サイレンススズカの娘。   作:宮川 宗介

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第十六話

*

 

熱心なレースファン以外にはあまり知られていないことだけど、プレオープンにはハンデキャップ制度が採用されている。

 

ハンデ戦ではレース前に係の人からハンデに応じた鉄のインゴット(なぜか俗に斤量と言われている)が手渡され、これを目立たないゼッケン裏のボタン付きポケットに入れるのだ。

 

ハンデの決め方はインゴットの重量580gを基準に、まず一番強いウマ娘のハンデを決める。

そこから理論的には全ウマ娘が同時にゴールできるよう、5g単位でハンデを調整していく。

 

つまり直近の成績の良いウマ娘には重い斤量が課せられ、最近不調に陥っていたり、まだ実績のないウマ娘には軽いインゴットが与えられるシステムというわけだ。

 

今はプレオープンにしかハンデ戦は存在しないが、昔は重賞クラスのレースでも採用されていた。

 

実はセントライトさんが引退を余儀なくされた理由のひとつが、このハンデキャップだった。

初代三冠ウマ娘になった彼女はあまりにも強すぎたため、GⅠ以外の重賞レースに出走しようと思えば、最低でも720gものハンデを背負う必要があった。

 

当時は強いウマ娘は重い斤量を課せられて当然、それを克服して勝ってこその名ウマ娘、と考えられていた時代だ。

 

セントライトさんはそれでもレースに出る、と言い張ったそうだ。

だがさすがにトレーナーが『シニア1年めのウマ娘に、そんなハンデを背負わせて戦わせるわけにいかない』と引退を勧告し、彼女はそれを受け入れて結果的に三冠ウマ娘で唯一、シニアでの成績のないウマ娘となった。

 

そして時代を経るごとに『強いウマ娘に過剰な負担を強いるハンデは本当に必要なのか?』という声に押されて、重賞やオープン戦でのハンデ戦は姿を消していく。

 

なのになぜ未だに、プレオープンだけ【強いウマ娘に負担を強いる】ようなレースが残っているのか。

 

プレオープンはURAが主催しているレースの中で、もっとも所属しているウマ娘が多い、ボリュームゾーンのクラスだ。

 

彼女たちの中には毎回掲示板に載っているような、ほぼオープンクラスと実力が遜色ない娘もいれば、8着入賞すれば立派なもの、といった娘もいてウマ娘の力の差が激しい。

 

こんな状況だと実力下位のウマ娘たちのモチベーションは削がれるし、見てくれているファンの人達もレース結果が予想しやすくなってしまう。

 

出走人数が多く、開催日に何本もプログラムに組み込まれているプレオープンのレースがこれでは、レース場に足を運んでくれているファンたちも面白みに欠ける。

 

その問題を解決するために力の差を均等化させ、どのウマ娘にも勝利のチャンスが巡るように(そして観戦者たちがエキサイトできるように)、URAのハンデキャッパーがハンデを調整するのだ。

 

コアなファンの中には『力の差がそのまま結果につながりやすいオープン戦や重賞レースより、ハンデのあるプレオープンのほうが結末が読めなくて面白い』という人もいて、そのことがハンデキャッパーの優秀さを裏付けている。

 

あまりレースに詳しくない人は、『ウマ娘は力持ちだし、たった数十グラムのハンデの差で結果が変わるの?』と疑問に思うことも多い。

 

その疑問への回答として、昔からよく使われる例え話がある。

 

オリンピックや世界選手権などの大きな大会で、100mを競う陸上選手のポケットにたった数十グラムでも余計な重りを入れている選手がいたとしたら。

 

その選手に1万円を賭けたいと思う人はいないはずだ。

 

競技のレベルが高くなればなるほど、競技者の実力や環境を含めたあらゆるもののわずかな差が、結果を大きく左右する。

そのわずかな差をさらに微調整し、勝率をできるだけ均等化しようというのが、ハンデ戦の趣旨なのだ。 

 

