白狼救済録 作:らんらん出荷マン
南正門の向こうには、まだ白煙が漂っていた。
石畳の上へ倒れ伏した門扉を踏み越え、正義実現委員会の生徒たちが次々と駆け抜けていく。
要塞内部から散発的な銃声が返るたび、入口付近へ展開したGOATとRAVENが即座に応射した。
レナは門柱の陰から内部を見据え、無線を開く。
「GOAT! 正実と共に一階を制圧しろ! RAVENはこの場を守れ!」
『了解!』
『ウィルコ!』
レナは視線を横へ流した。
門扉の傍らでは、血と狂気の気配を纏った剣先ツルギが、喉の奥から獣じみた笑い声を漏らしている。
「ジャスティス! ツルギに数名を回せ! コイツが馬鹿な真似をしたら止めろ!」
「え!? えぇ……は、はい! 了解しました!」
指名された正実生徒たちは一瞬だけ顔を引き攣らせたものの、慌ただしく武器を構え直した。
ツルギは振り返りもしない。
要塞地下の弾薬庫へ続く暗い階段へ、歓喜の奇声を上げながら飛び込んでいく。
レナはそれを見届け、背後へ振り返った。
瓦礫と化した門を踏み越え、FOX小隊がいつの間にか音もなく合流している。
「FOXはWOLFに続け」
ユキノが短く頷く。
レナはARのセレクターを確かめ、要塞上層へ続く薄暗い階段を見上げた。
「WOLF4、先導しろ。ムーブ――」
――
――旧聖バルバラ要塞/内部。
先ほどまで平原で繰り広げられていた総力戦とは打って変わり、要塞内部は狭く、息が詰まるほど閉ざされていた。
石造りの壁に、後年継ぎ足されたコンクリート。低い天井。幾度もの改修で増設された配線が壁際を這い、古びた照明が遠い銃声のたびに細かく震える。
メイを先頭に薄暗い廊下へ踏み込んだ瞬間――。
ダダンッ――!
ダンッ――!
奥から激しい銃撃が浴びせられた。
「コンタクト! 正面!」
メイが即座にタワーシールドを突き出す。
殺到した銃弾が盾を次々と叩き、甲高い金属音と火花を撒き散らした。
ズダダダダッ――!
狭い石造りの廊下で発砲炎が明滅し、轟音が壁と天井の間を幾重にも跳ね返る。銃声が消えるより早く次の銃声が重なり、耳を塞ぐ暇すら与えない。
「WOLF3、抑えろ!」
「ウィルコ!」
スイがシールドの脇からLMGを突き出し、トリガーを絞り込む。
ズダダダダダッ――!
弾幕が廊下の奥を薙いだ。
木片と石粉が弾け飛び、遮蔽物の陰から突き出されていた銃口が慌てて引っ込む。
廊下右手には、奥へ続く短い側廊が口を開けていた。
「FOX! WOLF3が抑えている間に右壁沿いへ展開しろ!」
「了解! FOX、移動開始!」
ユキノの返答と同時に、四つの影が動いた。
クルミが真っ先に角から飛び出し、ニコがその背後へ続く。オトギは長大な対物ライフルを背へ回し、PDWを構えたまま姿勢を低くして駆けた。
ズガンッ――!
