ジェンティルドンナと幼馴染トレーナーのラブラブ生活   作:雅媛

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8 ジェンティルドンナと桜花賞

 春の陽気が、トレセン学園を包み込んでいた。

 敷地内の桜並木は満開を迎え、風が吹くたびに薄紅色の花びらが舞う。

 いよいよクラシックシーズンの開幕。その初戦となる「桜花賞」が目前に迫っていた。

 学園内の空気は浮き足立ち、どこか華やいでいるが、当事者たちのピリピリとした緊張感もまた、水面下で高まっていた。

 

 その日、桜花賞の有力候補たちを集めた合同記者会見の予行演習が行われていた。

 無数のフラッシュが焚かれる中、ジェンティルドンナは演台に立っていた。

 

 

「――では、ジェンティルドンナさん。初のティアラレースですが、ライバルたちへのメッセージをお願いします」

 

「メッセージ? 愚問ですわね」

 

 

 模擬記者役のスタッフに対し、ジェンティルドンナは冷ややかな視線を送った。

 その佇まいは、既に女王の風格を漂わせている。だが、漂わせすぎていた。

 

 

「私が勝利するのは、太陽が東から昇るのと同じくらい当然の(ことわり)。私が走る場所に道ができ、私がゴールした場所に歴史が刻まれる。敗者にかける言葉などありません。精々、私の背中を拝むことですわね」

 

「は、はあ……」

 

 

 完璧なまでの「剛毅」。

 威圧感は満点だが、一般的に求められる「春の華やかさ」や「フレッシュさ」は皆無だった。

 実際彼女は内心は焦っていたのだ。

 実家からの圧力、周囲の期待、そして何より「お兄ちゃんの評価を守らなければならない」という使命感。

 それが彼女をより頑なな「鉄の女」にしていた。

 

 

「ドンナさん、肩に力が入りすぎですわ」

 

 

 隣に居たヴィルシーナが、こめかみを押さえて小さく溜息をついた。

 彼女もまた有力候補の一人であり、最大のライバルだ。

 だが、最近はどういうわけか、危なっかしいジェンティルドンナのフォロー役に回ることが増えている。

 

 

「何が悪いのです? 私は私の気持ちを正直に述べているだけですわ」

 

「言い方というものがありますし、ファンの方々は、貴女の笑顔も見たいんですよ。少し落ち着いたほうが良いのでは?」

 

 

 ヴィルシーナは手元のペットボトルの蓋を開け、さっと差し出してきた。

 さらに、ジェンティルドンナの少し乱れた前髪を、自然な手つきで直してやる。

 

 

「髪も乱れていてよ。折角の美貌が台無しですわ」

 

「む……。子どものように扱わないでください」

 

 

 ジェンティルドンナは口を尖らせたが、差し出された水は大人しく受け取った。

 

 

「……ですが、気遣いは感謝しますわ。貴女も、調整は順調そうですわね」

 

「ええ、もちろん。貴女に勝つために仕上げてきましたもの」

 

「ふん。望むところですわ」

 

 

 憎まれ口を叩き合いながらも、そこには確かな信頼関係が見えた。

 部屋の隅で見守っていた彼女のトレーナーも、その様子に少しだけ安堵の表情を浮かべる。

 

 

(ヴィルシーナさんがいてくれてよかったな。ドンナの奴、俺の前だとどうしても強がっちまうから)

 

 

 だが、そんな微笑ましい空気など一瞬で吹き飛ばす「嵐」が、すぐそこまで迫っていた。

 

 

「――かーっ! お堅い! お堅いねえお嬢様がた!!」

 

 

 ガララッ! と扉が勢いよく開く。

 現れたのは、ジャージ姿で、何故か腰に木刀を差し、右手に大盛りの焼きそばを持った芦毛のウマ娘だった。

 

 

「ゴ、ゴールドシップ!?」

 

「なんでここに……!? 貴女は来週の皐月賞でしょう?」

 

 

 学園一のトリックスター、ゴールドシップ。

 ジェンティルドンナたちと同期であり、皐月賞へ出走予定の彼女は、なぜか桜花賞組の会見場に乱入してきたのだ。

 

 

「おうおう、取材のハシゴしてたらよぉ、ここからシケた空気が漏れ出してたから来てやったぜ。なんだそのツラはジェンティルドンナ。お前、そんな能面みたいな顔してたら、桜もビビって散っちまうぜ?」

 

 

 ゴールドシップはズカズカと演台まで歩み寄ると、ジェンティルドンナの顔を覗き込んだ。

 

 

「部外者は出て行ってください! 私たちは真剣なのです!」

 

「真剣? バッカヤロー! 客が求めてんのは『強さ』だけじゃねえ、『愛嬌』とのギャップだろーが! お前にはそれが足りねえんだよ!」

 

「な、なんですって……?」

 

「あぁん? だから私が可愛いお前さんのために一肌脱いでやろうってんだよ。感謝しな!」

 

 

 ゴールドシップはニカっと笑うと、焼きそばのパックをヴィルシーナに押し付けた。

 

 

「ほらヴィルシーナ、これ食ってろ。麺が伸びねえうちにな」

 

