ジェンティルドンナと幼馴染トレーナーのラブラブ生活 作:雅媛
ヴィルシーナは、納得がいっていなかった。
入学してから誰とも契約を結ばず、孤高を貫いていたジェンティルドンナが、ついにトレーナーを決めたという。
それはいい。トレーナー契約はトゥインクルシリーズに出場する条件だ。むしろ彼女ほどのウマ娘が契約するにはいささか遅すぎるようにも思えるぐらいだ。
だが問題は、その相手だ。
「……聞き覚えのない名前ですわね」
学園の廊下を歩きながら、ヴィルシーナは手元の資料に視線を落とす。
今年トレーナーになったばかりの新人。最年少でトレーナーになったという触れ込みで試験の成績は優秀だが、当然実戦経験はゼロ。
通常ならどこかでサブトレーナーをやるか、あまり知名度のないウマ娘と契約して下積みをするようなトレーナーを、なぜジェンティルドンナほどのウマ娘が選んだのか。
普通ではない。噂では、ジェンティルドンナと件の彼は幼馴染とも聞く。弱みを握られたのか、情に流されたか。ヴィルシーナにはろくでもない理由しか思いつかなかった。
「この目で確かめるしかありませんわね」
放課後の静まり返った校舎。
彼女はジェンティルドンナのトレーナーの部屋へと足を向けていた。
偵察だ。挨拶という建前で、そのトレーナーが彼女に相応しい器かどうか、私が値踏みしてやるのだ。
そしてふさわしくないトレーナーならなんとしてでも二人の契約を破棄に持っていく。
そんなことを考えているうちにヴィルシーナは目的の部屋の前にたどり着く。
中からは人の気配がする。話し声も聞こえる。
私はドアノブに手をかけようとして――ふと、その動きを止めた。
ウマ娘の優れた聴覚が、室内の会話を拾ってしまったからだ。
音をたてないように手を慎重に放して、耳をピトっと扉に当てる。
「……んぅ……そこ、もっと……」
え?
耳を疑うような、甘く、とろけるような声。
「ここか? 随分凝ってるな」
「だってぇ……今日の実技、疲れたんだもん……」
「はいはいお疲れ様」
「言葉だけじゃ足りなーい。……頭なでて。あと、ぎゅーってして」
ヴィルシーナは我が耳を疑った。
この声質、このトーン。間違いなくジェンティルドンナのものだ。
だが、言っている内容が私の知る彼女と180度違う。
あの剛毅なる淑女が? ゴリラに例えられるとあんな軟弱な生き物で例えるなと怒る鉄の女帝が? 『ぎゅーってして』?
(ま、まさか……幻聴? いえ、誰かの空似? もしかして妹さんがいらっしゃるとか……?)
ドアの前で硬直しながらヴィルシーナは頭を高速で回転させる。
そういえばジェンティルドンナにも妹がいるとかいう話があったような……
妹談義ができるかと思ったがその話をしたら不機嫌そうな態度をとるからあまり姉妹仲はよくないのだろうと思っていたが…… よく考えたらジェンティルドンナの幼馴染ならその妹も幼馴染だろう。
そんな妄想がヴィルシーナの脳内ではめぐっていた。
一方、室内のトレーナーは、廊下に立つヴィルシーナの気配にとっくの昔に気づいていた。
(……ん、お客さんか? 特徴的な青毛……ヴィルシーナ、だったかな?)
トレーナーの頭の中には現在在籍中のすべてのウマ娘の情報が入っている。特にジェンティルドンナのライバルになりうるウマ娘筆頭の彼女の情報はよく知っていた。
彼女がジェンティルドンナをライバル視していることは知っている。同時に、非常に真面目で育ちの良いウマ娘であることも。トレーナーは、膝の上で目を閉じて甘えているドンナを見下ろした。
彼女は「完璧な女帝」を演じることに固執している。だが、それは孤独な道だ。
心を許せる友人がいてもいい。ルームメイトとはそれなりにうまくやれているようだが、もうちょっと外でも素を出せるように、この「素」の部分を知っている相手がいた方が、彼女にとっても救いになるはずだ。
ジェンティルドンナが緩み切っていて扉の前の人物に気づいていない状況も、彼のいたずら心に拍車をかけた。
(少しぐらいバレてもまあいいだろう)
彼はあえて、彼女に注意を促さなかった。
むしろ、少し意地悪な笑みを浮かべて、彼女の甘えを受け入れ続ける。
「ねえお兄ちゃん、お膝乗っていい?」
「重いぞ」
「レディに対して失礼ね!」
「はいはい、どうぞお姫様、おいで」
「えへへ……お兄ちゃん大好き」
廊下で息を呑む気配がする。
さすがにこれ以上はバレたときにドンナがどんな反応をするかがわからない。
トレーナーはタイミングを見計らい、わざと少し声を張った。
「――どうぞ。鍵は開いてますよ、ヴィルシーナさん」
「えっ」
ドンナが目を見開く。
「……し、失礼いたします!」
名前を呼ばれたヴィルシーナは、覚悟を決めたように勢いよくドアを開け放った。
「ごきげんよう、ジェンティルドンナさん」
勢い込んで室内に踏み込む。
そこには――
ソファに座るトレーナーと。
そのすぐ隣に密着して座り、彼の首に腕を回して抱き着いていたジェンティルドンナの姿があった。
しかし彼女の表情は、完全に『無』だった。
思考回路がショートし、表情筋が死滅しているのだが、ヴィルシーナには怒りの表情にしか見えなかった。
「……」
その顔は瞬く間に青ざめ、次いで沸騰したように赤くなり、再び青ざめた。
「ごきげんよう、ヴィルシーナさん」
