白狼救済録 作:らんらん出荷マン
チエは喉元の
肌に密着していることを確かめ、胸元の送信スイッチを押し込む。
『――
ノイズを噛んだ無線に、間を置かず僚車からの応答が飛び込んでくる。
『マカロン2、感度良好!』
『マカロン3、異常なし!』
『マカロン4、バッチリ聞こえる!』
三両分の返答を確認し、チエは短く息を吐いた。
上半身を乗り出し、両肘をキューポラの縁に乗せた。
チエは無線を車内通話へ切り替え、声を落とす。
「
『
レナは砲塔後部の対空機銃座に身を置いたまま、重機関銃のグリップを握り込む。
冷たい金属の感触。
車体の奥底で唸るエンジンの熱。
足裏へ伝わる微かな震え。
鉄と油と排気の匂いが、冷えた朝の空気に混じり、肺の奥へ沈み込んでいく。
背後では、リノ、スイ、メイがエンジンデッキ上に腰を下ろしていた。
三人とも、余計なことは言わない。
第1小隊も同じだった。
マカロン各車のエンジンデッキ上で身を低くし、誰もが口を噤んでいる。
霧はまだ漂っている。
正義実現委員会の陣地から、バルバラ要塞は見えない。
だが、このベールの奥で、GAが己の牙を研ぎ、息を潜めていた。
『
チエの号令が無線に響いた。
ブオオオン――!!
同時に、四両のシャーマン中戦車が一斉に咆哮を上げた。
車体後部に搭載されたV型8気筒ガソリンエンジンが重い爆音を轟かせ、熱を帯びた排煙が朝霧に吐き出される。
シャフトを伝った動力がスプロケットを回転させ、履帯が泥を蹴り上げる。
巨大な車体が、ゆっくりと前へ動き始めた。
それに続き、正実の生徒たちを乗せた2トン半トラックが発進する。
荷台の中では、16名の生徒たちがライフルを両膝の間に立て、肩が触れ合うほどの距離で向かい合って座っていた。
誰も軽口を叩かない。
誰も無駄に身じろぎしない。
最後尾には、ジープが続く。運転席には正実の生徒。助手席には副委員長。
後部座席にはハスミ。
そしてハスミの隣で、ツルギは膝を抱えたまま、遠くを見つめていた。
いつものような奇声も、荒い呼吸もない。
ただ、朝霧の向こう側を睨むように、静かに目を細めている。
四両のシャーマン。
一両のトラック。
一両のジープ。
部隊は濃霧と藪の陰を縫うように、平原の端を進み始めた。
エンジンデッキの上は熱く、足元は絶えず震え、泥濘に沈む履帯の衝撃が、車体全体を突き上げてくる。
少し気を抜けば、そのまま振り落とされそうだった。
それでも、誰も文句を言わない。
リノは膝で揺れを殺し、片手で砲塔後部の取っ手を掴んでいた。
スイは肩に回した弾帯が跳ねるたびに顔をしかめ、後部に積まれた物資の山へしがみついている。
メイは白い翼を小さく畳み、背負ったタワーシールドの重みでバランスを崩さないよう、慎重に姿勢を調整していた。
四両のシャーマンは、縦列隊形のまま泥道を進む。
『こちらマカロン1。周囲の警戒を厳に。まだ距離はあるけど、油断しないで』
チエの声が、無線を通して低く飛んだ。
『マカロン2、車間が詰まってる。前に寄りすぎ』
『了解、少し落とす』
ノイズ混じりのやり取りを聞きながら、レナは前方を見据えていた。
視界の端では、藪の枝が車体側面を引っ掻き、濡れた葉が砲塔の汚れを雑に拭っていく。
後続のトラックの荷台では、正実の生徒たちが無言で揺られている。
轍には泥水が溜まっていた。
車体が大きく跳ねるたび、木製ベンチに座る少女たちの肩がぶつかり、膝の間に立てたライフルが小さく鳴る。
誰かが息を呑む。
誰かが祈るように、銃身を握り締める。
