白狼救済録   作:らんらん出荷マン

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第61話 継承

 

 

――旧聖バルバラ要塞・上部観測区画。

 

リノは無線機の送信スイッチを押した。

 

「FOX1、こちらWOLF2。オーバー」

 

『こちらFOX1。どうした』

 

「SRT総司令部より、WOLF1の航空後送が命じられました。搬送先もトリニティの総合病院からSRT医療部へ変更されています」

 

『……航空後送?』

 

「はい。緊急回収機がこちらへ向かっています。FOXには回収地点の選定と確保をお願いします」

 

短い間を置いて、ユキノが答えた。

 

『了解した。LZ(着陸地点)の候補を選定する。スタンバイ』

 

通信を終えたリノは、床に横たわるレナへ視線を戻した。

ミネが首元に指を当てて脈を測り、傍らでは救護騎士が容体を記録している。もう一人は担架と固定具の準備を進めていた。

 

レナは依然として目を開けない。右腕は固定され、頸椎カラーが首の動きを封じている。

胸が浅く上下するばかりで、指先さえ動く気配はなかった。

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞・北側胸壁。

 

通信を終えたユキノは、屋上を見渡した。

中央は崩落した観測塔の鉄骨と瓦礫に塞がれ、周囲には救護騎士団の処置シートや担架が並んでいる。

回収機が降りられるだけの平坦な場所は、どこにも残っていなかった。

 

「FOX4、北側の胸壁を見る」

 

「了解」

 

二人は一段高い北側の指揮所区画へ駆け上がり、石造の胸壁から下を覗き込んだ。

要塞北面は切り立った壁になっており、航空機の接近を妨げる電線もない。

胸壁の上端にはコンクリートで均された幅広の通路が続き、観測塔崩落の影響も及んでいなかった。

 

「ここなら主輪を掛けられるかもしれない。風向は南西……進入軸も取れるな」

 

ユキノは胸元の端末でグリッド座標を確認し、無線機に手を伸ばした。

 

「WOLF2、こちらFOX1。屋上北側、外周胸壁上にコンクリートの通路を確認。通常着陸できる広さはないが、進入経路に障害物は見当たらない。BREAK(送信区切り)――。

回収機には胸壁へのPINNACLE LANDING(高所狭隘地着陸)による収容を要請しろ。座標はVH(ヴィクター・ホテル) 41285 20610。オーバー」

 

『こちらWOLF2、コピー。座標、VH 41285 20610ですね。アウト』

 

リノが座標を受け取った直後、別回線から呼び出しが入った。

 

『WOLF2、こちらギャヴェル。回収機MERLIN2-2が作戦空域へ入った。

これより直接通信へ切り替える。チャンネルはそのまま維持しろ』

 

「WOLF2、了解」

 

一拍のノイズを挟み、ローター音を背負った低い声が割り込んできた。

 

『WOLF2、こちら緊急回収機MERLIN2-2。現在、要塞南方より接近中。現地の状況を知らせ。オーバー』

 

リノはユキノから届いた座標を確認し、送信スイッチを握り直した。

 

「MERLIN2-2、こちらWOLF2。これよりMEDEVAC 9-LINE(医療後送九項目要請)を送ります」

 

『MERLIN2-2、受信準備よし。送れ』

 

リノは短く息を整えた。

 

「LINE1(回収地点)、VH 41285 20610。LINE2(周波数・コールサイン)、現用周波数、WOLF2。LINE3(患者数・後送優先度)、1 ALPHA(緊急)。LINE4(必要特殊装備)、ALPHA(特殊装備不要)。LINE5(患者数・搬送形態)、1 LIMA(担架患者)。BREAK――」

 

『MERLIN2-2、LINE5までコピー。続けろ』

 

「LINE6(回収地点の安全状況)、NOVEMBER(敵性勢力なし)。LINE7(回収地点の標示方法)、CHARLIE(発煙標識)。LINE8(患者の国籍・身分)、ALPHA(自軍所属隊員)、SRT所属隊員。LINE9(核・生物・化学汚染状況)、NONE(汚染報告なし)。

補足――回収地点は要塞北側、最上部の胸壁です。屋上中央は観測塔の崩落で閉塞、通常着陸は不可能。PINNACLE LANDINGを要請します。オーバー」

 

一拍置いて、復唱が返ってきた。

 

『MERLIN2-2、9-LINEコピー。患者一名、URGENT(緊急後送)、担架搬送。敵性勢力なし、スモークによるLZ標示。

北側胸壁への部分接地を要請――以上で間違いないか』

 

