夕神side
事件当日の第一ラウンジで、葵大地の前に現れた人物――それは番慶二のふりをしていた。
そして、事件前日に見学スペースで、希月心音の前に現れた人物は、番慶二そのものの姿をしていた。
それらの情報から、亡霊が番慶二に変装し、葵を騙しカプセルを奪い、心音を見学スペースで気絶させ罪を着せたかもしれないという推測が成った。
夕神は、弁護士側から出されたその推測に異議はなかった。
ダストシュートからは、茶色のコートが発見された。他のゴミに塗れて汚れてはいたが、年季は入っていないようだった。ダストシュート内の調査内容を写真付きで見たときに、確かに視界には止まったのだ。一般客が置いて行ったものを清掃ロボットが回収したのかとその時は思った。だが、亡霊が暗闇の中で使用するためだと想定すると、腑に落ちる。
亡霊は、自ら殺した男にさえも変装し、悲しみにくれる人々の心に付け入り騙し、弄ぶ。
そうしてその被害者は、肉親にも及ぶ。
検事席で、資料を見つめながら眉を寄せ、唇を噛み締めている男を見遣る。
番轟三――番慶二の弟であり、現役の刑事。そして、つい先ほどまで監禁されていた。自らの兄が、自分を保護していると騙されて。
慰めの言葉など出てこない。肉親が偽物だったと知った男に、どんな慰めも意味はないだろう。
どうして騙されたのだ、という詰りの言葉も。それほどまでに、亡霊の変装が完璧だったということだ。慶二は七年前に死んでいる。その事実を覆すほど、亡霊は慶二の姿で、うまく心の隙間に滑り込んだのだろう。
兄の仇を、兄と思い過ごしていた日々に、何を思うのか。夕神には想像もつかなかったし、想像したくもなかった。そんな、痛ましいことは。
保護していたという兄が偽物だったと突きつけられ、番は言葉を失った。顔を伏せて机に肘をついて、何も言わなくなった。
残念ながら、番からの証言は期待できないだろう。彼のメンタル的にも、騙されて監禁されていたという状況的にも。
今、法廷は振り出しに戻っていた。
被告人、希月心音の容疑は晴れたと言っていいだろう。そして真犯人として、亡霊の名が出てきた。写野は共犯者で、番を人質に協力させられていたに過ぎない。王泥喜の洞察によって、亡霊は慶二の姿を利用し、現場で工作をしていたこともわかった。ロケット爆破、カプセル奪取も亡霊の仕業だ。
だが、そこから先は霧の中に包まれていた。
亡霊は、カプセルを持って見学スペース通路から中央棟の梯子へ飛び乗って、逃走した。宇宙センターの職員や警備で配置されていた警察官は、地下シェルターに避難しており、外に逃走した亡霊の目撃者がいるとは考えられない。もし居たとしても、亡霊は宇宙センターの職員の姿に変装していたという。他の職員に紛れてしまっているはずだ。
全てにおいて、手遅れだった。亡霊はすでに逃げおおせているだろう。夕神たちが見つけたのは、亡霊がその場にいたという事実のみ。
沈黙が占める法廷で、裁判長が厳かに口を開く。
「あまりにも闇の深い、恐ろしい犯人です。しかし、これで希月心音の容疑は晴れました。脅されていたとはいえ、亡霊に協力した写野変蔵は、警察での取り調べで全て正直に伝えるように。亡霊については、警察の今後の調査に期待いたしましょう」
裁判長が木槌を持つ。
これは希月心音の裁判だ。亡霊という真犯人について、これ以上情報が出ないとなれば続ける意味はない。
無力感が体を覆う。
七年だ。七年、ずっと追い続けてきた。ようやく表に出てきた亡霊は、多くの人間の心を踏み躙り、そうして霧のように消えていく。こんなことが、許されるというのか、こんな、忌まわしいことが。
――頼りにしてるよ、相棒。
俺は、俺は、本当に――あんたに頼りにされるべき男だったのだろうか。
「では、希月心音に判決を言い渡します」
裁判長が木槌を振り上げる。そうして口を開く。無罪を告げる裁判長の声が――直前で消し飛ばされる。
検事席にいる。夕神の隣にいた男によって。
番轟三side
「異議あり!」
顔を上げた。背を正した。前を見た。
判決が下される直前。轟三は、苦悩を振り払った。絶望を捨てた。
自らが信じるものを、信じ続けようと決めた。
裁判長が、目をこれ以上ないほど見開いて轟三を見る。
「ば、番刑事、ですか? 先ほど叫んだのは」
「……ジブンの兄、慶二が死んでいるとされていることについて、異議を申し立てる」
「な、な、何を言うのですか。つい先ほど、現れた慶二さんは、亡霊が変装した姿だと証明されたはずでしょう!」
信じ難いという表情でそう主張する裁判長に、胸を張って口を開く。
「ジブンを保護していたのは、本物の兄だったのだ」
「オッサン……! あんたは騙されてたンだよ……!」
すぐ横にいた夕神が、顔を歪ませてそう告げる。
轟三はそちらを見て、眉を寄せて言葉を返す。
「騙されているのは、そっちだ」
目にかかった前髪の下で、夕神の視線が轟三を見ている。言葉は返ってこなかった。驚いているのか、それとも呆れているだけか。轟三にとってはどちらでも良かった。
ずっと胸に引っかかっていることがあった。その違和感を、今こそ信じるべきだ。そして、自分の前に現れた、たった一人の兄を。
正面の、弁護士席で、成歩堂が険しい顔で口を開く。
「騙されている、とは、どういうことです」
