白狼救済録 作:らんらん出荷マン
お待たせしました。
偽装網に覆われた17ポンド対戦車砲の周囲では、砲員と思しきGAの生徒たちが、白く煙る平原側をじっと睨んでいた。
長い砲身は枝葉と土色の布で覆われ、遠目には倒木と見分けがつかない。
だが、その奥に潜む砲口だけは、霧の向こうへ冷たく据えられている。
砲座のすぐ後ろには、細長い木箱がいくつも積み重ねられていた。
そのうち一つだけ、蓋が開いている。
ユキノはARをゆっくりと構え、レールに装着した
倍率リングを捻り、砲座周辺を素早く走査する。
蓋の開いた木箱の中には、17ポンド砲用の砲弾が数発ずつ、布と藁で動かないよう固定されていた。
(……砲弾の備蓄は最低限。さすがのGAも、あれの弾までは十分に揃えられなかったか)
砲そのものを動かしているのは、六名。
だが、そのうち二人は万全ではない。
砲弾を抱えている一人は、片腕に包帯を巻いている。
防盾の陰に膝をつく別の生徒は、制服の袖を焼かれ、頬に煤をこびりつかせていた。
肩章の汚れ方も、装備の揃い方も、微妙にばらついている。
同じ部隊で訓練を積んだ砲班ではない。
残った者を掻き集め、どうにか砲座へ押し込んだ。
そうとしか見えない、歪な配置だった。
(……寄せ集めか。GAの兵力事情は、相当ギリギリらしい)
砲座から少し離れた木陰には、さらに二人。
一人は小型の野戦電話機を膝に置き、受話器を耳に当てている。
もう一人は肩に掛けた黒いケーブルを手繰りながら、地面を這う電話線の弛みを直していた。
有線。
やはり、GAは無線を避けている。
RAVENに方位を取られることを恐れたのだろう。
(通信班二名。外周警戒は――)
ユキノは呼吸を浅くし、倍率を落とした。
スコープの視界が一気に広がる。
砲座周辺の茂み。
木の影。
倒木の陰。
岩場の縁。
視線を、舐めるように流していく。
(……いた)
倒木の影に一人。
低姿勢でライフルを木に預けている。
さらに、その奥。
苔に覆われた岩陰に一人。
そして、木の幹に背を預け、林内側を警戒している生徒が一人。
計三名。
護衛の視線は、いずれも林内側へ向いていた。
明らかに、FOXの浸透を警戒している。
(砲員六。通信二。護衛三……最低でも十一名)
ユキノは胸元の端末を起動し、左翼砲座の座標を仮登録した。
(第一目標、マーク)
迂闊に近付けば、即座に捕捉される。
捕捉されれば、警報が鳴る。
警報が鳴れば、この砲座だけでなく、周辺の防衛線すべてが反応する。
(四人で動くには、目が多すぎる)
ユキノはゆっくりとスコープから目を離し、背後で控える三人へ振り返った。
声は出さない。
指先と視線だけで、短く指示を送る。
『目標確認』
『待機』
『他を探す』
ニコが、僅かに眉を動かした。
『単独?』
ユキノは首肯する。
四人で動けば、それだけ痕跡が増える。
草が揺れ、枝が折れ、泥に足跡が残る。
この厳重な警戒網の中では、一人で動く方が、遥かに確実だった。
『FOX2』
『指揮を預ける』
ニコは小さく頷き、ショットガンのグリップを握り直した。
『攻撃禁止』
『監視』
『有線電話、砲員』
ニコは一瞬だけ目を細める。
いつもの飄々とした笑みを浮かべる代わりに、無言で親指を立てた。
『了解』
『グッドラック』
親指を立て返したユキノは、音もなく身を起こした。
重心を低く保ち、折れた枝を避け、落ち葉へ体重を預けすぎない。
一歩ごとに、地面の柔らかさを確かめながら進む。
濃い霧は、視界を奪う。
だが、それはGAも同じだった。
白く濁った空気がユキノの輪郭を飲み込み、監視の目を掻い潜る助けとなる。
「……」
ニコは視線を砲座へ戻し、通信班の手元を見た。
彼女たちに与えられた仕事は、砲座の監視。
ユキノを心配することではない。
――
――第一防衛線/左翼連絡壕。
ズドォォンッ!!
