白狼救済録 作:らんらん出荷マン
ザクッ――。
ザクッ――。
「ここは、よし……」
探査役は腐葉土から銃剣を引き抜き、一歩だけ前へ進む。
腰を落とし、再び刀身を斜めから浅く差し込む――。
ガチッ――。
「……っ!?」
手に返ってきた感触に、身体が凍りついた。
同時に、周囲の四人も一斉に動きを止める。
石ではない。
刃先が触れたのは、明らかに硬質な金属だった。
しかも――これまで見つけてきた地雷とは違う。
目の前の腐葉土。そのすぐ下に、何か大きなものが埋まっている。
「……」
探査役は姿勢を固めたまま、慎重に銃剣を引き戻した。
標示役がすぐさま赤布へ手を伸ばす。
左右を警戒していた二人も、銃口を林へ向けたまま、視線だけを探査役の手元へ寄越した。
「対人……?」
「いや」
小さく首を振る。
そのまま銃剣を鞘へ収めると、彼女は震える指先で表面の腐葉土をそっと払い除けた。
湿った黒土が崩れ――。
その下から、黒ずんだ金属板が僅かに覗く。
「……もっとデカい」
さらに土を払う。
「多分……対戦車地雷だ」
低く告げられた言葉に、四人の表情が強張った。
誰も足を動かさない。
「人が踏んだ程度じゃ、普通は作動しない。けど――」
そこで彼女は手を止めた。
露出した地雷には、それ以上触れない。
代わりに少し離れた地面へ手を伸ばし、小枝を突き立てる。
「処理防止の仕掛けが噛んでるかもしれない」
――
――林道。
イージーエイトの影から、地雷探査の様子を見ていたレナの眉が僅かに動いた。
レナはマイクに指先を添える。
「どうした。何を見つけた」
『た、対戦車地雷を発見しました』
「……了解した。撤去は後回しにして、他を探せ」
『りょ、了解』
無線が切れた。
額に滲んだ汗がこめかみを伝い、顎先から落ちる。
レナは袖口でそれを拭うと、左手首の時計へ目を落とす。
(時間を掛けすぎている……)
レナの胸の奥で焦燥が、じわりと広がる。
朝霧の残る平原へ降り立ってから、もう数時間経った。
平原への前進。
迫撃砲と対戦車砲による阻止射撃。
歩兵との激しい銃撃戦。
そして混ざり合うように埋められた、二種類の地雷。
二つ。
三つ。
四つ。
探査が進むたび、林道脇に立てられる赤布が増える。
このまま部隊を前へ進めるなら、地雷を排除して安全な通路を確保するしかない。
ただ、時間だけが削られていく。
レナは顔を上げた。
周囲に意識を向け、頭頂部の獣耳を左右へ向け、周囲の音を拾う。
視線の先に映る林は静かだった。
風に吹かれて揺れる枝葉の音。
後方から聞こえる負傷者を収容する生徒たちの声。
そして、真横で低く唸り続けるイージーエイトのエンジン音。
だが――。
レナが警戒している風切り音だけが、いつまで経っても聞こえてこない。
「……」
平原で幾度となく聞かされた、120mm重迫撃砲のそれが。
ここへ120mmを落とせば、自分たちで仕掛けた地雷帯まで荒らしかねない。
下手をすれば、誘爆させてしまうだろう。
(迫撃砲を撃ってこないのも、あの戦車を待ち伏せに使ったのも、これが理由か……)
極端な話、敵は道を封鎖できれば良かったのかもしれない。
先頭の足を折り。
隊形を崩し。
進路を限定する。
撃破した車体そのものを障害物にして、狭い林道へ蓋をする。
そして停止した部隊に、地雷処理という時間を押し付ける。
前へ進ませない。
一分でも。
一秒でも。
あの時の読みが正しいなら。
敵は最初から、前進を遅らせることを第一に、戦場を組み上げていた。
少なくとも、マカロン2を仕留めた時点で――。