*

 

レース場に入場し、控室へ来ると心も体も戦闘モードに入る。

気持ちを昂らせ、闘争心を燃え上がらせることは大切だけど、入れ込みすぎてもいけない。

私はその心の火加減を、レース準備をルーティーン化することで調整していた。

 

「今日のこれ、やっぱり少し軽いわね」

 

そのルーティーンに従い、いつもと同じように体操服に着替えて鉄製のインゴットをゼッケン裏に忍ばせた私は、苦笑しながらトレーナーさんの前で何度かぴょんぴょんとジャンプしてみせた。

 

「そうか。……まぁ仕方ないかな。今までレイナはトップハンデに近いインゴットを与えられてきたから、余計にそう感じるのかもしれないね」

 

レース当日の出走者データを確認していた彼はノートパソコンの画面から私に視線を移すと、一呼吸置いて小さく笑った。

 

今日の私のハンデキャップは、520g。

これは今日の出走者の中では軽い方だ。

 

与えられるインゴットは、軽ければ軽いほど当然勝ちやすい。

でもハンデが軽いということは、言ってしまえば出走者の中では実力下位と見られているということであり、素直に喜べるものじゃない。

 

ここのところ11着、6着、7着と不甲斐ない結果が続いているだけに、仕方ないと言ってしまえばそれまでなんだけど……やっぱり少し、悔しかった。

 

「担当に軽ハンデを与えられることは俺もトレーナーとして残念に思うけど、ポジティブに見るなら、勝つチャンスが大きくなったってことでもある」

「……そうね」

 

その思いが顔に出ていたのだろうか。

私の心中を見透かしたような彼のフォローに、片眉を下げて相槌を打つ。

なかなか素直に頷けないけど、トレーナーさんの見解には一理あった。

 

「それに、今日は特に強い娘がいるからね。レイナの動きも良くなってきてるけど、勝ち負け狙っていくなら、正直言ってこのハンデキャップはありがたい」

「まぁ、確かにね……」

 

トレーナーさんがこちらへ向けてくれたノートパソコンを見ながら、私は平坦な声で相槌を打つ。

 

今日トップハンデを背負うのはセキシュウサイさんというシニア2年めのウマ娘で、その斤量は595g。

 

彼女はここ3戦、2着3着2着と好走しており、22戦のキャリアの中で10回以上掲示板入りを果たしている歴戦の実力派ウマ娘だ。

 

厳しいハンデが課せられるということは、専門家に実績と実力を認められているということ。

 

あまり自虐的なことは言いたくないけど、もし私がサイレンススズカの娘でなかったなら、今日一番人気に推されていたのは彼女だったはずだ。

 

「ま、相手は歳もキャリアも格上の先輩だ。ハンデや人気のことは気にせず、胸を借りるつもりで精一杯ぶつかっておいで」

 

こわばった私の顔と気持ちを和らげようとしてくれているのだろう。

トレーナーさんは気楽にそう言って、朗らかに笑う。

 

ファンたちは今日も、私を一番人気に推した。

 

もちろんいつもと同じようにあのサイレンススズカの娘だから、という理由で票を投じてくれた人もたくさんいると思う。

520gという軽ハンデに惹かれて、私に勝ちウマ投票券を投票した人もいるだろう。

 

でも今日は少しばかり様子が違っていた。

 

レース記者や他のトレーナーといったプロ筋が、『今回のサイレンスレイナは動きが抜群にいいぞ。バ体のバランスも6月の頃に比べて格段に良くなっている』と評してくれている。

SNSでは『合宿中の走り込み動画で見たけど、ここ数日は別ウマ娘のように脚色がいい』といった書き込みが散見され、目の肥えたレースファンたちの期待も高まっていた。

 

私の距離適性に特化したトレーニングの効果が少しずつ現れてきていることに、周りも気づき始めている。

 

