男に戻るためにTS姿でダンジョン配信するのは本末転倒か否か!?   作:赤石アクタ

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第十九話 隠してないは嘘だろ

「⋯⋯気まずさから、つい飛び出しちゃいましたね⋯⋯」

 

「く、クーちゃんは充分よくやっていたと思います⋯⋯!俺なんか、一言も口を挟めなくて⋯⋯」

 

「「⋯⋯⋯⋯」」

 

 

 アレスさんと二人、反省会のような空気を漂わせながら気持ち早歩きでねこまたさんを追いかける。

 

 話し合いにはろくに参加できなかったし、結局何が何だかもよく分かっておらず、正直恥ずかしい限りだった。

 

⋯⋯だからこそ、せめて今の見た目を活かしてねこまたさんのメンタルケアくらいは行わなくては⋯⋯っ!

 

 俺は⋯⋯たぶんアレスさんも、胸に渦巻くいたたまれなさを払拭しようと必死だった。

 

 

「あっ⋯⋯!クーちゃん!ねこまたさんがいました!」

 

 

 二階から一階に階段を降りたところで、ねこまたさんの後ろ姿が見えてくる。どうやら風呂に行くという発言は本当だったらしい⋯⋯当然、あの場から逃げ出すための方便でもあったとは思うが。

 

 とりあえず、一言心配している旨を伝えようと、俺は──

 

 

「ねこまたさ⋯⋯え?」

 

 

 声をかけようと口を開いた俺は、しかし目の前のねこまたさんを見て口をぽかんと開けたまま固まってしまった。

 

 

「⋯⋯え?ねこまた、さん⋯⋯?」

 

 

 アレスさんも俺と同様に固まってしまっているが、それでも俺達はすぐにねこまたさんの元へと駆け寄った。

 

 そう、『彼女』を──

 

 

「「──は、早まらないでくださいっ!!」」

 

「うおっ⋯⋯!?き、急になんだよお前ら⋯⋯?」

 

 

──『男湯』に入ろうとするねこまたさんを、止めるために。

 

 

「む、むしゃくしゃしてしまうのは分かりますが流石に犯罪行為は⋯⋯っ!」

 

「そ、そうですよ⋯⋯!というか、むしゃくしゃしてやる犯罪行為がそれですか⋯⋯!?」

 

 

 マジで何の躊躇もなく男湯に入ろうとするねこまたさんを引き止め、俺とアレスさんは必死に改心を懇願する。

 

 

「⋯⋯はぁ?お前ら何言ってんだ?」

 

 

 しかし、当のねこまたさんはゴミを見るような目で俺達を見ていた。

 

 

「い、いや⋯⋯ねこまたさんが男湯に入ろうとしてたから⋯⋯」

 

「はぁ?それが何⋯⋯あー、そういうことか」

 

 

 ねこまたさんは数秒考え、それから思い至ったかのように手をぽんと叩いた。

 

 そして──

 

 

「──おらっ」

 

「「──うわぁぁ!?!?」」

 

 

──着ていたシャツを思いっきりたくし上げた⋯⋯普通に胸元まで。

 

 

「なっ、なにっ⋯⋯!?何してっ⋯⋯!?」

 

「ねこまたさんっ!これ以上罪を重ねないでくださいっ⋯⋯!」

 

 

 アレスさんと俺はマジの絶叫。そして慌てて目を塞ぐ。

 

 

「⋯⋯ははっ、ビビりすぎだろ!くくっ⋯⋯」

 

 

 視界を塞いだ俺達は、ねこまたさんの笑い声にひとつの疑問を抱き、薄目で目を開ける。

 

 

「⋯⋯え?ねこまた、さんって⋯⋯もしかして⋯⋯」

 

 

 目の前には、依然上半身を露出したまま、悪戯げな笑みを浮かべこちらを見つめる──

 

 

「──言ってなかったか?ボクは男だ」

 

 

──男の子が立っていた。

 

 

 

──────────────────

 

 

 

