白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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第57話 破城

 

 

――ズドォオオンッ!!

 

砲炎が弾けた。旧防空砲座を橙色の閃光が照らし、17ポンド砲の砲尾が激しく後退する。

 

砲口から放たれた榴弾は、平原を一直線に駆け抜けた。

 

狙っているのは、ツルギそのものではない。

 

――その進路。

 

猛烈な速度で第三防衛線へ迫る黒い影。その僅か前方へ――。

 

――ドォンッ!!

 

ツルギの足下が爆ぜた。土砂が柱となって噴き上がり、爆風が周囲の草を薙ぎ倒す。

 

「――ッ!?」

 

爆発の中心から弾き出されたツルギの身体が、宙を舞った。背中の翼が大きく翻り、そのまま数メートル先の地面へ叩き付けられる。

 

それでも勢いは殺し切れない。黒い制服が泥を跳ね上げながら地面を転がり、握っていた二丁のショットガンの片方が手を離れ、少し離れた地面へ突き刺さった。

 

 

 

――

 

――第三防衛線。

 

土嚢の向こうからその光景を見ていたGAの生徒たちは、揃って息を呑んだ。

 

ツルギが止まった――。

 

一瞬、誰もがそう思った。

 

「や……やった……?」

 

誰かの口から、小さな声が漏れる。

 

爆発地点には濃い土煙が立ち込めていた。その中心で、ツルギは動かない。

 

制服の袖は裂け、布地には泥と煤がべったりとこびり付いている。

 

今の一撃は効いている。

 

――確実に。

 

「…………」

 

だが。

 

ぴくり。

 

泥の上へ投げ出されていた指が、動いた。

 

「……ッ!」

 

片腕が地面を押す。震える腕で上体を起こし、ゆっくりと身体を持ち上げていく。

 

「…………嘘」

 

ツルギが、立った。

 

呼吸は荒い。制服も破れている。

 

無傷ではない。

 

それでも――足だけは、まだ前を向いていた。

 

俯いていた顔が、ゆっくりと上がる。

 

「き――」

 

そして。

 

「きぇぇぇぇぇぇええええええええッッ!!」

 

再び走り出した。

 

地面へ突き刺さっていたショットガンを走りざまに拾い上げ、そのまま銃をくるりと回す。

 

ガチャッ――!

 

レバーが作動し、新たなシェルが薬室へ送り込まれた。

 

「――ッ!?」

 

「嘘!? 止まらない!?」

 

「あ、あああ!! 撃てッ!! 撃てぇッ!!」

 

恐怖が伝播した。

 

第三防衛線の至る所から、再び銃火が集中する。

 

重機関銃。小銃。短機関銃。

 

GAのあらゆる銃口が、たった一人へ向けられた。

 

次の瞬間。

 

ピイィィィィィィッ――!!!

 

「Chaaaaarge(突撃)――!!!」

 

ホイッスルの甲高い警笛が、平原を切り裂いた。

 

「「「「Aaaaaaa――!!!!」」」」

 

WOLF、GOAT、RAVEN、そして正義実現委員会が一斉に稜線から飛び出し、第三防衛線へ雪崩れ込む。

 

ブォオオン――!!

 

V8エンジンが唸りを上げた。

 

二両のシャーマンが稜線を越え、三十トンを超える鋼鉄の車体が平原へ姿を現す。

 

即座に第三防衛線から銃火が返された。

 

だが――先ほどまで林道出口を押さえていた火力の大半は、ツルギただ一人へ吸い寄せられている。

 

「マカロン3――!」

 

チエが送信機を握り締めた。

 

『聞こえてます!』

 

「WP(白燐弾)! 2 rounds(二発)! Fire(撃て)!」

 

『Wilco(了解・実行する)!』

 

マカロン3の砲塔が動く。

 

正面。

 

ツルギではない。

 

そのさらに奥――第三防衛線に並ぶ複数の火点。その相互視界と射線を断ち切る位置へ。

 

『WP(白燐弾), Up(装填完了)――!』

 

『Fire(撃て)!』

 

『On the way(発射)!』

 

――ドンッ!!

 

主砲が火を噴いた。

 

白燐弾が防衛線前方へ飛び込み――。

 

ボシュゥゥゥッ――!!

 

着弾と同時に白燐が飛散し、濃密な白煙が一気に膨れ上がる。

 

『Again(再射撃)!』

 

間髪入れず、次弾が砲尾へ押し込まれた。

 

『Up(装填完了)――!』

 

『Fire(撃て)!』

 

『On the way(発射)!』

 

――ドンッ!!

 

二発目。

 

今度はさらに右――別の火点との中間へ落ち、白煙が連なる。

 

互いを視認し、支援し合っていた火点の間へ、巨大な白い壁が割り込んでいく。

 

「ヤバい! ヤバい、見えない!」

 

「右の火点は!?」

 

「分からない! 煙で――!」

 

数秒前まで一つだった防衛線が、瞬く間にいくつもの孤立した陣地へ切り分けられていった。

 

 

 

――

 

――東側旧防空砲座/Lampyris。

 

白い煙が、急速に広がっていく。

 

車長がペリスコープへ目を寄せた。

 

「クソッ……やられた!」

 

白煙の向こうでは、なおも黒い影が動いている。

 

「けっ――剣先ツルギ、健在!!!」

 

砲手が照準器を覗き込んだまま叫んだ。

 

「分かっています!!」

 

車長が怒鳴り返し――。

 

「……」

 

その瞬間、思考が止まった。

 

「…………まずい」

 

顔から血の気が引いていく。

 

迫りくるツルギへ撃った。撃たなければならなかった。

 

あのまま第三防衛線へ飛び込まれれば、正面から陣地を食い破られる。

 

判断そのものは、間違っていない。

 

だが――。

 

その一発を撃つために、対戦車監視から目を外した。

 

