男に戻るためにTS姿でダンジョン配信するのは本末転倒か否か!? 作:TSとはなんぞや?
——馬鹿な妹がいた。
頭が悪くて、幼稚で⋯⋯それでいて、大人に媚びることすらできない。
そんな⋯⋯そんな妹だからって、明確に扱いに差をつけるのはおかしいと、ボクはいつも思っていた。
「お兄ちゃん!遊ぼっ!!」
⋯⋯そう、思っていたつもりだった。
「お兄ちゃん見つけた!もー、今までもずっとここに隠れてたのー?」
⋯⋯うるさい。
「それにしても、本を落っことしちゃうなんて⋯⋯お兄ちゃんのそんなドジなとこ、私初めて見ちゃったかも!あはは!いつもの私みたいなドジ!」
⋯⋯⋯⋯うるさい、うるさい⋯⋯ッ
「えっへん!なんにせよ、この洞窟はもう覚えたからね!次からは別の場所に——」
——うるさいんだよッ!!
「——ぇ」
——ぁ。
「⋯⋯おにい、ちゃ——」
本当はずっと、あいつを見下してたくせに。
——ねこまた、フタバ。二人が壁をすり抜けた先の空間——
「——ん、うぅ⋯⋯っ」
頬に触れる生暖かくて湿った感触が、意識を引き戻す。
「——あら、お目覚めかしら。冒険者さん」
「⋯⋯⋯⋯はぁ?」
目の前の光景に、ついぼんやりとした意識のままに間抜けな疑問符を垂れ流してしまった⋯⋯しかし、それも仕方の無いことだろう。だって——
「——猫が、喋ってる⋯⋯?」
「良かった。身体も意識も問題なさそうね」
ねこまたの目の前には黒猫が優雅に佇み、何故かこちらの体調を気遣っていたのだから。
「まったく、人間というのはどうなっているの?貴方といいあの子達といい、生きることを望む力が弱すぎるわ。自分で自分の生を求めずに、いったい誰が貴方の命を繋ぎ止めてあげられるというのかしら?」
⋯⋯しかも、なんか説教をしてきた。
ねこまたはとりあえず一度目を擦ったが、それでも猫は消えない。
「……」
……たしか、自分達はダンジョン内のモンスターに襲われ、偶然見つけた壁の先の空間へと二人で飛び込んだのだったか。つまりここはその空間なのか?そもそもボクはどのくらい気絶していた?
目の前には未だ喋る猫という悪夢のような光景が広がっているが、それでも彼の意識は段々と明瞭になっていき、結果としてねこまたは、今最も気にかけるべきことを思い出した。
「っ、フタバは!?」
「無理に動かないで。傷が開く⋯⋯ことはないでしょうけど」
怠い身体を無理やりに起こし、ねこまたは周囲を見回す。幸い、目当ての人物はすぐに見つかった⋯⋯いや、正確に言うならば、彼の瞳に映ったのはそれだけではなく——
「——フタバちゃん!そっちいったよ!」
「う、うん⋯⋯っ!」
「⋯⋯⋯⋯は?」
視線の先では、フタバを含む複数人の子供達が不格好なボールを蹴りあって遊んでいた。予想だにしていなかった光景に、ねこまたは固まってしまう。
「貴方にもあの子にも、危害は加えていないわ。むしろ怪我を治してあげたのだから、感謝の意を示してくれてもいいのよ?」
視界に黒猫が入ってくる。猫は優雅にねこまたの身体に乗ると、これまた器用に顎を差し出してきた。
「⋯⋯」
⋯⋯撫でろとでも言うつもりなのだろうか。
「⋯⋯お前は何者だ?」
とりあえず猫の要望は無視して、ねこまたは警戒心を滲ませた声色でそう尋ねた。
「⋯⋯貴方達の言葉で言うなら、私はダンジョンコアということになるわね」
ねこまたのつれない態度に猫は軽く鼻を鳴らしたが、それでも不満を零したりはせず説明をしてくれる。
「そうか、つまり敵だな——」
「——自分を愚かに見せようとするのは感心しないわね」
『ダンジョンコア』という言葉を聞いた瞬間、躊躇無くナイフを構えたねこまたに対して、しかし猫は少しも動じず、優雅に毛繕いをするだけだった。
「貴方は既に、現状が特異であると理解している。加えて、現状意思疎通を取れている私を即攻撃するだけの無鉄砲さがあるとも思えない」
「⋯⋯分析してるつもりか?ダンジョンコアの分際で」
「私の態度が癪に障るのなら、これは命乞いということにしてもいいわ。私を殺す前に、せめて話をさせてくれない?」
「ダンジョンコアと話すことなんて——」
「——これはあの子にも関わる話よ」
「っ⋯⋯」
既に警戒から敵意の滲むものへと変わっていたねこまたの言葉を遮り、黒猫はフタバの方へと視線を向けた。
「貴方は、あの子を追ってこのダンジョンへと入ってきた。身を挺して彼女をモンスターから守ってもいたわね」
「⋯⋯フタバに聞いたのか?」
