ジェンティルドンナと幼馴染トレーナーのラブラブ生活 作:雅媛
「……遅い」
学園の時計塔の下。約束では朝の9時ちょうどに待ち合わせるという話になっていたはずだ。
しかし、30分前になっても相手は現れない。
こちらばかりが会いたくてしょうがないみたいではないか。そんな気持ちになり、逆に少し落ち着く。
「いえ、まだ時間前ですわ」
よくよく考えたら30分前に来ている自分の方がおかしいのではないか。そんな思いも一瞬よぎる。
いや、幼馴染同士の久しぶりの再会なのだ。30分どころか1時間前に来るのが普通だろう。それが誠意というものだ。
そう自分に言い聞かせながら、私は無意識にスカートの裾を直していた。
髪型は乱れていないか。メイクは完璧か。今の私は、彼が憧れた「最強のウマ娘」に見えているだろうか。
そんなことを考えていると……
「早いじゃないか」
「ひゃっ!?」
「かわいい声しちゃって」
「……ッ!」
突然、背後からかけられた声に、喉の奥から情けない悲鳴が漏れてしまった。
バッと勢いよく振り返ると、そこには待ち合わせを約束していた彼がいた。
少し伸びた髪、人を食ったような飄々とした笑み。変わらない、けれど少しだけ大人びた、私の……トレーナー。
「むぅ」
「むくれてもかわいいだけだぞ」
そう言って気安く自分の頬を人差し指でつついてくる彼こそが、私、ジェンティルドンナの待ち人であった。
かつての近所の幼馴染であり、お兄ちゃん。そして今日から私の担当トレーナーとなる男だ。
「もう、遅いですわ」
「これでも頑張ったんだけどな。新人研修の書類が山積みでさ」
彼が自分との約束を守るために最年少最速でトレーナー試験を突破したのは知っている。だが、それでも入学してすでに2年は経ってしまった。
それだけ自分を待たせる人間など後にも先にも彼だけだろう。
彼に向き合うと、私は彼のあごに指を添え、挑発するように視線を絡ませた。
「で、私にふさわしいトレーナーになれたかしら?」
「愚問だな」
そんなかわいくないことを言う自分に対し、不敵に笑う彼。
強がりだろうことはわかっている。トレーナーという職は知識も経験も必要な仕事だ。試験を通ったばかりの新人では、特に経験が足りないのを一番実感しているのは彼本人だろう。
だが、そんなそぶりは絶対出さない。私を不安にさせないように。そして、周りに彼と私自身を認めさせるために。
無茶をさせているのだろう。だが、そんな彼を手放せなくなって果たしてどれくらい時間が経ち、それまでにどれだけ無理をさせたのだろうか。
「そういうドンナこそ、この天才トレーナー様にふさわしいウマ娘になれたかな?」
「愚問ね」
即答する。だが内心の答えはNOだ。
彼の献身に見合うだけのウマ娘になれたという自信など、実のところ全くない。
生まれながらの才能に努力を重ね、それなりの身体能力は手に入れた。学園での成績もトップクラスだ。だが、それがトゥインクルシリーズの怪物たちに通用するかなど全くわからない。ここは天才のさらに上澄みが競い合う世界だ。
人一倍頑張ったつもりはあるが、彼が死に物狂いでトレーナーになったことに釣り合うほどかと言われると、とても頷けるわけがなかった。
それでも、私は笑う。
彼が不敵に笑うから。
私も不敵にほほ笑む。
不安を隠し、お互いにしかわからぬ優しさを胸に秘め、言葉にせず、ただ前を向いて進み続ける。
愚かしいともいえる行為だが、彼とともに歩けるというならば悪いことばかりではないだろう。
差し伸べる彼の手に自分の手を重ねる。
お互いの体温だけが、今自分たちがここにいるという証であった。
「……行こうか。まずは契約手続きだ」
「ええ。参りましょう」
繋いだ手を離し、私たちは並んで歩き出す。
そこにはもう、幼馴染の甘い空気はない。
これから天下を獲るウマ娘と、その指導者。
周囲の視線が集まる。「あれがジェンティルドンナか」「隣の男は誰だ?」「新人らしいぞ」……好奇と嫉妬の混じった囁き声。
私は背筋を伸ばし、冷ややかな視線で周囲を一瞥した。それだけで雑音は止む。
完璧な淑女。冷徹な貴婦人。
それが、私がこの学園で作り上げた「ジェンティルドンナ」の姿だ。
彼が舐められないように。彼が「あんな新人で大丈夫か」と言われないように。