レースのプロやファンたちの目がサイレンススズカの娘という血統だけでなく、私の実力の方にも向き始めつつあるようだった。

 

「そうね。調子も悪くないし、がんばるわ」

「うん、その意気だ。あといつも言うようだけど、ゼッケン裏のボタンはしっかり留めておいて」

 

念を押すトレーナーさんに、私はもう一度ゼッケン裏のボタンを確認する。

 

「大丈夫。しっかり留まっているわ」

「よし。ゲートに入る前も、念のためにもう一度確認するように。レース中にインゴットを落とすと失格になってしまうから。レイナに限ってそんなミスはしないと思うんだけど、一応ね」

「…………」

 

私に限って、ね。

いやまぁ、うん。

いつも言われていることだし、彼の言うことに他意がないのは分かっているけど。

 

極稀にだけど、さっきトレーナーさんが言ったようなインゴット落下のトラブルが発生することが、あることにはある。

 

そんなトラブルに見舞われる彼女たちのほとんどは、その、何ていうかな……スタイルの良い娘であることが多い。

要するに、なんだ。

走行中、胸の揺れたはずみでゼッケン裏のボタンが外れてしまい、ぽろん、とインゴットを落としてしまうのだ。

 

口の悪い男性ファンは、このことをポロリするとか、トラブルダークネスとか言ったりする(うるせぇ、と正直思う)。

 

気の毒だけど、そうなったウマ娘は失格になってしまう。

だからプレオープンに出走しているウマ娘たちは、ことさらゼッケン裏のボタンには神経を尖らせている。

 

ちなみに私はお母さんから【最速の機能美】とまで言われた完璧なスレンダー体型を受け継いでおり、色々と思うところもないわけではないが、走りやすいフォルムであることには違いない。

 

まぁお母さんはメイショウドトウさんとかジェンティルドンナさんみたいに、北の踊り子の因子をまったく持ってなかったからなぁ……。

 

ドリームジャーニーさんとかステゴさんみたく、因子を持ってても遠かったり発現しないとスレンダーに生まれてくるし。

 

スーパークリークさんとかメジロラモーヌさんは、北の踊り子の直系だしなぁ……。

 

「レイナ。そろそろパドックに行かないと」

 

どうでもいいことを心のなかでぶつくさ呟いているうちに、時間が来たらしい。

 

「……ほんとね。じゃあ、いってきます」

 

私は軽く返事して、もう一度ゼッケン裏を確認してから控室のドアノブに手を掛ける。

トレーナーさんの気負わせない会話のおかげか、それともバカなことを考えていたせいか、一番人気の重圧も、夢を叶えるための最後のチャンスという現実も、ここに来たときより少し軽くなっているような気がした。

 

*

 

パドックに出た瞬間、ひどく湿った熱風が私の髪を撫でた。

今日の最高気温は公式発表では33度ということだったけど、新潟特有の高い湿度のせいか、はたまた詰めかけた観客の熱気のためか、体感的には40度を超えているように思う。

 

ウマ娘は基本、暑さに弱い。

 

そのため当初、比較的気候の良い札幌レース場へ遠征するというプランもあった。

だけど『北海道の心地良い気候に慣れてしまったあと、酷暑の東京に戻ってきたときの体調の変化が気になる』というトレーナーさんの懸念もあり、そのプランは白紙になった。

 

夏場は北海道に滞在し、その後東京に戻ってレースを走るウマ娘はたくさんいるわけだから、さすがに細かいことを気にし過ぎなのでは? とも思ったけど、そういう細かいことが大きな結果の変化につながるのも、またレースというもの。

 

私の場合、夏の調整に失敗して負けたからまた来年、というわけにもいかない。

 

私たちは議論を重ね、夏の本州で行われるレースの中で一番自己条件に適していると判断した、左回りで行われる新潟の芝2000Mに出走することに決めた。

 

お母さんが中京や東京のレース場で圧倒的なパフォーマンスを発揮したように、私もどちらかと言えば左回りのほうが得意だった。

 