「そうでなくとも、私には分かるのよ」
ねこまたは現状に対する理解が進まないことに苛立ちを感じていた。
——通常、ダンジョンコアがダンジョン全体を観測するなんてことはありえない。ダンジョンコアはダンジョンを支配してこそいるが、それは決して知覚には繋がらないのだ。ダンジョンコアが明確に認識するのは、基本的に自らの領域⋯⋯つまりボス部屋のみ。
「⋯⋯お前、マジでなんなんだよ」
そのため、まるでダンジョン内でのやり取りを見ていたかのように語る目の前の黒猫は、明らかに普通じゃなかった。
「貴方の抱いている混乱と苛立ちは至極真っ当なものよ。私の在り方は、ダンジョンコアという存在の中でもとりわけ特異だもの」
黒猫はどこか誇らしげに、あるいは挑発的に鼻を鳴らした。
「まず、私は『このダンジョン』のダンジョンコアではないの」
「⋯⋯何を言ってる?お前自身がさっきダンジョンコアを自称したんだろ」
「ダンジョンコアというのも当然本当よ。だけれど、私はあくまでこのダンジョンに『寄生』しているだけで、ダンジョンの支配権はあくまで寄生先⋯⋯つまり、このダンジョンのダンジョンコアにあるの」
「せいぜい、操れるのはこの程度の領域だけね」と、黒猫はぐるりと周囲を見回しながら告げた。
「⋯⋯待て、お前の言葉が真実だとすると、このダンジョンには二体のダンジョンコアがいるってことか?」
「貴方達がここのダンジョンコアを討伐すれば、私は別のダンジョンに転移し新しい寄生先を探すわ。つまり、私達が敵対する必要はないの」
「⋯⋯はっ、良い命乞いありがとう」
皮肉をぶつけながらも、ねこまたは考える。前例のない状況ではあるが、ダンジョンにおいてそんなのは日常茶飯事だ。仮に黒猫の言葉が真実だとするならば⋯⋯
「⋯⋯ボクの仲間達は、恐らくボクの捜索よりもダンジョンコアの討伐を優先するはずだ」
「相手のことをよく理解しているようね。貴方も、貴方のお仲間も」
「⋯⋯はぁ」
ねこまたは大きく息を吐き、そして再度地面に寝転がった。
「⋯⋯決着がつくまで、ボクにできることはないってことか」
「貴方は既に加護を消費しすぎているもの。その身体では、私を殺すことさえ難しいでしょうね」
「⋯⋯チッ」
⋯⋯悔しいが、黒猫の言う通りだった。
「——私はどう?」
「⋯⋯フタバ」
洞窟の天井を見上げる視界の端から、ひょこりとフタバが姿を見せる。先程まで年相応の少女らしく遊んでいたはずの彼女は、先程モンスターを殺して見せたどこか超然的な空気を纏い、ねこまたを見つめていた。
「私はほとんど怪我もしてないし、お兄ちゃん達の力になれないかな?」
「⋯⋯お前、もしかしてダンジョンコアと戦おうとしてる?」
「⋯⋯これは、私の責任だから——」
「——ダメだ」
自罰的なフタバの言葉を遮り、ねこまたは冷たく言い放った。
「⋯⋯どうして?」
「お前じゃ足手まといだからだ」
「⋯⋯でも——」
「——さっきモンスターを殺したのを成功体験だと思ってるなら、今すぐ改めた方がいい。後悔するからな」
「っ⋯⋯う〜っ」
「はぁ?」
子供らしく頬を膨らませ不満を露わにするフタバを、しかしねこまたは一音で封殺した。
「⋯⋯お兄ちゃん——」
「——黙れ。同じことを何度も聞くのがガキのキショいところだって自分で自覚してるか?」
「⋯⋯⋯⋯お姉ちゃん」
「ぶっ飛ばすぞテメェ」
「まぁまぁ落ち着いて。ねぇ、説明してあげたらどう?フタバちゃんは賢い子よ。きちんと理由を説明すれば、駄々をこねることもないはずよ」
「⋯⋯は?」
「子供も大人も等しく駄々をこねることはあるわ⋯⋯そして、そこには等しく本人にとって納得できない不満と理由が存在するのだと、私はそう思うの」
「黒猫さん⋯⋯」
「⋯⋯」
⋯⋯いや、なんで。
「⋯⋯⋯⋯はぁ???」
——なぜ、ダンジョンコアに喧嘩の仲裁をされている???
「ありがとう、黒猫さん⋯⋯でも大丈夫、私がわがまま言っちゃっただけだから」
「フタバちゃん⋯⋯ねぇ、そんなふうに自分の意思を醜いもののように扱うのはやめて⋯⋯?どうして貴方達人間は、自らの自意識を消すことを美徳のように扱うの⋯⋯?」
「っ⋯⋯うぅ、黒猫さん⋯⋯ぐすん」
「大丈夫、大丈夫よフタバちゃん⋯⋯ほら、肉球でスタンプをしてあげるから」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯はぁ〜〜〜っ???」
なに一芝居打って被害者ぶっている???
