白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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第48話 槍衾

 

 

――旧聖バルバラ要塞防衛線/林道。

 

Gunner(砲手). Sabot(装弾筒付徹甲弾). Sherman(シャーマン戦車). Front(正面). 400」

 

偽装網の下。

泥と枝葉で覆われた砲座の中で、GAの砲手が照準ハンドルを回していた。

重厚なギアが噛み合う鈍い音を響かせながら、巨大な砲身が僅かに旋回し、滑らかに俯仰する。

 

白煙の向こう。

一両のシャーマンが、盛土を乗り越えた。

そのまま塹壕を突破し、車体の姿勢が一瞬だけ崩れた。

 

照準線の中心に、シャーマンのシルエットが重なる。

 

砲手は息を止めた。

 

On(照準よし)

 

囁くような報告。

隣で照準を確認した砲長の生徒が、短く頷いた。

そして、冷徹に命じる。

 

Fire(撃て)

 

同時に、砲手が発射レバーを引いた。

 

Firing(発射)――!」

 

ズドォォンッ――!!

 

爆炎と轟音が、狭い砲座を暴力的に満たした。

砲身と砲尾が一体となって凄まじい勢いで後座し、泥に沈められた砲架が悲鳴のように軋む。

次の瞬間、復座に合わせて尾栓が開いた。

 

ガシャンッ――!

 

細長い薬莢が白煙を吐き出しながら弾き出され、泥の上を跳ね回った。

 

 

 

――

 

――第一防衛線/塹壕。

 

それまで聞いていた6ポンド砲とは、まるで違った。

 

霧と白煙の向こうから、一本の閃光が走る。

そう錯覚した、次の瞬間。

 

ガァァァンッ――!!

 

マカロン4の正面装甲で激しい火花が弾け、30トンを超える車体が、激しく揺さぶられた。

 

着弾の圧力によって、分厚い圧延鋼板が内側へ向けてひしゃげ、裂け飛んだ。

 

ズドォォンッ……!!

 

一拍遅れて、重く鋭い砲声が空間を殴りつけた。

 

「――ッ!!!」

 

マカロン4の無線に、短い悲鳴が走った。

 

金属片が車内で跳ね回る音。

インターコムを焼くようなノイズ。

そして、乗員たちの絶叫。

 

『……あぁッ! 脱出! 脱出して!』

 

『火だ……! 逃げろ!』

 

『ゴホッ、ゴホッ……ハッチが開かない!!』

 

『目がッ! 前が見えないッ!』

 

叫び声が混じり合い、無機質な白いノイズに呑まれていく。

 

鋭い弾芯は、シャーマンの正面装甲を深々と穿っていた。

 

弾芯の破片。剥離した装甲の破片。そして赤熱した金属飛沫。

 

それらが極狭の車内を跳ね回り、乗員を容赦なく切り裂き、弾薬ラックの隔壁に深くめり込んだ。

 

幸い、弾薬そのものの誘爆は免れた。

だが、それだけだった。

 

飛び散った火花と超高温の金属片が、車内の布、油、装備に次々と燃え移る。

マカロン4の上面から、あっという間に黒煙が噴き上がった。

 

『ぁ……ぇ……?』

 

無線から、チエの声にならない音が漏れる。

その奥で、他の車長たちの悲痛な叫びが重なった。

 

『なっ!? 何の光――!?』

 

『今のは速すぎる!! 高初速砲だ!! 6ポンド砲じゃないッ――!!』

 

『まさか……Eighty-Eight(88mm高射砲)!?』

 

『相手はGAだぞ! ゲヘナの高射砲なんて持ってるはずがない!』

 

ノイズ越しに、チエが息を呑む音が聞こえた。

 

『……どうして?』

 

かすれた声。

 

『……なんで、ここに』

 

シャーマンのキューポラから、車長の生徒が半ば転がり落ちるように這い出した。

黒煙に包まれた彼女のヘイローは、生命の危機を知らせるように激しく明滅している。

 

顔は煤に塗れていた。制服は破片で裂け、所々が赤く焦げ付いている。

それでも彼女は、泥の中へ落ちる寸前で踏み止まり、燃え盛る車内へ身を乗り出そうとした。

 

「待っててッ……!! 今、助けるから!!」

 

彼女が再び車体によじ登ろうとした、その瞬間。

 

「おい!! 待て!! 行くな!!」

 

レナの怒号が飛んだ。

直後、林道奥から複数の機関銃が一斉に火を噴いた。

 

ズダダダダッ――!!

