白狼救済録   作:らんらん出荷マン

49 / 50


青春要素、どこ……?どこ……?




第38話 襲影

 

 

レナは太いファストロープを両手で掴み、キャビンの縁から身を投げ出した。

 

厚手のタクティカルグローブが、繊維のざらつきを噛む。

ブーツの靴底でロープを挟み込み、落下速度を殺しながら、闇の底へ一気に滑り降りる。

 

屋上が迫る――。

 

着地。

 

衝撃を膝で逃がし、レナは即座にロープから離れた。

片膝をついた姿勢のまま、ARの銃口を階段室へ振り上げる。

 

視界は、夜のただ中にありながら“色”に満ちていた。

 

ヘルメットが微かな光を拾い、増幅し、処理する。

コンクリートの灰色。

配管に浮いた錆色。

屋上フェンスの剥げた塗装。

 

そのすべてが、夜から闇だけを剥ぎ取ったかのように、鮮明な情報となって網膜へ叩き込まれていた。

 

遅れて、頭上から三つの影が降ってくる。

 

青白い識別タグが、視界の端に順に灯った。

 

A-W2。

A-W3。

A-W4。

 

Renegade Systemの補正が、互いのヘイローを視界から塗り潰していた。

見えるのは名前ではない。

個人でもない。

青白い輪郭と、識別タグだけ。

 

A-W(アルファ・ウィスキー)各員、屋上到達を確認』

 

ヘルメットを介したクリアな通信に、クルーチーフの冷えた声が響く。

 

『エンバー46、これより離脱する。Good hunting(良い狩りを)

 

直後、ターボシャフトの唸りとローターの風切り音が、急速に遠ざかっていった。

クルーチーフがロープを素早く機内へ引き込み、ブラックホークはナビゲーションライトひとつ灯さぬまま、D.U.の夜へ溶けるように消える。

 

残されたのは、耳の奥にこびりつく低い振動と――

虫の音すら聞こえない、異様な静寂だけだった。

 

[エンバー46より共有された直近の機上観測データ、および現在の外壁熱分布を統合]

[邸宅内、複数の熱源反応を検知]

 

アノラの声が、頭蓋の内側へ直接流れ込む。

 

[屋上方向への音源移動を検出]

[降下音を捕捉された可能性あり]

 

レナは舌打ちにも満たない息を吐き、階段室へ視線を向けた。

 

[推奨行動:外部配電盤の無力化]

[次段階:階段室の確保]

 

言われなくても分かっている。

 

――配電盤の位置を送れ。

 

レナは立ち上がり、片手で前進のサインを出した。

 

[ルート構築完了]

[主配電盤、および非常用給電系統の外部遮断盤への移動経路を表示]

 

レナは即座に通信で指示を飛ばす。

 

「WOLF3、配電盤の位置情報を送る。主系統と予備系統、両方だ。すべて落とせ」

 

スイのHUDにウェイポイント(目標地点)が表示された。

 

「……ウィルコ」

 

スイは振り返らず、返事だけを残した。

腰のポーチから短距離ラペル用のラインを引き抜き、屋上設備の基部にスリングを回す。

カラビナを噛ませ、一度だけ全体重を預けた。

 

アンカーの強度。

ラインの張り。

降下角。

 

そのすべてを、一瞬で確認する。

 

次の瞬間、小柄な身体は迷いなくパラペット(胸壁)を越えた。

 

スイは下を見ない。

速度を殺しすぎることもなく、外壁を滑るように降下していく。

その輪郭は数秒で屋上の縁から消え、夜の暗がりに呑まれた。

 

 

 

 

――

 

――

 

スイが降りた直後、屋上階段室の向こう側で、微かな駆動音が聞こえた。

 

一体ではない。

二――いや、三。

 

[敵性反応:三]

[接近中]

 

アノラの声は、まるで天気を告げるように平坦だった。

 

「WOLF2、4。スタックアップ(突入待機)

 

光が漏れるドアの左右へ、三人は音もなく張り付く。

 

撃つには、まだ早い。

 

銃声は、邸宅全体に侵入を告げる鐘になる。

この段階で必要なのは、排除ではなく沈黙だった。

 

レナは背中からブリーチングアックスを引き抜いた。

 

「……スタンバイ。指示を出すまで撃つな」

 

「イエスマム」

「了解」

 

ドアの向こうから声が聞こえる。

 

「クソッ……どこのどいつだ」

 

「気をつけろ。何が潜んでいるか分からん。

おい……ドアを開けろ」

 

「了解……」

 

声には緊張が混じっていた。

その奥では、駆動系の低い唸りと、光学センサーの調整音がかすかに鳴っている。

 

「……スタンバイ」

 

レナは一度だけアックスを握り直し、身を低くした。

 

ドアがゆっくりと開く。

隙間から、アサルトライフルの銃口が突き出した。

 

レナはその銃身を掴み、力任せに引きずり出す。

 

「うわっ……!?」

 

警備員の体勢が崩れた瞬間、レナはアックスを振りかぶった。

 

刃が、首元の装甲板と胴体の隙間へ沈む。

 

金属が裂ける鈍い音。

続いて、内部ケーブルが叩き切られる乾いた破断音。

光学レンズが一瞬だけ明滅し、警備員の駆動音が途切れる。

 