「お兄ちゃん⋯⋯」
「ふふ、お兄ちゃん?」
「クソ猫、次それ言ったら殺すからな」
キラキラとした視線を絶えず浴びせてくる一人と一匹に耐えかねたねこまたは、大きく舌打ちをしてからそっぽを向いて話し始めた。
「フタバが戦えない理由は子供だからじゃない。『加護』を扱えないからだ」
「『加護』⋯⋯?」
「ダンジョンに入った人間に等しく与えられる『力』だ。肉体強度と身体能力を引き上げ、人によっては魔法を使える」
「あっ⋯⋯もしかして、お兄ちゃんがさっき使ってたやつも⋯⋯?」
「ああ。『マッピング』⋯⋯これがボク、の⋯⋯は?」
「⋯⋯?お兄ちゃん?」
ねこまたの魔法、マッピングは一度使うとしばらくは持続する。そのため、ねこまたは実際にこの空間のマップを可視化したが、しかしそれを見た瞬間驚きに目を見開いた。
「なん、で⋯⋯」
「⋯⋯あの、お兄ちゃん⋯⋯?」
「ぁ⋯⋯な、なんでもない。続けるぞ」
不安げなフタバの声で硬直から解かれたねこまたは、まるで隠すかのように乱雑にマップを消した。可視化された空間の構造と複数の光が、乱れながら慌ただしく消滅する。
「⋯⋯と、とにかく、ダンジョンで戦うならこの『加護』を扱えないと話にならないんだよ」
「私は使えないの?たしかに、お兄ちゃんみたいにすごい技を使える感じはしないけど⋯⋯」
「それが普通だ。『加護は知覚できない』⋯⋯これは絶対のルールだ」
「⋯⋯?じゃあ、私にもあるってこと?」
「ああ。ダンジョンに入った人間は等しく『加護』を得る。これも、ダンジョンのルールだ」
「だ、だったらっ——」
「——『見ることも感じることもできないだろうが、お前には翼がある』」
「⋯⋯え?」
「⋯⋯そう言われて、飛ぼうとするやつが何人いると思う?いたとして、そのうち何人が本当に飛べると思う?」
「⋯⋯それ、は⋯⋯」
「『ある』のと、『使える』のは全く別の話だ。知覚できないものを思い込みで操れなきゃ、『加護』はそこそこ硬めのアーマーとしてしか使えない」
「⋯⋯」
「『魔法は才能』だとかよく言われるが、そもそも『加護を信じられるかどうか』の時点で、冒険者はふるいにかけられるんだ」
ねこまたはそこで一度言葉を区切り、どこか自虐的な表情を浮かべて続けた。
「——つまり、冒険者は皆等しく異常者なんだよ」
ねこまたの淡々とした言葉に、フタバは目を伏せ考える。
「⋯⋯お兄ちゃん達も?」
「ああ、もちろん」
「でも、あの⋯⋯ヒーローみたいな女の人、とか⋯⋯」
「ヒーロー⋯⋯?あぁ、オリヴィアのことか。確かにアイツはお前みたいなガキ相手にも真摯に向き合うよな。さぞ立派な人間に見えるだろうよ」
「⋯⋯あの人も、その⋯⋯おかしい人、なの?」
「当然だろ?オリヴィアは才能ガチャだけは大当たりだが、それ以外は全部大外れ人間なんだよ。いちばん終わってるのは、そんな人生に本人が満足してるところだ」
「がちゃ⋯⋯?都会の言葉⋯⋯?」
「あとは⋯⋯そう、ヒマワリだ。お前らガキにガキレベルの知能で混ざって遊んでた女がいただろ」
「⋯⋯あの人は、ちょっと怖い⋯⋯」
「⋯⋯お?へぇ、ガキのくせに人を見る目はそこそこあるのかよ」
ヒマワリに対する苦手意識を見せたフタバを見て、ねこまたは嬉しそうに口元を歪めた。
「説明は充分か?言っておくが、ボクはガキの知能でも分かるよう説明したつもりだ」
「⋯⋯」
「『お前は戦えない』ってな」
フタバは賢い子供だった。それは、彼女自身の性格や才能といった部分も当然あるが、何よりも村長⋯⋯つまり、彼女の祖父による熱心な教育の賜物である。彼女は同年代の子供と比べても大人びていて、そんな自らの人間性を自分で理解もしていた。
「⋯⋯そっか」
それゆえ、この時フタバはねこまたの言葉に対して反論することができなかった。
「お前は優秀だが、まともすぎる。少なくとも、冒険者には向いてないと断言してやるよ」
——きっと自分は、『加護』という存在を信じることができない。
フタバは、まるでその事実が自らの罪だと言わんばかりに悲痛な顔を見せ俯く。
「責任を感じる必要なんてないだろ。むしろ冒険者に向いてないっていうのは褒め言葉だぜ?」
「⋯⋯うん」
「それに、お前にはここでやるべきことがある」
「⋯⋯え?」
フタバは驚いたようにねこまたを見る。彼の瞳はフタバを明確に捉え、どこか焦っているようにも感じられた。
「——あの村がやってたことを全部言え」
「っ⋯⋯」
フタバが目を見開く。しかし、その時には既にねこまたの視線は黒猫の方へと移っていた。
「お前の『言い訳』は、その後に聞いてやる」
「⋯⋯そう、貴方の魔法は『見える』のね」
黒猫は憐れむように一度鳴き、それから頷いた。ねこまたの視線がフタバへと戻る。
「あの村がやってたこと⋯⋯このダンジョンとも無関係じゃないだろ。言え」
「⋯⋯」
「⋯⋯ッ、こっちで予想してやった方がいいか?その場合、ここにいるガキ共の格好はかなりのヒントだよなぁ。えぇ?」
「っ⋯⋯」
怒りの込められたねこまたの声と視線が、フタバを突き刺す。
「⋯⋯ちょっと、あまりフタバちゃんを追い詰めるのは——」
「——大丈夫⋯⋯!」
「フタバちゃん⋯⋯?」
「大丈夫⋯⋯私は、大丈夫だから⋯⋯っ」
フタバは目をぎゅっと瞑り、しばらく必死に呼吸を整えてからゆっくりと話し始めた。
「⋯⋯⋯⋯ダンジョンから出てくる怪物に苦しめられていた私達の村は、ある時ダンジョンを鎮めるために子供を生贄として差し出したの」
「⋯⋯」
「捧げられたのは、私のお姉ちゃんだった」
「っ⋯⋯」
ねこまたは何も言わなかったが、小さく息を呑んだ。