 

「きゃぁッ――!!」

 

カンッ――!!

カン、カンッ――!!

 

無数の弾丸が車体を叩き、雨のように火花を散らす。

車長の生徒は銃弾を浴び、力なく滑り落ちるように車体から転がり落ちた。

 

ばしゃりと泥が鈍く跳ねる。

 

「マカロン4、大破!」

 

「早く救出を!」

 

「どうやって!? さっきの見たでしょ! 無理だよ!!」

 

塹壕内の正実生徒たちの間に、恐慌が走った。

 

燃えるシャーマン。もうもうと噴き上がる黒煙。

ハッチの内側を必死に叩く音。無線に混じる、乗員たちのくぐもった悲鳴。

 

助けに行かなければならない。

行かなければ。

誰もがそう思った。

 

だが、レナの足は微動だにしなかった。

戦場の理性が、冷たく「見捨てろ」と囁き、両足に足枷をはめたのだ。

 

今走れば、助けられるかもしれない。

ハッチを叩いている生徒たちを、無理やり引きずり出せるかもしれない。

 

だが、レナの目には同時に見えていた。

林道の奥。霧と黒煙の向こう。

今撃ったばかりのあの化け物じみた砲が、次弾を装填している光景が。

 

救出に人を出せば、間違いなくそこへ二発目が来る。

戦車だけではない。駆け寄った正実生徒も、SRTも、すべて吹き飛ばされるだろう。

 

安易な情けは、部隊全体を致命的な危険に晒す。

それは前世の記憶で、骨の髄まで思い知らされた戦場の鉄則だった。

 

レナは奥歯を強く噛み締める。

 

「全隊、停止!!」

 

張り裂けんばかりの怒号が、戦場の爆音と悲鳴をねじ伏せた。

 

「誰も林道へ出るな!」

 

「で、でも……っ! まだ中に! 助けないと!」

 

我を忘れて塹壕から身を乗り出そうとした正実生徒の襟首を、レナは容赦なく掴んだ。

そのまま、力任せに泥の中へ引きずり戻す。

 

「次は榴弾が飛んでくる! 吹き飛ばされたいのか!?」

 

「あぐッ……!」

 

塹壕の壁に叩きつけられた生徒が、肺の空気を抜かれ、嗚咽を漏らした。

レナは蹲った生徒を一瞥するに留め、塹壕の縁から黒煙を噴く車体の向こうを鋭く睨みつける。

 

「チエ! ハルダウン(車体隠蔽射撃姿勢)を維持しろ! 林道へ絶対に車体を晒すな!」

 

『え? ……あっ……ま、マカロン1、了解!

――盛土手前で待機! ハルダウン維持!』

 

レナの怒号で、チエが辛うじて正気を取り戻す。

送信機を握り締め、震える声で各車へ指示を飛ばした。

 

『マカロン2、了解!』

『マカロン3、停止! 停止!』

 

三両のシャーマンが、盛土の手前で横に広がった。

履帯を軋ませ、泥を噛んで停止する。

車体は地形の裏に隠したまま、砲塔だけが霧と黒煙の奥へ向けられた。

 

「チエ! WP(白燐弾)! 林道奥、発砲炎方向――!

