白狼救済録 作:らんらん出荷マン
――アビドス上空、MERLIN2-2機内。
レナを回収したブラックホークは、砂色の大地を蹴るように高度を上げていった。
機体は大きく左へ傾き、ローターで空を叩きながら、トリニティ自治区方面へと針路を変える。
メイがスライドドアを閉めた。
外気の唸りが一段遠ざかる。
代わりに、ターボシャフトエンジンの重い振動が、機内の床からブーツの底を通して足裏へ這い上がってきた。
薄い装甲板の向こうで、大オアシス跡地が急速に遠ざかっていく。
レナはシートに腰を下ろすなり、短く告げる。
「概要を説明しろ」
リノは即座に機内固定式のタブレットを起動し、戦術マップを展開した。
「現在、トリニティ自治区の北東外縁にて、Guardian Angelsの一部部隊が武装蜂起。占拠地点は、旧聖バルバラ要塞です」
「バルバラ……」
メイの唇が、かすかに動いた。
反射的に漏れた声だった。
その名を、知っている。
レナはメイへ視線を向けた。
「知っているのか、メイ」
「……とても古い要塞だよ。今はもう、正規の軍事施設としては使われていない。旧聖バルバラ要塞は、トリニティが総合学園になる前――パテル領地内の辺境に建てられた防空要塞」
「防空……要塞……?」
スイが小さく首を傾げる。
「今のトリニティに、そんな施設がまだ残っているの?」
「残っている、というより……放置されていた、かな」
メイは苦い顔で答えた。
「昔は、北東外縁からの空路侵入を警戒するための拠点だったらしいよ。でも、トリニティ内での大規模な争いが過去のものになってからは、正規防衛網から外されて……今は地図上だと“文化遺構”みたいな扱いになってる」
「文化遺構ねぇ……」
スイが腕を組む横で、レナはタブレットに映る航空写真へ視線を落とした。
旧聖バルバラ要塞。
林に囲まれた平原の中央に、石造りの古い城塞と、後年に追加されたコンクリート補強が歪に噛み合った防衛施設が聳えている。
周囲には、かつて防空砲座だったと思われる円形陣地。
地下弾薬庫。
外周塹壕。
観測塔。
そして、要塞本体を守るように配置された複数の掩体壕。
“文化遺構”などという言葉では、とても覆い隠せない。
それはまだ、十分に人を殺せる形を残した、古い牙だった。
「なお、同要塞には密かに搬入されたと思われる複数の長距離
これらにより、航空戦力の直接投入は不可能です。この写真を撮影した
リノがタブレットを操作し、次の画面を表示する。
「現時点で確認されているGA戦力は、Aegisを中心とした武装蜂起部隊。正確な人数は不明ですが、推定で六十から八十。内部協力者を含めれば、さらに増える可能性があります」
「首謀者は?」
レナの問いに、リノは一瞬だけ目を伏せた。
「Aegis-1。東雲シヅキです」
その名が出た瞬間、機内の空気がわずかに硬くなった。
メイの指が、膝の上で小さく強張る。
「数時間前、決起声明を発表しています」
リノがタブレットを操作する。
すぐに、映像が再生された。
『淑女の皆様、御機嫌よう。
私はAegis-1、東雲シヅキ。Guardian Angelsに所属し、
画面の中央に立つ少女が、薄紫の髪を揺らし、静かに頭を下げる。
『我々GAは現時刻をもって、ティーパーティー現統治体制に対し、正式に叛旗を翻します』
メイの喉が、小さく鳴った。
『我々は、常にティーパーティーを守る盾として存在して参りました。
要人警護。重要施設防衛。対テロ防衛。
表舞台に立つことはなくとも、我々は常に、トリニティの秩序を守るために尽くしてきた』
映像の奥には、古い石壁が見える。
おそらく、旧聖バルバラ要塞内部。
『しかし、現統治者たちは何をしたか。
身内の不祥事を隠蔽し、政治取引を優先し、盾である我々を切り捨てた。
守るべき主は、自らを守る盾に責任を押し付けたのです』
画面の中で、シヅキはわずかに顔を上げた。
『トリニティの統治者たちは、もはやトリニティを導く資格を有しておりません』
シヅキの背後には、純白の制服をまとった隊員たちが整列していた。
全員が完全武装。
ヘイローは静かに輝き、銃口は床へ向けられている。
それは、暴徒の姿ではなかった。
規律を失った兵ではない。
秩序の名を掲げたまま、秩序そのものへ刃を向ける者たちの姿だった。
『我々は、旧聖バルバラ要塞を接収しました。
