ハンナさんを見ている、ちょっとじっとりシェリーちゃんです
本編後
「北風と太陽」という寓話があります。
昔のすごい人が作ったとされる寓話集の一つで、なんでも北風さんと太陽さんが力比べをする話なんだとか。
2人は通りかかった旅人さんの上着を脱がせる勝負をしました。北風さんは冷風で、太陽さんは暖気で勝負に挑み、太陽さんが勝ちを収めた、というお話です。
どう見ても北風さんが不利ですよね〜。旅人さんの上着は寒さから身を守るものですから、北風さんが勝つには上着を吹き飛ばすしか無いのです。旅人さんがシェリーちゃんみたいな怪力だったらどうするつもりなんでしょう。まあシェリーちゃんが参加するなら、旅人さんから直接剥ぎ取りに行きますが。
このお話は寓話というだけあって、ある種の処世術を描いているそうです。北風さんのように人に冷たく強引に接するのではなく、太陽さんのように暖かく柔らかく接すれば、その人の心を変えることができる。例えば友愛などをもって触れ合うのが効果的だ、と本には書いてありました。
私もこの意見には賛成です。実際、牢屋敷で出会った皆さんとはこの方法で仲良くなることができましたし、私の友人達が頑なな心を溶かす様も見てきました。
では、それでも上着を離さない人にはどう接すれば良いのでしょう?
どれほどの暖かさがあれば、彼女の寒さを吹き飛ばせるのでしょうか?
週の7日目、安息日。世界を作った神様がおやすみした日。
その日は朝から雪が降っていました。
大陸から到来した寒波が、珍しくこの地域にも雪を降らせるようで、前日に予報を見たハンナさんが慌ただしくしていたのを覚えています。
そんな日ですから、ゆっくりと温かいお布団の中で過ごすのも良い案だと思ったのですが。
「シェリーさん、起きてくださいまし。もう8時ですのよ」
「え〜、今日はお布団でゆっくりしましょうよ〜」
「ダメですわ。お買い物に行かなくてはならないでしょう?」
いつもどおり寝起きのいいハンナさんに揺さぶられて、私は渋々お布団から這い出します。
掛け布団から身を離すと、途端に冷気が身を包みます。思わずぶるりと身体が震え、逃げていく体温が恋しくなりました。
視線を横に動かすと、寝巻きの上にオーバーサイズのカーディガンを羽織ったハンナさんが、テキパキと布団を畳んでいました。
「ホラ、早くしませんと布団ごと畳みますわよ」
「今ならその方が暖かそうですね!」
「バカなこと言ってないで、布団を片付けてちゃぶ台を出しておいてくださいな。わたくしは朝食の準備をしますから」
「は〜い」
布団を畳みつつ、チラリと横顔を伺う。立ち上がりカーテンを開いたハンナさんは、そそくさと台所へ。でも私は、その顔がほんの少し強張ったのを見逃しませんでした。
13人の魔女候補が島に集められたあの日から、しばらく。解放された私達は、多くが元の生活へと戻っていきました。幸か不幸か、死亡扱いではなく失踪扱いだったため、元の義両親の家へはすんなりと戻ることが出来ました。私が急に戻ってきたものですから、義両親は驚いていましたし、とても心配をかけてしまったこともわかりました。本当に、善良で優しい方達です。
ただ、それ以上に驚かせてしまったことがあります。なんと、ハンナさんは橘家に迎え入れられることになったのです。
当初ハンナさんは元の家庭に帰る予定でした。しかし、ハンナさんが島にいる間にハンナさんの家族はそれぞれ施設に引き取られていたそうで、ハンナさんの家は既にもぬけの殻になっていました。まもなく家も取り壊される予定だったようで、ハンナさんは突然路頭に迷うことになってしまいました。
そこで私は、義両親に頼ることにしました。私の初めての我儘に応じたのか、ハンナさんの境遇に同情したのか、彼らはハンナさんを養子にすることを受け入れてくれました。深い事情も聞かず、ここまでしてくれたことには、本当に感謝してもしきれません。
こうしてハンナさんは橘家に住むことになり、私達は家族になりました。
とはいえ、友達のような関係性は変わることはありませんでした。
そして数年が経ち、自立できるようになった私とハンナさんは、アパートの一室を借りて移り住むことにしました。
一つは、不恰好な橘家の形に申し訳なさがあったため。義両親はどこまでも優しい方達でしたが、私達はこれ以上の迷惑を許容出来ませんでした。甘えた分だけの恩を返さなければという想いが、私たちの共通認識です。
そしてもう一つは━━━
「それにしても、今日はハンナさんがお買い物に誘ってくれるなんて、珍しいですね」
「……あなたこそ、珍しくお出かけに乗り気では無かったじゃありませんの。いつもなら嬉々としてついてこようとするでしょうに」
「だって今日寒いんですもん。明日なら雪は降らない予報なんですから、今日はハンナさんとのんびりしてもいいかな〜って!」
