白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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Aegis-1の外見は、茶髪じゃない方のティーパーティーモブがベースです。


最後にアンケートがあります。



第33話 代償

 

 

――ブラックマーケット検問所。

 

黄色い塗装のM.G.(マーケットガード)は、相変わらずライフルをぶら下げて立っている。

だが昼間とは違う空気だ。

照明に照らされたレンズは、何処となく冷えている。

 

ハンヴィーが減速し、バーの手前で止まる。

一体が歩み寄り、車内を覗き込んだ。

 

レンズに赤い光が灯り、電子音が響く。

 

「…………異常は無し。

随分と長い買い物だったな?」

 

レナはドアを半分だけ開け、無表情のまま返す。

 

「女は買い物に時間がかかるものだ」

 

「ほう……その割には、あまり楽しそうな顔には見えんが?」

 

「……疲れただけだ」

 

短いやり取りの間にも、レナの目は相手のレンズの揺れと、周囲の警備配置を静かに追っていた。

 

M.G.は数秒だけ黙り込み、それから鼻で笑うような電子音を鳴らした。

 

「ふん……まあいい。発信機を返せ。

……次は上手い土産話でも持ってくることだ」

 

レナは集めていた全員分のタグを手渡す。

M.G.はそれを受け取ると、バーを上げるよう後方へ手を振った。

 

「通れ。……“夜道”には気をつけろよ、お嬢様方」

 

「……忠告感謝する」

 

レナはドアを閉め、短く命じた。

 

「前進」

 

「了解……!」

 

重いディーゼルエンジンが唸り、白いハンヴィーがゆっくりと検問所の境界を越えていく。

FOXの後続車両も、間を置かずそれに続いた。

 

ブラックマーケットの喧騒が、背後へ遠ざかっていく。

完全に外へ出た。

 

街灯はない。

その暗闇は、連邦生徒会と学園が管理する自治区と、ブラックマーケットを隔てる一本の境界線のようでもあった。

ヘッドライトが黒い道を切り裂き、白い巨体は徐々に速度を上げていく。

 

――その時だった。

 

検問所が見えなくなったところで、レナの獣耳がぴくりと震えた。

 

(……何だ……何かいる)

 

「停止」

 

低く落ちた声に、リノが反射的にブレーキを踏む。

白いハンヴィーが軋むように停止し、FOXの後続車も倣うように速度を落とした。

 

「どうしたんですか……?」

 

後席のヒフミが、不安そうに身を乗り出す。

 

だが、その問いに答えるより早く、前方の道路へ白い影が滑り出た。

 

一つ、二つ、三つ――八つ。

 

(いや……もっといる)

 

規律の取れた足音が、暗闇の底から滲み出るように現れる。

純白のタワーシールド。

整然と揃えられた白基調の装備。

 

(まさか……クソッ!)

 

レナが相手の正体を悟った、その直後――

 

白い影の後ろから強烈な光が放たれ、ハンヴィーを正面から照らし上げた。

 

装甲板が閃光を跳ね返し、白い車体が闇の中にくっきりと浮かび上がる。

 

「うぅ……!」

 

ヒフミが思わず目を細める。

 

「……ッ! アンブッシュ!! 戦闘態勢――!!」

 

レナは即座に無線機へ手を伸ばし、部隊内チャンネルへ警報を叩き込んだ。

 

眩い白光の中、純白の影たちは寸分の乱れもなく展開する。

 

前方に三人。

左右に二人ずつ。

さらに後方――退路を断つように一人。

 

対話の体裁だけを残した、脅しの包囲だった。

 

「――止まれ」

 

拡声器は使わない。

それでも、その声は霞むことなく一直線に届いた。

 

薄紫の髪を揺らす少女が、一歩前に出る。

 

片手に純白のタワーシールド。

もう片方に、古めかしい意匠のセミオートライフル。

その白い姿は、白光を受けて鈍く光っていた。

 

「Aegis-1……」

 

後席のメイが、低く吐き捨てるように呟いた。

 

助手席のドアを半ばまで押し開けて片脚を付いたレナは、赤い瞳を細めたまま現れた少女を見据える。

 

「……どちら様で? 面会の予定は無いぞ」

 

(この女……あの時の店員か……)

 

少女は白いブーツの踵を揃え、ほんの僅かに顎を引いた。

 

「トリニティ総合学園 二年生。

Guardian Angels、近衛序列第一位、Aegis-1――東雲シヅキ 白楯長(はくじゅんちょう)

と……申せば、分かりますか?」

 

「……SRT特殊学園 一年生。

独立特務部隊、WOLFチーム隊長、WOLF1――大上レナ 上級小隊長――」

 