祈る相手は、神か。
それとも聖人か。
あるいは、霞のような奇跡か。
どれであっても、ここから先では無意味だ。
「全隊停止」
レナはヘッドセット越しに、短く告げた。
『
チエの声が即座に重なる。
先頭のイージーエイトが、泥を噛んだ履帯を低く軋ませながら減速した。
それに続き、マカロン2、3、4が順に速度を落とす。
後方の2トン半トラックが、鈍いブレーキ音を立てて止まった。
荷台の中で正実の生徒たちが揺さぶられ、ライフルの金属部品が小さく鳴る。
「チエ、双眼鏡を貸せ」
チエは首にぶら下げていた双眼鏡を外し、レナへ手渡した。
「はい、どうぞ」
レナは受け取った双眼鏡を目に当てる。
白い霧の向こうに、黒い影がいくつも浮かんでいた。
砲塔を歪ませたクルセイダー巡航戦車。
黒煙はまだ細く立ち昇り、平原の上へ流れている。
さらに奥へ、レンズを向ける。
霧の白い幕の向こうに、バルバラ要塞の輪郭があった。
角ばった石壁。
低く沈んだ監視塔。
林の奥に押し込められたように佇む、古い防壁。
レナは双眼鏡を下ろした。
「……あれだな。全員、降ろせ」
レナの声が、ヘッドセットを通じて短く響く。
それと同時に、WOLFの三人はエンジンデッキから飛び降りた。
『
チエが即座に無線へ叫ぶ。
後続の2トン半トラックでは、荷台の幌がめくられ、正実の生徒たちが次々と泥の上へ飛び降りた。
「聞いただろ! 降りろ! 降りろ! 急げ、レディ共!」
トラックの助手席から身を乗り出した生徒が叫ぶ。
荷台から降りた16名は、一瞬だけ足元を取られながらも、すぐにライフルを抱え直し、シャーマンへ向かって走り出した。
「みんな、降りるわよ! 戦車の後ろに付いて!」
「小隊長の命令だ! 降りろ、降りろ!」
レンの号令で、第1小隊の隊員たちも各車のエンジンデッキから滑り降りる。
泥が跳ね、膝下を汚した。
『
各ハッチから顔を覗かせていた操縦手、機銃手、装填手が車内へ潜り込む。
内側から手が伸び、分厚い鋼鉄のハッチが重い音を立てて閉じられた。
だが、各車の車長だけはキューポラから頭を出したままだった。
キューポラのハッチまで閉じれば、外界とは完全に遮断される。
ペリスコープ越しの極端に狭い視界では、周囲の情報を見落とす。
それでは、歩兵との連携も取れなくなる。
危険は勿論ある。
それでも、マカロン隊では指揮官の安全より視界を優先した。
それが、彼女たちの通常だった。
チエは一度、車内へ身を沈める。
ゴーグルを外し、車長席の傍らに引っ掛けてあったスチール製ヘルメットを掴み取った。
それを革製のタンカースヘルメットの上からすっぽりと被り、ゴーグルを付け直す。
防御力は気休め程度だ。
だが、砲弾の破片を防ぐためなら、無いより遥かにマシだった。
再びキューポラから顔を覗かせたチエは、胸元の送信機を握り締める。
『マカロン、右へ展開。
『了解、マカロン1に続け』
『右だ、右だ!』
『車間30! 遅れるな! 行け、右だ! 行け、行け!』
先頭のマカロン1が低速で直進を続ける中、後続の三両がギアを上げて加速する。
四両のシャーマンが、一斉に藪を踏み越えた。
マカロン1を基点に、横一列のライン・フォーメーションへと扇状に広がっていく。
マカロン1が中心左、マカロン2が左外、マカロン3、4が右側へ順に並び、速度を歩兵の前進に合わせながら、ゆっくりと平原へ躍り出た。
「戦車から離れないで!」
レンの声が飛ぶ。
「ほら、遅れるな!」