突然、何かが鈍い弧を描いて飛来し、塹壕の縁近くに叩き込まれた。
「くっ……!?」
レナは即座に身を縮める。
爆圧が土嚢を揺らし、無数の破片が塹壕内を駆け抜けた。
『何だ!? 何が飛んできた!?』
GOAT隊の誰かが、無線越しに怒鳴る。
「今の弾道、迫撃砲じゃありませんッ――!」
リノが土嚢越しにDMRを構え、林の影を睨んだ。
直後、別の報告が無線に飛び込んでくる。
『目視で確認!
「PIAT……バネ仕掛けのアレか」
レナは塹壕の縁へ目を走らせた。
林の奥。
白い制服の影が、長い筒のようなものを抱えて後退していく。
次の瞬間――。
別方向から、銃声とは違う、金属が跳ねるような音が微かに響いた。
レナの耳が、それを拾う。
迫撃砲ではない。
榴弾でもない。
「WOLF2! 伏せろ!」
「……ッ!」
リノが身を引くより早く、狙撃孔の縁で何かが起爆した。
「あぁッ――!!」
爆風に押され、リノの身体が壕の内側へ転がり落ちる。
一瞬、レナの呼吸が止まった。
だが、リノの手はまだDMRを離していない。
頬を破片が掠め、薄く血が滲んでいる。
それでも、ヘイローは揺らいでいなかった。
レナは弾が飛んできた方向へ、即座に制圧射撃を浴びせる。
だが、長い筒を持った白い影は木の陰に身を滑り込ませ、足早に下がっていった。
「WOLF2、無事か!」
「……ッ! はい、まだ戦えます!」
レナはARのマガジンを交換し、無線機のスイッチを押した。
「WOLF1より総員へ通達! 敵は複数のPIATを保有している!
――繰り返す! 複数のPIATだ! 注意せよ!」
PIATは、ロケットランチャーではない。
強力なスプリングで撃針を叩き、弾頭を撃ち出す
派手な後方噴射も、白い発射煙もない。
この霧の中で発射位置を掴むのは、極めて困難だった。
(恐らく、距離は100mを切っている。下手をすれば、もっと近い)
その事実が、レナの背筋を冷たくさせた。
(霧と林に紛れて、近距離から撃ってくる……厄介な連中だ)
左翼のGAは、突撃を仕掛けてこなかった。
練度の高いSRTを、正面から崩す愚は避けている。
付かず離れずの距離を保ち、PIATと機関銃の弾幕だけを浴びせてきた。
撃破ではなく、拘束。
突破ではなく、抑え込み。
東雲シヅキが選んだのは、人員の損耗を極限まで抑えながら、距離と霧と火力だけで相手を削る、徹底した抑制の
――
――第一防衛線/右翼塹壕。
一方、SRTのいない右翼側では、より泥臭い接近戦の圧力が始まっていた。
GAは左翼に比べて薄い正実の防線へ、執拗な圧力をかけている。
確実に戦車を無力化するため、じりじりと距離を詰めていた。
「右! 1時方向の二本並んだ木の影! 茂みが不自然に揺れてる!」
ジャスティス1の生徒が、泥にまみれた顔を上げて叫んだ。
次の瞬間、肉眼では何も見えない白い幕の向こうから、バチィンッ!! と金属が跳ねるような音が響く。
弾頭は塹壕の手前に着弾し、土煙を舞い上げた。
「わわわっ――!? 撃ってきた!?」
「マカロンを守れ! 近付けさせるな!」
レナに言われた通り、正実の生徒たちは戦車を補う「目と耳」となり、塹壕から身を乗り出してライフルを連射した。
「右! 右から来る!」
チエは胸元の送信機を握り締め、指示を飛ばす。
『
砲手が、手元の
即座に電動モーターが油圧ポンプを駆動させ、砲塔の旋回を機械的に補助する。
ギュイィィ――!!