レナは間を置かずに声を上げる。

 

「正確には“特務”上級小隊長だ」

 

「あら……失礼いたしました」

 

シヅキは盾の縁を軽く叩き、一歩だけ踏み出した。

 

「では、訂正して申し上げます。

――SRT特殊学園、大上レナ 特務上級小隊長」

 

その声音は角がなく柔らかい。

だが、その柔らかさの裏には刃のような冷たさが潜んでいた。

 

「我々トリニティ総合学園は、“GA”、樋口メイの身柄引き渡しを要求します」

 

感情のない事務的な言葉だけが静かに落ちた一瞬――

 

空気が止まった。

 

ハンヴィーのエンジン音だけが、場違いに低く唸り続けていた。

 

後席で息を潜めていたメイが、ゆっくりと目を伏せる。

 

「…………」

 

その横でヒフミは、腕の中のペロロを抱き締めたまま、強張った表情で周囲を見回していた。

 

「先輩……ど、どうすれば……」

 

レナは助手席のドアに片手をかけたまま、シヅキを見返す。

 

「……断る」

 

「――貴女には聞いておりません」

 

シヅキは拒絶の意を含ませて即座に返した。

 

「……お返事は、Aegis-9――樋口メイ本人から頂きたく思います。

――Aegis-9、応答せよ」

 

その呼びかけに、ハンヴィーの後席がわずかに揺れた。

メイは一度だけ、外に立つレナの背中を見る。

顔は前を向いたまま、ぴくりとも動かない。

 

――自分で決めろ。

 

そう告げられている気がした。

 

「戻るんですか……?」

 

ヒフミが不安げに声を漏らす。

 

「私の居場所は、ここだよ……」

 

メイはドアを開け放った。

夜の冷気が、一気に車内へ流れ込む。

 

ブーツでアスファルトを踏み鳴らし、ハンヴィーから降りる。

そしてレナの斜め後ろに立ち、純白の装束を正面から見据え、シヅキへ言い放った。

 

「わたくしはッ! 断固、拒否いたします……!」

 

静まり返った夜道に、その声だけが鋭く響く。

 

シヅキは微笑のまま表情を変えなかった。

ただその瞳には、聞き分けのない子供を見るような、冷たい憐憫だけが浮かんでいた。

 

「……まったく……我儘な。失望しましたよ……」

 

それは――責め立てるというより、規律を乱した者へ下される査定の声だった。

 

「……失望されようと、構いません。わたくしの意思は揺るがない」

 

「……」

 

シヅキはそれ以上メイに言葉を重ねず、今度はレナへ視線を移した。

 

「では……話を戻しましょう。大上レナ 特務上級小隊長」

 

「長話か……? だったら貴様らが“愛してやまない”紅茶の一杯でも用意したらどうだ」

 

「……あら、貴女が紅茶を嗜むとは意外ですね」

 

その言葉に、レナの赤い瞳がわずかに細まる。

 

シヅキはタワーシールドのアンカーを展開し、アスファルトへ突き立てると、上品な口調のまま続けた。

 

「……改めて申し上げます。

――樋口メイは、現在もトリニティ総合学園側の管理下にある生徒です」

 

包囲が僅かに狭まり、夜道に緊張が走る。

 

その時、レナの無線機が鳴った。

 

『こちらFOX1……FOXチーム、スタンバイ。いつでも攻撃可能だ』

 

レナはインカムに手を添え、小声で応じる。

 

「……各員に告ぐ。現時点での発砲は禁ずる」

 

シヅキの整った睫毛が、僅かに伏せられた。

 

「大上レナ 特務上級小隊長……話の途中ですよ? 感心しませんね」

 

声は依然として柔らかい。

だが、その柔らかさは先ほどよりも薄まっている。

 

レナは無線機から手を離し、助手席のドアに片肘を預け、赤い瞳を細める。

 

「それは失礼。こちらは現場主義なものでな。礼儀など、知ったことではない」

 

「……」

 

シヅキは純白の盾の縁を指先で優しく、静かになぞった。

 

「……野蛮ですね。銃を向けられてなお、そう仰るなら大した胆力です。

けれど、こちらから見れば――

貴女のそれは、命知らずな“狼の遠吠え”に過ぎません」

 

「……命など……疾うに捨てている」

 

冷たいレナの声が落ちる。

 

「……」

 

シヅキの瞳が、レナの背後――半歩前へ出たメイへ向けられた。

 

「Aegis-9……いえ、樋口メイ。最後に確認します。

貴女は現在もトリニティ総合学園に在籍する生徒です」

 

メイの肩が、わずかに揺れた。

 

