消えてしまった刑事さん   作:片岬(旧:片霧)

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成歩堂龍一の場合――番慶二との思い出について――

unconscious

――無意識――

 

家を出て暫くした後、家族が死んだ。

まとめて死んでしまって、家族は私一人きりになってしまった。祖父や祖母は既に亡くなっていて、親戚付き合いもなかった。

その頃、仕事が酷く忙しく、精神的にも疲弊していた。

昔の友人たちとは、地元から離れたために縁が切れていた。仕事に時間を食い潰され、恋人というものとも縁がない生活だった。

私は家族の死に体調を崩し、仕事が出来る状態ではなくなった。仕事を辞めると、職場で関わりのあった人達との薄い縁も切れた。

一人暮らしのアパートで、誰からの労りも慰めもなく、動くこともままならず時間が過ぎた。

そうしてある日、私は完全に動けなくなった。声もろくに出ず、手を差し伸べてくれる人もおらず、身体はやせ細り、意識が霞んでいった。

体が冷たかった。窓の外には何か、埃みたいなのが降っていた。それが覚えている終わりの光景。

 

「う、ぁ……」

 

そして、飢餓の中、たぶん死んだ。

 

それが僕の前世の最期。

 

 

 

成歩堂side

 

番慶二(ばんけいじ)という男は、成歩堂龍一にとって、最初は結構距離のある人だった。

 

「どうも。刑事の番慶二だよ。あ、慶二っていうのは職業の刑事の方じゃなくて、名前ね。刑事になるべくして生まれた名前みたいだよね。だから、何が言いたいかというと、番刑事だと紛らわしいから、慶二さんって呼んでね」

 

春のうららかな日差しのような、柔和な笑みを浮かべて砕けた挨拶をする男は、名乗った通り刑事であった。

成歩堂が慶二と出会ったのは、弁護士になりたての二十四歳の頃。弁護士事務所の所長、綾里千尋の補助として、担当する事件の調査へやってきた時だった。

千尋が親しげに「慶二さん!」と声を上げた。成歩堂からすると、千尋はクールな印象だったので、驚いた。その声の先にいたのが、黒いトレンチコートを羽織った、グレーのベストとズボンを着た男。ゆったりした笑みを浮かべた茶色髪の刑事であった。

 

「えっと、成歩堂龍一です。よろしくお願いします」

「彼が前に話していたナルホドくんなんです」

「ああ、彼が」

 

ぽん、と手を打つ動作はゆっくりとしていて、声色と相まってどこかスローペースに思えた。

彼は髪の片方をかき上げていて、片方の前髪はおろしていた。ヘアスタイルというより、朝に髪をかきあげてそのままにしたような雰囲気だった。けれど、乱れて見えないのは、おそらくその顔のせいだろう。

色白の肌で、鼻が高く、目元がはっきりとしていた。まつ毛が男にしては長く、目がより大きく見える。茶色の瞳が、緊張している成歩堂を大らかに映していた。眉がスラリと流れていて、少し薄い唇は美しく弧を描いている。

ありたいていにいうと、顔が整っていた。美形、というのだろうか。ちょっと髪や服を整えれば、アイドルです。といっても納得してしまいそうな容貌であった。つまり、かなり若く見えた。写真だけを見せられれば、成歩堂と同い年と言われても納得してしまいそうな姿だ。

だが、そのどっしりとした大らかさと、千尋の振る舞いを見ると、千尋よりも年上なのだろうと成歩堂は思った。

慶二はじっと成歩堂を見つめてきた。それに、思わず肩が強張る。

新人弁護士の成歩堂は、刑事と対面するのも初めてだった。身支度はしっかりしていたので、おかしなところはないはずだ。髪を後ろに流すようにワックスで固めて、青いスーツを上下しっかり着衣している。

 

「いい髪型だね」

「え」

「自分でセットしてるの? 偉いねぇ。僕は面倒で、軽くワックスを手につけて、ガッ! ってやるだけだよ」

「は、はぁ……」

「いい尖りだ。壁に突き刺さりそう」

 

そんなわけないだろ。

内心でそうツッコむが、流石に口には出さなかった。だが、隣で千尋が「こら」と声を上げた。

 

「顔に出てるわよ、ナルホドくん」

「え! す、すいません!」

「あはは! 全然、口に出してもらっていいよ。その方がすぐ仲良くなれるだろうし」

「相変わらずですね、慶二さんは」

 

千尋が笑みを浮かべて肩をすくめる。それに慶二はまた笑い声を上げた。

どういう関係なんだ。と成歩堂は素直に思った。

一応、弁護士と刑事はこうして仲良く喋るような間柄ではない。警察たちは検事側の指示に従って捜査をするし、弁護士に現場を捜査する権利は無い。

警察は現場にやってくる弁護士たちのことを、邪魔だと思っているはずだ。

 

「邪魔なんてとんでもない。千尋君はいい友人だよ」

「えっ、く、口に出てましたか……」

「出てないよ。今回は顔にも出てない。そう思ったのかなって想像しただけだよ」

「ナルホドくん、図星?」

「ま、まぁ……」

「やった。当たった」

「勘の鋭さも変わりませんね」

「まぁ、今回のは初対面の弁護士がみんな思うことだしね。千尋君だって最初そう思っただろ?」

「ええ。懐かしいですね」

 

昔からの友人と話すように会話をする二人に、ダシに使われたような気分になって、眉を潜めて肩を落とす。

そんな成歩堂を見て、慶二は思い出したように言った。

 

「ガラスのペンダント」

「ペンダント、ですか?」

「食べた?」

「は?」

 

今度こそ意味がわからない。ガラスのペンダントという単語自体は意味はわかるが、次に続くのがなぜ、食べた? なのか。

混乱しながらも、成歩堂は一応記憶を探ってみる。だが、そんなもの、口に入れた覚えなどない。しかも食べたなんてあり得ない。胃に入って消化されず、大変なことになるのは目に見えている。

首を傾げて、視線で答えを促す慶二に、成歩堂は「本当になんなんだ……」と思いながらも口を開いた。

 

「食べてないですが……」

「あはは、そうだよね」

「またお得意の勘ですか? ナルホドくん、ガラス食べちゃうんですか?」

「いいや、食べないよ。この勘はハズレ」

 