甲高い駆動音を響かせながら、イージーエイトの砲塔が鋭く右へ回り始めた。
チエの視界に、林間を移動する白い制服の影が横切る。
『
チエの静かな声に、砲手がハンドルの角度を戻した。
旋回速度が落ちる。
照準器が、木の影に紛れた白い人影を捉えた瞬間、砲手が叫ぶ。
『
砲塔の旋回が止まる。
『
『
チエの指示を受け、砲手は同軸機銃のトリガーを引いた。
.30口径弾ベルトの五発に一発の割合で混じる赤い曳光弾が、霧を切り裂いて木の影へ吸い込まれる。
砲手はハンドルで微細に照準を修正し、機銃の火線を木の影から茂みへと薙ぎ払った。
林間に隠れていたGA生徒たちが、弾幕に耐えきれず頭を下げる。
「今だ! 制圧射撃!」
ジャスティス2の生徒が声を張り上げた。
塹壕内の正実生徒たちが、一斉に身を乗り出す。
ライフルの銃口が林縁へ向き、人が隠れられそうな遮蔽物へ、手当たり次第に銃弾を叩き込んだ。
先ほどまでの恐慌は、もう無い。
誰も、ただ怯えてはいなかった。
歩兵が戦車の死角を固める。
戦車は歩兵の前を払う。
レナに叩き込まれた言葉を、彼女たちは泥と硝煙の中で、ようやく自分たちのものにし始めていた。
「リロード!!」
「左からも来る!」
「マカロン3! 2時方向に散兵! そっち向ける!?」
『了解! 攻撃する!』
マカロン3の砲塔が、ゆっくりと右へ振られる。
車体機銃が低く唸り、白煙に紛れて近付こうとしていたGA生徒たちの足元を舐めた。
「PIATを撃たせるな! 絶対に止めろ!」
正実生徒たちは塹壕の縁に銃を預け、必死に林間へ弾を放つ。
当たっているかどうかなど、誰にも分からない。
それでも撃つ。
近付けさせないために。
戦車の死角へ入らせないために。
霧の向こうから伸びてくる敵の手を、撃ち落とすために。
撃たなければ、近付かれる。
近付かれれば、戦車がやられる。
それだけは、全員が理解していた。
GAを押し止めるために、正実生徒たちは必死に撃ち続けた。
――
――第一防衛線/左翼連絡壕。
「……妙だ」
レナは、泥に濡れた塹壕の縁から林間を睨んだ。
GAの火線は、なおも途切れていない。
PIATの弾頭が土嚢を砕き、機関銃が地面を削り、霧の奥でライフルのマズルフラッシュが断続的に瞬いている。
だが、そこまでだ。
姿が見えるほどには、踏み込んでこない。
GAは一定の距離を保っている。
レナたちを塹壕から追い出すほどではなく、マカロン隊に肉薄するほどでもない。
PIAT射手は姿を見せては下がる。
機関銃班は撃っては位置を変える。
押している。
圧力はかけている。
しかし、決定打を狙いに来ない。
まるで、こちらの反応を測っているようだった。
レナはARのサイト越しに、後退していく白い制服の影を見据える。
(違う……攻撃じゃない)
違和感が、確信へ変わり始める。
レナはRAVEN1へ無線を繋いだ。
「RAVEN1、こちらWOLF1。
右翼に展開した敵歩兵の動向を報告せよ。オーバー」
『こちらRAVEN1、
敵歩兵、正実防衛線から約90mで散開。距離を維持している。
PIATで塹壕を狙われているが、戦車の損害なし。正実とマカロン隊が銃撃で押し留めている。オーバー』
「……90m」
レナは短く呟いた。
90m。
塹壕へ嫌がらせをするには足りる。
だが、この霧の中で戦車の弱点を確実に狙うには遠い。
「……了解した。そのまま監視を続けろ。アウト」
PIATを撃ち込める距離までは詰めている。
