白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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今回はオリジナル要素マシマシです。


余談ですが、ニコのママみがやべぇですね。
え?ガチャの結果ですか……?

石は全部毟られました。


第37話 灰沈

 

 

「WOLF、移動するぞ」

 

正門から戻ってきたレナは、開口一番にそう告げた。

声に抑揚はない。

だが、その眼差しだけが、氷の刃のように冷え切っていた。

 

「今から……どこへ向かうんですか?」

 

預かっていたARをレナへ返しながら、リノが窺うように問う。

 

だが、レナは答えない。

ただ赤い瞳だけが、三人の顔を順に確かめていく。

 

「は? 僕の糖分補給計画は!?」

 

スイはLMGを手放すなり、その勢いのままレナへ掴みかかった。

 

「……我慢しろ」

 

「そんな……あんまりだ!」

 

小柄な体格からは想像もつかない力で、レナの肩が前後に揺さぶられる。

それでもレナは、鬱陶しげに眉を寄せただけだった。

 

「……隊長。次って、ただの任務じゃないでしょ?」

 

メイの問いに、レナはすぐには答えなかった。

ただ赤い瞳だけが、三人を一人ずつ静かに見定めていく。

それは仲間を見る目ではない。

胸の底に沈んだ覚悟の重さを、量るような視線だった。

 

正門前の騒動が、少しずつ遠ざかっていく。

フラッシュも、ざわめきも、今やもう別世界の音だった。

 

四人のあいだにだけ、切り離されたような暗い静寂が落ちる。

 

「……流石に勘がいいな」

 

短く、それだけ言った。

 

「トリニティ出身は、伊達じゃないよ」

 

場の空気を和らげるつもりなのか、メイはあえて軽く笑ってみせる。

だが、その声の底には拭いきれない硬さが沈んでいた。

 

レナは浅く頷き、端的に続ける。

 

「……尾刃主任に容疑者の引き渡しは済ませた。

FOXは引き続き事後処理。

――だが、私たちは別件で動く」

 

「はぁ、もういいよ……。

それで? 別件って、何するの?」

 

スイは拾い直したLMGを背負い、半眼のまま問い返した。

 

レナはその視線を正面から受け止める。

眉間には、珍しく深い皺が刻まれていた。

 

「たった今……連邦生徒会長から特命が下った」

 

その一言だけで、三人の表情が変わる。

 

リノは息を呑み、メイは広げていた翼を静かに畳み、スイでさえ軽口を飲み込んだ。

 

レナは手首のデジタル時計へ目を落とす。

分針は、会長が手配したヘリ――《エンバー46》の到着時刻へ向けて、容赦なく進み続けていた。

 

「……時間がない。移動しながら説明する」

 

 

 

――

 

――第二工場・裏門。

 

連邦生徒会長が指定した地点は、工場から少し離れた雑居ビルのヘリポートだった。

無言で先を行くレナを先頭に、四人は闇の継ぎ目を縫うように進む。

 

裏門へ辿り着くと、レナは足を止めた。

一ブロック先のビルを見据えたまま、ぴたりと背後に続いていた三人へ言い放つ。

 

「いいか。今回の作戦は“記録(Archive)”に残らない。

正規のChain of Command(指揮系統)も、完全に無視だ。

我々WOLFは、これより司令部の指揮を外れ、連邦生徒会長直轄の――“掃除屋”として動く」

 

「……掃除屋って……」

 

リノの喉が、小さく鳴った。

 

「まさか……“人狩り”ですか?」

 

その言葉は、かつてレナ自身が口にしたものだった。

リノの脳裏に、あの夜の記憶がよぎる。

 

「……」

 

だがレナは答えない。

 

沈黙――

それが、答えの代わりだった。

 

誰も、すぐには動けなかった。

三つの視線だけが、レナの背に突き刺さる。

 

だがレナは何も語らない。

 

話を打ち切るように閉ざされた門へ背を預け、中腰になると、下腹の前で両手を組んでブーストの姿勢を取った。

 

「スイ、お前から行け」

 

「……アイコピー」

 

