白狼救済録 作:らんらん出荷マン
――左翼林間。
銃声の止んだ林は、耳が痛むほど静まり返っていた。
ただ遠く、第一防衛線の方角から、エンジンの低い唸りだけが響いている。
「全員いるな」
レナの周囲へ、WOLFとGOATの全員が集まっていた。
「新たに負傷した者は?」
問い掛けに、手を挙げる者はいなかった。
だが、リノの頬には乾きかけた血が細く残っている。
「上出来だ」
全員の状態を確かめてから、レナは続けた。
「だが、まだ終わっていない。補給部隊と救護騎士団は、すでにこちらへ向かっている」
レナは木々の向こう――第一防衛線の方角へ視線を向けた。
「確保した塹壕へ戻り、負傷者の収容と部隊の再編を行う」
赤い瞳が、居並ぶ生徒たちを順に見渡す。
「警戒は解くな。いつ、砲弾が降ってくるか分からん」
全員が無言のまま、揃って頷いた。
「よし。戻るぞ」
「了解」
短い応答が一斉に返った。
――
――林道。
林道入口へ近づくと、霧に混じって複数の怒号が聞こえた。
「助け出すわよ! 貴女たちは周囲を警戒して!」
「ハッチが開かない!」
「消火器! 消火器はどこ!?」
木々の隙間から、大破したマカロン4が姿を現す。
それを目にした瞬間、レナたちは足を止めた。
GA歩兵が林間から後退し、ようやく乗員の救出に取り掛かれる状況になったのだ。
マカロン4の車体から漏れ出ていた黒煙は、すでに薄れている。
それでも、開いた車長用ハッチからは、まだ灰色の煙が立ち昇り、焦げた油脂の臭いが鼻を突いた。
その背後には、エンジンを停止させたマカロン1。
左右を固めるマカロン2と3は、それぞれ左右の林間へ砲塔を向け、救出作業を守っている。
二両の低いアイドリング音が、途切れることなく林道へ響いていた。
砲塔上では、正実の生徒たちが開いたハッチから砲手を引き上げようとしている。
車体前部では別の班が工具を差し込み、歪んだ車体上部のハッチをこじ開けようとしていた。
「駄目……ロックが噛み込んでる」
「仕方ない。
一向に開かないハッチを見かねて、レナは後ろに立つスイへ視線を向けた。
「埒が明かん……WOLF3、手伝ってやれ」
「ウィルコ」
スイはLMGのスリングを肩に掛けて背負い、車体前面へ軽々と飛び乗った。
「どいて。僕が開けるよ」
正実の生徒たちが場所を譲る。
スイは歪んだハッチの縁へ指を掛け、両足を車体に据えて腰を深く落とした。
「……フッ!」
小柄な身体が沈み込み、肩から背中へ一気に力が伝わる。
ギギギィィ――!
耳障りな金属音とともに、噛み込んでいたハッチの縁が少しずつ持ち上がった。
「よし、開いた! 早く出して!」
正実の生徒二人が車内へ腕を伸ばし、残る者たちは担架を車体正面のすぐ脇へ寄せた。
レナはその様子を見届け、傍らに立つ副官へ向き直る。
「救護騎士団が来るまで、塹壕で休んでいろ」
突然の指示に、リノは目を瞬かせた。
「お言葉ですが、隊長。先に休むべきなのは――」
「私はここを手伝う」
レナはマカロン4へ視線を戻した。
「で、ですが――」
「命令だ、WOLF2」
短く言い切られ、リノは口を閉じた。
「……分かりました。隊長も……後で必ず、診察を受けてください」
「ああ、そうだな」
リノは何度か振り返りながら、第一防衛線の塹壕へと向かっていった。
「小隊長」
「何かしら」
レナは救出作業から目を離さず、レンに命じた。
「GOATは正実と共同し、林道周辺を警戒してください」
「了解、任されたわ。――GOAT、散開!」
その号令に、レンの部下は即座に動いた。
二名が林道左側、レンともう一人が右側へ展開し、木々の間へ銃口を向ける。