それは十分に達成している。
「……」
レナは再び、赤布の並ぶ路肩へ視線を落とした。
まだ全部を調べ終えたわけではない。
何個埋まっているのか。
対戦車地雷が、あといくつ残っているのか。
「ねぇ……隊長。このままだと、まずいよね?」
傍らでLMGを構えるスイが声を上げる。
「相手の作戦通りだろうな」
レナは視線を前に向けたまま続けた。
「我々に、泥遊びをしている余裕はない」
――
――数分後。
『WOLF1、こちら地雷確認班。必要範囲の探査が完了しました』
レナは送信機に手を伸ばす。
「よくやった。現在までに見つけた地雷の数は?」
『は、はい!』
一瞬、返答まで間が空く。
『……対戦車地雷は、確認できたのが四つ。迂回路を塞ぐように配置されています。
対人地雷は、えと……多数です』
「……了解。無力化できそうか?」
『あ、その……』
地雷確認班から返ってきた声には、明らかな迷いが滲んでいた。
『処理防止の有無を確認しながらだと……時間が――』
「――いや、対戦車地雷だけでいい」
レナが即座に返す。
『え……?』
「対人地雷は放っておけ」
無線の向こうが静まり返った。
『ですがWOLF1……』
「問題無い――」
レナは言葉を重ねる。
「――戦車で踏み潰す」
盾を構えたままのメイが目を丸くした。
「えっ……隊長」
「対人地雷の炸薬量で、戦車の履帯は切れん」
リノも一瞬だけレナへ視線を向ける。
「ですが、隊長。それでは敵に……」
「分かっている。必要なリスクだ。炸裂音で動きは悟られるが……この際、仕方がない」
レナは、淡々と言い切った。
『了解……対戦車地雷の無力化を試みます』
「頼んだ」
レナは送信スイッチから指を離した。
その直後、探査役の二人が再び動き始める。
一人が腐葉土を払い、埋まっていた対戦車地雷を露出させる。
「この感圧板は……トリニティで正式採用されている物だよね?」
本体は深緑色で塗装されており、上面には五徳のような形状をした金属板が生えていた。
「そうね、この型の対処なら知ってる」
「処理防止機能は?」
「地雷本体には無いはず……。
よし、今からトラップがないか確認する。貴女は触らないで」
「うん……」
もう一人の探査役が身体を引く。
代わって前へ出た生徒は、地雷の傍で膝をついた。
露出した地雷へ顔を近づけることはせず、身体を少し傾け、視線を走らせる。
「……」
膝をついた生徒は周囲の土を手で軽く払った。
サッ――。
サッ――。
彼女の額から汗が一筋流れ、頬を伝い、顎先まで落ちる。
「……側面、異常なし」
小さな掠れ声。
後ろに立つ標示役が息を呑む。
「か、下面は?」
「今から見る」
探査役は短く答え、土を掘り返す。
黒土の中から徐々に、円柱の対戦車地雷が姿を現した。
探査役は銃剣を掴み取り、底部に刃をそっと滑り込ませた。
本体の下に埋められた物がないか、銃剣を数回だけ往復させる。
「……」
誰も声を出さない。
聞こえるのは、唸り続ける戦車のエンジン音だけ。
「……下には、何も無い」
その言葉を聞いても、誰一人として緊張を解かなかった。
「じゃあ……」
「今から、信管を無力化する」
探査役は地雷の中心へ手を伸ばす。
その指先は僅かに震えていた。
「……ふぅ」
呼吸を整え、ポーチから小型のワイヤーカッターを取り出した。
この場に専用の工具や、安全ピンの類いは無い。
探査役はワイヤーカッターを中心の穴に捩じ込み、露出した信管を挟む。
「……」
上からの圧力を掛けないように、一回転、二回転と回して信管を緩め――。
カチンッ!