スイは躊躇なく、レナの組んだ手にコンバットブーツを乗せた。

次の瞬間、その反動で身軽に門の上へ跳び上がる。

着地の際、背負ったLMGの金属音ひとつ鳴らさない。完璧な静粛移動だった。

 

スイが乗り越えたのを確認すると、レナはインカムへ手を伸ばす。

 

「門の向こう側に、誰かいるか?」

 

『クリア。人影なし』

 

「了解……次、リノだ」

 

続いてリノがレナの補助を受け、門を越える。

メイは長い脚を活かして難なく跳び上がり、そのまま門によじ登ると、下にいるレナへ手を差し伸べた。

 

最後に残ったレナは、数歩だけ後ろへ下がる。

短い助走。

次の瞬間、壁を蹴って跳ね上がり、伸ばされたメイの手を掴む。

そのまま引き上げられ、二人は門の向こうへ音もなく降り立った。

 

「急ぐぞ。Pick-up Point(回収地点)は、あのビルの屋上だ」

 

 

 

――

 

――

 

夜闇に沈む雑居ビルへ辿り着くと、レナは一階フロアのエレベーター前で足を止めた。

 

(この箱に乗れば、もう後戻りはできない)

 

薄汚れた壁紙。

剥げかけた階数表示。

黄ばみ、煤けた案内板。

 

人気のないロビーには、蛍光灯の唸るようなノイズだけが空しく響いていた。

 

押しボタンの周囲には、爪で引っ掻いたような無数の傷が刻まれている。

 

レナは無言のまま、指先でそれを押し込んだ。

 

――カチ。

 

物音ひとつないフロアに、乾いた音が響く。

ランプが淡く灯り、箱の位置を示す赤い数字がゆっくりと近付いてくる。

 

――9。

――8。

――7。

 

ひとつ数字が減るたび、周囲の空気が見えない縄でじわじわと締め上げられていく。

 

誰も口を開かない。

重たい息遣いだけが、沈黙の底でかすかに揺れていた。

 

機械油と埃の臭いが混じる淀んだ空気の中、エレベーターの駆動音だけが鈍く軋む。

 

レナは振り返り、揃って強張った表情の三人を一瞥した。

ゆっくりと目を閉じる。

そして再び瞼を開き、低い声で言葉を落とした。

 

「……下された命令は……技術主任の拉致だ」

 

「「「……っ!」」」

 

四人のあいだから、音が消えた。

残るのは、箱を引き下ろす駆動音だけだった。

 

「やっぱり……それが、会長の命令ですか」

 

リノは顔を伏せ、目元に影を落とす。

スイは無言のままヘルメットを脱ぎ、メイは背負った盾のベルトをきつく握り締めた。

 

「貴女は……会長と、どんな関係なんですか?」

 

再び顔を上げたリノが、レナの暗い瞳を真正面から見つめる。

 

「……」

 

レナは何も答えない。

 

チン――。

 

場違いなほど軽い音とともに、古びたエレベーターの扉が左右へゆっくりと開いた。

 

中から流れ出てきたのは、冷えた金属の臭いと、長く閉ざされていた箱の澱んだ空気だった。

 

狭い箱の内部は、薄暗い蛍光灯に照らされている。

内壁は一面、鈍く曇ったステンレス張り。

とうに鏡としての役目を失ったそこには、四人の姿が歪んで映っていた。

 

レナは躊躇なく乗り込む。

そして振り返ると、内側の開扉ボタンを押したまま三人を見た。

 

「……嫌なら降りても構わん。無理強いはしない。

だが、この先へ進めば、もう……後戻りはできない」

 

蛍光灯が明滅し、レナの顔に断続的な影を走らせる。

 

「迎えが来るまで、あと一分だ。早く決めろ……」

 

一秒。

二秒。

 

短い沈黙の中、最初に息を吐いたのはスイだった。

 

「今さら何言ってんのさ」

 

ヘルメットを小脇に抱えたまま、スイは半眼でレナを見る。

 

「そんな眼をされたら、後味悪すぎて帰れない」

 