「WOLF4、担架を持て」
「イエスマム」
レナとメイは担架の両端を掴み上げ、急いでマカロン4の車体脇へ向かった。
砲塔の上から、正実の生徒たちによって砲手が引き上げられる。
「そっと……そっとよ」
降ろされた砲手のタンカースジャケットは、左肩から脇腹にかけて無残に裂けていた。
煤に汚れた布地の下から、血が赤黒く滲んでいる。
担架に寝かされると、薄く開いた唇が僅かに動いた。
「……車長、は……?」
傍らに膝をついたレナが、静かに答える。
「安心しろ。お前よりは元気だ」
その言葉に根拠はなかった。
だが、砲手は安堵したように息を吐き、そのまま瞼を閉じた。
「行くぞ」
「うん……」
二人は担架の前後を持ち上げた。
「うっ……」
ほんの僅かに傾いただけで、砲手の喉から苦しげな息が漏れる。
二人は歩幅と呼吸を合わせ、可能な限り担架を揺らさぬよう、第一防衛線の塹壕へ急いだ。
――
――第一防衛線。
塹壕へ近づくにつれ、臨時救護所を整える救護騎士団の指示が、より鮮明に聞こえてきた。
その後方からは、補給物資と医療器材を積んだ後続車両のエンジン音が、次々と近づいている。
レナは、塹壕内で正実生徒の処置に当たる救護騎士団へ向けて声を張り上げた。
「おい! 重傷者だ! こいつを診てくれ!」
声に気づいた数人が、すぐさま塹壕から這い上がって駆け寄ってくる。
「こちらへ! ゆっくり降ろしてください!」
レナとメイは呼吸を合わせ、担架を地面へ下ろした。
騎士団の一人が、裂けたタンカースジャケットへ鋏を差し込み、傷口の周囲だけを切り開いていく。
「止血して!」
「脈、弱いです!」
不自然に垂れていた腕を見た生徒は、すぐさま添え木を手に取った。
「左上腕骨骨折の疑い! 肩から脇腹に複数の破片創!」
「意識レベル低下!
そう叫んだ一人が、腰のポーチから赤いタグを引き抜いた。
次々と飛び交う指示を背に、レナは立ち上がる。
「見てもらいたい奴が、あと四人いる」
レナは林道の方角を指差した。
「マカロン4に三人。マカロン1にも、頭部を負傷した車長が一人だ」
「分かりました。両方へ人を向かわせます」
「ああ……頼んだ」
直後――。
『マカロン1よりWOLF1!』
レナのヘッドセットに、砲手の声が飛び込んできた。
『平野小隊長が意識を回復しました!』
レナはすぐさま無線機の送信スイッチを押し込んだ。
「WOLF1、了解。無理に動かすな。救護騎士団が向かっている」
『……どう、なりましたか……?』
掠れた声が、砲手の通信へ割り込んだ。
チエの声だった。
息遣いは浅く、言葉の合間には僅かな間が空いている。
「17ポンド砲二門は無力化。GA歩兵は林間奥へ後退した。現在、負傷者の収容と部隊の再編を進めている」
『……そう、ですか』
安堵したような吐息が聞こえる。
だが、それも長くは続かなかった。
『マカロン4は……?』
薄い煙を上げる車体の周囲では、救出作業が続けられている。
「救出作業中だ」
通信の向こうが静かになった。
『……私も、行きます』
直後、砲塔内部で衣擦れと、鈍く金属に身体をぶつける音がした。
『おい! ボス、じっとしてろ!』
砲手の制止する声が混じる。
『大丈夫……』
言葉の途中で、苦しげに息を呑む音が入った。
「チエ、無理に動くな」
『で、ですが……』
「お前一人増えたところで、救出が速まるわけでもない」
レナは低い声で言い放つ。
「救護騎士団が診察するまで、その場から動くな。命令だ」
『……ッ』
今度こそ、チエは黙った。
僅かな沈黙の後、悔しさを押し殺した声が返ってくる。
『……了解』
通信が切れる。