「Gunner(砲手)! Sabot(装弾筒付徹甲弾)! Taaank(戦車)――!!!」

 

「――ッ!」

 

砲手が照準ハンドルを回す。

 

ギィィィッ――。

 

長大な17ポンド砲が旋回し、白煙の縁をなぞっていく。

 

ペリスコープの狭い視界。

 

その先――稜線を越えたイージーエイト。

 

こちらへ向けられた砲塔。

 

そして。

 

既に自分たちを捉えようとしている、76mm砲の砲口。

 

「早くしろッ――!!」

 

車長の声が裏返った。

 

「ぐぅッ……あああ――!!」

 

臨時装填手が渾身の力を込め、APDSを薬室へ叩き込む。

 

 

 

――

 

――マカロン1。

 

チエは、先ほど閃いた発砲炎の方向へペリスコープを振った。

 

「Gunner(砲手)! HVAP(高速徹甲弾)! Tank(戦車)! Traverse right(右旋回)!」

 

砲手が照準器へ顔を押し付け、旋回装置を操作する。

 

ウィィィィ――。

 

砲塔が鋭く右へ回り、照準器の中を平原の景色が高速で流れていく。

 

旋回する砲塔内で、装填手は砲塔床の即応弾ラックからHVAPを引き抜き、砲尾へ押し込む。

 

ガシャンッ――!!

 

HVAPが薬室へ滑り込み、半自動閉鎖機が勢いよく閉じた。

 

『HVAP(高速徹甲弾)――Up(装填完了)!』

 

「Steady(そのまま)――!」

 

流れていた景色が止まる。

 

レティクルの中心――。

 

コンクリート壁の向こうから露出したLampyrisの砲塔が、ぴたりと収まった。

 

『On(照準完了)!』

 

「Fire(撃て)!」

 

『On the way(発射)――!』

 

――ドォンッ!!

 

76mm砲が吼えた。

 

砲尾が激しく後退し、空薬莢が白煙をまといながら砲塔内へ吐き出される。

 

砲口から飛び出したHVAPは、僅か250メートルほどの空間を瞬時に食い潰した。

 

 

 

――

 

――Lampyris。

 

「Loaded(装填完了)――!!!」

 

臨時装填手が安全装置を叩きながら叫ぶ。

 

その、刹那。

 

――ガァァンッ!!!

 

白い閃光が視界を塗り潰した。

 

「――ッ!?」

 

HVAPに炸薬はない。

 

爆発するための砲弾ではない。圧倒的な速度と硬い弾芯で、ただ装甲を穿つ。

 

砲塔基部を貫いた弾芯が装甲板を砕き、その破片と弾芯片が凶器となって砲塔内部へ撒き散らされた。

 

「ああああぁ――ッ!!」

 

「きゃああッ!?」

 

「があああッ!!」

 

狭い砲塔内を、悲鳴と金属音が埋め尽くした。

 

 

 

――

 

――第三防衛線/東側旧防空砲座。

 

つい先ほどまで火を噴いていた17ポンド砲が、同じ方角を向いたまま沈黙している。

 

砲塔基部――ターレットリング付近。

 

新たに穿たれた黒い穴とハッチの隙間から、細い黒煙がゆらゆらと漏れ出していた。

 

「…………」

 

Lampyrisは、それきり動かなかった。

 

 

 

――

 

――マカロン1。

 

「Hit(命中)……! Next target(次目標)――!」

 

チエは戦果を確認すると、それだけを短く告げた。

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞/西側林縁。

 

ズドォンン――。

 

遅れて届いた砲声が、木々の間を震わせた。

 

ユキノはスポッタースコープから目を離さない。

 

白煙の切れ間。

 

掩体壕の裏から、細い黒煙が立ち昇っている。

 

「……」

 

数秒。

 

動きはない。

 

ユキノは静かに視線を横へ流した。

 

(……戦車は片付いた)

 

なら、次だ。

 

白煙の手前――掩体壕の銃眼や土嚢の隙間から、断続的に銃火が瞬いている。

 

大半の火線は、狂ったように平原を走り続ける剣先ツルギへ向けられていた。

 

ユキノは一度息を吸い、静かに口を開く。

 

「GAの火点間連携は崩れた。FOX4、目標を指示する。十一時方向――土嚢陣地、HMG(重機関銃)」

 

オトギは、弾頭先端を緑と白で塗り分けられたラウフォス弾(徹甲焼夷榴弾)が収められたボックスマガジンを差し込む。

 

重いチャージングハンドルを引く。

 

ガチャン――。

 

薬室へ、ラウフォス弾が送り込まれた。

 

無言のまま、オトギは対物ライフルの銃床へ頬を押し当てる。

 

長大な銃身が僅かに動き、レティクルの十字が断続的に発砲炎を瞬かせる土嚢陣地を捉えた。

 

距離――250メートル。

 

この距離では、長距離射撃のような複雑な修正を12.7mm弾は必要としない。

 

ユキノが目標を選び、オトギが捉え――。

 

撃つ。

 

それだけだった。

 

「TARGET IDENTIFIED(目標識別)」

 

オトギの口から、普段の軽口は完全に消えていた。

 

そこにあるのは、ただ引き金を引くためだけの短く冷たい報告。

 

「SEND IT(撃て)」

 

ユキノが許可を下す。

 

オトギの指が、トリガーを引き絞った。

 

ズダンッ――!!

 

マズルブレーキの左右から凄まじい爆風が噴き出し、林縁に積もった落ち葉を一斉に吹き飛ばす。

 

反動吸収機構が作動し、長大な銃身が後退する。

 

ガキンッ――!