「……どんな眼だ?」

 

「飼い主に置いていかれる犬」

 

あまりにも真っ直ぐな物言いに、レナの獣耳がぴくりと動いた。

 

「……」

 

レナは何も言い返さない。

ただ、ほんのわずかに視線を逸らした。

 

スイは肩を竦め、LMGのスリングを引き直すと、そのまま当然のようにエレベーターへ乗り込む。

壁にもたれ、片手をひらひらと振った。

 

「ほら、次」

 

ずっと沈黙を守っていたメイが、小さく息を吐く。

 

「隊長は……行かなきゃいけない理由が、あるの?」

 

メイは一度、レナの瞳をじっと覗き込む。

 

「もしかして……アビドス?」

 

レナの獣耳がかすかに震え、尻尾がわずかに揺れた。

そして、ゆっくりと目を逸らす。

 

「……否定、しないんだね」

 

メイは苦く笑った。

それは自嘲にも似た、どこか寂しい笑みだった。

 

視線を落とし、コンバットショットガンのフォアエンドを引く。

 

ガチャン――。

 

「だったら、なおさら一人では行かせられないよ」

 

そう言って、迷いを断ち切るように一歩を踏み出す。

そのまま箱の中へ滑り込み、レナの真横に立った。

 

残るは、リノ一人。

 

「……卑怯です」

 

小さく、そう零す。

 

「……嫌なんて、言えないですよ……」

 

リノの声は僅かに震えていた。

自分でも整理がついていないのだろう。

 

「副官として、言います。

隊長が、どんな命令を受けても……一人で抱えないでください。

残されるのは、もう……たくさんです」

 

そう言って、一歩を踏み出し、エレベーターへ乗り込む。

 

「……すまない」

 

その瞬間、レナの指が開扉ボタンから離れた。

扉がゆっくりと閉じ始める。

 

――ギィ……。

 

その不気味な音は、まるで――

闇の中へ誘う合図のようだった。

 

扉が完全に閉じると、エレベーターは鈍い軋みを上げながら上昇を始める。

 

薄暗い箱の中で、誰も口を開かなかった。

蛍光灯がちらつくたび、四人の顔に白い光と影が交互に走る。

 

階数表示がゆっくりと上がる。

 

――6。

――7。

 

数字が一つ増えるたび、足元を掬われるような圧迫感が胸に沈んでいく。

 

やがて、下へ押しつける重力がふっと弱まり、機械音とともに箱が止まる。

 

チン――。

 

扉が左右へ開く。

 

その先にあるのは、明かりひとつない通路。

 

その突き当たり――

非常口の上に灯る緑の光だけが、かろうじて道標のように浮かんでいた。

 

「あと20秒だ」

 

レナはそれだけ言い残し、箱から飛び出す。

三人も後へ続いた。

 

通路を駆け抜け、非常扉を蹴り開ける。

 

その瞬間、夜の空気を叩き割るような重低音が、空から降ってきた。

だが、その音は通常の機体より抑えられている。

 

特殊作戦仕様のブラックホーク――。

 

暗闇の底から浮かび上がるように現れたのは、ナビゲーションライトすら点灯させていない漆黒の機体だった。

所属を示すエンブレムはおろか、機体番号すら塗り潰されている。

 

機首下には、鈍く光を返す光学センサー群。

改修を重ねた特殊作戦機特有の、無骨で不穏な威圧感があった。

キャビンドアはすでに開放されており、漏れ出た赤い機内灯だけが、機体の輪郭を辛うじて浮かび上がらせている。

 

機体が高度を下げるにつれ、ダウンウォッシュが砂埃を巻き上げ、四人の髪とスカートを激しく煽った。

 

リノが思わず目を細め、片腕で顔を庇う。

メイの白い翼も風に叩かれ、ばたついた。

スイは半ば楽しげに口角を歪める。

 

「おお……見たことない機体だ!」

 

「感心してる場合じゃない。乗るぞ」

 

レナはそれだけ告げると、身を低くしたまま真っ先に機体へ向かって駆けた。

三人も遅れまいと続く。

 