小さな金属音が鳴る。
「……っ」
そのまま数秒。
何も起きない。
そして、信管を引き抜いた。
「……」
探査役はペンチを握ったまま、ゆっくりと息を吐く。
「一個目――無力化」
その瞬間。
周囲にいた四人が、ようやく肩の力を抜いた。
――
――
『WOLF1。対戦車地雷、一個目を無力化』
無線から聞こえた報告に、レナは時計を見る。
「そのまま続けろ」
『了解』
短く答え、通信が切れる。
秒針は止まらない。
一周。
さらに一周。
「……」
二個目。
『無力化しました』
三個目。
『三個目、処理完了』
そして――さらに数分後。
『WOLF1、こちら地雷確認班』
レナは送信機を握る。
「こちらWOLF1」
『進路上の対戦車地雷、四つ全てを無力化しました。今から撤去します』
「よくやった。撤去が終わり次第、探査を中止。速やかに退避しろ」
『了解!』
地雷確認班はスチール製の円柱を持ち上げ、自分たちで作った細い安全経路を逆に辿りながら林道へ戻ってくる。
レナはそれを確認すると、無線機のスイッチを押した。
「チエ」
数秒も経たずに声が響く。
『はい』
「路肩の対戦車地雷は取り除いた」
『了解』
「ただし対人地雷は残っている」
短い沈黙。
「……そこを進めば、突破したことは即座に察知されるだろう」
レナは続ける。
「安全のため、歩兵は後方へ下げる。グッドラック」
『……了解しました。――
直後――。
イージーエイトのエンジン音が変わった。
ブォォォン――!!
「全員下がれ!」
レナの声に、生徒たちが一斉に後退した。
履帯が軋み、イージーエイトがゆっくりと左へ寄り、僅かに残された路肩へ履帯が乗り上げた。
湿った腐葉土が押し潰された直後。
バンッ――!!
履帯の下で乾いた破裂音が弾け、土煙が噴き上がる。
「っ――!」
思わず乗員たちは身を竦ませる。
だが三十数トンの車体は、僅かに揺れただけだった。
履帯は土を噛み、そのまま前へ進み続ける。
バンッ――!!
バンッ――!!
――
――第三射撃地点。
林の奥。
バンッ――。
何かが弾ける音が、遠くから聞こえた。
低く抑えられていたエンジン音の中で、Lampyrisの車長が僅かに顔を上げた。
バンッ――。
バンッ――。
車長の瞳が細くなった。
「……強行突破しましたか」
その直後に、受信機から短い声が飛び込んできた。
『敵先頭車……残骸を突破……』
ノイズ。
『進出中……』
車長は送信機へ手を伸ばさなかった。
応答はせず、原則受信のみ。
さっき自分で決めたことだ。
「
小さく告げる。
砲手が照準器へ顔を寄せた。
装填手はすでに砲尾の脇で身構えている。
薬室には
「
車長はペリスコープへ視線を戻す。
木々の隙間。
その向こうにある、細い射線。
そこからなら、露出を最低限に抑えられる。
「
『
エンジンの回転数が、ほんの僅かに上がった。
ブロロ……。
履帯が回る。
前へ、ほんの数十センチ。
長大な砲身を、木々の間から少しだけ覗かせた。
「
操縦手がレバーを引き、履帯が止まる。
『……』
砲手は足元の発射ボタンに足先を添えた。
「
霧に紛れて迫る影が照準器の中に映り込む。
砲手はイージーエイトの車体中心にレティクルを重ねた。
精度は、誰にも保証できない。
彼我の距離は、200メートル以下。
だが、中心ならば命中は見込める。
――
――マカロン1。
砲手はただ一点を見続けていた。
一時方向。
方位――五六〇ミル。
レナが指定した一点のみを。
『……』
照準器の中で一本の枝が風に揺れた、その奥に黒い影が――。
動いた。
『何かいるぞ!』
砲手の声が跳ね上がる。
「――ッ!」
チエの身体が反応した。
茂みから僅かに突き出した長い砲身と、木々の裏から覗く丸い輪郭。
「
すでに砲塔は向いている。
必要なのは、僅かな修正だけ。
「
『
チエが叩きつけるように命じ、砲手は足元の発射ボタンを踏み付けた。
――
――同時刻/Lampyris。
「なッ――!?」
車長の声が跳ねた。
相手は、こちらに砲を向けている。
偶然?
またドローン?
移動する所を見られた?
――いや。
今はそんなことを考える状況ではない。
すでに照準は合っている。
「
車長は反射的に叫んだ。
『
ズドォォォンッ――!!
爆炎を伴って、砲口からAPDSが飛び出した。
同時にLampyrisの車体が大きく揺さぶられ、空薬莢が砲尾から吐き出される。
だが――。
その瞬間に、向こう側からも閃光が眩いた。
二発の砲弾がすれ違い、互いの車体へ向かって空間を切り進む。
――
――マカロン1。
「ッ――!」
チエの視界に、白い光が飛び込む。
ガァアアンッ――!!