「七年前から、みんな騙されていたのだ。兄は殺されて、葬式で遺体が焼かれた。それが、間違いなのだ」
「……何を言っているんです? あなたは、肉親として彼が亡くなったのを確認したのでしょう?」
「そうだ。だが、違ったのだ。あんなものは、兄さんではない。ずっとおかしいと思っていた。髪色も、目の色も、顔つきも、兄さんはあの遺体とは似ても似つかなかった! あの日焼かれたのは、兄さんではない!」
顔の前で、拳を握る。
そうだ。ずっとおかしいと思っていた。けれど無理矢理納得させていた。兄は死んだのだと。
相対していた成歩堂は、狂人を見るかのような表情でこちらを見る。
「何を……あり得ないでしょう! 何を根拠にそんな世迷言を!」
「ああ。見るのが早いだろう。ジブンに変装していた君! ジブンの警察手帳の中に、写真が挟んであるはずだ!」
「しゃ、写真ですか?」
写野が顔を黄色に点滅させて、慌てた様子でガンホルダーを探る。収納された警察手帳を取り出して、二つ折りにされているそれを開く。
中には、轟三の写真と所属が書かれている。その紙の下に、入れておいたのだ。兄の葬式を挙げた後、家に帰ってアルバムを見た。兄との思い出を忘れたくないと、写真をひとつ持っていった。
「幼い頃に、兄と共に撮った写真があるはずだ」
写野の仮面が、ハッとした表情を形作る。
そうして、一枚の写真が引き抜かれる。小さく折り畳まれたそれを、写野が広げた。
写野が、恐る恐る、その写真を皆に見えるように掲げる。
「……だ、誰ですか、それは」
そう、成歩堂が呟いた。
子供が二人写っていた。一人は茶色髪で、茶色の瞳、眉が太めで、目が大きい。満面の笑みを浮かべた轟三だった。
もう一人、そんな轟三を背負って笑みを浮かべている少年がいる。癖のある黒髪で、吊り目がちの、黒い瞳。そんな子供が、柔らかな笑みを浮かべている。
裁判長が、口を金魚のようにパクパクと開閉させた後、ようやく声を上げた。
「こ、これは……別人ではないですか!」
「そうだ! 兄は、死んだ番慶二とは別人なのだ! ジブンの元へ現れたのは、本物の兄さんだった!」
轟三の元へ現れた慶二は――かつての面影がそのまま残っていた。
癖のある、少しウェーブのかかった黒髪。吊り目がちで、無表情で見つめられると怒られていると感じる鋭い目。瞳孔の色と同化している、とても黒い瞳。轟三の前に現れた慶二は、轟三の記憶にある兄が、そのまま大きくなった姿だった。
手元にある、関係者の資料を見る。慶二の資料もあった。顔写真。茶色の癖のない髪に、笑った遺影の写真では分からなかった、茶色の瞳。はっきりとした目元。こんなのは、兄ではない。
「し、しかし、ならどうして、七年前にそのことを警察に言わなかったのですか!」
「言ったさ! しかし、警察は取り合わなかった。それに……兄の姿は、死んだと聞かされて遺体を見ることになる日まで、十数年見ていなかった。大人になれば、髪を染めるし、顔も変わる。整形することもある……。兄の面影が、全くないわけではなかった。だから、警察の言うことを信じて、ジブンは遺体を兄だと思い葬式を挙げたのだ」
轟三は遺体を見て驚愕した。警察に、本当にこれは兄なのかと、確認してほしいと主張した。だが、警察からの返答は指紋、DNA共に一致しているというものだった。資料も渡されて、顔以外に判断する術を持たない轟三は何も言い返せなかった。
まるで他人のようだった。だが、全く違うとも言い切れなかった。耳の形や、顔の輪郭、口元は、兄の面影を残していた。
警察からの証拠もある、面影もなくはない。
兄かもしれない、と思うと、兄が自分達家族に会わなかったのは、自分の写真を送ってこなかったのは、こういう事情があったからなのか。とも考えられた。
己の姿が気に入らなくて姿を変えた、その姿を家族には見せたくなかったのかもしれない。
目の色も、遺体は瞼を閉じていた。普段はカラーコンタクトをして、変えていたのかもしれない。
だから、轟三は納得した。引っ掛かりを押し潰して、遺体を兄として弔うことにした。それ以外に、選択肢もなかった。
轟三がどう引っ掛かりを感じても、兄が帰ってこないことは確かだったから。
だが、兄は帰ってきた。
「やはり、違ったのだ! あれは、偽物の遺体だった!」
轟三はそう言い立てる。
それに、成歩堂は頭に手を当てて黙り込んだ。
その隣で、王泥喜が額から汗を流しながら言う。
「そんな、まさか……じゃあ、宇宙センターに現れたのが亡霊で、番刑事のところに来たのが本物だったと言うんですか? でも、そうすると番刑事は慶二さんが保護していたことになる。亡霊が写野を脅していた説明がつきません!」
「そうかもしれない。だが、ジブンを保護していたのは本当の兄さんなのだ!」
確かに轟三の主張では、写野が亡霊に”轟三を人質にしている”として脅されていた説明がつかなくなる。
だが、そもそも写野が本当のことを言っているかは分からない。彼が嘘をついている可能性など大いにあるのだ。
ただ、重要なのは、轟三を保護していたのが、本物の兄であると言うことだけ。
王泥喜が轟三の勢いに口ごもる。その時、顔を伏せていた成歩堂が、机を強く叩いた。
睨みつけるような視線が、轟三に当たる。
「それは、あなたが慶二さんに生きていてほしいと思うあまりの、希望的観測ではないのですか」