「──なんだ、お前らまだここで突っ立ってたのか」

 

「「⋯⋯ねこまたさん⋯⋯」」

 

「すげー顔してんぞ」

 

 

 ねこまたさんの衝撃のカミングアウトの後。彼女⋯⋯いや彼は、完全に放心してしまった俺とアレスさんを無視して普通に風呂に入っていった。

 

 目の前でタオルを首にかけ、頬を上気させてこそいるものの、経過した時間から恐らく湯船には浸からなかったのだろう。

 

 

「言うてそんなショックか?別に隠してたつもりなかったんだけどな」

 

「⋯⋯いやそれは嘘でしょ⋯⋯」

 

「わざわざ言う機会なかったし」

 

「⋯⋯ずっと部屋のシャワーしか使ってなかったのは⋯⋯」

 

「いや大衆浴場が嫌いなのは本当」

 

 

 ねこまたさんは潔癖症らしく、『大衆浴場は無理』と初日に告げ、今日まで部屋にあるシャワールームしか使っていなかった。そのため、俺達は今日まで一切気づけなかったのだ⋯⋯いや絶対性別隠す目的もあっただろ。

 

 

「⋯⋯てか、普段スカート履いてますよね⋯⋯?」

 

「男でもスカートくらい履くだろ」

 

「ゔわなんですかそれ現代の価値観だと否定しづらぁっ⋯⋯!?」

 

 

 何が『隠してるつもりはなかった』だよ。

 

 

「てか、新入りはともかくアレスも知らなかったのか?」

 

「おれ、は⋯⋯」

 

「アレスさん、大丈夫ですか⋯⋯?」

 

 

 アレスさんのショックはかなり大きそうで、ともすれば俺よりも動揺している様子だった。

 

 

「⋯⋯?あー、そういうこと。なるほどなるほど」

 

「⋯⋯?ねこまたさん?」

 

「へぇ〜?」

 

 

 そんなアレスさんの様子を見て何か閃いたらしいねこまたさんは、悪戯げに目を細めアレスさんに一歩距離を詰めた。

 

 

「──お前、もしかしてボクに欲情してた?」

 

「な゙っ⋯⋯!?」

 

 

 アレスさんから凄い声が出た。

 

 

「ボディタッチとかやけに恥ずかしがるなって思ってたらそういうことかよっ。ははっ⋯⋯マジで笑えるっ⋯⋯!」

 

「な、なァ⋯⋯っ!?」

 

「ごめんなアレス?ボクは見ての通り男だから、お前の性欲を受け止めてやれないんだ。マジでっ⋯⋯ごめんっwww」

 

「ゔぁっ、ぐぅッ⋯⋯!」

 

 

 アレスさんはもはやまともな言語を発せていなかった。風呂上がりのねこまたさん以上に、その顔は恥ずかしさで真っ赤に染まっている。

 

 めっちゃ煽られたアレスさんは、ぷるぷると身体を震わせながら俺の方を見る。

 

 

「く、クーちゃんっ⋯⋯おれっ⋯⋯おれ、はぁ⋯⋯っ」

 

 

⋯⋯見ていて憐れに思うほどの動揺ぶりである。

 

 流石にフォローを入れようと、俺は渾身の美少女スマイルをかましてあげた。

 

 

「わ、私は分かってますよ⋯⋯っ!アレスさんはそんな人じゃないって⋯⋯ねっ♡」

 

「クーちゃん⋯⋯っ!!」

 

 

 俺のフォローにアレスさんは泣き崩れた。

 

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 

⋯⋯ここで『俺も実は男だ』って言ったら、この人ぶっ壊れるんじゃないか⋯⋯?