同時に、北東外縁部の送電施設、通信中継施設、および水道管理施設を破壊。
なお、依然として健在の一部ライフラインに対しても、我々の刃は向けられております』
「……やってくれるね」
スイが低く呟いた。
『ああ、勘違いなさらないで。これは、あくまで警告です』
シヅキは淡々と言い放つ。
『我々は、ティーパーティーに要求します。
一つ。ティーパーティー直轄部隊所属生徒の学籍に関する非公式処理、ならびにGAへの責任転嫁の経緯を公表すること。
二つ。連邦生徒会との政治取引の全容を、三大派閥へ開示すること。
三つ。現統治者は直ちに退任し、三大派閥による暫定評議会へ権限を返還すること』
映像越しの声は、怒鳴っていない。
涙もない。
激情もない。
だからこそ、その言葉は研ぎ澄まされた刃のように冷たかった。
『我々は叛徒として扱われるでしょう。結構です。
ならば、最後まで盾として振る舞いましょう。
守るべき主が、守られる資格を失ったことを、この要塞から証明いたします』
シヅキはカメラを睨み、マイクを握る手に力を込めた。
『正義実現委員会を差し向けても無駄です。
何度でも――叩き潰して差し上げましょう』
その声音だけが、わずかに熱を帯びる。
『“貴女たちだけ”では、我々を止められない。
良いお返事を期待しております。
それでは――』
画面にノイズが走り、映像は途切れた。
MERLIN2-2の機内に沈黙が満ちる。
WOLFも、パイロットも、クルーチーフも、誰も口を開かなかった。
ただ、機体を震わせるエンジン音だけが、重く響き続けている。
「これは反乱ではない。告発だ」
ようやく、レナが結論を口にした。
「ティーパーティーは、これを内部反乱として処理したいようです」
リノはタブレットの画面を切り替え、戦術マップを表示する。
平原の中央にある旧聖バルバラ要塞を取り囲むように、赤いアイコンが散在していた。
「声明直後、正義実現委員会による鎮圧が試みられました。ですが――」
リノの声が、わずかに沈む。
「第一次攻撃はすでに失敗しています。
GAが林間に配置した対戦車陣地により、クルセイダー巡航戦車八両が撃破、または行動不能。搭乗員および随伴歩兵にも多数の戦闘不能者が出ています」
「奴らは防衛戦闘のプロだ。……馬鹿な攻め方をしたな」
レナは冷たく吐き捨てた。
「力押しで抜けるわけがない。……それに、シヅキの狙いは最初から私たちだ」
「狙い、ですか?」
「ああ。ティーパーティーが自力で反乱を鎮圧できず、外部戦力であるSRTを呼び寄せた。
その事実自体が、『現統治者にトリニティを導く資格はない』という彼女たちの主張を裏付ける最大の証明になる」
レナの言葉に、機内の空気がさらに重くなる。
シヅキの政治的な目的は、SRTが投入されたこの時点で、すでに半ば達成されている。
勝つことだけが、彼女たちの目的ではない。
“守られる側”が、外部の刃に縋ったという事実。
それをトリニティ中へ突きつけること。
それこそが、この叛旗の意味だった。
「リノ。SRTの投入戦力は?」
「WOLF、FOX、そして村正レン小隊長率いる第1小隊。合計二十名です」
「……二十名」
レナはわずかに目を細めた。
「
「はい。ただし、SRT所属の装甲戦力、車載火器、火砲の投入は一切認められていません」
「理由は」
リノは一拍置いた。
「政治的配慮、とのことです」
「なるほど。主権侵害か……。トリニティの内戦に、連邦生徒会の装甲車両が突っ込む絵面は避けたいわけだ」
レナの冷ややかな分析に、リノは無言で頷いた。
「だが、気になるのは第二要求だ」
レナはタブレットの画面を指差した。
「『連邦生徒会との政治取引の全容を開示しろ』。
ティーパーティーが何を隠しているのかは知らん。だが、シヅキが“政治取引”と名指しした以上、少なくともGAは何かを掴んでいる。三大派閥にそれを暴露されれば、エデン条約どころではなくなる」
スイが目を丸くする。
「……まさか、連邦生徒会長が何かしたのかな?」
「ああ、恐らくな……。
そう考えれば、我々が選ばれた理由にも説明がつく。奴は、この第二要求を放置できなかった。正実が失敗した今、ティーパーティーの面子を潰してでも、SRTをねじ込む口実ができた」
「でも、どうしてGAのみんなはシヅキに従ったのかな」
ぽつりと、スイが呟いた。
「いくら不満があるからって、相手はティーパーティーだよ?
