ジェンティルドンナと幼馴染トレーナーのラブラブ生活 作:雅媛
12月24日。都内某所の高級ホテル。
シャンデリアの煌めきが、磨き上げられた大理石の床に反射している。
ジェンティルドンナの実家が主催するクリスマスパーティー。それは、聖夜を祝うというよりも、一族の繁栄と人脈を確認するための社交の場であった。
「――ジェンティルドンナ。先日のG1勝利、おめでとう」
ワイングラスを片手にした初老の男性――ジェンティルドンナの父が、抑揚のない声で言った。
娘の快挙を称えているはずの言葉には、温度がない。
「ありがとうございます、お父様」
「だが、慢心するなよ。お前の目標はあくまでクラシック三冠、そして古馬王道路線だ。今の勝利は通過点に過ぎん」
「はい。肝に銘じます」
ジェンティルドンナは、オートクチュールのドレスに身を包み、完璧な令嬢の笑みを貼り付けていた。
一ミリの隙もない立ち居振る舞い。
だが、その心は冷え切っていた。
彼女の少し後ろには、黒いスーツを着たトレーナーが控えている。
彼は壁の花として徹しているが、周囲の親族たちの視線は冷ややかだった。
「あれが、あの子の専属トレーナーか」
「随分と若いな。どこのウマの骨だか」
「所詮は平民出だろう。ジェンティルの才能にぶら下がっているだけじゃないのか」
ヒソヒソと交わされる陰口。
ウマ娘の聴覚には、それら全てが嫌でも届いてしまう。
ジェンティルドンナの耳が、不快げに伏せられそうになるのを、彼女は必死の意志力で堪えた。
(……黙りなさい。貴方たちに、お兄ちゃんの何がわかるのです)
叫び出したい衝動を飲み込む。
今ここで騒ぎを起こせば、彼がさらに悪く言われるだけだ。
私が結果を出し続けるしかない。彼が私にとって最良のパートナーであることを、数字で黙らせるしかないのだ。
「……少し、風に当たってきます」
限界を感じた彼女は、父に一礼すると、逃げるようにバルコニーへと向かった。
冬の夜風が、火照った頬ではなく、冷え切った心をさらに刺す。
「……ドンナ」
背後から、聞き慣れた足音が近づいてきた。
振り返らなくてもわかる。彼だ。
彼は無言で自分のジャケットを脱ぐと、彼女の薄いドレスの肩にそっと掛けた。
「……耳、強張ってたぞ」
「……気づいていましたの?」
「お前のことならなんでもわかるさ。……辛かったな」
その一言だけで、張り詰めていた糸が切れそうになる。
ここは戦場だ。心休まる場所ではない。
「……もう、十分だろ。挨拶回りは終わった」
「え?」
「抜け出そうぜ。……『俺たち』のパーティーはこれからだろ?」
彼は悪戯っぽく笑うと、会場の出口を親指で示した。
電車に揺られることすこし。
煌びやかな都心を離れ郊外の住宅街へとたどり着いた頃には、日付が変わる少し前になっていた。
「ただいまー」
「お邪魔します……」
トレーナーの実家の玄関を開けると、中から温かい光と、揚げ物の匂いが溢れ出してきた。
「あら! お帰りなさい! ドンちゃんもいらっしゃい!」
「待ってたぞー。特番始まっちまったぞ」
エプロン姿のトレーナーの母と、ビールですでに出来上がっている父。
そこには、ドレスコードも、家柄も、将来へのプレッシャーもない。
「おばさま、おじさま、夜分遅くに申し訳ありません」
「いいのよいいのよ! さあさあ、寒いから早く入って! こたつ温まってるわよ!」
背中を押され、リビングへ。
ちゃぶ台の上には、山盛りの唐揚げ、ポテトサラダ、スーパーで買ってきたであろう半額シールのついたオードブル、そしてホールのクリスマスケーキが所狭しと並べられている。
ジェンティルドンナは、貸し出されたトレーナーの高校時代のジャージに着替えると、こたつに半身を滑り込ませた。
「はぁ……生き返ります……」
彼女の耳が、ぺたりとリラックスして倒れる。
さっきまでの「貴婦人」はどこへやら。そこには、ただの「近所のドンちゃん」がいた。
「ほらドンちゃん、チキン食べなさい。また背が伸びたんじゃない?」
「ありがとうございます、おばさま。……ん、美味しい」
「ドンちゃんがG1勝ったって聞いた時は、父さんひっくり返っちゃってなぁ! 近所に自慢しまくってるんだぞ!」
「もうあなたったら、ドンちゃんが困るでしょ!」
賑やかで、少し狭くて、温かい空間。
テレビのバラエティ番組の音がBGM。
