天才と呼ばれ、皐月賞を制して同世代のトップを突っ走っているルームメイトのシェリルジョーダンは、レースの祭典・日本ダービーを前にしてピリピリしているかと思いきや、彼女はいつものようによく食べ、よく笑い、そして厳しいレースの合間に青春を満喫しているようだった。
*
「レイナ、次の日曜日の予定ってどんな感じ?」
夕食後。
お互いにベッドの上でのんびりしていると、シェリルがそんなことを聞いてきた。
「うん? そうね……」
私は枕元に置いてあったスマホで、スケジュールを確認してみる。
確か、今度の日曜日は……。
「午前中にロードワークと坂路をやって、午後からはお休みになってるわね」
ウマ娘といえど一年中、一日中走り回っているわけじゃない。
もちろんハードトレーニングが必要な時期もあるけれど、他のスポーツの練習と同じで量と質とのバランスが大切なのだ。
「おっ、じゃあその日の午後は結構ヒマな感じ?」
「まぁヒマと言えば、ヒマなのかしら……」
私は微妙な顔をして、小首を傾げる。
しかしどうして人間ってのは『お前、暇だろ』と言われると、ちょっとムカッとしてしまうのだろう。
その日の午後は自主練やってからアプリゲームでもして遊ぼうか、と思っていたんだけど、結局そのゲームも暇つぶしでしかない。
「それならさ。あたしのカレシとカレシの友だちとで、ダブルデートに行かね?」
「ふむ」
ダブルデート。
重なった日付って、なんだろう?
ダブルバレルの親戚だろうか。
「ダブルバレルを撃って相手を強引に降ろすのは私の得意なプレイだけど……。ダブルデート
ってなに?」
「いや、プレイて。友だちの好きなプレイ聞かされても困るっていうか。ダブルバレルってどんなシチュのプレイなん? だいたい、別にエロい話はしてない」
「……エロい話をしてないのは、まったくの同意ね」
どうやらお互いの会話に重大な齟齬が発生しているらしい。
ちなみにダブルバレルはポーカー用語で、2発連続でブラフを叩き込むことを言う。
「意外とレイナって、そんなジョーダン言うんだね」
そう言って彼女はコロコロと笑った。
いや、別に冗談を言ったつもりはなかったんだけど。
「だから。ダブルデートって、一体なによ?」
私の疑問に、彼女はつぶらな瞳を目いっぱいに広げた。
「それこそジョーダンっしょ。ダブルデート知らない?」
「……知らないから聞いてるのよ」
知ってることをわざわざ聞いて皐月賞ウマ娘の時間を浪費させるほど私だってヒマじゃないし、そんな悪趣味は持ち合わせていない。
「え~と。デートはさすがに、知ってるよね?」
なんだろう。
シェリルはひょっとして、私のことをバカだと思っているのか?
それとも、私がバカにされても仕方ないようなことを聞いているのだろうか。
「……日付、年代、時代の意味以外だと、男性と女性が約束してどっか遊びに行くことを言うんじゃない?」
「セーカイ」
腕を組んで、ウンウンと頷くシェリル。
「つまり、ダブルデートってのは二組のカップルが一緒にデートに行くことをいうわけ」
「ふ~ん」
なるほど。
それを知ることが私の人生においてどれだけプラスになるかはわからないけれど、勉強になった……気がする。
「ふ~んって! リアクション薄っす! もうちょっとなんか反応してよ」
「そう言われても。それだと、私を誘っても仕方ないんじゃない? だって私、そういった特定の異性いないんだもの」
今の時代カップルの相手が異性だけに限った言い方をすると、どこからか非難を浴びそうではあるが、少なくとも私の性指向はマジョリティであるはずだ。
恋愛がどういったものかは創作物でしか知らないけど、同性を見てドキドキしたり、息が苦しくなったりという経験はない(恋をするとそういう症状に見舞われるらしい。シランケド)。
レース中の相手が思ったより手強くて息が詰まりそうになったり、焦りで鼓動が早くなったりしたことは何度もあったけどねぇ。
というか、特定の人を見て息苦しくなったり、心拍数が上がってしまうというのは心身のどこかが悪いんじゃないか? と心配になってしまう。
幼い頃からレースなんてものに身をやつしているせいか、今まで恋愛というものに興味を抱いたことがほとんどなかった。
中学まで通っていたのが女子校だった、という環境のことも影響しているのかもしれない。
「だ・か・ら! そんな寂しい人生を送っているレイナに、カレシを作るチャンスをあげようって言ってるの」
笑顔で大げさに腕を広げるシェリルに、私は久しぶりに顔を思い切り歪めた。
こんな顔を作ったのは、父と言い合いになって以来じゃないだろうか。