「えっ、あ、はい……って、熱っ!? なんですのこれ!?」

 

「いいか、よく見てな。相手の懐に飛び込む『ハートキャッチ・テクニック』を伝授してやるよ!」

 

 

 ゴールドシップの瞳が、獲物を見つけた猛禽類のようにギラリと光った。

 その視線の先には――部屋の隅で気配を消していた、スーツ姿のトレーナーがいた。

 

 

「あそこに、ちょうどいい実験台がいるじゃねーか」

 

「えっ」

 

「おいそこの兄ちゃん! ちょっとツラ貸せ!」

 

 

 トレーナーが反応するより早く、ゴールドシップは彼の手首を掴んで強引に中央へ引っ張り出した。

 彼は抵抗する間もなく、彼女のペースに巻き込まれる。

 

 

「ちょ、ゴールドシップ、俺は……」

 

「いいから黙って立ってろ大将。……へへっ、いい反応しそうだな、アンタ」

 

 

 小声でそう囁くと、ゴールドシップはニヤリと悪魔的な笑みを浮かべた。

 ゴールドシップは理解していた。

 一見そっけなく対応しているジェンティルドンナのトレーナーが彼女の急所であろうことは。

 

 

「いいかジェンティル、よく見てな。まずは距離感の破壊だ!」

 

 

 言うが早いか、ゴールドシップはスッとトレーナーの懐に潜り込んだ。

 正面から。吐息がかかるほどの至近距離。

 彼女の整った顔立ちが、トレーナーの目の前に迫る。

 

 

「よぉ兄ちゃん。近くで見ると、結構いい男じゃん?」

 

「ご、ゴールドシップさん? 近いですって」

 

「あはは! なに赤くなってんだよ。……ねえ、皐月賞の前にさ、アタシに『気合』入れてくんねえ?」

 

 

 彼女は上目遣いで彼を見上げ、あまつさえ彼が締めているネクタイを指で弄び始めた。

 クルクルと指に巻き付け、グイッと自分の方へ引き寄せる。

 その仕草は、普段の奇行からは想像もつかないほど、妙に艶めかしく、手慣れたものだった。

 

 

「ど、どういう……」

 

「わかんねえかな? ……こういうことだよ」

 

 

 さらに一歩踏み込み、身体を密着させる。

 柔らかい感触と、甘い香りがトレーナーの平常心を奪う。ほのかに漂う焼きそばの匂いだけがトレーナーを冷静にさせていた。

 トレーナーは完全にパニック状態だ。突き飛ばすわけにもいかず、かといって受け入れるわけにもいかず、両手を上げて降参のポーズを取るしかない。

 

 

「お、おい、からかうなよ……!」

 

「あ? からかってねえよ。アタシはいつだって本気(マジ)だぜ?」

 

 

 耳元で囁くようなウィスパーボイス。

 その光景は、端から見れば完全に「イケメン・トレーナーが、小悪魔なウマ娘に誘惑されている」図だった。

 

 

「な、なるほど……確かに、こういう一面を見せられると、ファンも……いやいや、ダメだろこれ!」

 

 

 トレーナーが理性と戦いながらツッコミを入れた、その時。

 

 

 バキッ

 

 

 鈍い音が響き渡った。ジェンティルドンナが持っていたマイクを握りつぶして圧縮したのだ。

 哀れウマ娘の握力にも耐えられるという触れ込みのマイクは1cm四方の立方体にまで圧縮されていた。

 

 耐え切れなくなったジェンティルドンナが、猛牛のような勢いで二人の間に割って入った。

 その背中からは、桜色のオーラではなく、地獄の業火のような真っ赤な殺気が噴き出している。

 

 

「――離れなさい!!!」

 

 

 部屋中のガラスがビリビリと震えるような大声。

 ゴールドシップが「おっと」と軽やかに飛び退く。

 

 

「なんだよ大将、いいとこだったのに邪魔すんなよー」

 

「私の! トレーナーに! 気安く触らないでください!!」

 

 

 ジェンティルドンナはトレーナーを背に隠し、威嚇するように両手を広げた。

 その形相は「貴婦人」でも「女帝」でもない。

 一番大切なお気に入りのおもちゃを、横から奪われそうになって癇癪を起した子供そのものだ。

 瞳が潤み、耳は怒りで伏せられ、尻尾がバシバシと床を叩きつけ、凄まじい風圧を生んでいる。

 

 

「おいドンナ、落ち着け。ゴルシは教えてくれてるだけで……」

 

「うるさいです! お兄ちゃ……トレーナーは黙っていてください! 鼻の下を伸ばしていたくせに!」

 

「伸ばしてないって! 困ってたんだよ!」

 

「嘘です! 顔が赤かったですもの! あのままキスでもされるつもりでしたの!?」

 

 

 彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。

 なりふり構わぬその姿に、ヴィルシーナは食べ途中の焼きそばを持ったままポカンとし、トレーナーはタジタジになっている。

 そして、元凶であるゴールドシップは――腹を抱えて笑っていた。

 

 

「ギャハハハ! 最高じゃねーか!」

 