「ダメですわ。特売は今日しかやっていませんのよ。今日を逃したらシェリーさんのお小遣いを減らすことになってしまいますわよ」
「えー!それは困ります!ハンナさんとお出かけする資金が無くなっちゃいます!」
「……他のことにもお使いになったらどうですの?ミステリ小説とかお好きでしょう?最近あまり買っているところを見かけませんが」
「最近は電子書籍のレンタルも普及してるんですよ。もっぱらそこで読んでいるので、大丈夫です!」
「よくスマホを眺めていると思ったらそれでしたのね……。あまり目を悪くしないように、ほどほどにしてくださいな」
「はーい!……ところで、今日は何を買いに行くんですか?」
「今日の夕飯ははお鍋にしようと思いまして、ちょうど切らしていたものが特売でしたのでそれを。生姜を効かせて温まる物にしますわ」
「いいですね〜!最近読んだ作品に鍋を使ったトリックがあったので、ちょうど食べたかったんです!」
「……ちなみに、それはどのようなトリックだったんですの?」
「闇鍋を開催して対象に毒入りの物を食べさせていました!」
「……ちょっと食欲が減退しましたわ……」
渋い顔をしながらチラシを眺めるハンナさん。
横顔を伺うと、やはり少し硬いような気がします。
今日のハンナさんは、なんだか元気がありません。いつもなら鋭いツッコミが飛んでくるような会話でも、テンションが低いです。寒さの影響でしょうか?コートやマフラー、手袋にヒートテックなど、可能な限り厚着はしてもらっているんですがね。
……なんて、そんなことは考えるまでもありませんね。原因はとっくにわかっています。
空を睨み上げると、分厚い黒の雲と、それを隠すような灰色の雪。私がもっと怪力なら、漫画のように吹き飛ばすことも出来たのでしょうか?もう魔法を失って久しい無力な私には、どう足掻いても出来ないことですが。
いつものハンナさんなら、1人でも買い出しに出掛けていたでしょう。むしろ私が好んでついて行っているくらいです。ですが、今日は逆。やはり、そういうことなのでしょうね。
「行きますわよシェリーさん。今日の荷物は多くなりそうです」
「はーい、任せてください!怪力のシェリーちゃんならハンナさんごと持てちゃいますよ!」
「うわっ!引っ付かないでくださる!?恥ずかしいし歩きにくいですわ!」
ガバリとハンナさんに覆い被さる。もこもこの体は、むしろいつもより小さく感じました。
帰り道、お気に入りの緑のマイバッグに食材をパンパンに詰めて、ふらふらと。
流石に魔法の無い私にはちょっと重たいですね。でも、ハンナさんに持たせるわけにはいきません。
右手はしっかりハンナさんの手を握っています。今離すのは、きっと良くないので。
冬の日は暮れるのが早いもので、もう辺りは暗くなってきました。盆地ゆえ、日光が遮られてしまうのです。ここはちょっと、家選びで失敗したかな〜と思います。ちょっと地形の一部の利点だけを優先しすぎました。夜道をハンナさん1人に歩かせるのは危険ですし、反省です。
ハンナさんの口数は、次第に減っています。やはり思い出してしまうのでしょうね。こればっかりは仕方ないのかもしれません。鈍い私だって、たまに自分の手にぬるりとした生暖かい感触を思い出すのですから。
だからこそ、今手を離してはいけない。無事に家に帰るまでは、ハンナさんの手を温めなければ。
……あ、マズイです。
「……はっ、くしゅ!」
やってしまいました。冷気を吸い込んでしまったせいでしょう。でも、ちょっと、今はタイミング最悪です。
「シェ、シェリーさん!?風邪ですの!?」
ほら、こうなってしまいました。ほんとになんて最悪なタイミング。噛み殺せていれば良かったのですが。
ハンナさんの顔が歪む。心配、焦り、恐怖、あとは後悔と絶望、でしょうか。こんな顔をさせたくなかったからこの場所を選んだのですが……ままならないものです。
「大丈夫ですよ、ハンナさん!ちょっと鼻がくすぐったかっただけです!」
「ほ、本当ですの?いや、でもやっぱり風邪かもしれませんわ!熱を測ってみないと……!」
「え〜、シェリーちゃんを疑うんですか〜?」
「っ、わたくしはあなたが心配で!」
「じゃあ、はい」
少しかがみ込んでハンナさんと目線を合わせ、無理矢理額をくっつける。ハンナさんの視界を私で塞ぐ。
「なにを……」
「熱を測ってください!ごっつんこです!」
「う……」
ハンナさんが大人しくなり、目を瞑って少しの沈黙が流れる。その隙にハンナさんの顔色を観察します。
雪を視界から外したおかげでしょうか、先ほどの感情は少し鳴りを潜めたようです。間違っていませんでしたね。ヒロさんからお墨付きをいただけそうです。……いや、むしろちょっと顔が赤い気が……?