距離は大雑把でいい! とにかく射線を切れ! 次弾を撃たせるな!」

 

レナが怒鳴り、即座にチエは復唱した。

 

『――Macaron 2(マカロン2), Macaron 3(マカロン3)! WP(白燐弾)! Road(林道), 12 o’clock(十二時方向)! Range 300(距離 三百)! One round(一発のみ)!』

 

Wilco(了解、実行する)!』

 

Roger(了解)!』

 

マカロン2と3の砲塔が、ほとんど同時に林道奥へ向く。

 

煙を吹き続けるシャーマン。

そのさらに向こう側。

 

強烈な閃光が走った、おおよその位置へ、二門の75mm砲が照準を合わせた。

 

Fire(撃て)――!!』

 

ドンッ――!

ドンッ――!

 

二発の白燐弾が、シャーマンの左右を掠めるように飛び越え、林道の奥へ落ちる。

 

ブシュァァァァッ――!!

 

白い火片と濃密な煙が、霧の奥で一気に膨れ上がった。

林道を完全に塞ぐように白煙が広がり、砲座とマカロン4の間に分厚い煙幕を作る。

 

だが、レナは知っていた。

煙は、あくまで目眩ましであり、装甲を貫く砲弾は防げない。

 

ただ、次弾の照準を狂わせ、数秒の時間を稼ぐだけのものだ。

 

「ジャスティス4! 二名を出せ!」

 

「りょ、了解!」

 

「WOLF4!」

 

「――イエスマム!」

 

レナの声に、メイが即座にタワーシールドを構えた。

白い翼を畳み、泥にまみれた塹壕の斜面を力強く蹴る。

 

「あそこで倒れている車長を回収しろ! 戦車には近付くな!」

 

「……ッ、行ってくる!」

 

一瞬だけ、メイの目が揺れた。

燃える車内には、まだ生徒がいる。それを見捨てる命令だったからだ。

だが、彼女はレナの判断に逆らわなかった。

 

巨大な盾を前に押し出し、ジャスティス4の二名を伴って塹壕から飛び出す。

白煙の向こうから、再び機関銃が唸り声を上げた。

 

ズダダダダダッ――!!

 

「総員! 援護しろ!」

 

メイと正実生徒たちが塹壕から這い上がった瞬間、レナの号令で全員が銃口を向け、一斉に撃ち返した。

 

ズダダダダッ――!!

ダダダダダッ!!

 

「くっ……!」

 

前後から飛び交う弾幕の中、メイのタワーシールドに次々と弾丸が叩きつけられる。

 

激しい火花が散る。

衝撃が分厚い装甲越しに腕を伝い、肩の骨を軋ませた。

 

足下の泥がズルズルと滑り、歩みを重くする。

それでも、メイは歩みを止めなかった。

 

「早く! 車長さんを引っ張って!」

 

「はいっ!」

 

「ほら! 持ち上げるよ!」

 

ジャスティス4の二人が、盾の陰から飛び出すように腕を伸ばす。

泥の中に倒れているマカロン4の車長は、まだ意識があるのか、指先だけを微かに痙攣させていた。

 

ヘイローは激しく明滅しているが、消えてはいない。

それだけが、この凄惨な場で許された、唯一の救いだった。

 

「「せーのッ!!」」

 

二人は車長の足首と脇を掴み上げ、後退を始める。

その瞬間、林道奥から別の機関銃が火を噴いた。

 

ズダダダダッ――!!

 

弾丸の雨が、シャーマンの車体を容赦なく叩き据える。

そのすぐ横に立つメイの盾へ、複数の火線が殺到した。

 

「うっ……!」

 

波状的に押し寄せる衝撃で、メイの体が半歩後ろへ押し戻される。

それでも、盾だけは決して下げなかった。

 

(戦車に近付いていたら……蜂の巣だった)

 

メイは歯を食いしばり、必死に盾を支え続けた。

 

「チエ、砲撃で援護だ! HE(榴弾)! ビビらせろ!」

 

『了解!

――All Tanks(全車)! HE(榴弾)! Road(林道), 12 o’clock(十二時方向)! Fire when ready(撃てる車両から撃て)!』

 

マカロン隊が、白煙越しに榴弾を容赦なく叩き込む。

 

ドンッ――!

ドンッ――!

ドンッ――!