戦闘機能が落ちた。

 

(まず一人……)

 

レナはアックスを引き抜き、階段室へ飛び込んだ。

残りの二体もアサルトライフルを携行していた。

 

狭い階段室。

長い銃は、牙ではなく枷になる。

 

レナは深く踏み込み、一気に距離を詰めた。

 

「何だ!?」

 

「クソッ!」

 

二体が銃口を向けようとする。

 

――遅い。

 

レナはアックスを頭部へ振り下ろした。

 

「あッ――!」

 

刃が光学レンズを叩き割る。

レナは即座に引き抜き、その身体を後ろの一体へ蹴り飛ばした。

 

「ぐっ……!」

 

二体は縺れるように踊り場へ倒れ込む。

 

レナはその上へ飛び乗り、まだ無傷の一体へ向け――

 

アックスを真横に振り抜いた。

 

「がぁッ!」

 

金属の外装が歪み、光学センサーが砕ける。

そのまま勢いを殺さず、レナはレンズを割られた一体の胸部へアックスを振り下ろした。

 

「ッ――!」

 

血は流れない。

 

だが、機能が落ちる直前に漏れた声だけは、人間のそれと何も変わらなかった。

 

痛みとも、恐怖ともつかない短い声。

それがただの機械音ではないことを、レナは知っている。

 

知っていてなお、手は止めなかった。

 

今ここで迷えば、次に倒れるのは仲間だ。

 

レナは装甲の継ぎ目からアックスを引き抜いた。

その直後、頭の内側へ通信が入る。

 

「こちらWOLF3。配電盤に到達」

 

スイの声が短く響く。

 

「了解。こちらは階段室を確保中」

 

レナは振り返り、ハンドサインを出した。

 

それを見たメイとリノが階段室へ踏み込む。

倒れた警備員の頭部を踏み越え、踊り場の奥へ銃口を向けた。

 

「いいぞ。落とせ」

 

「ウィルコ――3、2、1……EXECUTE(実行)

 

次の瞬間、邸宅全体の灯りが一斉に死んだ。

 

窓から漏れていた暖色の明かりが消える。

廊下の照明も、壁面のセンサー灯も、監視カメラのステータスランプも、ひとつ残らず闇へ沈む。

 

非常灯さえ点かなかった。

 

アノラが示した通り、主系統と予備系統は同時に沈黙していた。

 

 

 

――

 

――カイザー名義保護邸宅・地下ラボ。

 

「ですから、第二工場の件は私の責任ではありません!」

 

キサラギ技術主任は、両手をデスクに叩きつけ、通信端末へ向かって声を荒げていた。

 

地下ラボの壁面には、各種実験データ、生産計画、タグ付けされた試作品の管理画面が並んでいる。

 

反応剤の保管温度。

搬送ログ。

試験時の燃焼曲線。

外部協力機関との接続記録。

 

昨日までは、それらすべてが彼の成果だった。

彼の権限であり、彼の価値を証明する数字だった。

 

だが、今となっては――

そのすべてが、自分の首に絡みつく鎖へ変わっていた。

 

『SRTのガサ入れは、覆りようのない事実だ』

 

端末の向こうから返ってきた声は、ひどく冷たかった。

 

本社の管理部門。

いや、正確にはその奥にいる誰か。

 

キサラギはそれを理解していた。

画面越しに話している相手は、ただの管理担当ではない。

彼の弁明を聞く者ではなく、彼を切るか残すかを判断する側の者だった。

 

『いいかね、キサラギ君。

責任の所在を問うているのではない。我々が確認しているのは、マニュアルに定められた通り、機密情報を管理していたのかという一点だ』

 

「流出などしていません! 私はすべて規定通りに――」

 

『第二工場も、規定通りだったのかね?』

 

「そ、それは……」

 

言葉が詰まる。

 

第二工場はSRTの連中に押さえられた。

緊急命令で常駐の警備員が、記録媒体の破壊を試みたはずだった。

 

だが、現場は封鎖され、関係資料の一部は回収された。

SRTがどこまで掴んだのか、キサラギにも分からない。

 

分からないことが、何より恐ろしかった。

 

『SRTは取材で、“匿名からの情報提供”があったと言ったそうだ。

まあ、それに関しては欺瞞工作かもしれんがね』

 

「まさか……私が情報を流したとでも仰るのですか!?」

 

『キサラギ君。口が過ぎるぞ?

……君の弁明は後で聞こう』

 

「も、申し訳ありません。ですが、しかし――」

 

『今は責任追及よりも、情報の保全が最優先だ』

 

端末越しの声が、わずかに低くなる。

 

『地下ラボ内の研究記録、試験データ、搬送ログ、開発端末、紙媒体の資料。

持ち出せるものは全てまとめ、本社まで持ってきたまえ』

 

「……本社へ、ですか?」

 

『当然だ。……現地で消せる情報は、消せるだけ消した。だが、第二工場はすでに押さえられた。

こうなった以上、関連情報を外部拠点に残すわけにもいかない』

 

一拍。

 

『移動記録は最小限に抑えたまえ。護衛のPMCを大きく動かせば、君の所在地がバレかねない。

今は、目立たないことが最優先だ』

 

「承知しました。すぐに準備を――」

 

『それと、キサラギ君』

 

「……はい」

 