「正式な退学手続きも、転籍手続きも完了していない。学籍は今もトリニティ側に残っている……違いますか?」

 

「…………」

 

メイは拳を硬く握り、俯いた。

 

「加えて、GAからの無断離脱。これは安易に済ませていい問題ではありません。

近衛の所在不明を放置すれば、学園の安全保障そのものが崩れる。

――故に、早急に、貴女を回収する権限と義務があります」

 

その声は穏やかだった。

穏やかであるがゆえに、そこに含まれた冷徹さがいっそう際立っていた。

 

レナはドアを閉めると数歩だけ進み、ハンヴィーのボンネットに手を置いた。

ブーツの底がアスファルトを踏み鳴らす。

小さな音だったが、張り詰めた空気の中では妙に大きく響いた。

 

「……学籍が残っている。書類が未処理。だから所属はSRTではない――そう言いたいのか?」

 

「ええ……おっしゃる通り。完璧です。よく分かっていらっしゃいますね」

 

シヅキは微笑を崩さない。

柔和な眼差しは、レナにぴたりと張り付いていた。

 

「近衛の帰属は、感傷や現場判断で曖昧にしてよいものではありません。

ましてや、外部組織が無断で編成し、装備を支給し、独自に運用するなど――」

 

そこで一度、言葉を切る。

紫の瞳が細められ、鋭い光を帯びた。

 

「ティーパーティーに対する……明確な“挑発行為”と見なされても、致し方ありません」

 

レナは鼻で笑うでもなく、怒鳴るでもなく、ただ冷えた目でシヅキを見返した。

 

「挑発……? 笑わせるな。

WOLF4は連邦生徒会が指定した試験を“正式”に突破し、“公式名簿”に登録されたSRT隊員だ。

……今さらしゃしゃり出て、思い通りになると思うな」

 

夜風が両者の間を細く抜ける。

ハンヴィーのアイドリング音だけが、妙に低く響いていた。

 

シヅキは瞬き一つせず、穏やかな口調のまま返す。

 

「個人の意思だけで近衛の離脱を容認すれば、組織は規律を失い崩壊します。

規律とは、好悪で出入りしてよい扉ではないのです――」

 

一拍。

 

「……名簿に登録し、任務に組み込んだからといって、管轄権まで移るわけではありません。既成事実を積み上げただけです」

 

レナは大きく前へ出た。

白いヘッドライトが、その背を照らし出す。

 

「今この場で決める権限は、貴様らには無い。

返してほしくば、連邦生徒会に異議を申し込め」

 

レナは振り返り、後ろに視線を向けた。

 

「それに――本人がもう拒否した。さっさとお家に帰るんだな」

 

その一言で、空気がまた一段冷えた。

 

シヅキはそこで初めて、ほんの僅かに眉を動かした。

怒りというより、理解不能なものを前にした失望に近い。

 

白い制服と黒い制服。

赤い瞳と紫の瞳。

それだけが、夜の境界線で真っ直ぐ噛み合っていた。

 

「……やはり、お話になりませんね」

 

シヅキがシールドを持ち上げると、他のAegisたちもそれに合わせ、一斉にシールドを構えた。

 

「……最後の情けです」

 

上品で、柔らかい声。

だが、そこに温かさは無い。

 

「今、ここで、貴女が、自ら戻ると宣言したら――

これまでの無断離脱、外部組織との接触、先ほどの命令違反……。

その全てを、『我が名にかけて』不問と致します」

 

シヅキは純白の盾にライフルを固定し、静かに右手を差し出した。

 

「これ以上……貴女の輝かしい経歴を汚したくはありません。

……ですから、樋口メイ。最後にもう一度だけ申し上げます。こちらへ来なさい」

 

闇夜に沈黙が落ちた。

 

差し出されたその手は、譲歩の形をしていた。

だが実際にはそれ以上に重い。

東雲シヅキが、自らの“家名”と“権威”そのものを保証として差し出しているのだ。

もし断れば、シヅキの顔に泥を塗ることになる。

 

メイは、その手を見つめた。

 

純白の手袋。

乱れのない所作。

揺るがぬ声音。

 

だが胸に浮かんだのは、安堵ではなく苦痛だった。

 

白い廊下。

磨き抜かれた床。

澄ました顔のまま、陰で誰かを値踏みする少女たち。

“秩序”と“規律”の名の下に飲み込まれていく、声にならない息苦しさ。

 

――あそこへ戻れば、また同じだ。

 

“白の牢獄”へ、二度と戻るつもりはない。

 

メイは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……お断りします」

 

その一言が落ちた瞬間、空気が凍る。

 

差し出されていたシヅキの右手がぴたりと止まり、やがて小さく震え始めた。

対して、メイの声は静かだった。

 

