口の格子が見えてきた。

押し開けて外の空気を取り込む。

 

夕闇は完全に夜の帳へと変わりつつあった。

ブラックマーケット特有の、ネオンと雑踏のノイズが遠くから聞こえてくる。

 

外へ飛び出し、格子を元通りに嵌め込む。

これで、カイザー側は「誰かが侵入した」痕跡を見つけられない。

 

自分たちはやり過ごしたと呑気に寛ぐだろう。

後日、SRTとヴァルキューレが令状を持って押しかけるとも知らずに。

 

「OVERLORD、こちらWOLF1。敷地外へ離脱完了。陽動班の状況は?オーバー」

 

『こちらOVERLORD。

陽動班は通達通り、正面ゲートから撤収を開始した。FOX1が最後に「後日改めて正式な手続きを踏む」と言い残してな。

……見事な演技だった。彼女には役者の才能がある。オーバー』

 

「……了解。合流ポイントを指定しろ。オーバー」

 

『――現在地より南西へ三ブロック。廃ビルの地下駐車場だ。

WOLF2、FOX4もそこへ向かわせる。オーバー』

 

「了解。廃ビルの地下駐車場に向かう。アウト」

 

通信を切り、レナは路地の闇に溶け込むように歩き出す。

汚れ仕事は終わった。

 

胸元のポーチからUSBメモリを取り出すと、手のひらで転がし――

 

握り締めた。

 

「D.U.工業区画。カイザー・インダストリー第二工場……」

 

 

レナは赤い瞳を細め、呟いた。

 

 

「……逃がすものか」

 






32話のプロットは出来上がっていますが、原稿は真っ白です!来週は投稿出来ないかもしれません。

申し訳ありませんが、気長にお待ちいただけると幸いです。
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