「……熱は、無さそうですわね」
「シェリーちゃんの言った通りでしょう?安心してください、ハンナさん!」
「……わかりましたわ。でも、このまま外にいると本当に風邪をひいてしまうかもしれません。急いで帰りましょう」
「そうですね!ハンナさんも顔が赤いようですし、熱かもしれません!」
「なっ!これは、これは違いますわ!これはあなたのせいで……!」
「さっきのシチュエーション、ハンナさんの好きな少女漫画にありますもんね!思い出しちゃうのも無理はありません!」
「言葉にしやがらないでくださいませ!この鈍感おバカ!」
良かった。少し持ち直したみたいです。
このまま家までさっさと帰りましょう。普段なら寄り道をして、ハンナさんとのお出かけを楽しむところですが、この天気は今日中続くようですし。
ぷんすこしながら早歩きになるハンナさんを目の端に捉えつつ、空を睨む。
トラウマというものは、どこへ逃げても付き纏うようです。雪が少ない土地でも、暖気が流れ込みやすい盆地でも、健康に気をつかっても、友人の私が隣にいたとしても。
まるで吹き付ける北風のように、ハンナさんを襲って、心の上着を離させようとしません。
どうすれば、ハンナさんの寒さを取り除けるのでしょうか?
無力で馬鹿で、太陽ではない私には、どうしてもわかりませんでした。
夕飯を終えて、もうすぐ日付けも変わる頃。
生姜のおかげか身体もポカポカと暖かく、眠気を誘います。
早寝早起きのハンナさんは、普段ならもう眠りについている時間です。
ですが、今日のハンナさんはまだ起きていました。……いえ、眠れていない、が正しいでしょう。
うつらうつらとしながらも、時折ハッと目覚めるのを繰り返しています。
もうカーテンは閉めているのに、雪の音でも聞こえているのでしょうか。
……見ていられませんね。検索していたページを閉じ、立ち上がる。
「ハンナさん!」
「……なんですの、シェリーさん。今日はもう寝ますわよ」
「はい、そこで!今日は一緒に寝ましょう!」
「……?普段も隣で寝ているではありませんの」
「そうではなく、一緒の布団で寝たいんです!」
「……はぁ!?」
とりあえず思考は逸らすことが出来たでしょう。あとはこのまま明日を迎えれば解決です。
「どうやら人間は、ハグをするとオキシトシンという物質が分泌されるそうなんです。私、試してみたいです!」
「いや、それなら普通にハグをすれば良いでしょう!?一緒に寝る必要は無いじゃないですの!そ、それに、友人同士でハグはちょっと気恥ずかしいというか……」
そう言うと思っていました。ですが、こちらには切り札があります!
「?何も問題ないじゃないですか」
「いえ、問題は無いのですが、そうではなく……」
「だって私たち、家族ですよね?」
「う……」
そう、たとえ養子であろうと、血の繋がりなど無かろうと、私たちは家族になったんです。その形がどんなに歪でも、私はハンナさんの今を肯定します。
「……仕方ありませんわね。今日だけ、ですのよ」
「わーい!ありがとうございます!」
「大きな子供のようですわ……」
いそいそとハンナさんの布団に潜り込み、ハンナさんを後ろから抱きしめる。
私の腕にすっぽりと収まったハンナさんは、くすぐったそうに身動ぎして、諦めたのか静かになりました。
オキシトシンはストレスを取り除き、信頼感を形成する働きなどを持つそうです。少しでもその寒さを和らげることが出来れば良いのですが。
「……シェリーさん。今日はありがとうございました」
「……なんのことですか?」
「惚けなくても結構ですわ。あなたが今日一日中、わたくしのためにと動いていたのはわかっていますの」
「……そんなことありませんよ。私は自分のしたいことをやっているだけです」
「そうですか。それなら、わたくしは勝手に感謝をしておきますわ。朝出掛けるのを引き止めたのも、わたくしのテンションを上げようとしていたのも、手を握っていたのも、焦るわたくしを宥めたのも、今この瞬間も。全部、勝手に感謝しておきます。ありがとう」
「……あはは、ありがとうございます」
なぁんだ。バレちゃってたんですね。さすが、ハンナさんです。
「あなたがわたくしのことを理解できるようになったのと同じように、わたくしもあなたを理解できるようになったんですのよ。これだけ長く一緒に過ごせば、それくらいわかりますわ」
「えへへ、嬉しいです、ハンナさん」
でも、ハンナさんはまだ少し、わかっていないかもしれませんね。
抱きしめる力を強める。抱え込むように、壊さないように、見えないように、逃げないように。
私がハンナさんの様子に気づいたのは、いつもハンナさんを見ているから。どんな時もハンナさんのことを考えているから。あなたの心を暖めたくて、あなたの暖かさに触れたくて、明らかにしたくて。演技やごっこではない、ホンモノを見つけたくて。
ハンナさんは私のことを友人だと思っているかもしれませんが、もしかしたらそれよりも、私の想いは重たいかもしれませんよ?
「明日は晴れると良いですね!」
「そうですわね、もし晴れたらお出かけしましょうか」
「楽しみですね!おやすみなさい、ハンナさん」
「おやすみなさいませ、シェリーさん」
春はまだ遠く、あなたが上着を脱ぐ日もいつになるかはわかりません。
でも、いつか。その心を暖かさだけで埋め尽くせたら。
あなたはどんな笑顔を浮かべるでしょうか?