白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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第58話 決裂

 

 

南正門の向こうには、まだ白煙が漂っていた。

 

石畳の上へ倒れ伏した門扉を踏み越え、正義実現委員会の生徒たちが次々と駆け抜けていく。

 

要塞内部から散発的な銃声が返るたび、入口付近へ展開したGOATとRAVENが即座に応射した。

 

レナは門柱の陰から内部を見据え、無線を開く。

 

「GOAT! 正実と共に一階を制圧しろ! RAVENはこの場を守れ!」

 

『了解!』

 

『ウィルコ!』

 

レナは視線を横へ流した。

 

門扉の傍らでは、血と狂気の気配を纏った剣先ツルギが、喉の奥から獣じみた笑い声を漏らしている。

 

「ジャスティス! ツルギに数名を回せ! コイツが馬鹿な真似をしたら止めろ!」

 

「え!? えぇ……は、はい! 了解しました!」

 

指名された正実生徒たちは一瞬だけ顔を引き攣らせたものの、慌ただしく武器を構え直した。

 

ツルギは振り返りもしない。

 

要塞地下の弾薬庫へ続く暗い階段へ、歓喜の奇声を上げながら飛び込んでいく。

 

レナはそれを見届け、背後へ振り返った。

 

瓦礫と化した門を踏み越え、FOX小隊がいつの間にか音もなく合流している。

 

「FOXはWOLFに続け」

 

ユキノが短く頷く。

 

レナはARのセレクターを確かめ、要塞上層へ続く薄暗い階段を見上げた。

 

「WOLF4、先導しろ。ムーブ――」

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞/内部。

 

先ほどまで平原で繰り広げられていた総力戦とは打って変わり、要塞内部は狭く、息が詰まるほど閉ざされていた。

 

石造りの壁に、後年継ぎ足されたコンクリート。低い天井。幾度もの改修で増設された配線が壁際を這い、古びた照明が遠い銃声のたびに細かく震える。

 

メイを先頭に薄暗い廊下へ踏み込んだ瞬間――。

 

ダダンッ――!

 

ダンッ――!

 

奥から激しい銃撃が浴びせられた。

 

「コンタクト! 正面!」

 

メイが即座にタワーシールドを突き出す。

 

殺到した銃弾が盾を次々と叩き、甲高い金属音と火花を撒き散らした。

 

ズダダダダッ――!

 

狭い石造りの廊下で発砲炎が明滅し、轟音が壁と天井の間を幾重にも跳ね返る。銃声が消えるより早く次の銃声が重なり、耳を塞ぐ暇すら与えない。

 

「WOLF3、抑えろ!」

 

「ウィルコ!」

 

スイがシールドの脇からLMGを突き出し、トリガーを絞り込む。

 

ズダダダダダッ――!

 

弾幕が廊下の奥を薙いだ。

 

木片と石粉が弾け飛び、遮蔽物の陰から突き出されていた銃口が慌てて引っ込む。

 

廊下右手には、奥へ続く短い側廊が口を開けていた。

 

「FOX! WOLF3が抑えている間に右壁沿いへ展開しろ!」

 

「了解! FOX、移動開始!」

 

ユキノの返答と同時に、四つの影が動いた。

 

クルミが真っ先に角から飛び出し、ニコがその背後へ続く。オトギは長大な対物ライフルを背へ回し、PDWを構えたまま姿勢を低くして駆けた。

 

ズガンッ――!

 

ニコのショットガンが火を噴く。

 

散弾が、掩蔽代わりに積まれた木箱の角を抉り飛ばした。その陰で後退しかけていたGA生徒が、反射的に身を縮める。

 

「ムーブ!」

 

ユキノが叫び、FOXは徐々に距離を詰める。

 

スイは砕けた木箱の隙間へ、途切れることなく制圧射撃を叩き込む。

 

頭を上げることすら許されない敵へ、クルミを先頭にFOXが一気に飛び込んだ。

 

即座にスイがトリガーから指を離した。

 

銃声が途切れ、石床へ散らばった薬莢が転がる乾いた音が残る。

 

「大人しく降参しなさいッ!!」

 

クルミの怒声が狭い廊下いっぱいに響き渡る。

 