「相違ありません」

 

『了解。接地点はこちらで確認し、最終的な収容方法は機長が判断する。地上員は指示があるまで接近するな』

 

「WOLF2、了解」

 

『それと、WOLF2――』

 

「はい」

 

『患者の状態は?』

 

リノは床に横たわるレナを見下ろした。

 

「意識なし。自発呼吸はありますが浅く、脈も不安定です。

頭部外傷および右上肢の重度損傷が疑われ、現在は救護騎士団が頸部固定と容体監視を実施中です」

 

『コピー。こちらには医療部のメディックが同乗している。収容後は機内で処置を引き継ぐ』

 

「……了解しました」

 

『MERLIN2-2、これより北側へ回り込む。LZの最終確認を実施せよ。アウト』

 

リノはすぐにチャンネルを切り替えた。

 

「FOX1、こちらWOLF2。9-LINE送信完了。

MERLIN2-2が北側から進入します。LZの状態を報告してください」

 

『こちらFOX1。胸壁上の通路を確保。

放棄装備と飛散物は撤去済み、目視でも構造物に異常なし。FOX4がスモークを準備している』

 

「コピー。スモークはこちらから合図します。それまで待機してください」

 

『了解。FOX1、アウト』

 

リノは無線機から手を離し、ミネの傍へ戻った。

 

「ミネさん、回収機が作戦空域に到着しました。屋上北側の胸壁を回収地点に指定しています」

 

「きょ、胸壁……?」

 

ミネが顔を上げた。

 

「そんな所にヘリコプターを降ろすのですか?」

 

「通常着陸はできません。機長が現地を確認し、部分接地で収容できるか判断します」

 

「……随分と危険なことをするのですね」

 

「はい。……ですが、これが一番速いです」

 

ミネはレナへ目を落とした。救護騎士が呼吸を見守る傍らで、レナは微動だにしない。

 

「……搬送中の医療担当者は?」

 

「SRT医療部のメディックが同乗しています。受入れ準備も完了しているとのことです」

 

「……そうですか」

 

ミネはもう一度レナの脈を確かめ、救護騎士たちへ向き直った。

 

「では、私たちも準備しましょう。ただし、機体への引継ぎが完了するまで、大上さんは私たちが管理します」

 

「了解しました」

 

「担架の固定を再確認してください。移動中も頭部と頸部を動かさないように。呼吸に変化があれば、すぐに知らせてください」

 

「はい!」

 

リノも担架の傍に膝をついた。額に貼り付いたレナの白髪へ手を伸ばしかけ、途中で止める。

 

「……隊長」

 

返事はなかった。

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞・北側胸壁。

 

北の空から、重いローター音が近付いてきた。低い唸りは次第に膨らみ、空気を叩く連続音となって要塞の壁面を震わせる。

 

胸壁上の通路に身を伏せたユキノとオトギが、外側の空を見上げた。

 

「……来たね」

 

オトギが呟く。

 

要塞の北東から、青い機体が外周の壁に沿って姿を現した。側面にはSRTの識別標章が描かれ、傾いた陽光を受けた主回転翼が鈍く光っている。

早朝、レナたちを乗せて飛び立ったブラックホーク――MERLIN2-2だった。

 

『MERLIN2-2よりWOLF2。北側胸壁へのアプローチ(進入)に入る。LZをマークしろ。ETA(到着予定時間)60秒』

 

『FOX1、スモークをお願いします!』

 

イヤーピースからリノの声が流れると、ユキノが顎で合図した。

オトギはスモークグレネードのピンを抜き、胸壁の手前へ転がす。

 

シューッ、と鋭い噴出音を立てて濃い緑煙が立ち昇り、灰色の要塞に鮮やかな目印を描いた。

 

『MERLIN2-2、TALLY SMOKE(発煙標識視認)。グリーンを確認。このまま進入する』

 

「FOX4、退避するぞ!」

 

「了解!」

 

二人は屋上広場へ続く階段まで後退した。MERLIN2-2は胸壁の外側へ回り込み、ゆっくりと機首を巡らせる。

開かれたスライドドアから、クルーチーフ(機付長)が身を乗り出して接地点を見下ろしていた。

 

『MERLIN2-2よりWOLF2。接地点を確認。これより部分接地に入る』

 

「WOLF2、了解」

 

直後、ダウンウォッシュ(吹き下ろし気流)が要塞の壁面を叩いた。

 

ブオオオオオオオッ――!!