反逆罪になれば、退学だけじゃ済まないかもしれないのに」
その疑問に答えたのは、今まで黙り込んでいたメイだった。
「あの人たちは、自分たちをただの警備部隊だと思ってない」
メイの声は、どこか苦しげだった。
「トリニティの品位と秩序を守る、最後の盾。
GAは、そういうものとして育てられる」
メイは膝の上で、シールドのグリップを強く握りしめた。
「GAには、トリニティでも上位派閥に属する旧家や、由緒正しい家柄の出身者が多い。彼女たちはずっと、『トリニティの秩序を守るのは自分たちだ』って教え込まれてきた。
……だからこそ、許せなかったんだと思う」
白い翼が、わずかに震える。
「身内を切り捨てるようなティーパーティーのやり方も。
何より……連邦生徒会長が提唱する和平協定の席に付き、あのゲヘナと手を繋ごうとしている、今の政治体制そのものが」
レナは、連邦生徒会長との会話を思い出した。
『キヴォトスの二大自治区に和平協定を結ばせ、情勢の安定化を図る計画です。
前例のない試みですが――私たちは、これを『エデン条約』と呼んでいます』
点と点が、一本の線で繋がる。
「やはり、怨嗟というものは厄介だ」
レナが低く呟いた。
「正義の顔をしている分、ただの憎悪より始末が悪い」
機内に、再び短い沈黙が落ちる。
メイの白い翼が、かすかに軋むように震えていた。
かつて自分が所属していた部隊。
自分が捨てた場所。
そして今、敵として向かい合おうとしている者たち。
彼女の中にあるものが、悲鳴を上げているのだろう。
自分たちが泥を被ってでも、腐敗した現体制の芽を摘み取り、正しいトリニティの姿を取り戻す。
彼女たちは、そう信じている。
歪んだノブリス・オブリージュ。
それこそが、東雲シヅキとGuardian Angelsを叛旗へ駆り立てた原動力だった。
「……MERLIN2-2は、どこまで入れる」
レナの問いに、リノは即座にタブレットの地図を拡大した。
旧聖バルバラ要塞を中心に、赤い半透明の円が幾重にも重なっている。
「……ここまでです。
迂闊に近付けば、地形追随飛行でもMANPADSに狩られる恐れがあります」
リノは要塞南西、林地帯からやや離れた平原の外縁を指差した。
LZは要塞の直接防空圏外。なおかつ、低地と林に遮られた位置に設定されている。
「……距離があるな」
「仕方ありません。
正実が残存部隊を集結させ、
「了解した。着陸後、現地指揮官と接触。現状の把握を最優先」
「了解」
「アイコピー」
「……メイ」
レナが名を呼ぶと、メイはわずかに顔を上げた。
「何?」
「無理はするな」
「……分かってるよ」
――
――トリニティ自治区・旧パテル領地内。
機体が急激に高度を下げる。
窓の外に広がる景色が、次第に輪郭を持ち始めた。
林に囲まれた広い平原。
朝の冷たい空気の影響で、一帯には白い霧が低く立ち込めている。
その最奥に、巨大な影が一瞬だけ、薄く浮かび上がった。
旧聖バルバラ要塞。
「……あれが、そうか」
遠目に見えた平原には、あちこちに黒煙が上がっていた。
霧の切れ目から、砲撃で抉られた地面がわずかに見え、焼け焦げたクルセイダー巡航戦車の残骸が点々と転がっている。
そのうち一両の砲塔は、不自然な角度で横を向いていた。
周辺には吹き飛んだ装甲板が散乱し、車体側面には大きな穴が空いている。
「……対戦車砲か?」
レナは小さく呟いた。
「はい。正実側は当初、要塞正面への突破を試みたようですが、林間からの直接照準射撃を受けて壊滅しました」