砕けた木箱の向こうでは、白い制服の生徒が二人、壁際へ座り込んでいた。

一人は肩を押さえ、もう一人はライフルを床へ置いて両手を上げている。

 

レナはメイの盾の脇から半身だけを覗かせ、ARの銃口を二人へ向けた。

 

「う……撃たないで……ください……」

 

抵抗の意思がないことを確かめ、レナは銃口を僅かに下げる。

 

「武器から離れろ! そのまま両手を上げて跪け!」

 

「……はい」

 

二人はゆっくりと壁から離れ、床へ膝をついた。

 

「FOX2、二人を確保しろ。FOX1、正実へ連絡。投降者二、うち負傷者一。二階東側廊下」

 

「了解」

 

ニコがショットガンを向けたまま二人へ近付き、ユキノはイヤーピースへ指を当てる。

 

「ジャスティス、こちらFOX1。二階東側、投降者二名。うち一名負傷。回収を要請する」

 

『こちらジャスティス1-1、了解しました! 二名をそちらへ向かわせます!』

 

ニコが拘束を進める傍ら、後方でスイが片膝をついた。

 

銃身から煙を上げるLMGのフィードカバーを開いた。

 

ガチャ――。

 

新しい弾帯を給弾トレイの上に載せ、フィードカバーを叩き閉じる。

 

「もっと抵抗されると思ったけど、あっさり引いたね。残された子たちの降伏も早いし」

 

レナは廊下の奥を睨んだまま答える。

 

「……時間稼ぎだろう」

 

GAは、もうこちらを倒すために戦ってはいなかった。

 

僅かな遮蔽物から数度撃ち、SRTが火力を集中させる前に離脱する。追えば次の角から撃ち、制圧されればさらに退く。追い詰められれば、無理に踏み止まらず武器を捨てる。

 

勝つ必要はない。

 

一分でも。一秒でも長く。

 

SRTを、この要塞内部へ縫い付ければいい。

 

負傷者が出れば救護を。投降者が出れば武装解除と拘束、後送を。

 

殲滅戦ではない以上、SRTはその手順を飛ばせない。

 

守るべき規律の一つ一つを足枷へ変える、徹底した遅滞戦術だった。

 

「なりふり構わず……ですか」

 

リノが廊下の先へDMRを向けたまま、低く呟いた。

 

――

 

数分後。

 

後方から駆け付けた正義実現委員会の生徒たちが二名を引き取り、その場で応急処置を始めた。

 

レナは包帯を巻いている正実生徒へ問いかける。

 

「一階と地下の戦況はどうだ」

 

「は、はい。一階は激しい抵抗を受けており、現在も交戦中です。地下は複数の防火扉に阻まれ、まだ弾薬庫には到達していません。報告によれば、ツルギさんが力任せに突破を続けていますが……時間が掛かりそうです」

 

「そうか」

 

レナは短く返した。

 

「我々はこのまま進む。WOLF、FOX。上へ行くぞ――WOLF4、先行しろ」

 

「イエスマム」

 

メイがタワーシールドを持ち上げる。

 

投降者が跪いていた廊下を抜け、WOLFとFOXはさらに上層へ続く階段へ向かった。

 

 

 

――

 

――アビドス自治区/ヴァルキューレ生活安全局・臨時窓口。

 

「はい。これで手続きは完了です」

 

机越しに差し出された端末へ、ホシノは視線を落とした。

 

《報奨金支払処理――完了》

 

簡素な文字列。

 

その下に、先日捕縛して引き渡した賞金首の手配番号と支払額が並んでいる。

 

「指定された口座への送金が完了しました。いつもご協力ありがとうございます」

 

「……どうも」

 

ホシノは短く答え、端末から手を離した。

 

「また何かあれば――」

 

「新しい手配書が来たら……全部、私に回してください」

 

「あはは……さ、さすがですね。キープしておきます」

 

苦笑するヴァルキューレ生徒へ小さく頭を下げ、ホシノは建物を出た。

 

見上げた空から、容赦のない日差しが目を刺す。乾いた熱風が制服の裾を揺らした。

 

ベストのポケットからスマートフォンを取り出す。

 

処理されたばかりの報奨金が、口座残高へ加算されていた。

 

「……もっと稼がなきゃ」

 