そう笑って「よかったね」と慶二は成歩堂に言った。何がよかったね、なのか。

そして慶二は千尋に「好きなだけ調べていいからね」と言って、成歩堂たちに背中を向けた。

 

 

それから、成歩堂たちは数えきれないほど彼と関わることになった。というか、世話になった。

それは事件がらみであったり、一般市民として犯罪に巻き込まれそうになったところを助けられたり、法廷で危ないところを助けてもらったり、などだ。

彼はやり手だった。穏やかな雰囲気とは別で、仕事に対しては本当に天職かというほどに仕事が早く、正確で、ピカイチだった。

ドラマや映画で見るような刑事にしか見えない。顔の良さも相まって、映画のスクリーンを見ているのかと見間違ったことも何度もある。だって仕方がない。彼は成歩堂たちが事件に巻き込まれそうになったところにフラッと現れて、恐ろしいことを仕出かそうとしていた犯人を、見事な手腕で捕まえてしまうのだから。

時には探偵のように、時にはヤクザのように、勘と知恵と腕力で捕らえてしまうのだ。

そうやって世話になる中、成歩堂も弁護士として法廷に立ち、成長していった。

 

「もう、初めて会ってから三年ですか」

 

そう、隣にいる黒コートの刑事へ言う。

三年間、そんな風に関わる回数を重ねていたら、いつの間にか勝手に感じていた壁はなくなった。今では近所のコンビニでばったり会ったら、近くの公園のベンチでお互いにアイスを食べつつ、だべるぐらいの仲になっている。

 

「そんなに経つんだ。月日が過ぎるのは早いねぇ」

「おじさんみたいなこと言いますね」

 

成歩堂は棒アイスを眺めながら、額の汗を拭う。アイスも汗を流していた。慶二は隣で分厚い黒コートを羽織り、財布に優しい値段のカップアイスをつついている。外でぐらいコートを脱いで欲しかった。

成歩堂は暑さを誤魔化すために、ぬるい頭で慶二に尋ねる。

 

「前から気になってたんですけど、どうして慶二さんは事件が起こる場所が分かるんです? エスパーなんですか?」

「ナルホドくん、エスパー信じてないでしょ? 勘だよ。それを言ったら、君たちだってどうしてそんなに事件に巻き込まれるんだい」

「知りませんよ! こっちが教えて欲しいくらいですよ」

「あはは。本当、僕がかち合って犯人を捕まえても、別の場所で事件に巻き込まれてるんだからなぁ」

 

成歩堂は何が言い返そうとしたが、流れたアイスの汗が指に伝ってきてしまった。慌ててアイスを食べ始める。隣で悠々とカップアイスを食べている慶二が、その滑稽な姿を見て笑っている。

 

「まぁ、危なくなったら電話してよ。すぐに駆けつけるから」

「駆けつけるって、慶二さんも仕事あるでしょう」

「市民の平和を守るのが刑事の仕事だからね。間違ってないし、君たちを優先しても文句は言われないぐらい仕事もしてるし」

 

仕事を舐めた発言だが、その通りなので成歩堂は何も返さなかった。慶二はいつ休んでいるのが分からないぐらい、事件を解決している。ちょくちょく新聞やテレビで表彰されている姿を見るぐらいだ。顔もいいので、慶二はちょっとした有名人であった。

慶二はカップのバニラアイスをお茶のようにすすり始めた。対して、手をアイスでベトベトにした成歩堂が、やけくそでアイスに全て口に入れながら尋ねる。

 

「ひゃんへほくたちをゆーへんしてくれるんへふか」

「そりゃあ大事な友人だからね」

 

慶二はコートからハンカチを取り出して、成歩堂に差し出した。柔和な笑顔は、夏の暑さに全く歪まず、汗すら出ていなかった。

変温動物かこの人、と思いながらも、ハンカチを受け取った。

 

「そういうの誰にでも言ってるんですか? やめた方がいいですよ。そのうち刺されます」

「特別な人達にしか言ってないよ。僕も体がいくつもある訳じゃないからね」

 

間接的に特別だと恥ずかしげもなく言われ、成歩堂は口を噤んだ。木陰でアイスを食べたのに、顔が熱い。

慶二は楽しげに笑った。成歩堂は慶二のこういう勘が鋭すぎる所が苦手だった。

 

「そういえば、真宵くんの分は? 溶けちゃわないかい」

「買ってませんよ。買ってきてって言われましたけど」

「可哀想に、うちわで仰ぎながら君のこと待ってるだろうに。仕方がない、僕が買って行ってあげよう」

「え、うちくるんですか?」

「うん。ダメかい?」

「ダメって言うか、仕事中では?」

「今日は休みだよ。だから公園でアイス食べてる」

「いや、なんで休みの時に、こんな蒸し暑い公園でアイス食べてるんですか」

「街で何か異変が起こってないかパトロールだよ。予定がない日はいつもそうしてる」

「……仕事してないと死ぬんですか?」

「酷い言われようだ!」

 

慶二はケラケラと笑って「一人で家にいるの苦手なんだよね」と、意外なことを言った。

再びコンビニに戻り、慶二は真宵の分のアイスを購入した。そのまま成歩堂弁護士事務所へと足を運ぶ。

事務所は少し前に所長が千尋から成歩堂へと変わった。理由は簡単で、千尋が昔同じ事務所に所属していた先輩と新しい事務所を立ち上げることになったためだ。

 

「まだ心配だから、何かあったら真宵を頼ってね」

 

と、彼女の妹であり、見習い霊媒師である綾里真宵も成歩堂弁護士事務所についてきた。

彼女は出会った当初はまだ十六歳で、しかも見習い霊媒師というなんとも胡散臭い自己紹介をする子だった。

だが、彼女は本物の霊媒師だった。見習いということで、すぐに霊媒ができる、というわけではなかったが、裁判中、もうダメだ! というところで、成歩堂は何度も彼女の霊媒に助けられた。

誰を霊媒していたかというと、姉の千尋である。当然、千尋は生きているのだが、姉の千尋は真宵を上回るほどの強力な霊力を持っていた。そのためか、生きている状態でも、他の霊媒師の体に魂を憑依させることができたのだった。そんなのありか、と成歩堂は思ったが、出来てしまっているのだから仕方がない。