「⋯⋯でも、しばらく経ってもダンジョンは鎮まらなかった⋯⋯むしろ、怪物の数は増え続けて⋯⋯」
「当然だな。ダンジョン相手に人間を捧げるなんて、拡大の餌にしかならない」
「⋯⋯うん、だから——」
フタバはそこで一度言葉を区切り、小さく深呼吸した。
「——二人目が捧げられたの」
「っ、チッ⋯⋯」
舌打ちが洞窟内に響く。
「二人目は、お姉ちゃんと仲の良かった年長の子だった⋯⋯」
「⋯⋯で?あの村は今日まで意味もなく餌を捧げ続けたのか?意味無いどころか利敵行為なんだよ⋯⋯ッ」
「⋯⋯ううん、意味はあったの」
「⋯⋯なに?」
それは、現状からある程度の事情を予想していたねこまたにとっても、想定外の事実だった。
「⋯⋯お前、今なんて言った?」
「意味は、あったんだよ⋯⋯二人目の生贄を捧げてから、しばらくダンジョンから怪物が出てこなくなったの」
「⋯⋯ありえない」
「⋯⋯そう、なの?」
冒険者であるねこまたとフタバでは当然ダンジョンについての知識に差がある。フタバには、ねこまたが驚いている理由が分からなかった。
「⋯⋯でも、この村ではそうだったんだよ。それが、真実だった」
「⋯⋯いや、いや待て。やっぱりそれはおかしい——」
「——真実として扱われたの」
「⋯⋯っ」
珍しく、フタバが強めに声を発した。
「⋯⋯だからこそ、今まで私達は神様に生贄を捧げてきたの⋯⋯」
「⋯⋯神様、ね」
⋯⋯恐らくは、そういった『物語』を騙って正当化を主導したヤツがいるのだろう。
「⋯⋯で、捧げられたのがここにいるガキ共って訳か」
「⋯⋯⋯⋯ここにいるのは、六人目以降の子達だった。」
「っ⋯⋯」
⋯⋯フタバは泣いたり喚いたりはしなかったが、精神的に限界が近いことは明らかだった。ねこまたは一旦彼女への質問を止め、代わりに黒猫の方へと振り返る。
「おい猫、お前の番だ」
「⋯⋯ええ」
黒猫はねこまたの鋭い視線を受け止め、短く頷いた。
「⋯⋯まずひとつ——」
ねこまたは一瞬フタバへと視線を向け、それから声を落として聞いた。
「——フタバは知ってるのか?」
「⋯⋯いいえ」
「っ⋯⋯」
⋯⋯これから告げる真実は、フタバにとってかなりの精神的負担になるだろう。ねこまたはフタバにこの先を聞かせるべきかを判断しなければならなかった。
「貴方にも、フタバちゃんにも、当然説明するつもりよ⋯⋯たとえどれだけ残酷だろうと、それは必要なことだもの」
黒猫は、まるで見透かしたようにねこまたの心中に答え、それから遠くの方で未だボールを蹴りあっている子供達へと視線を向けた。
「——あの子達は、既に人間ではないわ」
「⋯⋯ぇ?」
「⋯⋯」
黒猫の言葉に、フタバが呆然と顔を上げる。言葉の全容を理解できなくとも、その顔には深い絶望が刻まれていた。
「⋯⋯願望体か?」
「その呼称は聞いたことがないけれど、恐らく貴方の想像通りね」
——願望体。
『願いに反応する』というダンジョンコアの性質に触れ、影響を受けた人間を指す言葉。大抵の場合、それは『ダンジョンコアの力で願いを叶えた』状態である。
「質問をする前から、貴方はそれを理解していたようね」
「⋯⋯」
ねこまたは無言で自らの魔法⋯⋯『マッピング』で作り出したダンジョンの構造図を展開する。この空間を示すマップには、赤く点滅する光が複数存在していた。
「⋯⋯僕の魔法は人間の位置情報を捕捉できない。つまりできるのは、人間以外⋯⋯」
多くの場合、それが示すのはモンスターの存在。しかし——
「——願望体も、含まれる」
現在、マップにはねこまたとフタバを除く『全生命体』が捕捉されていた。
「答えろ、お前は何を企んでる?」
ねこまたは鋭く黒猫を睨みつけ、そう言った。
願望体を相手にする時、最も重要なのは『願いの方向性』である。あの子供達は、目の前のダンジョンコアによってどう変えられたのか。ねこまたは、それを慎重に判断しなければならなかった。
「⋯⋯?ここまでの聡明な貴方にしては、どこか盲目的に感じる言葉ね」
「⋯⋯なんだと?」
黒猫は疑問を抱いたかのようにねこまたをじっと見つめ、それから小さく鳴いた。
「貴方の言葉はまるで、私が悪意を持って彼らにダンジョンコアとしての力を使ったと信じきっているようだわ」
「⋯⋯?それの何がおかしい?もしかして言い訳のつもりか?」
「ふむ⋯⋯」
黒猫は数秒、考えるような仕草を見せた。
「⋯⋯最初に私が言った言葉を覚えてくれているかしら?私は貴方と敵対するつもりはないの」
「ボクはその言葉を信じていない」
「⋯⋯相手の言葉を一切信じずに、どう真実を見定めるつもり?」
「今この場における真実は『これ』だけだ」
ねこまたの手元で、マップがくるりと回る。規則的に点滅する赤い印は、まるで心臓の鼓動のようだった。
「お前は人間を願望体に変えた。お前自身もボクのマップに捕捉されていることからダンジョンコアであることは確定⋯⋯だが『寄生』云々の話には証拠が無い。案外、お前を殺せば全部丸く収まったりするんじゃないか?」
「貴方が願望体と呼ぶ子供達を少しでも気にかけているのなら、その選択は間違いと言わざるを得ないわね」
「⋯⋯お前は敵だ」
「本当にそうなら、貴方は既に死んでいるはず。分かっているでしょう?」
「⋯⋯ッ」
核心を避けるような会話に、ねこまたは舌打ちを零すが⋯⋯しかし実際のところ、この場で会話を引き伸ばしているのはねこまたの方だった。彼は先程から、『ダンジョンコアが人間を願望体に変えた』という事実一点のみを槍玉に上げ、黒猫を非難し敵視している。
「⋯⋯これから告げる事実は、もしかしたら貴方にとっては酷く残酷なものとなるかもしれない。詳しい理由や背景が分からずとも、私には貴方の深い動揺が感じ取れるもの⋯⋯」