自治区中の不良を根こそぎ掃除したところで、アビドスが抱える借金に比べれば誤差にも等しい。

 

それでも、無いよりはいい。

 

「はぁ……」

 

ホシノは息を吐き、画面を消した。

 

数歩進みかけて、足が止まる。

 

スマートフォンを握る指へ、知らず力がこもった。

 

生徒会室を飛び出した時の光景が、嫌でも蘇る。

 

凍りついたユメの表情。

 

途中まで伸ばされ、行き場を失った手。

 

『レナさんも。ユメ先輩も』

 

吐き捨てた、自分の声。

 

レナは一睡もしないまま戦場へ向かった。

 

ユメはそんなレナを案じながらも、結局止めなかった。

 

そしてユメ自身も、レナと変わらない。

 

誰かが困っている。アビドスのため。

 

そう言えば、二人とも自分のことなど簡単に後回しにする。

 

「……」

 

もう一度、画面を点けた。

 

新しく加算された報奨金。

 

数字だけを見れば、決して小さくない。

 

だが、補修費、燃料代、食費、返済分――頭の中で引いていけば、瞬く間に溶けていく。

 

最後に残る数字は、あまりにも小さい。

 

いくら賞金首を捕まえても、いくら走り回っても、アビドスが沈んでいく速さには追いつけない。

 

奇跡でも起きない限り、この苦しみに終わりは来ない。

 

「……奇跡」

 

その言葉だけを小さく零し、ホシノはスマートフォンをポケットへ押し込んだ。

 

 

 

――

 

――アビドス高等学校。

 

古びた校舎の階段を昇り、誰もいない廊下を歩く。

 

静まり返った一本道に、ホシノの足音だけが響いた。窓から差し込む日差しが、床に積もった砂埃を白く照らしている。

 

生徒会室の前で足が止まった。

 

扉は閉じている。

 

中から、紙をめくるかすかな音がした。

 

「……はぁ」

 

一度だけ息を吐き、扉を開ける。

 

ガララ――。

 

「……戻りました」

 

「――!」

 

机の向こうで書類の山に埋もれていたユメが、弾かれたように顔を上げた。

 

「あ……」

 

二人の目が合う。

 

一拍置いて、ユメが小さく呼んだ。

 

「ホシノちゃん……」

 

「……」

 

ホシノは何も言わない。

 

ユメはぎこちない笑顔を浮かべ、おずおずと尋ねた。

 

「お、おかえり……どこに行ってたの?」

 

「……ヴァルキューレまで。報奨金を受け取りに」

 

それだけ返し、ホシノはリュックを机へ置いた。

 

ユメは何か言いたげにこちらを見たが、やがて視線を落とした。

 

紙をめくる音だけが、妙に大きく響く。

 

ホシノは椅子へ腰掛け、帳簿を開いた。

 

受け取った報奨金を書き込み、そこから今月必要な支出を一つずつ引いていく。

 

鉛筆を走らせるたび、せっかく増えた残高が削られていった。

 

「……足りない」

 

帳簿の末尾に残った数字は――五百円。

 

今月、ホシノが把握している余剰はそれだけだった。

 

鉛筆を握ったまま数字を見つめていると、ユメの方から紙の擦れる音がした。

 

ガサッ――。

 

「……?」

 

顔を向けると、ユメが大きな紙を両手で広げていた。

 

端はところどころ擦り切れ、印刷の色も褪せている。その中央には、大きなオアシスと、そこへ集う大勢の人々が描かれていた。

 

「ホシノちゃん、見て見て!」

 

先ほどまでの気まずさを押し流すような声だった。

 

「それは……」

 

「アビドス砂祭りの昔のポスター! やっと見つけたよー!」

 

今朝の凍りついた表情は、もう見えない。

 

「えへへ、すっごく素敵でしょー?」

 

ユメは嬉しそうにポスターを眺めた。

 

「大オアシスも枯れてなくて、海みたいに大きくて、お店もいっぱい並んで……」

 

鉛筆を握るホシノの指へ、じわりと力がこもる。

 

「もし何か奇跡が起きたら、またこの頃みたいに人がたくさん集まって――」

 

「奇跡なんて起きっこないですよ……ユメ先輩」

 

ホシノが遮った。

 