 

三発の榴弾が、白煙の向こうへ吸い込まれるように消えた。

直後、林道奥で赤黒い土煙が舞い、砕けた木片が空高く跳ね飛ぶ。

機関銃の執拗な掃射が、一瞬だけ乱れた。

 

その僅かな隙を突き、ジャスティス4の二人はマカロン4の車長を引きずったまま、塹壕へ転がり込んだ。

 

「こっち! 早く!」

 

塹壕内から伸びた正実生徒の手が、三人を力強く掴む。

泥と煙に塗れた車長の身体が、壕の内側へ安全に引きずり込まれた。

 

「メディック! 包帯と水!」

 

「意識は!?」

 

「ある! 反応は薄いけど!」

 

その言葉に、張り詰めていた塹壕内の空気がほんのわずかに緩んだ。

だが、燃える車内には、まだ四人が残されている。

 

レナに安堵する余裕など微塵もなかった。

 

「クソッ。いい加減な情報を……」

 

情報にない、未知の兵器。

いや。

本当は、未知ではない。

 

(あのクルセイダーに大穴を開けたのは、さっきの奴か)

 

レナの脳裏に、RALLY POINT(集合地点)で見た残骸の姿が鮮明に蘇る。

正面から食い破っていたあの無惨な貫通痕。

6ポンド砲の所業にしては、あまりにも暴力的な傷跡だった。

 

あの時の違和感が、今、目の前の黒煙と完全に結び付いた。

 

「チエ!」

 

レナは燃えるマカロン4から目を離さずに叫ぶ。

 

「今の砲は何だ!」

 

無線の向こうで、チエが息を呑む音がした。

 

『あれは……恐らく、17ポンド砲です』

 

「何……? 17ポンドだと」

 

レナが反芻した言葉に、塹壕内の空気が一瞬にして凍り付いた。

 

『……はい』

 

チエの声は微かに震えていた。

恐怖ではない。

怒りと、混乱と、信じたくない現実を、無理やり言葉の形にしている声だった。

 

『6ポンド砲じゃありません。砲声も、弾速も、飛翔音も、すべて桁違いです』

 

「……どうして、そんなものをGAが持っている。お前たちは、何か隠していたのか?」

 

レナの声は氷のように冷たかった。

だが、チエは即座に否定した。

 

『ち、違います! 本当に、私たちは知りません!』

 

「なら、なぜここにある」

 

『雷帝対策の一つとして、数門がトリニティに試験納入されたことは知っています。

ですが、あれは危険な兵器です。本来は厳重に保管されていて、ここに存在するはずがありません。

 

……少なくとも、公式の装備表では』

 

「装備表では、か」

 

レナは低く呟いた。

燃えるシャーマンの黒煙が、霧の中へゆっくりと溶けていく。

白煙の幕の奥で、敵の砲座は不気味なほど沈黙していた。

 

だが、沈黙しているだけだ。死んだわけではない。

 

「GAが書類を改竄して持ち出した。あるいは、共感した誰かが見逃した」

 

『……その可能性が高いです』

 

レナは塹壕の縁から身を引き、泥に濡れた壁へ背を預けた。

 

「アレは安易に運べる物じゃない。移動には大型の牽引車両が要る。

そのデカさ故に、射界を作るためには木を切る必要もある。

それをここまで運び込ん――」

 

そこまで言いかけて、レナは言葉を止めた。

自身の推測に、決定的な違和感が混じる。

 

(……いや、待て)

 

あの位置からでは平原までの距離がありすぎる。

それに、木が邪魔だ。平原側を狙うには、明らかに射界が足りない。

あれほど派手なマズルフラッシュなら、平原側の林縁に据え付けた時点で、何かしらの目撃情報があるはずだ。

 

レナの背中に、言いようのない悪寒が走った。

 

(牽引砲は、一度据え付ければ簡単には動かせない。なのに、正実は誰もあの砲を見ていない)

 

では。

あのクルセイダーを撃ったのは、何だ。

 

レナは再び塹壕の縁へ身を寄せ、燃えるマカロン4の向こうを睨み据える。

 