「ッ、黙れ⋯⋯人間のようなことを言うな⋯⋯ッ」
しかし、ねこまたはここまで『動機』を聞こうとしなかった。いや、そもそも『願いの方向性』すら、自らの憶測でもって決めつけ、黒猫の口から真実が告げられることを恐れていたのだ。
「⋯⋯私が、あの子達を変えたのは——」
「⋯⋯ダンジョンコアは、悪⋯⋯そう、でなきゃ⋯⋯ッ」
息を荒らげ、過呼吸気味に黒猫の言葉を遮ろうとするねこまたの姿は、もはや滑稽ですらあった。黒猫はそんなねこまたを憐れむように一度言葉を区切り——
「——あの子達の命を、延命するためよ」
意識して無機質に、そう告げた。
「⋯⋯」
——沈黙。
黒猫の言葉を咀嚼するようにしばらく俯いていたねこまたは、しばらくの沈黙を経てから殺意で満たした視線を黒猫へと向けた。
「⋯⋯そんな、訳が⋯⋯ないだろう」
「本当のことよ。私はこのダンジョンに寄生してから、生贄として捧げられた子供達を自らの領域へと誘い、そして延命のために力を行使した」
「⋯⋯有り得ない」
「彼らの話を聞いた私は、すぐにこの子達を村に帰す訳にはいかないと気づいたわ。しかし、人間をこの洞窟にずっと匿うことは不可能だった⋯⋯単純な理由よ。人間は食事をしないと生きられないもの」
「やめろ——」
「——私が叶えたのは彼らの『死にたくない』という願い。私はダンジョンコアの力でもって、『食事を必要としない身体』にあの子達を作り変えたの」
それは、ダンジョンにおいて酷くありふれた願いで、それでいて何より単調で平凡な『叶え方』だった。
「⋯⋯それは、ダメだ」
だからこそ、ねこまたはこの事実を受け入れられない。
「⋯⋯ダンジョンコアは、そんなことをしない」
「⋯⋯」
「気の毒そうな顔をするな⋯⋯ヤツらはもっと⋯⋯悪意でもって人間の願いを弄ぶんだ⋯⋯そんな、そんな最低な存在を、ボクが⋯⋯この、ボクが⋯⋯」
呆然と言葉を零すねこまたはどう見ても普通ではなく、その瞳は暗く濁っていた。
「貴方は、ダンジョンという存在を酷く憎んでいる⋯⋯きっとそれは、貴方が今まで信じてきた『真実』なのでしょう」
「⋯⋯やめろ」
「だけれど⋯⋯貴方は理解しなくてはならないわ。これは、単なる普遍的な事実でしかないと」
「やめてくれ⋯⋯ッ」
「人間という種に、一人一人差異があるように——」
「——」
「——ダンジョンコアにも、それぞれ違いがあるというだけの話なのよ」
その言葉と同時に、ねこまたの身体は支えを失ったかのように膝から崩れ落ちた。
「⋯⋯」
ねこまたは今まで、ダンジョンコアという『悪』を殺すことで自らの心を慰めていた。それはねこまたにとってある種の復讐であり、代替であり⋯⋯そして何より正義だった。
しかし、この瞬間⋯⋯
「⋯⋯はは」
——ねこまたは、ダンジョンコアを殺す『正当性』を信じきれなくなった。
「⋯⋯」
電源が切れたかのように動かなくなったねこまたを、黒猫は心配そうに見つめるが、しかしそれ以上言葉をかけようとはしない。重苦しい沈黙だけが、場を支配していた。
「⋯⋯黒猫さん」
「⋯⋯フタバちゃん」
しばらくの後、沈黙を破ったのはフタバだった。彼女はねこまたに近づき、その小さな身体で優しく彼を抱きしめながら、黒猫の方へと視線を向ける。
「⋯⋯」
⋯⋯しかし、その瞳には未だ深い絶望が刻まれており、フタバの精神もねこまたと同様危険な状態であることを示していた。
「⋯⋯フタバちゃん。もしかしたら貴方は、私が意地悪で彼に厳しい言葉をかけていると思っているのかもしれない」
「⋯⋯」
「本当に聡い子ね⋯⋯貴方は決して半端な情報で事実を決めつけ、他者を糾弾したりしない。出会ってから、その思慮深さには驚くばかりだわ」
「⋯⋯⋯⋯」
ねこまたへの当てつけだと思ったのか、フタバは彼を抱きしめる力を強めた。黒猫は無機質な声を意識したまま、言葉を続ける。
「けれど、これは必要なことなのよ⋯⋯私の責任と言い換えてもいいわ」
「⋯⋯責任?」
「ええ、責任よ。私はあの子達に⋯⋯取り返しのつかないことをしてしまったもの⋯⋯」
黒猫はちらりと、遠くにいる子供達へ視線を向ける。先程まではボールを蹴って遊んでいた彼らだが、今はこちらの重苦しい空気を察してか、静かにこちらの状況をちらちらと窺っていた。
「彼らを村に返すことも、餓死させることも私は許容できなかった⋯⋯けれど、私には彼らに人間としての尊厳、そして幸福を与えてあげられるだけの力は無かったの⋯⋯」
黒猫はダンジョンコアとしての力を行使する際、相手に自らの力を詳細に開示し、必ず本人の同意を得ていた⋯⋯しかし、恐怖や痛みからただ逃げることだけを考え必死に頷く子供達を見る度に、罪悪感と深い悲しみを覚えてしまうのだった。
「——彼らの人生を奪い、在り方を変えてしまった私には、この空間とあの子達を守る責任がある⋯⋯『敵対しない』というのは、決して貴方達に対する懇願ではなく、私自らが定めた決意なの」
黒猫は強く、はっきりと宣言した。
「⋯⋯決意」
それは力強く、自らを奮い立たせるもの⋯⋯しかし、フタバにとって決意という言葉は、他者から押し付けられるものであり、自らの行いを正当化するためのものであり⋯⋯何より後ろ向きなものだった。彼女はここまで前向きな決意を今まで見たことがなく、それゆえ目の前の黒猫を理解できず、もはや恐怖すら抱いてしまっていた。
⋯⋯いや。以前にも、似たような感情を見たことがあったかもしれない。
『——ふん!あたしはいつか絶対、都会に出てやるんだから!』
——もし、『あの人』ともっと話をしていたら、理解できたのだろうか?