開け放たれたキャビンドアの脇では、NVG(暗視装置)を装着した黒いフライトヘルメットのクルーチーフが片膝をついている。

フェイスシールドが顔を覆い、表情は分からない。

 

ブラックホークがゆっくりと降着する。

機体のアース(接地放電)を確認し、感電の心配はないと判断したクルーチーフは、NVGを跳ね上げて手を招いた。

 

それを受けたレナはゴーサインを示し、四人は身を低くしたまま、キャビンへ飛び込んだ。

 

最後に乗り込んだレナの背後で、クルーチーフが即座にドアを引き寄せた。

分厚い音とともに外界が遮断され、機内は一気に赤く染まる。

 

乗り込んだ四人を一瞥したクルーチーフは、機内通信を介してパイロットへ合図を送った。

 

『機長、全員回収しました』

 

彼女から発せられた声色は、生徒とは思えないほど冷え切っていた。

 

『了解……上昇開始!』

 

機長と呼ばれた生徒の声は、あの時のチヌークのパイロットのものだった。

 

(やはり……コイツらが会長の駒か……)

 

 

 

――

 

――D.U.上空。

 

ターボシャフトエンジンの爆音が轟くキャビン。

そこは、思っていた以上に狭かった。

 

左右の壁面に沿って簡素な折り畳み式のシートが並び、そのあいだを通る中央の床には各種ケースと固定具が隙間なく詰め込まれている。

 

足元に転がるのは――

予備の弾薬箱。

武器ケース。

医療パック。

そして、見慣れない黒いハードケース。

 

クルーチーフは無言のまま、そのケースを指差した。

 

『中を確認しろ』

 

レナは軽く頷き、ハードケースの左右にあるロックへ手をかける。

 

ガチャ――。

ガチャ――。

 

ロックを跳ね上げ、レナはゆっくりと蓋を開いた。

赤い機内灯に照らし出されたそれに、四人の視線が吸い込まれる。

 

「「「「…………」」」」

 

そこに収められていたのは、ひどく見覚えのあるものだった。

 

デジタル迷彩が施されたACU(アーミー・コンバット・ユニフォーム)

プレートキャリア。

そして――

 

黒とオリーブのツートンで角張った、金属じみた質感の完全密閉型ヘルメット。

 

「これは……」

 

インカム越しに聞こえるリノの声は、わずかに上擦っていた。

 

ケースに収められたヘルメット。

ただのヘルメットではない。

 

装着者の認識を捻じ曲げ、倫理のタガを外す。

それは装備ではなく――呪いだった。

 

『着替えろ』

 

クルーチーフの冷たい声が、赤く染まったキャビンに重く落ちる。

 

レナはケースからヘルメットを取り上げた。

備え付けられた無機質なセンサー類が、まるでレナの顔を見つめ返しているようだった。

 

(……俺は何も、変わっちゃいない)

 

前世で首に埋め込まれた逃亡防止用の首輪と、目の前のヘルメットが重なって見えた。

 

――LD-508。

 

自分一人なら、どれだけ使い潰されても構わない。

だが、隣にいる三人は違う。

彼女たちは、まだ真っ当な温もりを持った子供なのだ。

 

キャビンに並ぶ四つのヘルメットへ視線を落とす。

側面上部には、それぞれステンシル文字の識別コードが刻まれていた。

 

A-W1

A-W2

A-W3

A-W4

 

きっちり四人分。

偶然ではない。

急ごしらえでもない。

 

最初から、WOLFがこれを被る前提で用意されていた。

 

「……」

 

レナは無言で装備を手に取る。

三人に渡そうとしたところで、指が止まった。

 

本当は、渡したくなどない。

だがチケットは、もう切られている。

ここで手を止めたところで、何ひとつ変わらない。

 

エンジンの轟音に混じって、誰かの喉が鳴った。

それが自分のものか、それとも他の誰かのものか――レナには分からなかった。

 

ただ、ヘルメットを掴む自分の手だけが、やけに白く見えた。

 

