白狼救済録   作:らんらん出荷マン

43 / 50


お待たせしました。


第32話 贈物

 

 

C棟を離脱した陽動班と観測班は、司令部が指定したラリーポイントへと急いでいた。

 

 

 

――

 

――ブラックマーケット廃ビル・地下駐車場。

 

寿命の尽きかけた蛍光灯が、不快なハミング音を立てながら青白く明滅している。

床には黒ずんだオイルの染みと、干からびた泥の足跡がまだらに残り、長いあいだ放置されてきた空間であることを無言のまま物語っていた。

 

人の気配はない。

――だが、それが却って不気味だった。

 

「スロープ……クリア。人影なし……たぶんね」

 

コンクリート柱の陰から、ボストンバッグを背負ったオトギがそっと顔を覗かせる。

 

「……本当にここですか? 座標、合ってますよね?」

 

その横から顔を出したリノは、地下へ続く暗いスロープに目を細めた。

 

「それ……私が方向音痴だって言いたいの?」

 

オトギにじろりと睨まれ、リノはすぐに視線を逸らす。

 

「……いえ、別に。行きましょう」

 

それ以上のやり取りを断つように、リノはDMRを構えたままスロープを進んでいく。

 

「……ちょっとー? リノさん?

待ってって! 合ってる、絶対合ってるから!」

 

オトギは慌ててその後ろへ滑り込み、サブウェポンのPDWを構え直した。

 

 

 

――

 

暗いスロープを下り切った先。

駐車場の中心で、二人は足を止めた。

 

古びたコンクリート柱が等間隔に並び、その合間には放置車両の影が黒く沈んでいる。

色褪せた車体は分厚い埃をかぶり、窓ガラスは砕け、タイヤのゴムはすでに腐っていた。

 

空調の止まった地下には湿気が澱み、肺の奥にまで染み込むようなカビ臭さがまとわりつく。

 

音らしい音はない。

 

遠くで水滴が落ちる、規則的とも不規則ともつかない微かな滴音だけが響き、空間の奥行きを知らしめていた。

 

「うわ……埃っぽい。なんか、ポスなんとかって感じ……無線もノイズだけで繋がらないし」

 

オトギは顔をしかめ、口元を押さえる。

 

「オトギさん。ポスト・アポカリプス、です……。

仕方ありません。身を潜めましょう。接触時は口頭認証。手順通りに」

 

リノはそう呟くと、すぐ傍の車影に身を寄せた。

息を整える間もなくDMRを構え、スコープを低倍率に切り替えて駐車場一帯を走査する。

 

無残な放置車両。

ひび割れた柱。

染みで汚れた天井の梁。

さらに地下へ続く出入口。

壁際の非常階段。

 

一つ一つ、順に、しかし速やかに潰していく。

 

「じゃ、私は後ろ見とくねぇ」

 

オトギは軽い口調のまま、背後の柱へ滑り込んだ。

だが、その手元は遊んでいない。PDWのストックを肩へ当て、銃口を暗がりへ静かに据えている。

 

「……駐車場ってさぁ、隠れるには最高だけど、同時に待ち伏せにも最高なんだよね」

 

「…………縁起でもないこと言わないでください」

 

「だって……本当でしょ?」

 

――その時だった。

 

地下駐車場の奥、スロープの上から微かな物音が降りてくる。

 

砂を転がし、コンクリートを撫でるような、意図的に殺された音。

――訓練された足音だった。

 

オトギの表情が消える。

PDWの銃口が、暗い傾斜の上端へ吸い寄せられる。

 

リノも同時にスコープから目を離し、DMRを音のする方向へ向けた。

 

「コンタクト……」

 

「……複数人」

 

「二……いや、三」

 

それ以上、言葉は要らなかった。

二人は影に身を沈め、互いの射線がぶつからぬよう位置を微調整する。

 

蛍光灯が一度、チカ、と明滅した。

 

その薄青い光の下、最初の影が現れ、声を上げる。

 

「スター!」

 

それは――予め決めていた合言葉だった。

オトギが即座に応じる。

 

「アイスピック!」

 

返答を受け、人影は片手を上げた。

 

「あれは――ユキノさん」

 

リノが短く呼ぶ。

 

スロープを下りてきたユキノは、二人の構えを見ても一切動じず、獣耳を一度だけぴくりと揺らした。

 

「早かったな」

 

その声の直後、彼女の後ろからニコが顔を覗かせる。

 

「お待たせ……警戒してくれてたんだね」

 

最後尾から、LMGを肩に担いだスイが声を落とした。

 

「わぁー、撃たないでぇー」

 

「撃ちません」

 

リノは即答しつつも、すぐには銃口を下ろさなかった。

ユキノの背後――スロープの暗がりを、さらに一度だけ確認する。

 

「……隊長は?」

 

その問いに、ユキノの表情がわずかに硬くなる。

 

「……いや、まだ見ていない……」

 

リノは眉をひそめたまま、駐車場の奥へもう一度だけスコープを走らせた。

 

壊れた車列の影。

剥き出しのコンクリート柱。

非常階段の踊り場。

さらに奥、地下二層へ続く薄闇――

 

どこにも、白い髪は見えない。

 

「……通信は?」

 

ユキノが短く問う。

 

リノは首を横に振った。

 

「先ほどからノイズだけです。地下に入ってから、まともに繋がりません」

 

ニコが耳元のインカムを軽く押さえる。

 