ちなみに、霊媒をすると、真宵の姿は服装や髪型はそのままだが、それ以外は霊媒している相手へ変化する。真宵は幼さの抜けない少女だが、千尋は男に貢がせて生きていけそうなほどの魅力を持つ女性である。

つまり、裁判中に真宵は大人のお姉さんである千尋の姿に変貌する。と言っても、そうなる時には裁判は混迷を極めており、皆気にしないのだが。しかし、唯一、慶二は千尋を霊媒中の真宵の姿を見て唖然としていた。「そんな感じになるんだぁ……」というのが慶二の感想であった。

 

「ただいまー」

「ナルホドくん~~あっついよぉ、アイスは~?」

「全く……」

 

成歩堂が事務所の扉を開いて声をかけると、応接間のソファから声が聞こえてきた。ソファに横になっているらしい。

真宵は目を閉じてパタパタとうちわで顔を仰ぎながら、へなへなと言う。

 

「暑すぎるよぉ、もう滝行に行こうよ。涼しいところ行かなきゃやってらんないよぉ」

「滝か。いいね」

「あれっ、慶二さん?」

「こんにちは。お邪魔してるよ」

 

慶二が成歩堂の後ろから手を上げて挨拶をすると、真宵が目を丸くした。

 

「何か事件ですかぁ?」

「いや、今日は休み。それよりこれ、アイス買ってきたよ」

「ええ! 慶二さんが? やったぁ! ありがとうございます!」

 

ぴょんとソファから立ち上がった真宵に、慶二が近づいてコンビニの袋を渡す。

いそいそと袋の中身を確認する真宵は、またぴょんと跳ねた。

 

「わぁ、これ高いやつ! しかも三つも!」

「三つ?」

 

思わず成歩堂が声を出す。購入する所をしっかり見ていた訳ではなかったが、まさか三つも買っているとは。流石に真宵が腹を壊してしまう。

 

「二つは真宵くんので、残り一つはナルホドくんにね」

「え、僕ですか?」

「うん。真宵くんばっかりだと可哀想だし」

 

可哀想って、子供じゃないんだけどな。

そう思いつつ、そこアイスが彼女の言った通り、滅多に食べられない高級アイスだったので成歩堂は口を噤んだ。高給取りは買うアイスが違う。

真宵は早速食べる準備に取り掛かった。ソファに座って、アイスを三つ取り出して「どれにしようかな~」と目を輝かせて選んでいる。

そんな彼女の隣に、慶二が当然のように座った。

仕方が無いので、成歩堂は対面のソファに腰を下ろす。

 

「あと、さっき滝行って言ってたね。滝に行きたいの?」

「あ、そうなんですよ! ほら、やっぱり私、霊媒師なんで、修行しないと」

「ただ涼みに行きたいだけだろ」

「何よぅ! ナルホドくん、全然連れてってくれないんですよ」

「まぁ、滝があって、更に滝行ができる場所を探すのも大変だろうしねぇ」

 

そう言いながら慶二は懐から携帯を取り出して、何やら操作をしだす。そうして携帯の画面を真宵へと向けた。

 

「こんな感じの滝とかどうだい」

「え、凄くいい感じの滝! ここどこですか?」

「車で二時間ぐらい行ったところにある、知る人ぞ知る場所って感じだね」

「ええ~っ、いいな、行こうよナルホドくん!」

「ボク運転できないぞ」

「役に立たないなぁ~」

 

頬を膨らます真宵に、成歩堂は片眉を上げる。

都会で免許無しなんてごまんといると言うのに、この言われようである。弁護士バッジならあるのに。

二人のやり取りを笑顔で聞いていた慶二が、じゃあと口を開いた。

 

「僕が運転するから行こうよ」

「「え?」」

「今から」

「「え!?」」

 

いや、仕事が、と言う成歩堂に、でも暇でしょ? と返す慶二と、行きたい行きたい~! とはしゃぎ出した真宵に流され、成歩堂はいつの間にか車の後部座席に座っていた。助手席では真宵が地図を広げてはしゃいでいる。

慶二は二人を連れてレンタカーを借りに行ったかと思うと、そのままホームセンターまで車を飛ばし、魚釣りの道具を大人買いしていた。レジの金額に成歩堂は顔を青くしつつ、何も口を挟めないままここまで来てしまった。

そして車に揺られて二時間。山の麓までやってきた車が、駐車場なのか判断がつかない草むらに停まった。

 

「とうちゃーく」

「おお~、自然だ~! 倉院の里を思い出すな~」

「虫すごそうだなぁ……」

「でも涼しいだろう?」

 

各々車から降りて、周囲を見渡す。

倉院の里というのは、真宵の故郷の里のことだ。

慶二の言う通り、気温は街よりもかなり涼しく思えた。背の高い木々に囲まれた草原は、全てが青々しく、強い生命力を感じさせる。そしてその草木の間に、奥へと歩いていけそうな、山道か獣道か判断のしづらい空間があった。

 

「あの奥に滝と川があるんだ」

「すごーい! 秘密基地みたい!」

「あの、大丈夫なんですか? 勝手に入って」

「大丈夫だよ。ちゃんと一般客も入っていい場所だから」

 

車のバックドアを開けて、荷物を手に持った慶二がそう返す。そして荷物を幾つか成歩堂に無理やり渡した後、残りの荷物を持ってその小道へと歩き出してしまった。その後ろに真宵が続き、成歩堂は仕方なく荷物を持ち直して後に続く。

数分後には、川のせせらぎと滝の水を打つ音が聞こえてきて、十分もしないうちに都会では見ることも叶わない滝と綺麗な小川にたどり着いた。

十メートル程の高さの崖から水が落ち、綺麗な放物線を描いている。小川は透明で、のぞき込まなくても魚がいるだろうと思えた。

 

「わ~! すごいすごい!」

「そこまで喜んで貰えると連れてきたかいがあるね」

 

大興奮の真宵に、慶二は荷物をおろしながらニコニコ笑みを浮かべている。

真宵は早速「滝行の準備をしてくるね!」と木陰に引っ込んだ。恐らく滝行用の服に着替えるのだろう。

 

