消えてしまった刑事さん   作:片岬(旧:片霧)

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消えてしまった逆転――法廷パート三日目・最終――

心音side

 

番刑事の持っていたメモリの中身により、慶二が生きている可能性が浮上した。

それは、心音にとっては雲の切間から見える光芒のような、途方もない希望だった。

だが、メモリだけでは決定打にはならない。その時、成歩堂が提案したのは、七年前の事実を再び探ることだった。

 

「あなたの無実は確定しています。無理をして、今話さなくとも良いのですよ」

 

裁判長が、孫の心配をするように心音に語りかける。

気遣いに感謝しながらも、心音は首を横に振った。

 

「大丈夫です。話させてください。多分、みんながいてくれれば、わたしもトラウマを乗り越えられると思うんです」

 

心音は証言台に立つ。手が震えているのを、握りしめて押さえ込んだ。

 

「ココネちゃん。いけるかい」

「はい! どんとこいです!」

 

成歩堂からの言葉に、大きな声を出して奮い立たせる。

成歩堂は頷いて、資料を見ながら口を開いた。

 

「以前の証言で、七年前。ロボット研究室で慶二さんと職員の姿をした犯人が銃を突きつけあっているところに、ココネちゃんが出くわした。そして、犯人に人質に取られ、慶二さんは銃を捨てた。しかし、隙をついて床に落ちていた工具のナイフで犯人の顔に攻撃し、ココネちゃんを助け出した。ここまでは合っているかな」

「はい……。合ってます。ちゃんと、思い出せます。……そこまでは……」

 

まるで、目の前に光景が流れるように、その時のことを思い出せる。

慶二を探しに、心音は宇宙センターを歩いていた。そうしてロボット研究室から物音が聞こえ、心音は慶二がいるかもしれないと入ってしまったのだ。その先には、慶二と職員の服を着た男がいた。二人とも、手に拳銃を持っていた。それが拳銃だと心音はすぐには分からなかったが、緊迫した空気に体が固まったのを覚えている。部屋の奥にいた慶二が、心音を見て瞠目したのも、はっきりと思い出せる。

犯人の行動は早かった。研究室に現れた心音に手を伸ばした。扉に近い位置にいた犯人に、心音は声を出す暇もなく捕まってしまった。

自分の頭に銃口が突きつけられる。見知らぬ大人に拘束され、恐怖に体が凍った。犯人が何かを言って、慶二は心音を見た後に、手に持っていた銃を遠くへ投げた。おそらく、心音を殺されたくなければ、銃を捨てろと言われたのだろう。

そして、犯人は銃口を心音から慶二へ向け――その瞬間、慶二が身を屈めて走り出した。床に落ちていた工具箱からナイフを掴んで、引き金を引こうとする犯人へ、下から振り上げるように顔を切った。血が飛んで、床に落ちて。そして、記憶は黒く塗りつぶされる。

 

「わたし、いったい、何を見たのか……」

「……少しずつ思い出してみよう。犯人は拳銃を持っていたね。けど、慶二さんの解剖記録は胸への刺し傷だけだ。犯人は、銃を使えなかったんじゃないかな」

「そう、かもしれません。銃に対しては、あまり怖いとは思わないんです。ただ……」

「ただ?」

 

拳銃を突きつけられたことは思い出したのに、銃を強く恐れる気持ちはなかった。

そう、銃ではない。心音が身も凍るほど恐ろしかったのは――刀だった。

 

「刀が、怖いんです」

「刀……。慶二さんを刺した凶器、か」

 

七年前、心音もその場にいた証人のため、精神状態が落ち着いた後に警察から事情聴取を受けた。

その際も記憶は覚えておらず、証言にならないとされたはずだ。しかし、そこで見せられた写真の中で、心音は刀に強烈な恐怖心を持ったのを覚えている。真っ二つに折れた、血に濡れた刀。

 

「一つ、気になるところがあるんだ。この刀、二箇所に血の跡がある。一つは、根本部分。そしてもう一つは、折れた長い刃の先端。根本部分は、慶二さんに突き刺さっていた。けど、先端の部分が不可思議なんだ」

「そう、なんですか?」

「ああ。慶二さんは胸の刺傷しか傷はない。けれど、刃の先端にも血がついている。これは、どこでついた血なのか」

「確かに……。刀の折れた部分、その先端についた血……」

「そう、何かを切ったはずなんだ」

 

慶二は胸以外、刺されていない。だとしたら、切られたのは犯人だ。

先端についた、血。血のついている範囲は、それほど大きくはない。切ったとしたら、それは小さな範囲のはずだ。

そう、小さな――。

 

「……何かが、飛んでいった」

「飛んでいった?」

「そう、飛んで……違う、あれは、落ちて……」

 

瞬くように、場面が蘇っては夢のように消えていく。

そう、何かが、刀で何かが斬られたのだ。それが、宙を浮いて、そして落ちていった。

細長くて、少し赤い、何か、

頭を抱えて思い出そうと過去を見つめる。けれど、見つめれば見つめるほど、暗い、モヤのような闇が侵食してくる。恐怖で身が凍っていくような、冷たい雪の中にいるような。

 

「ココネちゃん。これを見てくれ」

 

知らぬ間に目を閉じていた心音の耳に、成歩堂の声が響く。

目を開けると、強い瞳が見えた。何一つ諦めていない、怖いぐらいの双眼。

成歩堂がココネに示したのは、法廷に備え付けられた画面だ。

そこには、廊下を去っていく職員の姿が写っていた。しかし、帽子を深くかぶっているため、鼻から下しか容貌が見えない。

 