「こっちも同じだよ。

HQにも、レナちゃんにも繋がらない。たぶん、この地下そのものが死角になってる」

 

スイはLMGを肩から下ろし、最寄りの柱へ背を預けた。

 

「まったく……どこで油を売っているんだか――」

 

スイが言い終わった、その瞬間だった。

 

すぐ傍の暗闇から、声がした。

 

「……私が、何だ……?」

 

「「「「!?」」」」

 

全員が即座にその方向へ銃口を向け、引き金に指をかける。

トリガーに指が沈みかけた、その時――再び声が届いた。

 

「バカ者どもが、気を緩めるな……ここはカイザーの勢力圏内だ」

 

暗闇の中から、音もなく白い影がぬるりと浮かび上がった。

 

「れ、レナ……!」

 

まるで幽霊のように神出鬼没な友人を前に、ユキノは珍しく目を見開く。

 

「た、隊長ッ! 驚かせないで! 心臓止まるよ!」

 

いつも気怠げなスイが目尻を釣り上げ、柄にもなく語気を強めた。

 

「――黙れ。私が敵なら、今頃お前たちは床の染みだ。

“油断するな”――そう言ったはずだ」

 

「……一体いつから、そこに居たの?」

 

ニコが恐る恐る、皆の疑問を口にする。

 

レナは一歩前へ出て、ただ一言だけ返した。

 

「最初からだ」

 

誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 

閉鎖空間の地下駐車場。

五人が警戒していた、その只中に。

ずっと居たということ。

 

「――さ、最初からぁ!?」

「わ、私たちの会話をずっと聞いていたってことですか!?」

 

一拍遅れて、オトギとリノが同時に驚きの声を上げる。

 

「……そうだ」

 

「えぇ……やっぱり隊長おかしいよ……って、その足――」

 

異常性を指摘したスイが一歩前に出たことで、レナの格好が露わになる。

 

スカートとソックスの間に覗く白い太腿。

その下――

 

黒いソックスには油と乾きかけた黒泥がこびりつき、ブーツの縁にはまだ濁った水が残っていた。

鼻を刺すような悪臭が、そこからじわりと立ち上っている。

 

「くっさ! 小隊長、くっさ! ドブネズミみたい!

――保守トンネルから侵入したって聞いたけど、どんだけ汚い所だったの……!?」

 

あまりの臭いに、オトギは鼻を摘まみ、片手でしきりに空気を払う。

 

「それで……証拠は?」

 

ユキノがすぐに本題へ戻した。

 

「安心しろ。ここに全てある」

 

レナは左胸のポーチから、黒いUSBメモリを取り出した。

 

薄暗い蛍光灯の明滅の下、掌に載せられたそれはあまりにも小さい。

だが、その中身は決して軽くはない。

 

ユキノが一歩近づく。

 

「どんなデータが入っている……?」

 

「分かっているのは、カイザー・インダストリー名義の化学剤搬出記録だ」

 

その言い回しに、ニコが引っかかりを覚える。

 

「分かっているのは……? どういうこと?」

 

「細かく確かめている暇はなかったからな……根こそぎ持ってきた」

 

スイが首を傾げた。

 

「それじゃあ、帰って解析?」

 

「ああ……そうだ。

だが――すぐには帰らん。このままハンヴィーに飛び乗って検問所へ向かえば、流石に怪しまれる」

 

レナはUSBをポーチへ戻しながら、淡々と告げる。

 

「奴らが知っているのは、無登録兵器の流通ルートを捜っているという表向きの任務だけだ。……その偽装を最後まで崩さない」

 

オトギが柱に背を預けたまま、半目で呟く。

 

「なるほどね。もう“本来の仕事”は終わったけど、分かりやすい顔はするな……ってことね」

 

ユキノは腕を組み、短く息を吐いた。

 

「……追い出されたのに今すぐ帰れば、“何か掴みました”と言って回るようなものか」

 

「そういうことだ」

 

レナは周囲の暗がりへ視線を滑らせる。

少なくとも、今この駐車場には誰もいない。

 

「ヒフミたちと合流して“買い物”を続ける。

次の体裁は、仕事終わりのショッピングだ。各員、最後まで芝居を崩すな。好きな物を買っていいぞ」

 

オトギがレナの脚を見て、鼻を摘まんだまま言う。

 

「その……格好で?」

 

レナは自分の足元を一瞥した。

黒泥、油膜、排水溝の饐えた臭い。

確かに、このままでは“令嬢の護衛”には見えない。

 

「そうだな。一度、ハンヴィーに戻って着替える……。

――行くぞ。休息は終わりだ」

 

「「「「了解!」」」」

 

レナが先頭に立ち、ハンドサインで追随を命じる。

全員が目線と手ぶりで応じ、その後ろで隊列を組み、スロープを上っていった――

 

 

 

――

 

スロープを上り切った瞬間、耳元のインカムに走っていたノイズがふっと薄れた。

レナは無線機のスイッチを入れ、インカムに手を添える。

 

「OVERLORD、こちらHUNTER1-1。再集合完了、人員欠損なし。オーバー」

 

呼びかけに応じたのは、総司令ではなくオペレーターだった。

 

『了解した。HUNTER1-1――』

 

彼女の声には、先ほどまでの緊迫がまだわずかに残っていた。

 

『VIPを含む残りの人員は、現在コインパーキングで待機中。無線での連絡は最小限にしろ。オーバー』

 

レナは短く息を吐く。

 