レナは送信スイッチから指を離すと、傍らで処置を続ける救護騎士へ顔を向けた。
「獣耳を生やした、黒い制服の奴を見なかったか?」
砲手の右手首にタグを巻いた生徒が顔を上げる。
「最左翼の天幕で診察を受けています」
「左翼の天幕だな。ありがとう」
レナは礼を言い、メイとともに塹壕へ進んだ。
「行くぞ」
「……うん」
――
――第一防衛線/仮救護所。
最左翼の掩蔽部には、支柱へ固定された天幕が張られていた。
内部では救護騎士団の生徒たちが慌ただしく動き回り、折り畳み式の簡易寝台を次々と広げている。
防水布を掛けた空の弾薬箱の上には、消毒済みの器具を並べたトレーが置かれていた。
そして、その一角に置かれた丸椅子に、リノは座らされていた。
頬に残っていた血は綺麗に拭い取られ、傷の上には白いガーゼが貼られている。
向かいに立つ救護騎士が、指を左右へ動かした。
「目だけで追ってください」
リノの瞳が、指先の動きを正確になぞる。
「今から指を鳴らします。目を閉じて、聞こえた方向を答えてください」
――パチン。
「右です」
パチン――。
「左……遠く聞こえます」
「耳鳴りは?」
「少しだけ。ですが、会話に支障はありません」
「吐き気や眩暈は?」
「ありません」
「頭痛は?」
リノは一瞬だけ答えを止めた。
「……少しだけ」
「それを最初に言ってください!」
救護騎士が語気を強めたところで、天幕の入口にレナとメイが姿を現した。
気づいたリノは、すぐに立ち上がろうとする。
「隊長――」
「座っていろ」
短く制したレナは、リノの処置を終えた救護騎士へ顔を向けた。
薄藍の髪と同色の翼を生やした、真面目な顔つきをした一年生だった。
名札には『蒼森ミネ』とある。
「こいつの具合はどうだ。戦えるか」
ミネは怪我人であるリノから視線を外し、レナを真っ直ぐに見据えた。
「聴力に僅かな異常と、頭痛の訴えがあります。戦闘継続は可能ですが、定期的な観察が必要です」
レナは礼の会釈を送り、リノに視線を向ける。
「進撃再開まで時間はある。休んでいろ」
レナが踵を返そうとした瞬間。
「お待ちください」
ミネが、レナの前に毅然と立ち塞がった。
「……何だ」
「大上レナさん。貴女が派遣されたSRTの指揮官ですね?」
ミネはレナの顔色と呼吸を確かめるように視線を動かす。
「恐れ入りますが、胸に聴診器を当てさせてください」
レナの瞳を真っ直ぐ射抜くミネの目つきが鋭くなった。
「そんな暇はない……私は、まだやることがある」
ミネの視線が、レナの顔から胸元へ下がる。
血の気の薄い頬。
不自然に速い呼吸。
手袋越しにも分かる、指先の細かな震え。
「そういう問題ではありません」
一年生でありながら、その言葉には有無を言わせぬ圧があった。
「救護騎士団として放置はできません。心音と呼吸音を確認します。そこの寝台へ座って、上着を開いてください」
救護騎士団の制服に身を包んだ少女は、僅かにも視線を逸らさない。
「……命令しているつもりか」
「これは“救護”です」
ミネは即答した。
「貴女の階級も所属も、今は関係ありま――」
「私は正常だ」
レナはミネの言葉を途中で遮った。
横から、椅子に座ったままのリノが口を挟む。
「隊長。お願いですから、診てもらってください」
「お前は黙っていろ」
「――嫌です」
珍しく間を置かない返答に、レナが眉を寄せた次の瞬間――。
「座ってください」
一瞬で間合いを詰めたミネが、レナの両肩を鷲掴みにする。
「くッ!?」
そのまま抗う隙も与えず、強引に簡易寝台の上へ座らせた。
(何だ、この馬鹿力は!? こいつはゴリラか……!?)