「みんな後に続いて! 頭を下げて!」
SRTが先導する中、正実の生徒たちはぎこちないながらも四つの分隊に分かれ、それぞれが戦車を盾にするように真後ろへ張り付いた。
マカロン隊は横一列に広がったまま、速度を保って前進を続ける。
『マカロン3、4、右の林に注意』
『
『
返答と同時に、二両の砲塔がわずかに右へ振れた。
霧の向こう。
林縁はまだ沈黙している。
だが、その沈黙が安全を意味しないことを、ここにいる全員が理解していた。
四両のシャーマンは平原に横一線へ広がり、草を踏み潰しながら進む。
その背後に、SRTと正実の生徒たちが続いた。
『……撃ってこないな』
『誘われているんだろうね……』
『こっちはシャーマンだ。クルセイダーとは格が違う』
『油断しないで。――歩兵隊、機関銃に注意!』
「もっと内側に寄れ!」
「周囲を警戒!」
「隊列を乱すな!」
四両のシャーマンが低く唸り続ける。
霧はまだ濃い。
だが、上空へ立ち昇る黒煙だけは、少しずつ近づいていた。
『そろそろよ……』
『……ッ』
無線の奥で誰かが息を呑む。
その小さな音が引き金になったように、全員が霧の奥を凝視した。
額に冷たい汗が伝う。
グリップを握る手に力が入る。
辺りは静まり返り、ガソリンエンジンの轟音だけが異様に大きく響いていた。
やがて、影が見えた。
焼け焦げ、林の方へ砲塔を向けたまま停止している長い影。
続いて、歪んだ砲塔。
側面を抉られ、装甲板をめくれ上がらせたクルセイダー巡航戦車の残骸。
一両。
二両。
三両。
霧の中に、無言の墓標のように並んでいた。
『キルゾーンに到達』
チエの声が低くなる。
『取り残された生徒がいないか注意。足下にも気を付けて』
レナは重機関銃のグリップを握ったまま、視線だけを左右へ走らせた。
そして、無線機のスイッチを入れる。
「RAVEN1、こちらWOLF1。電波の反応はないか?」
『こちらRAVEN1。スキャナーに異常なし。奴らはドローンを上げていない。オーバー』
「了解した。探知したら知らせろ。アウト」
レナは送信を切り、林縁へ視線を戻した。
林間から発せられる電波はない。
だが、それは安全を意味しない。
むしろ逆だ。
GAは、こちらに電子戦の専門家がいることを想定している。
無闇にドローンを上げれば、操縦波か映像伝送波を拾われる。
拾われれば、即座に方位を取られる。方位を取られれば、座標を絞られ、指揮所が割られる。
だから、飛ばさない。
だから、観測班を置く。機械ではなく、人を使う。
人間の目。
それは古来から存在し、決して廃れない、完成された観測手段の一つだった。
「……徹底しているな」
レナは小さく呟いた。
『何か言いましたか?』
チエの声がインターコム越しに届く。
「何でもない。警戒を怠るな」
『了解……マカロン隊、周囲に目を凝らせ』
チエの指示が、無線の中で低く響いた。
四両のシャーマンは低速を維持したまま、第一次攻撃部隊が壊滅した地点へと踏み込んでいく。
そこには、戦闘の熱がまだ生々しく残っていた。
泥を深く抉った履帯痕。
地面に口を開けた迫撃砲弾のクレーター。
泥に半ば埋もれた弾帯。
側面装甲を貫かれ、内部から黒く焼けたクルセイダー。
「……酷い」
スイが小さく呟いた。
誰も答えなかった。
正実の生徒たちは、シャーマンの後方に張り付くようにして進んでいる。
巨体の陰から離れまいと、泥に足を取られながらも必死に歩いていた。
『この辺りに、未帰還の子がいるはずよ。踏まないように気を付けて』