「ナルホドくんも荷物ありがとね。じゃ、僕たちも準備しようか」

「準備って何のですか?」

「何って、どうしてホームセンターで道具を買ったと思ってるんだい。魚釣りするよ」

 

そういえば、慶二はホームセンターで竿を二つ購入していた。あれってボクの分だったのか。と成歩堂は思いつつ、慶二に急かされるまま準備をし始めた。

 

椅子を設置して、竿に拙いながら餌をつける。魚釣りは初めての経験だった。成歩堂が苦戦している間に、慶二はさっさと糸を川に垂らしていた。

餌を落とした小川の上流を見てみると、真宵が「つめた~い!」と叫びつつ滝に突入している。

 

「あんまり無理するなよー!」

「分かってるー!」

「ま、視界から外さないようにはしておこうか」

 

二人のやり取りの後、慶二が成歩堂にだけ聴こえるようにそう言う。随分、滝に近い位置で魚釣りをするんだな、とは思っていたが、そういう理由だったらしい。抜け目ない男である。

 

「慶二さんって、こういう所にくるのが趣味なんですか?」

 

糸を垂らしたものの、滝に近いためか、なかなか魚が引っかかる気配がない。成歩堂は椅子に腰掛けながら、なんとなしに尋ねた。

分厚いコートを脱ぎ、椅子にかけた慶二が、いつもよりラフなベスト姿で言う。

 

「一時期趣味にしてたけど、やめちゃった」

「他に趣味が出来たとか?」

「そういうわけじゃないんだけど、こういう綺麗な場所に来て景色を見ても、一人だとね」

 

糸を垂らしながら、慶二がのんびりと語る。

成歩堂から見て、慶二は友人が多かった。いや、友人というより、彼を慕う人が多い。現場では部下に輝いた目で見られ、上司からも一目置かれている。検事とも弁護士とも仲良くしている。さらに言えば、事件現場の関係者といつの間にやら、昔からの友人だったかのように仲良くなっていたりする。彼は器用な男だった。

 

「職場の人とか誘えばいいじゃないですか。どうせ慕われてるんでしょ?」

「あはは、どうせって。まぁ、付き合ってくれる同僚もいるけど、この歳だと家族がいたり、そうじゃなくても恋人がいたりするからね。忙しい中じゃ、そっちが優先になるだろ?」

「……慶二さんは恋人とか」

「この流れでいる方がおかしいでしょ」

 

まあ、確かに。恋人がいれば、そっちを誘っているというわけだろう。

しかし、と成歩堂はその横顔を盗み見る。その顔は、大抵の人がイケメンと称する顔立ちをしている。この甘いマスクを持っていて、仕事もできてコミュニケーション能力も高いこの男なら、恋人の一人や二人すぐに出来るだろう。

 

「恋人はねぇ、作らないことにしてるんだよ」

「……口に出してませんけど」

「顔に出てるよ」

 

水面から一切視線を逸らしてなかったくせに。と成歩堂は眉間に皺を寄せた。

 

「どうしてです? 仕事との兼ね合いですか?」

「それもあるね。結婚願望はあるんだけどなぁ」

「……え、したいんですか? 結婚」

「そりゃあしたいよ」

 

随分俗物なことを言うな、と思った。いや、普通に結婚願望ぐらい、あってもおかしくはない。慶二は成歩堂より年上だし、いろいろ考える年頃なのだろう。が、やはり意外な気もした。

 

「なんで結婚したいんですか?」

「だって、死ぬ時に一人は嫌だろう?」

 

さらりと告げられた答えに、数秒考えて、そんな理由で結婚なんて考えたことがなかったな。と成歩堂は腕を組んだ。振動で竿が大きく揺れる。

 

「けど、警察じゃ一人で死ぬこともあるんじゃないですか」

「君、デリカシー無いよね」

「えっ」

 

慶二の呆れた視線が成歩堂へと向く。この視線は珍しい。いつも温かみを保っている瞳から一抹の冷たさを感じる。

普段怒らない人が怒ったような焦りを覚え、成歩堂は「す、すみません」とつい謝った。

 

「いや、いいよ。むしろごめん、からかい過ぎたな。気にしてないよ」

 

そう言いながら、慶二の瞳からは冷たさは消えて、いたずら小僧のように愉しげな笑みが浮かんでいた。これもまた珍しい。

とりあえず成歩堂は肩を下ろしたが、次いでからかわれた事実に少し眉をしかめた。

 

「死ぬ時に一人が嫌っていうのはちょっと違うかもな」

「……じゃあ、なんで結婚したいんですか?」

「うーん」

 

慶二が顎に手を当てる。答えを考える声が長くひびき、終わる前に慶二の糸が勢いよく引っ張られた。

 

「うわ! かかってますよ!」

「ホントだ!」

 

慶二は竿を引っ張って、リールを巻いていく。数秒間魚と格闘し、そうして慶二が糸を引き上げる。

そこには手のひらより大きな魚がかかっていた。

ピチピチと暴れる魚を引き下げながら、慶二が成歩堂へ体を向けた。

 

「見て、大きいよね!?」

 

目を煌めかせて少年のように笑う慶二に、思わず釣られるように成歩堂も笑った。

 

 

先程とは打って変わって、成歩堂は仏頂面であった。何せ成歩堂の成果は一匹、慶二の成果は十匹以上となっていたためである。

 

「僕の魚取らないでもらえますか」

「位置変える?」

「三十分前にも変えましたよ! これだからベテランは……」

「言っておくけど、魚釣りこれが初めてだよ」

 

嘘つけ! と声を大にして言いそうになったが、成歩堂はぐっと堪えた。あまりにもガキっぽかったので。

 

「よし、そろそろ食事にしようか」

「え、食べるんですか?」

「そりゃあ釣ったんだから食べるでしょ」

「いいんですか勝手に」

「大丈夫。前来た時、特別に許可もらったから」

 

許可ってどこの誰に貰ったんだよ。とは思うものの、彼も警察官である。問題ない相手から問題ない許可を貰ったのだろう。

いや、この男なら許可を貰っておらず注意されたとて、その場で相手と友好関係を築き、許可でも魚でも貰ってしまいそうだ。

 