「シヅキ様の名でも、わたくしは……戻りません」

 

その瞬間、シヅキの顔から微笑が消えた。

 

怒りではない。

激昂でもない。

 

幻滅――

 

深く、底冷えするものだった。

 

端正な顔立ちから、人好きのする柔らかさだけが削げ落ちる。

あとに残ったのは、白く、無機質な沈黙だけだった。

 

「……そう、ですか……」

 

夜風が、薄紫の髪を撫でる。

シヅキは差し出していた右手を、ゆっくりと下ろした。

 

「生きやすいものだね。……羨ましいよ」

 

皮肉を含んだ声だった。

だが、その奥には悲しみがあった。

だからこそ、次に湧き上がる侮蔑はなおさら鋭かった。

 

メイの喉が無意識に動く。

それでも、視線だけは逸らさない。

 

シヅキはもう、メイを見なかった。

視線を前へ戻し、今度はレナへ向ける。

 

「……手は尽くしました」

 

下ろした右腕が、ゆっくりと持ち上がる。

それだけで、周囲のAegisたちの空気が変わった。

 

タワーシールドが一斉に角度を変える。

ライフルの銃床が肩に当てられ、セーフティを外す乾いた音が連鎖する。

 

カチ、カチ、カチ――。

 

「……これでは、仕方ありませんね」

 

紫の瞳に、明確な敵意と侮蔑が滲み出る。

 

「私の名を保証として差し出してなお、拒絶するのなら……

手段を選ぶ必要はありません」

 

シヅキは淡々と告げると、シールドからライフルを剥ぎ取り、銃口をレナへ向けた。

 

「自治区とブラックマーケットの境界は、実に曖昧です。記録も、責任も、存在も……」

 

ヒフミが、腕の中のペロロをぎゅっと抱き締める。

レナの隣で、メイの顔色がすっと変わった。

 

「お止めください!……シヅキ様!」

 

「ええ……だから、もう……“言葉”は不要です」

 

その言葉が放たれた途端、ドアが一斉に開いた。

全員がアスファルトを蹴り上げ、先頭の白いハンヴィーを中心に方円陣を展開する。

 

銃座に付いていたスイは、重機関銃のチャージングハンドルを引き、チャンバーに50口径弾を叩き込んだ。

 

レナの隣へ駆け寄ったユキノは、自身のライフルをシヅキへ向けて叫ぶ。

 

「レナ! この距離では不利だ!」

 

左右に展開したオトギとニコも追随する。

 

「レナちゃん! もう話し合いは無理だよ!」

「小隊長! どうすんの!?」

 

スイも重機関銃を周囲へ向けたまま声を荒げた。

 

「隊長! 発砲許可を!」

 

クルミとリノも、それぞれDMRとシールドを構える。

 

「た、隊長! 指示を!」

「アンタ、このままじっとしてる気!?」

 

矢継ぎ早に指示を求める声が飛び交い、混沌が満ちかけた、その瞬間――

 

「撃つな!!!」

 

レナの声が、それらすべてを叩き割るように響いた。

 

その一言で、全員の指先がトリガーに触れたまま止まる。

重機関銃の弾帯ベルトだけが、かすかに鳴った。

 

「……ッ、隊長……!」

 

スイが歯噛みする。

ユキノもライフルを構えたまま、信じられないものを見る目でレナを横目に睨んだ。

 

「レナ……!」

 

「命令だ」

 

レナは視線を一切逸らさない。

真正面――ライフルを向けるシヅキだけを見据えたまま、低く、しかし絶対に覆らない声で告げる。

 

「違反者は、懲罰房に住んでもらう」

 

その声音には抑揚がない。

だからこそ、そこに滲む確信に重さがあった。

 

スイは舌打ちを飲み込み、重機関銃に顔を寄せたまま、かろうじて引き金から指を外す。

ユキノも唇を噛み、構えは解かぬまま、ほんの僅かに銃口を下げた。

 

オトギ、ニコ、リノ、クルミも同じだった。

誰一人として納得していない。

だが、それでも従う。

 

SRTにとって命令は絶対だ。

そして、その命令を下しているのは――

戦場帰りの、たった一人だった。

 

レナは銃を抜かない。

代わりに視線だけは、さらに鋭く研ぎ澄まされていく。

 

引き金に指をかけたAegisたちの圧も、

純白の盾列も、

正面から浴びせられる白光も、

そのどれ一つとして、彼女の姿勢を揺らがせなかった。

 

「……温いな」

 

ぽつりと落とされた一言は、前世で見てきた“利益のためだけの暴力”と比べれば、あまりに甘いという断罪だった。

 