緊張を孕んだチエの声が無線に流れる。
操縦手は左右の操作レバーを引き、速度を徐行へとした。
エンジン音が、いやに大きく聞こえる。
残骸から立ち昇る黒煙の臭いと、硝煙の残り香が、露に混じって肺へ沈んでいく。
レナは対空機銃座から身を乗り出し、残骸の隙間へ視線を走らせた。
少し離れた左前方。
黒煙を上げるクルセイダーの車体の後ろで、泥に塗れた赤と黒の制服が見えた。
四名。
第一次攻撃に取り残された正実の生徒たちだった。
全員が地面に這いつくばっている。
だが、ライフルの銃口は林へ向けられており、戦意は、まだ折れていなかった。
『こちらマカロン1。左前方、10時から11時方向。残骸手前に生徒を発見』
チエが無線で通達する。
『収容して』
シャーマンの隊列がゆっくりと彼女たちを追い越し、後ろに張り付いていた正実の生徒たちが駆け寄った。
取り残されていた四人は一斉に顔を上げる。
差し伸べられた手を掴み取り、泥に脚を滑らせながら、シャーマンの影へ飛び込んだ。
だが、その直後だった。
クルセイダー右側の影に、二人分の脚が見えた。
右翼を進むマカロン3が、履帯を軋ませながら迫っている。
マカロン3の車長も、キューポラから顔を出していた。
だが、クルセイダーから吹き出す分厚い黒煙が、ちょうど彼女の視界を斜めに遮っていた。
操縦手から見える世界は、さらに狭い。
分厚い装甲に開けられた細いペリスコープ。
その向こうに切り取られた、わずかな前方視界。
まして相手は、クルセイダーの残骸の陰に伏せている。
シャーマンには完全な死角だった。
『なっ……!』
チエが異変に気づき、怒号を無線へ叩きつける。
『マカロン3! 残骸の影に味方だ! 避けろ、バカ!』
『えっ――!?』
『右だ! 右へ回頭! 進路に味方がいる!』
次の瞬間、マカロン3の操縦手が右の操作レバーを力任せに引き倒した。
右履帯に制動がかかり、巻き上げた泥が弾け飛ぶ。
約30トンの鋼鉄の車体が、わずかに右へ流れ、伏せていた生徒のすぐ脇を履帯が通り過ぎた。
泥が跳ね、少女の頬を汚す。
あと半歩――
いや、あと一瞬遅れていれば、履帯はその身体を容赦なく押し潰していた。
『マカロン3! 轢き潰す気か!!』
『すみません……! 煙が邪魔で……!』
『言い訳は後だッ! さっさと車間を戻せ! 隊列が乱れている!』
チエの怒声が、無線の中で弾けた。
マカロン3の車長が顔を強張らせ、慌てて操縦手へ指示を出す。
その間にも正実の生徒たちが駆け寄り、伏せていた二人を起き上がらせ、シャーマンの後方へ退避させた。
レナは銃座から離れ、エンジンデッキの上から取り残されていた正実生徒に声をかけた。
「怪我はないか!」
「ありません!」
「負傷者は!」
「いません!」
「戦えるか!」
「全員いけます!」
レナは泥だらけの生徒へ、矢継ぎ早に問いを投げた。
「一つ聞きたい!砲声から、迫撃砲弾が落ちるまで何秒経った!?」
「えっ……えっと! 撃った音は聞こえませんでした! でも、頭の上でヒュルルルって空気を裂くみたいな音が続いて……だいたい10秒くらい経ってから、ドカンって……!」
レナは周囲の地面に広がるクレーターの形へ視線を落とし、その情報と照らし合わせる。
(……真円に近い。かなり高い角度だ。落下音だけで10秒……発射からの総飛翔時間は、おそらく30秒前後。距離は約3000から4000m。要塞周辺から、撃ち込んでいる)
「おい! 対戦車砲はどこか分かるか!?」