「あのねぇ、仮にも警察が犯罪行為するわけないでしょ。ここを管理してる人と前に来た時に偶然出会って、その時に意気投合して、特別にここで魚を釣ってついでに調理してもいいって許可もらったんだよ」

「ちなみにその時、魚貰ったりしました?」

「……貰ったけど」

「ほら、間違ってないじゃないですか」

「間違ってるよ。ナルホドくんのは悪いことした後に許可もらってるでしょ」

 

慶二は、全く、と溜息をつきながら竿を片付ける。ちなみに、「この男なら許可を貰っておらず注意されたとて、その場で相手と友好関係を築き、許可でも魚でも貰ってしまいそうだ」などとは口に出していない。エスパーめ、と成歩堂は口を曲げた。

慶二は滝の方へ顔を向けると「真宵くーん! 腹ごしらえしよう!」と声をかけた。元気な返事が滝の中から聞こえる。

 

「じゃあ僕は火を起こすから魚用意しておいて。好きなように下拵えしていいから」

「え、下拵えってやり方知りませんよ」

「なら火の方起こす?」

「……まだそっちの方が出来そうです」

「あはは、下拵え終わったら手伝うから頑張ってみてよ」

 

着替えを終えてやってきた真宵と共に、どうにか慶二の用意した道具を用いて火起こしをする。どうにか、慶二が魚を捌き終えるまでには火をつけられた。

達成感と疲労感で椅子に腰掛け息をついていると、いくつかの魚を串うちにしたものと、切り身になっている魚を持って慶二が近づいてくる。

 

「もうお腹ぺこぺこですよ」

「ぺこぺこだよぉ~」

「あはは、お疲れ様。火起こしありがとね。じゃあ早速焼こうか」

「そっちの切り身は食べちゃダメなんですか?」

「こっちは鍋にして食べる用。一応アニサキス怖いから」

 

テキパキと用意する慶二は手際がいい。キャンプとかよく行くんですか? と成歩堂が問うと、一回だけ同僚と行ったことがあるよ。と返ってきた。

魚を焼いて煮て、ようやく慶二から食べてよしの号令がでた。成歩堂と真宵は我先にと手に取ってむしゃぶりつく。生臭さのない、爽やかささえ感じる魚の新鮮な旨味に二人は顔を見合わせる。

 

「気に入ってくれたようでなにより」

 

感想を聞く前に、全てを察した慶二がそう言って笑った。

 

「なんか贅沢ですね~こんないいところ三人で貸切なんて!」

「そうだねぇ。管理者の人に感謝だよ」

「一般客も一応来ていい場所なんですよね?」

「来ていいのは車を止めたところまでかな」

「はぁ……」

 

つまりここは管理人と仲良くなった慶二と、慶二の連れだけが堪能できる場所というわけである。

ツッコむのも面倒になって、簡単な相槌だけ打って成歩堂は滝を見上げた。滝に橙色がじわりと滲んでいる。空の色が反射して、暖かな色合いになっていた。

 

「久しぶりにいい休日になったなぁ」

「そりゃあ、パトロールする休日よりはいい日でしょうね」

「えぇ! 慶二さん、お休みの日にパトロールしてるの!?」

「うん。家にいるのが苦手でさ」

「あーちょっと分かるかも! あたしも部屋でゴロゴロしてると体動かしたい! ってなる時ありますよ!」

 

ここに来るまで部屋でゴロゴロしていたくせに、何を言っているのか。

成歩堂は眉を顰めながら、まぁ今は気分がいいし、と真宵の発言をスルーした。

慶二は「だよねぇ」と相槌を打って、それから椅子の背もたれに背を押し付けて、空を見上げてゆっくりと息をついた。

 

「ずっとこうしていたいなぁ」

 

その言葉が嫌に深い色合いがあって、成歩堂は思わずその空を仰ぐ姿に視線を向けた。

空気を堪能しているのか、充足感に満たされているのか。慶二はうすらと微笑んで、赤らんだ空を見上げていた。

それで、成歩堂はなんとなく納得した。

休日に、一人で家にいるのが苦手。それはきっと、真宵が同意したような理由ではないのだろう。

この人は、一人でいるのが淋しいのだ。

 

「慶二さん、何か嫌なことでもあったんですか?」

 

成歩堂がたどり着いた考えには至らずとも、その声色に違和感を覚えた真宵が気遣うように慶二に声をかけた。

慶二は目を丸くして「いいや?」と普段の声で返した。

 

「あ、でも……」

 

思いついたようにポツリと口にした慶二に驚く。

成歩堂は、自分が思ったことは思い違いだったのかと、勝手になんだか気恥しい気持ちになった。

 

「何かあったんですか?」

「最近弟に会えてないんだよね」

「えっ! 弟さんいるんですか!?」

「そう。五歳下。弟も警察官なんだよ」

「へぇ~知らなかった! やっぱり慶二さんみたいに優秀なんですか?」

「優秀かどうかは分からないけど、元気いっぱいで頑張り屋なんだ」

 

ニコニコと弟のことを語る慶二に、成歩堂も「ご兄弟いたんですね」と真宵と同じことを繰り返してしまった。それぐらい、なんだか兄弟がいることが意外だった。

それに「うん。歳離れてるから可愛いよ」と返ってくる。男兄弟を可愛いとは、どうやら相当仲がいいらしい。

 

「弟もここに連れてきたいな」

「いいですね! じゃあ、あたしはお姉ちゃん連れてこようかな」

「いいねぇ。五人で魚釣り勝負でもしようか」

「おっ! 負けませんよ~!」

 

騒ぎ出した二人に成歩堂はなんとなしにため息をつく。先ほどまでの静かな空気はどこかへ消えてしまった。

けど、それで良かったように思う。真宵と慶二は楽しげな表情をしていたので、成歩堂の口元も弧を描いた。

 

 

 

「あ、ナルホドくん、見つけた」

「あれ、慶二さん」

 

裁判所の廊下で声をかけられて、成歩堂は顔を上げた。そこには慶二がおり、笑顔で駆け寄ってくる。

成歩堂はその日、とある裁判の弁護をしており、無事無罪判決を得て一息ついていたところであった。

 