 

 

「⋯⋯そういや、カミングアウトついでに言っとくけど、ボクは最初新入りのこと男だと思ってたぜ」

 

「え゙」

 

「まぁんなわけなかったけどな。喉仏とか骨格とか、どうしようもねぇ部分ってあるし。ボク自身苦労したから分かる」

 

「やっぱ隠してたんじゃないですかっ!?」

 

「ははは」

 

 

⋯⋯にしても、単なる軽口なのかもしれないが鋭い指摘である⋯⋯もっと美少女エミュを磨くべきか。

 

 

「──ん」

 

「⋯⋯?ねこまたさん?」

 

「散歩行ってくる」

 

「え?」

 

 

 突如なにかに気づいたように顔を上げたねこまたさんは、それからすぐに会話を断ち切り外へと歩いていってしまった。

 

 いったい、どうしたと言うのか──

 

 

「──おーい!クーちゃん!アレス君ー!!」

 

「⋯⋯あぁ、そういうことか」

 

 

 響いた明るい声に振り返れば、ヒマワリさんとオリヴィアさんが階段を降りてくるのが見えた。

 

 ねこまたさんはこれを察知したのだろう⋯⋯名前の通り猫のような人だった。

 

 

「ねぇ見て!浴衣とシスター服同時に着ると、楽しい!!」

 

「⋯⋯ぐっちゃぐちゃになってますよ」

 

 

⋯⋯ヒマワリさんの服も、アレスさんの性癖も。

 

 

 

──────────────────

 

 

 

「──えっ!?二人ともねこまたちゃんが男の子だって知らなかったの!?」

 

「⋯⋯はい」

 

「ヒマワリさんとオリヴィアさんは知ってたんですか?」

 

「うん!パッと見で分かるくない?」

 

「⋯⋯全然」

 

 

 ヒマワリさんの笑顔でアレスさんが更に絶望してしまう。

 

⋯⋯先程の話し合いではまるで別人のように冷たかったヒマワリさんだが、今はすっかり元の明るい狂人へと戻っていた。マジでずっと笑顔。

 

 

「私は知り合った頃に直接聞いた。デリケートな問題だからこそ、最初に聞いておくべきだと思ってな」

 

「すごいっすね⋯⋯」

 

 

 流石オリヴィアさん。

 

 

「ただ、その時に『別に性自認がどうこうといった話ではない』とはっきり言われたよ。それ以上は聞かなかったがな」

 

「⋯⋯?なるほど⋯⋯?」

 

「具体的には、『性自認がどうこう言い出すと、そういう話題で主張をしたいご立派な方々が集まってきちゃうから──』」

 

「具体的には言わなくていいです⋯⋯!」

 

 

 凛とした声でそんな露悪的なことを言わないで欲しい⋯⋯オリヴィアさんの言葉を遮り、俺はヒマワリさんの方へと向き直った。

 

 

「あの⋯⋯それで結局、ダンジョンはどうするんですか?」

 

「あーそれね」

 

 

 先程は途中で話し合いが途切れてしまったが、最終的な結論はどうなるのだろう?⋯⋯正直、人間の犯罪云々に関わりたくは無いのだが⋯⋯ダンジョン攻略だけしていたい⋯⋯

 

 口にこそ出さないが、俺は割とねこまたさん寄りの意見だった。

 

 

「ねこまたちゃんともっかい話そうと思ってたんだけど、逃げられちゃったね〜⋯⋯」

 

「⋯⋯あの、ヒマワリさんって──」

 

 

──着信音。

 

 鳴ったのは俺のスマホである。

 

 

「⋯⋯ねこまたさん?」

 

 

 画面に表示されている名前は、先程旅館を出て行ったねこまたさん。彼女⋯⋯彼がメッセージでなく電話をかけることは珍しいため、俺の頭には疑問符が浮かぶ。

 

 

「⋯⋯?どうしたんだろう?」

 

 

 とりあえず、俺は電話に出ることにした。

 

 

「もしもし⋯⋯ねこまたさ⋯⋯ねこまたクン⋯⋯?」

 

『なんだよそのヤンキーみたいな呼び方っ⋯⋯』

 

 

 怒られてしまった。

 

 

「⋯⋯?ねこまたさん?なんか今走ってます?」

 

 

 聞こえてくるねこまたさんは明らかに息が上がっており、雑音もいくらか入っていた⋯⋯何かあったのだろうか?