『君自身は、必ず戻りたまえ。

プロジェクトリーダーの君は、我が社の重要な“資産”だ』

 

「……」

 

資産。

 

その言葉に、キサラギは息を呑んだ。

 

評価されているのか。

保護されているのか。

 

それとも――

処分のために確保されようとしているのか。

 

キサラギには判断できなかった。

 

『私は君を買っている。

チャンスをやろう』

 

「……ありがとうございます」

 

キサラギは深く頭を下げた。

 

通信が切れる。

 

地下ラボに、冷却装置の低い唸りだけが残った。

 

キサラギは数秒だけ動かなかった。

それから弾かれたように顔を上げ、資料室へ駆け寄る。

 

研究記録。

試験データ。

搬送ログ。

開発端末。

紙媒体の資料。

 

本社に戻るために必要なものを、片端からまとめていく。

 

彼は知る由もない。

 

その行動ひとつひとつが、外から見ればどう映るのかを。

 

重要資料を抱え、地下ラボから姿を消そうとする技術主任。

それが“逃亡”に見えることを。

 

そして、その誤解こそが、すでに誰かの手で用意された盤面であることを。

 

「……何故……どうしてだ」

 

関節部のサーボが、わずかに異音を立てた。

焦りで出力制御が乱れている。

震えた手でまとめた書類を鷲掴みにし、ブリーフケースへ限界まで詰め込もうとした直後――

 

ラボ全体の照明が落ちた。

 

「な、なんだ!? 停電!?」

 

キサラギは反射的に天井を見上げた。

空調も、冷却装置も、端末の待機音も消えている。

 

予備電源の起動音が聞こえない。

非常灯も点かない。

 

明らかに、ただの停電ではなかった。

 

「非常灯は!? 予備電源はどうした!?」

 

スマホを取り出し、LEDライトを点灯させる。

 

「よりによって、こんな時に……」

 

 

 

――

 

――階段室。

 

下階から、怒号が聞こえた。

 

「非常灯はどうした!」

「監視カメラ、全部落ちています!」

「屋上に行った奴らはどうした!?」

 

レナは無言で、階段下の闇へ銃口を落とした。

 

「……WOLF4、先導しろ」

 

「イエスマム」

 

メイは前に出ると階段手前で立ち止まり、手摺りの隙間から見える下層へARの銃口を向けた。

 

その背中に、レナが隙間なく張り付く。

リノもそれに続いた。

 

「WOLF3……これより、屋上階から二階へ下降する。お前は外から一階を監視しろ」

 

すぐさまスイから応答が入る。

 

「アイコピー……。

うーん……庭中央の花壇が死角になってる。そこから監視するよ」

 

「WOLF1了解……。

よし、前進だ」

 

メイの背中に、レナの左手が添えられる。

さらにレナの背へ、リノの手が触れた。

 

メイは一度だけ頷くと、ゆっくり片足を下ろす。

後ろの二人も、まったく同じ歩調で続いた。

 

一つの生き物のように、三つの影が連動する。

 

暗闇の階段。

 

その先の踊り場には遮蔽物がない。

階下からも、廊下からも、角の向こうからも撃たれる。

CQB(近接戦闘)では、そういう場所をフェイタル・ファンネル(致命的な漏斗)と呼ぶ。

 

サプレッサーが装着されたARから、肉眼では見えないIRレーザーが伸びている。

その光線がRenegadeのHUDに青白い線として浮かび上がり、音もなく闇を撫で回していた。

 

メイは階段下へレーザーを向ける。

後ろのレナは、メイの肩越しに、手摺りから見える斜め下をカバーする。

リノはどちらにも向けられるよう、ARをハイレディ(上段待機)で保持して続いた。

 

一段。

二段。

 

ゆっくりと。

音を立てずに。

下の階へ、確実に進む。

 

[廊下の奥より音源を検出。こちらに接近中]

 

アノラから音響データが送られ、HUDに発信源が強調表示される。

 

踊り場の辺りに、二本のIRレーザーが向けられた。

 

「このまま降りて、角で待つ」

 

レナは唇を僅かに動かし、ヘルメット内通信にだけ声を流した。

 

メイは無言のまま、一歩を踏み出した。

 

徐々に近付いてくる足音。

 

[敵性反応:二]

[距離2m]

 

続いて、声。

 

「屋上に行った奴らから連絡がない……」

 

「この暗闇だ……気を付けろよ」

 

角から伸びるフラッシュライトの光芒。

二階の踊り場に出た三人は、角に身を潜め、銃口を向けた。

 

[接敵まで5秒]

 

レナは呼吸を止めた。

 

フラッシュライトの白い光が、踊り場の壁を舐める。

だが、その光は三人の姿を捉えない。

 

暗闇の中で、見えているのはWOLFだけだった。

 

次の瞬間、ライフルのフラッシュライトで走査しながら、二体の警備員が角から出てくる。

 

即座に二本のIRレーザーが、それぞれ別の胸部を捉えた。

 

同時に二発ずつ。

 

パス――パスッ。

パス――パスッ。

 

警備員の身体が後ろへ揺れる。

 

その反動が戻り切るより早く、照準が頭部へ跳ね上がった。

 

さらに一発ずつ。

 

パスッ。

パスッ。

 