「真宵くんは?」

「お手洗いですけど、なにか用ですか?」

「二人に用があってね」

「僕たちにですか?」

 

そう。と頷く慶二に、なにか事件絡みだろうか。と内心首を捻っていると、廊下の奥から特徴的な霊媒服を着た少女が顔を見せた。トイレから戻ってきたらしい。

 

「慶二さんだ! どうかしたんですか?」

「やぁ、実は海に誘うおうかと思って」

「「海?」」

 

滝に共に行ってから、数ヶ月が経過していた。あの後、結局慶二の仕事が忙しくなり休日どころではなくなったらしく、遠出の予定は立っていなかった。

しかし、裁判所で呼び止められたと思ったらいきなり海とは。

 

「またどうして海なんですか?」

「たまたま話してたら海の話になってね。この後、予定平気? こっちに来て」

 

手招きをする慶二に、二人は大人しく着いていく。何せこの後の予定は特になかったので。

慶二について行くと、ちょっとした広いスペースに出た。そしてそこに居たのは、ある種見慣れた人物たちだった。

 

「お待たせ。見つけてきたよ」

「イトノコ刑事と……御剣じゃないか」

「成歩堂、本当にいたのか」

「なんだよそれ」

「御剣検事、なんだか久しぶりだね~」

「む、真宵くん。そうだな、最近は法廷でも会っていないからな」

「イトノコ刑事とはよく会いますよね」

「警察署で会うっスね~。担当じゃない事件の証拠品ねだらないで欲しいっス」

「担当の事件でもダメに決まってるだろう」

「あはは、相変わらず仲良しそうでなにより」

 

会話を聞いていた慶二が、楽しそうにそう言う。

やってきた先に居たのは、糸鋸刑事と御剣検事であった。二人はどうやら慶二を待っていたらしい。

御剣検事――本名は御剣怜侍。ワインレッドのスーツと首元のフリフリが特徴的な男。成歩堂の小学校からの幼なじみで、親友だ。以前は弁護士と検事という立場で、対立していた。だが、何年か前に色々とあり、今は互いをよく理解している。

そしてもう一人が、糸鋸刑事――本名は糸鋸圭介だったか。年季の入った深緑色のコートを着ており、ガタイが良い。御剣の担当刑事で、仕事ができるとは言い難いが、御剣を慕っており、薄給の中、日々頑張って働いている刑事だ。

ここ最近、法廷での相手は御剣では無かったので、彼と顔を合わせるのは久しぶりだった。

しかし、慶二が会わせたがっていたのがこの二人なのは驚きだな、と御剣の顔を見ていると、突然御剣の顔が険しくなった。

 

「な、なんだよ急に」

「成歩堂、貴様……慶二さんとキャンプに行ったそうだな」

「キャンプぅ?」

 

突然のキャンプについ言葉を繰り返す。脈略がないこともそうだが、御剣からキャンプという言葉が出てくるのも予想外だった。

 

「あれじゃない? この前の滝行の」

「ああ、あれか。まぁ、確かにキャンプと言えばキャンプだったかも」

 

真宵の指摘に、なるほどと納得する。真宵の滝行のために行ったものの、成歩堂と慶二は魚釣りをしていたし、後半は皆で魚を食べた。キャンプと言われればキャンプだろう。しかしそれがなんだというのだろうか。

この場に二人を連れてきた慶二は、御剣と成歩堂を眺めてニコニコしている。機嫌が良さそうに見えるのは、おそらく御剣が慶二のことを「慶次さん」と呼んだからなのだろう。御剣は少し前まで慶二のことを「慶二警部」と堅苦しく呼んでいて、慶二が「慶二さんでいいのに」と言っても聞く耳を持たなかった。それが、数年前に起きた御剣の過去に関する事件以来、慶二さん呼びになり、慶二はいたく喜んでいた。

とりあえず、慶二は頼りにならなそうだったので、成歩堂は険しい顔をしている御剣に尋ねた。

 

「それで、それがどうしたんだよ」

「うむ……。その話を慶二さんから聞いて、海に皆で行こうと言う話になったのだ」

「随分話が飛躍したな……」

「御剣検事、話を聞いている時、ちょっと羨ましそうだったっス」

「ああ、なるほど」

 

糸鋸刑事の説明で腑に落ちた。

慶二がキャンプの話をして、御剣が何か言いたげな顔をしているのを察し、海水浴を提案する流れが想像ついた。そして、この険しい顔は「慶二さんに気を使わせてしまって申し訳ない」の表情なのだろう。相変わらず感情表現が苦手な男である。

 

「皆で海楽しそう! 行こうよナルホドくん! あたし、お姉ちゃんも誘う!」

「はぁ、まぁいいんじゃない?」

「僕も弟を誘うよ。ナルホドくんもお友達誘ってもいいよ」

「友達……」

「弟さんがいらっしゃったんですか?」

「そうだよ。弟も警察官なんだ」

 

以前、成歩堂たちにした説明を御剣に伝える慶二を横目に、成歩堂は友達について考える。

と言っても、頭に浮かんだのは御剣と矢張ぐらいだ。矢張というのは、こちらも小学校の頃の幼なじみだ。御剣は行くのは決定しているし、矢張も誘えば嬉々として来るだろう。まぁ、誘っていいと言われているし、一応声をかけておくか。

 

「でも今年はそろそろシーズンも終わるし、また来年かな」

「え~残念……」

 

来年になると告げる慶二に、真宵が肩を落とす。それに慶二が何かを思いついたように、人差し指を立たせた。

 

「他にも声掛けて、もっと大人数で行こうか。ほら、冥くんとかにも声をかけたらどうかな」

「冥ですか……来るだろうか」

「う……狩魔検事か……」

「意外と来るかもよ?」

「じゃああたし、神乃木さんにも声掛けてみようかな~。あとはみちゃんにも!」

「いいね。大人数の方が楽しいよ、きっと」

 

慶二や真宵が、それぞれ知り合いの名前を挙げた。

朗らかに笑う慶二に、各々が誘う相手を頭に思い浮かべる。確かに、そこまで人が揃ったら久しぶりに会う面々もいるし、話が盛り上がりそうだ。

じゃあ来年、よろしくね。と慶二に言われ、少し早いが来年夏の予定が仮決定したのだった。

 