ニコのショットガンが火を噴く。
散弾が、掩蔽代わりに積まれた木箱の角を抉り飛ばした。その陰で後退しかけていたGA生徒が、反射的に身を縮める。
「ムーブ!」
ユキノが叫び、FOXは徐々に距離を詰める。
スイは砕けた木箱の隙間へ、途切れることなく制圧射撃を叩き込む。
頭を上げることすら許されない敵へ、クルミを先頭にFOXが一気に飛び込んだ。
即座にスイがトリガーから指を離した。
銃声が途切れ、石床へ散らばった薬莢が転がる乾いた音が残る。
「大人しく降参しなさいッ!!」
クルミの怒声が狭い廊下いっぱいに響き渡る。
砕けた木箱の向こうでは、白い制服の生徒が二人、壁際へ座り込んでいた。
一人は肩を押さえ、もう一人はライフルを床へ置いて両手を上げている。
レナはメイの盾の脇から半身だけを覗かせ、ARの銃口を二人へ向けた。
「う……撃たないで……ください……」
抵抗の意思がないことを確かめ、レナは銃口を僅かに下げる。
「武器から離れろ! そのまま両手を上げて跪け!」
「……はい」
二人はゆっくりと壁から離れ、床へ膝をついた。
「FOX2、二人を確保しろ。FOX1、正実へ連絡。投降者二、うち負傷者一。二階東側廊下」
「了解」
ニコがショットガンを向けたまま二人へ近付き、ユキノはイヤーピースへ指を当てる。
「ジャスティス、こちらFOX1。二階東側、投降者二名。うち一名負傷。回収を要請する」
『こちらジャスティス1-1、了解しました! 二名をそちらへ向かわせます!』
ニコが拘束を進める傍ら、後方でスイが片膝をついた。
銃身から煙を上げるLMGのフィードカバーを開いた。
ガチャ――。
新しい弾帯を給弾トレイの上に載せ、フィードカバーを叩き閉じる。
「もっと抵抗されると思ったけど、あっさり引いたね。残された子たちの降伏も早いし」
レナは廊下の奥を睨んだまま答える。
「……時間稼ぎだろう」
GAは、もうこちらを倒すために戦ってはいなかった。
僅かな遮蔽物から数度撃ち、SRTが火力を集中させる前に離脱する。追えば次の角から撃ち、制圧されればさらに退く。追い詰められれば、無理に踏み止まらず武器を捨てる。
勝つ必要はない。
一分でも。一秒でも長く。
SRTを、この要塞内部へ縫い付ければいい。
負傷者が出れば救護を。投降者が出れば武装解除と拘束、後送を。
殲滅戦ではない以上、SRTはその手順を飛ばせない。
守るべき規律の一つ一つを足枷へ変える、徹底した遅滞戦術だった。
「なりふり構わず……ですか」
リノが廊下の先へDMRを向けたまま、低く呟いた。
――
数分後。
後方から駆け付けた正義実現委員会の生徒たちが二名を引き取り、その場で応急処置を始めた。
レナは包帯を巻いている正実生徒へ問いかける。
「一階と地下の戦況はどうだ」
「は、はい。一階は激しい抵抗を受けており、現在も交戦中です。地下は複数の防火扉に阻まれ、まだ弾薬庫には到達していません。報告によれば、ツルギさんが力任せに突破を続けていますが……時間が掛かりそうです」
「そうか」
レナは短く返した。
「我々はこのまま進む。WOLF、FOX。上へ行くぞ――WOLF4、先行しろ」
「イエスマム」
メイがタワーシールドを持ち上げる。
投降者が跪いていた廊下を抜け、WOLFとFOXはさらに上層へ続く階段へ向かった。
――
――アビドス自治区/ヴァルキューレ生活安全局・臨時窓口。
「はい。これで手続きは完了です」
机越しに差し出された端末へ、ホシノは視線を落とした。
《報奨金支払処理――完了》
簡素な文字列。
その下に、先日捕縛して引き渡した賞金首の手配番号と支払額が並んでいる。
「指定された口座への送金が完了しました。いつもご協力ありがとうございます」
「……どうも」
ホシノは短く答え、端末から手を離した。
「また何かあれば――」
「新しい手配書が来たら……全部、私に回してください」