「了解、Oscar Mike(移動を開始)。これよりHUNTER1-1はハンヴィーへ戻る。

隊容を再編した後、偽装任務を継続する。アウト」

 

無線を切ると、レナは部隊に移動のハンドサインを出し、コインパーキングへ踵を返した。

 

 

 

――

 

――ブラックマーケット外縁・パーキングエリア。

 

日が徐々に落ち、代わって毒々しい紫と赤のネオンが、猥雑な街の輪郭を夜の闇から浮かび上がらせつつあった。

喧騒と排気ガスの匂いが入り混じる道路の片隅。

パーキングエリアに停められた無骨な白いハンヴィーの周囲だけが、目に見えない結界で隔てられているようだった。

 

「…………」

 

車体の助手席側に陣取るクルミは、タクティカルシールドを地に立てたまま、SMGをローレディで固定し、彫像のように微動だにしない。

 

アンチフラッシュゴーグルの奥の冷徹な瞳は、通りを行き交う柄の悪い連中の一挙手一投足を、機械のような正確さで追い続けている。

 

その威圧感に、ブラックマーケットの住人たちは露骨に目を逸らし、足早に通り過ぎていった。

 

「……」

 

一方、隣に立つメイもまた、ショットガンのストックを脇に挟み、ピリついた空気を纏っていた。

だが、その警戒の質はクルミのそれとは違う。

 

グリップを握り込む指先は白く鬱血し、視線は路地の奥――あるいは、もっと遠くの“見えない何か”を恐れるように、しきりに彷徨っている。

 

(……姿は見えない……ですが……)

 

メイは奥歯を静かに噛み締めた。

トリニティの追手が、すぐそこまで迫っているのではないかという焦燥が、内心を掻き乱す。

 

タワーシールドの持ち手を掴む左手が、小刻みに震えた。

その嫌な空気を断つように、メイは自身のシールドを手前に引き寄せる。

 

すると、二人の緊張を断ち切るように、助手席のドアがゆっくり開いた。

 

「あ、あの……お二人とも――」

 

その重苦しい沈黙を破ったのは、場違いなほど平和な声だった。

 

「ずっと立ちっぱなしで、疲れませんか……?

そろそろ、休んだ方が……」

 

クルミは周囲に視線を飛ばしつつ、冷徹だがどこか柔らかさを残した声で応じる。

 

「ヒフミ……これはアンタのためよ。

ドアを閉めて、大人しくしていなさい」

 

「あ……ご、ごめんなさい。

ですが、お水くらい飲んでも良いのでは……」

 

ヒフミの遠慮がちな申し出に、クルミはほんのわずかだけ目を細めた。

 

「……アンタねぇ。こういう時に変な気を遣うの止めなさい。今は“待つ”のが仕事なの」

 

クルミはきっぱりと言い放つと、視線をBMの夜景へ戻し、背中をヒフミに向けた。

 

「は、はい……」

 

しゅんと肩をすくめ、ヒフミは助手席に引っ込む。

続いてドアのヒンジが軋みを上げ、ゆっくりと閉じられた。

 

「……まったく。優しいのも、考えものね……」

 

そう一言漏らすと、クルミはSMGを軽く握り直す。

再び空気が張り詰め、ハンヴィーの周囲に厳格な静寂が戻った。

 

次の瞬間――

その空間を割って入るように、メイの無線機が鳴った。

 

『WOLF4、こちらWOLF1。……糸に辿り着いた。繰り返す、糸に辿り着いた。

これより、そちらへ戻る。VIPに異常はないか? オーバー』

 

突然の朗報に、メイは慌ててショットガンから片手を離し、インカムに手を伸ばした。

 

「こ、こちらWOLF4!

――VIPは無事、異常はないよ❦!

……じゃあ、もう帰れるんだね? オーバー」

 

『ああ……奴らの倉庫にお邪魔して、片っ端から情報を抜き取ってきた。

だが、すぐには帰らん。一旦買い物を装う。

その後、ヒフミを送り届けにトリニティへ戻る。オーバー』

 

「了解、ハンヴィーで待ってるよ。早く戻ってきてね。オーバー」

 

『WOLF1、了解。ASAP(できるだけ早く)。アウト』

 

隣で獣耳だけをメイに向け、聞き耳を立てていたクルミが尋ねる。

 

「WOLF1から報告……? 任務は成功なの?」

 

メイはインカムから手を離し、視線だけを向けて口を開く。

 

「うん。倉庫にお邪魔して情報を抜き取ったって❦」

 

メイの言い方に引っかかりを覚えたのか、クルミの視線が細まる。

いわゆる、ジト目だった。

 

「……何それ。含みのある言い回し……。

また変なことやらかしてないでしょうね……」

 

 

 

――

 

――数十分後。

 

パーキングの出入口側――向こうから複数の足音が近づいてくる。

 

メイとクルミの空気が、一瞬で切り替わった。

クルミはタクティカルシールドを構え、半歩前へ押し出す。SMGの銃口が音の方向へ向けられる。

 

メイも反射的にショットガンを構え、ヒフミを背に庇う位置へ滑り込んだ。

 

クルミが音を精査し、短く呟く。

 

「……コンタクト。進路に変更なし、近付いてくるわ」

 

「時間的に、隊長たちかも……」

 

メイは手首のデジタル時計を一瞥した。

 

「そうかもね。でも、そうとも限らない。

――こっちは人数で負けている。油断しないで」

 

クルミが油断なく告げ、SMGのセーフティを外した。

 

「あ、あわわ……」

 