間を置かずに、鼓膜を劈く金属音と鋭い衝撃。
「ぐッ……!?」
『うぅ……!』
『ああッ!』
砲塔内の全員が反射的に身を竦ませる。
「……っ!」
チエは即座に周囲へ視線を走らせた。
砲塔内に――煙は無い。
破片も、火災も無い。
今の衝撃は、照準より高く逸れたAPDSが、丸みを帯びた砲塔側面を浅く削り取ったものだった。
「みんな無事!?」
『異常なし!』
『ボス! 敵はどうなった――!?』
砲手の声で、チエは旋回式ペリスコープを正面へ戻した。
視界を覆っていた硝煙が徐々に薄れる。
「
敵戦車の砲塔左端。
増加装甲の縁に、赤熱した貫通痕が穿たれていた。
――
――Lampyris。
ガァァンッ――!!
「ああッ――!?」
耳を突き刺すような金属音が炸裂した。
――刹那。
バギンッ――!!
『ッ――!?』
装填手の身体が跳ね、そのまま砲塔床へ崩れ落ちる。
『あぐッ……!』
装填手は左肩を押さえ、歯を食い縛った。
指の隙間から血が滲む。
貫徹の瞬間に飛び散った装甲片が、装填手の左肩を切り付けたのだ。
「貫かれた……」
車長の顔から、僅かに血の気が引いた。
負傷した装填手に、もう長大な17ポンド砲弾を扱わせることはできない。
次弾が来る。
考えろ。
早く、指示を出さなければ――。
「後退全速ッ――!」
車長は
『……!』
操縦手が即座に左右のレバーを引く。
『
ブォオオ――!!
Lampyrisの履帯が逆転し、車体が木々の奥へ滑り込んでいく。
「怪我は!? 動けますか!?」
『だ、大丈夫……です……!』
「無理に立たないでください!」
砲塔床へ倒れ込んだ装填手を、車長が片腕で支える。
そこで車長の手が止まった。
Velites。
林の中に残っている歩兵部隊。
このまま自分たちだけが下がれば、彼女たちが取り残される。
「……」
車長は無線機のスイッチを入れた。
「LampyrisよりVelites!」
彼女は、自ら沈黙を破る。
「無線封止解除! 第三防衛線へ後退!」
ノイズ混じりの回線へ声を叩き込む。
「繰り返します! 無線封止解除! 第三防衛線へ後退!」
『……!』
『こちらVelites-2! 了解!』
『Velites-1、了解!』
次々と返答が重なる。
「掩蔽壕へ集結してください!」
――
――
「敵戦車、後退!」
チエはペリスコープへ目を押し当てたまま、木々の隙間を追う。
「
『駄目だ! 木に遮られた!』
砲手が苛立たしげに答える。
一瞬だけ見えていた敵の輪郭は、すでに霧へ溶け込んでいた。
チエは送信機へ手を伸ばした。
『WOLF1、こちらマカロン1。
敵戦車と交戦! 命中弾を与えましたが、撃破ならず! 追撃しますか!?』
すぐにレナの声が返ってきた。
『こちらWOLF1――。
追撃は禁ずる。マカロン1は後続と合流するまで待機だ』
『マカロン1……了解』
チエは短く答えた。
ペリスコープの向こう。
木々の奥へ逃げ込んだ敵戦車の姿は、もう見えない。
砲手は照準器から顔を離すと、荒い息を吐いた。
『初めての戦車戦だったな』
「……そうね。もう、懲り懲りよ」
チエは息を吐くと車長席へ座り込み、頭に巻かれた包帯をそっと撫でた。
――
――林道。
「……なんだ」
レナの獣耳が僅かに動いた。
無線機から、呼び出し音が鳴る。
『WOLF1! こちらRAVEN1』
レナはすぐに送信機を取る。
「こちらWOLF1」
『GAの通信量が急増している』
「内容は」
『後退命令だ』
短いノイズ。
『“要塞へ後退” “掩蔽壕へ集結”』
途切れ途切れにしか拾えなかったGAの通信が、今は明らかに増えている。
「……ようやくか」