その言葉が、轟三の胸にナイフのように刺さった。
――否定はできなかった。轟三は、兄が生きて、会いに来てくれたという事実の拒絶ができない。したくない。その想いも、この主張における理由の半分は占めている。嘘はつけなかった。
「ぐっ……そうだ! ジブンは、兄さんがジブンに会いに来てくれたと信じたい! 信じている!」
「ですが、証拠はないでしょう!」
成歩堂の主張に、轟三は歯噛みをする。兄が死んだと言うことは、公的にも、警察の資料からもそれが証明されている。
対して、轟三の主張は過去の写真と遺体の相違点と、轟三の直感のみだ。その写真と遺体の身体も、当時の轟三が納得したように、全く類似点がないわけではない。
兄が死んでいると認めるわけにはいかなかった。だが、成歩堂の言う通り、証拠など存在しない。
拳を握る轟三に、隣から、静かな声がかかった。
「もし……もし、あんたの言葉が本当なら……本物の番慶二は、それと分かるものを必ず残していたはずだ」
声の方へ視線を向けると、夕神が轟三を静かに見つめていた。
「それと、分かるもの?」
「あの人は抜け目がねェ。自分が亡霊と疑われるのなら、何かそうでないと証明できるものを残しているんじゃねェか。あんた、覚えはねェのか」
夕神の言うことは、最もらしく思えた。確かに、あの兄ならば、何かを残しているかもしれない。
だが、そんなものは轟三には覚えがなかった。何かをもらった覚えも、伝えられた覚えもない。
「覚え、覚えと、言っても……」
「慶二さんは、あんたに何か言ってなかったのか」
何か。
そう、慶二が最後に轟三の元へ訪れた日。しばらく来れなくなると言った。大事な用事があるからと。
轟三は躊躇いなく頷いた。そのようなことは、保護されている一年半ほどの中で、何回もあったためだ。
そうして、慶二は素直に理解を示した轟三に、微笑んで言った。優しい眼差しだった。
――轟三は、自分の命のことだけ考えてね。
二人だけの部屋の中で、兄に用意された服の上。軽く胸をポンと叩かれた。
流れた光景に、いつの間にか叩かれた胸元に手を置いていた。胸元の、ポケットの上。何か、硬い感触がした。
占められていたチャックを開ける。ポケットの中には、黒く四角い、五センチに満たない程の大きさの、平たいの長方形の小物が入っていた。
そして、何かの文字が彫られている。
「これは……”John”?」
「っ、何!?」
「な、なんだい! 何か、知ってるのかい。ジブンは、ポケットにこんなものが入っているなんて、全く気づかなかった……」
取り出したそれに書かれた文字を読み上げると、夕神が詰め寄ってきた。
轟三は口にした通り、こんなものがポケットに入っているなんて全く気が付かなかった。平たくてとても軽いものだったためか、動いている時にも気にもしなかった。けれど、ずっと部屋にいた轟三の衣服に入っていたなら、それは兄が入れたものであるはず。
ポケットから轟三が取り出した小物を、夕神は食い入るように見つめている。
「それは、あの人が七年前、独自で捜査していた情報が入っているもんだ!」
そう口にした夕神に、呆気に取られる。
彼の言った通りだった。兄は、残していた。自分が偽物ではなく、本人であるという証拠を。轟三にも悟られずに。
指で掴んだそれを見つめる。少し光沢があって、薄さや小ささを考えると、少し重いかもしれない。
情報が入っていると夕神は言った。一体、何の情報が入っているのか?
弁護士席で事を見ていた成歩堂が、声を上げる。
「ほ、本当に慶二さんの物なんですか? 似た別のものの可能性は……」
「この中身は、あんたの師匠も関わってる。中身を見れば、あの人が持っていた情報かどうか分かるだろうさ」
「千尋さんが……?」
千尋――轟三も、名前だけは聞いたことがあった。綾里千尋。以前から法曹界で活躍していた敏腕弁護士だったはずだ。
師匠となれば、連絡はすぐに取れるはずだ。そこで、信憑性を確かめられる。
轟三はポケットに入っていたそれを握りしめながら、主張する。
「それなら直ぐに中身を見てみるべきだ!」
「中身はフラッシュメモリのはずだ。市販のノートパソコンがあれば、確認できるだろうよ」
「ふむ……。確かに、それで番刑事と共にいた慶二さんが本物かどうか分かるのなら……。いかがでしょう、弁護側は」
「……分かりました。見てみましょう。ただ、亡霊の罠の可能性もある。十分に注意すべきです」
「だったら、機器のネット接続があったら切っておくべきだと思います。ウイルスなどがあっても、直ぐに大変なことにはならないはずです」
裁判長からの質問に、成歩堂が了承した。そして、希月が被告人席からアドバイスを口にする。
裁判長が頷き、夕神と希月のアドバイス通りに準備がされ始める。法廷係官が、ノートパソコンを法廷へと持ってきた。ネットに接続されていないことが確認され、係官が轟三の元へやってくる。
『ピーーーーッ』
その時、法廷に似つかわしくない電子音が鳴り響いた。
何の音かと、法廷にいる人々が周囲を見回す。轟三もその一人だった。
先ほど持ち込まれたノートパソコンかと思いそちらを見たが、一般的な画面が表示されているだけで不審な点はない。
ざわついたまま、また音が聞こえた。
『爆破マデ、アト五分』
爆破――?