ヒフミは思わず息を呑み、助手席のドアの防弾ガラスからそっと外を覗き込んだ。

 

視線の先――出入口の外、建物の角から影が現れる。

暗闇に浮かぶ蛍光灯の明滅が、その輪郭を青白く切り取り、武装した複数の影を照らした。

 

「あれは……」

 

クルミが目を凝らして言う。

 

先頭に立つ白い髪――見慣れた赤い瞳。

 

「――隊長!」

 

メイが思わず声を上げた。

 

影の群れはそのまま明かりの下へ踏み込み、全員の姿が次々と露わになる。

レナを先頭に、ユキノ、ニコ、スイ、そして観測班のリノとオトギ。

 

「……待たせたな」

 

レナの低い声に、クルミがシールド越しに細めていた目をわずかに緩め、ゆっくりと銃口を逸らした。

 

「遅かったわね……。こっちはずっと、アンタたちが戻ってこないかって肝が冷えっぱなしだったのよ」

 

「悪かったな。少し、溝さらいをしていた……」

 

レナはそう言って歩み寄る。

 

「はぁ?……溝さらい?……って、くさっ! 一体どうしたのよ!」

 

その瞬間、ヒフミが助手席のドアを勢いよく開けた。

 

「あっ……! レナさん! 皆さんも! ご無事でよかったです……!」

 

ほっとしたように胸へ手を当てるヒフミ。

その視線が、次の瞬間レナの足元へ落ちた。

 

「レナさん、その格好……!?」

 

黒い厚手のソックスとブーツにこびりついた油と泥。

乾きかけた汚水の跡。

そして微かに漂う排水溝の悪臭。

 

「……うっ」

 

ヒフミが思わず一歩のけぞる。

心配と安堵で駆け寄りかけた足が、その場でぴたりと止まった。

 

「れ、レナさん……その、すみません……ご無事で良かったんですけど……ちょっと、その……すごく匂いが……」

 

「そうだな。だから、着替えに来た」

 

レナは真顔のまま、足元を一瞥した。

 

「うん、そうだね。これは流石に女子高生の香りじゃないかな」

 

スイが鼻先を手で扇ぎながら、半目で言う。

 

「女子高生の香りって何よ……っていうか、アンタたち本当に何やってきたの……?」

 

クルミが呆れ半分、安堵半分の声で毒づく。

その横でメイはレナの脚へ視線を落とし、わずかに眉を寄せた。

 

「隊長……それ、排水の汚れだよね?」

 

「詳しいな……メイ」

 

「一回、訓練で泳がされたことがあるんだよ〜❦♪」

 

「あの、白い服でか……?」

 

「うん❦」

 

メイは軽い調子で返したが、その目は笑っていない。

レナは短く鼻を鳴らし、ハンヴィーへ視線を向けた。

 

「……無駄話は後だ。

一度着替える。ヒフミ、少し待て」

 

「は、はい!」

 

レナはハンヴィーの後部ドアを開けると、突然――

その場で服を脱ぎ始めた。

 

「「「「!?」」」」

 

ハーネスを外し、ジャケットごとドアへ引っ掛ける。

ネクタイを力任せに引き抜き、ブーツ、ソックス、スカートを乱雑に脱ぎ捨てる。

最後にYシャツのボタンを左右へ引き剥がすように外し――

 

「ちょっと! ちょっと! 何でここで脱いでんの!? 中で着替えなよ!?」

 

レナの突然の行動に全員が固まる中、オトギが真っ先に叫ぶ。

 

「服全体が臭うからな……中で脱げば車内に移る。仕方あるまい」

 

レナはそう言いながら手を止めない。

ついにYシャツまで脱ぎ捨ててしまった。

 

白くしなやかな身体が、下着姿のまま夜気に晒される。

 

「……身体も臭うな……ヒフミ、ウエットタオルがダッシュボードにある。取ってくれ」

 

「……え……? は、はい! ただいま!」

 

ヒフミも遅れて再起動し、助手席へ飛び込んだ。

 

その瞬間、背後から何かを感じた。

 

違和感のした方へ、レナ以外の全員が振り返る。

すると、パーキング外の歩道にチンピラの人だかりが見えた。

 

「ヘイヘーイ……見ろよ、あの女。悪かねぇぜ」

「おいおい、ストリップかな?」

「ぬへへ……」

 

その視線からレナを覆い隠すように、全員が壁となって立ち塞がる。

ユキノが振り返り、慌てた様子で言い放つ。

 

「早く着替えろ……!」

 

「あ……? ああ……」

 

クルミが鋭い眼光で集団を射抜き、怒鳴りつけた。

 

「見世物じゃないわよッ――!! さっさと失せなさい!! さもないと、矯正局に放り込む!!」

 

それに合わせるように、全員が武器をちらつかせる。

 

「ヒエッ……! なんだよ! 減るもんじゃねぇだろ!」

「おいおい! 撃つ気か!? やべぇ連中だ!」

「は、早く行くぞ!」

 

殺気にも似た威圧に、チンピラたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 

「……こんな身体が好きなのか? 変な趣味だ」

 

一瞬、全員が黙った。

 

「「「違う、そうじゃない!!」」」

 

即座に返った総ツッコミだけが、夜のパーキングに響く。

だが、レナは目を丸くして首を傾げるだけだった。

 

「違う……?」

 

「はぁ~……隊長……自分が他人からどう見えるか、少しは考えた方がいいです……」

 