「……今、なんと?」

 

「聞こえなかったか」

 

レナは微動だにしない。

八つの銃口を正面から受けながら、ただ赤い瞳だけを細めた。

 

「温いと言った。

本気で奪るつもりなら、会話などいらん。

撃って、()して、奪えば済む話だ」

 

レナはユキノの横を通り過ぎ、前へ出る。

ヘッドライトが、長い白髪の輪郭を鋭く切り出した。

 

「不意打ちで撃たず、ご丁寧に無駄な対話を望んだ時点で、貴様らは揺れている……」

 

シヅキの紫の瞳が、すっと細まる。

 

「……」

 

「答えられないか……小娘」

 

レナは真正面から、ライフルを構える少女たちを見渡した。

指はトリガーにかかっている。

だが、その瞳にはまだ“理性”が残っている。

 

それでは、金で引き金を引くPMCにも及ばない。

 

「ごっこ遊びなら、他所でやるんだな」

 

「……ッ!?」

 

シヅキの目が見開かれる。

それは、見透かされたことから来る怒りではない。

もっと得体の知れないものだった。

キヴォトスの常識では測れない価値観を、目の前に突きつけられた顔だった。

 

「……随分と、お口が悪いですね」

 

シヅキの指先が、ライフルの木製ストックを僅かに強く握り込む。

 

その背後で、Aegisたちの足が微かに動く。

盾が擦れる音。

金属の鳴る音。

トリガーにかかった指が、ほんの僅かに沈み込む。

 

「貴女は……“獣”です」

 

シヅキの声には、隠し切れない嫌悪が滲んでいた。

 

「だから、規律も、秩序も、法も……全部関係ない。“撃つか撃たないか”でしか測らない」

 

「違うな」

 

レナは即座に切り返した。

 

「測っているのは、覚悟だ」

 

「覚悟……?」

 

「そうだ」

 

短く返す。

 

「すべてが終わった後、そのツケは……“誰かが必ず”精算しなければならない」

 

レナの声は低く、冷たい。

白い盾列の向こうまで、真っ直ぐ届く。

 

「……それを払う気がある者だけが、撃つ資格を持つ」

 

一秒。

二秒。

 

永遠にも似た沈黙が、夜の境界へ降りた。

Aegisたちの指先が、トリガーの上で微かに震える。

 

彼女たちは生まれながらのエリートだ。

だが、それはあくまで“平和な学園の秩序”に守られた上での幻想に過ぎない。

 

「撃てるのか……? 貴様らに……」

 

「「「……!」」」

 

レナから発せられる本物の殺意と、その後に訪れる政治的な“ツケ”を前にして、

彼女たちは一歩だけ後退り、指は鉛のように重くなっていた。

 

――だが、シヅキだけは違った。

 

「そのツケ……我が名において……支払いましょう」

 

紫の瞳が、決意に染まる。

己の家名と、序列第一位としての誇り。そのすべてを天秤にかけ、なお彼女は面子を選んだ。

 

「総員! 構えッ――! 責任は私が――!」

 

シヅキが叫び、全Aegisの指がトリガーを引き絞ろうとした、その刹那――

 

『――おやめなさいッ!』

 

張り詰めた声が、夜の境界を断ち切った。

 

その瞬間――

Aegisたちの指先が、引き金にかかったまま、ぴたりと止まる。

 

白い盾。

黒い銃口。

唸るエンジン音。

 

そのすべてが、一瞬だけ凍りついた。

 

「……ッ」

 

シヅキの眉が、ぴくりと動く。

耳元のインカムから流れたのは、紛れもなくCathedraの直通回線だった。

 

『作戦行動中の全GAに通達。戦闘体制を解除。

繰り返します――戦闘体制を解除。

現時点を以て、本件は我々の案件ではなくなりましたわ。

これより先は、ティーパーティーが直接扱う“政治案件”へ移行します』

 

夜風が、白い盾列の隙間を細く抜けていく。

シヅキはライフルを下ろさない。

正面のレナを見据えたまま、低く抑えた声で返した。

 

「……受諾できません」

 

その一言に、後列のAegisたちの肩がわずかに揺れる。

 

シヅキは続けた。

 

「Cathedra――! 今、ここで逃せばッ! 二度と、Aegis-9を連れ戻すことはできませんッ!」

 

無線の向こうから、淑女らしからぬ鋭い声が押し返す。

 

『お黙りなさい!! Aegis-1!!

