サイレンススズカの娘。   作:宮川 宗介

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第四話

四月も半分を過ぎ、レース界ではクラシック戦線の足音が聞こえてくる時期になった。

 

来週はクラシック競走の第一弾、桜花賞が行われる。

いよいよ、レースファンや関係者たちが一番盛り上がる季節の到来だ。

 

もちろん私たち新入生もクラシックシーズンの開幕に心躍らせていたが、ただ盛り上がっているだけではない。

 

私を含めた、デビュー前のウマ娘たちはみんな『私こそ、来年のクラシックの主役だ!』という気持ちを胸に秘め、毎日のトレーニングに取り組んでいた。

 

*

 

今日も放課後のトレーニングを終えて、そろそろ住み慣れてきた寮の自室に戻ると、私の机の上にハードカバーの本が二・三冊ぐらいは楽に入りそうな大きさの段ボール箱が置いてあるのが見えた。

 

「あ、レイナ。おかえり~」

 

ベットに寝転がってスマホを触りながら、ルームメイトのシェリルが出迎えてくれる。

 

……家(今は寮住まいだけど)に帰ってきたとき、誰かが『おかえり』と言ってくれるのは、なんとなく嬉しいものだ。

 

リラックスモードのシェリルは、ダボッとした長袖にショートパンツという、いつもの部屋着姿だった。

今日のトレーニングは早く終わったのか、お休みだったのだろう。

 

「ただいま。この段ボールは?」

「それ、レイナ宛の荷物。集配所の人が持ってきてくれたから、受け取っておいたよ」

「ありがとう」

 

お礼を言って荷物の送り主を確認すると、なんというか、予想通りそれは父からのものだった。

 

はぁ……と、シェリルに気づかれないように小さくため息をつき、ビリビリと段ボールからガムテープを剥ぎ取って中身を確認する。

 

中に入っていたのは、ハンドバッグだった。

私が持つにはあまりに不釣り合いな、ハイブランドの高級バッグ。

 

それと一緒に、一通の封筒が入っている。

糊付けされていない封筒には畳まれたA4用紙が封入されていて、開いてみるとそれは手紙のようだった。

 

手書きではなく、おそらくはプリンターから吐き出されたであろう無機質な文字。

そこに書いてあったのは、たった数行の事務的な短い文章だった。

 

【お誕生日おめでとう。気に入ったのなら、使いなさい。使わないようなら、売ってお小遣いの足しにしなさい。売るときはホームキーパーさんと一緒に質屋に行くように。 父】

 

「……」

 

父からのそっけない手紙を読んで、なんとも複雑な気持ちになる。

 

去年も一昨年も、『レイナの誕生日の日は仕事が忙しくて家に帰れそうにないから』という理由で、ネックレスや指輪などの高価な(お金に変えやすい)誕生日プレゼントがリビングのテーブルに置いてあった。

 

なら最初っから『好きなものを買いなさい』とお小遣いをくれたら良さそうなものだが、父の性格的なものかなにか信念があるのか、それは絶対にしなかった。

 

お母さんが生きていた時はどんなに忙しくても夜の8時には帰ってきてくれて、家族みんなで私の誕生日を祝ってくれていたんだけどね。

 

寮に入ってからも、こうして誕生日のプレゼントを贈ってくれたのは、嬉しく思う。

 

でも、なんていうのかな……。

 

父が多忙なのは、知っている。

一緒にプレゼントを選んだり、お祝いの食事に行く時間を取ってくれ、とまでは言わない。

それにしたってこんなに高いものを送ってくる前に、『誕生日のプレゼント、なにがいい?』ぐらいの連絡を私にくれても良かったんじゃないか。

 

父がいかに忙しいとは言え、そのぐらいの短文のLANEを送るぐらいの時間は取れたはずだ。

だって、こんな無機質な手紙をPCで書いて封筒に入れる時間はあったのだから。

 

「レイナ、一体何が届いてたん……って、すっげー! ヘルメスのバッグじゃん! どしたん、それ?」

 

ハイブランドバッグを目にして驚いたのか、シェリルは目をキラキラさせながらベッドから飛び起きて私のそばにやってきた。

 

「なんか、父から私への誕生日のプレゼントみたい」

 

困ったように微笑んでそう答えると、シェリルは大きな瞳をさらに大きくして私の手元を覗き込んでくる。

 

「はぁ~、すっご! こんなの買ってもらえるなんて、レイナんちって金持ちなん?」

「お金持ちかはわからないけれど。父は一応、経営者をやってるわ」

「そーなんだ! ってことはレイナ、社長令嬢ってやつ? やっぱ金持ちじゃん!」

 

無邪気に驚くシェリルに、私はただ苦笑を浮かべているしかなかった。

 

「ウチもビンボーってわけじゃないけど、さすがにこんな高いもん買ってもらったことないな~。あ~あ、あたしも生まれ変わったらトレーナーの娘じゃなくて、シャチョーレイジョーに生まれきて~」

「いやだから社長令嬢ってほど、大層なものじゃ……。そんなことより、シェリルのお父さんってトレーナーなの?」

 

私が話を逸らすと、彼女はいつものようにニコっと笑って答えてくれる。

 

「うん。パパがママを担当してて、その縁で結婚したって聞いてるよ」

「そうなの」

 

どうやら彼女の親御さんは、私の両親と同じパターンで知り合ったらしい。

こういうウマ娘の夫婦って、わりと多いのかしら?