装備を受け渡すたび、視界に灰色のノイズが走る。

ふいに、赤い機内灯が記憶の中の赤へと滲んだ。

 

赤く焼けた空。

残骸。

砂塵。

幼い声――。

 

『いいか……これを持て。敵戦車が来るまで、一人で穴に潜んでいろ』

 

『来たら撃てばいいの?』

 

『ああ、そうだ』

 

『いいよ! 任せて、隊長――!』

 

まだ声変わりすらしていない声だった。

 

「……隊長?」

 

耳元で響いたメイの声に、レナは弾かれたように顔を上げた。

 

灰色の視界が再び赤へ染まり、エンジンの低周波が徐々に耳へ戻ってくる。

 

「……なんでもない。さっさと着替えるぞ」

 

三人が黙って制服に手をかけた瞬間、レナは即座に顔を逸らした。

装備が擦れる音を背に、レナもコンバットジャケットを脱ぐ。

 

 

 

――

 

――

 

レナは三人の着替えに背を向けたまま、コックピットで淡い光を放つ計器類をぼんやりと見つめていた。

 

だが、指先だけは迷いなく動く。

 

素早くスカートとYシャツ、コンバットブーツを脱ぎ捨てる。

続いてACUに身を包み、痕跡偽装用の市販トレッキングシューズへ履き替えた。

 

プレートキャリアのモールに、マグポーチ、エントリー用ガジェット、各種装備を手際よく貼り付けていく。

セットアップが終わると、それを身に付け、ベルクロを引き絞って身体へ密着させた。

内部に仕込まれたセラミックプレートの硬さが、罪の重さのように感じられる。

 

その一連の動作に、もはや感情は伴っていない。

ただ、身体が記憶している手順をなぞるだけだ。

 

最後に白い髪を結い上げ、ヘルメットを手に取る。

その刹那――

 

――ピロン。

 

レナのスマホに、モモトークの場違いな着信音が鳴った。

 

ヘルメットを脇に抱え、スマホを手に取る。

画面が淡く光り、レナの顔を照らす。

 

ポップアップをタップした瞬間、表示された名前に指が止まった。

 

梔子ユメ――。

 

その名前だけで、赤く染まった機内の空気とは別の温度が、胸の奥へ差し込んでくる。

 

――

 

『最近、電話に出てくれないけど……どうしたの?』

 

――

 

レナは数秒、何も打てなかった。

今のレナにとって、その温もりは“毒”以外の何物でもない。

 

少しだけ迷い、素早く文字を打ち込む。

 

――

 

『すまない。任務が立て込んでてな』

 

『そっか。無理しないでね?』

 

『……あ! そうだ! 次の土曜日って休めたりする? ホシノちゃんと三人で、大オアシスに行こうよ! 探したい物があるの!』

 

――

 

レナの指先が固まる。

返事を打ちたくても、思うように動かない。

 

画面の明かりだけが、掌の中で虚しく冷えていく。

その土曜日まで、自分が“そちら側”に立っていられる保証など、どこにもないのだから。

 

――

 

『会長に問い合わせてみる』

 

『OK! 楽しみにしてるよ! おやすみ!』

 

――

 

親指が画面の上で止まる。

 

「……」

 

レナは返事を打たなかった。

いや――打てなかった。

 

画面の向こうにある土曜日が、ひどく遠くに見える。

やがてレナは、スマホの画面を伏せ、ヘルメットを手に取った。

 

「隊長。着替え終わりました」

 

後ろからリノの報告が上がる。

 

「……了解」

 

レナは短く応じ、スマホをポーチへ押し込んだ。

 

画面の向こう側には”日常”があった。

ユメがいて、ホシノがいて、青い日々があった。

 

そして、こちら側には無機質な装備がある。

赤く染まったキャビンにはリノ、スイ、メイの三人がいる。

 

赤い機内灯の下、三人はすでにデジタル迷彩に身を包んでいた。

消費されるだけの数値(Digital)――。

さっきまでの制服姿は消え、そこに座っているのは、どこの学園にも属さない“名無しの兵士”だった。

 

レナは三人に告げる。

 

「各員、ヘルメット装着」

 

自分自身に言い聞かせるように命じ、レナはヘルメットを被った。

続いて三人もヘルメットを被る。

 

側面のスイッチを押すと密閉音が響き、固定された。

 

視界に“会長印”と書かれたロゴが現れ、HUDの端に、システムロードのログが流れる。

 

ローディングが終わり、即座にオペレーティングシステムが起動する。

 

『Renegade System: STANDBY』

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

Renegade network: Synchronized.