しかし、マカロン隊へ肉薄し、履帯やエンジン部を確実に狙える位置までは踏み込んでいない。
撃って、下がる。
姿を見せて、隠れる。
圧力はかけているが、決定打は狙わない。
(そうか……奴らの狙いは、戦車じゃない)
レナの脳裏に、赤い瞳の異形が浮かぶ。
剣先ツルギ。
GAにとって最大の脅威。
正義実現委員会が持つ、生きた戦略兵器。
一度投入されれば、全てを食い破る怪物。
「……威力偵察か」
レナの呟きに、DMRで射撃していたリノが瞬きをした。
「隊長! 今、なんと言いましたか!?」
「WOLF2! 奴らの狙いは戦車じゃない! ツルギの所在確認だ!」
――
――GA前線指揮所/コールサイン、Arx。
林間の奥。
『……剣先ツルギ、確認できず』
攻撃部隊の通信兵から報告を受けたGAの前線指揮官は、手元の戦術地図から目を上げた。
そして、林間に展開した部隊へ冷静に指示を出す。
「ただちに後退なさい。相互支援を厳に」
『……イエスマム』
彼女は
「……SRTの練度は流石ですが、正実の生徒たちも、思いのほか粘りましたね」
視線を有線電話の操作盤へ移し、チャンネルを切り替える。
「Pluvia。こちらArx。歩兵を後退させます。再制圧の準備をなさい」
『こちらPluvia、射撃要請を受諾。
あの中にツルギはいない。
ならば、120mmを散発的に降らせ、頭を押さえ続ければいい。
敵は強力な戦車を持ち、SRTという精鋭を揃えている。
だが、ツルギがいないのであれば、時間を稼ぐという最大の目的に支障はない。
彼女は有線電話のハンドセットを戻し、テーブルの上に置かれたマグカップを手に取った。
薄く湯気の立つそれを口元へ近付け、静かに笑う。
「ふふっ……良い香りですね」
観測班を排除した下手人の行方は、未だに不明。
砲弾の備蓄も消費している。
歩兵の疲労も溜まり始めている。
GAにも、余裕は無い。
だが、上に立つ者は、いつ、いかなる時でも冷静でなければならないのだ。
――
――第一防衛線/左翼連絡壕。
「ツルギの所在確認……!? それがGAの目的なんですか!?」
リノはスコープから目を離さずに問う。
レナはARのボルトストップを叩き、鋭く頷いた。
「奴らは本気で戦車を潰しに来たわけじゃない! 切り札がどこにいるか、あぶり出そうとしているだけだ!」
周囲に響く銃声の密度が、少しずつ減っていく。
先ほどまで執拗に伸びていた火線が、薄くなった。
直後、レナの無線機が鳴る。
『WOLF1、こちらRAVEN1――』
RAVEN1の切迫した声が、無線に滑り込んできた。
『……敵歩兵が後退を開始。林の奥へ下がり始めた』
「……ッ! こちらWOLF1、了解!」
レナは無線の送信ボタンから手を離し、泥にまみれた連絡壕の壁を叩いた。
「チッ……奴らを逃がすな!」
「隊長!?」
リノが驚いたように振り返る。
敵が後退したのなら、このまま防衛線を維持し、再攻撃に備える。
それがセオリーだった。
だが、レナはその選択を真っ向から否定した。
「ツルギがいないことがバレた!
次に奴らが潰しにかかるのは、この霧の中に潜んでいる『目』だ! 狐狩りが始まるぞ!」
さらに言えば、GA歩兵が完全に後退しきれば、直後にやって来るのは迫撃砲による再制圧だ。
そうなれば、レナたちは塹壕に釘付けにされる。
FOXとの連携すら、取れなくなる。
だが、裏を返せば。
今が最大のチャンスでもあった。
レナは無線へ向かって叫ぶ。
「――WOLF1から全隊! 奴らの背中を撃て! 何としてでも逃がすな!