 

胸壁を越えて砂埃が吹き上がり、緑煙が一気に押し流される。

片腕で顔を庇ったユキノの視界の先で、ブラックホークが慎重に高度を下げていく。機首が僅かに振れ、機体が横へ流れかけたが、それもすぐに抑え込まれた。

 

『……接地位置、確認』

 

クルーチーフが機内通信へ告げる。

 

『クリアランス(障害物間隔)良好。あと少し』

 

機長は姿勢を崩さずに降下を続けた。二つの主輪が胸壁の上端へ近付き、コンクリートとの間隔が数十センチまで縮まっていく。機体が一度揺れ、降下が止まった。

 

そして――。

 

ゴンッ、と鈍い音を立てて、主輪がコンクリートを捉えた。

 

尾部を要塞の外へ張り出したまま、回転翼は揚力を保ち続けている。機長は細かな修正を重ね、主輪だけで機体を胸壁に繋ぎ止めていた。

 

『MERLIN2-2、接地を確認。機体保持中。患者収容を開始する』

 

その報告が、リノのヘッドセットに届いた。

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞・上部観測区画。

 

「ミネさん、回収機が接地しました!」

 

リノが叫ぶ。ミネはレナの呼吸を確かめ、傍らの救護騎士へ目を向けた。

 

「担架の固定は?」

 

「完了しています。頸部と右腕も固定済みです!」

 

「分かりました。搬送します!」

 

リノが足側へ回り、二人の救護騎士が担架の左右を支える。頭側についたミネは、レナの顔を覗き込んだ。

 

「大上さん。これから航空機へ移ります。聞こえていなくても、声は掛けますからね」

 

ミネは顔を上げ、全員の位置を確認した。

 

「……上げます」

 

「「「せーのッ!」」」

 

四人が息を合わせて担架を持ち上げる。レナの身体が僅かに揺れ、ミネはすぐに頭部の位置を確かめた。

 

「ゆっくり。慎重に」

 

「はい!」

 

一行は振動を抑えながら、胸壁へ続く階段に取り付いた。頭上からはローターの轟音が降り注いでいる。

 

「段差、上がります!」

 

ミネが声を張り上げた。全員が足元を確かめ、担架を水平に保ちながら一段ずつ上っていく。途中、支えの中でレナの頭がかすかに傾いた。

 

「止まってください!」

 

全員の足が止まる。ミネは頸椎カラーと頭部の支えを確かめ、胸の上下を目で追った。

 

「……大丈夫です。続けましょう」

 

再び担架が動き出す。

 

階段を上り切った途端、猛烈な風が吹き付けてきた。北側の胸壁では、青いブラックホークが主輪だけを預けて宙に留まっている。

ダウンウォッシュに煽られ、救護騎士たちの制服が激しくはためいた。

 

その先で、ユキノが手を上げる。

 

「WOLF2!!」

 

リノは頷き、担架を支え直した。

 

「隊長を運びます! FOX1、機体へ連絡を!」

 

「了解!」

 

ユキノが無線機に手を伸ばす。

 

「MERLIN2-2、こちらFOX1! 患者が胸壁へ到着した。収容の許可を求める!」

 

『MERLIN2-2、コピー。こちらの乗員が誘導する。指示があるまで待機せよ』

 

四人は胸壁の内側で足を止めた。鼓膜を圧する轟音の中、ブラックホークは細かく姿勢を修正しながら接地を保っている。

スライドドアの奥で、キャビンに膝をついたクルーチーフが大きく腕を振った。

 

「担架患者一名確認! こちらで引き受けます!」

 

リノが答えようとした、その時だった。

 

クルーチーフの背後から、セーラー服の上に白衣を羽織った少女が姿を見せた。胸元では、機内灯を受けた小さなロザリオが揺れている。

SRTの医務室で幾度もレナを診察し、錯乱状態に陥った際にも処置を引き受けたメディックだった。

 

担架に横たわるレナを見た途端、小さく息を呑んだ。

 

「……レナさん」

 

呟きはローターの轟音に呑まれた。彼女はすぐに表情を引き締め、こちらへ手を伸ばす。

 

「こちらへ! 頭側から受け取ります!」

 

「……貴女が来てくれたんですね!」

 

リノが叫ぶ。

 

「はい! 総司令から直接、同行を命じられました!」

 

メディックはそう返し、担架へ視線を戻した。

 

「容態は!?」

 

「意識なし! 自発呼吸あり! 頭部外傷の疑い、右上肢損傷、多発打撲です!」

 

「了解しました!」

 

そこで、ミネが一歩前へ出た。

 