ここから先のレースは、一つ一つが夢をつなぐための大勝負だ。

どんなに思考や策略を巡らせても、慎重すぎるということはない。

 

少しの不安と、高ぶる気持ちを鎮めるように、私は熱を含む空気をゆっくりと肺に取り込む。

 

その時だった。

舞台に一人のウマ娘が姿を現すと、他のウマ娘たちの時とは一線を画す大きな拍手と歓声が送られた。

 

「セキシュウサイ! 今日も赤い鉢巻が決まってるよ!」

「ここんとこいいレースが続いてるな! 今日こそ勝ってくれ!」

 

熱心なファンからの声援が、大音量で彼女に飛ぶ。

その熱量は、プレオープンのウマ娘に送られるものとは思えないほどだった。

 

登壇した彼女は私同様、中距離ランナーらしいスレンダーな体型をしていた。

だが彼女の母ノーリーズンさん譲りのものか、短パンから覗くトモの筋肉はことさら発達しており、透き通るような肌艶の良さが鍛え上げられたそれを、暴力的なまでに力強く見せている。

 

セキシュウサイさんの身長は私とそれほど変わらないはずだが、胸を張り、威風堂々と観客たちに絶好調をアピールする様は、彼女を一回り大きく見せていた。

 

彼女はパドックを周回するウマ娘たちを一通り睥睨すると、なぜか再び私の方へ視線を戻す。

 

そして、びしり! と効果音が出そうな勢いで私を指さした。

 

「サイレンスレイナ殿!」

「あ、はい……」

 

いきなりの時代がかった先輩からの呼びかけに、若干視線をそらしながら小声で返事する。

 

書面以外で~殿、なんて呼ばれたのは、生まれて初めてかもしれない。

 

「かのサイレンススズカの娘の相手とは この一戦、わが生涯の誉れ! ノーリーズンが娘、セキシュウサイ! いざ参る!」

 

セキシュウサイさんの威勢のよい啖呵に、スタンドからは大喝采が沸き起こった。

 

……。

 

え~と。

これは、一体どう返せばいいのかしら……。

 

彼女がこういう言動を取ることはうわさで知ってはいたけど、いざ自分に向けられると反応に困った。

 

助けを求めるように、視線だけで周りの様子をうかがう。

だが他のウマ娘たちはできるだけこちらを見ないようにして、何事もなかったかのようにパドックを周回し続けている。

 

……今、顔からどっと流れ出ている汗は、きっと暑さのせいだけじゃない。

 

硬直してロクなリアクションも取ることができないでいる私に、セキシュウサイさんは気を悪くしたふうでもなく、うむ、と満足げにうなずいた。

 

彼女ぐらいの大物になると、相手の反応なんてものは気にならないらしい。

 

歴戦の武士はもう私に視線をくれることもなく、実に軽やかな脚取りで舞台から降壇していった。

 

*

 

夏のレース場は美しい。

 

その中でも新潟レース場の景色は格別だった。

夏独特の彩度の高い空気が、抜けるように蒼い空と、野芝の深い緑のコントラストを鮮やかに描き出している。

 

立ち上る陽炎が、視線の向こう側を幻想的に揺らめかせていた。

 

今から戦うのでなければ、越後山脈から吹きつける風を感じながら、いつまでも眺めていたくなるような美しい光景だ。

 

しかし、そうも言っていられない。

 

奇数の枠番を与えられたウマ娘たちが、続々とゲート入りを済ませていく。

 

例のセキシュウサイさんも、11番の枠に静かに収まった。

 

私も6枠に収まり、もう一度胸元のインゴットの具合を確認する。

問題なし。

初めて走る野芝の脚元も、違和感はない。

 

ゲート内に設置されているオレンジ色のランプが灯る。

 

全員、ゲートインが完了した合図だった。

 

2秒の沈黙。

 

ランプが消える。

鉄扉が、新潟の夏の空気を切り裂いた。

 