 

 嫌な予感がした俺は、とりあえずこの場の全員に会話が聞こえるよう、通話をスピーカーに切り替える。

 

 

『新入り、よく聞け』

 

 

 そして、俺の嫌な予感は的中した。

 

 

『フタバがダンジョンに向かってる⋯⋯!遠くからだが確かに見えた⋯⋯今追いかけてるけど距離的にボクは恐らく間に合わない。全員に声掛けてお前らもダンジョンに来てくれ!』

 

「フタバちゃんが⋯⋯!?」

 

 

⋯⋯ありえない。ダンジョンの場所は村長など一部の村人しか知らず、子供には教えていないと初日に説明されている。

 

──フタバちゃんはダンジョンの場所を知らないはずなのだ。

 

⋯⋯それに、こんな夜中に何をしに行くつもりなのだろう⋯⋯?

 

 

『通話は繋いだままにしといてくれ!とりあえずボクがフタバを捕まえる!』

 

「わ、分かりました!」

 

 

 必死さの滲むねこまたさんの呼吸音が、まるで事態の緊迫さを表すかのようだった。

 

 

 

──ダンジョン内部──

 

 

 

「⋯⋯ここが、ダンジョン⋯⋯」

 

 

 壁に手をつき、薄暗いダンジョンを手探りで進む少女。

 

 彼女⋯⋯フタバには恐怖と緊張が見て取れたが、それ以上に見られるのは使命感と罪悪感だった。

 

 彼女は目をぎゅっと瞑り、まるで祈るようにその名を呟く。

 

 

「⋯⋯イチカお姉ちゃん──」

 

「──おいッ!」

 

 

 瞬間、その手が強く掴まれた。

 

 驚きで振り返った少女の目には、焦りと苛立ちを感じさせる少女⋯⋯いや、少年の姿が映る。

 

 

「テメェふざけてんのか⋯⋯ッ?」

 

 

 ダンジョン内のモンスターを刺激しないよう声を抑えてこそいるが、そこにはフタバを強く突き刺すような感情が込められていた。

 

 ねこまたは強い力でフタバの腕を掴み、思考を巡らせる。

 

 

──本来、このガキはダンジョンの位置を知らないはず。

 

 つまり、考えられる可能性は⋯⋯

 

 

「⋯⋯あの時だな。ボク達が村に来た初日、お前はアレスにダンジョンについて質問した」

 

 

『──ダンジョン、どうだった?』

 

 

 あの時の曖昧な問い。答えが欲しかった訳ではなかったのだ。彼女が、求めていたのは──

 

 

「──あのお兄さん、誤魔化すのが下手っぴ、だね⋯⋯?」

 

「ッ、このガキ⋯⋯ッ」

 

 

 ダンジョンについて質問されたアレスは一瞬⋯⋯ほんの一瞬だけダンジョンの方向に『視線を向けた』⋯⋯そうでなくとも、ボク達はダンジョンから一直線に村へと戻ったのだ。

 

──あの日フタバが門でボク達を待っていたのは、ボクらからダンジョンの位置という情報を引き出すため⋯⋯!

 

 そして、あの場で得られた数少ない情報のみで、フタバはダンジョンの位置におおよその当たりをつけたのだ。

 

 

「お姉ちゃん⋯⋯ここ、危険なんでしょ?私は大丈夫だから、逃げた方がいいよ」

 

「⋯⋯お前は?」

 

「私は⋯⋯ここに来なきゃいけなかったの⋯⋯」

 

 

 平坦な口調でこちらを気遣う、年端もいかない少女。

 

──不気味だ、とねこまたは思った。

 

 

「⋯⋯チッ」

 

 

──鳴き声。

 

 威嚇するようなその唸りが聞こえた時には、既に二人を捉えたオオカミのようなモンスターが、こちらに突進してきていた。

 

 

「──ふんッ」

 

 