「少なくとも、分かっていることは一つだ」

 

霧の向こうで、立ち昇る黒煙が風に揺れていた。

その奥にある林道は、静まり返ったままこちらを待ち構えている。

 

「この道は、槍衾だ」

 

その言葉に、チエが息を呑んだ。

 

『槍衾……。ということは、複数あると?』

 

「そのつもりで動け。油断するな」

 

レナは短く、断定的に言い切った。

 

「これまでの情報は一切信用するな。奴らは、それを逆手に取ってくる」

 

『……ッ』

 

「GAは特務部隊だ。なら、兵器を紙の上から消すことも、ありもしない場所に置くことも、造作もないだろう」

 

塹壕内にいた正実生徒たちの顔が、一様に強張った。

 

ティーパーティー直轄のGuardian Angels(守護天使)

護衛であり、監視であり、諜報であり、影の記録係でもある部隊。

 

そのGAが、重対戦車砲を密かに持ち出し、バルバラ要塞へ運び込み、砲座を作り、弾薬を集積していた。

それを、正実は知らなかった。副委員長も知らなかった。

少なくとも、小隊長の平野チエは知らされていなかった。

 

それはつまり、トリニティの記録(Archive)そのものが、嘘に塗れているということだった。

 

何が真実で、どれが嘘なのか。

 

この場にいる者たちだけで確かめることは、もはや不可能に近い。

 

「諜報が得意な子たちを敵に回すのは、厄介ね……」

 

近くに立つレンが、ぼそりと呟いた。

 

「隊長……これから、ど、どうしますか……?」

 

レナの傍らで、リノが問いかける。

 

声は震えていた。

けれど、その視線だけは、レナから逸らさなかった。

 

「正面は塞がれた。このまま林道へ進めば、もれなく全員ミンチだ」

 

レナは、再び林道奥の白煙へ視線を向けた。

 

「だが、GAの目的は殲滅ではない。ティーパーティーが政治的に折れるまで、我々をここで足止めすることだ」

 

「足止め……?」

 

正実生徒の一人が息を呑む。

 

「私たちを、ここで止めておくだけでいいってことですか」

 

「ああ、そうだ」

 

レナはARのマガジンを抜きながら頷いた。

残弾を確認し、迷いのない動作で再び挿入口へ叩き込む。

 

「戦闘が長引くほど、ティーパーティーはこの件を内密に処理できなくなる」

 

レナは一拍置き、周囲を一瞥した。

塹壕内にいる正実生徒たちの間に、ざわめきが広がる。

 

リノが白煙の向こうを睨み、息を呑んだ。

 

「GAの声明が漏れれば、三大派閥も黙っていません」

 

「そうだ……外が騒ぎ出すまで、耐えればいい。

だからGAは我々を相手に――“手加減”をしている」

 

レナの放った言葉に、塹壕内の空気が凍てついた。

 

「手加減……? あれで、ですか?」

 

正実の生徒が、震える声で呟いた。

塹壕のすぐ先には、絶望的な黒煙を上げるマカロン4。

TORTOISEとジャスティス3は、後方で既に戦闘不能。

平原には、迫撃砲弾が抉ったすり鉢状の跡が無数に刻まれている。

 

これで手加減だと言われても、誰もすぐには呑み込めなかった。

だが、レナは表情一つ変えなかった。

 

「本当に殲滅する気なら、マカロン4一両で終わらせない。二両目が林道へ出るまで待つか、撃破直後に迫撃砲と歩兵を同時に叩き込んでいたはずだ」

 

「……」

 

「GAは告発者という立場を捨てたくない。正実とSRTを必要以上に血祭りに上げれば、ただの危険な反乱部隊に成り下がる」

 

正実生徒が、青ざめた顔で塹壕の外を見た。

 

「では……私たちにとって時間は」

 

レナは静かに頷いた。

 

「敵だ。地の利はGAにある」

 

その時だった。

RAVEN1は背負ったセンサーパックから伸びる指向性マイクを塹壕の縁へ向け、ヘッドセットに手を当てた。

 