F.C.S.: Online.

I.F.F.: Enabled.

Identity tags: Now visible.

 

三人の輪郭が青白く縁取られ、頭上に識別タグが表示される。

 

リノではない。

A-W2。

 

スイではない。

A-W3。

 

メイではない。

A-W4。

 

そして、視界下部に表示された自分自身のステータス欄には――

 

A-W1。

大上レナという名前は、どこにもなかった。

 

『Probability divergence: ENABLED』

『Anchor status: UNBOUND』

『Chain requirement: FIXED』

 

システムが起動完了した瞬間。

 

『A.N.O.R.A. Core: VALIDATED』

『Operator Link: ESTABLISHED』

『Neural Response: CONFIRMED』

 

[こんばんは――WOLF1]

 

それは会長の声だった。

 

いや――違う。

声色は同じでも、そこに“人”がいない。

 

まるで会長という人物の皮だけを被った、何か別のものが、頭蓋の内側から話しかけてきていた。

 

誰だ。

 

[認識応答を検知]

 

唇は動いていない。

声帯も震えていない。

それなのに、返事が来た。

 

[私は、A.N.O.R.A.]

A()utonomous N()eural O()peration & R()esponse A()dministrator]

[神経接続型・作戦応答管理AIです]

 

HUDの右下に、少女が表示された。

 

連邦生徒会長を幼く縮めたような姿。

だが、そこに笑みはない。

瞬きも、呼吸も、感情の揺らぎもない。

 

ただ無表情のまま、こちらを見ていた。

 

あのデフォルメ会長は、まだ人間味があった。

だが、この少女には何も無い。

 

アノラ?

その名を、頭の中で反芻する。

 

[呼称:アノラ]

[以後、当該呼称に応答します]

[現在、WOLF1のバイタルを確認中]

 

視界の端に、無数の数値が流れる。

 

心拍。

呼吸数。

瞳孔反応。

筋緊張。

神経伝達負荷。

 

自分の身体が、自分以外の何かに覗き込まれている。

 

[軽度のストレス反応を検出]

[作戦遂行に支障なし]

 

アノラ、勝手に診断をするな。

 

[了解。以後、不要な評価を抑制します]

 

だがアノラは、怒りも困惑も示さなかった。

そもそもAIなのだ。感情など備えてはいない。

 

違う……そういう意味じゃない。

 

[命令解釈不能]

 

その返答に、レナは奥歯を噛んだ。

 

会話は成立している。

だが、通じてはいない。

目の前にいるのは、人の言葉を使う機械だった。

 

……アノラ。お前は、部下のヘルメットにも搭載されているのか?

 

[否定――。現在、端末に常駐しているA.N.O.R.A.コアは、A-W1の本個体のみです]

 

(つまり、知っているのは……俺だけか)

 

[肯定]

 

「……」

 

考えが見透かされるのは不快だな。

 

[不快感の発生を検知]

[以後、応答頻度を低減します]

 

謝罪ではない。

調整だった。

 

『接続は完了したな?』

 

人形との会話のような何かを終えると、じっと待っていたクルーチーフの声が聞こえた。

 

『これより、任務の説明を行う。よろしいか?』

 

全員が機械のように頷く。

 

『……データを送信する』

 

クルーチーフはラップトップを取り出し、操作を始めた。

その瞬間、HUDに各種情報が浮かび上がった。

 

[目標施設:カイザー名義保護邸宅]

[確保対象:KISARAGI]

[推定位置:地下ラボ区画]

[優先目標:対象の確保]

[副次目標:記録媒体、研究端末、資料の回収]

 