 

重い金属音と共に、巨大な空薬莢が土の上へ吐き出された。

 

スコープの向こう側。

 

土嚢越しに覗く防盾へ、ラウフォス弾が突き刺さった。

 

鋼板を穿ち――その直後、内部で閃光が弾ける。

 

続いて、爆発。

 

防盾の背後に据えられていた重機関銃の機関部が、破片を撒き散らした。

 

「HIT(命中)――HMG(重機関銃)ダウン」

 

ユキノは感情の乗らない声で戦果を告げ、そのままスポッタースコープを横へ流した。

 

「SHIFT RIGHT(右へ移せ)。一時方向、掩体壕――ガンポート」

 

「……ON TARGET(目標捕捉)」

 

「SEND IT(撃て)」

 

ズダンッ――!!

 

ガキンッ――。

 

「HIT(命中)。ガンポート内部で炸裂。次、二時方向」

 

平原の中央では、ツルギの絶叫とレナたちの喊声、銃声とエンジン音が入り乱れている。

 

だが、この西側林縁だけは別だった。

 

ここだけは、人の声が恐ろしいほど少なかった。

 

そして――狙い、撃ち、次を探す。

 

ただそれだけの機械的な作業。

 

「……ON TARGET(目標捕捉)」

 

「SEND IT(撃て)」

 

ズダンッ――!!

 

「HIT(命中)。次、一時方向――LMG(軽機関銃)」

 

「……ON TARGET(目標捕捉)」

 

「SEND IT(撃て)」

 

ズダンッ――!!

 

土嚢から射撃していたGA生徒は視界から消え、手放されたLMGが宙を舞う。

 

「HIT(命中)。次――」

 

ユキノの声が、不意に止まった。

 

スポッタースコープの中。

 

白煙を突き破るように、黒い影が飛び込んできた。

 

剣先ツルギ、そして更に後ろ。

 

土煙を蹴り上げながら前進するWOLF、GOAT、RAVEN。銃剣を突き付けながら走る正義実現委員会も、すでに第三防衛線まで僅かな距離へ迫っている。

 

「…………」

 

ユキノの指が止まる。さっきまで明瞭に見えていた土嚢陣地の向こうを、味方の影が次々と横切った。

 

距離が近過ぎる。もう――同じ場所は撃てない。

 

「FOX4、撃ち方待て」

 

オトギの指が、トリガーから離れた。

 

「……コピー」

 

「突撃部隊が射界へ入った。奥へシフトする」

 

ユキノはスポッタースコープを僅かに持ち上げる。

 

第三防衛線、その後方。まだ前進部隊と重ならない位置で、別の銃火が瞬いていた。

 

「距離300。十二時半――後方火点。MMG(中機関銃)」

 

「……TARGET IDENTIFIED(目標識別)」

 

長大な銃身が、ほんの僅かに右へ動いた。

 

「SEND IT(撃て)」

 

ズダンッ――!!

 

最後の一発が林縁から放たれる。先ほどよりも遠い、照準器の向こう側で、発砲炎が消えた。

 

「HIT(命中)」

 

ユキノはそれだけを告げた。

 

「FOX4、撃ち方止め。これ以上は誤射の危険がある」

 

「了解」

 

オトギは対物ライフルから頬を離した。

 

「WOLF1、こちらFOX1。REPORT(報告)――。

防衛線、正面火点四つを無力化。

後方MMG(中機関銃)一、沈黙。

誤射の危険につき、射撃を停止する。オーバー」

 

『――WOLF1、了解! よくやった、FOX! 新たな命令があるまで待機せよ!』

 

「FOX1、了解。アウト」

 

 

 

――

 

――第三防衛線。

 

『狙撃だ! 林縁から大口径弾による狙撃を受けている!』

 

『こちらA-3! 銃座が破壊されました!』

 

『このままじゃ、近付かれる!』

 

『Lampyrisは!? 一体どうしたの!?』

 

『とっくにやられたよ!』

 

『Fix bayonets(付け剣)――!! Prepare for melee(白兵戦用意)――!!』

 

悲鳴のような報告が無線を飛び交う。だが、掩体壕に潜むGAの生徒たちには、西側の林縁へ銃口を向け直す余裕など無かった。

 

「ああ!! 来る!!」

 

GAの生徒が叫んだ。

 

距離、二十メートル。

 

もう照準器など必要ない。白煙の中から、黒い影が飛び出した。

 

「ぎゃはははは――!!!」

 

血走った赤い瞳を揺らしながら迫るツルギ。

 

「引き千切ってやるぅぅぅぅッ――!!」

 

「ひっ……!」

 

GA生徒の顔が引き攣った。さっきまで平原の向こうを走っていた怪物が目前にいる。

 

二丁のショットガンが向けられた。

 

「く、来るなぁッ!!」

 

反射的に小銃の引き金を引いた。

 

至近距離から放たれた弾丸がツルギの制服を叩く。身体が僅かに揺れるが、それでは彼女を止められない。

 

「うがぁぁぁ!! 邪魔だぁぁぁぁッ――!!」

 

ズガンッ――!!

 

ショットガンが火を噴いた。

 

「ッ――!」

 

身を伏せたGA生徒の頭上を散弾が薙ぎ、その背後で木製の弾薬箱が砕け散った。

 

「うわぁッ!?」

 

その隙にツルギが土嚢を飛び越えた。もう銃を向け直す暇などない。

 

ガンッ――!!