「待ってください! 現地で診察した救護騎士です。状態を申し送ります!」

 

メディックが顔を上げた。

 

二人の視線が重なる。白衣の少女が動きを止め、ミネも目を瞬かせてその顔を見つめた。

 

「……医療長?」

 

ミネの呟きに、白衣の少女も目を見開く。

 

「あら……ミネさん?」

 

互いを呼んだきり、言葉が途切れる。先に口を開いたのはメディックだった。

 

「……お話は、また今度にしましょう! 今は患者の収容が先です!」

 

「はい!」

 

ミネは即座に頷いた。

 

「大上さんは観測塔の崩落に巻き込まれています! 両側とも対光反射が著しく鈍い状態です! 呼吸は浅く、脈も不安定です!」

 

「両側で、ですか……」

 

メディックの表情が険しくなる。

 

「頭蓋内の損傷を前提に動きます。急ぎましょう!」

 

クルーチーフとメディックがスライドドアの内側に膝をつき、担架へ手を伸ばした。リノたちは足側を支え、合図に合わせて持ち上げる。

 

「いち、に、さんッ――!」

 

金属製の担架が機内へ滑り込んだ。メディックがレナの頭部を支え、クルーチーフが担架を固定位置へ誘導する。

 

ガチャンッ――!

 

床のロック金具が担架を噛み込んだ。

 

メディックはすぐにレナの傍らへ膝をつき、左手の指先へパルスオキシメーター(経皮的酸素飽和度測定器)のセンサーを装着した。

 

モニターに数値が浮かび上がる。

 

「SpO₂(経皮的酸素飽和度)、九十三パーセント……脈拍、百二十台」

 

メディックはレナの胸の動きを確かめた。呼吸は浅く、呼び掛けへの反応もない。

 

「……呼吸状態が悪い。酸素投与を開始します」

 

素早く酸素マスクを当て、気道の状態を確かめる。再びモニターへ視線を戻すと、メディックはスライドドアの向こうへ振り返った。

 

「ミネさん! 処置記録を!」

 

「はい!」

 

ミネは胸元から記録用紙を取り出し、機内へ差し出した。受け取ったメディックは、まっすぐにミネを見た。

 

「この子は、私が責任を持って預かります!」

 

「……はい! お願いします、医療長!」

 

「……あの!」

 

リノが呼び止めた。メディックが振り返る。

 

「隊長を……よろしくお願いします!」

 

ローターの轟音に負けじと、リノは声を張り上げた。メディックは一瞬だけ目を細めた。

 

「任せてください!」

 

その返事を聞き、リノは担架から手を離した。

 

『これより離陸する! 地上員は胸壁から退避せよ!』

 

ミネが深く頭を下げ、クルーチーフがスライドドアを引き閉める。ユキノはリノとミネの肩を引き、階段側へ下がらせた。

 

全員が胸壁から離れると、エンジンの唸りが一段高くなった。

 

『後方クリア。――上昇開始!』

 

二つの主輪がコンクリートから浮き上がる。ブラックホークは高度を取りながら要塞の外側へ後退し、胸壁から十分に距離を取ると、ゆっくりと機首を巡らせた。

 

『MERLIN2-2、1 ALPHAを収容。これよりLZを離脱する、RTB(基地帰投)。アウト』

 

青い機体が北の空へ加速していく。

 

リノはその場に立ち尽くし、遠ざかる機影を見送った。

ローター音が薄れ、やがて機体が空の彼方へ溶ける。それでも、リノはしばらく顔を上げたままだった。

 

 

 

――

 

――同時刻/旧聖バルバラ要塞・南正門前。

 

ひしゃげた門扉の手前に、一両の鋼鉄の塊が居座っていた。

 

シャーマン・イージーエイト。

 

エンジンをアイドリングさせたまま停止した車体のキューポラから、車長の平野チエが上半身を出している。その視線は要塞の上空へ向けられていた。

 

隣のハッチから顔を覗かせた装填手が声を掛ける。

 

「ねぇ……チエちゃん。あれって……」

 

「……SRTのヘリだね。きっと何か起きたんだ」

 

チエは短く答え、遠ざかる機体を目で追った。

 

『マカロン1、こちらギャヴェル。応答せよ』

 

不意に無線が鳴った。チエは空を見上げたまま、送信スイッチを押した。

 

「こちらマカロン1。どうぞ」

 

『バルバラ要塞の制圧を完了した。

現在、残存GAの武装解除と負傷者の後送を進めている。貴隊は引き続き南正門の警戒を維持せよ』

 