「そんなもの、あるわけないじゃないですか! それより現実を見てください!」

 

「あ、う……ホシノちゃ……」

 

「こんな砂漠に、誰が来るっていうんですか!?」

 

声が、生徒会室いっぱいに響いた。

 

ユメの笑顔が固まり、広げていた古いポスターがかすかに揺れる。

 

「大オアシスはもうありません。街は砂に埋もれて、人だって減り続けてる。毎月の返済だって、こうやって賞金首を捕まえて稼いだくらいじゃ全然足りない」

 

ホシノは書き込んだばかりの帳簿をユメへ突きつけた。

 

「見てください」

 

ユメの目が、帳簿の一番下へ落ちる。

 

「……五百円」

 

「これが、今月の支払いを全部差し引いて残った分です」

 

ユメの唇が動きかけ、止まった。

 

「奇跡を願っても借金は消えません! 砂漠も元には戻らない! 水だって湧いてこな――!」

 

「ホシノちゃん」

 

今度はユメが遮った。

 

「私は……信じてる」

 

「何ですか、信じてるって! 奇跡を待つって意味ですか!?」

 

「違うよ! 奇跡を待つんじゃないよ!」

 

初めて、ユメが声を荒らげた。

 

ホシノの目が見開かれる。

 

「未来を作りたいの! 少しでもできることを、一つずつやって――」

 

ポスターを握る指へ力が入る。

 

「いつか振り返った時に、それが奇跡だったって、やってよかったって思えるようにしたいの!」

 

ユメの声が震えた。

 

「私は、諦めたくない!」

 

生徒会室が静まり返る。

 

ホシノの顔から、ふっと表情が消えた。

 

「先輩は……私が……諦めてるって……言いたいんですか……?」

 

「え……?」

 

ユメの顔色が変わる。

 

「違うよ、ホシノちゃん。私は――」

 

「毎日走り回って……賞金首を探して……戦って……お金を稼いで……少しでも返済に回して……それでも足りなくて……」

 

ホシノの声が低く沈んでいく。

 

握り締めた拳が震えた。

 

「私なりに……どうにかしようって……」

 

「ちがっ……ホシノちゃん、私はそんな意味で――」

 

「じゃあ何ですか!」

 

ホシノがユメの抱えるポスターへ手を伸ばす。

 

「そんな昔の紙切れ一枚見つけて!」

 

そのまま奪い取った。

 

「理想だけでアビドスは戻ってきません! 貴女は生徒会長なんですよ!?」

 

握った紙が軋む。

 

「こんなものがあるからッ――!!」

 

ビリビリッ――!

 

乾いた音が、生徒会室を裂いた。

 

「――あ」

 

ユメの口から、小さな声が漏れる。

 

ホシノの両手の中で、古びたポスターが二つに裂けていた。

 

片方が、ひらりと指から抜け落ちる。

 

色褪せた紙片が宙を舞い、床へ落ちた。

 

描かれていた大オアシスが、ちょうど真ん中から断ち切られている。

 

ユメはゆっくりとしゃがみ込み、床へ落ちた半分を両手でそっと拾い上げた。

 

何も言わない。

 

責める言葉も、怒鳴り声もなかった。

ただ、破れた端を震えた指でなぞる。

 

その沈黙は、怒鳴られるより――。

 

ずっと堪えた。

 

ホシノの手から力が抜け、残っていたもう半分が机へ滑り落ちる。

 

「っ……!」

 

リュックを掴み、逃げるように生徒会室を飛び出した。

 

廊下を駆ける足音が、少しずつ遠ざかっていく。

 

ユメはしばらく、ホシノが出て行った扉を見つめていた。

 

やがて机に残されたもう半分を拾い、二つの紙片を手の中で突き合わせる。

 

裂け目は噛み合わない。

 

その向こうで、かつての青い水面が途切れていた。

 

「……」

 

しばらく見つめたあと、ユメはふと思い出したように顔を上げる。

 

「あ……そうだ」

 

机の隅に置いていたメモへ視線を向ける。

 

「今日までだった……」

 

破れたポスターを丁寧に机へ置き、生徒会長用デスクの一番下の引き出しへ手を掛けた。

 

ガラッ――。

 

中には、いつも使っている書類や帳簿が並んでいる。

 

ユメはそれらを避けるように手を差し入れ、さらに奥へ伸ばした。

 

指先が止まる。

 

「……」

 

僅かな逡巡。

 

やがて、意を決したように目を伏せた。

 

「……ごめんね。後で、絶対に返すから」

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞/上層階。

 

ダダンッ――!