「砲の位置と種類は?」
「6ポンド砲と推測されていますが、位置は不明です。砲兵隊のカウンター射撃も行われましたが、偽装が巧妙で、効果は限定的だったようです」
レナは窓の外を睨む。
平原の端。
そこに、正義実現委員会の残存部隊が設けたRALLY POINTが見えた。
仮設テント。
弾薬箱。
積み上がったドラム缶。
泥と煤に汚れた黒と赤の制服。
救護標識が描かれたテントで、救護騎士団に応急処置を受ける生徒たち。
そして、少し離れた場所に整列する四両の戦車。
クルセイダーよりも大きく、無骨で、重い存在感があった。
「あれは……!」
「はい。正義実現委員会所属の戦車小隊。
シャーマン戦車四両、コールサインはマカロン。隊長車のみ76mm砲搭載型で、改良型サスペンションを履いたE8仕様です」
「……イージーエイト」
「トリニティが保有する中でも、数少ない長砲身搭載車両です」
リノの説明を聞きながら、レナは窓の外に並ぶ四両のシャーマンを見下ろした。
黒味を帯びたオリーブドラブの車体。
全両が車体後部に大量の物資を積載し、側面にはアンディッチング・ログ――泥濘脱出用の丸太がロープで括り付けられている。
四両のうち、三両は標準的な75mm砲搭載型。
だが先頭の一両だけは、砲身が明らかに長い。
鋳造と溶接の混じった車体。
幅広の履帯。
改良型サスペンションを備えた足回り。
砲塔側面には、761と書かれた砲塔番号。
砲身には、白い塗料で小さくBLACK PANTHERと書かれていた。
「配備が始まってから日が浅い車両です。トリニティでは依然としてクルセイダーが主力ですが、雷帝政権下のゲヘナに対する安全保障上の懸念から、一部だけ導入されたと聞いています」
「だが、雷帝はもう表舞台から消えた」
「ええ。その結果、調達計画は五両を受領した時点で凍結。
シャーマンを駆るマカロン隊は……政治的にも、軍事的にも、扱いに困っている部隊だそうです」
「無用の長物、か」
レナは窓の外を見下ろした。
平原の端に並ぶ四両のシャーマン。
その車体は傷だらけで、泥と砂に汚れている。
だが、それは整備状態が悪いという意味ではない。
履帯の張り。
砲身の俯仰。
砲塔の向き。
それらを見る限り、日頃から丁寧に扱われていることが読み取れた。
「腐ってはいないな」
「はい?」
「出番が無いからといって、手を抜いている部隊の車両ではない、という意味だ」
リノは一瞬だけ目を瞬かせ、それから静かに頷いた。
「マカロン小隊は配備後、実戦投入される機会がほとんど無かったため、訓練ばかり続けていたようです」
「訓練ばかり……か」
『MERLIN2-2、
パイロットの声が機内通信へ響く。
クルーチーフが手を上げ、降下準備の合図を送った。
「降りるぞ」
レナの声で、リノがタブレットを畳む。
メイはシールドの固定具を確認し、スイは軽機関銃の安全装置を確認する。
レナはARのチャージングハンドルを引き、スリングを肩に通した。
続けて、装備を一つずつ指先で確かめる。
予備マガジン。
サイドアーム。
無線機。
エドゥトの板。
最後に、銃のスリングに揺れるシャチのキーホルダーが指先に触れた。
ほんの一瞬だけ意識が遠退き、レナの動きが止まる。
水族館。
青い光。
ユメの笑顔。
ホシノの声。
記憶は――ある。
「……」
機体が大きく揺れた。
ブラックホークは林の影を縫うように高度を落とし、RALLY POINT付近の空き地へ滑り込む。