 

ショットガンの銃床が小銃を横から弾き飛ばす。

 

「きゃっ――!」

 

GA生徒は吹き飛ばされ、後ろの生徒とそのまま肩がぶつかった。

 

二人の身体がもつれ、泥の中へ転がる。

 

土嚢の裏に張り付いていたGA生徒が、ツルギへ震える手でライフルを向けようとした。

 

が――遅い。

 

「消えろぉぉぉッ!!」

 

ツルギのショットガンが、土嚢ごと生徒を吹き飛ばした。

 

ツルギがたった一人で防衛線の一角へ食い込む異常事態は、隣接する掩体壕へ致命的な混乱をもたらした。

 

「A-2に侵入された! A-2にツルギがいる!」

 

正面からの射撃に集中していた隣接陣地のGA生徒たちが、慌てて銃口をツルギのいる方向へ向けようとする。

 

互いに支援し合うはずだった火点の連携が、物理的にも心理的にも完全に断ち切られた。

 

その隙間へ、怒号と共に黒と赤の集団が雪崩れ込む。

 

正義実現委員会。

 

「散開!! 掩体壕を押さえろ!!」

 

連絡壕へ飛び込んだレナは単独で突出せず、片膝をつきながらハンドサインと無線で指示を飛ばす。

 

そしてARを構えながら、連絡壕の曲がり角を覗き込んだ直後。

 

「あ――」

 

GAの生徒と数メートルという至近距離で鉢合わせになった。レナは照準器を覗かず、ARを斜めに傾けてトリガーを引く。

 

ダダンッ!

 

弾かれたようにGA生徒が仰け反った。だが、倒れ間際に乱射された小銃弾が塹壕の壁を削り、泥が顔へ跳ねる。

 

「クリア! WOLF4、先導しろ!」

 

「イエスマム!」

 

左腕に固定された大型シールドを持ち上げ、狭い連絡壕へ身体ごと押し込んだ瞬間。

 

――ダダダダダッ!!

 

曲がり角の向こうから銃火が迸った。

 

「ッ!」

 

連絡壕へ降り注いだ弾丸が、シールドへ叩き付けられる。

 

ガンッ! ガガガガガンッ――!!

 

鈍い金属音が連続し、表面から火花が飛び散った。

 

だがメイは止まらない。

 

「火点を確認! 正面! 掩体壕、ガンポート!」

 

「WOLF3! 正面の掩体壕、撃ち返せ! WOLF2! ガンポートだ! 奴を黙らせろ!」

 

メイの背後に張り付いたレナが即座に指示を飛ばす。

 

「ウィルコ!」

 

「了解!」

 

スイは曲がり角からLMGを突き出し、トリガーを引き絞った。

 

――ズダダダダダッ!!

 

狭い連絡壕に、無数の曳光弾が飛び交う。

 

土嚢が弾け、ガンポートの周囲から湿った土が飛び散った。

 

「っ――!」

 

銃眼の向こうにいたGA生徒が、反射的に頭を引っ込める。

 

ほんの一瞬の間、それだけでいい。リノのDMRが、弾幕を張るスイの後ろから滑り出した。

 

「WOLF2!」

 

「見えてます!」

 

スイが制圧射撃を止めた瞬間、そこから再び銃身が伸びてくる。

 

ダダンッ! ダダンッ――!

 

リノのDMRが短く連続して火を噴いた。放たれた7.62mm弾はガンポートの狭い開口部へ正確に吸い込まれた。

 

GA生徒の身体が跳ね、握っていた小銃が滑り落ちる。

 

「ガンポート、沈黙!」

 

レナは一瞬だけ周囲を見る。

 

ツルギは既に掩体壕を突破し、要塞側へ食い込んでいた。GOATとRAVENも少しずつ距離を詰め、他の掩体壕を制圧中だった。

 

正面からの射撃が止んだのを確認したレナは右手を上げる。

 

「ジャスティスッ! 距離を詰めろ!」

 

「了解!!」

 

返答と同時。

 

黒と赤の制服が、メイの左右を一気に駆け抜けた。

 

「前へ――!!」

 

正義実現委員会の生徒たちが、泥を蹴り上げながら連絡壕へ雪崩れ込む。

 

もう平原を挟んだ撃ち合いではない。

 

互いの表情が分かる超至近距離。

 

「構えッ! 来るぞッ!!」

 

掩体壕からGAの生徒が飛び出した。

 

小銃の銃口、その先には鈍く光る銃剣。

 

「――ッ!」

 

正実生徒も反射的に銃口を持ち上げる。

 

互いに銃口を向け直すには――近過ぎた。

引き金を引くより、突き出された銃剣を払う方が速い。

 

ガキンッ――!! キンッ――!!

 

複数の銃剣と銃剣が真正面から噛み合った。

 

「くっ……!」

 

「降参しなさい! こんなこと、もう……やめましょうよ!!」

 

「黙れッ!」

 

金属同士が激しく擦れ合う甲高い音。狭い空間での鍔迫り合い。

 

だが、それは剣術などと呼べるような綺麗なものではなかった。

 

「くっ――!」

 

正実生徒が小銃を捻る。

 

噛み合っていた二本の銃剣が外れた瞬間、GA生徒が一歩よろめいた。

 

互いの顔が、あまりにも近い。煤で汚れた頬。額に浮かぶ汗。荒い呼吸。

 

林間や平原の向こうで撃ち合っていた時には見えなかったものが、嫌でも目に入る。

 

「――ッ!」

 

GA生徒が再び銃剣を突き出した。

 

正実生徒は銃身で受け流し、そのまま小銃の銃床を顔面に叩き込む。

 

――ゴッ!!

 

「ぐあっ……!」

 

GA生徒の身体が土壁へ叩き付けられた。

 

その横。

 

――ダンッ!!

 

別のGA生徒が数メートル先から発砲し、正実生徒の肩を掠める。

 

「っ――!」

 

「下がれッ!」

 

後ろから別の正実生徒が銃口を突き出した。

 

ダダンッ――!!

 

「あぁッ!」

 

GA生徒が仰け反る。

 

銃剣。

 

銃声。

 

悲鳴。

 

ほんの数メートルの空間で、それら全てが混ざり合っていた。

 

――ダダダダッ!!