轟三は、咄嗟に法廷にある鉄の箱を見た。キャリーケースよりも大きな、厳しい車輪のついた箱。
一通り見た法廷資料の中で、その箱についても書かれていた。爆弾運搬ケースだ。
第一ラウンジで見つかった爆弾。幸い、警察が爆発前に見つけたため、解除されて証拠品としてケースへ保管されている。
そして、法廷の一日目。その起爆スイッチが盗まれた。だが、スイッチは直ぐに発見され、犯人も逮捕されたという。
――だが、その犯人は、犯行を否定しており、真犯人がいると主張しているようであった。
『残リ、四分五十秒』
電子音声は、鉄の箱から聞こえてきていた。
ピッ、と一秒ごとに短い電子音も聞こえる。秒数が減っている。
「こ、これは一体、な、何が起こっているのですか!」
「ば、ば、爆弾が作動したのです! 理由は分かりませんが……ひ、避難です! 避難をいたしましょう!」
裁判長と写野の叫びが響く。ざわついていた法廷が、一気に狂騒に包まれる。
バタン! と法廷の扉が開く音がして、傍聴人がバタバタと席を立ち始める。どこからか悲鳴や怒号が聞こえ始めた。
「早く、早く出てよ! あと五分もないのよ!」
「なんで起動してるの? 起爆スイッチは回収されたんじゃないの!」
「おい、押すなって! 怪我させるつもりか!」
「ど、どこに行けばいいの?」
「おい退け! 鈍いんだよ!」
地響きのような足音が法廷を占める。混乱した空気が法廷中に漂っていた。焦りが伝播し、人々が出口へ向かって走っていく。
「お、落ちついて避難をするのだ! 係官の誘導に従って、安全にだ!」
轟三の声が、けたたましさに吸い込まれていく。
しかしその中で、電子音だけが騒がしさを貫通して法廷へ響いた。
『残リ、四分』
轟三は、手にしていた黒い小物を握りしめた。
偶然とは思えない。中身を確認しようとした瞬間に、爆弾が起動した。
「み、みなさん、何をしているのですか? 逃げないのですか!」
写野が、法廷の隅で悲鳴のような声をあげる。仮面は紫色に光り、怯えているようだった。
「成歩堂さん、俺たちも逃げましょう!」
「希月さん、こっちだ!」
王泥喜が隣の成歩堂へそう促す。そして証言台にいた葵が、被告人席の希月へ駆け寄った。
だが、成歩堂は険しい顔で前を見据えているだけだった。希月は、こわばった顔で首を振る。
「でも、まだ中を確かめてません!」
「何言っているんだ。爆発するかもしれないんだぞ!」
「で、でも、け、慶二さんが……」
小さく震える声の主が、こちらを見る。轟三の手にしているメモリを。
そして、弁護士席で王泥喜が叫んだ。
「成歩堂さん! どうして逃げないんですか!」
「……このカウントダウンが亡霊が仕組んだことだとして。ここで爆弾を爆破させても、メモリを持った番刑事が逃げれば、中身を見ることができる。けど、そんな成功率の低いことをするかな。一度は起爆スイッチの紛失騒動で、同じような場面があったのに」
「こ、こんな時に何言っているんですか……!」
「亡霊の狙いは、この混乱の中で、メモリを奪うことだとしたら?」
状況と全く合わない、冷たささえ感じる冷静な成歩堂の声。
それに、夕神が同意した。
「俺も同意見だ。何事もなく逃げて終わりとはならなそうだな」
「な、ならどうするのだ」
「……爆弾の方を出ていかせりゃいい」
爆弾の方から? 爆弾は、鉄のケースに入っている。自力で動くなどできるはずがない。
『残リ、三分』
「みなさん、ここは封鎖されます! 外に出てください!」
法廷係官がそう怒鳴る。しかし、それでも、誰も動かない。王泥喜も、葵も、動かぬ彼らを見て、行動を決めあぐねている。
痺れを切らした係官が、一番近くにいた夕神の腕を掴もうとして、瞬間、誰かがぶつかり転げた。
「あ、あなたたちは頭がおかしい! なぜ逃げないのです、ワタクシはもう限界です!」
転げた係官の隣で、床に尻餅をついていたのは写野だった。どうやら慌てて駆け出し、係官にぶつかったようだった。
「逃げるならテメェだけで逃げるんだな」
「ッ、な、なんという……」
『残リ、二分三十秒』
「ヒィッ!」
写野の仮面が真っ青に染まり、震え上がった。
子鹿のような足で、どうにかその場から立ち上がると、腕を天井へ上げた。
「勇猛と無謀は違うのです……! ワタクシは正解を選びます……!」
その時、腕についていた腕時計から何かが天井へ向かって飛び出した。それは天井のヘリに巻き付いたかと思うと、写野の体を持ち上げる。
腕時計から放たれたものは、ワイヤーのようだった。宙に体を浮かせた写野は、そのまま人混みの近くへと着地し、扉へ向かって消えていく。
もちろん、轟三が使っていた腕時計にそのような機能はない。写野が改造したものなのだろう。潜入捜査官が持っている特殊な道具なのか――と思うが、今はそんなことを考えている暇はない。
『残リ、二分十五秒』
「さァて、爆弾の被害を最小限に出来るところか。この鉄の棺桶があったとしても、この法廷ぐらいは吹っ飛ばせるぐらいの威力らしいからな……。そうだ、裁判所の池なんてどうだい」
「……ええ。いいと思います。大きな窓がありますから、そこを突き破れば一分も掛からないでいけるでしょう」
夕神が検事席から歩み出る。その先は彼が鉄の棺桶と称した爆弾の入った爆弾運搬ケースだ。