ローターの風圧が草と土埃を巻き上げ、仮設テントの布が激しくはためいた。
ランディングギアが地面を削る。
「幸運を!」
クルーチーフの声と同時に、スライドドアが開いた。
レナが最初に飛び降りる。
続いてリノ、スイ、メイ。
少し離れた後方、霧の中からチヌークの巨体が姿を現した。
素早く地面に降下すると、ランプドアが油圧の音を上げてゆっくりと開く。
即座に村正レン率いる第1小隊が飛び出し、その後ろからFOXが続く。
投入されたのは、僅か二十名。
だが、その動きには無駄がない。
降着から展開、周辺警戒、部隊集結。
全員が、同じ呼吸で動いていた。
正義実現委員会の残存部隊が、一斉にこちらを見た。
その視線には、警戒と反発があった。
「SRT……」
「余所者め……」
「私たちだけで十分だったはずじゃ……」
煤と泥に汚れた正実の生徒たちが、低く囁き合う。
その声は、まだ消えきらないローターの残響の中でも、はっきりと耳に残った。
レナはそれを無視し、第1小隊の小隊長レンに駆け寄った。
「レナさん、久しぶりね。
倒れたって聞いたけど、元気そうでよかったわ」
気づいたレンは片手を上げ、軽く微笑んだ。
レンの後ろにいるメンバーも、それぞれ声を上げる。
「英雄のお出ましだ!」
「おはよう、首席殿!」
「よお! ディール!」
「やっほーレナちゃん! 尻尾触っていい?」
レナは踵を揃えて敬礼の姿勢をとる。
「お久しぶりです、小隊長。それに皆も」
「止めてちょうだい。今は貴女の方が階級は上よ?」
レンは冗談めかして言った。
だが、その瞳はすぐに戦場のものへ戻る。
「状況は最悪よ」
「はい、把握しています」
「なら、話は早いわね」
レンは短く言い、顎で正実側の仮設指揮所の方角を示した。
「正実の現地指揮官は、指揮所にいるわ。私たちは余所者よ……歓迎は期待しない方がいい」
「了解」
二人は肩を並べ、仮設指揮所へ向かう。
道中の光景に、レナは視線を走らせた。
正義実現委員会の臨時拠点。
そこはトリニティの華やかさとは無縁な、泥と煤に塗れた場所だった。
途中で焼けた油の臭いが鼻を突く。
端の方には、ハッチが開かれたまま放置されたクルセイダーが鎮座している。
レナは脚を止めると、顎先に手を添えた。
「……6ポンドにしては派手だな」
焼け焦げた車体前面へ視線を向ける。
装甲板が大きく裂け、砲塔の基部が歪んでいる。
(もっとデカいのが、混じっているかもしれん)
「どうしたのレナさん?」
「はっ……今行きます」
再編中の部隊の人混みを分け、泥道を進む。
角を曲がると薄汚れた制服姿の生徒たちが、会話もなく焚き火を囲んで座り込んでいる。
そして救護テントの前には、血こそ流れていないが、戦闘不能になった生徒が何人も横たえられていた。
全員が俯き、顔に影が落ちている。
正義の象徴である黒と赤の隊列は、今や見る影も無い。
「……」
その只中を、レナとレンが歩いていく。
その道中。
周囲の視線が突き刺さる。
「連邦の犬じゃない」
「私たちがやられた後に、のこのこ来たの?」
「寄越してきたのは生徒だけ? 何しに来たのよ」
辺りから聞こえる囁き声は、隠す気があるのか無いのか分からない大きさだった。
レナは彼女らを視界の端に捉えたまま通り過ぎる。
戦場帰り特有の、ささくれ立った苛立ち。
敗北の屈辱。
仲間を担架で運ばれた怒り。
そして、それをぶつける相手を見つけた者の声。
(……無理もない)
レナは口を噤み、ただ通り過ぎた。
泥濘んだ地面にブーツを沈め、積み上げられた弾薬箱の横を抜ける。