[侵入経路:屋上]

[手段:ファストロープによる降下]

[推奨戦術:電源遮断後、低照度下制圧]

 

[送信された情報の整理]

[各員のHUDにも同様のデータを表示します]

 

アノラの声が途切れると同時に、レナの視界へ邸宅の立体図が展開された。

 

白い線で描かれた建物。

広い庭園。

屋上。

階段。

一階ホール。

地下へ続く通路。

そして最下層に、赤い枠で囲われた小部屋。

 

[対象は現在、外部との通話中です。逆探知で発信箇所を特定しました]

 

……地下室か。

 

アノラが即座に反応する。

 

[肯定]

 

敵の素性は?

 

HUDに追加の表示が現れる。

 

[カイザーPMC]

[推定敵性戦力:十二から十六]

[武装:巡回警備相当]

 

CIVILIAN(民間人)は?

 

[二名の非戦闘員、または施設職員の可能性]

 

クルーチーフが黒い武器ケースを引きずり出す。

 

『装備を確認しろ。時間がない』

 

レナは返事の代わりに、ケースのラッチへ手を掛けた。

 

ガチャリ、と重い音が鳴る。

 

蓋を開いた瞬間、黒い緩衝材の中に整然と収められた四丁のアサルトライフルと、強化プラスチック製マガジンが姿を現した。

 

ブラックとタンのツートンカラー。

民生ARを土台にしたシルエット。

角張ったレシーバーと、細身のフリーフロートハンドガード。

 

ホログラフィックサイト。

可倒式のバックアップサイト。

IRエイミングデバイス。

 

短いバレル。

太いサプレッサー。

 

近距離、暗所、そして消音を前提に組まれた――特殊作戦用のARだった。

 

レシーバー側面には、製造元を示す刻印が無い。

 

会長が用意したSanitized Weapon(出処不明の消毒済み兵器)

 

だが、レナの目は刻印ではなく、もっと別のものに吸い寄せられた。

 

エジェクションポートのダストカバー。

そこに、白文字で弾薬規格が刻まれていた。

 

――300 BLK。

 

「……」

 

指先が止まる。

 

(300 BLK……?)

 

キヴォトスには存在しない弾薬。

これは、正面から撃ち合うための弾ではない。

 

亜音速。

サプレッサーとの相性。

屋内戦での制圧力。

 

誰にも気付かれないための弾だ。

キヴォトスの大雑把な銃撃戦文化には、あまりにも異質な代物だった。

 

(何故……)

 

[疑念を検知]

 

黙れ。

 

[了解。以後、心理推定表示を抑制]

 

リノが横から銃を覗き込み、眉をひそめる。

 

「隊長……見たことのない弾薬ですね」

 

「……ああ」

 

「これも会長が作ったのでしょうか?」

 

「もしそうなら……奴は、一流のガンスミスだな」

 

スイがマガジンを一本持ち上げ、興味深そうに眺める。

 

「へぇ。ずんぐりしてるね。可愛い弾」

 

その言葉に、アノラが反応した。

 

[A-W1を中継ノードとして、全端末へ情報を配信]

 

全員の視界の端に、無機質な文字列が並ぶ。

 

[弾薬規格:7.62×35mm/300 AAC Blackout]

[弾種:亜音速弾]

[推定弾頭重量:220gr]

[初速:音速未満]

[推奨運用:短銃身/消音器併用/屋内戦闘]

[発砲音・発火炎・反響音を低減]

[近距離における制圧効果:良好]

[貫通過多の危険:中]

[有効交戦距離:屋内および近距離戦闘に限定]

 

(……この説明文、誰の知識を基にしている)

 

キヴォトスに無いはずの規格。

だというのに、アノラは最初から知っている。

まるで、最初から“こちら側”の知識として登録されていたかのように。

 

[エラー、情報へのアクセス権限がありません]

 

「……」

 

レナが沈黙する横で、メイはケースの中から一丁を取り上げた。

タワーシールドとショットガンを扱う彼女の手には、少し小ぶりに見える。

 

「要するに……」

 