「あはは……さ、さすがですね。キープしておきます」
苦笑するヴァルキューレ生徒へ小さく頭を下げ、ホシノは建物を出た。
見上げた空から、容赦のない日差しが目を刺す。乾いた熱風が制服の裾を揺らした。
ベストのポケットからスマートフォンを取り出す。
処理されたばかりの報奨金が、口座残高へ加算されていた。
「……もっと稼がなきゃ」
自治区中の不良を根こそぎ掃除したところで、アビドスが抱える借金に比べれば誤差にも等しい。
それでも、無いよりはいい。
「はぁ……」
ホシノは息を吐き、画面を消した。
数歩進みかけて、足が止まる。
スマートフォンを握る指へ、知らず力がこもった。
生徒会室を飛び出した時の光景が、嫌でも蘇る。
凍りついたユメの表情。
途中まで伸ばされ、行き場を失った手。
『レナさんも。ユメ先輩も』
吐き捨てた、自分の声。
レナは一睡もしないまま戦場へ向かった。
ユメはそんなレナを案じながらも、結局止めなかった。
そしてユメ自身も、レナと変わらない。
誰かが困っている。アビドスのため。
そう言えば、二人とも自分のことなど簡単に後回しにする。
「……」
もう一度、画面を点けた。
新しく加算された報奨金。
数字だけを見れば、決して小さくない。
だが、補修費、燃料代、食費、返済分――頭の中で引いていけば、瞬く間に溶けていく。
最後に残る数字は、あまりにも小さい。
いくら賞金首を捕まえても、いくら走り回っても、アビドスが沈んでいく速さには追いつけない。
奇跡でも起きない限り、この苦しみに終わりは来ない。
「……奇跡」
その言葉だけを小さく零し、ホシノはスマートフォンをポケットへ押し込んだ。
――
――アビドス高等学校。
古びた校舎の階段を昇り、誰もいない廊下を歩く。
静まり返った一本道に、ホシノの足音だけが響いた。窓から差し込む日差しが、床に積もった砂埃を白く照らしている。
生徒会室の前で足が止まった。
扉は閉じている。
中から、紙をめくるかすかな音がした。
「……はぁ」
一度だけ息を吐き、扉を開ける。
ガララ――。
「……戻りました」
「――!」
机の向こうで書類の山に埋もれていたユメが、弾かれたように顔を上げた。
「あ……」
二人の目が合う。
一拍置いて、ユメが小さく呼んだ。
「ホシノちゃん……」
「……」
ホシノは何も言わない。
ユメはぎこちない笑顔を浮かべ、おずおずと尋ねた。
「お、おかえり……どこに行ってたの?」
「……ヴァルキューレまで。報奨金を受け取りに」
それだけ返し、ホシノはリュックを机へ置いた。
ユメは何か言いたげにこちらを見たが、やがて視線を落とした。
紙をめくる音だけが、妙に大きく響く。
ホシノは椅子へ腰掛け、帳簿を開いた。
受け取った報奨金を書き込み、そこから今月必要な支出を一つずつ引いていく。
鉛筆を走らせるたび、せっかく増えた残高が削られていった。
「……足りない」
帳簿の末尾に残った数字は――五百円。
今月、ホシノが把握している余剰はそれだけだった。
鉛筆を握ったまま数字を見つめていると、ユメの方から紙の擦れる音がした。
ガサッ――。
「……?」
顔を向けると、ユメが大きな紙を両手で広げていた。
端はところどころ擦り切れ、印刷の色も褪せている。その中央には、大きなオアシスと、そこへ集う大勢の人々が描かれていた。
「ホシノちゃん、見て見て!」
先ほどまでの気まずさを押し流すような声だった。
「それは……」
「アビドス砂祭りの昔のポスター! やっと見つけたよー!」
今朝の凍りついた表情は、もう見えない。
「えへへ、すっごく素敵でしょー?」
ユメは嬉しそうにポスターを眺めた。
「大オアシスも枯れてなくて、海みたいに大きくて、お店もいっぱい並んで……」
鉛筆を握るホシノの指へ、じわりと力がこもる。
「もし何か奇跡が起きたら、またこの頃みたいに人がたくさん集まって――」
「奇跡なんて起きっこないですよ……ユメ先輩」