抑え込まれた発射音のあとに、ボルトの乾いた作動音だけが響く。

飛び出した六つの薬莢が、踊り場の硬い床を跳ねた。

 

二体の警備員は声を上げることもなく、戦闘機能を落として崩れ落ちた。

 

再起動の余地を潰すため、さらに頭部へ一発ずつ撃ち込む。

 

パスッ。

パスッ。

 

薬莢が鈍い音を立て、二つ転がった。

 

タンゴダウン(敵無力化)

 

無力化したことを確信し、メイは廊下に銃口を向ける。

 

パイを切るように――

段階的に角の向こうを素早く、けれど慎重に確認する。

 

「クリア」

 

メイは一気に飛び出し、後ろの二人も同じように続く。

メイとレナは廊下の左右に広がった。

レナの背後に張り付いたリノは振り返り、後方を警戒する。

 

「ムーブ」

 

レナは右手を上げ、前進のハンドサインを送った。

 

廊下を少し進むと、ドアが二枚、向かい合わせに鎮座している。

どちらも閉じており、脅威の有無を確認する必要があった。

 

[左室内、音響反応一]

[右室内、反応なし]

 

アノラが無機質に告げる。

 

「左を見る。WOLF4、スタックアップ」

 

「イエスマム」

 

「WOLF2、廊下を見張れ」

 

「了解」

 

メイが左のドア脇に張り付き、レナはその反対側に立つ。

リノは背後へ下がり、右側のドアと廊下奥を同時に警戒した。

 

レナはドアノブへ手を伸ばす。

鍵は掛かっていない。

 

ゆっくりと、音を抑えながら開けた。

 

中は暗い。

だがHUDには、床に伏せるように縮こまった人影が浮かび上がっている。

 

スーツ姿。

非武装。

 

武器も、防弾装備もない。

施設職員か、あるいは管理用のロボット住人。

 

[非戦闘員を確認。拘束を推奨]

 

アノラの冷徹な提案が上がる。

 

「……動くな」

 

レナは短く告げ、銃口を下げすぎないまま室内へ踏み込んだ。

 

「ひぃ……! う、撃たないで! 私は、ただの事務員だ!」

 

「黙れ……声を上げるな。抵抗しなければ何もしない」

 

レナの抑揚のない言葉に、事務員は息を呑み、声を殺した。

 

「いいか、部屋から出るな。すぐに終わる」

 

彼はしきりに頷き、震えた両手を上げた。

 

レナは机上の通信端末を一瞥し、ケーブルを引き抜いた。

ついでに、事務員の手元からスマホを奪い、床へ落として踏み潰す。

 

「あ……あぁ……まだローンがあるのに……」

 

「……次だ。隣を見るぞ」

 

「イエスマム」

 

項垂れる事務員を背に部屋を出ると、レナはドアを閉め、ポーチから小さな器具を取り出した。

 

[放置は推奨しません]

 

分かっている。

 

レナはそれをドア下の隙間へ押し込み、床との間に噛ませた。

 

ドアジャマー(扉固定具)だ。

これでいい。

 

[…………]

 

アノラは何も答えなかった。

 

肯定も、否定もない。

ただ、レナの判断を記録した。

 

――観測対象の逸脱として。

 

 

 

――

 

――

 

左右の部屋の確認を終えたレナたちは、隊列を組み直す。

 

三人の視線の先――

続く廊下の暗闇は、一段と深い。

 

「ムーブ」

 

レナの指示で、再び静かに前へ進む。

 

壁際に並ぶ絵画。

点々と置かれた調度品。

汚れ一つないレッドカーペット。

 

昼間ならば、富と安全を誇示するための装飾だったのだろう。

 

だが、今は違う。

 

曲がり角に掛けられた絵画の額縁は、死角を延長する突起物。

壺や飾り棚は、身を潜められる遮蔽物。

柔らかな絨毯は、薬莢の音を吸い込む都合のいい床材。

 

富を象徴するそれらは、今や近接戦闘の戦術要素に成り下がっていた。

 

[進行方向、一階へ続く階段を確認]

[正面廊下4m先。右折]

[複数の音響反応を検出]

 

アノラの声が、淡々と情報を更新する。

 

その直後。

 

角手前の通路から、一体の警備員が壁に手を伝いながら出てきた。

 

「クソ、どうなっている……」

 

照明の類いを持っていないのか、悪態をつきながら、レナたちの方向へ足を向ける。

 

コンタクト(接敵)……」

 

警備員がこちらに気づく前に、メイが一歩踏み込んだ。

 

「誰だ……?」

 

声を上げる前に、銃口が胸部と頭部を順に捉える。

極限まで抑えられた発砲音。

 

「……ッ!!」

 

そして、倒れる金属音だけが廊下に響いた。

 

「……クリア。前進」

 

三人は再び進み、廊下に倒れた警備員を跨ぐ。

 

――アノラ、残りは幾つだ。

 

[周囲の音源を計測……]

[推定:七体]

[曲がり角の先に二体、一階に五体]

[地下階層は計測不可]

[全容不明。警戒を推奨]

 

HUDに残敵数とUnknownのログが浮き出た直後。

 

「おい! 何か音がしたぞ!」

 

[警告。捕捉されました]

 

――ここからは、スピード勝負だ。

 