ジェンティルドンナは、口いっぱいに唐揚げを頬張りながら、隣に座るトレーナーを見た。
彼はスーツのネクタイを緩め、リラックスした表情で両親と話している。
(……ああ)
これが、私の帰りたかった場所。
冷たいシャンデリアの下ではなく、この暖かな場所こそが、私の本当に帰りたい場所なのだとつくづくと感じていた。
宴もたけなわとなり、トレーナーの両親が寝室へ下がった後。
二人は2階にあるトレーナーの部屋へと移動していた。
勉強机とベッド、本棚には昔の漫画。
時間が止まったような空間で、二人は並んで座っていた。
「……今日は、ごめんなさい」
不意に、ジェンティルドンナがぽつりと呟いた。
「あっちのパーティー、居心地悪かったでしょ。親戚の人たち、ひどいこと言ってたし……」
「予想してたことだし気にしてないよ。それに事実は事実だ。俺はまだ、お前の家柄に見合うだけの実績が足りていない」
「そんなことない!」
彼女は強く否定し、彼の袖を掴んだ。
「お兄ちゃんは最高のトレーナーよ。私を勝たせてくれたじゃない。誰が何と言おうと、私にとっては貴方が一番なの」
彼女は潤んだ瞳で彼を見上げ、切実な思いを吐露し始めた。
「……私ね、お兄ちゃん」
「ん?」
「あっちの家は、戦場なの。常に結果を求められて、息をするのも苦しい場所」
「……そうだな」
「だから……ここが、私の本当の家ならよかったのにって、ずっと思ってる」
それは、切実な願い。もし私が貴方の家族になれたなら。この温かい場所で、ずっと暮らしていけるのに。
トレーナーは少し困ったように、でも愛おしそうに彼女の頭を撫でた。
「……俺の家は、いつだってお前の家みたいなもんだろ。幼馴染なんだから」
「……今は、まだ幼馴染だけどね」
ジェンティルドンナは小さく、誰にも聞こえない声で付け加えた。
今はまだ、この関係でいい。
けれどいつか必ず、この場所に「ただいま」と言って帰ってこれる、本当の家族になってみせる。そんな思いを胸にしまう。
「まあ、焦らず行こうぜ。……そうだ、ほら」
しんみりした空気を変えるように、彼は優しく笑って机の引き出しから小さな包みを取り出した。
「はい、これ」
「え……?」
「クリスマスプレゼント。……そんな高いものじゃないけど」
渡された包みを開けると、そこには小さな指輪が入っていた。
肌馴染みの良いピンクゴールドのリング。宝石もなくシンプルだが可愛らしいデザインだ。
「……指輪?」
「最近学園内ではやっていると聞いてね。ピンキーリングなら、まあファッションとして重くないかなって思って」
彼は照れくさそうに頬をかいた。
ピンキーリング。小指につける指輪だ。それなら「贈り物」として重すぎず、お守り代わりにもなるだろうという彼なりの配慮だった。
「……嬉しい」
ジェンティルドンナは頬を染め、震える手でそれを小指にはめようとした。
だが。
「……あれ?」
するり、と指輪は小指を通り越してしまった。
彼が適当に見繕っていたため、サイズが違ったらしい。彼女の指は、彼が思っているよりもずっと細く、繊細だったのだ。
「あー……悪い。サイズ、大きすぎたか? 今度交換して……」
「いいえ、待って」
彼女は首を振ると、その指輪を隣の指――薬指へと滑らせた。
すっ。
まるで、最初からそこにあるべきだったかのように。
指輪は左手の薬指の根元で、ピタリと止まった。
「……ふふ。ぴったり」
「……お、おい。ドンナ」
トレーナーがギョッとして声を上げる。
左手の薬指。それは、特別な意味を持つ場所だ。
幼馴染からのプレゼントとはいえ、そこにはめるのは誤解を招くというか、意味合いが変わってくるというか……。
「そこは、その……意味が……」
「サイズが合うのが、ここしかなかったんですもの。仕方ありませんわ」
彼女は左手を掲げ、照明にかざしてうっとりと眺めた。
ピンクゴールドの輝きが、彼女の幸せそうな表情を照らしている。
その顔があまりにも嬉しそうで。
あまりにも、愛おしくて。
「……絶対、外さない」
大事そうに手を胸に抱く彼女を見て、トレーナーは出かかった言葉を飲み込んだ。
(……まあ、いいか)
彼女が笑顔なら、それでいい。
彼はそう思い直した。
彼女は薬指を握りしめたまま、彼の肩に頭を預けた。
窓の外では、雪が音もなく降り積もっていたが、この部屋の中は、春のように暖かかった。