「⋯⋯っ」
現実逃避じみた思考を経て、最終的にフタバの口から出力されたのは⋯⋯
「⋯⋯お兄ちゃんは、悪い人じゃないの⋯⋯」
「⋯⋯?」
「お、お兄ちゃんだけじゃ、なくて⋯⋯お兄ちゃんの仲間の人達も⋯⋯あの人達は、ダンジョンの調査に来ただけで⋯⋯それで、それで⋯⋯っ」
「フタバちゃん⋯⋯?」
「——お兄ちゃん達のこと、殺さないで⋯⋯!」
命乞いだった。
フタバは賢い子供である。彼女はここまでの黒猫の言葉を理解できていないわけでも、ねこまたのように偏った思想で意味を曲解している訳でもない⋯⋯
「⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯っ」
彼女は単に、子供らしく混乱しパニックを起こしているに過ぎなかった。
「⋯⋯そんなに怯えた目をしないで、フタバちゃん。私は当然、貴方にも彼にも危害を加えるつもりなんてないわ。貴方達二人は、問題なくダンジョンを出られる」
「⋯⋯え?」
黒猫はフタバを安心させるため、柔らかい声色で告げたが、しかしそれを聞いたフタバの目には、さらに深い絶望が現れる。
「⋯⋯それは、だめだよ」
「え?フタバちゃん⋯⋯?」
「そんなの、許されない⋯⋯っ」
フタバの瞳には、恐怖とともに自罰的な感情を元とするであろう強迫観念が見て取れた。
「生贄になった皆を置いて、私だけ外に帰るなんて⋯⋯そんなの、許されるわけがない⋯⋯っ」
「⋯⋯フタバちゃん、よく聞いて。ダンジョンコアとしての私の力は『他者の観測外』でしか力を発揮できないの」
「⋯⋯?」
「私はあの子達を食事の必要がない身体に変えたけれど、それはあの子達がこの領域内にいるからこそ叶うことなのよ」
「⋯⋯黒猫さんが何を言ってるのか、分からない⋯⋯」
「⋯⋯つまり、あの子達が外に出た場合、『本来餓死しているはず』という矛盾に耐えることができない。領域外に対する私の力は本当に微々たるものなの⋯⋯怪我を治す程度ならともかく、生死を長期間誤魔化せるのは領域内でしか叶わない『願い』⋯⋯つまり、彼らはもう一生、私の領域から出られないの」
「っ⋯⋯」
「だからね、フタバちゃん——」
黒猫は言葉を吟味するように数秒沈黙し、それから無機質な声を意識して告げた。
「——『許す許される』ではなく、『できるかできないか』で考えるべきだわ」
「っ⋯⋯」
「現状、私の影響下に無いのは貴方達だけ。冒険者さんの方は傷を治しているけれど、この程度なら外に出ても問題ないはずよ。万が一傷が開いてしまったとしても、どうにかできるでしょう?」
黒猫の声に、自罰的な色が混じる。
「私は、決してあの子達を救ったなんて思っていないわ。むしろ、辛い選択をさせてしまったかもしれないと思っている⋯⋯だからこそ、貴方の考え方を肯定することは絶対にできないわ」
「っ⋯⋯」
黒猫は真摯に言葉を重ね、フタバを説得したつもりだったが、しかしそれらの言葉はフタバの罪悪感を刺激することしかできなかった。
「⋯⋯わたし、なんかが——」
「——私達のことは気にしないでっ!」
——幼い声。
それは、ここまで遠くからずっと様子を静観していた願望体⋯⋯生贄として捧げられた子供達から発されたものだった。駆け寄ってきた彼らは俯くフタバの手を取り、必死に自らの意志を伝える。
「フタバちゃんはずっと村のために頑張ってたんだから、私達に罪悪感を感じる必要なんてないよ!」
「フタバちゃんが良い子だって、俺達は知ってるし⋯⋯」
「⋯⋯」
⋯⋯フタバには、理解できなかった。
「⋯⋯どう、して」
村長の跡継ぎとして期待されていたフタバの私生活は、とても自由とは言えないものだった。遊ぶ時間はおろか、外に出られる時間すら厳格に定められ、彼女は一日のほとんどを勉強部屋で過ごしていた。
「私、あなた達とほとんど話したことないのに⋯⋯」
そのため、村の子供達と遊んだ経験など、フタバにはほとんどない。まともに接したことすらない彼らが、必死に自分を励ましてくれている現状が、フタバには理解できなかった。
「確かに、村ではほとんど話したことないけど⋯⋯でも、フタバちゃんのことはよく知ってるよ!だって——」
「⋯⋯?」
「——いっつもイチカちゃんがそう言ってたから!」
「ぇ⋯⋯」
——イチカ。
それは、フタバにとって決して忘れることのできない名前であり、大切な人。
「お姉ちゃん、が⋯⋯本当に私のことを⋯⋯?」
「うん!いつも村のためにお勉強をしてて、だからすっごく頭が良いんだって、自慢してたよ!」
「イチカって、基本フタバか都会の話しかしてなかったよな」
「都会の話の方が、ちょっと多かったかな⋯⋯?あはは⋯⋯」
「⋯⋯お姉、ちゃん」
——回想——
「——ねぇ」
「⋯⋯お姉ちゃん?」
勉強部屋の扉を乱雑に押し開け、イチカはぶっきらぼうに妹へ声をかけた。
「あんた、朝からずっと部屋で勉強してたわけ?」
「⋯⋯うん。おじいさまに、そう言われたから」
「っ⋯⋯何それ、あたしへの当てつけのつもり?」