ホシノが遮った。
「そんなもの、あるわけないじゃないですか! それより現実を見てください!」
「あ、う……ホシノちゃ……」
「こんな砂漠に、誰が来るっていうんですか!?」
声が、生徒会室いっぱいに響いた。
ユメの笑顔が固まり、広げていた古いポスターがかすかに揺れる。
「大オアシスはもうありません。街は砂に埋もれて、人だって減り続けてる。毎月の返済だって、こうやって賞金首を捕まえて稼いだくらいじゃ全然足りない」
ホシノは書き込んだばかりの帳簿をユメへ突きつけた。
「見てください」
ユメの目が、帳簿の一番下へ落ちる。
「……五百円」
「これが、今月の支払いを全部差し引いて残った分です」
ユメの唇が動きかけ、止まった。
「奇跡を願っても借金は消えません! 砂漠も元には戻らない! 水だって湧いてこな――!」
「ホシノちゃん」
今度はユメが遮った。
「私は……信じてる」
「何ですか、信じてるって! 奇跡を待つって意味ですか!?」
「違うよ! 奇跡を待つんじゃないよ!」
初めて、ユメが声を荒らげた。
ホシノの目が見開かれる。
「未来を作りたいの! 少しでもできることを、一つずつやって――」
ポスターを握る指へ力が入る。
「いつか振り返った時に、それが奇跡だったって、やってよかったって思えるようにしたいの!」
ユメの声が震えた。
「私は、諦めたくない!」
生徒会室が静まり返る。
ホシノの顔から、ふっと表情が消えた。
「先輩は……私が……諦めてるって……言いたいんですか……?」
「え……?」
ユメの顔色が変わる。
「違うよ、ホシノちゃん。私は――」
「毎日走り回って……賞金首を探して……戦って……お金を稼いで……少しでも返済に回して……それでも足りなくて……」
ホシノの声が低く沈んでいく。
握り締めた拳が震えた。
「私なりに……どうにかしようって……」
「ちがっ……ホシノちゃん、私はそんな意味で――」
「じゃあ何ですか!」
ホシノがユメの抱えるポスターへ手を伸ばす。
「そんな昔の紙切れ一枚見つけて!」
そのまま奪い取った。
「理想だけでアビドスは戻ってきません! 貴女は生徒会長なんですよ!?」
握った紙が軋む。
「こんなものがあるからッ――!!」
ビリビリッ――!
乾いた音が、生徒会室を裂いた。
「――あ」
ユメの口から、小さな声が漏れる。
ホシノの両手の中で、古びたポスターが二つに裂けていた。
片方が、ひらりと指から抜け落ちる。
色褪せた紙片が宙を舞い、床へ落ちた。
描かれていた大オアシスが、ちょうど真ん中から断ち切られている。
ユメはゆっくりとしゃがみ込み、床へ落ちた半分を両手でそっと拾い上げた。
何も言わない。
責める言葉も、怒鳴り声もなかった。
ただ、破れた端を震えた指でなぞる。
その沈黙は、怒鳴られるより――。
ずっと堪えた。
ホシノの手から力が抜け、残っていたもう半分が机へ滑り落ちる。
「っ……!」
リュックを掴み、逃げるように生徒会室を飛び出した。
廊下を駆ける足音が、少しずつ遠ざかっていく。
ユメはしばらく、ホシノが出て行った扉を見つめていた。
やがて机に残されたもう半分を拾い、二つの紙片を手の中で突き合わせる。
裂け目は噛み合わない。
その向こうで、かつての青い水面が途切れていた。
「……」
しばらく見つめたあと、ユメはふと思い出したように顔を上げる。
「あ……そうだ」
机の隅に置いていたメモへ視線を向ける。
「今日までだった……」
破れたポスターを丁寧に机へ置き、生徒会長用デスクの一番下の引き出しへ手を掛けた。
ガラッ――。
中には、いつも使っている書類や帳簿が並んでいる。
ユメはそれらを避けるように手を差し入れ、さらに奥へ伸ばした。
指先が止まる。
「……」
僅かな逡巡。
やがて、意を決したように目を伏せた。
「……ごめんね。後で、絶対に返すから」
――
――旧聖バルバラ要塞/上層階。
ダダンッ――!