「分かった、離せ。……五分だけだ」
「診察が終わるまでです」
「五分だ」
「では、早くしてください。一秒でも無駄にしたくないのでしょう?」
押し問答を続ける時間の方が惜しい。
レナは観念したように小さく息を吐き、青いネクタイを解くと黒シャツの胸元のボタンを外した。
ミネは聴診器の金属面を手のひらで温めると、下着の縁を避け、露出した胸元へ当てた。
「息を吸って」
レナが息を吸い込む。
「吐いて」
途中で呼吸が乱れ、胸が小さく上下した。
ミネは聴診器を当てる位置を変えながら、呼吸音と心音を確かめていく。
やがて聴診器を外すと、すぐにレナの手首を取った。
指先を動脈へ押し当て、しばらく黙って脈を数える。
「……心拍が速すぎます。リズムも所々乱れている」
「走った直後だ。当然だろう」
「その程度で説明できる状態ではありません。それに――」
ミネの視線が、レナの瞳孔、そして目元に落ちた影へ向けられた。
「最後に眠ったのはいつですか」
「……」
レナは答えない。
「何時ですか」
「……昨日の朝、六時に起きた。それからは一睡もしていない」
その言葉に、ミネ、リノ、メイの表情が同時に固まった。
「二十四時間以上も眠らずに、そのまま激しい戦いを……?」
震えを帯びたミネの声に、レナは沈黙で肯定する。
「今すぐ、指揮を交代してください」
ミネの言葉に、レナは眉を寄せた。
「却下する」
「駄目です」
「私は歩ける。意識も明瞭だ」
「今は、でしょう」
レナは自身の手首を引き抜こうとしたが、ミネは力ずくで押さえつけ、脈を測り続けた。
「極端な睡眠不足に、蓄積した疲労が重なっています」
ミネの指先へ、さらに力が込められる。
「このまま動き続ければ、戦闘中に意識を失う可能性があります」
「可能性の話なら、確定ではないだろう」
「倒れてからでは遅いと言っているんです――!」
ミネの声が、天幕の中へ鋭く響いた。
周囲で器具の用意をしていた生徒たちの視線が、一斉に集まる。
だが、ミネは構わずレナを睨み続ける。
レナもまた、赤い瞳を逸らさない。
二人の間に張り詰めた沈黙が落ちた。
先に口を開いたのは、リノだった。
「隊長」
「何だ」
「指揮を完全に交代しろとは言いません」
丸椅子に座ったまま、リノはレナを見上げる。
「ですが、補給と負傷者の収容が終わるまで、ここで休んでください」
「駄目だ。副委員長に状況を報告しなければならん」
「私が報告します。判断が必要になれば、すぐ隊長へ確認します」
レナは僅かに目を細めた。
「……」
メイは二人のやり取りを黙って見守っていた。
だが、その白い翼は落ち着かなげに僅かに揺れている。
ミネはようやくレナの手首を手放し、きっぱりと告げた。
「少なくとも、心拍が落ち着くまでは動かせません」
「何分だ」
「最低でも三十分です」
「長すぎる。十分だ」
「却下します」
「なら十五分」
「交渉しているおつもりですか?」
頑なに拒むレナに、ミネの眉間に深い皺が刻まれた。
「いいか、ミネ。我々はここで足踏みをしている余裕はない」
レナは押し殺した声で続ける。
「この作戦に呼ばれたということは、お前も状況の深刻さが分かっているだろう」
「ええ、分かっています」
ミネは一歩も引かなかった。
「だからこそ、貴女をこのまま前線へ戻すわけにはいきません」
「……何?」
「指揮官が倒れれば、部隊全体が止まります」
張り詰めた声が、狭い天幕の中へ落ちる。
今度はレナの眉間に皺が寄った。
「医者が将軍気取りか?」
「救護対象を止めるためなら、叩きのめすことも躊躇いません」
ミネは真顔だった。
脅しでも、勢いに任せた言葉でもない。
その気になれば、本当にレナを床へ沈めてでも止めるつもりなのだ。
「救護騎士団は、患者を殴るのか?」
「患者が自ら身体を壊そうとするのなら、必要な処置です」
「野蛮人め……」
「では、大人しく横になってください」
互いの視線が正面からぶつかる。
メイが小さく翼を畳み、レナの耳元に顔を寄せた。
「隊長……多分、この子、本当にやるよ」
「ああ、だろうな」