「な、何がおかしいんですの!?」

 

「いやいや、いいモン見せてもらったわ。その必死なツラだよ。澄ました顔より、よっぽど愛嬌があって『可愛い』じゃねーか」

 

 

 ゴールドシップは涙を拭いながら、ヴィルシーナから焼きそばを回収した。

 ヴィルシーナは名残惜しそうに焼きそばを見ていた。

 

 

「ほら、兄ちゃんもそう思うだろ?」

 

「え、あ、まあ……ドンナらしくて、可愛いと思うよ」

 

「ほら見ろ!」

 

「……っ!」

 

 

 トレーナーの言葉に、ジェンティルドンナはハッとして口をつぐんだ。

 怒りで忘れていたが、自分が今、衆人環視の中で盛大に嫉妬を露わにしていたことに気づいたのだ。

 

 

「う、うう……っ」

 

 

 みるみるうちに、怒りの赤色が羞恥の赤色へと変わっていく。

 彼女はその場にしゃがみ込みたい衝動を必死に堪え、震える指でゴールドシップを指差した。

 

 

「……お、覚えてらっしゃい! この借りは、レースでお返ししますわ!」

 

「おうおう、やってみろよ。アタシが出るのは皐月賞だけどな!」

 

 

 ゴールドシップはひらひらと手を振り、嵐のように去っていった。

 残されたのは、呆然とするスタッフたちと、ソースの匂いだけだった。

 

 

「……まったく。あの方にかかると、調子が狂いますわ」

 

「ふふ。でも、少しは力が抜けましたわね、ジェンティルドンナさん」

 

「……余計なお世話ですわ。あと、歯に青のりついてますわよ、ヴィルシーナさん」

 

 

 ヴィルシーナは慌ててハンカチで口元を覆った。

 

 

 

 

 

 帰り道。

 すっかり日の落ちた学園の並木道。

 夜桜が、街灯に照らされて幻想的に浮かび上がっている。

 ジェンティルドンナとトレーナーは、並んで歩いていた。

 

 

「……今日は疲れたな。ゴールドシップの奴には困ったもんだ」

 

「……ええ。本当に、迷惑な方ですわ」

 

 

 ジェンティルドンナは小さく頷いた。

 だが、その声にはいつものトゲがない。

 彼女自身、あの「嵐」のおかげで、ガチガチに固まっていた肩の力が抜け、素の自分に戻れたことを自覚していたからだ。

 ……それでも、納得いかないことはある。

 

 

「……トレーナー」

 

「ん?」

 

「貴方、あんな変な絡み方をされるのが好きなんですの?」

 

 

 ジロリと彼を睨む。

 先ほどの、ネクタイを弄ばれていた時の彼の反応が、どうしても脳裏に焼き付いて離れない。

 

 

「まさか。心臓に悪いよ。それに、俺の好みじゃない」

 

「……でも、顔が赤かったですわ」

 

「それは……急に距離詰められたら、男なら誰だって驚くさ」

 

 

 弁解する彼に、ジェンティルドンナは唇を尖らせた。

 男なら、誰だって。

 なら、私だって。

 

 

「……私だって、驚かせられますわね」

 

「え?」

 

 

 彼女は立ち止まり、彼に抱き着いた。

 桜の木の下。舞い散る花びらが、二人の肩に降り注ぐ。

 誰の目もない、二人だけの場所。

 

 彼女は深呼吸を一つすると、ゆっくりと顔を上げた。

 鉄仮面を脱ぎ捨て、心からの親愛と、少しの独占欲を込めて。

 

 

「……お兄ちゃん」

 

 

 ふわり、と。

 桜が綻ぶような、柔らかく、あどけない笑顔を見せた。

 それは、計算されたギャップではない。

 彼だけにしか見せない、本物の「素顔」。

 

 

「……私、桜花賞、絶対に勝ちますから。……誰よりも近くで、見ていてくれますか?」

 

 

 上目遣い。潤んだ瞳。

 そして、そっと彼のネクタイに指を這わせる。

 それは、ゴールドシップのからかいよりも、何倍も拙くて。

 けれど、何倍も彼の心臓を貫く一撃だった。

 

 

「……っ」

 

 

 トレーナーは言葉を失い、顔が熱くなるのを感じた。

 いつも強気な彼女の、不意打ちの「妹」の顔。

 その破壊力は、G1級どころではなかった。

 

 

「……お、おい。反則だろ、それ」

 

「あら? 驚かせたかっただけですわよ?」

 

 

 照れ隠しにツンとそっぽを向くが、その頬は真っ赤だ。

 左手の薬指にはまったピンキーリングが、夜桜の中で小さく煌めいた。

 

 トレーナーは咳ばらいをして、平静を装おうと必死になった。

 

 

「……わかったよ。一番近くで見届ける。……お前が世界一、可愛いってことをな」

 

「……! よ、余計な一言ですわ!」

 

 

 バシッと背中を叩かれる。

 けれど、その痛みすら心地よい。

 夜桜の下、二人の影が寄り添って伸びていく。

 春の嵐のようなレースが、もうすぐそこまで迫っていた。




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