…………すでに引き継がれました。これ以上の反抗は、ティーパーティーに対する蔑視、独断専行で罰しますわよ……』

 

「あと一歩なのに、何故です! 何故、止めるのですか!?」

 

その叫びは、もはや上品に整えられた近衛の声音ではなかった。

自らの責務を、義務を、誇りを、目の前で奪われかけている者の、剥き出しの悲鳴だった。

 

『……』

 

無線の向こうで、Cathedraは一瞬だけ沈黙した。

その短い空白が、かえって残酷だった。

 

『本件に関する樋口メイの扱いは……先ほど、ティーパーティーと連邦生徒会の協議事項になりましたのよ……』

 

シヅキの口元が、ぴくりと震える。

 

「……連邦……生徒会……?」

 

『……そうですわ。

ティーパーティーは“例の条約”へ向けた予備協議の出席を受諾したのです』

 

その言葉が落ちた瞬間、シヅキの表情から色が抜けた。

紫の瞳が見開かれる。

 

『樋口メイに関する一連の案件――

無断離脱、近衛の所在不明、学籍管理不備、ならびにGAによる非公式回収行動。

これらは全て、“伏せ置く”とした上で、今後の協議対象とすることで整理されました』

 

純白の盾列が、わずかに揺れる。

だが、それ以上に大きく揺れたのは、シヅキの内側だった。

 

「……まさか……」

 

分かってしまった。

 

メイの存在が。

GAの失態が。

トリニティの醜聞が。

 

その全てが、すでに“取引材料”として連邦へ売られたのだ。

 

自分たちが今、この瞬間に賭けている最中、ティーパーティーの淑女たちは、自らの保身を優先し、首を差し出していた。

 

「―――ッ!!」

 

シヅキの手に力が入り、ライフルがカタカタと震える。

 

そして――

彼女は、ゆっくりと銃口を下ろした。

 

薄紫の髪が夜風に揺れた。

その端正な横顔は静かだが、奥歯を噛み締めた顎の線だけが痛々しいほどに浮き上がっている。

 

「……Aegis」

 

やがて彼女は目を瞑り――

 

その口元を歪ませる。

 

「戦闘体制を……解除」

 

その一言が、すべてのAegisに重く伸し掛かる。

彼女たちもまた、苦悩に満ちた表情を浮かべていた。

 

シヅキの号令に、誰も異議を唱えない。

隊列の規律だけを頼りに、訓練された動作で少しずつ銃口を下げていく。

 

彼女たちは互いの顔を見ない。

一度でも見てしまえば、耐え難い屈辱を受けたことが、あまりにも明確になってしまうからだ。

 

セーフティを戻す乾いた音が、今度は疎らに響いた。

 

カチ。……カチ。カチ――。

 

つい先ほどまで戦端の合図だった音が、今や敗北の確認へ変わったことを告げていた。

 

Aegisは矛を収めた。

けれど、熱を孕んで膨張した空気は、そう簡単には冷えない。

スイは重機関銃のグリップを握り締め、ユキノは無手のレナを庇うように前に出る。

オトギもニコも、クルミもリノも、警戒を解かない。

 

夜道のど真ん中に、未消費の緊張だけが取り残された。

 

シヅキはその澱みの中で、ゆっくりと顔を上げた。

 

先ほどまでそこにあった“淑女の微笑”は、もうどこにも残っていない。

ただ、磨き抜かれた刃のように冷え切った表情だけがあった。

 

紫の瞳がレナを射抜く。

シヅキは再びライフルをシールドに固定した。

その動きは優雅さを失い、荒々しい。

 

「……大上レナ小隊長」

 

レナは短く返す。

 

「何だ」

 

シヅキはレナに歩み寄り始めた。

純白のブーツがアスファルトを踏み、コツコツと音が夜道に響く。

 

それに合わせて、ユキノたちの緊張が一段上がった。

 

「レナ――!」

 

ユキノが低く呼ぶ。

だがレナは無言で片手を上げ、それ以上の制止を切った。

 

シヅキは僅かに身を寄せた。

長い睫毛が伏せられ、薄紫の髪が揺れる。

 

そして、レナの耳元にだけ届く声量で囁いた。

 

「――今日のことは、忘れません」

 

吐息の混じる距離で、シヅキはさらに続ける。

 

「貴女が奪ったもの。私たちが失ったもの。

そのどちらも……このまま終わるとは思わないことです」

 

シヅキはそこで言葉を切った。

ほんの一瞬。

互いに一歩も引かぬまま、夜の境界で沈黙だけが擦れ合う。

 

やがてシヅキは、何事もなかったかのように身を引いた。

 

「さあ、お行きなさい」

 

レナは何も応えず、ただ一度だけ、その赤い瞳でシヅキを一瞥した。

 

「全隊乗車――! AO(作戦地域)より離脱する!」

 

レナの号令と同時に、張り詰めていた空気が一斉に動き出した。

 