 

「まぁそのパパは、あたしが小5のときに病気で死んじゃったんだけどね」

「……えっ」

 

あまりにあっけらかんと言うものだから、一瞬彼女が何を言ったのか、理解できなかった。

 

「そ、そうだったの……。それは、大変だったでしょうね……」

「まぁねぇ。パパが死んだ時、もちろんあたしも悲しかったけど、ママの落ち込み具合が半端じゃなくてさ。二人とも新婚夫婦どころか、まるで付き合いたてのカップルみたいにマジ仲が良かったから。こんなこというのもアレだけど……あの時のママはあたしがいなかったら、後を追ってたんじゃないかなってぐらい、打ちひしがれてた」

 

重い過去を語るシェリルからは、いつも見せてくれている明るい雰囲気が、一切消えていた。

 

それは初めて彼女が私に見せた、影のある表情だった。

 

そんなシェリルを見ていると、最愛の人を亡くした彼女のお母さんの様子がありありと想像できてしまって、胸の奥がギュッと締めつけられた。

 

うちの父も、お母さんが亡くなって1年ぐらいは、そんな様子だったから。

 

「でも、ママのすげーところは四十九日が終わったら『いつまでも落ち込んでられないっしょ! アタシが凹んだままだったら、あの人もジョーブツできんわ』っていって立ち直ってさ。勤めてたパート先辞めて、すぐに正社員の仕事探してきたんだ。建築関係の力仕事で、いくらウマ娘って言っても男性たちの中に混じって働くのってすげー大変だと思うけど、そんなこと、あたしに全然感じさせなかった。いつも明るく振る舞ってて、生活のことだって、お金のことだって、あたしに不自由させなかった」

 

あくまで一般論だけど、同じひとり親家庭でも、やはり母親のひとり親家庭は色々と厳しいことが多いと聞く。

それにいくら立ち直ったと言っても、愛する人を喪った悲しみを吹っ切るということは、そんなに簡単ではないはずだ。

 

私と父が、そうだった……いや、今でも母を亡くした現実を、受け入れきれていないように。

 

それでもシェリルのお母さんのトーセンジョーダンさんは、前を向いて娘とともに歩き始めた。

 

「すごい、お母さんね」

「うん、マジすげー。あたし、ママのことマジ尊敬してる。だから、トゥインクルシリーズでたくさん活躍して……『シェリルはマジで自慢の娘だわ!』ってママに言ってもらえるように、天国のパパが安心してあたしを見守っていられるように、頑張ってんだ」

「そうなのね」

 

トゥインクルシリーズを走っているウマ娘は、みんな様々な想いを背負って走っている。

譲れないもののために、青春を燃やして走っているのだ。

 

「ってか、バッグ見てびっくりして変な方向に話行っちゃったけど、今日ってレイナの誕生日なん?」

 

ちょっと重たくなってしまった空気を変えたかったのだろう。

ふと思い出したかのように、シェリルが尋ねてくる。

 

「……まあ、一応ね」

「マジ!? おめでとー!」

 

パチパチパチ、と手を鳴らしながら、とびきりの笑顔でシェリルは祝福してくれた。

 

「うん、ありがとう」

「パーティーやりたいけど、この時間からじゃね~……。そうだ、今度の休みいつ? その日は外出して、二人で盛り上がろうよ。もちろん、あたしが奢るよ!」

「えっ。そんなの別にいいわよ」

 

遠慮する私にシェリルはバチン、と音が聞こえてきそうなキレイなウインクを決めて、私に指先を突きつけてきた。

 

「い~や、レイナがヤダって言ってもやるかんね。プレゼントも用意しとくから、楽しみにしとけし!」

 

そこまで言われたら、仕方ない。

 

「わかったわ。楽しみにしておくわね」

 

肩をすくめてやれやれって感じで答えた私だったけど、温かくなった頬は多分、結構緩んでしまっていたと思う。

 

*

 

消灯直後。

 

【誕生日プレゼント、届いていました。ありがとう。大切に使うね】

 

部屋の明かりが消えた中、私は久しぶりに父にそんなLANEを送信した。

 

翌朝トーク画面を確認すると、既読こそついていたが……私のお礼になにか父が文章を返してきている、ということはなかった。

 

***

 

22時。

 

もう誰もいないオフィスで作業していた、この会社のCEO兼CTOである彼のデスクの上で、スマホが震えた。

 

彼のビジネスは企業向けAIの開発・管理だ。

年度終わりの3月中旬から年度初めの4月中旬ぐらいまでは、時に(自分も含めて)社内に泊まり込む社員が出るぐらい忙しかったが、そのデスマーチをなんとか乗り越えて、今は21時までには社員たちを退社させられる状況に落ち着いていた。

 

スマホを確認してみると、ロック画面にLANEの通知が表示されている。

 