短い銃声が、廊下の奥で弾けた。
「クリア!」
「右、クリア!」
二つの声が重なる。
レナは壁際から身体を離し、ARを構えたまま角を越えた。
先ほどまで銃撃を続けていたGA生徒たちは、すでに武器を手放している。
廊下の端へ並んで膝をつき、頭の後ろで両手を組んでいた。
「拘束して、正実に引き渡せ」
短く、平坦な指示。
後続のニコとクルミが無言で動き、慣れた手つきで生徒たちを拘束していく。
レナはARを構え直し、そのまま先へ歩き出した。
廊下の先に、やや開けた空間が見える。
その奥の階段を昇り切れば――最上階だ。
「……WOLF1」
背後からユキノの声が掛かった。
「何だ」
「ここから先は、私たちFOXが先導する」
レナの足が止まる。
振り返ると、ユキノが冷静な目でこちらを見据えていた。
「必要ない」
「いや、ある」
即答だった。
「……少し前から、貴官の反応が遅れている」
「気のせいだろう」
「気のせいではない。さっきの角でも、クリアリングが約0.5秒遅かった。普段の貴官ならあり得ない」
リノも、スイも、メイも一斉にレナを見た。
歩調。視線の動き。命令のテンポ。
どれも僅かに――だが、確実に鈍っている。
全員が気付いていた。
「隊長……ちょっと休もう?」
スイが不安げに声を掛ける。
レナは短く息を吐いた。
「……大丈夫だ。問題ない」
「大丈夫じゃありません! 問題大ありです!」
リノが声を荒らげた。
「隊長、もう何十時間起きてるんですか!? その後だって、まともに休んでないでしょう!」
メイも続く。
「隊長……ミネちゃんにも止められたよね。これ以上は危険だって」
「駄目だ……まだ終わっていない」
リノがレナの正面へ回り込み、行く手を塞いだ。
「隊長が倒れたら、誰が私たちを指揮するんですか! お願いですから、後ろへ下がってください!」
リノは一歩も引かなかった。
スイも、メイも、FOXの四人も。
誰一人目を逸らさない。
(……悟られたか)
レナは小さく舌打ちした。
「分かった。なら――」
一歩、前へ出る。
「――ッ」
右脚から唐突に力が抜けた。
視界が傾く。
膝が石床へ落ちる寸前、レナは左手を壁へ突き、辛うじて身体を支えた。
グローブ越しに、冷たく硬い石の感触が掌へ食い込む。
「隊長!?」
「ちょっと! アンタ大丈夫!?」
リノとクルミが即座に駆け寄り、両脇から腕を伸ばした。
その手が触れた直後。
「触るな……!」
レナは二人の手を振り払った。
自分でも驚くほど、冷たく鋭い声だった。
リノとクルミの手が宙で止まる。
「……すまない」
短い沈黙。
「……自分で立てる」
壁に手をついたまま、ゆっくりと体勢を立て直す。
荒れた呼吸を押さえるように、深く息を吐いた。
「いやいや、全然大丈夫じゃないじゃん!」
スイが声を上げる。
メイもタワーシールドを床へ下ろし、すぐさまレナの右側へ回り込む。
「隊長、座ろう。ね?」
止まろうとしないレナに、クルミは目を細めた。
「ねぇ……レナ。私たちって、そんなに信用できない?」
「……」
レナは答えなかった。
「あまり未熟扱いしないでくれる?」
「ちょっと、クルミちゃん……」
ニコが咎めるが、クルミは構わず続けた。
「これでも、そんじょそこらの隊員より強いエリートだって、自負してるつもりなんだけど」
レナはクルミを見返した。
「……未熟だと思ったことはない」