レナはメイから顔を離し、改めてミネを見据えた。
ここで実力行使へ出れば、勝てるかどうか以前に時間を浪費する。
それに――。
手首を掴まれただけで、振りほどくのに一瞬迷った。
普段なら考えるまでもなく切れるはずの判断が、僅かに遅れている。
「いいか……十五分だけだ」
レナは抵抗を諦め、簡易寝台の上へ仰向けに倒れ込んだ。
ミネは満足げに頷くと、毛布を引き寄せてレナの身体へ掛ける。
「少なくとも、今より心拍が落ち着くまで、絶対に起き上がらないでください」
レナは目を閉じ、毛布を深く被った。
「……分かっている」
観念したレナを見届けたリノは、無線機のチャンネルを切り替えた。
「こちらWOLF2。ギャヴェル、聞こえますか」
『こちらギャヴェル。WOLF1はどうした』
無線の向こうから、副委員長の怪訝そうな声が響く。
「隊長は現在、救護騎士団の厳重な監視下にあります。一時的に私が報告を代行します」
『監視下……? ああ、ミネの奴か。まあいい……WOLF2、報告せよ』
事情を察した副委員長は、続きを促した。
「了解」
リノは背筋を伸ばし、膝の上へ小型無線機を置いた。
「攻撃部隊の残存者は、確認できた範囲ですべて林縁の塹壕へ収容しました。平原上に残されたジャスティス3およびTORTOISEについては、先ほど救護と後送を要請しましたが――」
『ああ、こちらでも把握している。救護班を途中で分派した』
「ありがとうございます」
リノは一度息を整えてから、報告を続けた。
「林間では、GA歩兵二部隊と交戦。敵は迫撃砲による遮断射撃を利用して接触を切り、林間奥へ後退しました。現在は沈黙しており、再接触はありません」
『こちらの損害は』
「正実歩兵に軽傷者複数。SRTは、WOLFの私が軽傷。GOATに負傷者はいません。FOXからは、現時点で損害報告なし」
リノは僅かに間を置く。
「各隊の携行弾薬は残り二割から三割。補給なしでの再交戦は困難です」
毛布の下で、レナの指先が僅かに動いた。
リノはそれを横目に捉えながらも、声の調子を変えない。
「装甲戦力ではマカロン4が大破。乗員五名全員が戦闘不能です。また、平野チエ小隊長が破片で頭部を負傷し、一時意識を喪失しました」
無線の向こうで、副委員長が短く息を吐いた。
『……そうか』
僅かな沈黙を挟み、彼女は問う。
『敵の対戦車火力は? ……歩兵にやられたのか?』
リノは僅かに間を置いた。
「……17ポンド対戦車砲です」
通信の向こうが静まり返る。
車列のエンジン音だけが、無線越しに低く響いた。
『何だと……もう一度、繰り返せ』
「17ポンド砲が二門です。少なくとも一門は
『何ということだ……』
副委員長の声から、はっきりと血の気が引いていく。
『そんなものを、一体どこから持ち出した……?』
「リノ」
簡易寝台から、声が割り込んだ。
「マイクを寄越せ」
ミネの眉がぴくりと動く。
「喋らないでください」
「口まで休ませろとは言われていない」
「今、追加しました」
レナは無視し、リノから
「ギャヴェル、こちらWOLF1。今すぐ兵器保管庫を調べろ」
『WOLF1、休んでいるのではなかったのか』
「横にはなっている」
『そういう意味ではないのだが……』
副委員長の呆れた声を無視し、レナは続けた。
「予備兵器保管庫と車両区画の現物を確認しろ。17ポンド砲、牽引車、弾薬、予備部品、保管車両――すべてだ」
『待て。兵器の出納記録なら、こちらにも――』
「それは信用するな」
レナは即座に遮った。
「台帳に記された数字ではなく、今そこにある現物を数えさせろ」
無線の向こうで、副委員長が言葉を失う。
「厳重に保管されているはずの兵器が、二門も敵陣地へ運び込まれていた。書類が正しいという前提は、もう捨てろ」
『……分かった』
先ほどまでの怪訝さが消え、副委員長の声が低くなる。
『保管庫を封鎖し、現物照合を命じる。車両区画も確認させよう』
「APDSの在庫もだ」
『何?』
「奴らは通常の
『了解した。すぐに後方へ連絡する』