「了解。現位置で警戒を継続します」

 

『それと……WOLF1が観測塔の崩落に巻き込まれた。

重傷を負って意識不明。先ほどMERLIN2-2でSRT医療部へ搬送された』

 

「…………」

 

チエの指が、送信スイッチの上で止まった。

 

『マカロン1、聞こえているか? ……チエ!!』

 

「…………」

 

『まあいい……報告は以上だ。

第6小隊、初の実戦でよくぞここまで戦ってくれたな。

後でデザートを奢ってやる。ギャヴェル、アウト』

 

通信が切れ、車内にはエンジンの振動だけが残った。

チエはもう一度空を見上げたが、先ほどまで見えていた青い機体は既に姿を消している。

 

「レナさんが……重傷……?」

 

「……チエちゃん? レナさんがどうかしたの?」

 

装填手に呼ばれ、チエはようやく顔を戻した。

 

「観測塔の崩落に巻き込まれて……意識不明だって」

 

「じゃ、じゃあ……さっきのヘリは……」

 

チエはハッチの縁を握り、要塞の南正門を見据えた。武装解除されたGAの生徒たちが列を作り、正実の誘導を受けている。

担架に載せられた数名は、救護騎士団の緊急車両へ次々と運び込まれていた。その身体に掛けられた毛布の端は、赤黒く染まっている。

 

「一体、屋上で何があったの……?」

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞・上部観測区画。

 

ブラックホークが飛び去った後も、屋上には砂埃が漂っていた。

胸壁の隅に吹き溜まった砂が風に流され、機体が接地していたコンクリートには、二本の黒いタイヤ痕が残っている。

 

リノはその痕を見下ろし、無線機のチャンネルを切り替えた。

 

「GOAT1、こちらWOLF2。オーバー」

 

『こちらGOAT1。WOLF2、どうしたの?』

 

村正レンの声が返ってきた。

 

「WOLF1が負傷したため、現在は私が代理で指揮を執っています」

 

『……WOLF1が負傷したの? どれくらい?』

 

「観測塔の崩落に巻き込まれ、現在も意識不明です。先ほど航空後送を完了し、SRT医療部へ搬送しました」

 

『……そう』

 

通信の向こうで、レンが短く息を吐いた。

 

『それで、そちらの状況は?』

 

「屋上の残存GAは全員武装解除済み。東雲シヅキを含む四名が重傷を負い、救護騎士団によってトリニティの総合病院へ搬送中です。その他の捕虜はFOXが監視を継続しています」

 

『了解。こっちは捕まえた全員を外へ出したわ。これから各区画の確認を始めるところよ』

 

「了解しました。あの……GOAT1、一つお願いがあります」

 

『何かしら』

 

リノは、機影の消えた北の空へ目を向けた。

 

「WOLF1不在に伴い、SRTの指揮権をGOAT1へ移譲したいと思います」

 

『……指揮権の移譲ね』

 

短い沈黙があった。

 

『分かったわ。以降の指揮はこちらで引き受ける』

 

「ありがとうございます」

 

『ただし、WOLFの隊長代理は引き続き貴女よ。そこは間違えないで』

 

「……はい」

 

『今、第1小隊から人員を回すわ。FOXには捕虜の監視を継続してもらって、交代が済み次第、全員撤収させなさい』

 

「了解しました」

 

『それと、WOLF2』

 

「はい」

 

『WOLF1がいなくなった分まで、貴女が全部引き受ける必要はないわよ』

 

「それは……」

 

リノは返事をしかけ、口を閉じた。

 

『こちらは、まだ余裕があるから頼りなさい。

部隊間の連携を繋ぐのも……隊長の役目よ。

 

WOLF2、分かった? ユーコピー?』

 

「……アイコピー」

 

『よろしい。GOAT1、アウト』

 

通信が切れた。リノは無線機を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 

顔を上げると、スイとメイが屋上の壁際に座っていた。スイはLMGを膝に抱え、メイはタワーシールドに背を預けている。二人の制服には、砂埃と乾いた血がこびり付いていた。

 

リノは無線機を握り直し、二人へ歩み寄った。足音に気付いたスイが顔を上げる。

 

「あ……リノ。隊長は?」

 

「医療部へ送られました。到着後、検査と治療を受ける予定です」

 

「……そっか」

 

スイは小さく頷き、再び手元へ目を落とした。今度はメイが口を開く。

 

「ねぇ、リノ……私たちはこれからどうするの?」

 