ケースに設置されている、動かすための手すり。下げられていたそれを上に起こし、取手を掴んだ。
「じ、迅くん? 何をするつもりなんだ」
「そらァ、爆弾を出ていかせるヤツが必要だろうよ」
「し、し、しかし! そんなことをしたら……!」
もし、池に間に合わなかったら? この裁判所は、轟三も何度か訪れたことがあった。
池は確かにある。だが、裁判所から少し離れていた。窓を突き破って外に出ても、そこから走っていかなければならない。
金属の箱は自動では走らない。誰かがそこまで持っていかなければならない。池に沈めたとしても、近くにいたら。
検事席の後ろ、二メートルほどの段差の上にある傍聴席から、女性が身を乗り出すのが視界に映った。
「迅! やめなさい!」
紫髪の女性――夕神かぐやだ。監視カメラの映像を持ってくるために、法廷へ訪れていたという。
監視カメラを届けた後は、傍聴席で様子を見ていたのだろう。そうして今、彼女の弟を止めようとしている。
夕神は、かぐやの方を見ずに言った。
「俺ァ、俺のやるべきことをやるだけさ」
夕神は、口角を上げる。そこに、恐れや怯えは感じられなかった。
呆気に取られる。しかし、すぐに名乗り出た。
「なら、ならジブンが持っていく! メモリは君に……!」
「何言ってやがる。知りたいんだろう。あんたのところに来たのが、本物かどうか」
「……そ、れは」
「あんたが確かめてくれ。俺の代わりに」
前髪の隙間から、澄んだ瞳が見えた。それがあまりにも静かで、言葉を失う。
『残リ、一分十五秒』
夕神が、法廷に残っている係官に指示を出し、通路を開かせる。傍聴人はもういなかった。
メモリを握った手に、汗が滲んだ。
これで、本当にいいのか。彼を犠牲にすることが正しいのか。兄はそれを、良しとするのか。
そんなわけはない。そんな、わけが。
――迅くんはとても頭が回って、優秀な子でね。
――でも、少し真面目すぎるんだ。無理をしていないといいけれど。
――側にいてあげられたら、良かったんだけどね。
そう、兄は二人きりの部屋の中で語っていた。
彼を一人にしてはならない。
法廷の扉へ向かって、ケースを押す夕神。その背中に向かって、駆け出した。
それと同時。
『残リ、一分ンンンン――』
プスン、と小さな音が、ケースの中から聞こえた。
え? と、思わず箱をみる。一秒ごとに消えてきていた、電子音が、聞こえなかった。
思わず顔を見上げる。そこにはケースの取手を持った夕神がいて、はたと目があった。
「……音が、聞こえなくなったような気がするのだが」
事実だけを述べる。夕神は何も言わず、ケースに耳をすませた後、蓋を開けた。
そこには、証拠品の四角い爆弾が入っていた。両手で抱えられるサイズだ。細長い液晶部分があり、そこに数字が表示されるのだろうことが伺えた。だが、そこには何も表示されてない。代わりに、ケースの角に、赤く点灯する、プラスチックの四角い機械を見つけた。
「こりゃァ……。スピーカー、か?」
夕神が慎重に手に取る。確かにそれは、音が出るような小さな穴が空いており、耳をすませば何か喋っているような気がする。
『残リ……ゼロ、ゼロロロ……』
小さな電子音は、そんな言葉を発していた。
夕神side
手にした小型スピーカーを握り潰したい感情を押し込めながら、スピーカーをケース内に戻す。
それから、ケース内に入った爆弾をよく観察する。ケースを開けた時にも確認していたが、念入りに。
夕神がじっくり観察しても、中の爆弾が動いている様子はない。そして今まで動いていたという形跡も感じられなかった。
夕神は爆弾の専門家ではない。だが、自分がいらぬ覚悟を決めていたことは理解した。
「……ただの玩具だ。悪質な、なァ。爆弾は起動してねェ。スピーカーでカウントダウンの音声を流していただけだ」
「そ、そんなことあります?」
王泥喜がバタリと弁護士席に倒れ伏す。疲れ切った顔は、いくらか老けて見えた。
「夕神検事、起爆スイッチが以前盗まれましたが、見つかったスイッチは本物だったんですか?」
「ああ。それは保証する。”まともな”爆弾処理班がしっかりと確かめてらァ」
成歩堂の最もな問いに、すぐに返答する。
この爆弾を管理していた馬等島は捕まった。そのため、他の警察が調べ、起爆スイッチは本物で、何か手を加えられていることもないと保証された。
しかし危険を鑑み、本来、管理していた馬等島も逮捕されたことから、起爆スイッチは警察で厳重に保管されている。
起爆スイッチが盗まれたことが頭にあったせいで、複製品を造られたのではないかと考えてしまった。もしくは、別に起爆スイッチを用意していた、など。
メモリのことに気を取られすぎていた。こんな些細な小細工に気づかないとは。夕神は、刀があれば足に突き刺したい気分だった。
そうして、傍聴席から重い重圧を感じた。覚えがある。自身の姉だ。
「あんた……ふざけんじゃないわよ」
「……悪かったなァ」
刷り上がった目元、地を這う声。頭の上で結んでいる髪型も相まって、本物の鬼のようだ。
自分の確認不足で、家族を心配させた。真っ当な怒りに、素直に謝罪の言葉を口にする。
「すっかり、人がいなくなったなあ」