「分かりません! 何も見えませんでした!急に砲弾が……!」
レナは視線を上げ、クルセイダーの残骸を観察した。
(反対側まで抜けているな。花びらのめくれ方は……右斜め前、2時方向から撃ち込まれている)
シャーマンがもう一つのクルセイダーを通り過ぎ、正面装甲が視界に入る。
(コイツは正面装甲右側に着弾痕……11時)
レナの頭の中で、相手の配置が組み上がっていく。
(林縁まで、もう1000mはない。……十分引きつけてから撃つ気だな。
このまま進めば……左右からシャーマンの側面が抜かれる)
――
――FOXチーム/林間内。
レナが指揮する突撃部隊が、平原へ入る少し前。
FOXが踏み入った林の中では、霧はさらに濃かった。
湿った土と濡れた枯れ葉の匂いが鼻を突く。
立木の間は白く霞み、見通しが悪い。
枝葉の隙間から差し込む、僅かな陽光も霧散し、周囲は白く濁っていた。
そんな白い世界を、四つの迷彩の影が物音一つ立てずに進んでいる。
ポイントマンを務めるクルミが、不意に右手を挙げて拳を握った。
全体停止――。
ユキノ、ニコ、オトギが、それぞれ銃を構えたままその場にピタリと止まり、膝を落とす。
クルミはSMGの銃口に取り付けたサプレッサーで足元の植物をそっと避けた。
「……」
緑に紛れるように、細いピアノ線がピンと張られていた。
ワイヤーの先は、少し離れた木の幹に固定された手榴弾のピンに繋がっている。
さらに、その少し奥の枝には、空き缶を組み合わせた即席の鳴子が吊るされていた。
クルミは後ろを振り向き、指先でワイヤーの存在を示した。
そして、クルミはSMGを胸に抱え込み、ワイヤーを跨いだ。
続くユキノも、クルミが残した足跡と寸分違わぬ位置に足を置き、音を立てずに跨ぎ越える。
ニコ、オトギも全く同じ動作でそれに続いた。
林間に潜むGAの防衛線は、周到だった。
歩兵の浸透を想定したトラップが、何重にも張り巡らされている。
それでもFOXチームにとっては、危険と同時に、敵が守りたい方向を示す道標でもあった。
(……トラップが多い、よほど入られたくないらしい)
ユキノはペイントで汚れた顔の奥で、鋭い視線を林の奥へ向ける。
道中では、あらゆる罠が仕掛けられていた。
敢えて目立つように置かれたワイヤー、そのすぐ後の枯れ葉の下に隠された
自然な枝の曲がりを偽装したワイヤー。
そして、それらを避けた先にある「迂回路」にこそ仕掛けられた、より巧妙な鳴子の列。
だがFOXは、そのすべてを回避して見せた。
彼女たちは、迂闊にワイヤーを切断することなどしない。
切断して張力が失われた瞬間に起爆するトラップもあれば、解除した痕跡で「こちらの存在」をパトロールに気づかせるリスクもあるからだ。
三人はただクルミを信じ、彼女が選んだ「足跡」だけを頼りに正確にトレースしていく。
小鳥の囀りすら聞こえない、静寂の中を進み続ける。
だが、GAの痕跡はそう簡単には見つからなかった。
そろそろ本隊が戦闘を開始してもおかしくはない。
乾いた焦燥が四人の背中をジリジリと焼く。
それでも、足は速めない。
周囲に視線を巡らせ、一歩一歩、着実に進む。
すると唐突に、クルミが再び停止のハンドサインを出し、ゆっくりと片膝を突いた。
ユキノが音もなくクルミの隣へ移動する。
「……あれじゃない?」
クルミが小声で囁き、指先を向ける。
視線の先には、落ち葉に紛れるように太い線が続いていた。
無線ではなく、 地面を這わせた有線通信。
それだけで、GAが徹底して電波を殺していることが分かる。