 

 

「あ、慶二さんじゃないですか」

「ナルホドくん。奇遇だね」

 

成歩堂が慶二とばったり出くわしたのは、事務所近くのコンビニだった。夏の終わりの時期で、成歩堂はアイスではなく、コンビニで売っているチキンを購入しようとしていた。慶二はどうやら、棒付きのアイスを買おうとしていたらしい。

 

「またアイスですか?」

「まだちょっと暑いしね」

「コートのせいじゃないですか?」

「かもね」

 

そんなことを話しながら、互いに会計を終えてコンビニを出る。

 

「休日ですか?」

「流石、成歩堂弁護士」

「またパトロールですか」

「まぁ、暇だから」

「公園寄りましょうよ。ボクも暇なんで」

「あはは、じゃあ時間潰そうか」

 

二人は以前にも時間を潰した公園に足を運んだ。夕暮れ時で、もう公園には人気はなかった。

以前と同じようにベンチに座り、成歩堂はチキンを頬張り始めた。慶二は棒付きアイスの封を切っている。

 

「そういえば、真宵ちゃん喜んでましたよ」

「うん? ああ、トノサマン?」

 

思いついたらしい慶二が正解を口にする。それに頷くと「喜んでくれてよかった」と慶二は笑った。成歩堂的には、大人一人ほどの大きさなので、事務所で無駄に存在感を放っていて嬉しくないのだが。

トノサマン――子供に人気の特撮ヒーローだ――の特大ぬいぐるみ。慶二が真宵の誕生日に贈ったプレゼントだ。真宵の従姉妹で、真宵と仲の良い春美という子がいるのだが、その子にも、ヒメサマン――こちらも特撮ヒーロー――のぬいぐるみを一緒に贈ったそうだ。

 

「でもどうして突然プレゼントなんて」

「ちょっと前に僕の誕生日だったんだけど、真宵くんがプレゼントをくれてね」

「ああ、だからお返しに……。何貰ったんですか?」

「ンー、特別なもの」

 

慶二は取り出した棒アイスで、口元に人差し指を置くみたいな仕草をした。それに、言うつもりはないのだろうなと察する。

事件の捜査をしている時も、答えてくれる質問とそうでない質問がある。この動作をするのは後者の場合だ。そう言う時、彼は口に糸でも縫い付けているのか、と思うほど答えを口にしない。

そうは言っても、真宵ちゃんに聞いたら分かるんだけどな。と思いつつ成歩堂は追求するのをやめた。誕生日プレゼントの中身を、ムキになって聞くのも野暮な気がした。慶二なら変なものをねだったり、もらったりしないという確信もある。

慶二は棒アイスをシャリシャリと噛み砕き、それからチキンを頬張る成歩堂に尋ねる。

 

「ナルホドくんは何かくれないの。僕にプレゼント」

「欲しいものあるんですか?」

「君らからならなんでも嬉しいよ」

「うわ……」

「うわってなにさ。本当のことなのに」

「……あげたら値段を知るのが怖くなるようなもの返されそうなんで、嫌です」

「よく分かってるじゃないか」

 

自然な調子で口説き文句を語る慶二に引きつつ、成歩堂は真宵たちに贈られたぬいぐるみのことを思い出す。

なんとなく気になって調べてみたら、見た目に反して笑みが消える金額だった。流石に、真宵たちには伝えていない。

棒アイスは溶けるように慶二の口の中に吸い込まれていき、あっという間に棒だけが残った。すぐに食べ終わったのに、どうやら運悪く溶けた氷で手を濡らしたらしく、水を払うように手を振っている。

それを見て、ポケットに入れていたハンカチを取り出した。

 

「どうぞ」

「気が利くね。……って、これ僕のじゃないか」

「え? そうでしたっけ」

「前に貸したやつ。そういえば返してもらってなかったね」

「じゃあ、これでお互い様ってことで」

「何それ……んはは!」

 

耐えきれないように笑った慶二は、年齢に見合わず少年のようだ。時折こういう顔をする。最近見るようになった表情だった。

こうしてみるとやっぱり同年代ぐらいにしか見えないな、と成歩堂は思いつつ、チキンの最後の一口を口に含んだ。慶二はハンカチで手を拭って、上機嫌そうにしている。

 

「誕生日プレゼントじゃないですけど」

「何かくれるの?」

「……まあ、暇で退屈だってなったら、事務所に来ていいですよ。ボクでよければ付き合いますし」

 

夕暮れを見上げて、ずっとこのままがいいと口にして、今日も休日なのにパトロールをしている人。

誰かに頼られるのは慣れているくせに、誰かに頼るのに慣れていなさそうな人。

一応、喜ぶんじゃないかと思って成歩堂は言った。だが、実際に口にしてみると、随分小っ恥ずかしいことを言っているように思えた。こう、自分が必要とされていると勘違いしているような感覚。

成歩堂は目を合わせられなかった。だからといって、今更撤回することもできなかった。ただ、公園の遊具を眺める。

その時、隣からいつもよりワントーン高い声が聞こえてきた。

 

「え? いいの?」

 

早るような、気持ちを抑えているような声色に、ようやく目線をそちらへ向けた。まつ毛の長い目を見開いて、ポカンと成歩堂を見つめている。

それに、なんだかモヤついた気持ちになった。こんなことで、そんなに喜ばないで欲しかった。

 

「まぁ……友人ですし」

「えっ、僕たち友達だったの?」

「え、なんですかそれ。前に友人って言ったのそっちでしょ」

「あー……言ってはいたけど」

 

太陽の日差しに焼かれながら、ちょうどこの場で『大事な友人』と形容したのは慶二の方だ。

それをすっかり忘れていたのか、それとも深い意味などなかったのか。慶二が目を瞬かせて、頬をかいた。

 

「まさかナルホドくんから友人だと思ってもらえるとは考えてなかったからさ。正直すごく嬉しい」

「……あの、なんでも口に出さないと気が済まないんですか?」

 