リノが深々とため息をついた。

 

「レナさん!……と、とにかく! どうぞ!」

 

ヒフミがハンヴィーから飛び出してくる。

両手には厚手のウェットタオルと、替えの制服一式、それに簡易消臭スプレーまで抱えていた。

 

「消臭スプレーか、気が利くな」

 

レナはそれらを受け取ると、まるで装備点検でもするような手つきで、自分の身体をウエットタオルで顔、首筋、腕、腹、脚と無造作に拭き取っていく。

最後にブシュー、と乾いた噴射音が周りに響いた。

 

「うわ、雑っ……! まったく女の子らしくない!」

 

「黙れ、オトギ。消えれば同じだ」

 

「いや、同じじゃないから! 色々と台無しだよ!」

 

ヒフミは替えの制服を胸に抱いたまま、おろおろと視線を彷徨わせる。

 

「え、えっと……その……レナさん、もう少し隠した方が……」

 

「何をだ?」

 

「な、何って……!」

 

レナが真顔で聞き返した瞬間、再び全員が沈黙した。

 

「は、恥ずかしくないの?」

 

ニコがあり得ないものを見るような目つきで問う。

レナは眉一つ動かさない。

ハンヴィーに足をかけると、手にしたウエットタオルで太腿を拭きながら、淡々と答えた。

 

「恥ずかしい? 汚染物をそのまま着けておく方が、余程不利益だろう」

 

「違う……そうじゃなくて……」

 

ニコは頭を抱えた。

 

 

 

――

 

――数分後。

 

レナは再び黒基調の制服に身を包み、髪は手櫛で軽く整えただけの簡素なケアで済ませていた。

足元こそ綺麗になったが、髪の先や獣耳のあたりにはまだわずかに残り香が残っている。

それでも、先ほどの“ドブから這い上がった何か”に比べれば、だいぶ人間らしかった。

 

「……どうだ」

 

「どうだ、じゃないわよ……」

 

クルミが呆れたように肩を落とす。

 

「ひとまず、さっきよりはマシ。百万倍くらいはマシ」

 

「まだちょっと臭うけどね……」

 

スイが正直に言うと、レナは鼻を鳴らした。

 

「十分だろう。これ以上は時間の無駄だ」

 

レナはハンヴィーのサイドミラーでネクタイを整えると振り返り、全員を一瞥する。

 

「さあ、休憩は終わりだ。トイレは済ませたか?」

 

「アンタ、最低ね」

「最低だね」

「最低だな」

「最低だって」

「最低ですね」

「最低だよ」

「最低❦」

 

「あ、あはは……」

 

乾いた笑いだけが、場に取り残された。

 

ヒフミは替えの制服が入っていた袋を胸元でぎゅっと握りしめたまま、困ったように視線を彷徨わせる。

クルミは額に手を当て、メイは肩を震わせながら笑いを堪え、ユキノは深々とため息を吐いた。

 

レナはその反応の意味が分からないまま、首をわずかに傾げる。

 

「……何だ。確認だろう。移動中に垂れ流されては困る」

 

「うわっ、最悪!」

 

スイは自身のヘルメットを両手で抱え、天を仰いだ。

 

「隊長はまず、“女の子としてどうか”っていう概念を知るところから始めた方がいいですね……」

 

リノが半眼でぼそりと呟く。

 

「概念……か。心がけているつもりだが……難しいな」

 

「「「「心がけている!? あれで!!?」」」」

 

全員が声を上げた――その時。

 

ヒフミが、おずおずと片手を上げる。

 

「あ、あの……レナさん」

 

「何だ」

 

「まだ、買い物を続けるんですか?」

 

「ああ。すぐに帰っては怪しまれる。程々に女子高生を演じてから帰る」

 

レナは淡々と返す。

 

「で、では。雑貨街に行きましょう。色々珍しい品物が見れますよ?」

 

 

 

――

 

――ブラックマーケット・雑貨街。

 

メインストリートから一本外れたその通りは、武器や薬品を扱う露店とは空気が違っていた。

 

頭上を渡る配線には安っぽい電球がぶら下がり、赤、青、緑と落ち着きのない色で通りを染め上げている。

左右には、雑多な商品を詰め込んだ小さな店が軒を連ねていた。

 

古本。腕時計。壊れかけのオーディオプレイヤー。未開封のレトロゲーム。誰のものとも知れない校章バッジ。使いかけの香水瓶。使い古されたアクセサリー。萎びた革製トランクケース。

 

統一感はない。

だが、その無秩序さこそが、ブラックマーケットの雑貨街らしかった。

 

「なんだか面白いですねぇ……。宝探しみたいで」

 

リノはショーケースに顔を寄せ、中の雑貨類を眺めている。

 

レナもその横に歩み寄り、中を覗き込んだ。

 

(……この貴金属類は、すべて偽物だな。こんな所で、まともな商売をしているはずもない)

 

『おい……おっさん。この金のブレスレット、触っただけで歪んだぞ』

 

『何してんだガキィ!! 玩具じゃねぇぞ!!』

 

 

「昔を思い出す……」

 

レナはショーケースの向こうに浮かぶ過去の記憶へ、ぼそりと呟いた。

 

「隊長……? 何か言いましたか?」

 

「いや、何でもない。

……貴金属は止めておけ。後悔するぞ。

――今から三十分、自由行動だ! 必要な物があるなら今のうちに買え!」

 

レナは全員にそう言い残し、隊列から離れていった。

 

「は、はい……」

 