レナはメイの背中を二度叩き、戦闘開始の合図を出す。

 

メイは迷わずARを構え、角を飛び出した。

 

暗闇の向こう。

一階へ続く踊り場に、フラッシュライトを向けようとしている二体の警備員がいた。

 

「敵襲――!」

 

一体が叫びを上げ、白光がレナたちを暗闇から浮かび上がらせる。

 

「……エンゲージ(交戦開始)

 

冷たく告げたレナが、メイの左へ飛び出す。

リノはメイの背中に張り付くように続いた。

 

強烈なフラッシュライトの白光が、レナの視界を白く染め上げようとする。

だが、ヘルメットのセンサーが瞬時に自動減光――オートゲートを作動させ、網膜へのダメージを遮断した。

 

通常のNVG(暗視装置)であれば、強光による目潰しは有効だ。

だが、レナたちの装備は違う。

 

光の帯は、脅威ではない。

 

むしろ暗闇において自ら光源を掲げる行為は、己の急所を晒す自殺行為に等しい。

 

パスッ――。

 

サプレッサー内部で燃焼ガスが抑え込まれる、鈍い打撃音。

放たれた300BLK弾(亜音速大口径弾)が、眩い光源の根元――警備員の胸部へ吸い込まれる。

 

続けて、頭部。

 

「ぐあッ――!」

 

「うッ!」

 

二体の警備員が、同時に崩れ落ちた。

 

手放されたライフルが床を転がる。

フラッシュライトの白い光の円が、廊下の壁と天井を舐め、やがて倒れた警備員の腕に引っ掛かった。

 

レナはその光源へ一瞬だけ視線を落とし、すぐに銃口を一階に続く踊り場へ向ける。

 

「スタックアップ――

WOLF2。”9-BANG”、スタンバイ」

 

「了解」

 

リノは腰のポーチから円筒形の投擲弾を引き抜いた。

 

通常のフラッシュバンではない。

閃光と爆音を、短い間隔で連続発生させる制圧用の多段式音響弾。

 

「WOLF3。これより一階へ9-BANGを投擲する。起爆と同時に玄関からエントリー(突入)だ」

 

「ウィルコ……玄関前へ移動」

 

一階から複数の怒号が響く。

 

「何の音だ!?」

「サプレッサーだ! 警戒態勢!」

「上の奴らはどうした! 無線に応じないぞ!?」

 

リノが9-BANGの安全ピンに指を掛ける。

 

スイから通信が入った。

 

「こちらWOLF3、玄関前で待機中」

 

スイは背中から短銃身のブリーチングショットガンを引き抜き、玄関の重厚な両開き扉のロックへ銃口を押し当てた。

 

「了解……そのまま待て」

 

その瞬間、アノラの警告が割り込んだ。

 

[警告]

[一階フロアに、非戦闘員を検出]

[音源から予測位置をマーク]

[位置情報をアップロードします]

 

非戦闘員の予測位置が、HUD上へ表示された。

 

床を這うように進んでいる人型の輪郭が、障害物越しに浮かび上がっていた。

 

「……! ホールド……非戦闘員がいる」

 

レナの声は、ほとんど反射だった。

 

「……ッ!」

 

リノの指が、安全ピンを引き抜く直前で止まる。

 

[対象は低姿勢で移動中]

[識別:非武装]

[推定:施設職員、または清掃員]

[9-BANGの制圧範囲]

 

レナは一瞬だけ、迷った。

 

止めれば、作戦の速度が死ぬ。

進めば、非戦闘員を巻き込む。

 

どちらを選んでも、綺麗では済まない。

 

「……投げろ」

 

「……了解」

 

それが最善ではないことは分かっている。

だが、今ここで踏み留まる猶予はない。

 

[非戦闘員の副次被害を許容]

[作戦継続を優先]

 

アノラの声が冷たく最適解を突きつけた。

 

直後、一階から怒号が近づく。

 

「階段だ! 階段を見張れ!」

「ライトで照らせ!」

「前へ出ろ!」

 

暗闇の奥で、複数のフラッシュライトが揺れた。

白い光の線が、階段の壁を乱暴に舐める。

 

「フラッシュアウト」

 

リノはピンを引き抜き、壁に向かって9-BANGを投げつけた。

瞬時に安全レバーが弾け、ストライカーが信管を叩く。

 

円筒が階段の壁に反射し、一階ホールへ転がり落ちた。

 

「なッ!?――」

 

警備員の叫びが、鼓膜を殴りつける爆音と閃光に塗り潰された。

 

バンッ! バンッ! バンッ! バンッ!

 

半秒の間隔で連続する強烈な炸裂。

 

「ぐあ!」

「クソッ!」

 

バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! バンッ!

 

さらに五度。

絶え間ない爆発が、一階ホールを内側から叩き潰した。

 

暗闇に慣れ始めていた警備員たちの光学センサーは焼かれ、平衡感覚を奪われた体が次々と膝をつく。

 

「突入――!」

 

炸裂の直後、ショットガンの銃声が響く。

 

――ドォン!