慶二はみるからに嬉しそうに笑って「だって口に出された方が、実感が湧くだろう?」と語る。

そしてちょっと膝を寄せて、覗き込むようにして成歩堂に言った。

 

「ねぇ、せっかくだしナルホドくんの方から僕を誘ってよ」

「な、なんでですか。好きな時に来ればいいでしょ」

「だって、この前の滝も今度の海も、発端は僕からじゃないか」

「そりゃあ、そうですけど」

「ほら、電話とかメールとかでさ」

「ええ……」

 

楽しげに提案してくる慶二だが、改めて誘ってくれと言われるとなんだか頷きづらい。

そんな成歩堂の躊躇いを見越してか、慶二が小さく笑った後に言う。

 

「じゃあ僕のこと見つけてよ」

「見つける?」

「僕が裁判所で君を見つけたみたいに、君が今日コンビニで僕を見つけたみたいにさ。そしたら誘いやすいだろう?」

「まあ……っていうか、それを言ったら、今日公園に誘ったのボクじゃないですか」

「あっ、ホントだ。そうそう、そういう感じで誘ってくれればいいんだよ」

「はぁ」

 

腑に落ちない顔をする成歩堂に、慶二は満足そうな表情をして、丸めていた腰を伸ばす。

それから夕暮れの空を仰いで、穏やかに微笑んだ。

本当に淋しがり屋な人だな、と成歩堂はその横顔を眺めながら思う。

 

 

 

だから今、とても淋しがっているのではないだろうか。

 

慶二が主催した海水浴は、その慶二が酷く多忙になってしまったことで、更に来年に伸ばされた。春あたりに連絡が来て『仕事が忙しくて休みが取れなさそうなんだ。僕は行けないけど、皆で行けたら行って欲しい』と。随分と早い断りの連絡に、本当に忙しいのだと伝わってきた。確かに秋以降、慶二とばったり会う機会は一度もなかった。しかし、主催が行けないとなると、自然と集まっていこうということにもならず、来年にしよう。と仲間内で決まった。

 

『あの連絡』が入ったのは、そんな年の冬だった。そして、慶二が主催の海水浴は開催されないことが確定した。主催人が死んだのだから、そうなるものだろう。

慶二は仕事の最中、犯人に襲われて死んだらしい。

葬式に出席したが、棺桶は締め切られていた。中身が見せられないような状態なのだろうな、と成歩堂は思った。犯人は逃げおおせ、慶二の死体だけが残った。成歩堂も、ニュースで報道されているわずかな内容しか知らなかった。

葬式の場は、多くの人々が集まっていた。成歩堂の師匠である千尋もいた。老若男女、皆一様に暗い顔をしていた。慶二が多くの人に慕われているのは知ってはいたが、その人数に改めて驚いた。

そうして、弔辞が読まれる際、初めて成歩堂は慶二の弟を見た。慶二と同じぐらいの高めの背丈で、警察官をしているのが納得できるしっかりとした体つきをしていた。慶二と同じ茶色の髪色で、黒い喪服がなんとなく似合っていなかった。

親族代表として弔辞を読んだ彼は、はっきりとした声をしていた。書かれた文章には、兄を惜しむ言葉が多くあった。苦しみを押しつぶす声に、仲が良かったんだな、と分かりきっていたことを思った。

弔辞を読み終わった彼は、弔辞の書かれた紙を折りたたんだ。そして遺影を見上げた。写真の慶二は穏やかな笑みを浮かべている。彼が手にしていた紙が、手の内で強く握られてぐしゃぐしゃになっていた。

ああ、番慶二は死んだのだな。と成歩堂は思った。

 

真宵と二人で事務所へと帰る。途中で雨が降ってきて、持ってきた傘をさして事務所へと戻った。

二人とも喪服を脱ぐ気も起きず、応接間のソファに座った。真宵はずっと思い詰めたような顔をしている。自分では見えないだけで、成歩堂もそうかも知れなかった。

成歩堂は、悲しくはなかった。いや、そう言う気持ちもゼロではなかっただろう。だが、線香を上げて、遺影を見て思ったのは、やるせない怒りだった。慶二を殺した犯人に対してではなかった。そこに対する怒りも、当然ある。だが、湧きあがった怒りは慶二へ対してだった。

海の約束はどうなったのか。あんなに大勢が楽しみにしていたのに。勝手にいなくなるなんて。頼りにしていたのに。刑事として、市民の平和のために働くのが仕事だったろうに。一人でさっさと死ぬなんて。

なぜ、どうしようもない淋しがり屋のくせに。

 

『じゃあ僕のこと見つけてよ』

 

ふわりと、夏の終わりに聞いた言葉を思い出す。

何が見つけて、なのか。身勝手な言葉だ。

今も隣で成歩堂を覗き込み、穏やかに微笑んでいる。見つけてくれるよね、と言われているようで腹が立った。

なら、こっちから呼んでやる。と成歩堂は口を開いた。

 

「真宵ちゃん」

「何?」

「霊媒、できる?」

 

誰を、とは言わずとも分かるだろう。

私利私欲のために霊媒をするのは、当然良いことではない。本来はしっかりとした手順がいる。けれど、彼女は今すぐにでも霊媒ができることを成歩堂は知っていた。

真宵は沈痛そうな面持ちで成歩堂を見た後に「できない」とか細い声で言った。

 

「……前に、慶二さんと約束したの」

「それって、どんな?」

「もし、どんなふうに死んでも、慶二さんを霊媒しないって」

 

成歩堂は、棒アイスを思い出していた。口元に置いたそれが言うのを断った内容は、このことだと気づく。

今の今まですっかり忘れていた。慶二から無理矢理にでも聞いておけば良かった。

 

「なんでそんなこと、慶二さんは言ったんだ」

 

半ば独り言のように呟いたそれに、真宵が言った。

 

「もし、自分が呼び出されたら……現世から離れるのが嫌で、悪いことするだろうから、って」

 

なんだよそれ。と思った。けれど、同時にやりかねないな。とも思ったから、成歩堂はため息を噛み殺して、背もたれに倒れるように背を下ろした。

 

『僕のことを見つけてよ。一人は淋しい』

 

聞こえてきた幻聴に、頭を振る。それなら、最初からいなくならなければ良かったのだ。

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