「ぇ⋯⋯ちっ、違う⋯⋯!わた、し⋯⋯そんなつもりじゃ⋯⋯」
か細い弁明を意にも介さず、イチカは大股で妹へ近づき、後ろ手に隠したものを差し出した。
「はいこれ。あげる」
「⋯⋯何これ、お花?」
「花冠よ。部屋にこもってばっかのあんたじゃ、見たこともないでしょうけど」
イチカは乱暴な口調に反して丁寧に花冠をフタバに被せ、それから釘を刺すように耳元へ口を近づける。
「あんたは、勉強のできないあたしを馬鹿なヤツだと見下してるんでしょうけど、あたしだって、あんたにできないことがたくさんできるの。おじいさまに気に入られてるからって、あんまり調子に乗らないでよね」
「⋯⋯」
⋯⋯結局のところ、これは姉から妹へのマウント行為でしかなかった。
それでも⋯⋯
「⋯⋯嬉しい」
——姉からの初めてのプレゼント。
フタバは、愛おしそうに頭の花冠を撫でる。
「⋯⋯ふん。それ言いに来ただけだから」
「ぁ⋯⋯ま、待って⋯⋯!」
「⋯⋯?なに?」
自分を嫌っている姉が話しかけてくれたこの貴重な機会を終わらせたくなくて、珍しくフタバは自らの意志を口にした。
「え、えっと⋯⋯」
「⋯⋯なんなの?用がないなら、あたしもう行くけど」
しかし、口下手なフタバは上手く言葉を紡げず、それをおちょくられているように感じたのかイチカの機嫌はどんどんと悪くなっていく。
「⋯⋯お姉ちゃんは、手先が器用、なんだね⋯⋯っ」
「っ⋯⋯」
拙い声と笑顔ではあったが、それを聞いたイチカは目を見開き、それから目を逸らして髪をいじり出す。
「⋯⋯あっ、当たり前でしょ!このくらい当然よ!あたしは将来、都会でアクセサリーを作る仕事をするんだから⋯⋯っ!」
「え?そ、そうなの⋯⋯!?」
「あっ、しまった⋯⋯」
つい零してしまった言葉にイチカは慌てて口を塞ぐが、しかしフタバは興奮気味に姉へと詰め寄る。
「と、都会でお仕事するの⋯⋯!?さすがお姉ちゃん、すごい⋯⋯!」
「っ⋯⋯ふ、ふーん?まぁ、あたしがすごいのはあたしがいちばんよく分かってるけど?」
——優秀な妹が、目を輝かせて自分を称賛している。
『調子に乗るな』というのは無理な話だった。
「よく聞きなさいフタバ。あたしはいつか、こんな田舎出て都会に行くの。それで、自分の夢を叶えるのよ」
「⋯⋯夢」
フタバには、イメージのつかないぼんやりとした言葉だった。そのため、自信満々にその言葉を発する目の前の姉が、フタバには眩しかった。
「もちろん簡単な事じゃないわ。都会にはすごい人がたくさんいるし、あたしみたいな田舎者がやっていくのは難しいかもしれない⋯⋯」
「そう、なの⋯⋯?」
「でも、都会に出なきゃ夢を見ることすらできないの」
——都会で、自分の考えたデザインのアクセサリーを作りたい。
イチカの夢は、言ってしまえばまだ子供ながらの憧れでしかなかったが、しかし彼女はこの村の誰よりも自らの未来を真剣に考え、信じ、そして焦がれていた。
「⋯⋯すごい」
⋯⋯そんな姉を、ついにフタバは直視することができなくなってしまった。俯き、小さく零れるその言葉には、自分に対する諦めが含まれている。
「本当に、すごい⋯⋯」
「⋯⋯はぁ、何よその顔。どうせ無理だって思ってる?」
「ぇ⋯⋯ちっ、違う⋯⋯!」
「本当?そんなふうに見えたけど」
「⋯⋯」
「はぁ、またそれ?」
沈黙してしまうフタバにため息を吐いたイチカは、数秒葛藤するように考えてからフタバに背を向け、髪をいじり出した。
「⋯⋯信じられないって言うなら、証明してやるわよ」
「⋯⋯え?」
「あたしが都会に出て夢を叶えたら、あんたを都会に招待して案内してあげるって言ってんの」
「っ⋯⋯」
「安心しなさい。あたしのアクセサリーであんたを飾り付けてあげるから、あんたが田舎者だってバレることもないわ」
「⋯⋯アクセサリー、くれるの?」
「ええ。その頃には、その花冠なんて目じゃないものを作れるようになっているはずだもの」
「⋯⋯」
「そう、そこであんたは理解するのよ⋯⋯あたしは落ちこぼれなんかじゃないってね!」
イチカの言葉には段々と熱が入り始め、彼女は妹へと振り返り挑戦的な笑みを見せる。
「——これは『約束』よ。ふふん、その時が楽しみだわ!あんたもせいぜい楽しみにしていることね!」
そう宣言すると、彼女は逃げるように部屋を後にしてしまった。
「ぁ⋯⋯わ、わたし——」
勉強部屋にはいつもの静寂が戻り、フタバはまるで何かを確かめるかのように、もう一度頭の花冠を撫でた。
————————————————————————
「うぅ、お姉ちゃん⋯⋯っ」
あの時、伝えるべきだった。
『ぁ⋯⋯わ、わたし——』
直接、はっきりと口にしなければいけなかった。
「——『私も、楽しみにしてる』って⋯⋯っ」
——もう、それを直接伝えることはできない。
「⋯⋯」
子供達は真摯にフタバを励ました。彼らは状況が分からないながらも、フタバの負担や足枷になるまいと言葉を紡ぎ、笑顔を見せたのだ。
しかし⋯⋯