証言台に立っていた葵が、法廷を見回してそう呟く。
傍聴席は、かぐや以外、誰一人おらず、ガラリとしている。法廷の傍聴人は、全て法廷の外へ逃げ出した。係官も、扉の前に待機しているのが二名。一名は、床に転がって伸びている。夕神を止めようとして、運悪く逃げ出す写野にぶつかった係官だった。
周囲を見回していた王泥喜が、あれ。と呟く。
「裁判長は逃げたんでしょうか?」
「こ、ここです……」
「さ、裁判長!」
「腰が、突然動いたせいで、痛めてしまって、動けませんぞおお……」
「……おい、係官。ジイさんを助けてやれ」
空白の裁判長席から、裁判長の弱々しい声が聞こえる。どうやら、蹲っているらしい。
係官に指示をすれば、慌てた様子で裁判長を助けに駆け出した。
夕神も、ケースを元の位置に戻し、検事席へと戻る。近くにいた番は、再び検事席へと押し込んだ。
「余計なことすんじゃねェ」
「しかし! あそこで君に託してしまうのは非ジャスティスだ!」
「黙りなァ」
面倒な男だった。あそこで番も道連れにしてしまえば、慶二に向ける顔がない。しかし、夕神は、これが本物の番轟三か、とも思った。
そうして、裁判長が係官の手を借りて再び椅子に戻ってくる。
「腰は平気かい。ジイさん」
「す、少し落ち着きました。……しかし、まさかただの玩具だったとは……。死にそうなほどビックリした気持ちを返してもらいたいです」
「死ななくて良かったなァ。本当にこのケースが棺桶になるところだ。それで、法廷を再開しちゃあくれねェかい」
「え! し、しかし、傍聴人も戻ってきていませんし、爆弾も本当に安全かどうか……」
「下手に動くと亡霊の動くツボさァ。先に、メモリの確認だけでもするべきだ」
「むう、しかし……」
渋る裁判長に、成歩堂が声をかける。
「弁護士側も、メモリの確認に賛成です。できるだけ早く確認すべきです」
「ナルホドくんまで……。ふぅ、分かりました。そこまで言うのなら、先にメモリを確認しましょう」
放置されたノートパソコンを、再び係官が手にする。
轟三の前まで持ってきて、それから係官が首を傾げた。
「あの、それはどうやって読み取るんですか?」
「うむ……分からない!」
「……貸せ」
轟三が手にしていたメモリを夕神が手に取る。
よくよく観察すると、側面に線が入っていた。スライドさせると、中身が現れる。
中は空洞になっており、そこに小さなカード型のフラッシュメモリが入っていた。
データの保存、受け渡しに広く使われるもので、二、三センチほどの小さなカードの中に、多くの情報が格納できる。
ノートパソコンのカード差し込み口に、メモリを差し込む。
「入れたぞ。全員が見えるところに置いてくんな」
係官が頷く。葵が証言台を降りて、係官を手招きしていた。
確かに、証言台なら誰にでも見えやすい。係官もそう判断したのか、証言台にノートパソコンを置いた。
どこからでも画面が見えるようになる。そして、マウスでカードの中の情報を見ようとして、手が止まった。
その理由は夕神もわかった。画面が、突然変わったのだ。
すでに起動され、初期画面になっていたそこが、真っ白に変わっている。時折、ノイズのようなものが走った。
希月が、眉を寄せて言う。
「これは……多分、カードが差し込まれると、勝手に実行されるプログラムが入っていたんだと思います」
「ウイルスってことか?」
「分かりません……。この後、何が起こるかどうか、でしょうか……」
夕神の問いに、希月は判断がつかないのか、曖昧に返す。
そのまま様子を見る。すると数秒後、白い画面に文字が浮かんだ。
それは――”ネットワーク接続完了”の文字。
「どういうことだ? ネットには繋いでなかったんじゃねェのか」
「は、はい。これはネットに繋げていない端末のはずなんですが」
係官に確認を取っていると、画面が電源が切れたように暗くなった。理由を考える前に、その黒い画面に文字が次々と浮かぶ。
文字が上から下に向かって勢いよく流れ、そうして書かれた文字が上へ川が流れるように消えていく。
「な、何かプログラムを実行してます! ウイルスかも!」
「……チッ!」
夕神は腰を落とし、右手を左の脇に寄せた。そして、一気に振り抜く。
瞬間、ノートパソコンの画面が真っ二つに割れた。
隣の番が「ど、どんな原理なのだ!」と狼狽えていたが、そんなものは後だ。
よくない文字が最後に見えた。一瞬だが……”データ送信完了”という文字。
希月が壊れたノートパソコンを見ながら言う。
「高度なウイルスには、パソコン内部の設定を変えて自力でネットに接続するものもありますけど……。まさか、こんな強力なプログラムが入っているなんて……」
「……おい、成の字。師匠はネットには強ェのか?」
「ボクよりは詳しいですが……。こんな、ウイルスみたいなのを作るほど、詳しくはありません」
とすると……ハズレ、なのか。
ここまで来て。ダミーの爆弾の妨害も乗り越えた。だが、判断を、誤ったのか。
縋りすぎたのか。奇跡というやつに。
そう脳裏に浮かんだ時、夕神の持っていた携帯が震えた。懐に入れた携帯の反応からして、メールを受信したようだった。
だが、おかしなのは、一度だけではない。何度も携帯が震える。メールが何件も来ている?