トレーナーは平然と挨拶をした。
ドンナは石像のように固まったままだ。
「私の担当ウマ娘に、何か御用ですか?」
「い、いえ! その、あの……今、ものすごく甘えた声が聞こえたような気がして……! 『お兄ちゃん大好き』とおっしゃっていたような……!」
トレーナーの落ち着き具合にヴィルシーナは混乱した。
てっきり破廉恥なこと、まではいかないにしてもそれに近い何かをしているように思ったのだ。
しかしトレーナーは何ら問題ないかのような態度をとっている。いくらトレーナーとウマ娘の恋愛関係が公的に禁止されていないとしてもアイドル性も求められるトゥインクルシリーズではマイナスに働くので普通は隠すものなのに。
ヴィルシーナの指摘に、ジェンティルドンナが「ひゅっ」と息を呑んだ。
彼女はギギギ、と錆びついた機械のような動きでトレーナーから離れると、ガタガタと震えながら立ち上がった。
「……き、聞き間違い……ではありませんか? 私は……その、こ、こ、こう、トレーニングの……」
呂律が回っていない。
いつもの流暢な弁舌はどこへやら。目が泳ぎまくり、助けを求めるようにトレーナーを見る。
その目は『なんで教えてくれなかったの!?』と訴えていた。
トレーナーは肩をすくめた。
本当ならここで「実はこういう子なんですよ」と紹介してやりたいところだが、彼女がここまでパニックになっている以上、あまり良い結果にはならないだろう。
目の前の彼女を丸め込んだ方がよさそうだ。
「お察しの通りです、ヴィルシーナさん」
「えっ」
「ト、トレーナー!?」
ジェンティルドンナが悲鳴のような声を上げる。
しかしトレーナーは不敵な笑みを崩さず、すらすらと嘘を並べ始めた。
「彼女は今、極限の集中状態から脱するための『リラックス・メソッド』を行っていたところなんですよ」
「リラックス……メソッド?」
「ええ。ジェンティルはご存知の通り、常に気を張って完璧を目指しています。ですが、それでは心身が摩耗してしまう。そこで、私との信頼関係を利用し、一時的に幼児退行に近いレベルまで精神を解放させることで、回復を早めているのです」
「……よ、幼児退行、ですか?」
「はい。あの『お兄ちゃん』という呼び名も、深層心理に働きかけ、安心感を誘発するためのキーワードでしてね。……ですよね、ドンナ?」
話を振られたドンナは、何度か口をパクパクさせた後、必死に頷いた。
「……は、はい! その通りですわ! 全ては計算された科学的トレーニングですの!」
冷や汗で顔がテカテカだが、必死さは伝わってきた。
ヴィルシーナは目を丸くし、そして感心したように頷いた。
「そ、そうでしたの……。最新のトレーニング理論には、そのようなものも……」
ヴィルシーナは素直で真面目だ。
ジェンティルドンナほどの傑物が、ただ単に男に甘えていただけなどという腑抜けた話より、何か高尚な理由があるのだと信じたようだ。
「……誤解して申し訳ありませんでした。ジェンティルドンナさん、貴女がそこまでストイックに自身を追い込んでいるとは知らず……」
「お、オホホ、わかっていただければよろしくてよ」
引きつった笑い声をあげるジェンティルドンナ。
ヴィルシーナはぺこりと頭を下げた。
「ジェンティルドンナさんのライバルとして、一度ご挨拶したかったのですがお忙しいところ失礼しました」
「構わないよ。ただ、事情が事情だからしょうがなかったかもしれないけど扉の前で聞き耳を立てるのはお行儀良くないからやめたほうがいいと思うよ」
「申し訳ありません」
ヴィルシーナは一礼し、部屋を後にしようとした。
だが、去り際にトレーナーの方を振り返る。
「……ですが、貴方。いくらトレーニングとはいえ、彼女の名誉のためにも場所は選んだ方がよろしくてよ?」
「肝に銘じます。……また来てくださいね、お嬢様」
トレーナーの飄々とした態度に少しだけ調子を狂わされながら、ヴィルシーナは廊下へと消えていった。
パタン。
ドアが閉まり、再び静寂が戻る。
「…………」
「…………」
数秒の沈黙の後。
ジェンティルドンナはその場に崩れ落ちた。
「……死ぬかと思いましたわ……」
「なんとかなっただろう」
「なんとかなってませんわよ!!」
ガバッと起き上がった彼女は、涙目でトレーナーに詰め寄った。
「気づいてましたわよね!? ヴィルシーナさんが来ていたこと、最初から気づいてましたわよね!?」
「ああ、気づいてたよ」
「ならなんで教えてくれないんですの!? おかげで私、あんな恥ずかしい姿を……!」
「いやあ、ヴィルシーナなら真面目で口も堅そうだし。ドンナの素顔を知ってる友達が一人くらいいてもいいんじゃないかと思って」
「よくないですわ! 私の素顔はお兄ちゃんだけのものです!」
彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。
その言葉に、トレーナーは少しだけ目を丸くし、それから優しく笑った。
「……そうか。なら、次はもう少し上手く隠してやるよ」
「絶対ですよ! もう……バカ! 意地悪!」
ポカポカと胸を叩いてくる拳は、先ほどまでの「女帝」の威力ではない。
トレーナーは苦笑しながら、その拳を受け止める。
そうしてじゃれつかれながら、彼は甘える彼女の頭を撫でるのだった。