リノもショーケースから離れ、他のメンバーとともに次の雑貨店へ歩みを進める。

 

 

 

――

 

――解散から数分後。

 

レナの少し先を歩いていたヒフミが、唐突に足を止めた。

 

「……あっ………」

 

その小さな声は、通りの雑踏に紛れて消えそうなほど弱かった。

だが、レナの獣耳は確かにそれを拾った。

 

「お嬢様。どうなさいました?」

 

レナが振り返ると、ヒフミは質屋らしき店のショーウィンドウに顔を寄せたまま、返事も忘れて立ち尽くしていた。

 

そこは、通りに面した小さな店だった。

色褪せた金文字の看板。くすんだガラス。

ショーケースの中には、時計、古いカメラ、宝飾品、正体不明の骨董品が雑然と並んでいる。

 

その中で――

 

ヒフミの鞄と同じ顔をした一体の“ぬいぐるみ”が、古びた腕時計と銀食器の間にちょこんと座っていた。

 

白くて丸い体。

間の抜けた瞳。

舌がはみ出た嘴。

そして、胸元には限定仕様を示す金色の刺繍タグ。

 

レナは静かに歩み寄り、ショーケースの中のぬいぐるみに視線を向けた。

ヒフミはガラスに両手を添えたまま、微動だにしない。

 

「…………それは、お前の好きなペンペロだったか……?」

 

「……ペロロ様です」

 

「あ、ああ……そうだったな……」

 

その、妙に気の抜けた顔。

柔らかそうな布の丸み。

場違いなほど平和な表情。

 

胸の奥で、何かが鈍く軋んだ。

 

『好きな物はあるか?』

 

『もの?ですか? そうですね……ぬいぐるみが好きです……』

 

脳裏に浮かんだ声は、あまりにも自然で、あまりにも鮮明だった。

 

「…………ヒフミ…………」

 

「は、はい?」

 

「お前は……あれが……欲しいのか?」

 

「え………あ、はい。

あのペロロ様は……モモフレンズが地上波で初めて放送された時……。

一部のテレビ局に贈呈された限定品です………」

 

そう言われ、レナはタグの刻印に目を凝らした。

金の文字で「KNN.TV」と記されていた。

 

「ですが……値段が高すぎて……私では、とても払えません」

 

ヒフミはショーケースから視線を落とし、力なく笑った。

 

レナはその下の値札を見た。

 

「は……870万…………」

 

ぬいぐるみの値段ではない。

常識が、そう告げる。

 

だが同時に、それだけの価値をこの少女が見出していることも分かった。

欲しいのに、手を伸ばせない。

届く距離にあるのに、届かないものとして諦めている。

 

その姿が、妙に胸に刺さった。

 

(……いや、違う。別人だ。忘れろ…………)

 

そう打ち消したはずなのに、胸の奥では別の声が囁く。

 

『そんな! 悪いです!』

 

「……やる」

 

「……は、はい……?」

 

「……買ってやる………」

 

「は、はいぃ!?」

 

その一言に、ヒフミは思わず大声を上げ、周囲の視線を集めた。

 

「そんな! 悪いです! 流石にそこまでしてもらう必要はありません!!」

 

その拒絶の言葉が、引き金になった。

 

心臓が激しく脈打つ。

指先から熱が引き、代わりに嫌な汗が額を伝った。

 

視界の奥で、今のヒフミと、過去の少女の輪郭が一瞬だけ重なる。

 

『隊長が何か奢るってのは珍しいんだぜ? 有り難く受け取っておけや』

 

『……黙れ。ゴードン』

 

「いいから。買わせてくれ………!」

 

「で、ですが……」

 

「……頼むッ………!」

 

自分でも分かるほど、声が切迫していた。

 

『ドローン!!!』

 

『隊長!!囲まれています!!』

 

レナは明らかに冷静さを欠いたまま、ヒフミの両肩へ手を伸ばす。

 

「うっ……なんで、どうしてそこまで……。

レナさん……870万ですよ……?」

 

「金など、また稼げばいいッ…………!」

 

「……わ、私は、大丈夫ですから……」

 

その言葉で、何かが決定的に軋んだ。

 

『――まって! どうして! おいていかないでッ!!』

 

『いやだッ!! しにたくないッ!!』

 

『――ユーイチさんッ!!!』

 

呼吸が乱れる。

雑貨街の喧騒が遠のき、代わりに耳の奥で悲鳴と爆発音が反響した。

 

「大丈夫……? 違う……駄目だ……それでは、駄目だ」

 

「レナさん? ……どうしたんですか?」

 

「……………」

 

もう、言葉では止まれなかった。

 

レナは何も答えず、無言のまま店のドアを開けた。

 

 

 

――

 

質屋の奥から、カランカランと間の抜けたドアベルの音が響いた。

 

埃っぽい店内に、レナのブーツの音だけが不釣り合いに大きく響く。

カウンターの奥で、レンズの分厚い眼鏡をかけた犬の老人が顔を上げた。

 

「……いらっしゃい。……ん? SRTか? うちに物騒なもんは置いてないぞ」

 

レナは老人の言葉を無視し、震える指先でショーケースを指差した。

 

「……表の、ぺペロロを寄越せ」

 

「ぺペロロ? あぁ……ペロロか、あのアニバーサリー品だな? 目が利くな、お嬢ちゃん。これは世界に三つしかない代物のうちの一つだ……。

だが、値段は見たか? 870万だ。SRTの薄給で払えるもんじゃねぇ」

 