隠密を捨てた。
否――。
捨てざるを得なくなったのだ。
「WOLF1より全隊へ通達――。
前進再開、先行したマカロン1と合流する」
無線機から手を放す。
「……っ」
浅く息を吸った瞬間、胸の奥で心臓が大きく跳ね、一瞬だけ視界が霞む。
「……」
レナは僅かに眉を顰めた。
指先は、ほんの少し震えている。
(まだだ、まだ終わっていない)
木々の向こう。
その先のバルバラ要塞へ視線を向け、無線機のチャンネルを切り替えた。
「ギャヴェル、こちらWOLF1。GAが要塞へ撤退を開始した」
レナは掌を握り締め、震えを押し潰す。
「……ツルギを出せ。次でタッチダウンだ」
――
――トリニティ総合学園/ティーパーティー執務室。
カチッ――カチッ――。
装飾を施された古時計の秒針だけが、静かな室内で規則正しい音を立てていた。
机の上の紅茶は、とっくに冷めている。
「サンクトゥスより、旧聖バルバラ要塞で発生している騒ぎについての照会です」
白い円卓を囲むのは、白い制服に身を包んだ三人。
「内容は」
その中で、扇子をゆっくり仰いでいた一人が口を開く。
傍に立つ書記が、手元の書類へ視線を落とした。
「現在の戦況。正義実現委員会の投入戦力。それから――」
紙を捲る。
「連邦の特殊部隊が、何故トリニティ領内で戦闘行動を行っているのか。その経緯の詳細について説明を求めています」
扇子の動きが止まった。
「……誰の名です?」
書記は僅かに言葉を詰まらせた。
「あ……サンクトゥス派の幹部会です」
「……」
扇子を握る指先に、僅かに力が入った。
トリニティ三大派閥の一つ――。
サンクトゥス。
その代表を務める自分自身へ、正式な説明要求が送られてきた。
「どう説明するのですか」
円卓の向かいの少女が、静かに口を開く。
言葉とは裏腹に、その表情に驚きはない。
「終息の報告は、まだ上がっていないのでしょう?」
「……ッ」
扇子の少女は口を噤んだ。
代わりに書記へ、視線だけを向ける。
「鎮圧に出た部隊からの最新報告は」
「林間到達時に一度。それ以降はありません」
向かいの少女が眉を寄せた。
「一度……?」
書記は小さく頷く。
「はい。『突撃部隊、林間へ到達。敵の激しい抵抗に阻まれ、前進困難』――それが最後です。それ以降、現地から正式の戦況報告はありません」
「そ……それだけ? 他には? 何も無いのですか?」
書記は言葉を選ぶように、視線を背けた。
「負傷者の搬送要請や、救護騎士団の動員が確認されています。
ですが、戦況そのものについては……」
「救護騎士団……規模は?」
「現在確認できているだけで、出動した救護車両は六台。医療物資の要請も多数寄せられています」
「六台……?」
向かいの少女は、僅かに身を乗り出した。
「負けているではありませんか……! たかが、80人程度の蜂起で何故!?」
「落ち着きなさい」
扇子の少女が静かに制した。
「ですが――」
「我々には、剣先ツルギがいます。加えて、連邦から派遣されたSRTまで投入されている」
パチン――。
扇子が閉じられる。
「かの要塞は直に落ちます。まだ慌てる時間ではありません」
「――それは」
それまで一言も発さず、手元の書類へ視線を落としていた三人目の少女が口を開いた。
「こちらが、正確な戦況を把握できている場合の話ではありませんか?」
「……何が言いたいのです」
「最後の報告から、どれほど時間が経っています?」
書記が時計へ目を向ける。
「ちょうど……二時間です」
沈黙を保っていた少女は紙を一枚捲る。
「……もう二時間ですか。ツルギがいるとは思えない体たらくですね?」
パチン――。