どうやら娘のレイナが、誕生日プレゼントのお礼のLANEを送信してきたらしい。

 

通知をタップし、とりあえず既読だけは付けておく。

 

今の十代の女の子が何が欲しいかなんて、父親の彼にはさっぱり分からない。

なので自社開発のAIと相談し、そこそこのブランドの物で普段使いができて、なおかつ気に入らなければ金に変えやすいものを送ったつもりだった。

 

それなら金そのものを娘の電子マネーアプリに送金してやればいいとも思わないでもなかったが、妻が――スズカが――生きていれば、そんなことは絶対にするまい。

 

だから彼も、そんなことはしなかった。

 

「ふぅっ……」

 

彼は作業から来る疲れだけではない、大きなため息を一つついた。

 

年頃の娘との付き合い方なんて、父親であればきっと誰もが悩んでいる。

 

それを差し引いても、自分はきっと娘に対して世間様の父親以上に、複雑な気持ちを抱いていると思う。

 

妻が死んだあの日。

 

医師を始め、何人もの人から事故当時の様子を聞かせられた。

 

言い方は多少違っても、彼ら、彼女たちが言っていたことはみな同じだった。

 

『サイレンススズカさんは、娘さんを庇って亡くなった。娘さんが傷一つ負わずに助かったのは、彼女の挺身があったからこそだ。スズカさんは、誇るべきすごいお母さんだ』

 

ああ、なんて感動的なお話なのだ!

 

そのストーリーが他人事であったなら、感涙にむせび泣いていたに違いない。

 

で、そんな物語(つくりばなし)に登場する人物のごとく、母を喪って打ちひしがれている娘を抱きしめて『これからはお母さんの分も、しっかり生きよう』と泣き叫び、『何があっても俺がこの子を命懸けで守るのだ!』と死んだ妻に誓うのが、父親として正しい姿であっただろう。

 

でも、現実は違った。

 

レイナ。

なぜお前は、母親を守ってやれなかった?

 

幼いとは言え、お前もスズカと同じウマ娘だろう。

そこいらの大人の男より、脚力も腕力もあるはずだ。

 

なぜお前が助かって、スズカが死ななければならなかったんだ!

 

あの時はかろうじて理性がその怒声を喉の奥に抑え込んでくれたが、そんなドス黒い感情が真っ先に沸き出してきたのは、否定のしようがなかった。

 

もしあの時病室にレイナと二人しかいなかったら、母を亡くしたばかりの10歳の娘に、一生消えない呪いの言葉を浴びせかけていたことだろう。

 

自分でもどうしようもない、本当に最低なクズ男だと思う。

 

しかし、サイレンススズカという女性(うまむすめ)は、彼にとってそれほどに特別な存在だった。

 

ひたむきに自分の走りを突き詰めようとする彼女に、心惹かれずにはいられなかった。

 

本能を解放し、ターフを無心で駆け抜ける彼女に、心奪われずにはいられなかった。

 

少し人とずれた感性と細身の美貌を、愛さずにはいられなかった。

 

最愛の女性、なんて言葉では言い足りない。

 

スズカと知り合ってから、彼の世界からスズカ以外の女性が消え去ってしまった。

 

今の彼にとってスズカ以外の女性は、自分と同じ人間という存在でしかない。

 

そんな妻を亡くした今の彼は、たった一人のイヴを喪ったアダムのようなものだ。

 

イヴを喪い、温かい家庭という楽園から追放された(アダム)に残されたのは、残った家族(むすめ)を養うための労働だけだった。

 

それに彼は一度、サイレンススズカを喪っている。

自分だけの景色を追い求め、神の領域に脚を踏み入れかけた、サイレンススズカという担当ウマ娘を。

 

あれは秋たけなわの、東京レース場。

 

第四コーナー手前で、彼女は失速して……。

 

「……疲れてるな」

 

彼は自動思考が垂れ流す脳内映像を振り払うかのように、首を横に振った。

 

過去のことが彼の思考を支配する時は、いつもそうだ。

でも、それも仕方なかったかもしれない。

例のデスマーチのおかげで、ここ一ヶ月ほど3時間以上睡眠を取れた日というのがほとんどなかったように思う。

 

それでも彼は仮眠室へ向かう前に、娘の送ってきたお礼LANEに対してなにか返信しようと、エナジードリンクの空缶が乱立しているデスクの上からスマホを手に取った。

 

そう言えば、そろそろレイナがトレセン学園に入学して一ヶ月か。

友だちは、できたのだろうか。

うまく寮生活に馴染めているだろうか。

 

……トレーナーはあの娘の才能を、うまく引き出してやってくれているのだろうか。

 

もし――あくまで空想、いや妄想と言っていい――自分がトレーナーという仕事を続けていたのなら、一緒にスズカの夢の続きを追いたかったと思わせるほどの、娘の素質を。

 

娘に聞きたいこと、伝えたいことは、たくさんあった。

しかし、どうにも上手くまとまらない。

 

疲れているのだ、仕方ない。

 

彼は娘に返事するのを諦めてスマホをポケットの中にねじ込むと、一眠りするために仮眠室へと向かった。

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