 

ブリーチング用のフランジブル弾(破砕性弾)が、ドアノブのロック機構を物理的に粉砕する。

 

「――WOLF3、エントリー」

 

硝煙と粉塵が舞う中、スイは片足でドアを蹴り飛ばし、中へ飛び込む。

 

それに一拍遅れたタイミングで、踊り場の三人が階段から一階へ雪崩れ込んだ。

 

玄関からのスイ。

階段からのレナ、メイ、リノ。

 

Renegadeのデータリンクによって全員の位置情報が共有され、それぞれが最適の射界を取る。

射線が重ならない位置へ展開し、ホール内の人影を区画ごとに切り分けていく。

 

HUD上に、床際に伏せた黄色の輪郭が映る。

 

非戦闘員。

 

レナの銃口は、黄色の輪郭だけを避けて、敵性反応を正確に撃ち抜く。

メイとリノの射線も、同じように黄色の輪郭を外していた。

 

パスッ。

パスッ。

パスッ。

 

抑え込まれた銃声が、暗いホールに小気味よく刻まれる。

 

HUD上の赤い輪郭が一つ、また一つ、灰色へ変わっていく。

 

警備員たちは室内で増幅された9-BANGの爆音と、眩い閃光に反応を奪われ、銃を構えるのが精一杯だった。

 

「ぐッ……速い!」

「反撃し――」

 

声は、途中で断ち切られる。

 

胸部――。

頭部――。

 

胸部――。

頭部――。

 

決まった拍子で。

決まった弾数で。

確実に刈り取っていく。

 

最後に残った一体が撃ち抜かれた。

硝煙が立ち込める中、弾き出された薬莢が微かな音を立てて転がる。

 

そして、一階ホールに再び暗闇と静寂が落ちた。

 

「左クリア」

 

「右クリア」

 

「……フロアクリア」

 

レナは銃口を下げず、ホール内を素早く見渡した。

破壊されたドアのそばで、スイが周囲を警戒している。

HUD上の赤い輪郭は、すべて灰色に沈んでいた。

 

「……」

 

黄色く縁取られた清掃員と思しきロボットの住人は、その場に蹲り、小刻みに震えていた。

 

[非戦闘員の反応低下を検知]

[スキャン中……]

[負傷箇所:無し]

 

アノラの報告は、どこまでもフラットだった。

 

外傷はない。

だが、無傷とも言えなかった。

 

9-BANGの範囲内にいたのだ。

その聴覚・視覚に、甚大なショックを与えたはずだった。

 

[屋上階、一階、二階の制圧を確認]

[地下階層、未制圧]

 

レナは黄色の輪郭を一瞥し、一瞬だけ足を止めた。

 

助け起こす時間はない。

 

「各員……マグチェンジ(弾倉交換)だ」

 

指示を受けた三人はポーチから新しいマガジンを引き抜き、銃に刺さった使いかけのマガジンとL字に重ねて保持する。

マグキャッチを弾き、一動作で装填を入れ替え、古いマガジンをダンプポーチ(空弾倉入れ)へ落とした。

 

HUDの残弾表示が更新される。

 

[地下階層への進入経路を表示]

[経路:一階西側廊下奥、業務用階段]

[地下ラボ区画まで推定距離:18メートル]

 

「地下へ向かう」

 

レナは短く告げた。

 

三人は無言で頷き、素早く隊列を組む。

四人はラボに続く廊下の暗闇を見据え、ゆっくりと進み出した。

 

 

 

――

 

――

 

地下へ続く業務用階段は、邸宅の西側廊下の奥にあった。

 

重厚な絨毯も、壁に掛けられた絵画も、そこから先には続いていない。

代わりに、打ちっ放しの冷たいコンクリートが剥き出しになっていた。

 

[地下階層への入口を確認]

[扉:電子ロック式]

[電源喪失により、ロック機構はフェイルセキュア(異常時施錠維持)状態へ移行]

 

階段の手前には、無骨な金属扉が鎮座していた。

表の邸宅には似つかわしくない、工場や研究施設で使われるような防火扉だ。

 

表面には装飾ひとつなく、壁面には暗証番号を打つ端末だけが埋め込まれている。

 

「WOLF3、ブリーチングチャージ(扉破壊用爆薬)をセット」

 

「ウィルコ」

 

スイはバックパックから帯状の指向性爆薬と起爆装置を引き出す。

閉鎖空間でのオーバープレッシャー(爆風の跳ね返り)を計算し、必要最小限の薬量を見極める。

 

彼女は手際よく粘着テープを剥がし、爆薬を貼り付けた。

 

「セット完了。起爆線よし」

 

スイは一歩下がり、起爆装置を握ったまま扉から距離を取った。

 

全員が物陰へ下がり、壁に肩を預ける。

ヘルメットの聴覚保護が自動で感度を絞り、衝撃波警告が走った。

 

HUD上に、扉の向こう側の推定構造が薄い線で描き出される。

 

短い通路。

左右に小部屋。

奥にもう一枚の扉。

その先がラボ。

 

[音響反応を検出]

[複数の足音]

[扉の裏、三体]

 

三つ……技術主任か、戦闘員か、判断できるか?

 

[計測中……]

[……不明]

[判別不可]

 

下手をすれば、吹き飛ばしてしまうな。

 

[優先目標は、対象の確保]

 

何……?