 

短い銃声が、廊下の奥で弾けた。

 

「クリア!」

 

「右、クリア!」

 

二つの声が重なる。

 

レナは壁際から身体を離し、ARを構えたまま角を越えた。

 

先ほどまで銃撃を続けていたGA生徒たちは、すでに武器を手放している。

 

廊下の端へ並んで膝をつき、頭の後ろで両手を組んでいた。

 

「拘束して、正実に引き渡せ」

 

短く、平坦な指示。

 

後続のニコとクルミが無言で動き、慣れた手つきで生徒たちを拘束していく。

 

レナはARを構え直し、そのまま先へ歩き出した。

 

廊下の先に、やや開けた空間が見える。

 

その奥の階段を昇り切れば――最上階だ。

 

「……WOLF1」

 

背後からユキノの声が掛かった。

 

「何だ」

 

「ここから先は、私たちFOXが先導する」

 

レナの足が止まる。

 

振り返ると、ユキノが冷静な目でこちらを見据えていた。

 

「必要ない」

 

「いや、ある」

 

即答だった。

 

「……少し前から、貴官の反応が遅れている」

 

「気のせいだろう」

 

「気のせいではない。さっきの角でも、クリアリングが約0.5秒遅かった。普段の貴官ならあり得ない」

 

リノも、スイも、メイも一斉にレナを見た。

 

歩調。視線の動き。命令のテンポ。

どれも僅かに――だが、確実に鈍っている。

 

全員が気付いていた。

 

「隊長……ちょっと休もう?」

 

スイが不安げに声を掛ける。

 

レナは短く息を吐いた。

 

「……大丈夫だ。問題ない」

 

「大丈夫じゃありません! 問題大ありです!」

 

リノが声を荒らげた。

 

「隊長、もう何十時間起きてるんですか!? その後だって、まともに休んでないでしょう!」

 

メイも続く。

 

「隊長……ミネちゃんにも止められたよね。これ以上は危険だって」

 

「駄目だ……まだ終わっていない」

 

リノがレナの正面へ回り込み、行く手を塞いだ。

 

「隊長が倒れたら、誰が私たちを指揮するんですか! お願いですから、後ろへ下がってください!」

 

リノは一歩も引かなかった。

 

スイも、メイも、FOXの四人も。

 

誰一人目を逸らさない。

 

(……悟られたか)

 

レナは小さく舌打ちした。

 

「分かった。なら――」

 

一歩、前へ出る。

 

「――ッ」

 

右脚から唐突に力が抜けた。

 

視界が傾く。

 

膝が石床へ落ちる寸前、レナは左手を壁へ突き、辛うじて身体を支えた。

グローブ越しに、冷たく硬い石の感触が掌へ食い込む。

 

「隊長!?」

 

「ちょっと! アンタ大丈夫!?」

 

リノとクルミが即座に駆け寄り、両脇から腕を伸ばした。

 

その手が触れた直後。

 

「触るな……!」

 

レナは二人の手を振り払った。

自分でも驚くほど、冷たく鋭い声だった。

 

リノとクルミの手が宙で止まる。

 

「……すまない」

 

短い沈黙。

 

「……自分で立てる」

 

壁に手をついたまま、ゆっくりと体勢を立て直す。

荒れた呼吸を押さえるように、深く息を吐いた。

 

「いやいや、全然大丈夫じゃないじゃん!」

 

スイが声を上げる。

 

メイもタワーシールドを床へ下ろし、すぐさまレナの右側へ回り込む。

 

「隊長、座ろう。ね?」

 

止まろうとしないレナに、クルミは目を細めた。

 

「ねぇ……レナ。私たちって、そんなに信用できない?」

 

「……」

 

レナは答えなかった。

 

「あまり未熟扱いしないでくれる?」

 

「ちょっと、クルミちゃん……」

 

ニコが咎めるが、クルミは構わず続けた。

 