 

「伏せろッ!」

 

レナの怒号。

 

連絡壕の奥から伸びた銃口が火を噴き、正実の生徒たちが一斉に身を沈めた。

 

弾丸が頭上を掠め、背後の土壁へ次々と突き刺さる。

 

十数メートル先。

 

短い連絡壕の突き当たりに、新たな土嚢陣地が見える。

 

その銃眼から、断続的に発砲炎が瞬いていた。

 

銃火が連絡壕を一直線に薙ぎ、レナたちは土壁へ身体を押し付けた。

 

正面から頭を出せば撃たれる。だが連絡壕は僅かに右へ折れ、銃座からはその角までは見通せない。

 

「グレネード!」

 

レナが叫ぶ。

 

後方の正実生徒が即座にポーチからグレネードを取り出す。

 

「フラグアウト!」

 

ピンを引き抜き、大きく振り被った。

 

小さな金属塊が土壁の上を越え、連絡壕の奥へ消える。

 

コッ――カランッ――。

 

「――はッ!?」

 

銃座の向こうから、息を呑む声が聞こえた。

 

「伏せてッ――!!」

 

次の瞬間。

 

――ドンッ!!

 

爆発が狭い連絡壕を揺さぶった。

 

土煙と破片が噴き上がり、舞い上がった短機関銃がレナたちが身を潜める方へ飛んできた。

 

そのまま土壁へ叩き付けられ、泥の中へ沈む。

 

「ムーブッ!!」

 

爆発の余韻が消えるより早く、レナが身体を起こす。

 

「WOLF4!」

 

メイがシールドを押し出した。

 

「イエスマム!」

 

まだ土煙の残る連絡壕へ、WOLFと正実が一気に雪崩れ込む。

 

先ほどまで銃火を吐いていた土嚢陣地。

 

その内側では、爆風を受けたGAの生徒たちが床へ倒れ込んでいた。

 

「う……ぁ……」

 

「武器から手を離して!」

 

正実生徒が銃口を向ける。

 

GA生徒の一人は荒い呼吸を繰り返しながら、傍らへ落ちた短機関銃を見る。

 

ほんの一瞬。

 

手が伸びかけ――。

 

「……やめて」

 

シールドを手放したメイが、その腕を掴んだ。

 

「もう……やめよう……」

 

メイの顔を見たGA生徒は目を見開いた。

 

それが徐々に、怒りを孕んだ鋭いものに変わる。

 

「……裏切り者! 貴女が逃げたからッ!」

 

「……」

 

メイの指が止まった。

 

掴んでいたGA生徒の腕が、僅かに強張る。

 

「貴女だけ……!」

 

GA生徒は歯を食い縛った。

 

「貴女だけ外へ行って……! 私たちはずっとここにいた! シヅキ様も……皆も……!」

 

「……」

 

メイは何も言わない。泥に塗れた少女の顔を、ただ真っ直ぐ見つめていた。

 

あの夜。差し出された白い手。

 

『こちらへ来なさい』

 

近衛序列第九位――Aegis-9。

 

かつて自分が立っていた場所。

 

「……そうですわね」

 

メイが、静かに口を開いた。

 

「貴女方から……わたくしは、逃げたのでしょう」

 

「……ッ!」

 

「否定は、いたしません」

 

メイは腕を掴んだまま、僅かに力を緩めた。

 

「ですが――」

 

メイの青い瞳が、僅かに細められた。

 

「今の私は、後悔してないよ」

 

「……!」

 

GA生徒の表情が歪む。

 

「ごめんね。GAより、SRTの方が居心地がいいんだ」

 

静かな声だった。言い訳でもない、慰めでもない。

 

「何で……!」

 

GA生徒の声が震えた。

 

「何で、そんな簡単に――!」

 

「見てくれたから」

 

メイが柔らかな声で遮った。

 

「私のことを見てくれたから……それだけだよ」

 

「……」

 

GA生徒の目から、反抗の色が抜け落ちた。

 

震えていた指先が、ゆっくりと泥に塗れた短機関銃から離れる。

 

メイは静かに立ち上がり、後ろで控えていた正実の生徒へ目配せをした。正実生徒がGA生徒の腕を取り、拘束の手続きへ移る。

 

「時間が無い……行くぞ」

 

レナの短く低い声が響く。

 

メイは一度だけ、かつての仲間だった少女を振り返り――すぐにシールドを構え直して前へ向き直った。

 

「イエスマム!」

 

第三防衛線は、すでに組織的な抵抗能力を失っていた。

 

ツルギによって分断された掩体壕は、互いを援護する射線を失い、FOXの正確な狙撃と、雪崩れ込むSRTと正義実現委員会の波に次々と呑み込まれていく。

 

ある者は戦闘不能となり、ある者は弾を撃ち尽くして投降し、ある者は要塞内部へと撤退していった。

 

そして――。

 

「WOLF1、報告します! 掩体壕の制圧を完了しました!」

 

正実生徒からの報告を受け、レナは小さく息を吐いた。

 

「了解、よくやった。――各員、残敵を掃討しつつ要塞本体へ前進」

 

レナが連絡壕から身を乗り出すと、朝の光に照らされた旧聖バルバラ要塞の全景が、すぐ目の前に聳え立っていた。

 

石造りの古い城壁と、後から増築された無骨なコンクリート。

 

その中央に位置する巨大な南正門は、鋼鉄の扉が固く閉ざされ、手前には土嚢と対戦車障害物が幾重にも積まれている。

 

だが、それを守るべき外郭陣地は既に沈黙していた。

 

背後から、重い履帯音が近付いてくる。

 

「WOLF1より、マカロン1」

 

『はい、こちらマカロン1』

 

レナは南正門を睨んだ。

 

巨大な鋼鉄製の門扉。その前には土嚢と対戦車障害物が幾重にも積み上げられている。だが――もはや、それを守る火点はない。

 

「HE(榴弾)で南正門を破れ」

 

『了解――!』

 

チエは即座に車内へ身を沈めた。

 

「Gunner(砲手)! HE(榴弾)! Front――Gate(正面――門扉)!」

 

装填手が弾薬庫から榴弾を引き抜く。重い砲弾を抱え上げ、そのまま砲尾へ押し込んだ。

 

ガシャンッ――!!