ジャスティス! マカロン! 弾薬を惜しむな! 撃ちまくれ!
――WOLF! GOAT! 塹壕から出ろ! 敵に張り付くぞ!」
『『『了解!』』』
レナの号令と同時に、メイは大きな翼を羽ばたかせ、塹壕からぶわりと飛び上がった。
着地と同時に翼を畳み、盾を構える。
ショットガンを盾の横から突き出し、後退し始めたGAの歩兵たちを追って林間へ踏み込む。
遅れてスイも壕から這い上がり、メイの背中に張り付いた。
「GOAT、ムーブ! WOLFに続け!」
レンの鋭い声が響き、GOATの四人が素早く塹壕から飛び出す。
霧に向かって銃撃を加えながら、WOLFの後ろへ続いた。
レナも塹壕の縁を跳び越え、ARを構えながら走り出す。
ズダダダダッ――!!
後退の援護に付いた数人のGA生徒が、塹壕から飛び出してきたWOLFとGOATに気付き、慌てて射撃を開始した。
だが、メイの構える分厚いタワーシールドが弾丸を弾き返す。
その背後から、スイのLMGが容赦のない制圧射撃を叩き込んだ。
「押せッ!!」
レナの怒号が響く。
WOLFとGOAT、計八名は、木々の間をすり抜けるように躍進した。
互いの距離が、50m、30mと急速に縮まっていく。
地面に敷いていた配線を、腰に固定したケーブルリールで巻き取りながら後退していたGA通信兵は、倒木の陰へ滑り込んだ。
肩に掛けた電話からハンドセットを掴み取り、耳元に押し当てる。
「……速すぎるっ!
――Arx、Arx! こちらVelites-1!
SRTに近付かれました! 彼我の距離、30!」
部隊長のGA生徒が声を荒らげる。
「こ……このままでは、下がれません!! 全隊応戦!!」
彼女たちは後退を止め、突撃してくるSRTへの応戦を開始した。
――
――GA前線指揮所。
『Arx、Arx! こちらVelites-1! SRTに近付かれました! 彼我の距離、30!』
有線電話から響く悲鳴のような報告に、指揮官の表情が微かに歪んだ。
「……SRTが、塹壕から出てきた?」
指揮官は呟き、戦術地図に落としていた視線を上げた。
「了解……そのまま応戦を。撃退しなさい」
『イエスマム!』
防衛側に有利な塹壕を捨ててまで、なぜ敵は前に出たのか。
彼女は即座に思考を巡らせる。
敵指揮官は、こちらの歩兵が後退した直後に迫撃砲が降ってくることを読んでいる。
そして、後退した歩兵が浸透部隊の捜索に回ることも。
「たったの八人で、打って出るとは……随分と思い切った決断ですね」
続けて、別の回線が鳴った。
『Arx、こちらVelites-2! 正実防衛線からの火線、依然強力!