私が完璧であればあるほど、彼の評価も守られる。
きょろきょろとして落ち着かない彼の背中をたたく。
ウマ娘だらけの学校内、珍しいのはわかるが前を向いて背筋を伸ばしてほしい。
彼は私の意図を察したのかごめんごめんと小さく言いながら苦笑した。
「……手厳しいな、お姫様は」
「貴方の担当ですもの。軟弱な態度は許しませんわ」
廊下ですれ違う理事長秘書の駿川たづなさんに会釈をし、私たちはトレーナー室へとたどり着いた。
彼がドアを開け、私を中に招き入れる。
無機質なデスクと、まだ荷ほどきが終わっていない段ボール箱。彼専用の城。
「どうぞ」
「失礼します」
中に入り、彼が続いて入り、ドアが閉まる。
ガチャリ。
鍵をかける金属音が、静かな部屋に響いた。
……しん、と静寂が落ちる。
窓の外の喧騒が遠のく。
この部屋には、私と、彼しかいない。
その事実を確認した瞬間。
プツン、と私の中で張り詰めていた糸が切れた。
「……ぅ」
「ん? どうしたド……」
彼の言葉を待たずに、私はその胸に飛び込んだ。
ドンッ、とタックル気味に抱き着く。彼は「おっと」と言いながらも、しっかりと私を受け止めてくれた。
懐かしい匂い。安心する体温。私の大好きな場所。
「……怖かったぁ……!」
「はいはい、怖かったな」
「なんでいつもこうなの!? みんなジロジロ見てくるし、品定めするような目つきだし……! 足震えてたのわかった? バレてない? 変じゃなかった!?」
「ああ、完璧だったよ。震えてるのなんて俺しか気づいてないさ」
「ほんとに!? ほんとにほんと!?」
彼の胸に顔を埋めたまま、私は上目遣いで彼を見上げる。
さっきまで被っていた「淑女」の仮面は、見る影もなく粉砕されていた。
そこにあるのは、人見知りで、内気で、お兄ちゃんがいなければ夜トイレに行くのも躊躇うような、弱気な自分の素顔だ。
「嘘は言わないよ。……よしよし、よく頑張ったな」
彼が大きい手のひらで、私の頭をポンポンと優しく撫でる。
そのリズムが心地よくて、強張っていた肩の力が抜けていく。
へにゃりとだらしない顔になっていくのが自分でもわかった。
「……お兄ちゃん」
「ここではトレーナー、だろ?」
「やだ。二人きりの時はお兄ちゃんがいい。……だめ?」
「……はぁ。お前なあ」
彼は呆れたように溜息をついたが、その表情は優しかった。
昔からそうだ。この人は、口では軽薄なことを言ったり、面倒くさそうにしたりするけれど、最後には必ず私を甘やかしてくれる。
私がそうやって駄々をこねるのを、どこか楽しんでいる節さえあるのだ。
「仕方ないお姫様だ。……で、充電は完了したか?」
「まだ。……あと5分。ううん、10分」
「次の予定があるんだが」
「知らない。私のトレーナーなんでしょ? 私を最優先にしてよ」
ぎゅう、とさらに強く抱き着く。
筋肉質でたくましいウマ娘の腕力で締め上げているのに、彼は顔色一つ変えない。
それもそうだ。彼は私の専属になるために、並大抵ではないトレーニングを積んできたのだから。
全部、私のためだ。
そう思うと、胸の奥が甘く疼く。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「んー」
「ずっと待ってたんだからね」
「ああ」
「私以外のウマ娘なんか見ちゃだめだからね」
「はいはい」
「『はい』は一回!」
「へいへい」
人を小馬鹿にしたような返事。
けれど、私の背中に回された腕は、とても温かくて、力強かった。
──ジェンティルドンナは「最強」である。
そう世界に宣言し、誰も寄せ付けない孤高の女帝として君臨する。
それが私たちの戦略だ。
私の弱気な本性を隠し、彼の実績不足を威光でねじ伏せるための、共犯関係。
でも。
この鍵のかかった部屋の中だけは。
私がただの甘えん坊な幼馴染に戻れる、世界で唯一の場所。
「……すき」
「ん? なんか言ったか?」
「……アイスが食べたいって言ったの!」
「なんだそりゃ。じゃあ、帰りにコンビニ寄るか」
「ハーゲンダッツじゃなきゃやだ」
「生意気な新人もいたもんだ」
彼が苦笑して、私の鼻先を指で弾いた。
私はそれにへへっと笑って、また彼の胸に頬を擦り寄せる。
こうして、最強のウマ娘と最強のトレーナーの物語は始まるのであった。