扇子がもう一度開かれた。
「戦闘が思うように運ばないことくらい常識で――」
コンコン――。
扉を叩く音が、その言葉を遮った。
「失礼いたします!」
連絡係が足早に入室する。
その手には、封筒が掲げられていた。
「ぱ、パテルより照会状が届いております!」
「……内容は?」
書記は連絡係から封筒を受け取り、封を開けた。
「内容は『……北東部における道路封鎖と、突如発生した通信設備の停止について』と、あります……」
円卓の向かいに座る少女が顔を上げた。
「要塞周辺の地域は……併合後もパテルが管理を担当していましたわね」
「はい」
書記が頷く。
「現在、バルバラ要塞へ続く経路と重なる同道路は、派遣された第七装甲中隊が封鎖しております。
加えて、指定された区域は――」
書記は視線を下げ、言葉が途中で詰まった。
「……GAが破壊工作を行なった通信施設が存在します」
向かいに座る少女の視線が、扇子の少女へ向く。
「外部には、『武装した一部生徒によるストライキ』と説明していたのですよね?」
扇子の少女の眉が僅かに寄った。
「……」
「この規模は……もはや、“隠し通す”のも限界ではなくて?」
「言葉を慎みなさい」
「……慎み?」
向かいの少女は、視線を逸らさなかった。
「私は、事実を申し上げているだけです」
淑女らしい、静かな声だが、その言葉には明確な棘が含まれている。
扇子の少女は唇を噛み、書記が円卓の上に置いた書類へ視線を落とした。
「……パテルへの返答は保留」
「ほ、保留ですか?」
「あやふやな回答をするわけにはいきません」
「……承知しました」
カチッ――。
カチッ――。
誰も喋らない。
古時計の秒針だけが進み続ける。
コンッコンッ――。
先ほどよりも強い扉を叩く音が、執務室の沈黙を破った。
「失礼いたします!」
別の連絡係が入室する。
その顔には、先ほどの少女以上に明らかな緊張が浮かんでいた。
「急遽フィリウスより、照会状が送られてきました!」
「……」
扇子の動きが完全に止まった。
連絡係は封筒を開け、中の照会状を読み上げる。
「事前通達なくクルセイダーを徴用した経緯、および現在作戦行動中の第七装甲中隊に関する活動報告書の開示を求めています」
向かいに座る少女の表情から、先ほどまで残っていた苛立ちが消える。
代わりに浮かんだのは警戒だった。
「フィリウスが第七中隊を名指し……?」
書記が答える。
「装甲科の整備記録を照合したものと思われます」
「何故、整備記録の照合など!?」
沈黙を保っていた少女の目が伏せられた。
「誰かが……リークをしたのでしょう」
沈黙を保っていた少女の言葉に、執務室が静まり返る。
「……リーク、ですって?」
扇子の少女が声を尖らせる。
「ええ。これだけの情報が、各派閥へ同時に届くなど不自然です。
……誰かが意図的に情報を撒き、各派閥に疑念を抱かせ――」
バチンッ――!
扇子が勢いよく閉じられた。
「GAの部員は全員謹慎中、あるいはあの要塞に立て籠もっているのでしょう。誰ができるというのです……?」
ギリッ、と扇子が軋む。
扇子を持った少女は、低く冷たい声で告げた。
「……各派閥には、個別に説明を行います」
「個別、ですか?」
向かいの少女が問い返す。
「ええ……憶測に基づく安易な弁明は、結果的に我々の首を絞めます。
……各派閥へは、私が直接出向いて事情を説明しましょう」
それは、政治的に見れば合理的な一手だった。
各派閥が持っている断片的な情報を分断したままにしておけば、こちらの説明で操作し、事態をコントロールできる。
――はずだった。
コンッコンッコンッ――!!