誰一人、背を向けない。

 

全員が互いに射線を潰さぬよう細かく位置をずらしながら、白いハンヴィーの陰へと戻っていく。

 

そんな中、メイだけは立ち尽くしている。

視線の先には、目元に影を落としたシヅキがいた。

 

レナは助手席の枠に手を伸ばし、口を開く。

 

「WOLF4!……さっさと乗れ!」

 

短い命令だった。

 

メイは一瞬だけ、シヅキの方を振り返りかけた。

だが、すぐに唇を噛み結び、そのままハンヴィーへ乗り込む。

 

車内で身構えていたヒフミは、胸に抱えたペロロを強く抱き締めたまま、シヅキと目を合わせないよう慌てて顔を伏せた。

 

助手席のドアを閉める直前、レナはもう一度だけシヅキを見た。

 

何も言わない。

シヅキも、もう何も言わなかった。

 

ドアが閉まる。

 

重たい音が、夜の境界線に響いた。

 

「出せ」

 

「……了解」

 

リノが低く応じ、アクセルを踏み込む。

白いハンヴィーが徐々に前進し、続いて後続のFOX車両もそれに倣った。

 

ヘッドライトが白い列を横から撫でる。

純白の装束は光の中に一瞬だけ浮かび上がり、そして闇へ沈んだ。

 

「ごめんね……隊長」

 

顔を伏せたメイが、消え入りそうな声でぽつりと零した。

レナは正面を見据えたまま、ただ一言――

 

「亡命など……よくある話だ」

 

 

――

 

――トリニティ自治区方面。

 

一定間隔で設置された街灯の光が、車内をかすめて流れていく。

 

しばらく誰も口を開かなかった。

 

白いハンヴィーは一定の速度を保ったまま、夜道を進んでいく。

車体を叩く振動。

高く唸るディーゼルエンジン。

それらだけが、車内に満ちた沈黙を辛うじて破っていた。

 

ヒフミは、胸に抱いたペロロに頬を寄せるようにして座っている。

ぬいぐるみの柔らかな感触だけが、ついさっきまでの白い盾列を、遠い出来事のように曖昧にしてくれた。

 

だが、完全には消えない。

 

助手席のレナは前を向いたまま、窓の外を流れていく夜景を眺めている。

表情はいつも通りだ。

 

その後ろでメイは俯いていた。

ショットガンは膝の間に立て、両手を重ねている。

軽口もない。

冗談もない。

ただ、呼吸だけがあった。

 

運転席のリノが前を見たまま、おずおずと口を開いた。

 

「た……隊長」

 

「何だ」

 

「もうすぐトリニティ自治区の境界へ到着します」

 

「そうか……」

 

レナは振り向き、ヒフミに話しかけた。

 

「……世話になったな」

 

一言だけ告げ、視線を戻す。

 

「え……?」

 

予想外のタイミングに、ヒフミは思わず顔を上げた。

道路の街灯が流れ、助手席を白く照らしては過ぎていく。

 

レナは前を向いたまま、言葉を継いだ。

 

「ブラックマーケットの案内だ。お前がいなければ、時間を無駄にしていた」

 

「あ……いえ、そんな……頼まれたことですので……」

 

ヒフミは、抱えたペロロに視線を落とした。

少し力を加えると、柔らかな生地に指先が沈んだ。

 

「私の方こそ……ケバブ、ごちそうになりましたし……その……ペロロ様も……」

 

ヒフミはレナの後ろ姿を真っ直ぐ見つめた。

 

「……ありがとうございます」

 

レナはただ、窓の外を見たまま、僅かに目を細める。

 

「礼はいらんと言ったはずだ……」

 

「ですが……」

 

ヒフミは口を結び、そこから先が言えなかった。

いや、言うべきではない、という方が正しい。

 

このぬいぐるみは、ただの善意ではない。

 

それも870万円――正気の沙汰ではない。

 

ヒフミはペロロの丸い頭をそっと撫でた。

指先に触れる布地は、少しだけ古い。

 

ショーケースの中に置かれていたせいか、表面にはかすかな乾きと、雑貨の匂いが染みついている。

 

それでも腕の中にあると、確かに温もりを持っているように感じられた。

 

(……大事にしよう)

 

口には出さず、心の中で。

 

そっと呟いた。

 

 

――

 

――D.U.地区・連邦生徒会/会談室。

 

夜の帳がすっかり降りた窓の向こうでは、D.U.の高層ビル群が静かな光を灯している。

 

だが、その部屋の空気だけは夜景の華やかさとは真逆だった。

 

長机に白い制服を着た三人が座っている。

トリニティ総合学園――パテル、フィリウス、サンクトゥスの三大派閥の長たちだ。

 