「だったら任せてよ。アンタ一人で抱える必要なんて、ないでしょ?」
「……」
返す言葉がない。
クルミは鼻を鳴らして視線を前へ戻した。
「まったく。人には休め休めって言うくせに、自分のことになるとこれなんだから」
「それは私も同感だな」
ユキノはARを低く構えたまま、小さく顎を引いた。
「以前にも言ったはずだ。指揮官が倒れれば、その時点で部隊全体へ影響が出る」
「それは……覚えている」
「なら実行してくれ」
少し前、ミネに告げられた言葉が脳裏を掠める。
『眩暈、吐き気、視野の狭窄、反応の遅れ――どれか一つでも出れば、即座に指揮を交代すること』
すでに、一つどころではない。
「……分かった」
レナはARのスリングを短く詰めた。
「隊形を変更する」
全員の視線が集まる。
「WOLF2、WOLF3。前へ出ろ」
「了解」
「ウィルコ」
リノとスイが即座に前へ出る。
「WOLF4は私の前だ」
「イエスマム」
メイがタワーシールドを持ち直した。
「FOXはWOLFの左右を固めろ。FOX1、異論は」
「……無い」
ユキノはARのセレクターを確かめ、短く答える。
「私は最後尾だ。指揮に専念する」
オトギが半目を向けた。
「ほんとに?」
「何がだ」
「いやー、途中でまた前に出たりしないかなーってさ」
「私を疑っているのか」
「うん、そりゃもう。疑いの余地しかないね」
「……」
図星だった。
ニコが小さく吹き出す。
「ふふっ……レナちゃん、信用ないね」
「……黙れ」
張り詰めていた空気が、僅かに緩んだ。
「ま、大船に乗ったつもりで私たちに任せてよ」
オトギは薄笑いを浮かべながら歩み寄り、その背中を軽く叩く。
その程度の衝撃さえ、今のレナには僅かに重かった。
「……行くぞ」
それだけ返し、上階へ続く大階段へ視線を向ける。
リノとスイが先頭へ出る。その後ろにメイ、さらにレナ。FOXは左右へ広がりながら警戒を維持し、階段へ足を掛けた。
石造りの大階段を昇るたび、硬いブーツの音が壁と天井の間を鈍く反響する。
一段。もう一段。
吸う。吐く。
呼吸を整えることさえ、今は意識しなければならない。
(……遅い)
自分自身の身体なのに。
命じてから動くまでが。考えてから動作へ移るまでが。
ほんの僅かに――遅い。
『反応の遅れ――』
脳裏にミネの声が蘇りかける。
レナは奥歯を噛み締めた。
(黙れ)
まだ終わっていない。
「……停止」
先頭のリノが拳を上げ、全員が即座に足を止めた。
階段を抜けた先――。
正面には、半ば開いたままの重い扉がある。その隙間から、低く唸る風の音が流れ込んでいた。
「どうやら、この先が司令室のようです」
リノが声を落として告げる。
スイは壁へ背を預け、LMGを構え直す。メイも盾を僅かに持ち上げ、扉の向こうへ視線を据えた。
レナは一度だけ目を閉じる。
「WOLF2、確認しろ」
「了解」
リノが足音を殺して扉へ寄る。銃口を先に向けながら、隙間から内部を覗き込んだ。
数秒。
「……」
ゆっくりと扉を押し開く。
ギィィ――。
重い蝶番が軋み、静まり返った室内へ不快な音を引きずった。
そこは、かつて要塞全体の戦闘を統括していた場所なのだろう。
中央には大きな作戦卓。壁には色褪せた地図が残されていた。
紙束が床へ散乱し、椅子はいくつも倒れたまま。作戦卓に据え付けられた端末も電源を失っていた。
人の気配だけがない。
レナは銃口を下げず、ゆっくりと室内へ踏み込んだ。