── 一突き。

 

 ねこまたは即座に『生成』したナイフを用いて、モンスターの喉を突いた。続けざまに、動きを止めたモンスターの魔石を正確に砕く。

 

 

「⋯⋯お姉ちゃん。危ないよ」

 

 

⋯⋯たとえモンスターと言えども、目の前で生き物が血を流して絶命したにも関わらず、フタバの感情は特に動いた様子もなく、彼女は未だねこまたを心配していた。

 

 そんな様子に、やはり苛立ちが募る。

 

⋯⋯まるで『自分は何も気にしていません。恥じていません』と、不感症ぶって冷めた目を意識していた、過去の自分を見ているようで──

 

 

「──やめろ」

 

 

 考えるよりも先に、ねこまたは冷たく言い放っていた。

 

 

「どいつもこいつも、男湯がどうだのお姉ちゃんだの⋯⋯一日に二度やられると面倒が勝つんだよ⋯⋯ッ」

 

「⋯⋯?何の話⋯⋯?」

 

 

 要領を得ないねこまたの苛立ちに、少女が疑問符を浮かべる。

 

 

「いいか、よく聞け」

 

 

 ねこまたは自らの魔法『マッピング』を用いて付近のモンスターの位置を把握しながら、フタバを横目で流し見る。

 

 

「──ボクは、男なんだ⋯⋯よ⋯⋯は?」

 

 

 しかし、その視線は直ぐにフタバから外されてしまった。ねこまたの目を釘付けにしたのは『マッピング』で生成したダンジョン内の情報。

 

 

「⋯⋯なん、だ⋯⋯これ⋯⋯こんなの、見たことな──」

 

「──お姉ちゃん!」

 

 

──肉が引き裂かれる音。

 

 

「──う、ぐッ⋯⋯!?」

 

 

 一瞬の出来事だった。ねこまたがこのダンジョンの異質さとこの場における光明に気づいた一瞬の油断。

 

 先程倒したのとは別のオオカミが、ねこまたの右腕にその鋭い歯を立てていた。

 

 

「か、は⋯⋯ッ」

 

 

 それだけではない。腕を噛みちぎらんと喰らいついてくるオオカミとは別に、いつの間にかねこまたの腹部に金属片のようなものが突き刺さっていた。

 

そして、金属片は今もねこまたの腹を更に切り開こうと振動している。

 

 

「──ッ」

 

 

──この金属片自体がモンスターの一種⋯⋯!

 

 ねこまたは即座に判断するがしかし、オオカミの攻撃で右手に握っていたナイフを落としてしまったねこまたには今取れる手段が無かった。

 

 

「お、お姉ちゃ──」

 

「──フタバ!このマップのルートに沿って走れッ!」

 

 

 それでも、ねこまたは必死に自らが見つけた『道』をフタバに共有しようとする。

 

 

「え?でも、これだと壁に──」

 

「──それでいい!いいから今すぐ走れ!!」

 

 

 フタバは、ねこまたが叫んだ意味の分からない指示について更に問い詰めたかったが、ねこまたのダメージが深刻なこともまた理解していた。

 

 

「──」

 

 

 そのため、彼女はこの時⋯⋯自らの判断材料となりうる質問だけを告げることに決めた。

 

 

「お姉ちゃんは?」

 

「ボクのことはッ、いいから──」

 

 

──明らかに慣れていない手つきによる刺突音。

 

 

「──ッ」

 

 

 それは、ある程度予想できていたねこまたの返事に対して、聞き終わるよりも素早く行動したフタバによるものだった。

 

 彼女は、地面に落ちたねこまたのナイフを拾い上げ、ねこまたの腕に未だ力強く噛み付くオオカミをもう片方の手で抑えながら、冷静にそのナイフを振り下ろしたのだ。

 

 刃物を扱ったことなどほとんどないゆえ不格好な攻撃ではあったが、そこに躊躇や後悔は微塵も存在しなかった。

 

 

「ッ⋯⋯おま、え⋯⋯」

 