整備中のクルセイダーを横目に見ながら、野戦指揮所へ向かって進む。
横を歩くレンが、ちらりとレナを見た。
「……気にしちゃだめよ」
「――ええ、慣れています」
即答だった。
レンはその温度を測るように目を伏せる。
「それも“夢の中”ってやつ?」
「……そんな所です」
レナは、砲塔が無くなっているクルセイダーの横を通り過ぎながら言った。
車体側面には、砲弾が穿った穴があった。
内部は黒く煤け、砲塔リングの周囲には溶けた金属がこびりついている。
だが、キヴォトスの生徒ならば、あれでも死んではいないだろう。
それでも――。
あの中にいた者が、二度と同じように戦車へ乗れるかは別問題だった。
「口が動くだけ、まだマシです」
レナは淡々と言った。
「本当に折れた人間は……役立たずの、人形のようなものですから」
レンは一瞬、言葉を返せなかった。
その声が、あまりにも実感を伴っていたからだ。
「やっぱり……レナさんって、時々怖いことを言うわね」
「現実です」
「……そういう所よ」
――
――野戦指揮所前。
「ここね……行きましょう」
「了解」
野戦指揮所は、砲撃を避けるために平原外縁の低地へ設けられていた。
土嚢を積み上げた簡易防壁。
布を被せただけの指揮テント。
ランプのわずかな光だけが、テント内を辛うじて照らしている。
狭いテント内には、大型無線機を操作する生徒や、書類を抱えて慌ただしく動く生徒たちが犇めき合っていた。
中央には簡素な木製テーブルが置かれ、大きな戦術地図が広げられている。
地図に置かれた矢印と駒で示された進撃ルートは、途中で赤いバツ印に塗り潰されていた。
その周囲には、数名の生徒が集まっている。
どの顔にも疲労が滲んでいた。
目元は煤で汚れ、制服の裾は泥と破片で傷んでいる。
中央に立っていた生徒――正義実現委員会副委員長は、レナとレンを見るなり、露骨に顔をしかめた。
「……SRTか」
歓迎の色はない。
それどころか、敵意に近い警戒があった。
レンが一歩前へ進み、レナはその斜め横に付いた。
「SRT特殊学園、第1小隊長、村正レン。こちらは大上レナ特務上級小隊長。今回派遣されたSRT小規模任務群の責任者です」
副委員長は、レナの一年生を示す識別章とDRRUのバッジへ視線を落とし、硬い声で言った。
「ふん……ここはトリニティだ。連邦直属のSRTに、我々の指揮権は渡さん」
空気が、また冷える。
テントの中にいた正実生徒たちが、一斉にレナを見る。
レナは表情を変えなかった。
「現在の残存戦力を報告せよ」
「何……?」
副委員長の声が尖る。
レナは声の温度を落とし、低く言った。
「こちらの戦力を教えろ。お前の面子に興味はない」
副委員長の眉が跳ねる。
レナはそれを無視し、目の前の戦術地図を見下ろした。
「この状況で必要なのは、次の攻撃で確実に突破するための現状把握だ」
「……ッ」
副委員長の顔が、屈辱に歪む。
周囲の正実生徒たちも、ざわめいた。
「外部の生徒が、勝手なことを――」
「勝手ではありません」
レンが静かに割って入った。
「今回のSRT任務群には、連邦生徒会長およびティーパーティー緊急要請に基づく、限定的な作戦指揮権が付与されています」
「ええぃ! 黙れ……! そのティーパーティーが原因で、こうなっているんだろうがっ!」
副委員長はテーブルに拳を叩きつけ、思わず声を荒げた。
「そう安々と、貴様らに現場指揮権を譲るか! 我らは、遊びで正義を謳ってはおらんっ!」