「有線ケーブルか……よし、辿るぞ」
FOXは有線ケーブルの先へ、ゆっくりと近寄った。
一部だけ露出したケーブルは、GAの拠点から離れるように続いていた。
ユキノは左手を低く掲げ、二本の指を前へ倒した。
前進――。
クルミが先頭に戻る。
四人は地面に這うケーブルから半歩ほど距離を取りながら、音もなく進み始めた。
ケーブルは木の根を避け、落ち葉の下を潜り、時折泥の中へ沈んでいる。
だが完全には消えない。
周囲を警戒しつつもケーブルを頼りに観測班へ近付く。
周囲に誰かが何度も往来した痕跡が残っていた。
踏まれた苔。
折れた小枝。
靴底を模った泥。
クルミはそれらを一つずつ拾いながら、進路を選んでいく。
やがて、霧の向こうから、かすかな声が聞こえた。
「……敵横隊……。四両。歩兵……随伴……」
再びクルミが停止のハンドサインを掲げた。
それと同時に、後ろの三人は身を沈める。
前方、約20m。
太い幹を持つ大木。
その上から、息を潜めた誰かの声が聞こえる。
聞き耳を立てなければ気付かないほどの小さな声。
だが、ユキノたちの頭頂部には、ぴくぴくと自由に動き、小さな音源も逃さない大きな獣耳が生えている。
四人の獣耳が、一斉にその声の方へ向けられた。
ユキノは身を屈めたまま、ライフルをゆっくりと持ち上げ、
霧と枝葉に紛れるように、二人のGA生徒が木の太い枝に跨っていた。
純白の制服の上に、偽装網と迷彩パターンのマントを羽織っていた。
一人は野戦用の大型有線電話機を背負い、もう一人の手には双眼鏡と手帳が握られている。
視線は、林の奥から平原の開けた方向へ釘付けになっていた。
間違いない。あれがユキノたちの獲物だった。
ユキノはスコープから目を離さず、ハンドサインで指示を出す。
『ターゲット確認』
『二名』
『排除準備』
クルミが頷き、音もなくSMGを構え、射線をクリアにする。
オトギとニコは周囲へ視線を巡らせた。
木の根元や霧の向こう。少し離れた低木の陰。
観測班が二人だけとは限らない。 どこかに護衛が潜んでいる可能性もある。
だが、今のところ、気配も音もない。
銃を構える二人は、まだ引き金から指を外していた。
レナの指示は「敵が初弾の弾着を確認し、修正の通信を発した直後」だ。
早すぎれば、GAは異常を察知して別の観測班を立てるか、即座に突撃破砕射撃へ移行してしまう。
相手が砲弾を撃つまで、待たなければならない。
「目標群、D2を通過。……現在、D1へ接近中」
電話機を背負った生徒が、ハンドセットを耳に当てて頷く。
「
双眼鏡を覗き込んでいた生徒が、手帳のページを急いでめくり、隣の通信手へ顎でしゃくった。
「D1からC3へ入る。……予定通り、エリアBへ第一射」
通信手が頷き、ハンドセットへ口を寄せる。
その瞬間。
「……ッ!」
林の奥、要塞の方向から、空気を引き裂くような音が響いた。
ヒュルルルルルッ――!
笛の音にも似た鋭い風切り音が、濃霧の空を切り裂いて平原へ落ちていく。
直後。
ドォォォォンッ!!
ズドォォンッ!!
平原の方角から、大地を揺るがす重低音が連続して轟いた。
120mm重迫撃砲の初弾だ。
木の上にいるGAの観測班の顔に、明らかな緊張が走った。
「
Vigilia-2と交会、修正値を出せ――」
双眼鏡を覗く生徒が淡々と報告した。
「Arx、Arx。こちらVigilia-1。Impact。エリアB中心より右。観測方位――」
通信手が復唱した、その時。
バシュッ!
ボフッ!