「……WOLF1、面倒な事態だ。林間から複数の音源を検出。かなりの数だ」

 

「どれくらいだ」

 

レナの短い問いに、RAVEN1は耳を澄ませたまま答える。

 

「正確な数は不明。ただ、分かるのは……一個小隊では済まない規模だ」

 

「どこから来る」

 

「音源の分布から推測して、左右から。包囲する気だ」

 

「……そうか」

 

レナは、冷たく事実を並べた。

 

「この塹壕は囮だ」

 

GAは、この塹壕を奪われたのではない。奪わせたのだ。

ここに誘い込み、足を止めさせ、正面を巨大な槍で塞ぐ。

そこへ左右から歩兵を流し込み、塹壕ごと押し潰す。

 

(よく訓練されている。流石マンモス校のエリート部隊だ)

 

単純だが、嫌になるほど堅実で狡猾な罠だった。

レナが思考を切り上げると同時、無線越しにチエの声が震えた。

 

『どうして……このタイミングで?

さっきの混乱に乗じて、歩兵を突っ込ませれば良かったのに』

 

チエの疑問はもっともだった。

マカロン4が撃ち抜かれ、指揮系統が最も動揺していた数十秒前。

あの時に左右から歩兵が雪崩れ込んでくれば、 塹壕から追い出されていたかもしれない。

 

だが、GAはそれをしなかった。

 

「ツルギだ」

 

レナは一言で答えた。

 

「奴らは、あのツルギが突っ込んでこないか極度に警戒している。包囲の足が鈍いのはそのためだろう」

 

レナは白煙の向こうを睨みながら、淡々と続ける。

 

「……我々はそこを突く。スピードが命だ。あいつがここにいないと悟られる前にな」

 

レナは塹壕内の部隊へ、手早く、そして的確に指示を飛ばした。

 

「WOLFとGOATは左の連絡路から進出して防衛線を展開、左翼林間に潜むFOXと連携して包囲を崩す。

RAVENは引き続き、敵の動向を監視。

正実はジャスティス1と2で右翼を防衛。

ジャスティス4は左翼で警戒、すり抜けた奴らが来たらマカロンと協力して追い返せ」

 

「17ポンド砲は?」

 

正実生徒の一人が切実な質問を投げる。

レナは、燃えるマカロン4の向こうを見据えたまま答えた。

 

「我々が左翼から接近し、奴らの目を引く」

 

白煙の奥には、まだ見えない槍の穂先が、静かにこちらを向いている。

 

「その間にFOXが左翼林間から回り込み、潜んでいる砲の位置を割り出す」

 

レナはARのセレクターを弾き、ジャスティス1と2の正実生徒たちを一瞥した。

 

「塹壕から出るなよ。守るだけでいい。右翼の詳細は不明だ」

 

「了解しました!」

 

レナの指示を受け、正実生徒の隊員たちが塹壕内で素早く配置に散った。

平原へ視線を移せば、マカロン隊の残存三両が、盛土の影でハルダウンを維持しつつ、砲塔を林道奥と左右の林間へ向けている。

 

塹壕の隅。

放置された木箱に腰を下ろし、ぼんやりと一点を見つめているスイのヘルメットを、レナはコンッ――と小突いた。

 

「起きろ、WOLF3。休息は終わりだ」

 

「え……? あっ、アイコピー!」

 

スイが弾かれたようにLMGを抱え直す。

レナは塹壕内を見渡し、声を張った。

 

「――総員戦闘体制! お嬢様方がダンスをご所望だ! 存分に相手をしてやれ!」

 

レナは叫ぶように号令を上げると、集まったSRT隊員たちへ視線を向けた。

 

「WOLF、GOAT、Oscar Mike(移動開始)! 私に続け!」

 

「「「Hooah(了解)!」」」

 

呼応と同時に、WOLFとGOATが動いた。

塹壕の角を蹴り、左へ伸びる連絡壕の角へ、流れるような動作で張り付いた。

 

「WOLF4! 先行しろ!」

 

「イエスマム!」

 