メイはチャージングハンドルを数回引いて、パーツの噛み合わせをチェックする。

 

動作は非常に滑らかだった。

 

「……静かにやれってこと?」

 

その声にいつもの軽さはなかった。

 

レナは一拍遅れて応じる。

 

「……そういうことだ」

 

全員がARを手に取る。

ケースからマガジンを掴み取り、素早くマグポーチに押し込んでいる中、無線に機長の声が流れた。

 

『エンバー46よりA-W各員。ETA、Five Mike(到着予定時刻まで5分)。装備確認を完了しろ』

 

頷いたクルーチーフは立ち上がり、声を張り上げた。

 

ASH LINE(灰燼線).Weapons check(武器点検). Lock and load(装填して待機しろ)!」

 

クルーチーフが四人を一瞥し、短く命じた。

 

「アッシュライン?」

 

リノが首を傾げる。

 

その問いに、クルーチーフは感情のない声で答えた。

 

『共通語にすれば――灰燼線だ。

火にもなれず、灰にも還れない残り火……』

 

一拍。

 

『本来、私たちに正式名称は無い。

呼び名が無ければ不便だから、勝手にそう呼んでいるだけだ。

――さあ!動け!』

 

クルーチーフの号令に合わせ、四人は一斉にARへマガジンを叩き込み、ボルトを前進させた。

キャビン内に、冷たい金属音が重なる。

 

セーフティを確認し、スリングベルトを身体に固定する。

 

キャビンドアから見える景色は急速に移り変わり、徐々に高度を下げる。

 

D.U.のビル群は次第に数を減らし、ぽつぽつと点在する高級住宅街が遠方に見えた。

 

One Mike(1分)!』

 

機内通信に機長の声が響くと同時に、クルーチーフが人差し指を立ててキャビン全体へ見せた。

 

レナたちは頷き、一斉に人差し指を立てて返す。

それを確認したクルーチーフは再びNVGを降ろし、怒声に近い声を上げる。

 

「スタンバイ、NVG起動! ベルトを外せ!」

 

[ナイトビジョンモードを起動]

 

視界が急激に光を取り戻し、世界に色が戻る。

続いて、シートベルトのバックルを叩くように外した。

三人もそれに倣い、静かに立ち上がる。

 

Thirty Seconds(30秒)!』

 

オレンジ色の街灯が、規則正しく並ぶ道路。

ゴミ一つない、綺麗な歩道。

離れた道路に、疎らに走っている高級車。

整えられた植木に、大きな住宅街。

 

目標となる邸宅の屋上が、暗闇の中から黒いシルエットとなって迫ってくる。

機体の機首が一気に上がり、強烈なGとダウンウォッシュが吹き荒れる。

 

Over target.Holding hover(目標上空、ホバリング維持)

 

機体がピタリと空中で停止する。

その報告を聞くや否や、クルーチーフは身を乗り出し、開け放たれたドアの下方――

 

邸宅の屋上を視認する。

障害物がないことを確認すると、彼女は足元に束ねられていた極太のファストロープを、無造作に機外へと蹴り落とした。

 

Ropes(ロープ投下)!」

 

重力に従って落下したロープが、屋上のコンクリートを打ち据える。

クルーチーフは風圧に耐えながら振り返り、レナを鋭く指差した。

 

Move up(寄れ)!」

 

レナは無言のままドアの縁へ歩み寄り、厚手のタクティカルグローブ越しにロープを両手で強く握り込む。

そのすぐ背後にメイ、リノとスイが同じように取り付く。

エンジンの轟音とブレードの風切り音が、全身を激しく揺さぶっていた。

 

クルーチーフが再び身を乗り出し、ロープの先端が確実に屋上へ着地していることを確認する。

そして、レナの背中に手を回し――その肩を、力強く叩いた。

 

機内灯が赤から、緑に切り替わる。

 

Green Light(降下よし)!――GO!GO!GO!』

 

レナは飛び出すようにロープへしがみつき、夜の闇へと身を投げ出した。





アノラはアロナとプラナの間の子のようなイメージです(感情は未搭載)
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