 

レナの呟きが、ヘルメットの内側で落ちる。

 

[繰り返します]

[優先目標は、対象の確保]

[完全性は、必須条件ではありません]

 

生きていようが。

壊れていようが。

運べる形で残っていれば、それでいい。

 

アノラは、そう言っている。

 

それはかつて、兵をすり潰してきた大人たちの論理そのものだった。

 

そして今は連邦生徒会長の皮を被った人形が、レナの頭蓋の内側に居座り、その論理を振りかざしている。

 

「……」

 

直後、レナのヘルメットに通信が割り込んだ。

 

『WOLF1、こちらエンバー46。Joker Fuel(帰投限界燃料到達直前)Bingo(撤退限界)まで、あと10 mikes(10分)。長居はできない』

 

空からのタイムリミットが、容赦なく背中を叩く。

 

扉の向こう側にいる三つの反応。

目の前にいる三人の部下。

そして、会長の意図が透けて見える盤面。

 

「吹き飛ばせ」

 

普段なら、決して下さない命令だった。

少なくとも、扉の裏に何がいるか分からない状況では。

 

「……ウィルコ」

 

スイは一瞬だけ黙り、起爆装置を握り込んだ。

 

カチ――カチ――!

 

次の瞬間、空間が弾けた。

 

爆音と衝撃波が通路を走り抜ける。

床が震え、周囲のコンクリートから粉塵が舞った。

 

扉が爆風で吹き飛び、突破口が開く。

 

[破壊を確認]

[敵性反応検知]

 

レナはフラッシュバンのピンを抜き、煙に向かって投げ入れた。

 

「フラッシュアウト!」

 

刹那――

閃光と爆発音が漏れ出る。

 

「ムーブ!」

 

メイが最初に動いた。

 

金属扉の残骸を肩で押し開き、強引に中へ滑り込む。

続いてレナ。

リノ。

最後にスイ。

 

通路には白い煙が漂っていた。

 

HUD上に、三つの赤い輪郭が浮かぶ。

 

そのうち二つは、爆発の衝撃で吹き飛んだ扉の下敷きになっていた。

 

残る一つは、通路奥の壁際に寄りかかっている。

足元には短銃身のカービン。

右手は、腰のホルスターへ伸びかけていた。

 

「コンタクト」

 

メイが一歩前へ出る。

 

警備員がハンドガンを抜くより早く、銃口が胸部を捉えた。

 

パスッ、パスッ。

 

胸部。

頭部。

 

壁際の警備員が崩れ落ちる。

 

その直後、扉の下敷きになった一体が、かすれた声を漏らした。

 

「助け……」

 

レナは一瞬だけ視線を落とし――

彼のレンズに銃口を向けた。

 

「や……やめ……!」

 

パスッ。

 

声は途切れた。

 

「………………」

 

レナは無言のまま、ラボに続く扉を睨んだ。

 

「……奴を探せ」

 

その声は、ひどく低かった。

 

メイが先頭に立ち、短い通路へ銃口を向ける。

リノは左の小部屋。

スイは右の小部屋。

レナは奥の扉を見据えたまま、足元に転がる警備員の残骸を跨いだ。

 

[地下通路、敵性反応消失]

[奥側ラボ区画に音響反応]

 

HUDに、ラボの輪郭が浮かび上がる。

壁の向こう側。

大型実験台の影。

収納棚と端末ラックの間。

 

そこに身を潜めた白い輪郭。

 

「……スタックアップ」

 

ラボへ続く扉の前に、四つの影が並んだ。

 

左先頭にメイ。

その背後にレナ。

 

右先頭にリノ。

その背後にスイ。

 

扉の向こう側からは、物音ひとつ聞こえない。

 

その沈黙の向こうに、これから消される名前がある。

 

レナはフラッシュバンのピンを抜くと、左手で三本の指を立てた。

向かい側のリノとスイが頷く。

 

スリー。

ツー。

ワン。

 

指が折り畳まれると同時、レナがメイの肩を叩いた。

メイは即座に扉を蹴り開ける。

 

「フラッシュアウト!」

 

レバーが弾け、硬い床を転がる乾いた音。

その直後、ラボの中で光が弾けた。

 

「ぐああッ!?――クソッ!」

 

キサラギは自身のハンドガンを闇雲に連射した。

 

レナは身を屈めると一気に距離を詰め、ハンドガンに掴みかかった。

 

「……離せッ!」

 

キサラギが抵抗しようとする。

だが、レナは一瞬でハンドガンを叩き落とし、顔面へ拳を叩き込んだ。

 

金属外装を打つ、鈍い音。

 

「ぐあ!」

 

光学レンズが大きく揺れる。

キサラギがよろめいたところへ、レナはさらに踏み込んだ。

 

もう一度。

 

「ぐぅ!」

 

顎部の外装が歪み、キサラギの身体が実験台へ叩きつけられる。

レナはキサラギの腕を捻り上げ、そのまま床へ押し倒した。

 

「クソッ! 誰の差し金だ!」

 

誰も答えなかった。

 

その代わりに、レナはキサラギの腕を背中側へ引っ張り、ハンドカフ(樹脂製手錠)を手首に巻きつける。

 

「答えろ! SRTか!? それとも傭兵か!?」

 

[優先目標:確保]

[発話応答は不要]

 

「貴様ら、何が目的だ……!」

 

レナはキサラギの背中を踏みつけたまま、ポーチから麻袋を取り出す。

 

「お、おい! 何をする気だ! 金なら払う!」

 