メイは自身のコンバットショットガンをセミオートモードに切り替え、盾を構えた。

 

「ムーブ!」

 

レナが低く叫ぶ。

 

即座にメイは、角から飛び出した。

狭い連絡壕を、白い翼を畳んだ巨体が滑るように抜ける。

タワーシールドの縁が板材を擦り、湿った土がぱらぱらと崩れ落ちた。

その後ろに、レナ。 さらにリノ、スイ。 GOATの四名が続く。

レナは前を往くメイの盾の陰から、ARの銃口を先へ向けたまま歩を進めた。

 

「止まれ」

 

レナが短く囁くと、メイがピタリと足を止める。

 

「ここを防衛線とする。GOATは左の壕へ展開、林に紛れて来る奴を狙い撃て」

 

レンは無言で二本指を振った。

GOATの隊員たちが、土嚢の低い位置へ散開し、互いの射界を重ね合わせる。

 

「WOLF3と4は敵側へ続く連絡壕を警戒」

 

「ウィルコ」

「イエスマム」

 

メイが姿勢を低くすると、片膝を泥に沈め、分厚い盾を地面に突き刺した。

その後ろでスイはLMGを構え、二脚を盾の縁に引っ掛けて連絡壕の先へ銃口を向ける。

 

「WOLF2は私に付いてこい。右の壕を押さえるぞ」

 

「了解」

 

リノは短く答え、レナと共に右へ伸びる壕に走る。

ここは林道に最も近い。迂闊に頭を出せば、機関銃か、最悪、あの17ポンド砲に吹き飛ばされる。

 

リノは土嚢の隙間からDMRを据える。

必要最低限の露出に留め、スコープの倍率を上げた。

 

『――WOLF1、こちらRAVEN1』

 

レナのヘッドセットに、緊張感を孕んだRAVEN1の声が滑り込んできた。

 

『注意しろ。そちらの位置から約150mで敵が停止。足音が散った。遮蔽物の陰に――』

 

途中で、RAVEN1の声が不自然に途切れた。

 

『上だ! 複数の風切り音! 伏せろ――!!』

 

RAVEN1の焦ったような報告に、レナは空を仰いだ。

 

「総員、伏せろ!」

 

レナの叫びと、ほぼ同時だった。

 

ヒュルルルルルッ――!

 

死神の笛の音にも似た鋭い風切り音が、幾筋も空から降ってくる。

直後――。

 

正実が守る塹壕の周囲と、レナたちが張った防衛線で連続した爆発が起きた。

 

ドォォォンッ!!

ズドォォンッ!!

 

『きゃあッ!』

『うぐッ……!』

 

爆風が泥と木片を天高く舞い上げ、雨のように塹壕の中へ降り注ぐ。

衝撃波が周囲を駆け抜け、鼓膜を激しく殴打した。

 

レナは降り注ぐ泥と木片に塗れながら無線機のスイッチを押した。

 

「FOX1!FOX1! こちらWOLF1だ! 聞こえるか!?」

 

『こちらFOX1……援護は必要か?』

 

ユキノの抑制された冷静な声がヘッドセットに流れる。

 

「その必要は無い! こちらは対戦車砲に戦車を一両破壊され、頭を抑えられている状況だ!

お前たちは、敵の突撃に合わせて後方へ回り込み、潜んでいる対戦車砲の座標を送れ! オーバー!」

 

戦車を破壊された。

 

『ッ……! FOX1了解……これよりFOXはSPECIAL RECONNAISSANCE(特殊偵察)を開始する』

 

その報告に、ユキノが僅かに息を呑んだのが分かった。

 

「恐らく、対戦車砲は複数ある!