「——やっぱり、無理だ⋯⋯」
「⋯⋯フタバちゃん?」
しかしそれは、『苦しい境遇ながらも村長として村をまとめあげるという決意を固めた人間』に対するもの。それこそが、子供達のフタバへの認識であり、彼女の姉⋯⋯イチカの持つ認識でもあった。
⋯⋯だからこそ、それはフタバの背中を押す言葉としては機能しない。
「⋯⋯私、おじいさまに黙ってこのダンジョンに来たの⋯⋯あの人の言いつけを破って⋯⋯だからもう、戻れない」
フタバの絶望はどんどんと色濃くなり、その声色には段々と怒りが混じり始める。
「そもそも私はっ⋯⋯!もう、あんな村で生きていきたくない⋯⋯!あんな、最悪な村⋯⋯っ」
——『最悪な村』
⋯⋯いつも、
「なんで、いなくなっちゃったの⋯⋯!『約束』、楽しみにしてたのにっ⋯⋯!それだけを理由に、私は⋯⋯っ」
感情が決壊し、涙が零れる。既に彼女の内から湧き上がる後悔は村や子供達というよりも、姉一人に対するものへと変化していた。彼女は子供らしく、最も好きで大切なものだけを欲し胸中を晒す。
「⋯⋯私はもう、生きていけない」
きっと、姉が生贄に決まったあの日から、もう——
「——慰めてやるよ」
「⋯⋯え?」
——呆然とした声。
どこまでも虚ろなそれを発したのは、ねこまただった。彼はゆらりと立ち上がり、フタバに手を差し出している。
「ボクが今から、お前を慰めてやる」
「⋯⋯」
——慰めが必要なのは明らかにそっちでは⋯⋯?
その場の誰もがそう思ったが、しかしねこまたは気にせずフタバを見つめる。そこから彼はちらりと視線を子供達の方に向け⋯⋯
「散れ。お前達は邪魔だ」
⋯⋯そう言い放った。
言葉の割に覇気のない声色に、子供達は困惑と心配を募らせるが、フタバが小さく頷いたのを見て、最終的にはねこまたから距離を取ることにした。
「⋯⋯慰めるって、急になに?」
「⋯⋯ああ」
洞窟の壁に背を預け、二人は隣合って座る。
「今から、ボクの過去を回想してやる」
「⋯⋯?なんで?」
「それがお前の慰めとなるからだ」
フタバには理解できなかった。言葉の意味ももちろんそうだが⋯⋯
「どうして⋯⋯?」
そうする理由が、分からなかった。
「⋯⋯ボクはきっと、もうダンジョンコアを殺して心を慰めることができない」
黒猫の言葉と行動により、ねこまたは理解したくもない『多様性』を理解してしまったのだ。
「だから、せめてお前を慰めることで、ボクは自分の心を慰める」
「⋯⋯」
——明らかに正気ではない。
フタバはそう思ったが⋯⋯しかし彼女にもまた、ねこまたを気遣える程の余裕なんて既に存在していなかった。虚ろな目の二人は、ただ無言で隣合う。
「——私も耳を塞いでおくべきかしら?」
——優雅な声。
二人の雰囲気と打って変わり、その声の主である黒猫は軽やかに尋ねた。
「⋯⋯ああ、散れ」
「分かったわ。でもごめんなさい、私は領域内の情報を全て受け取ってしまうの。遮断はできないわ」
「できないなら聞くな!!」
なんだコイツ⋯⋯!?
ねこまたは思わずツッコんだが、しかし復活した気力は長く続かず、彼はまた深いため息とともに目線を地へと向けた。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
——沈黙。
しばらく呼吸と思考を整えてから、ねこまたは話し始めた。
「心を慰めるのに最も適した方法は、『自分より不幸な他者と自らを比較すること』だ⋯⋯どう思う?」
「⋯⋯」
唐突な質問に、フタバは考える。
「⋯⋯そんなことをしたって、現実が変わるわけじゃない。少なくとも、『最も適した方法』では無いと思う」
「ボクも同じ考えだ」
「⋯⋯え?」
「⋯⋯だが、ボクはこの方法しか知らない」
実に自嘲的な言葉だった。
「お前はもうあの村で生きていけない。そもそも姉の死が確定した時点で生きる気力は無くなったんだろうな。今日までお前を生かしていたのは『姉の死を直接見ていない』⋯⋯つまり『姉の死に不確実性が存在する』という曖昧な理由のみだ」
「⋯⋯知ったようなことを言うんだね」
「分かるさ。ボクも同じだからな」
「⋯⋯?」
「ボクも⋯⋯田舎出身なのさ」
「え⋯⋯」
意外だった。ねこまたが明らかに田舎と言う存在を見下していたのは彼が都会の人間だからではなく、むしろ——
「——最悪な村だった」
ねこまたの声色にはやはり軽蔑が混じっていたが、今回その感情はむしろ彼自身へ向いているように、フタバは感じた。
「ボクの祖父は村長ではなかったが、しかし実質的に村を支配していたし、村人からは神様みたいに崇められてた⋯⋯」
「それっ、て⋯⋯」
「似てるだろ?お前の境遇と」
ねこまたは力なく笑う。
「ボク達は似ているし、それでいてボクの方が『最悪なこと』を経験してる。慰めにはうってつけだろ⋯⋯お前にとっても、ボクにとっても⋯⋯」
「⋯⋯『最悪なこと』って?」
「⋯⋯」
ねこまたはしばらく沈黙し、それからぽつりと零した。
「——ボクは、妹を殺してるんだ」