マカロン隊の同軸機銃と車体機銃に押さえられています!』
「Velites-2、敵との距離は?」
『正実防衛線より約80! 次の遮蔽物まで距離があり、これ以上下がれば弾幕に晒されます!』
右翼も、動けない。
戦術地図上では、わずかな距離に見えた。
だが、実際の林縁では、その数十メートルが致命的な空白になっている。
(選定を誤った……このルートは遠すぎたか)
指揮官は額に汗を浮かべ、戦術地図上の左右の林縁を見た。
左翼はSRTに張り付かれ、右翼は正実と戦車の火線に縫い止められている。
ツルギの所在確認には成功した。
だが、その代償として、前線歩兵の自由を失った。
彼女は操作盤のチャンネルを切り替えた。
「Pluvia、こちらArx。
……左右の歩兵が前線に拘束されました」
『こちらPluvia……お言葉ですが、それでは敵に策を練る時間を与えてしまうのではありませんか?』
迫撃砲班の班長が食い下がる。
「却下します。今撃てば、味方を巻き込みます」
指揮官は、はっきりと告げた。
「私たちは今、トリニティの生徒に銃を向ける“反乱部隊”として見られています。
大義を失えば、ティーパーティー現体制に非を認めさせる前に、生徒たちの支持を失う」
『……』
有線電話の向こうで、沈黙が落ちた。
指揮官はハンドセットを置き、林の奥で爆ぜる激しい銃撃音へ耳を澄ませた。
霧の中で、敵味方の位置が完全に混ざり合っている。
これで、迫撃砲による盤面制圧というGAの優位は、一時的に封じられた。
「申し訳ありません……シヅキ様……」
重い空気が満ちた前線指揮所で、指揮官はぽつりと呟いた。
――
――左翼林間奥。
迫撃砲の着弾音が途絶え、代わりに前方から激しい銃撃音が木霊し始めた頃。
ユキノは左翼の17ポンド砲を守る生徒の視界を避けるため、大きく迂回していた。
濡れた土の上をゆっくり、這うように進み続け、林道へと慎重に接近する。
やがて左翼砲座の警戒圏を抜けたユキノは、音もなく林道脇の茂みに潜り込んだ。
(……ここまで来るのに、時間を掛け過ぎてしまった)
茂みから顔だけを覗かせ、周囲を索敵する。
(林道に敵影なし……)
頭頂部の獣耳は、僅かな音も聞き逃さないように忙しなく動いていた。
「……!」
視線を巡らせると、林道の上に泥を深く抉った轍が残っているのが見えた。
牽引車両。あるいは、重い砲を引きずった跡。
湿った土の上に残ったその線は、途中で道を外れ、目の前の林間へ吸い込まれていた。
(……当たりだ)
ユキノはゆっくりと膝を付き、腹這いの姿勢を取った。
湿った土がセーラー服に触れ、冷たい水気が僅かに染み込む。
腹這いのまま林道を横切り、音もなく轍を追う。
霧が少しずつ薄れ、林の中に点在する巨大なブナの木が輪郭を結び始めていた。
ユキノは顔を上げる。
霧の奥――。
林道脇の木々の一部が、不自然に切り払われている。
切り株は低く、白い断面を泥で塗り潰されていた。
防盾の前には倒木が重ねられ、巨大な輪郭を暈すように偽装網と枝葉が散りばめられている。
正面から見つけるのは困難だろう。
(林道に出てくる車両を、真正面ではなく、斜めから撃つ位置か……)
少し離れた木の根元には、やはり二名の通信班がいた。
一人は野戦電話機のハンドセットを握り、もう一人は黒いケーブルを足元で捌いている。
ケーブルは、さらに後方の要塞側へと延びていた。
そして、護衛の歩兵が三名。
ユキノは息を殺し、木陰から砲座の全容を観察する。
周囲には砲員が六名。
彼女たちもまた、装備に煤や泥をこびりつかせ、明らかに疲弊の色を滲ませている。
だが、その目には確かな規律があり、無言のまま前方を睨み据えていた。
砲座のすぐ傍らには、長細い木箱が三つ。
そのうち一つは開いていた。
内部に見える砲弾の数は、多くない。
だが、少ないからこそ、一本一本の存在感が異様だった。