「お姉ちゃん!これっ──」

 

 

 刺された痛みでオオカミの身体が地に落ち、血塗れながらも自由となったねこまたの右手に、フタバがナイフを返す。

 

 彼女は理解していた。

 

──腹部の金属片を取り除くことは、自分の技術ではできないと。

 

 

「ッ、ははッ⋯⋯」

 

 

 一瞬でその意図を察したねこまたは息を止め、腹部で蠢く金属片へ正確にナイフを突き立てる。

 

 

「ぐ、ァ⋯⋯痛ッてぇ⋯⋯ッ!」

 

 

 周囲の肉ごと金属片を抉り出したねこまたは大きく息を吐き出しながらその場に倒れ込んだ。

 

 

「お姉ちゃん⋯⋯っ!」

 

「はぁ、はぁッ⋯⋯男だっつってんだろ⋯⋯ッ」

 

 

 痛みに耐えながらもねこまたは考える。

 

──恐らく次は勝てない、殺される⋯⋯ッ

 

 既に満身創痍のねこまたには、通話を繋いだスマホから聞こえてくる仲間の声に応える気力さえ残ってはいなかった。

 

 

「おね⋯⋯お兄ちゃん、よく聞いて」

 

「⋯⋯あぁ?お前もどっか怪我したのか?」

 

「ううん、そうじゃなくて⋯⋯」

 

 

 それでもなんとか、今も心配そうに身体を支えてくれているフタバの話を──

 

 

「──お兄ちゃんが教えてくれた道、壁だよ⋯⋯?お兄ちゃん、本当に冒険者なの⋯⋯?」

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 

⋯⋯聞く価値もない煽りじゃねーか。

 

 こちらを気遣いながらも訝しげな視線を向けてくるフタバを睨み返して、ねこまたは息を整える。

 

 

「⋯⋯それでいいんだよ。恐らく、マップに示した壁の先には別の空間がある」

 

「え⋯⋯?」

 

 

 通話を繋げている仲間にも伝えるため、必死に声を張って説明をする。

 

 

「はぁ、はぁ⋯⋯いつ次のモンスターが来るか分からない。早く移動するぞ⋯⋯ッ」

 

「⋯⋯壁の先もダンジョンなんでしょ?ここより安全なの⋯⋯?」

 

 

 フタバは疑問を呈しつつも、既にねこまたが立ち上がるのを手伝ってくれており、その行動には依然迷いがなかった。

 

 

「⋯⋯」

 

 

⋯⋯しかし、それは決して彼女が平気という訳では無いだろう。事実、彼女はここまで通話先からねこまたに呼びかけるダンジョン攻略組の面々に一切の反応を示していなかった。

 

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 

 意図的に無視していると言うよりは、それは無意識の行動⋯⋯防衛本能のようにも思えるものだった。

 

 まるで、受け取る情報を制限することで自らの心を必死に繋ぎ止めているかのような。

 

 

「⋯⋯」

 

「⋯⋯お兄ちゃん?」

 

 

 ねこまたはフタバの質問に暫し沈黙し、ここまでに得た不可解な情報をひとつずつ思い出してから⋯⋯

 

 

「⋯⋯⋯⋯ここよりはマシだと祈るしかない」

 

 

 短く、事実だけを伝えた。

 

 なんとか目的地まで辿り着いた二人は壁の前に立ち、ゆっくりと手を壁に押し当てる。

 

 

「わっ⋯⋯!?」

 

 

 すると、その手は音も無く壁へと溶け込んだ。

 

 

「⋯⋯すごい、手が沈んだ⋯⋯これも都会の力⋯⋯?」

 

「ダンジョンの力だろ」

 

 

 二人はそうして、壁の先へと進んだ。

 

 それが、唯一の活路だと祈りながら。

 

 

『──』

 

 

⋯⋯⋯⋯二人が完全に壁の向こうへ移動した瞬間、通話を繋げていたはずのスマホが、ぷつりと沈黙した。

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