 

半自動閉鎖機が閉じる。

 

『HE(榴弾), Up(装填完了)――!』

 

砲手は照準器へ顔を押し付けた。真正面。レティクルの中央へ、南正門を封鎖する土嚢と鋼鉄製の障害物を収める。

 

『On(照準完了)!』

 

「Fire(撃て)!」

 

『On the way(発射)――!』

 

――ドォンンッ!!

 

76mm砲が火を噴いた。

 

砲弾は一直線に突っ切り、南正門の手前で炸裂した。

 

積み上げられていた土嚢が一斉に弾け飛ぶ。砂塵と木片、捻じ曲がった鉄骨が宙を舞い、対戦車障害物の一つが爆圧で跳ね上がって鋼鉄の門扉へ激突した。

 

「Again(再射撃)!」

 

『Up(装填完了)!』

 

ガシャンッ――!!

 

『On(照準完了)!』

 

「Fire(撃て)!」

 

『On the way(発射)――!』

 

――ドォンッ!!

 

二発目。

 

今度は門扉中央――二枚の扉が噛み合う合わせ目へ、榴弾が叩き込まれた。

 

――ズガァァンッ!!!

 

爆炎が鋼鉄の扉を呑み込む。

 

厚い金属板が大きく撓み、蝶番と固定具が耳障りな悲鳴を上げた。

 

それでも、まだ倒れない。

 

だが左右の門扉の間には――人ひとりがようやく覗けるほどの隙間が生まれていた。

 

「……まだ足りない」

 

チエが呟き、胸元の送信機を掴んだ。

 

「今から突っ込んで門を破壊します! 援護して下さい!」

 

「了解、援護する! GOAT、RAVEN、マカロン1の左右を固めろ!」

 

GOATとRAVENはイージーエイトの左右へ展開した。

 

「Driver(操縦手)――Forward(前進)!」

 

『Roger(了解)!』

 

砲手は砲身を保護するため、砲塔を後ろへ回した。V8エンジンが唸りを上げ、イージーエイトが急加速する。

 

履帯が連絡壕を乗り越え、土嚢を踏み潰した。

 

そのまま加速して捻じ曲がった正門へ突撃し、鋼鉄と鋼鉄が金切り音を響かせながら擦れ合う。

 

やがて車体正面が、損傷した門扉へ食い込んだ。

 

「もっと押せッ!!」

 

ブォォォォォオオンッ!!

 

三十トンを超える車体が、力任せに前へ進む。榴弾で傷んでいた蝶番が軋み、限界まで引き伸ばされ――。

 

――バキンッ!!

 

甲高い破断音。

 

片側の門扉が内側へ大きく傾き、イージーエイトがさらに車体を押し込む。

 

遂に門扉下部の固定具が千切れ、巨大な鋼鉄の板が要塞内部へ向かって倒れ込んだ。

 

――ズズゥンッ!!

 

地面が震える。

 

舞い上がる土煙。砕けた土嚢。折れ曲がった鉄骨。

 

その向こうに、暗い要塞内部へ続く通路が露わになった。

 

レナはARを構えたまま、その開口部を見つめる。

 

旧聖バルバラ要塞。

 

かつてトリニティ北東部を守っていた古い要塞、その南正門が――今、完全に破られた。

 

「……開いたぞ」

 

誰かが呟いた。

 

レナは即座に右手を上げる。

 

「全隊、停止!」

 

突入しかけていた正実生徒たちが、一斉に足を止めた。

 

「GOAT、RAVEN! 門の左右へ展開! 入口を押さえろ!」

 

「分かったわ!」

 

「了解!」

 

SRT生徒たちが壁際へ散開し、互いの射線を潰さない位置へ滑り込んでいく。

 

「ジャスティス!」

 

レナは続けて振り返った。

 

「第三防衛線の残敵を掃討! 投降者と負傷者を集めて救護騎士団へ受け渡せ!」

 

「了解!」

 

「まだ動けるGAが要塞へ逃げ込んでいる! 追撃で中へ雪崩れ込むな! 入口周辺を基準に整理しろ!」

 

「はい!」

 

「FOX1! こちらWOLF1、オーバー!」

 

『……こちらFOX1』

 

「狙撃任務を終了、ただちに合流しろ!」

 

『FOX1、了解。合流する。アウト』

 

命令が飛ぶたび、乱れかけた人の流れが少しずつ整理されていく。

 

――ブォオン。

 

背後からマカロン3が追いつく。

 

二両のシャーマンは破壊された南正門の左右へ陣取ると、互いに異なる方向へ砲塔を旋回させ、周囲への警戒に入った。

 

レナは一度だけ戦場を振り返る。

 

漂う白煙。立ち上る黒煙。砕けた掩体壕。沈黙したLampyris。泥の中へ散らばった薬莢と武器。

 

そして――。

 

「……」

 

ハスミの横に、無言のまま佇むツルギ。

 

先ほどの突撃で全身を泥で汚した黒い翼の少女へ視線を向けた。

 

「ツルギ」

 

「……あぁ?」

 

ツルギが、血走った赤い瞳でレナを睨み下ろす。レナはその視線を正面から受け止め、静かに告げた。

 

「地下弾薬庫を押さえろ」

 

「……」

 

「今回の決起を裏付ける重要な証拠があるはずだ……おい、全部壊すなよ」

 

ツルギの喉の奥から、低く、獣のような笑い声が漏れた。

 

「ぎひ……地下に、証拠があるんだな? 善処しよう……」

 