リノとスイが左右へ散る。
メイはレナの前を離れず、タワーシールドを構えたまま作戦卓の脇を通過する。FOXも続いて室内へ流れ込んだ。
「左、クリア」
「右、クリア」
「オールクリア」
次々と報告が上がる中、レナは作戦卓へ視線を落とした。
要塞周辺の戦術図、赤と青の線、いくつもの駒。
その大半が、すでに盤面から取り除かれている。
「ここが……司令室か」
レナが小さく呟く。
「みたいだね」
スイも周囲を見回した。
壁際には電源を落とされた通信機。引き抜かれたケーブル。床へ放り出されたヘッドセット。
通信卓の脇には、ティーカップが一つ。白い陶器の中に、半分ほど紅茶が残っている。
「居なくなってから、そう時間は経っていない」
ユキノが通信卓を確認しながら告げる。
「機材は無事だ。必要な回線だけを落としたようだ」
レナは作戦卓から顔を上げた。
「FOX2。記録媒体と書類を確認しろ」
「了解」
ニコが返答し、散らばった書類へ視線を落とす。
レナは室内を見回した。
切断された回線。
置き去りにされた作戦図。
半分だけ飲まれた紅茶。
ここでの戦闘指揮は、すでに終わっていた。
「隊長」
リノが作戦卓の向こうを指した。
部屋の北側、壁際の奥に別の扉がある。
通常の出入口より一回り狭く、その上には古びた案内板が掛かっていた。
《上部観測区画》
扉は僅かに開き、その隙間から乾いた風が吹き込んでいる。
「……屋上か」
その時、耳元の無線が鳴る。
『こちら弾薬庫制圧班! WOLF1、応答してください!』
「こちらWOLF1、聞こえている」
わずかな雑音のあと、興奮を押し殺した正実生徒の声が返ってきた。
『弾薬庫へ到達! 制圧を完了しました!』
レナは一度だけ目を閉じる。
「ツルギは」
『あー、ピンピンしています!』
「……そうか」
それだけで、おおよその状況は察せられた。
『それと――報告があります!』
正実生徒の声色が変わり、レナの目が僅かに細くなる。
「続けろ」
『砲弾が入っていると思われる弾薬箱を複数確認しました!』
室内の空気が張る。
「種類は」
『は、はい! 今、確認します――』
無線の向こうで、重いものを動かす音がした。
続いて、金属の留め具が外れる乾いた音。
「いいか。外装、封印、表示、内容物――その全てを記録してギャヴェルに報告しろ」
『りょ、了解!』
通信が切れた。
確認が取れれば、重要な物証の一つは押さえられる。
残る最優先目標は、首謀者――東雲シヅキの確保だ。
「上へ行く」
メイが庇うように盾を構えた。
FOXが両脇を固め、リノとスイが先行する。
そしてレナたちは、古びた扉を抜けた。
――
――旧聖バルバラ要塞/屋上・上部観測区画。
扉の先は、窓のない短い通路だった。奥から強い外光が差し込み、乾いた風が砂と硝煙の匂いを運んでくる。
「正面に扉」
リノが低く告げる。
最奥には、両開きの赤い鉄扉。通路へ吹き込む風がレナの白髪を揺らす。
「WOLF2、確認しろ」
「了解」
リノが扉脇の壁へ身を寄せた。僅かな隙間を開け、外を窺う。
数秒後、その表情が硬くなった。
「……コンタクト」
「配置は」
「正面、盾持ちが多数。恐らくAegisです」
一拍。
「……隊列の中央に東雲シヅキを確認」
メイの指が、盾のグリップへ深く食い込んだ。
レナはその横顔へ目を向ける。
「行けるか」
「……うん」
レナは、それ以上聞かなかった。
「開けるぞ」