「要塞内の指揮はGOAT1へ引き継ぎました。捕虜の監視も、間もなく交代が来ます」

 

リノは二人の間に腰を下ろした。

 

「……取り敢えず、今は休みましょう。さすがに、今回は堪えました」

 

無線機からは各区画の制圧報告が流れ続けている。弾薬の集積、捕虜の移送、負傷者の後送――片付けるべき仕事は、まだいくつも残っていた。

 

 

 

――

 

――SRT特殊学園・医療棟。

 

MERLIN2-2が医療部のヘリポートへ着陸すると、待機していた医療班が直ちに機体へ駆け寄った。

 

「患者一名! 大上レナ、意識なし! 頭部外傷の疑い、右上肢重度損傷、多発打撲! 自発呼吸あり、循環動態は不安定!」

 

機体から降りたメディックが声を張り上げる。担架はストレッチャー(移送用担架)へ移され、搬入口へ向けて走り出した。

車輪が床の継ぎ目を越えるたび、金属製のフレームが小さく軋む。

 

「画像診断の準備を!」

 

「もう準備できています!」

 

「では、血液検査と輸液の準備をお願いします! 呼吸状態の監視も継続!」

 

短い応答が飛び交う中、ストレッチャーは自動扉を抜けて処置区域へ運び込まれた。

白い照明の下でも、レナは目を開けない。酸素マスクの内側で、浅い呼吸を繰り返すばかりだった。

 

 

 

――

 

――SRT特殊学園・医療棟/診断室。

 

検査が進むにつれ、レナの負傷が一つずつ明らかになっていった。

右上腕骨の骨折。肋骨の一部に走る骨折線。胸腹部には、筋層の深部にまで及ぶ広範な挫傷。頭部の画像では、小さな脳挫傷が疑われた。

 

メディックは画面に並ぶ画像を見比べ、指先で一か所を示した。

 

「……ただ、この損傷だけでは、現在の意識障害の深さを説明しきれません」

 

画像を拡大し、言葉を続ける。

 

「頭部には強い衝撃が加わっています。

画像に現れない神経線維の損傷も考えられますので、状態が安定し次第、MRI(磁気共鳴画像検査)で精査します」

 

傍らの医療班員が検査結果を端末へ送った。

 

「……血液検査の結果が出ました。やはり、筋損傷を示す数値が上昇しています」

 

「……そうですか」

 

メディックは端末に表示された項目を確認した。

 

「腎機能と電解質の推移を追ってください。尿量と循環を見ながら輸液量を調整します。

それと、この意識レベルなら気道の保護を急ぐ必要があります。集中治療室へ移す準備を。呼吸管理は担当医と確認します」

 

「はい!」

 

医療班員が診断室を出ていく。

 

メディックは改めて画面へ目を向けた。画像に刻まれた損傷の数々が、レナの受けた衝撃と圧迫の強さを物語っている。

この状態では、立ち上がることさえ困難だろう。まして、瓦礫の下から自力で這い出し、そのまま戦闘を続けるなど――。

 

だが、現地から受け取った記録には、確かにそう記されていた。

 

「……どうやって、こんな状態で」

 

呟いたところで、診断室の扉が開いた。

 

「検査結果が出たそうだな」

 

振り返ったメディックは、入口に立つ人物を見て姿勢を正した。

 

「……総司令」

 

蒼黒の長髪を背へ流した少女が、診断室へ入ってきた。

 

SRT特殊学園総司令官――。

 

その視線が、壁面のモニターへ向けられる。

 

「彼女はどうだ」

 

「……まだ意識は回復していません。検査結果は、こちらに」

 

メディックは端末を操作し、診断画像と所見を表示した。総司令は無言で画面を見つめる。

 

「生命の危険は?」

 

「この意識障害と循環不安定が続く以上……あります。

損傷は自然治癒に委ねられる範囲を超えているので、呼吸と循環を厳重に監視しながら、集中治療を行う必要があります」

 

総司令は短く頷き、画面を切り替えた。搬送時に添付された現地救護記録が表示される。

 

観測塔崩落による受傷。

瓦礫下からの脱出。

戦闘継続。

意識消失。

 

総司令の指が、三行目で止まった。

 

「……確認したい」

 

「はい」

 

「彼女は観測塔の崩落に巻き込まれた後、自力で脱出したと報告されている。

その後、複数の敵と交戦し、首謀者を倒してもなお動き続けたそうだな」

 

「私も現地の救護騎士から記録を受け取り、おおよその経緯は把握しています」

 

「……この傷で、それは可能なのか」

 