ハスミが額へ手を当てる。

 

「ツルギ……本当にお願いしますよ?」

 

「あぁ?」

 

「証拠を破壊した場合、後で始末書です」

 

「…………」

 

ツルギの笑いが止まった。

 

「……気を付けよう」

 

レナは視線を外して正実の生徒たちへ向き直る。

 

「ハスミ、残った者を率いろ。SRTと協力して一階を確保するんだ」

 

「了解しました」

 

部隊の整理を終えたレナは、破壊された南正門から要塞内部へと視線を向けた。

 

「FOXが来るまで待機だ」

 

 

 

――

 

――トリニティ自治区/公用リムジン。

 

パチンッ。

 

小さな音を立てて、扇子が閉じられた。

 

空調の低い駆動音と、タイヤが舗装路を転がる僅かな振動だけが続いている。

窓の外では、トリニティの街並みが後方へ流れていく。

 

向かい合う座席に、白い制服を着た三人の少女が座っていた。

 

誰も口を開かない。膝の上には、それぞれ同じ資料端末が置かれている。

表示されている内容も同じだった。

 

三大派閥へ共有された行政記録。

正義実現委員会、第七装甲中隊の車両運用記録。救護騎士団へ送られた負傷者の収容記録。

SRT特殊学園の派遣記録。

 

そして――Guardian Angels。

 

三人がこれまで別々に握り、別々に処理してきた情報が、今は一つの画面へ並べられている。

 

もう、誰か一人に説明して終わらせることはできない。

 

「……」

 

扇子の少女は端末から目を逸らし、窓の外へ視線を向けた。

 

クラシック・エレガント調の建物が、次々と後方へ流れていく。

その先で待っているのは、三大派閥合同会合。

 

パテル、フィリウス、サンクトゥス。

 

それぞれの幹部たちが、同じ資料を手に自分たち三人を待っている。

 

今までなら、呼び出すのはこちらだった。

説明を求めるのも、責任を問うのも、処分を告げるのも。

 

だが――今日は違う。

 

呼び出されたのは、他でもない自分たちだ。

 

――ピッ。

 

不意に、リムジンのルーフに取り付けられた端末が電子音を鳴らした。

 

「……?」

 

画面に表示された発信元を見て、扇子の少女の指が止まる。

 

――連邦生徒会長。

 

「…………」

 

残る二人も画面へ目を向けたが、誰も何も言わない。数秒の沈黙の後、扇子の少女が通話を開いた。

 

『皆さん、ご機嫌よう』

 

浮世離れした穏やかな声。その声音が、今だけはひどく癪に障った。

 

「ご機嫌よう――?」

 

扇子を握る指へ力が籠もる。

 

「これは一体どういうことか、説明して頂けますか!?」

 

怒声が車内を打つ。向かいの二人も僅かに目を細める。

 

「三派閥は、既に資料を共有してしまいました!」

 

『ええ、そうですね』

 

「御三家まで支持を表明しました!」

 

『あぁ……それも存じています』

 

「SRTまでもが議題に! これでは、貴女の立場も――!」

 

そこで端末へ新しい通知が入り、三人の視線が引き付けられる。

 

――旧聖バルバラ要塞。南正門、突破。

 

「は……? い、今さら……?」

 

扇子の少女は、呆然と通知を見つめた。

 

南正門、突破。

 

GAが最後の拠点として籠もった旧聖バルバラ要塞。

 

その外郭防御が、たった今破られた。

 

だが、もう何も戻らない。

 

要塞を取り戻そうが、東雲シヅキを拘束しようが、全員を捕らえようが。

 

三大派閥へ渡った記録は、消えない。

 

「……今さら、要塞を落としたところで……」

 

ぽつりと漏れた声に。

 

『ええ……』

 

通信越しの連邦生徒会長が、静かに答えた。

 

『今さらですね……』

 

「クッ……!」

 

その言葉に、扇子を握る指が強張る。

 

「では、何故……!」

 

連邦生徒会長は答えない。

 

ほんの僅かな沈黙。扇子の少女は唇を噛み――。

 

そして。

 

「約束と、違うではありませんか。貴女は……あの時」

 

膝の上に置かれた資料端末、その画面へ視線が落ちる。

 

樋口メイ。GA。エデン条約予備協議。

 

あの日、一つのテーブルに並べられたもの。

 

「この件を内密にすると……!」

 

『あー……そういえば、申し上げましたね』

 

あまりにもあっさりと、会長は肯定した。

 

「でしたら――!」

 

『――言いがかりです。今回、三派閥へ情報を流したのは私ではありませんよ?』

 

静かな声が遮る。

 

『それに……私は、あの時――。はっきりと「今は」と申し上げたはずです』

 

「は……?」

 

扇子の少女の口が止まった。

 

車内に、空調の音だけが残る。

 

「い……今、は……?」

 

『ええ』

 

『貴女方の地位を、永遠に守ると保証した覚えはありません』

 

「……ッ!」

 

扇子が軋んだ。

 

強く握り過ぎた骨組みが、微かに音を立てる。

 

「詭弁ですわ……!」

 

『ふふっ……そうかもしれません。ですが、確かにこの状況はマズイですね』

 

「……?」

 

『Guardian Angelsは、貴女方が伏せていた情報を何らかの方法で三大派閥へ届けた。

 

私も……この展開は想定外でして――』

 

会長の声だけが、淡々と届く。

 

『この場の四人が協力しなければ、私を含め、状況はさらに悪くなります』

 

会長は続ける。

 

『まだ、貴女方にも余地があります』

 

「……余地?」

 

『ええ。今から申し上げる条件を呑んでいただけるなら……。

責任を、貴女方三人の政治生命で止めるため、私も手を尽くします』

 

「……条件、ですって?」

 

『はい。道は三つあります』

 