分かっていると思うが、交戦は避けろ!」

 

『了解した。偵察に専念する。アウト』

 

通信が切れた。

レナはARを構え直し、泥だらけの顔で声を張り上げた。

 

「エンゲージ! 奴らを追い払え!」

 

 

 

――

 

――左翼林間/FOXチーム。

 

 

「了解した。偵察に専念する。アウト」

 

ユキノは、無線機から手を離すと同時に片手を上げた。

FOXの三人が、音もなく視線を向ける。

 

「FOX、新たな任務だ」

 

短く告げた。

 

「シャーマンが一両やられたらしい」

 

「「「……」」」

 

三人の間に、一瞬だけ鋭い動揺が走った。

 

「現在、本隊は対戦車砲と迫撃砲に頭を押さえられ、塹壕内で拘束されている」

 

ニコが、無言のままショットガンのチャンバーをチェックした。

 

「じゃあ、今度は裏側を見るってことだね」

 

「そうだ」

 

ユキノは頷く。

 

「我々に与えられた任務は、敵対戦車砲の捜索だ。

交戦は極力避けろ。レナの予測では、対戦車砲は複数あるとのことだ」

 

「うーん……撃てたら楽なんだけどねぇ」

 

オトギが背負った対物ライフルに手を添えて笑う。

だが、その目は全く笑っていなかった。

 

「却下だ。撃った瞬間にバレる」

 

ユキノは即座に切り捨てた。

敵の全容が不明な状態で、こちらの存在を知らせるのは悪手でしかない。

 

ユキノはゆっくりと立ち上がり、ARの銃口を下げたままハンドサインを出した。

 

「ムーブ」

 

クルミを先頭にFOXは、再び霧の海へ影のように溶け込んでいく。

 

霧の向こうでは、また迫撃砲が降っていた。

爆発のたびに木々の枝が震え、くぐもった轟音が林全体を駆け巡っていた。

 

平原側へ向かって前進していくGA歩兵たちの足音が、次第に聞こえてくる。

観測班排除の時よりも、森は明らかに騒がしかった。

 

木々の隙間を抜け、窪地を這い、苔生した倒木を跨ぐ。

張り詰めた感覚器官が微細な敵の気配を拾い上げ、死角から死角へと縫うように進み続ける。

 

やがて周囲から激しい銃声が響き始めた頃、クルミがピタリと足を止め、ハンドサインを出した。

全員が姿勢を極限まで下げ、傍の茂みに身を潜める。

 

クルミは、少し開けた地面へ、ゆっくりと指差した。

ユキノが音もなくクルミの隣へ移動し、視線を落とす。

 

轍だった。

湿ってぬかるんだ腐葉土の上――尋常ではない重量物が碾き潰したことを物語る、深く太い二本の溝が伸びている。

 

「……野砲を牽引した跡だね」

 

ニコが小声で囁いた。

ユキノは轍の幅と深さを一瞥し、短く頷く。

 

「随分深い。あれがターゲットのものと見て間違いない」

 

轍は少し先で二手に分かれていた。

片方はFOXのいる左翼林間の奥へ。もう片方は、林道へ向かう作業道へ続いていた。

 

「少なくとも……二門ある」

 

その言葉に、オトギが小さく舌打ちする。

 

「レナの読み、当たりかぁ……」

 

「まだ断定はしない」

 

ユキノは立ち上がり、周囲を鋭く見渡した。

 

「轍を辿る」

 

ユキノが短く告げる。

 

クルミが頷き、再び先頭を取った。

FOXは霧の中を進む。

 

濡れた下草を踏み潰さないよう足を置く場所を選び、GAが使った踏み跡の外側を、なぞるように脚を踏み出していく。

 

その時、前方の霧の奥で、微かな金属音がした。

クルミが片手を上げる。

全員が止まった。

 

数秒後、霧の奥から白い制服の影が二つ現れる。

GAの生徒だ。

一人はライフルを持ち、もう一人は肩から巻かれた黒いケーブルを下げている。腰には小型の野戦電話機らしき箱。

 

伝令か。通信班か。

どちらにせよ、ただの歩兵ではない。

 

そして、そのすぐ後ろには――。

 

大径の車輪と、ハの字に突き出た巨大な砲脚がユキノの視界に入った。

 

 





あまり筆が乗らないので、来週は投稿をお休みするかもしれません。

無事に書き上がったら投稿します。
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