テントの中が、しんと静まり返る。
副委員長の拳は、まだテーブルの上に置かれていた。
その指先が、わずかに震えている。
怒りだけではない。
敗北の屈辱。
仲間を失った焦燥。
そして、自分たちが討たねばならない相手の主張を、完全には否定しきれない苦しさ。
それらが、彼女の声を掠れさせていた。
「GAがやったことは、決して許されん……。
だがな……彼女たちが立ち上がった理由を、我らは否定はできん……」
その言葉に、テントの中が沈黙する。
心からの本音だった。
正実の生徒たちは、GAを叛徒として討たなければならない。
だが同時に、彼女たちの告発を完全な嘘だとは言い切れない。
同じ秩序を護る者として、無下にはできなかった。
副委員長の瞳が揺れる。
レナは、その一瞬を見逃さなかった。
「ならば、なおさら早く終わらせるべきだ」
「なんだと……?」
副委員長の声が低くなる。
レナは地図から顔を上げず、赤いバツ印で塗り潰された進撃ルートを指先でなぞった。
「長引けば長引くほど、GAの告発は広がる。ティーパーティーは沈黙し、連邦生徒会は圧力を強め、三大派閥は疑心暗鬼になる。そうなれば、これは一部隊の武装蜂起では済まなくなる」
「……」
「今ここで、感情に任せて二度目の突撃を命じれば、負傷者が増えるだけだ。
GAは『正実すら自分たちを止められない』と証明できる」
レナはそこで初めて、副委員長を見た。
「それでは、シヅキの思う壺だ」
「貴様……!」
副委員長の手が、テーブルの端を掴む。
「外から来た貴様に、トリニティの何が分かる!」
「……」
その声に、テント内の空気が一気に張り詰めた。
言い返す必要は無い。
レナがトリニティの生徒ではないのは、普遍の事実だ。
「「……」」
二人は無言で睨み合い、テント内に緊張が走る。
一触即発。
無線機の前に座っていた生徒が顔を上げる。
地図を押さえていた生徒の指先が震える。
周りにいた側近も、わずかに重心を落とした。
その時――テントの布が捲られた。
一人の正実生徒がテントの中へ入り、背筋を伸ばした。
「お取り込み中、失礼します!」
副委員長は鋭いままの視線を正実生徒へ向け、声を張り上げる。
「何だ、用件を言え!」
「剣先ツルギ、羽川ハスミ、両名帰還しました!」
その名が告げられた瞬間、野戦指揮所の空気が変わった。
副委員長の顔に、わずかな安堵が浮かぶ。
周囲にいた正実生徒たちも、同じようにざわめいた。
「剣先が……」
「ハスミも一緒か」
「外縁のGAは捕まえたの……?」
レナは、その反応を見逃さなかった。
剣先ツルギ。
羽川ハスミ。
トリニティ総合学園一年。
正義実現委員会所属。
まだ学園全体に名が知れ渡るほどの存在ではない。
だが、現場の反応を見る限り、すでに正実内部では相応の重みを持つ生徒らしい。
「通せ」
副委員長が短く命じる。
テントの入り口が開かれた。
最初に入ってきたのは、長身の少女だった。
濡羽色の大きな翼。
整った顔立ちに、凛とした気配。
(デカい……メイみたいな奴だな)
その制服は砂と煤に汚れていたが、所作に乱れはない。
手にはボルトアクションライフル。
背筋は伸び、視線は真っ直ぐ前を向いている。
「羽川ハスミ、ただいま戻りました」
静かな声だった。
だが、その声には場を整える力があった。
騒がしかったテント内が、自然と静まり返る。
続いて、もう一人が入ってきた。
「「「……」」」
テントの空気が、今度は別の意味で凍った。
(なんだコイツは……!?)