会長の声は、恐ろしいほど平坦だった。

 

『第一案――全面否認。合同会合で、私との政治取引そのものを否定し、現ティーパーティーの正当性を主張してください』

 

「それは……」

 

『その場合、私は一切庇いません。三派閥は既に多くの矛盾を把握しています。

否認が破綻すれば、貴女方だけでなく、各出身派閥や家門まで隠蔽への関与を疑われるでしょう』

 

『第二案――全面開示。エデン条約予備協議を含め、私との取引の全てを三派閥へ説明してください。

必要なら、外部への公開も受け入れます』

 

向かいに座る少女が、僅かに目を見開いた。会長自身も、政治取引の当事者として無傷では済まないはずだ。

 

「貴女……本気で言っていますの?」

 

『私は構いません。ですが――』

 

通信越しの声が、微かに温度を下げる。

 

『エデン条約予備協議そのものが、「トリニティの不祥事を弱みにした外交交渉だった」と認識される危険があります。トリニティの自治能力。私との関係。ゲヘナとの外交。

……トリニティそのものへ、どれほどの政治的損害が波及するかは、貴女方が一番よくお分かりでしょう?』

 

「……ッ」

 

扇子の少女が唇を噛み締めた。湧き上がる怒りが、一瞬で恐怖を上回る。

 

「そこまで言うのでしたら……!」

 

扇子を握る手が小刻みに震えた。

 

「全部、お話ししますわ! 貴女が私たちに何をしたのか――何もかも!

私たちだけが泥を被るなど、絶対に認めません! 貴女も一緒に、道連れにして差し上げます!」

 

その感情に任せて叫んだ扇子の少女を――。

 

「……落ち着いてください」

 

向かいに座っていた少女が、冷たく静かな声で制止した。

 

「それでは、トリニティそのものが沈んでしまうリスクがあります」

 

彼女は、膝の上の資料端末を冷たい目で見下ろしていた。

 

「怒りに全てを任せれば、全員が不幸になる」

 

「……第三案を」

 

今まで沈黙を保っていた三人目の少女が、静かに口を開いた。

 

「第三案を聞きましょう。……貴女の用意した、私たちの『落としどころ』を」

 

『賢明なご判断です』

 

会長の声に、僅かな微笑みが混じったように聞こえた。

 

『第三案――限定開示と、貴女方の退陣です』

 

「退陣……」

 

『ええ。三派閥合同会合にて、私との政治取引の全容をご自身の口で説明してください。

そして、GAの告発内容についても「反乱軍の虚偽」として揉み消すのではなく、正式な調査対象として認めるのです』

 

会長は淡々と条件を並べていく。

 

『政治取引に関する記録は消しません。

その上で、全容を確認した三派閥自身が、外交や学園の安全保障上の理由から、一部を封印記録として共同管理するよう促します。

秘密指定を行うのは私ではありません。三派閥自身です』

 

「……」

 

『そして貴女方三名は、事態収拾後に全面退陣。

統治権限は三派閥による暫定評議会へと移管していただきます』

 

車内が静まり返る。

 

それは、現ティーパーティー執行部の完全な敗北と退場を意味していた。

 

『その代わり……』

 

一拍置いて、会長は告げる。

 

『貴女方は政治的地位を失いますが、学籍や家門まで連座させないよう、私も外から手を尽くしましょう。

GAの決起そのものについては、別途審問を行います』

 

扇子の少女は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 

「……都合の良いことを」

 

扇子の少女が、絞り出すように言った。

 

「そうやって私たちを切り捨てて、貴女だけは安全圏から高みの見物ですか……!」

 

『ええ、ですから……第二案を選んでいただいても構いませんよ?』

 

「馬鹿にしてッ……!」

 

扇子の少女が再び声を荒らげようとした時、向かいの少女がそれを手で制した。

 

そして、端末に向かって冷徹に告げる。

 

「……条件があります」

 

『伺いましょう』

 

「三派閥への全記録開示は受け入れます。

ですが――GAの告発内容については、間違いなく正式記録へ残していただきます」

 

向かいの少女は、会長の言葉をそのまま受けるのではなく、自らの条件として突きつけた。

 

「そして、責任は私たち三人で負う。

実務を担当した下級の役員たちにまで責任を負わせる真似は、断じて認めません。

……貴女との政治取引の記録も、絶対に消さないでいただきたい」

 

それは、ただ連邦生徒会長に切り捨てられるだけの敗者ではない、トリニティの頂点に立った者としての最後の意地だった。

 

『……』

 

通信の向こうで、会長が微かに息を吐く音が聞こえた。

 

『承知しました。最善を尽くします』

 

「……では、お願いします」

 

三人目の少女が通信を切ろうとした直前。

 

『ああ、そうだった』

 

会長の声が、最後に冷たく響いた。

 

『ですが――会場へ着いたら、もう私は助けません』

 

一拍。

 

『ご自分たちの口で、説明してください』

 

――プツッ。

 

電子音と共に、通話が切断された。

 

リムジンの車内に、再び重い沈黙が降り下りる。

 

「「「…………」」」

 

誰も喋らない。

 

やがて、タイヤがアスファルトを擦る音が鳴り止んだ。

 

ガチャッ――。

 

運転手が外からドアを開ける。

 

「……」

 

扇子の少女は、膝の上に置いた手を見た。

 

指先が、微かに震えている。今まで築き上げてきた全てが、失われる。

権力も、名誉も、地位も。このドアの向こうに出れば、もう二度と元には戻らない。

 

「……参りましょう」

 

扇子の少女は、震える手で扇子を力強く握り締めた。

 

そして、自ら立ち上がる。

 

残る二人も、何も言わずに続いた。

 

開かれたドアの向こう。

 

自分たちを待つ三大派閥の前へ――三人は、自らの足で踏み出した。

 

 

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