「いや、勝手に私の人生を寂しいものって決めつけないで。だいたい、どうしてそのダブルデートっていうのと私が彼氏を作るチャンスがつながるのよ?」
「それはね……」
「それは?」
「実はカレシからさ、あたしにいい友だちがいたら、自分の友だちに紹介してあげてほしいって頼まれちゃってて。ね、あたしの顔立てると思って、お願いっ!」
「…………」
私は顔を歪ませたまま、彼女が立ててほしいと言った顔をじっと見つめて考える。
せっかくの午後休みの日に出かけるのも面倒だし、そもそも初対面の男の子なんかと一体何を話せばいいのかよくわからない。
初対面の人間と会話のない微妙な空気感を共有する。
想像するだけで、ストレスフルな状況だ。
せっかく誘ってくれたシェリルには申し訳ないけど、そのダブルデートとやらにはまったく乗り気がしなかった。
「ごめん、やっぱり止めておくわ。男の子に慣れてない私がダブルデートだなんてすごく緊張して上手く話せないだろうし。そんなことだとあちら様もきっと困惑してしまうと思うのよ」
「それは男子も一緒だよ! 何話せばいいか分からなかったら、趣味のこととか好きな音楽とかのこと話せばいいじゃん!」
思ったより必死に誘ってくるシェリルに、私は少し引いてしまう。
それに。
「趣味のことねぇ……」
音楽はまったくといっていいほど聞かないし、小中学生のときも私の趣味を理解してくれる同級生はほとんどいなかった。
1・2回ぐらい付き合ってくれた娘もいたんだけど、私と遊ぶのはどうやらつまらないらしく、それっきり誘われることはなかったし、私の方から誘っても『レイナちゃんとはちょっと……』と断られることが多かった。
「じゃあ、カラオケ! カラオケならほら、ライブの曲の練習になるじゃん?」
「それなら一人で行けばいいし……」
私がそう言うと、今度はシェリルが無理やりパクチーでも口に詰められたかのように顔を歪めた。
「はぁっ!? ヒトカラとか、デートで沈黙して男子と気まずくなるよりツラくない?」
「それはあなたの偏見よ」
その言い分は、ヒトカラファンに刺されても仕方ない暴言だと思う。
さっきからずっとこちらがしかめっ面をしているせいか、彼女は私のそんな心情に気がついていないようだった。
「ヒトカラのことはともかく。人前で歌う練習も大事だよ。GⅠのウイニングライブなんて、たっくさんの人の前で歌うんだよ。ゼッタイ人前で歌うの、慣れておいたほうがいいって。GⅠ勝ったあたしが言うんだから、間違いない!」
「う~ん……」
GⅠ勝ちという印籠を出されては、デビュー前のウマ娘としては首肯せざるを得ない。
それに友だちにここまでお願いされて断ってしまうのは、さすがに心苦しいものがある。
「わかったわ。シェリルがそこまで言ってくれるなら、その日の午後は空けておくことにするわね」
「マジ? ありがとう!」
あまり気乗りしないような返事でも、シェリルは喜んでくれたようだ。
ぱぁぁっ、と彼女の整った顔に、明るい笑みが浮かぶ。
「でも私に男子を楽しませるなんてスキルがないことだけは、相手方にも理解しておいてほしいんだけど……」
「何言ってんの。デートなんて男の子が女の子楽しませてなんぼじゃん?」
「そうなの?」
「そう! 女の子の方はそれを楽しみにしておけばいいんだって」
そんな受け身な姿勢で、物事が楽しめるとは思えないんだけど……先達がそういうのなら、そうなんだろう。
「でもあいつ、女の子を楽しませるとか、ちょっとその辺苦手っぽいんだよね~」
シェリルはそう言うと、えびす顔から一転して少し不安げな表情を浮かべる。
「あいつって?」
「そのカレシの友だちだよ。悪いヤツじゃないんだけど」
「知り合いなの?」
「そりゃカレシの友だちなんだから知ってるよ。何回か一緒に遊んだこともあるし。さすがにまったく知らない男を友だちに紹介できないっしょ?」
それはそうだ。
ノリで行動を決めているシェリルにも、一応その辺の常識は持っていたらしくて安心する。
「ま、ともかくカレシには『レイナも喜んでオッケーしてくれた』って伝えておくわ。いや~、当日が楽しみになってきた!」
紹介者としてシェリルも『なんか友だちは気乗りしないみたいだけど、とりあえず来てくれるみたい』とは言えないだろうけど、そんなほとんど嘘みたいなことを伝えて大丈夫だろうか。
まぁあちらさんも私とデート(っていうのか?)してつまらなかったら、途中で切り上げてくれるかもしれない。
それなら帰ってきてゲームの続きやればいいか……と、彼氏さんに電話し始めたシェリルから視線を外し、私はそのゲームのアプリを起動させて対局者のマッチングを待つことにした。