「結果が出たら、私へ直接報告しろ」
『承知した。だが――』
副委員長が僅かに声を強める。
『今は救護騎士の指示に従え。貴様に倒れられては、こちらも困る』
「善処する」
『それは従う者の返事ではないぞ』
レナは返答せず、リノにPTTマイクを返した。
直後、ミネの手が毛布の上からレナの肩を押さえ込む。
「今度こそ、口も休ませてください」
「……追加が多いな」
「そうですか。では――」
ミネは真顔で言い切ると、掲げた右手で拳を作った。
「物理的に黙らせるしか……ありませんね?」
レナはミネから顔を逸らし、そのまま視線を横へ向けた。
「まだ話すことがある……RAVEN1へ繋げ」
「了解」
リノがチャンネルを切り替え、PTTマイクをレナの口元へ寄せる。
「RAVEN1、こちらWOLF1」
『こちらRAVEN1』
「温存している短距離ドローンを上げろ。林道中央から次の屈曲部まで、路面を走査」
レナは目を閉じ、林道の光景を脳内へ描いた。
「新しい埋設痕、導線、遠隔起爆装置の兆候を調べろ」
『了解』
数分後――。
RAVEN1から報告が入った。
『WOLF1、こちらRAVEN1。
『路肩から延びる導線、および起爆指令と思われる電波活動も未検出――。
ただし、圧力作動式、または非金属製地雷の不存在までは保証できん』
システムに頼り切らない、正確な報告だった。
「了解した。お前たちも準備を済ませろ」
『RAVEN1了解。アウト』
無線が切れた直後に、天幕の外を、煤にまみれた担架が立て続けに通り過ぎた。
両腕を焼いた装填手。
酸素マスクを当てられた機関銃手。
そして最後に、右腕を固定された操縦手が運び込まれる。
三人とも意識は薄い。
それでも、全員のヘイローは消えていなかった。
――
――
「十五分経過しました」
ミネは再びレナの手首を取り、脈を数えた。
「心拍は下がりました。ですが、正常に戻ったわけではありません」
「なら、動けるな」
「無理していい意味ではありません」
ミネは水筒をレナへ押しつけた。
「水分と電解質を取ってください。眩暈、吐き気、視野の狭窄、反応の遅れ――どれか一つでも出れば、即座に指揮を交代すること」
「分かった」
「リノさんにも状態を監視してもらいます」
「私ではなく、本人に言え」
「もう言いました」
ミネの許可が出る前に、レナは毛布を跳ね除けて立ち上がった。
「世話になった」
一言だけ言い残して天幕の外へ出ると、すでに補給部隊による作業は終盤に差し掛かっていた。
小銃弾倉、機関銃の弾帯などが各分隊へ分配され、負傷者を乗せた後送車両が次々と第一防衛線を離れていく。
『ギャヴェルよりWOLF1』
ヘッドセットから、副委員長の重い声が響いた。
『予備兵器保管庫と車両区画から、緊急照合の第一報が上がった』
「聞こう」
『保管されていた17ポンド砲三門が、所在不明だ』
「何……三門だと?」
レナの赤い瞳が細められる。
『そうだ。うち二門は、前線で確認された敵の砲と一致する可能性が高い』
「残る一門は」
『分からん。……加えて、予備車両のシャーマンも所在不明。牽引車、弾薬、予備部品については、現在も照合を続けている』
「予備車両……?」
レナの脳裏に、MERLIN2-2でリノから受けた説明が蘇る。
『ええ。その結果、調達計画は「五両」を受領した時点で凍結。シャーマンを駆るマカロン隊は……政治的にも、軍事的にも、扱いに困っている部隊だそうです』
『そうだ。書類上は長期整備中となっていたが、指定された整備場所に存在しない』
「17ポンド砲が一門。それと、シャーマンが一両」
レナは呟き、思考を加速させる。
「別々に持ち出された可能性もある」
『ああ。現時点では、それ以上は分からない』
「了解した。WOLF1、アウト」
レナは通信を切った。
17ポンド砲が、もう一門。
そして、所在不明となった第五のシャーマン。
二つの情報が頭の中に並ぶ。
だが、ただ並んだだけだ。
牽引砲と戦車が、それぞれ別の場所へ持ち出された可能性もある。
現時点で、両者を結びつける根拠は何もない。