メディックは全身の画像へ表示を切り替えた。

 

「この骨折と損傷では……物を持つことも、立つことも難しいはずです。

頭部については、意識障害がいつ生じたのかを正確に調べる必要があります」

 

「何らかの薬物の影響は考えられるか?」

 

「一応……検査は行っています。ですが、現時点で説明のつく所見は出ていません」

 

総司令は椅子を引き、モニターの前へ腰を下ろした。

 

「……意識が戻る見込みは」

 

「今は分かりません。頭部の損傷は、時間の経過とともに状態が変わることがあります。

まずは全身の状態を安定させ、追加検査を進めます」

 

「そうか」

 

総司令は端末の画面を閉じた。

 

「治療に必要なものは全て使え。足りなければ手配する」

 

「ありがとうございます」

 

「それと、今回の診療に関わった者を確認しておきたい」

 

メディックが顔を上げる。

 

「……担当者、ですか?」

 

「ああ。現地から同行した者を含め、診察、検査、搬送、処置に関わった全員だ」

 

「名簿でしたら、すぐに提出できます」

 

「頼む」

 

総司令は立ち上がり、メディックへ向き直った。

 

「ここからは、連邦生徒会長の命を受けたSRT総司令官として命令する」

 

声の調子が変わった。

 

「大上レナに関する診療情報、および今回の作戦中に生じた異常な戦闘行動について、関係者以外への開示を一切禁止する。

担当者には個別に通達し、外部からの照会は指定窓口へ集約しろ」

 

メディックの眉が僅かに寄った。

 

「それは……箝口令、ですか」

 

「そうだ」

 

「診療記録も制限されるのですか?」

 

「記録は通常どおり残せ。診断内容、処置、検査結果、経過観察、すべてだ。

治療に必要な情報の共有も妨げない。ただし、患者の状態を無断で外部へ伝えることは許可しない」

 

「……承知しました」

 

総司令は端末へ目を落とした。

 

「戦闘時の映像や証言についても同様だ。

資料はSRT内部で保全し、外部への提出は連邦生徒会長の指示によるものに限る。関係者には正式な聞き取りを実施する」

 

「……一つ、確認してもよろしいでしょうか」

 

メディックが口を開いた。

 

「今回の作戦では、トリニティ側にも多数の負傷者が出ています。大上さんが刺した生徒についても、正式な調査が行われるはずです。

その際、診療記録や証言の提出を求められた場合は、どう対応するのでしょうか」

 

「申請は司令部で受け付ける。連邦生徒会と精査したうえで、必要な資料を〝順次〟提出する」

 

「……順次、ですか」

 

メディックは総司令を見つめた。

 

「不服なのは分かる。だが……今回の件は、私にも把握できていない部分が多いんだ」

 

「……貴女にも、ですか?」

 

「ああ。大上が何故ここまでの損傷を負いながら戦闘を継続できたのか、現段階では誰も説明がつかない」

 

「……分かりました」

 

「現地の救護騎士団にも、正義実現委員会の副委員長を通じて情報管理への協力を求めるつもりだ」

 

メディックは小さく頷いたが、その表情は晴れなかった。

 

「……大上さんが目を覚ましたら、何を伝えますか?」

 

「君が必要だと思ったことを優先しろ。意識が戻ったら、私にも報告してくれ」

 

「承知しました」

 

「時間を取って済まなかった。私は司令部へ戻る」

 

「はい。経過に変化があれば、直ちに報告します」

 

メディックが一礼する。総司令は扉へ向かいかけ、ふと足を止めた。

 

「……もう一つ。搬送された際、大上が所持していたPDA(携帯情報端末)はどうなっている?」

 

「PDA……ですか?」

 

「ああ。彼女に貸与されていた軍用端末だ」

 

メディックは端末で患者の所持品記録を開いた。

 

「……ありました。私物のスマホと一緒に回収されています。PDAは既に装備管理担当へ引き渡されているようです」

 

「そちらは、連邦生徒会へ返却する指令が出ている。装備管理担当に受領記録を作成させてくれ」

 

「分かりました。私物のスマホは、どういたしますか?」

 

「通常の患者所持品として保管しろ。本人が回復するまで、適切に管理しておけばいい」

 

「はい」

 

メディックがタブレットへ必要事項を入力するのを見届け、総司令は診断室を後にした。

 

扉を閉めた廊下で、その足が再び止まる。

 

『会長。このまま鎖を巻くなら、加減を間違えるな』

 