揃ったスタートになった。

 

私は夏の間鍛え上げた脚力で、果敢に先手を奪いにゆく。

2人ほど私に競りかけようとしてきた娘もいたが、こちらの気迫を感じ取ったのか、早々に私からハナを奪うのを諦めて二番手の位置取りで妥協したようだ。

 

強い風の中で、髪が激しく踊る。

滴る汗も、吹きつける風が乾かしてゆく。

 

第一コーナーの手前で先頭を取りきった私は、一瞬だけ後ろを振り返り、後続の様子を確認してみた。

 

スタート直後、私に鈴をつけに来た二人が併走するように並んでおり、その1バ身ほど後ろにセキシュウサイさんがつけている。

 

奇抜な言動からは想像しにくかったが、彼女の脚質は先行の本格派のようだ。

 

トップハンデを与えられた実力者の位置を確認した私は、すぐに視線を前に戻した。

 

第一コーナーをカーブし、少しずつスタンドからの歓声が遠ざかる。

 

プレオープン以下のクラスで行われる新潟の芝2000mのレースは、第四コーナー出口付近からスタートし、内回りコースをほぼ一周してくるコースだ。

 

新潟レース場は広大で走りやすいコースではあるけれど、4つのコーナーをうまく曲がる器用さも求められる。

 

淡々としたペースでレースは流れ、第二コーナーを回った。

 

外ラチに沿って植えられている、青々とした木々を右手に見ながら、私は先頭を突き進む。

 

全身で風を受け止め、喧騒に満ちているスタンドから離れた向こう正面を先頭で走っていると、まるでこの大きなレース場を一人で走っているかのような錯覚に囚われる。

 

逃亡者の孤独と、まるで今いる世界を独り占めにしているような感覚を同時に味わえる、なんとも言えない不思議な時間。

 

そんな私の世界を侵略するかのように、後ろの娘の爪音がわずかに大きくなった。

でも私は焦らず、体内時計の感覚に従ってラップを刻み続ける。

 

逃げる時に大切なのは、とにかく自分のペースを崩さないことだ。

 

第三コーナーを回り、レースも終盤に突入した。

少しずつ、後続の熱量が高まってくるのが分かった。

 

私も仕掛けるか。

もう少し、引きつけるか。

 

「……はっ!」

 

私は一息入れてから、普段よりワンテンポ早いタイミングでにわかに加速を開始する。

 

今日のレースがもしハンデ戦でなければ。

あるいは私がトップハンデ、もしくはそれに近い斤量を与えられていたのなら。

 

このタイミングでギアを上げるようなことはしない。

 

だが今日の私の斤量は520gで、5番人気までの有力ウマ娘の中では一番軽い。

 

このハンデが奪うスタミナの差を活かして、逃げ切ろうという算段だ。

 

後ろの娘たちの足音が、遠ざかる。

スタンドからの歓声が一段と大きくなった。

 

残り400mのハロン棒を、私は先頭で通過する。

 

あとは最後の直線を残すだけ!

 

「はあっ!」

 

私はここで最大ギアを解放した。

脚がトップスピードに乗る。

 

身体が。

脚が軽い!

 

スタミナが切れそうなわけでもないのに、今まで最後の直線で感じていたズシンとした脚の重みが嘘のようだった。

 

脚の筋肉の軽量化、最適化を目指した練習の成果が、確実に出ている。

 

これだけの走りができているのに加え、斤量も520gだ。

トップハンデのセキシュウサイさんとの差は75g。

 

今の私にとって、今日のハンデキャップはもらいすぎなぐらいだったようだ。

 

こうなれば、もう何も怖くない!

 

私は勝利を確信して、最後の直線を突き進む。

スタンドからは大歓声が上がる。

 

が。

 

残り200m。

 

そんな私の確信を打ち破るかのように、力強い蹄鉄の音が聞こえてきた。

その音は5万人の歓声を、私の耳からかき消してしまうほど激しいものだった。

 

それが誰のものかなんて、確認するまでもない。

 

残り100!