長い黒髪。
首には、継ぎ接ぎをしたようなデザインのチョーカー。
茨のように歪んだ翼。
手に握られた、二丁のレバーアクション・ショットガン。
肩で息をしながらも、赤い瞳だけが異様にぎらついている。
そしてレナの目には、血の滴るような不気味なヘイローが薄っすらと見えた。
――呪われた死体。
レナの脳裏に、最初に浮かんだ言葉はそれだった。
副委員長が一歩前に出る。
「羽川。外縁部の状況は?」
「報告します」
ハスミが即座に答えた。
「北東送電施設のGA工作班を鎮圧しました。構成は八名。うち二名は現場で戦闘不能、六名は拘束済みです」
「被害は?」
「送電設備はすでに爆破済み。復旧には時間がかかります。ただし、二次爆破用の起爆装置と爆薬は確保しました。
水道管理施設方面へ向かった別班も、ツルギが制圧済みです」
ハスミは横に立つツルギへ視線を向ける。
ツルギは無言のまま、肩に担いだショットガンを軽く揺らした。
「……逃げようとしたから、止めた」
「止めた、で済む状態だったのか?」
副委員長が眉をひそめる。
ハスミは一拍置いて、淡々と答えた。
「潰れた空き缶のようですが……生存しています」
「そ……そうか」
副委員長は、それ以上追及しなかった。
剣先ツルギが関わった戦闘は、いつもそうなる。
身体はいずれ治るが、以前のように立ち上がれるかは、別の話だ。
「「「「……」」」」
テント内に、奇妙な沈黙が落ちた。
ツルギはその沈黙を気にする様子もなく、赤い瞳をぎらつかせたまま、戦術地図へ視線を落とした。
赤いバツ印。
失敗した進撃路。
林間の未確認砲陣地。
旧聖バルバラ要塞へ続く、開けた平原。
「……ここを、抜こうとしたのか」
低い声だった。
怒っているようにも、笑っているようにも聞こえる。
副委員長は、わずかに顔を強張らせた。
「そうだ。砲兵支援を受けながら、正面突破を――」
「……無理だな」
ツルギは、即座に言い切った。
副委員長の表情が変わる。
「ここは、キルゾーンだ。左右から。そして、この中には塹壕……。
奴らのことだ、下手に近付けば
ツルギの指が、地図上の林地帯を乱暴になぞる。
「ここに砲がいる。こっちにもいる。……ここにも置けそうだ」
その言葉に、テント内の空気が変わった。
レナは黙ってツルギを見た。
獣のような顔。
ぎらついた瞳。
理屈より先に、血の匂いで危険を嗅ぎ取るような直感。
だが、指摘している内容は外見と乖離していた。
(獣のようで……理性的だな)
ツルギが地図から視線を離し、顔を上げる。
一瞬。
二人の視線がぶつかった。
戦場を知る者同士の目だった。
片方は、戦場で作られた兵士。
もう片方は、戦場に放り込まれれば勝手に適応する怪物。
ツルギは、レナの目をじっと見つめた。
「……お前」
低く、掠れた声。
「変な目をしてるな」
「そう言うお前も中々だぞ」
「ぎひっ……そうか」
ツルギはそこで瞳を歪ませ、大きく、ニィ……と笑った。
笑った、というより、傷口が裂けたような表情だった。
「げへ、げへへへへっ……嫌いじゃない」
「そ……それは、光栄だな」
レナは一歩後退ったが、表情を変えずに答える。
副委員長が、苛立ちを隠さず口を開いた。
「剣先……。今は雑談をしている場合ではない。こちらは再攻撃の準備を――」
「副委員長……」
ツルギの声が、テント内の全員を止めた。
副委員長の口が、半端に開いたまま固まる。
「……意見を、具申する」
「な……何だ」
副委員長の声には、困惑が混じっていた。
剣先ツルギは正義実現委員会の中でも、すでに異質な存在として扱われている一年生。
戦闘力だけなら、誰も敵わない戦略兵器。
だが、指揮や作戦立案に口を出すような生徒ではない。
少なくとも、周囲はそう見ていた。
だからこそ、その一言で、野戦指揮所の空気は変わった。
そこにあるのは狂気だけではない。
戦場を嗅ぎ分ける、獣の知性だった。