「いや……払う」

 

レナは懐から、アビドス高校への送金用に用意していた連邦生徒会発行の無記名プリペイドカードを叩きつけた。

 

「……これで、足りるはずだ」

 

私的に使ってはならない、アビドスへ送る金。

それをここで使うのは、彼女たちに対する明確な裏切り行為だった。

 

だが、それでも今、使う。

使わなければならない。

 

――過ちは、繰り返さない。

 

老人はカードを手に取り、端末に通す。

ピピッ、と電子音が鳴り、老人の目の奥の光がわずかに揺れた。

 

「連邦生徒会…………へぇ。

……確かに。満額、頂戴した。……毎度あり」

 

老人は鍵束を取り出すと、レナの横を通り抜け、表のショーケースへと向かった。

 

レナは、ただぼんやりと、その光景を見つめ続ける。

 

鍵束から大きな鍵を選び、ショーケースの錠を外す。

カチャリ、と乾いた音がして、ガラス戸が横へ滑った。

 

慎重な手つきで、老人は金色のタグが付いた限定ペロロを抱え上げる。

 

長年ガラス越しに飾られていたせいか、白い生地には薄く埃が積もっている。

だが、その間の抜けた顔つきだけは、今も変わらず場違いなほど平和だった。

 

「ほらよ。……丁寧に扱え。こいつは、こう見えて下手な宝石より希少だ」

 

老人がカウンターに置いた瞬間、店の外で呆然としていたヒフミが、思わず息を呑んだ。

 

「…………」

 

彼女の手が、わずかに伸びかける。

だが、途中で止まった。

 

その指先の迷いを見て、レナはぬいぐるみを“壊れ物”のように抱き上げた。

そして振り返り、店の外へ出ると、入口に立つヒフミの胸へ半ば押しつけるように差し出した。

 

「持て」

 

「えっ……あ……」

 

ヒフミは反射的に受け止めた。

 

腕の中に収まった限定ペロロは、思っていたよりずっしりと重い。

ショーケース越しでは届かなかったものが、今は確かに自分の腕の中にある。

 

「もう金は払った。これで、やっと……”お前の物”だ」

 

「で、でも……! こんな高価な物、受け取れません! 本当に、本当に駄目です! 私、そんなつもりで見てたんじゃ……!」

 

ヒフミの声には、嬉しさと困惑と申し訳なさが、ない交ぜになっていた。

レナはしばらく何も言わなかった。

ただ、ヒフミが抱えたぬいぐるみを見つめる。

 

丸い目。

舌が垂れた嘴。

柔らかな布地。

 

『ぬいぐるみが好きです……』

 

一瞬だけ、別の声が重なった。

 

「欲しかったんだろう……?」

 

レナの声は低い。

だが、いつもの冷えた調子とは違っていた。

 

「そ、それは……」

 

「だったら持て。見ているだけでは、何も変わらん」

 

ヒフミは困ったように眉を下げる。

 

「でも……レナさんに、そこまでしてもらう理由がありません……」

 

「理由なら……ある」

 

即答だった。

 

ヒフミが目を丸くする。

 

だが、レナはそこで一度だけ言葉に詰まった。

喉元まで上がってきた言葉が、形になる前に崩れていく。

 

お前が似ていたからだ、などと。

――言えるはずがない。

 

「……私が…………そうしたいだけだ」

 

振り絞るように出てきた言葉は、それだけだった。

 

ヒフミはぬいぐるみを抱いたまま、しばらく黙り込んだ。

そして顔を上げ、その視線がレナの顔へ向かう。

 

いつも通り無表情。

だが、赤い瞳の奥だけが、暗く揺れて見えた。

 

「ぁ……」

 

ヒフミは何かを言いかけて、やめた。

代わりに、ぬいぐるみを腕の中へそっと抱き直す。

 

「……大事にします」

 

レナは、ほんの僅かに目を逸らした。

 

「そうしろ……礼はいらん……」

 

即座に返したその声は、少しだけ掠れていた。

 

ヒフミは、胸に抱いたペロロをそっと見下ろした。

ほんの数分前までは、ガラス越しに眺めることしかできなかったものが、今は確かな重みを持って腕の中にある。

 

「…………」

 

言葉が出ない。

 

どうして、ここまでしてくれるのか分からない。

けれど――あの目を見てしまった以上、「要りません」と突き返すことはできなかった。

 

「……行くぞ」

 

レナが短く告げ、踵を返す。

ヒフミは慌ててぬいぐるみを抱え直し、その後ろを追った。

 

 

 

――

 

雑貨街の喧騒は相変わらずだった。

頭上ではチープな電球が揺れ、店先では呼び込みと客の値切り声が重なり、耳障りな不協和音を作っている。

雑貨特有の油、埃、香水の入り混じった匂いが鼻を突く。

 

だが、その全てが今のヒフミにはどこか遠く感じられた。

 

(どうして……)

 

レナの後ろ姿を見る。

 

何も言わない。

振り返りもしない。

ただ、いつも通りの無表情で歩いているだけだ。

 

けれど――あの瞬間だけは違った。

“買ってやる”ではなく、“買わせてくれ”。

縋るような声色で”頼む”

 

あの目が、あの声が、どうしても頭から離れなかった。

 

「……どうしたの?」

 

横から、やや呆れたような声が飛ぶ。

気付けば、メイがすぐ隣に並んで歩いていた。

 

「えっ……は、はい?」

 