何かに突き動かされるように、懐から携帯を出す。中身を確認して、件名に息を飲んだ。
「……”番慶二より、告発文を協力者へ送る”」
「告発文……?」
「俺の元へ、メールが来た。その件名が、これだ」
「兄さんが、君にメールをしたということか? 何かの、告発文を……」
メールアドレスは当然七年前の慶二のものとは異なる。
だが、頭によぎるのはノートパソコンの画面に一瞬現れた、”データ送信完了”の文字。
「一体、中には何が書かれているんですか」
成歩堂の声に、メールの一覧を見る。十件ほど送られてきたその中で、初めに送られてきたメールを見た。
そのメールを開く。文章が表示された。
その文字に、瞠目する。顔が歪んだ。
小さく、何度か息を整える。そうして、内容を読み上げる。
「”突然のメールを許してほしい。僕は――」
息が詰まる。本当に、あんたなのか。
「――僕は、番慶二。僕は、七年前に消されてしまった。理由は、君らに送ったメールの内容を見て貰えば理解できるだろう。僕は消される前から、ずっと日本政府の裏側を探っていた。とある時期を境に一気に増えた犯罪件数・法改正により被告人の人権が守られなくなった法曹界・それらのタブーに触れた人物の失踪、事故死の数々。書き切れないほど多くの闇がある。そして、僕は裏側を知りすぎたんだ。しかし、希望は繋がった。このメールが届いているということは、僕の調査結果を誰かが送信してくれたのだと思う。このメールは、これらの問題に対処できる立場・地位・手段を持った人々に、情報が取捨選択され送られている。僕が信頼する人々に。全ての情報には、裏どりと証拠が紐付けられている。君らが正しく扱えば、日本の膿は取り除かれるだろう。大きな手術になると思われるが、君たちを信じている。どうか、為すべきを為してほしい”」
一件目のメールには、そう書かれていた。
次のメールを開く。そこには添付ファイル――書類だ――があるだけの、内容が書かれていないものだった。
一つ選んで開いてみると、夕神でも知っている過去の大きな事件についての資料が現れた。その事件は政府高官が殺された事件で、犯人は逮捕され、すでにこの世にいない。それに関しての新たな証拠と、真犯人に関する情報。裏で手を引いている者たちの詳細が書かれていた。この書類の揃え方、書き方には確かに見覚えがある。
しかし、読んでいる途中で、真実のあまりの醜悪さに反吐が出そうになる。目を逸らし、顔を上げた。
「慶二さんからのメールで、間違いないはずだ。この書類の書き方、非の打ちどころのない裏ドリ。完璧に揃えられた証拠……。あの人の仕事の仕方だ」
「では……あのメモリは……」
「慶二さんが作ったものだろうなァ。あの人にゃあ協力者が多い。プログラムに精通したやつに、作らせていたんだろう。おそらく、俺以外に多くの奴らに情報が送られているはずさ」
夕神の言葉に、成歩堂が何かを言おうとして――彼の携帯が鳴った。軽快な音楽は、着信音だ。
成歩堂が携帯を取り出し、電話を取る。
『成歩堂! これは一体どういうことだ!』
スピーカーにしていなくとも聞こえてくる声。御剣検事局長だ。
「まさか、お前の元にも来たのか」
『ああ。メールだ。慶二さんから、連絡が。やはり、そちらで何かがあったのだな』
「番刑事が持っていたメモリを見ようとしたら、データが送信されるプログラムが仕込んであったみたいなんだ」
そうして、成歩堂はこのとあらましを伝える。御剣検事局長は、しばらく黙った後に口を開いた。
『つまり、慶二さんが、生きていると?』
「その可能性が高い」
『では、なぜ姿を現さないのだ』
「……分からない。何か事情があるのか……それとも、出てこられない状態なのか」
『そうか。……分かった。こちらも、捜査の中で、気になるものも見つけた。引き続き調査を行う。このメールの内容についてもな』
電話が切られる。
携帯をしまった成歩堂の横で、王泥喜が怪訝な面持ちをしていた。
「でも……慶二さんが生きていて、番刑事を保護していたなら……写野の証言がおかしいことになります」
「ああ、その通りだ。話を聞き出さなくちゃいけない」
成歩堂の目が、内から鋭い光を放つ。
夕神は裁判長に伝えた。
「ジイさん。写野を証人として証言台に立たせてくんなァ」
王泥喜side
傍聴人が法廷内に戻ってくる。
逃げ出した写野は、警官たちと係員が総動員で捜索していた。まだ裁判所内にいるだろうと。
爆発騒動で避難した傍聴人たち。多くの人は無傷だったが、何名か避難中に負傷してしまい病院に運ばれたという。係官一名も、転んだ時の打ちどころが悪く、休憩室で休んでいる。大きな怪我人がなかったことは良かったが、意図的にされた脅しには、必ず理由があるはずだ。
おかしな道具で法廷から逃げ出した写野。彼は見つかるだろうか。ここで、写野が見つからなければ……。法廷は続けられないだろう。
緊張しながら待つ。しばらくすると――係員と警官に周囲を固められた男が法廷内に現れた。
「ひ、引きづらないでくださいませ! わ、ワタクシはこのような不当な扱いを受ける立場ではありません!」
体を拗らせながら抵抗する写野が、数の暴力に負けて証言台に立たされた。
拘束は無くなったものの、係官が両脇を固めている。
「なんなのですか! ワタクシは避難していただけです!」
憤慨する男の仮面は、ライトで赤く染っている。
そんな写野に、夕神検事が凄む。
「番慶二が生きている可能性が示された。番轟三を保護していたのは、慶二さんだってなァ」