サプレッサーでくぐもった異なる二つの銃声が、同時に林間に吸い込まれた。
「うっ……」
「あっ……」
双眼鏡を覗いていた生徒のヘイローが激しく明滅し、バランスを崩して木から転げ落ちる。
通信手はハンドセットを落とし、呻き声を上げながら枝の上に突っ伏した。
やがて二人のヘイローが消え、意識を落とす。
「……
ユキノはスコープから目を離し、静かに銃口を下ろした。
クルミもSMGを下げ、素早く周囲のクリアリングを継続する。
ニコとオトギも死角をカバーしたまま、音もなく前進し、木から落ちた生徒と通信手が完全に戦闘不能になっていることを確認した。
有線のハンドセットが、枝から垂れ下がって宙で揺れている。
『Vigilia-1? 応答しろ、Vigilia-1! どうした!?』
ハンドセットの向こうから、焦燥に駆られたArxの声が小さく漏れ聞こえていた。
カチッ――カチッ――。
ユキノは、胸元の無線機の送信ボタンを、無音のまま短く二回押し込んだ。
――
――突撃部隊/平原。
ドォォォォンッ!!
ドォォォォンッ!!
シャーマンの隊列から約50m右前方。
泥の平原が爆発とともに真上に吹き飛んだ。
120mm迫撃砲の着弾だった。
巨大な土柱が立ち昇り、衝撃波が霧を吹き飛ばす。
ピュゥン――、ピュゥ――ン。
大量の破片が風切り音を上げ、シャーマンの装甲を激しく叩く。
「きゃぁっ……!」
「ひぃっ……!」
「ふ、伏せて!」
戦車の後ろに張り付いていた正実の生徒たちが、悲鳴を上げて反射的に地面へ伏せようとした。
「おい、立て! 止まるな! 前進だ!」
砲塔の影に隠れたレナが怒号を飛ばす。
「離れるな! 破片をまともに食うぞ!」」
ドォォォォンッ!!
今度は真後ろ、少し離れた位置で爆発が起こる。
GAの初弾は、マカロン隊の直進ルートを綺麗に挟み込んでいた。
ドォォォォンッ!!
数人の正実生徒が衝撃に煽られ、膝を付いた。
『WOLF1! このままだとマズい!』
チエの切羽詰まった声が無線に響く。
交会観測による修正射撃が来れば、次は間違いなく、外にいる生徒が吹き飛ばされる。
(……必ず来る)
だが、FOXを信じるレナと第1小隊は、至って冷静だった。
「落ち着いて!大丈夫!」
レンが叫び、周りの隊員も同調する。
「ほら、離れるな!ぴったり着いてこい!」
「まだ、当たってないよ!あいつら下手っぴだね!」
レナはヘッドセットの奥で、音が鳴るのをひたすら待つ。
ほんの数秒が、永遠のように感じられた。
直後――。
ザッ……ザッ。
極めて短く、規則的なノイズが二回。
FOXの合図だった。
これで、GAは着弾修正に必要な片側の観測情報を失った。
少なくとも、次弾をこちらへ正確に追従させることは難しい。
「チエ!増速だ!」
レナは砲塔の天板を思いっきり叩いて叫んだ。
「観測の片目を潰した! 奴らの修正は間に合わない! さっさと抜けるぞ!」
『了解!
『Roger!Roger!』
『Go, Go, Go!』
『Move out!』
ブオオオオン――!!
四両のシャーマンが一斉に速度を上げた。
履帯が激しく泥を蹴り上げ、巨体が速度を上げる。
レナは無線機のスイッチを押し、即座に指示を飛ばす。
「全隊! 駆け足! 置いていかれるなよ!」
ズドォォン! ドォォン!
GAの迫撃砲陣地が、交会観測不能と判断して突撃破砕射撃に切り替えた。
平原のあちこちで、レナたちが数秒前までいた場所、あるいは進路上に設定された区画に、爆発が連続して発生する。
土の雨が降り注ぐ中、正実の生徒たちは歯を食いしばり、必死にシャーマンの背中を追いかけた。
「止まらないで! 離されたら吹っ飛ばされるわよ!」
レンが走りながら部隊を鼓舞する。
弾幕を抜け、霧が晴れ始めたその時。
ズダダダダ――!!