薄い霧の中で、細く長い弾体が鈍く光っている。
(……こちらも、備蓄は最低限)
左翼の砲座と同じだった。
17ポンド砲は強力だ。
だが、弾も人も潤沢ではない。
使い捨てにできる火力ではない。
撃つ場所を選び、撃つ瞬間を選び、一発ごとに確実な効果を求める兵器。
だからこそ、GAはこれを林道の奥に隠した。
撃つべき瞬間まで、絶対に姿を見せないために。
ユキノは視線をさらに奥へ流す。
通信班の足元から伸び、太い木の根を避けるように這う一本の線。
それは霧の中を蛇のようにうねり、やがて視界の届かない要塞の方角へと消えていた。
ユキノは静かにARを下ろす。
激しい近接戦闘の銃声が林間に響き渡る中、胸元の無線機へ手を伸ばした。
「WOLF1……こちらFOX1。対戦車砲を二門発見」
ユキノは這いつくばったまま、唇をほとんど動かさずに囁いた。
バチバチと林間に響く銃声が、声を飲み込む。
無線の出力は必要最低限。
長く喋れば、それだけ見つかる。
だから、伝えるのは必要な情報だけに絞る。
『……こちらWOLF1! 続けろ、FOX1!』
レナの声が返ってきた。
後ろから聞こえる銃声とノイズが混ざり合っていたが、聞き取るには十分だった。
「一門目。左翼林間。現在FOX2が監視中。
二門目。林道側、作業道奥。マカロン4を撃った火点と推定……」
そこで一度、息を止める。
木の根元に立つGAの護衛が、ユキノの潜伏する方へ、ふと顔を向けた。
ユキノは息を潜めた。
まばたきすら、抑える。
数秒――。
護衛の視線が、霧の向こうへ逸れた。
息を吐いたユキノは、再び囁く。
「各砲座、砲員六、負傷者混在。
通信二、有線電話を所持。護衛三。
砲弾備蓄、少数……」
『了解した! 左翼林間を第一目標! 林道側を第二目標だ! 座標を送れ……!
――おい、WOLF3! カバーしろ……!』
ユキノは胸元の端末に指を滑らせた。
地図の情報と、周囲の地形を照らし合わせる。
「了解した……今から座標を送る。
第一目標……
第二目標……VH 41480 20140」
『第一目標……VH 41096 20393!
第二目標……VH 41480 20140! コピーした!』
レナの復唱が、ノイズ越しに返ってきた。
ユキノは静かに無線機から手を離す。
(第一目標はニコたちが監視中。第二目標は私が押さえた。あとは――)
『FOX1!』
レナの声が、再び鼓膜を叩く。
「聞こえている」
『敵の通信線は、見えるか!?』
「ああ。通信班の足元から、要塞側へ這うように延びている」
『よし、FOX1! リスクを減らすために、まずは耳を潰す!
合図で線を切断しろ! 全て了解したか!?』
ユキノはゆっくりと右手を動かし、タクティカルベルトに固定されたコンバットナイフの柄へ指を這わせた。
「
ユキノは音もなくナイフを引き抜き、逆手で構えた。
黒いコーティングを施された刀身は、光を一切反射しない。
「FOX2、こちらFOX1。聞こえるか……」
ユキノはチャンネルを切り替え、左翼で待機するニコへ呼びかけた。
『こちらFOX2。聞こえてるよ』
「目標の通信線を切断する。WOLF1の合図と同時にだ。早まるなよ」
『アイコピー。合図と同時に、サクッとね』
無線の奥で、ニコが小さく笑う気配がした。
ユキノは茂みに紛れながら、泥の上を這い、通信班から延びる黒いケーブルがわずかに弛んでいる地点まで音もなく接近した。
左手を伸ばし、冷たいケーブルの束を指に絡める。
右手のナイフを、その張力の下へ滑り込ませる。
あとは――力を込めるだけだ。
――
――第一防衛線/左翼林間。
銃弾が飛び交う中、レナは倒木の陰に身を滑り込ませ、エドゥトの板を引き抜いた。
泥に濡れた指先が、画面の縁を滑る。
「アノラ! 対戦車砲の座標を登録!
左翼林間を第一目標、VH 41096 20393!