かつて、連邦生徒会長へ告げた言葉だった。

その鎖を巻かれていた当のレナが、今、集中治療室へ運ばれようとしている。

 

会長は今回の戦闘で生じた異常を何らかの形で把握し、証言と映像の管理を命じてきた。

だが、その理由も、何を警戒しているのかも、総司令には知らされていない。

 

「……貴女の目には、一体何が見えているんだ」

 

 

 

――

 

――旧聖バルバラ要塞・上部観測区画。

 

「……箝口令?」

 

スイが顔を上げた。リノは無線機を手にしたまま頷く。

 

「はい、総司令からの命令です。

今回の作戦で目撃した隊長の異常な戦闘行動について、外部への説明を一切禁じるとのことです」

 

「……何で?」

 

「詳細は伝えられていません。映像と証言はSRT内部で保全し、必要な調査へ提出するそうです」

 

スイは抱えていたLMGへ目を落とした。

 

「……ねぇ、リノ」

 

「何ですか?」

 

「あの時の隊長さ……全然、痛がってなかったよね。

撃たれても、撃たれても、平然としていて。まるで……」

 

スイの声が途切れた。

 

「……スイさん? 何か気付いたことがあるなら、報告してください」

 

リノに促され、スイは顔を上げた。

 

「ああ……ううん。やっぱり、何でもない」

 

「……そうですか」

 

リノはそれ以上追及せず、無線機へ目を落とした。

 

 

 

――

 

――

 

メイはいつの間にか二人の傍を離れ、少し先の壁際で膝を抱えていた。リノとスイの会話は耳に届いていたが、顔を上げることはできなかった。

 

『情は身を滅ぼすぞ』

 

レナの声が、耳の奥に残っている。

 

あの時、隊長はAegisを押し切ろうとしていた。

あと少しでシヅキ様に届くところだった。それを止めたのは、自分だ。

 

『……少しだけ、時間をくれない?』

 

シヅキ様なら、きっと分かってくれる。話し合えば、武器を置いてくれる。

 

まだやり直せるはずだと信じて、盾を置いた。

 

『メイ、戻れ!』

 

最後に聞いた隊長の声が蘇る。

爆風に煽られて振り返った時、観測塔は既に崩れ始めていた。駆け寄ってきた隊長に突き飛ばされ、次の瞬間、鉄骨と瓦礫が彼女を呑み込んだ。

 

自分の代わりに。

 

「わ……私が」

 

メイの唇が震えた。

 

「私が……あの時、隊長を止めなければ……あんなことには、ならなかった」

 

膝を抱える指に、力がこもる。

 

「隊長は全部……分かってたんだ……」

 

足元のコンクリートへ目を落とす。制服の袖口には乾いた血がこびり付き、指先にはガーゼを押さえ続けた時の赤黒い汚れが残っていた。

 

「私が止めなければ、きっとシヅキ様を捕まえてた。そうすれば、観測塔だって……」

 

言葉が詰まる。

 

「私は……助けたかった。シヅキ様も、先輩たちも……みんな、一緒に戻れるって思ってた……」

 

汚れた指先が、切り揃えられた金髪へ伸びる。

 

「どうして……こんな……ことに……」

 

 

 

――

 

――翌日/SRT特殊学園・医療棟/患者所持品保管室。

 

棚には、患者ごとに番号を付された透明な保管袋が並んでいた。その一つに、レナの私物が収められている。

 

瓦礫に押し潰されて歪み、一部が欠けたシャチのキーホルダー。

バナナに鳥の頭が生えたイラストの、折れ曲がった手帳。

そして、画面のひび割れたスマートフォン。

 

連邦生徒会から貸与されていたPDAは、既に別の管理区分へ移されていた。

 

不意に保管袋の内側でスマートフォンが震え、割れた画面に一件の通知が浮かび上がる。

 

[小鳥遊ホシノ]

 

『レナさん、今大丈夫ですか?』

 

数秒後、もう一度震えた。

 

『ユメ先輩が砂漠で遭難しました』

 

続けて、三通目が届く。

 

『早急に連絡ください。お願いします』

 

ひびの走った画面に、三つのメッセージが縦に並んだ。しばらくして、表示が着信画面へ切り替わる。

 

[小鳥遊ホシノ]

 

呼び出しの振動が、棚板へ小さく伝わった。

 

着信が切れる。間を置いて、再び同じ名前が表示されたが、それもやがて途切れた。

 

スマートフォンは通知画面へ戻り、数秒後に暗くなった。

 

三通のメッセージを読む者は、誰もいない。

 

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