これまでで最も激しく、切羽詰まった様子で扉が叩かれた。
「失礼いたします!!」
血相を変えた別の連絡係が転がり込んでくる。
その手には、紙切れが握り締められていた。
「三派閥幹部会の連名で……緊急の合同会合開催の要求です!」
「……何ですって?」
逃げ道を塞ぐ、致命的な報告だった。
情報を分割管理するという彼女の目論見は、すでに破綻していた。
「そ……そして」
連絡係の少女は、青ざめた顔で紙を震わせた。
「この合同説明要求に対し……桐藤家、聖園家、百合園家の御三家が、正式に支持を表明しました」
「ッ――」
扇子が、手から滑り落ちた。
カラン、と乾いた音を立てて床へ転がる。
トリニティにおける伝統と権威を象徴する、最大級の有力家門。
三大派閥は制度的な圧力に加えて、社会的・人的な圧力を掛けてきたのだ。
もはや、「局地的な反乱」という隠蔽工作は通用しない。
「……だ、だめ。せっかく、ここまで来たのに……」
扇子の少女の手は震えていた。
「え……延期してください。武力鎮圧が完了するまで、出席はできないと」
扇子の少女が絞り出すように命じる。
しかし、連絡係は静かに首を横に振った。
「『現執行部メンバーの速やかな出席を“強く”求める』……とのことです」
これまで、彼女たちは「呼び出す側」だった。
不祥事を起こした生徒を呼び出し、密室で問い詰め、処分を下してきた。
しかし今。
彼女たちは「呼び出される側」へと転落したのだ。
「……どうして」
扇子の少女の脳裏には、ある人物の影が浮かんでいた。
「話が、違う……約束、したではありませんか……」
震える声でぽつりと呟き、扇子の少女は俯いた。
――
――旧聖バルバラ要塞。
通信手の生徒が、ノイズの向こうから届く報告を次々と読み上げる。
「……Lampyris、被弾!」
「Velites-1及びVelites-2、後退を開始!」
「敵装甲部隊、林道を突破!」
「
指揮所の中央に置かれた要塞周辺の戦術図。
そこに配置された駒が、次々と後方へ下げられていく。
Aegis-1、東雲シヅキは表情を崩さず、ティーカップを片手に戦術図を見下ろしていた。
耳に届くのは悪報ばかり。
軍事的な観点から見れば、GAは明確に負け始めている。
「……」
だが、シヅキの眼差しに焦りは無い。
林間に展開していたGA部隊は、次々と要塞外周の掩蔽壕へと戻り始めている。
これは想定外の敗北ではない。彼女たちは、最初から「時間」を買うために血を流していたのだから。
「……」
シヅキの脳裏に、あの夜の記憶が蘇る。
『今この場で決める権限は、貴様らには無い』
差し出した自分の右手。
『シヅキ様の名でも、わたくしは……戻りません』
拒絶される、自らの名と権威。
『戦闘体制を解除』
最後に下された理不尽な命令。
自分たちの問題だったはずだ。
なのに、誰を連れ戻し、誰が責任を取り、何を公表し、どう終わらせるのか。
そのすべてを他人に決められた。
そして、連邦生徒会とティーパーティーの、薄汚い政治取引の材料にされたのだ。
「……」
シヅキは、静かにティーカップを置いた。
カチン――。
陶器の触れ合う小さな音が、騒がしい指揮所の中で妙に鮮明に響く。
「今度は――」
その指先が、戦術図の上に置かれた一枚の駒へ触れた。
直後――。
指揮所に置かれた、別の通信機が鳴った。
「――!」
通信手の生徒が即座に、受話器を掴み取る。
相手と数回だけ言葉を交わし、彼女は顔を上げた。
「……シヅキ様。
シヅキはティーカップを置き、静かに歩み寄って受話器を受け取った。
「こちらAegis-1」
『三大派閥、資料共有を開始。現ティーパーティー執行部へ合同説明要求』
そして、決定的な一言が告げられた。
『情報封鎖、破綻』
「……ご苦労様でした」
シヅキは静かに受話器を置き、一度だけ目を閉じた。
そして、小さく息を吐き、ほんの僅かに、口角を上げる。
「私たちの勝ちです」
指揮所内にいた生徒たちが、弾かれたようにシヅキを見る。
政治的な勝利条件は満たした。
だが、彼女たちの戦いは終わらない。
シヅキの微笑みはすぐに消え、いつもの冷徹な指揮官の顔へと戻った。
今ここで戦闘を止めれば、現執行部は強引に告発の証拠や証言できる生徒たちを押さえ、政治的な巻き返しを図るかもしれない。
いや――。
狡猾な狸共は、必ず動く。
故にGAは、強固な壁であり続けねばならない。
放った業火が、トリニティ全体へ燃え広がるまで戦い続けなければならない。
そして何より。最後に武器を置く瞬間だけは、自分たちの意志で決める。
シヅキは窓の方へ視線を向け、遠方にそびえ立つ純白の尖塔を真っ直ぐに見据えた。
「もう誰にも、邪魔はさせない」