「これでも、そんじょそこらの隊員より強いエリートだって、自負してるつもりなんだけど」

 

レナはクルミを見返した。

 

「……未熟だと思ったことはない」

 

「だったら任せてよ。アンタ一人で抱える必要なんて、ないでしょ?」

 

「……」

 

返す言葉がない。

 

クルミは鼻を鳴らして視線を前へ戻した。

 

「まったく。人には休め休めって言うくせに、自分のことになるとこれなんだから」

 

「それは私も同感だな」

 

ユキノはARを低く構えたまま、小さく顎を引いた。

 

「以前にも言ったはずだ。指揮官が倒れれば、その時点で部隊全体へ影響が出る」

 

「それは……覚えている」

 

「なら実行してくれ」

 

少し前、ミネに告げられた言葉が脳裏を掠める。

 

『眩暈、吐き気、視野の狭窄、反応の遅れ――どれか一つでも出れば、即座に指揮を交代すること』

 

すでに、一つどころではない。

 

「……分かった」

 

レナはARのスリングを短く詰めた。

 

「隊形を変更する」

 

全員の視線が集まる。

 

「WOLF2、WOLF3。前へ出ろ」

 

「了解」

 

「ウィルコ」

 

リノとスイが即座に前へ出る。

 

「WOLF4は私の前だ」

 

「イエスマム」

 

メイがタワーシールドを持ち直した。

 

「FOXはWOLFの左右を固めろ。FOX1、異論は」

 

「……無い」

 

ユキノはARのセレクターを確かめ、短く答える。

 

「私は最後尾だ。指揮に専念する」

 

オトギが半目を向けた。

 

「ほんとに?」

 

「何がだ」

 

「いやー、途中でまた前に出たりしないかなーってさ」

 

「私を疑っているのか」

 

「うん、そりゃもう。疑いの余地しかないね」

 

「……」

 

図星だった。

 

ニコが小さく吹き出す。

 

「ふふっ……レナちゃん、信用ないね」

 

「……黙れ」

 

張り詰めていた空気が、僅かに緩んだ。

 

「ま、大船に乗ったつもりで私たちに任せてよ」

 

オトギは薄笑いを浮かべながら歩み寄り、その背中を軽く叩く。

 

その程度の衝撃さえ、今のレナには僅かに重かった。

 

「……行くぞ」

 

それだけ返し、上階へ続く大階段へ視線を向ける。

 

リノとスイが先頭へ出る。その後ろにメイ、さらにレナ。FOXは左右へ広がりながら警戒を維持し、階段へ足を掛けた。

 

石造りの大階段を昇るたび、硬いブーツの音が壁と天井の間を鈍く反響する。

 

一段。もう一段。

 

吸う。吐く。

 

呼吸を整えることさえ、今は意識しなければならない。

 

(……遅い)

 

自分自身の身体なのに。

 

命じてから動くまでが。考えてから動作へ移るまでが。

 

ほんの僅かに――遅い。

 

『反応の遅れ――』

 

脳裏にミネの声が蘇りかける。

 

レナは奥歯を噛み締めた。

 

(黙れ)

 

まだ終わっていない。

 

「……停止」

 

先頭のリノが拳を上げ、全員が即座に足を止めた。

 

階段を抜けた先――。

 

正面には、半ば開いたままの重い扉がある。その隙間から、低く唸る風の音が流れ込んでいた。

 

「どうやら、この先が司令室のようです」

 

リノが声を落として告げる。

 

スイは壁へ背を預け、LMGを構え直す。メイも盾を僅かに持ち上げ、扉の向こうへ視線を据えた。

 

レナは一度だけ目を閉じる。

 

「WOLF2、確認しろ」

 

「了解」

 

リノが足音を殺して扉へ寄る。銃口を先に向けながら、隙間から内部を覗き込んだ。

 

数秒。

 

「……」

 

ゆっくりと扉を押し開く。

 

ギィィ――。

 

重い蝶番が軋み、静まり返った室内へ不快な音を引きずった。

 

そこは、かつて要塞全体の戦闘を統括していた場所なのだろう。

 

中央には大きな作戦卓。壁には色褪せた地図が残されていた。

紙束が床へ散乱し、椅子はいくつも倒れたまま。作戦卓に据え付けられた端末も電源を失っていた。

 