*
シェリルが計画したダブルデート当日。
空模様は五月晴れというのがピッタリな、雲一つない晴天だった。
「いい天気! マジでデート日和だね」
今日の晴天にも負けない明るい笑顔で、シェリルが話しかけてくる。
昔のアニメ映画で『人は天気が良いというだけで、明るい気持ちになれる』というセリフがあったけど、本当にそのとおりだ。
そう言えばお母さんも、晴れた日に散歩するのが好きだったな……。
「それについては異論はないのだけど。でも、遊びに行く場所が遊園地ってあまりに定番すぎない?」
ふと湧いてきた感傷を振り払って私が疑問を呈すると、シェリルはパタパタと手を振って笑った。
「デートなんて定番なところのほうがいいんだよ。変にヒネったとこ行って空気悪くなったら大惨事だし。それに大切なのはどこに行ったか、じゃなくて誰と行ったか、なんだから!」
それは……確かに、そうだろう。
どんなに素晴らしいテーマパークに出かけたとしても、メンバーが最悪だったら行かないほうがいいに決まっている。
問題なのは今日はその【誰か】が、不明瞭という点だ。
「ソラ、もう来るかな~。カレ、けっこー時間は厳守する方だから」
そわそわしながら、シェリルは何度も駅のホームを覗き込んでいる。
ソラ、というのはシェリルのパートナーの名前だそうだ。
ちなみに待ち合わせ場所は件の彼の自宅と遊園地の間ということもあり、トレセン学園最寄り駅の改札口、ということになったらしい。
『それなら現地集合で良くない?』と聞くわたしに『目的地までの移動も含めて、デートなんだよ』と楽しそうに答えてくれた。
待ち合わせている二人の男の子だが、シェリルの彼の方の顔は写真で見知っている。
けれどその友人のご尊顔はまだ拝していない。
できるなら前もって知っておきたかったけど、『その友人を写した写真か動画があったら見せてほしい』をシェリルにお願いしても『それは当日のお楽しみってことで!』と言われてしまい、結局前情報を手に入れることはできなかった。
一体どんな人が来るんだろう……と少し緊張していると、片方がこちらに向かって手を振っている同世代の男の子二人組がホームの方から歩いてきた。
「しぃ! 出迎えありがとう。待った?」
「ううん、ぜんぜんだいじょぶ!」
その男の子にシェリルは私には見せたことのない、とろけるような笑顔を浮かべながら手を振る。
どうやら彼が、件の恋人らしい。
というか、シェリルって彼氏さんからしぃ、なんて呼ばれているのね……。
シェリルは彼の隣に並ぶと、両腕を広げて誇らしげに彼の方へ差し出した。
「レイナ、改めて紹介するね! あたしのカレシのソラ。カッコいいっしょ?」
「……そうね」
確かに写真で見るより彼の顔のパーツの形と位置は整っており、女好きしそうな顔ではあった。
「はじめまして、レイナさん。俺、
「はじめまして、サイレンスレイナって言います。よろしくお願いします」
お互い自己紹介を済ませると、なぜか彼がじっと私の方に視線を送ってくる。
「しぃから聞いていたけど、本当に美人さんだね」
「……ありがとう」
彼の社交辞令にお礼を述べながら、私は愛想笑いを浮かべた。
こういうセリフがさらっと出てくるあたり、女慣れしているんだろうな、と思う。
「あ~っ! レイナがいくらカワイイからって、浮気しちゃダメだかんね!」
「いやいや、そんなつもりがあったわけじゃ……」
シェリルがツン、と肘で彼の脇腹をつつき、それを受けて彼もなんだか楽しそうに笑っている。
ひょっとしてこれが『いちゃついている』というやつなのだろうか。
ふ~む。
世の中の恋人っていうのは、こういうふうにいちゃついているのね。
まるで珍獣でも観察するように彼女たちを眺めていると、福島くんが「ほら、お前も自己紹介しろよ」と、隣に黙って立っていた男の子の背中を軽く叩いた。
「あ、ああ……。これは失礼」
挨拶を促されて一歩踏み出した彼の表情は、かなりこわばっているように見える。
緊張している彼は男性らしい引き締まったビジュアルをしていたが、そのせいで福島くんより
そんな彼は、まるで初対面のセールスマンのように私に対して頭を下げた。
「はじめまして。大井セナと言います。今日はどうぞ、よろしくお願いします」
「あ、ご丁寧にどうも……。サイレンスレイナって言います。こちらこそどうぞよろしくお願いします」
私たちは対局前の棋士のように同時に頭を下げ、初対面の挨拶を済ませる。
「……あんたらの挨拶、さすがにお堅すぎじゃね?」
そんなシェリルのツッコミを、私は聞かなかったことにした。