 

「はぁあぁあぁぁっ! サイレンスレイナ殿、覚悟っ!」

 

脚音に負けない咆哮とともに、まるで背後から斬りかからんとするような殺気が私の背中に叩きつけられた。

 

背中が、あわだつ。

全身から汗だけではない冷たいものが、吹き出る。

 

「……っ! 負けられないっ!」

 

無意識に飛び出た魂の叫びが、背後の殺気を弾き飛ばす。

 

私は彼女の切先をすんでで躱し、身体一つ分、先にゴールに飛び込んだ。

 

その瞬間、スタンドからはGⅠレースもかくや、と思わせる爆発的な歓声が巻き起こる。

 

「はぁっ……はっ……はぁぁっ……」

 

速度を落としてようやく立ち止まった私は膝に手を置き、熱と湿気を多量に含んだ空気を必死に貪った。

 

勝った私を称える声援に手を振って応えたかったが……とてもそんな余力は残っていない。

 

力は出し切れた。

 

だがその反動か、疲労と脱力感がひどい。

しっかり意識を保って踏ん張っていないと、ターフに倒れこんでしまいそうになる。

 

急激に伸びた走力に対して、体力が追いついていないのだ。

 

「いやー、参った参った。あの脚で届かんとはのぅ。完敗じゃ!」

 

満身創痍の私とは対照的に、今日トップハンデを与えられて一番厳しいレースをしたはずのセキシュウサイさんは大きく呼吸を乱すこともなく、カラカラと笑っている。

 

これが積み重ねてきた経験と修練の違いなのだろう。

 

「いえ……今日は軽い斤量で戦わせてもらいましたから……」

 

私はなんとか息を整え、笑顔らしきものを浮かべてみせる。

正直、思ったより追い詰められてしまった。

 

というより、勝った実感がまったく湧かない。

 

勝負にタラレバはないとはいえ。

もし今日、彼女と同じ斤量で戦っていたのであれば。

 

間違いなく私はゴール前できっちりと差し切られていたはずだ。

 

「うむ、謙遜は美徳じゃ。だが勝ったときには素直に喜んでおくものじゃぞ。昔の偉い名人も言っておる。『笑える時に笑っておけ。いつか泣く時が来るのだから』。次相まみえる時は、そなたが泣く番になるかもしれんからのぅ。では、また次の戦場(いくさば)で会おうぞ!」

 

セキシュウサイさんは重ハンデに一言も恨み言を言うでもなく、競技者らしい負けん気を見せて手を軽く振りながら戦場(ターフ)を後にする。

 

なんて強いウマ娘なのだろうか。

 

膝を持つ手に、力が入る。

 

少し脚をよろめかせながら、それでも胸を張って通路に消えてゆく武士の娘の背中を、私はしばしみつめていた。




読了、お疲れ様でした。
今回はかなり長文になってしまったので、読者の皆様にはご負担を掛けてしまったのではないかと思います。

まぁ私の小説を読み慣れている人には『いや、こんなもんじゃね?』と思ってくださっているかもしれませんが(笑)。

私の小説は文章が硬い上に、ストーリーの理解を読者様の知識や想像力に頼っている部分がかなりありますので、読む負担がけっこう大きいと思います。

でもここまで読んでくださっている方々は、その『重い斤量』を楽しんでくださっている読者様たちなんだと信じていますので、このスタイルで書き続けたい(もちろん楽しんでいただいたり、読みやすくする努力は怠りませんが……)と思っています。

また近いうちに更新いたしますので、引き続きのご愛読、どうぞよろしくお願い致します。

追伸:

お気に入り登録が100件を突破しました!
ありがとうございます。

これを励みにこれからも執筆活動を頑張って続けていきたいと思っておりますので、これからもどうぞ、応援よろしくお願い致します。
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