レナは麻袋を広げ、キサラギの頭部へ被せる。

視界を奪われたキサラギが、床の上で激しく身を捩った。

 

「まさか……やめろ! 私は技術主任だぞ!」 

 

キサラギはそこで、ようやく理解した。

 

こいつらは、尋問に来たのではない。

脅迫に来たのでもない。

取引に来たのでもない。

 

自分を、消しに来たのだ。

 

「私に何かあれば、カイザーが――」

 

[対象の発話量、増加]

[推奨:沈黙化]

 

レナは無言でARのストックを構える。

そのまま麻袋に向け、勢いよく叩きつけた。

 

「がッ!」

 

[対象の沈黙を確認]

 

アノラの声が、冷たく告げた。

 

レナはARのストックを下ろし、周囲を見渡す。

 

壁面の大型モニター。

停止している端末群。

実験台に散らばる紙媒体。

保管棚に並んだ記録媒体。

黒いブリーフケースへ乱雑に詰め込まれた資料。

 

そのすべてが、キサラギが本社へ持ち出そうとしていたものだった。

 

「奪える物は、すべて奪う。5分以内に終えるぞ」

 

「「「了解」」」

 

[回収対象をマーキングします]

[優先度A:開発端末]

[優先度A:搬送ログ保存媒体]

[優先度A:試験データバックアップ]

[優先度B:紙媒体資料]

[優先度B:個人認証キー]

[優先度C:残置サンプル]

 

HUD上に、ラボ内の物品が次々と縁取られていく。

 

「WOLF2、端末は丸ごとだ」

 

「了解」

 

リノはすぐにデスクトップへ取りつき、ケーブルを根こそぎ抜き取っていく。

 

「WOLF3、保管棚だ。記録媒体とサンプルケースを確認しろ」

 

「ウィルコ」

 

スイは力任せに、棚のロックを引き千切るように破壊した。

中に並ぶ小型ケースを一つずつ手に取り、バッグへ放り込んでいく。

 

「WOLF4、紙媒体とブリーフケースだ」

 

「イエスマム」

 

メイは実験台の上に散らばった書類を集めた。

一枚一枚を確認する余裕はない、すべてまとめて奪う。

 

[作戦開始から経過時間:11分42秒]

[残り推奨滞在時間:3分18秒]

 

アノラの表示が、HUDの隅で点滅した。

 

「ペースを上げろ」

 

レナは短く言った。

 

返事はない。

だが、三人の動きはさらに速くなった。

 

リノはラックの固定具をアックスで叩き割り、開発端末を丸ごと抱え上げた。

ケーブルが引き千切れ、端子が垂れ下がる。

 

スイはケースの選別を止め、ダッフルバックに次から次へと放り込む。

 

メイは紙媒体を束ね、ブリーフケースごと大型の回収バッグへ押し込んでいた。

 

[残り推奨滞在時間:1分30秒]

 

「WOLF2」

 

「回収完了。ストレージ損傷なし。電源系は死んでいますが、持ち帰れば解析できます」

 

「WOLF3」

 

「サンプルケース、記録媒体、認証キー。見える範囲は全部入れた」

 

「WOLF4」

 

「紙媒体、ブリーフケース、個人端末。まとめて回収済み」

 

「よし、撤収だ」

 

レナは床に転がるキサラギへ視線を落とした。

 

「む……ぐ……っ!」

 

意識を取り戻したのか、麻袋の奥から、くぐもった声が漏れる。

 

自分がどこへ連れて行かれるのか。

誰に売られるのか。

あるいは、どこかで処分されるのか。

 

そのどれも分からないまま、彼はただ震えていた。

 

「WOLF4。テルミットを寄越せ」

 

「イエスマム」

 

レナはメイの背中のバックパックから焼却用のテルミット一式を取り出した。

 

「お前たちは先に行ってLZ(離脱地点)を確保しろ」

 

三人がキサラギを担ぎ上げ、足早にラボを後にする。

 

静まり返った地下空間に、レナ一人だけが残された。

HUDの片隅で、アノラのカウントダウンが無機質に時を刻んでいる。

 

[残り推奨滞在時間:45秒]

[最終工程:ラボ区画の完全破壊]

 

レナは、実験台の中央へ歩み寄った。

テルミット手榴弾の安全ピンを抜き、大型サーバーラックの隙間へねじ込む。

さらに、回収しきれなかった紙媒体の束を床へぶちまけ、その上にもうひとつのテルミットを置いた。

 

証拠隠滅。

焦土作戦。

サボタージュ(破壊工作)

 

呼び方はどうあれ、やることは皆同じだ。

 

レナはレバーを弾き、数歩下がった。

シュボッ、というくぐもった着火音。

直後、ラボの暗闇を暴力的なまでの閃光が切り裂いた。

テルミットの白熱は、瞬く間に二千度を超え、紙束を炭化させ、樹脂を溶かし、金属を赤く焼いた。

 

サーバーラックの隙間から、火花と溶けた金属が雨のように滴り、キサラギの痕跡をすべて消し去ってゆく。

 

[残り推奨滞在時間:20秒]

 

アノラの声が、感情のない声で告げる。

 

[撤収を推奨]

 

「……分かっている」

 

レナは白熱する炎を背に、ラボを後にした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。