レナは一旦、思考の片隅へ二つの情報を押し込めた。
補給を終えつつある部隊を見渡す。
その付近で、ツルギが苛立たしげに首を鳴らし、塹壕から要塞側を睨みつけていた。
今にも林道へ飛び出していきそうな気迫だった。
レナは真っ直ぐツルギの元へ歩み寄る。
「ツルギ。私が合図するまで、前へ出るな」
血走った目でツルギが振り返った。
「あぁッ? ……敵は、目の前だぞォ……?」
「分かっている」
「……」
「GAはお前を探している。まだ切り札を見せる段階ではない」
ツルギは不満げに鼻を鳴らすと、塹壕に置かれた木箱へ腰を下ろした。
「ツルギ」
塹壕の角からハスミが姿を現す。
「レナさんの許可が出るまで、ここから出てはいけません」
「分かってる……」
「でしたら、休んでいないで手伝ってください」
「……」
立ち上がったツルギは一言も喋らず、塹壕の角へ消えていった。
ハスミはその背中を見送ってから、レナへ軽く頭を下げる。
「こちらは私が見ています」
「頼む」
レナは腕時計へ目を落とした。
補給開始から二十分近く。
負傷者は後送され、弾薬の再配分も終わりつつある。
もう、十分休んだ。
「マカロン1、こちらWOLF1」
レナは無線機の送信スイッチを押した。
『……こちらマカロン1』
無線の向こうから、チエの落ち着いた声が返ってくる。
「チエか。気分はどうだ」
『頭の包帯が邪魔ですが……戦えます』
「救護騎士団は何と言った」
『後送を勧められました。ですが、私が拒否しました。
ハッチを閉じ、症状が悪化した場合は即座に交代。それを条件に、復帰を認めると』
「ならばいい。なるべくキューポラから顔を出すな。異常があれば即座に報告しろ」
『了解しました』
レナは通信を切り、塹壕から這い上がる。
林道入口では、リノ、スイ、メイの三人が弾薬の補充を終え、武器を構え直していた。
正実の歩兵たちも、軽傷者を再編して分隊ごとに整列している。
「WOLF1より、全隊へ通達」
レナは無線機の送信スイッチを押した。
「これより、前進を再開する」
――
――林道入口/マカロン1。
車長席に座り込んだチエは、手元にある変形したスチールヘルメットへ目を向けた。
帽体の左側面は深くへこみ、顎紐は根元から千切れている。
「……無いよりは……マシ、か」
チエは変形した帽体を指先でなぞり、車長席後ろの無線機へ立て掛けた。
左側面に残る深い窪み。
あと数センチ下にずれていれば、ただでは済まなかっただろう。
「ボス、やれるのか?」
チエの前に座る砲手が、心配そうに振り返った。
「レナさんに、車内から出るなと言われただけだよ」
「そういう意味じゃないだろ……」
チエは返事をせず、額へ巻かれた包帯に手を触れた。
脈打つたび、左側頭部の奥に鈍い痛みが走る。
『WOLF1より、全隊へ通達』
無線にレナの声が響いた。
『これより、前進を再開する』
チエは胸元の送信機を掴んだ。
「マカロン1よりマカロン2。平野小隊長、指揮へ復帰する」
短い沈黙の後、マカロン2から応答が返る。
『……本当に続けられるのか?』
「続けられる。小隊指揮を戻して」
『了解。マカロン2、小隊指揮をマカロン1へ返す』
「引き継いだ」
チエは
「
『
操縦手は即座に計器盤へ向き直った。
『
ギアレバーがニュートラルへ戻され、ハンドスロットルが僅かに引かれる。
操縦手は左足でクラッチペダルを踏み込んだ。
『
スターターボタンを強く押し込む。
ガコンッ――キュルキュルキュルキュル……ッ!
セルモーターが重い
数秒後、車体後部で爆発的な鼓動が弾ける。
ブォオオオンッ――!!
V型八気筒エンジンが咆哮を上げ、車体後部の排気口から、排煙が勢いよく噴き出した。
操縦手はハンドスロットルを調整し、荒々しい回転を安定させる。
『油圧上昇! 計器、正常! いつでも出られます!』
チエは額の包帯へ一度だけ触れ、林道の先を睨んだ。
「
団長と主人公は、もしかしたら相性が良いかもしれません。
追記:約66000字を費やしてもなお、終わらない戦いってマジですかい。