「な、なんですって? あ、有り得ません。ワタクシは亡霊に脅されていたのですよ!」
「ああ。確かに“テメェ”はそう言ってるなァ」
「な、な、ワタクシを疑っているのですか!」
仮面を赤く点滅させる男。
王泥喜の隣にいる成歩堂は、鋭い目で写野に問いかけた。
「そもそも、貴方が相手を亡霊だと思った理由はなんです?」
「それは、当然、亡霊だと名乗ったからです! “番慶二の弟、番轟三を預かっている。番轟三の命が惜しければ協力しろ”と脅されたのです!」
「それを、貴方は信じたのですか?」
「ご、轟三殿が監禁されている姿を見せられたのです! その時は、眠っている様子でしたが……。ワタクシは、脅されていただけなのです! 確かに、潜入捜査官としては失格でしょう。ですが、ワタクシはワタクシなりの信念で行動していたのです!」
成歩堂の追求に、写野が必死に答える。
仮面が怒りだったり、怯えだったり、悲しみだったりに色と表情がコロコロ変わった。
王泥喜は不思議だった。
「腕輪が……反応しません」
「……嘘や隠し事をしている訳じゃないってことか」
立場や行動から、一番怪しい男だ。だが、その言動に、王泥喜の腕輪が反応しない。
写野のこれまでの言動に、嘘は無いということになる。
番刑事のはポケットに入っていた、慶二のメモリ。それは本物だと証明された。番刑事は、本物の慶二が所持していたメモリを持っていた。これは、番刑事を保護していたのが慶二である可能性と――、
「メモリは、慶二殿を殺した亡霊が持っていったのではないですか?」
写野が、仮面を赤くしてそう訴える。
その考えも、可能だ。メモリの内容が慶二の持つものだった。それは番刑事を保護していたのが、慶二である可能性を高めた”だけ”と言われてしまえば、それだけだ。完璧な証拠とはなり得ない。
「そうだ。ジブンのDNAと、墓の骨のDNAを比べてみるのはどうだろうか! 兄弟なら、DNAから分かると聞いたことがあるぞ! つまり、墓の骨とジブンのDNAが全く異なれば兄さんは生きているということになる!」
「……残念だが、燃えて灰になった骨からDNAは取れねェ。DNAは熱に弱ェからなァ、遺伝子情報が壊れちまう」
「そ、そんな……」
「それに……」
「何かね?」
「……いや、なんでもねェ。どっちにしろ、照合じゃわからねェ」
「うう……」
番刑事の主張が夕神刑事によって却下され、番刑事の肩がガクリと下がる。
何か、他に手段はないのだろうか。慶二が生きていると証明できる手段は――。
隣で資料を注視していた成歩堂が顔を上げる。それは、UR-1号事件の資料だった。
「……七年前、慶二さんは殺されました。ですが、彼が生きているなら、この事件に何か裏があったことになる」
「それは、そうなりますが……。しかし、今となっては調査のしようもなのでは?」
裁判長が最もな意見を口にする。それに、成歩堂は首を左右に振った。
「一人だけ、その時のことをはっきりと証言できなかった証人がいます。そして、その証言を聞くことが、彼の生死に関する真実を知る鍵になる」
「その証人とはいったい……」
ハッとする。王泥喜は、彼女を見た。
「希月心音……。彼女に、七年前のことを、語ってもらいたいのです」
「わ、わたし……?」
被告人席に立つ彼女――心音が、身を固くする。
心音は七年前の事件で、犯行現場に居合わせた。それは、彼女が思い出した一部の記憶からも判明している。
慶二と犯人が銃を突きつけあっていたロボット研究室に、彼女が入ってしまった。そして、犯人に人質に取られた。それを、慶二がナイフを使用し、助けたところまでは分かっている。その後のことは、彼女は思い出せないと言った。
トラウマの根源。彼女の心の闇。
「ココネちゃん。聞かせてくれないか。あの日のことを」
成歩堂が静かに言う。希月は、徐々に顔色を悪くしていった。首元のモニ太も紫色になって怯えた表情をしている。
しかし、彼女は上を向いた。そうして頷く。
「はい……。わたしも、知りたいです。あの日、本当は何があったのか」
成歩堂side
心音が被告人席から、証言台へ移動する。顔色は明らかに悪かった。
机に広げた資料を見つめる。
UR-1号事件。七年前の十月七日。大河原宇宙センターで発生した未解決の殺人事件。
現場は中央棟四階のロボット研究室。被害者は――刑事の番慶二。
「希月さん、平気でしょうか」
「……分からない。今もかなりきついはずだ」
「そうですよね……」
王泥喜が顔を曇らせる。
彼が心音に忘れていた記憶を思い出させ、倒れさせたのはつい先ほどのことだ。
トラウマの最奥を暴こうとすれば、彼女の心が持つかどうか。
「ココネちゃんの心には、黒いサイコ・ロックがかかってる」
「それは……春美ちゃんが言っていたものですか」
「ああ……」
――”黒色”は……本人も知らない、心の最深部の暗闇の色は滲んだものだとか。
――わざと嘘をついているわけではないのです。何かの原因で、意思とは関係なく心と記憶が封印されている。
――文献には……こう書いてありました。黒いサイコ・ロックは、心臓に直接重い鎖を巻き付けているようなもの。無理に引きちぎれば、心は壊れ、二度と治ることはないかもしれない。
そんなことはあってはならない。
広げた資料。使える証拠は、六つ。
番慶二の解剖記録。七年前の現場写真。現場に置かれた工具箱を写した写真。凶器の折れた日本刀。降ろされていた避難梯子。七年前の監視カメラに映った職員。
資料を整え、前を向く。
必ず、心音の心を守り、真実を見つける。