人の気配だけがない。

 

レナは銃口を下げず、ゆっくりと室内へ踏み込んだ。

 

リノとスイが左右へ散る。

 

メイはレナの前を離れず、タワーシールドを構えたまま作戦卓の脇を通過する。FOXも続いて室内へ流れ込んだ。

 

「左、クリア」

 

「右、クリア」

 

「オールクリア」

 

次々と報告が上がる中、レナは作戦卓へ視線を落とした。

 

要塞周辺の戦術図、赤と青の線、いくつもの駒。

その大半が、すでに盤面から取り除かれている。

 

「ここが……司令室か」

 

レナが小さく呟く。

 

「みたいだね」

 

スイも周囲を見回した。

 

壁際には電源を落とされた通信機。引き抜かれたケーブル。床へ放り出されたヘッドセット。

 

通信卓の脇には、ティーカップが一つ。白い陶器の中に、半分ほど紅茶が残っている。

 

「居なくなってから、そう時間は経っていない」

 

ユキノが通信卓を確認しながら告げる。

 

「機材は無事だ。必要な回線だけを落としたようだ」

 

レナは作戦卓から顔を上げた。

 

「FOX2。記録媒体と書類を確認しろ」

 

「了解」

 

ニコが返答し、散らばった書類へ視線を落とす。

 

レナは室内を見回した。

 

切断された回線。

置き去りにされた作戦図。

半分だけ飲まれた紅茶。

 

ここでの戦闘指揮は、すでに終わっていた。

 

「隊長」

 

リノが作戦卓の向こうを指した。

 

部屋の北側、壁際の奥に別の扉がある。

通常の出入口より一回り狭く、その上には古びた案内板が掛かっていた。

 

《上部観測区画》

 

扉は僅かに開き、その隙間から乾いた風が吹き込んでいる。

 

「……屋上か」

 

その時、耳元の無線が鳴る。

 

『こちら弾薬庫制圧班! WOLF1、応答してください!』

 

「こちらWOLF1、聞こえている」

 

わずかな雑音のあと、興奮を押し殺した正実生徒の声が返ってきた。

 

『弾薬庫へ到達! 制圧を完了しました!』

 

レナは一度だけ目を閉じる。

 

「ツルギは」

 

『あー、ピンピンしています!』

 

「……そうか」

 

それだけで、おおよその状況は察せられた。

 

『それと――報告があります!』

 

正実生徒の声色が変わり、レナの目が僅かに細くなる。

 

「続けろ」

 

『砲弾が入っていると思われる弾薬箱を複数確認しました!』

 

室内の空気が張る。

 

「種類は」

 

『は、はい! 今、確認します――』

 

無線の向こうで、重いものを動かす音がした。

 

続いて、金属の留め具が外れる乾いた音。

 

「いいか。外装、封印、表示、内容物――その全てを記録してギャヴェルに報告しろ」

 

『りょ、了解!』

 

通信が切れた。

 

確認が取れれば、重要な物証の一つは押さえられる。

残る最優先目標は、首謀者――東雲シヅキの確保だ。

 

「上へ行く」

 

メイが庇うように盾を構えた。

FOXが両脇を固め、リノとスイが先行する。

 

そしてレナたちは、古びた扉を抜けた。

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞/屋上・上部観測区画。

 

扉の先は、窓のない短い通路だった。奥から強い外光が差し込み、乾いた風が砂と硝煙の匂いを運んでくる。

 

「正面に扉」

 

リノが低く告げる。

 

最奥には、両開きの赤い鉄扉。通路へ吹き込む風がレナの白髪を揺らす。

 

「WOLF2、確認しろ」

 

「了解」

 

リノが扉脇の壁へ身を寄せた。僅かな隙間を開け、外を窺う。

 

数秒後、その表情が硬くなった。

 

「……コンタクト」

 

「配置は」

 

「正面、盾持ちが多数。恐らくAegisです」

 

一拍。

 

「……隊列の中央に東雲シヅキを確認」

 

メイの指が、盾のグリップへ深く食い込んだ。

 

レナはその横顔へ目を向ける。

 

「行けるか」

 

「……うん」

 

レナは、それ以上聞かなかった。

 

「開けるぞ」

 

 

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