ズダダダダ――!!
林縁から複数の銃弾が襲いかかり、マカロン隊の正面装甲で火花を散らした。
ズダダダダダダダッ――!!
林縁の茂みから、太く赤い曳光弾の束が途切れることなく、何本も伸びてきていた。
GAが配備したのは、古めかしい水冷式重機関銃。
古いが、厄介な兵器だった。
水が枯れない限り、銃身は焼き付かず、装填以外に弾幕が途切れることはない。
カン――!カン、カン!!
カン――カン――!!
『奴らペリスコープを狙ってるよ!!』
マカロン4から悲鳴のような声が響く。
『
チエの怒号と同時に、四両のシャーマンから8挺の30口径機関銃が火を吹き、林縁の茂みを雑草ごと薙ぎ払う。
レナも重機関銃の照準器を覗き込み、林縁へ向かって撃ち始めた。
ズドッドッドッドッ――!!
50口径の重い発砲音が耳をつんざき、林縁の木々を幹ごとへし折って土煙を上げる。
だが、敵の弾幕は止まらない。
強固に構築された塹壕を、機銃の乱れ撃ちで沈黙させることは不可能だった。
ヒュオン――!!
林縁から突然、銃弾より明らかに大きな飛翔体が、風切り音を上げながらシャーマンの横を掠めていった。
「対戦車砲!! チエ! スモーク弾だ!」
指示が飛んだ直後、チエは送信機を握った。
『
その命令を受け、各車の車内で短い命令が飛び交う。
『
『
『
三両のシャーマンが、立て続けに主砲を放った。
ドンッ――! !ドンッ――! !ドンッ――!!
75mmの低く重い砲声。
直後、林縁の塹壕のすぐ手前で、白い光点を撒き散らし、三つの白い爆発が花開いた。
「煙幕展開!」
チエがキューポラから叫ぶ。
だが、レナは重機関銃を撃ちながら、さらに声を張り上げた。
「油断するな! 次が来るぞ!」
レナの予測通りだった。
激しい砲撃の中、履帯の駆動音を響かせながら迫ってくる巨大な鉄の塊のプレッシャー。
いくら訓練されたGAであっても、白燐を撒かれ、無数の銃弾が降り注ぐ重圧で、沈黙を保つことは不可能だった。
ヒュオン――!!
ヒュオン――!!
煙幕の奥、空気を切り裂くような金属の摩擦音が平原の林縁の左右から絶え間なく飛んでくる。
ズガァァァァァンッッ――!!!
『ぐあぁッ――!!』
直後、マカロン2の車体左側面に徹甲弾が掠めた。
激しい火花が散り、ロープで括り付けられていた丸太が衝撃で粉々に砕け、周囲に飛散した。
跳ねた弾体は、甲高い悲鳴のような音を残して霧の彼方へ消えた。
それと同時に、強烈な振動が激しく車内を揺さぶり、間近で巨大な鐘を叩かれたような轟音が乗員の耳を殴打した。
『マカロン2! 状況は!?』
『ひ、非貫通! 横を掠めただけです!』
レナは重機関銃を撃ちながら、無線機のスイッチを押した。
「FOX4、FOX4! 敵対戦車砲を複数確認! 姿は見えず! 至急、観測情報を求む!」
レナの怒号が通信に飛ぶ。
直後、ノイズ混じりの音声が返ってきた。
『FOX4、了解。これより“ポップアップ”する……なんとか耐えて』
オトギの冷静な声だった。
『スリー、ツー、ワン――』
砲声と土煙が渦巻く平原の端。
茂みの中から、手のひらサイズの小型ドローンが硝煙漂う空へ急上昇した。