汚れ一つない床。

白磁のティーカップ。

銀のティーポット。

整えられた調度品。

 

どれも上質で、気品に満ちている。

だが、この場に優雅さはなく、沈黙が支配していた。

 

机の向こう側。

その沈黙を、まるで気にも留めぬように、連邦生徒会長は柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「――では、この方向で話を進めていきますね」

 

その一言が、静まり返った会談室に落ちた。

 

ティーパーティーの一人が、扇子をパシャリと閉じる。

乾いた音が会談室に大きく響いた。

 

「……この方向?」

 

その声は震えていた。

怒りか、屈辱か、判断が付かない程に。

 

「こちらは……選ばされたのです……」

 

「ええ、そうですね。承知していますよ」

 

会長は頷いた。

あまりにも素直な肯定だった。

 

「――ですから、“交渉”で問題ありませんよね?」

 

その穏やかな言葉に、別の少女が息を呑む。

 

交渉――。

 

その言葉を使うには、あまりにも一方的だった。

 

樋口メイの無断離脱。

杜撰な学籍管理。

Guardian Angelsによる秘匿回収作戦。

そして、ティーパーティーが権威を保つために、それを“内々に処理しようとした”事実。

 

どれか一つでも公になれば、醜聞として十分。

それを、連邦生徒会長は一纏めにして、静かに机の上に並べただけだった。

 

「……卑劣ですわ」

 

短く吐き捨てられた言葉にも、会長は顔色一つ変えなかった。

 

「そうでしょうか……?」

 

少しだけ困ったように首を傾げる。

 

「キヴォトスの安寧は、綺麗事だけでは守れませんからね」

 

会長はカップを持ち上げ、紅茶を口にした。

 

その返答に、会談室の温度が一つ下がる。

三人のカップから立ち上っていた湯気は、いつの間にか消えていた。

 

「私たちが席に着けば……この件は、内密にしていただけますよね?」

 

今度は、これまで沈黙していた少女が口を開いた。

怒りを押し殺し、損得だけを確かめようとする声音だった。

 

会長は、空になったカップに紅茶を注ぎながら答える。

 

「ええ。“今は”」

 

その一語に、三人の瞳が険しくなる。

 

会長は、注いだばかりの紅茶の水面を見つめたまま、続けた。

 

「私は、不必要な混乱を望んでいません。

トリニティとゲヘナが、これ以上……無駄に血を流すことも……。

そのためのエデン条約です」

 

一拍。

 

「ですから、皆様が席に着いてくださる限り――

樋口メイさんの件は、”知らなかった”ことにします」

 

知らなかった。

 

その言葉の軽さに反して、中身は重い。

 

表に出すこともできる。

だが、今は出さない。

それだけの意味だ。

 

「……さすが、”みんなの生徒会長”と言ったところですわね」

 

扇子を持った少女が皮肉を込めて言う。

 

会長はようやく顔を上げ、微笑んだ。

 

「それ程でもありませんよ」

 

その笑みは、いつもより穏やかだ。

だからこそ、三人には――

 

氷のように冷たく感じた。

 

「キヴォトスに必要なのは、管理です」

 

会談室に再び、沈黙が落ちる。

 

誰も言葉を返せなかった。

 

少女たちは理解していた。

ここで飲まされたものが、単なる条件ではないことを。

 

メイ一人ではない。

GAの不始末でもない。

トリニティという巨大な学園の“面子”そのものが、今この場で”整理”されたのだ。

 

そしてその対価として求められたのが、着席だった。

 

「……いいでしょう」

 

やがて、目を瞑っていた少女が、口を開いた。

 

「予備協議には……出席します。

ですが、勘違いなさらないで。これは同意ではありません。――あくまで、損切りです」

 

会長はその言葉を、否定しなかった。

 

ただ、静かに頷くだけだった。

 

「同意は求めておりません。顔を出していただくだけで十分です」

 

十分。

その一言に、再び空気が軋む。

 

「そうですか……。

では……私たちは、これで失礼致します」

 

三人は席から立ち上がると会長に向かって一礼し、そそくさと退室した。

 

会談室に一人残った会長は、窓の外へ視線を向けた。

ガラス越しの夜景には、無数の光点が揺れている。

 

「これで、盤面は整いました」

 

誰に言うでもなく、そう呟く。

 

白磁のカップの紅茶は冷めている。

誰も口をつけないまま、会談だけが終わった。

 

 

「あとは……待つだけです」

 

 

――代償は、支払われた。

 

 





次話は、また間が空きそうです。
不定期で申し訳ありません。

軍事用語にルビを常時付けるべきか

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