「ぬいぐるみ、落とさないようにね。そんな顔してると、段差でコケるよ〜❦」

 

「あ……すみません」

 

ヒフミは慌ててペロロを抱え直す。

メイはその様子を横目で見ながら、軽い調子のまま言った。

 

「隊長が他人に奢るのは、珍しいんだ❦」

 

軽く笑ってみせながらも、その目はヒフミではなく前を行くレナの背中を見ていた。

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「うん。だから――」

 

そこまで言いかけて、メイは口を閉じた。

代わりに、ヒフミの胸にあるペロロを指先で軽くつつく。

 

「大事にしなよ〜❦」

 

「……はい」

 

ヒフミは小さく頷いた。

 

 

 

――

 

――ブラックマーケット外縁・コインパーキング。

 

雑貨街を抜けると、再び見慣れた白いハンヴィーが見えてきた。

無骨な車体。

夜のネオンに照らされ、その白塗装はどこか場違いなほど浮いている。

だが、それでもなお、この混沌の街で一行が戻るべき“拠点”だった。

 

「帰ってきたわね……」

 

クルミがタクティカルシールドをハンヴィーに立てかけながら、短く息を吐く。

 

「全隊乗車!」

 

レナはそう告げると、周囲を一瞥した。

 

通りを行き交う住人たち。

パーキングの端に座り込む不良生徒。

向かいの店先にたむろする獣人の男たち。

そのどれもが、こちらを見ているようで、見ていない。

 

少なくとも、今のところは。

 

「検問所までは、あくまで“買い物帰り”だ。任務は継続中と考えろ。気を抜くな」

 

「了解」

「了解だよ〜」

「アイコピー」

「了解❦」

 

短い返答が重なる。

 

オトギがボストンバッグをハンヴィーの荷台へ放り込み、背を伸ばした。

 

「あ゛〜、やっと帰れる〜」

 

「油断するな。まだ監視の目が――」

 

「はいはい、了解。分かってるよ」

 

オトギはレナの言葉を遮るように軽く手を振り、後続車の運転席に乗り込んだ。

 

リノもDMRを抱えたまま乗車口の前で一度立ち止まり、周囲の屋上を見上げる。

狙撃点になりそうな位置、視界の通り、暗がりの深さ――

癖のように確認してから、ようやく車内へ滑り込んだ。

 

スイはLMGを肩から下ろし、ドアの縁へ引っかけないよう雑に、それでいて無駄なく身体を折り畳んで銃座へ潜り込む。

 

ユキノは外に立ったまま、通りの先を睨んでいた。

ヒフミの腕の中の限定ペロロをちらりと見て、ふっと口元を緩める。

 

「レナに買ってもらったのか?」

 

「は、はい! そうです!」

 

「そうか。大事にするといい」

 

ユキノはそう言い残し、助手席に乗り込んだ。

 

最後にレナが周囲をもう一度だけ見回す。

 

夜のブラックマーケットは、昼とは違う顔をしていた。

ネオンはより毒々しく、路地は先が見通せず、行き交う人影は一層胡散臭い。

だが、そのどれもが今の一行にとっては背景に過ぎない。

 

本当に警戒すべき“目”(Vigilia)は、もっと静かに、もっと遠くからこちらを見ている。

 

助手席に乗り、無線機のスイッチを入れる。

 

「OVERLORD、こちらHUNTER1-1。SITREP、総員ハンヴィー搭乗完了。VIPをトリニティに送り届けた後、RTB(基地へ帰還)へ移行する。オーバー」

 

『OVERLORD了解。HUNTER1-1……くれぐれも寄り道はするなよ、門限が近い。オーバー』

 

「了解。よい子に努める。アウト。

――リノ……出発だ」

 

「りょ、了解! 出発します!」

 

エンジンが低く唸りを上げ、白いハンヴィーがゆっくりと駐車枠から滑り出す。

続いて後方の車両も動き出し、二両はブラックマーケット外縁の薄暗い道路へと車体を向けた。

 

 

 

――

 

――???

 

『Vigiliaより、Aegis-1。報告します、対象に動きあり。

ハンヴィーに乗車、検問所に進路を向けました。

BMを離脱すると思われます』

 

「こちらAegis-1、畏まりました。我々が接触するまで、引き続き監視を継続して下さい」

 

『イエスマム。通信終了――』

 

Aegis-1と呼ばれた薄紫の髪色をした少女は、後方で整列している部下たちに指示を出す。

 

「……行きますよ、皆さん。

随分と待たされましたが……辛抱強く殿方を待ち続けるのも、淑女の嗜みです」

 

「「「「……イエスマム……」」」」

 

Aegis-1は満足そうに頷き、ハンドサインで指示を飛ばした。

全Aegisが一糸乱れぬ動きで散開し、検問所から少し離れた道路に包囲陣形を構築する。

 

それを見届けたAegis-1は、無線機のチャンネルをCathedraの周波数に切り替えた。

 

「Cathedra、こちらAegis-1。対象に動きあり、全Aegis、展開完了しました」

 

『畏まりましたわ。必ず、呼び戻して下さいまし』

 

「仰せのままに。通信終了――」

 

Aegis-1は旧式のセミオートライフルに八連発のエンブロック・クリップを上から押し込み、オペレーティングロッドを右手の平で叩いて閉鎖させる。

 

左手で身の丈以上の純白のタワーシールドを掴み、陣形の中心へと歩みを進めた。

 

 

「さあ……仕事の時間です」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。