林道側を第二目標、VH 41480 20140!」
[座標登録]
[第一目標:左翼林間砲座 VH 41096 20393]
[第二目標:林道側砲座 VH 41480 20140]
[火点種別:牽引式17ポンド対戦車砲/FOX報告準拠]
[座標精度:観測値]
[誤差推定:±10〜20m]
[直接視認:不可]
[推奨:制圧射撃]
[射撃補正:算出中]
画面上に、簡略化された林道と左右林間の地形線が浮かび上がる。
FOXが送った座標と、既知射線との交会。
霧と白煙の流れ。
マカロン隊の現在位置。
それらが重なり、薄い赤線となって、林道の奥と左翼林間へ収束していく。
[第一目標・第二目標:射撃補正値算出完了]
エドゥトの板の画面に、無機質な数字の羅列が瞬時に表示された。
「攻撃にはマカロン1を選定! 射撃地点を割り出せ!」
『了解』
[射撃地点:算出完了]
[攻撃担当:MACARON-1]
[現在位置:第一防衛線中央左翼寄り/塹壕線後方]
[射線確認:直接視認不可]
[砲撃種別:座標制圧射撃]
[推奨:煙幕展開後、
[推奨射撃位置:第一防衛線中央]
[必要移動量:前進 8m/右偏差 3m]
[車体露出:最大]
[第一目標:射線成立/仰角補正内]
[第二目標:樹冠干渉あり/制圧射撃推奨]
[MACARON-2:現位置射撃]
[第一目標:方位 5920
[弾種:
[MACARON-3:現位置射撃]
[第二目標:方位 6080mil/仰角 +30mil]
[弾種:WP]
[MACARON-1:移動後射撃]
[移動量:前進 8m/右偏差 3m]
[第一目標:方位 5913mil/仰角 +25mil]
[第二目標:方位 6074mil/仰角 +29mil]
[弾種:HE]
「……マカロン1を、8mも前へ出す必要があるか」
レナは舌打ちを呑み込んだ。
だが、通信線切断、煙幕展開、砲座への制圧射撃。
その三つを、ほぼ同時に叩き込む必要がある。
WPを発射する他の二両では、大きなタイムラグが生じる。
少しでも遅れれば、17ポンド砲の反撃を受ける可能性が高い。
レナはARを構え直しながら、その数値を頭に叩き込み、無線機のスイッチを入れた。
「WOLF1より、全マカロンへ通達!
FOXが敵の砲座座標を特定!
林道奥に加えて、左翼林間にも一門だ!」
銃声と爆音でひび割れたチエの声が、ヘッドセットに響く。
『こちらマカロン1!――
「弾種WP! マカロン2は左翼林間! マカロン3は林道奥!
スモーク展開後、マカロン1は指定座標へ移動!
HEで両砲座を順次攻撃せよ! これより、射撃諸元を送る!」
『もう計算を終えたんですか!?』
無線から、チエの驚いた声が返る。
「連邦生徒会長から貰った優秀なガラクタのお陰だ!」
レナは息を吸い直し、各マカロンの射撃情報を伝える。
「マカロン2、WP! 第一目標、方位五九二〇、仰角二六!」
『マカロン2、
「マカロン3、WP! 第二目標、方位六〇八〇、仰角三〇!」
『マカロン3、
「マカロン1、指定座標、前進八メートル、右偏差三メートル!
移動後、HE! 第一目標、方位五九一三、仰角二五!
第二目標、方位六〇七四、仰角二九!
被弾を覚悟しろ! 射線を通すにはそこしかない!」
『……マカロン1、
チエの声に震えは無い。
だが、微かに硬さを孕んでいた。
塹壕線に身を隠していたイージーエイトが、マカロン4が撃たれた中央へ出る。
それは、砲塔だけではなく、車体も晒すことを意味していた。
『
『
『……』
短い沈黙の後、チエは
『
マカロン1の車内で、操縦手が短く返す。
『Roger!
エンジンが唸りを上げた。
泥に沈んでいた履帯が、重く噛み合う。
三十トンを超える鋼鉄の塊が、塹壕線の背後からゆっくりと前へ出始める。
それと同時――。
レナは、短く命じた。
「FOX!――断線、開始!」