「これは、七年前の監視カメラの映像だ。ロボット研究室へ向かう通路を映してる。そしてこの職員は、犯人と思われる男だ。最初は避難はしごが降ろされていたから、そちらから逃げたと推測されたけど、犯人は発見されなかった。だから、警察は避難はしごはダミーで、廊下から逃げたのが犯人と考えたらしい」

 

ロボット研究室側から廊下を歩いていく、映像内の職員。後ろを振り返り、周囲を気にしているような素振りだった。

監視カメラは、ロボット研究室の扉の手前の廊下を撮影している。そして、ロボット研究室は突き当たりにある部屋なので、このカメラに映るということは、必ずロボット研究室からやってきたということになる。

 

「これが、犯人……」

「そして、この犯人の手元を見てほしい」

「手元……」

 

成歩堂に言われるがまま、心音は映像内の男の手元を見る。

よく見てみると、おかしな動きをしていた。左手で、右手を握っている。押さえるように、庇うように……。

そう、手を――右手を、右手の、人差し指を。

ぼやけていた光景が、鮮明に蘇る。落ちてくる、細長くて、少し赤い、それは、

 

「そうです、指、指が……! 指が、飛んでいったんです! 刀で、斬られて……っ!」

「指……刀で、犯人の指が切られたんだね」

 

指が飛んでいった。そして、衝撃。落ちる指を起因として、記憶が呼び起こされる。

その光景を見たあと、心音は強い衝撃を頭に受けた。そう、心音は何かに強く押され、壁に当たって意識を失った。

 

「わたし、それを見たあと、頭に衝撃を受けて……気を失ってしまいました。多分、犯人に突き飛ばされたんだと思います」

 

それ以降は、本当の闇の中だ。忘れているのではないと分かる。

今まで口を閉ざしていた夕神検事が、成歩堂へと尋ねた。

 

「だが、現場にあった血液は被害者のものだったはずだ」

「……こういうのはどうでしょう。犯人の血がついた部分を拭って、被害者の血を後からつけた」

「んだと……!」

「それなら、血が少量残っていたとしても被害者の血と混じって、正しくDNA鑑定はできませんからね」

「……それが正しいなら、随分とクソ野郎な犯人だなァ」

 

夕神検事が顔を歪めてそう唸るように言う。しかしそれに、成歩堂が疑問を呈した。

 

「本当にそうでしょうか?」

「あ? ……何言ってやがる」

 

夕神検事が貫くような眼光で成歩堂を見るが、成歩堂はそれには応えなかった。代わりに映し出された監視カメラの映像を見上げる。

 

「ココネちゃん。犯人の顔に見覚えはあるかい?」

「いえ……ないと思います……」

 

心音も液晶を見上げる。そこに写った犯人は、帽子で顔を半分隠していて、鼻から下しか見えない。

特に特徴のない、一般的な顔に見える。覚えがあるとは言い難かった。

成歩堂は頷いて、続けた。

 

「ココネちゃん。犯人は慶二さんに、顔をナイフで切られたって言っていたよね」

「え……。は、はい。わたしが人質に取られた時に、慶二さんがナイフで、犯人の顔を……」

「それは、どこを切っていたのかな」

「どこって……」

「たとえば――口元を切っていたとか」

 

途端、心音の脳裏に、あの時の光景が鮮明に浮かび上がる。

自分の頭に銃口が突きつけられる。慶二は手に持っていた銃を遠くへ投げた。犯人は銃口を心音から慶二へ向け――慶二が身を屈めて走り出した。床に落ちていた工具箱からナイフを掴んで、引き金を引こうとする犯人へ――下から振り上げるように顔を切った。

あの光景は、よく覚えている。そう、顔の下のから、”顎から頬にかけて”、犯人は切られていた。

 

「慶二さん、下から切ったんです! だから……だから、顔の下部分にも絶対に傷がある……はず……」

「その通り。犯人には顔に傷がある。止血したとしても、こんなに綺麗に隠すことはできないはずだ」

 

頭が混乱する。監視カメラに映った人物の顔には、傷がない。

犯人は、一人じゃなかったのだろうか。顔を切られた犯人と、指を切られた犯人が別で存在する?

けれど、心音の記憶にあるロボット研究室にいたのは、慶二と職員の男一人だ。どこかに、隠れていた?

頭を抱える、過去の記憶が、ぐにゃりと歪んで吐き気がする。自分の記憶が、正しいと思えなかった。

そんな中で、成歩堂の声が、脳裏に鈍く響く。過去だけでなく、現在の視界が歪む。

 

「ココネちゃん。この人物が犯人でないとしたら、後は一人しかいない」

「ひ、とり……」

「この監視カメラに映ったのは……慶二さんなんじゃないか」

「う、そ……だって、し、したい、が」

「けど、君の記憶から照らし合わせれば、」

 

成歩堂が、何かをしゃべっている。それは分かるのに、何を言っているのか、心音には理解できなかった。

ぐにゃぐにゃと記憶がねじ曲がり、ぐちゃぐちゃとかき混ぜられる。ナイフが顔を裂く、指が落ちる、刀が、刀の柄が突き出ている。慶二の柔らかい笑みが浮かぶ。血が滲む。白いハンカチ。赤く、染まって……。

 

「こーと、の、すきま……」

 

そう、コートの、隙間。

慶二は、黒いトレンチコートを着ていた。けれど、ボタンは止めていなくて、ベルトもしていなかったから、胸元から中のベストとシャツが見えていた。そこから、突き出ていた。

 

「かたなの、かたなのつかが……刀が、刀が慶二さんに、突き刺さって……ッ! 胸を、貫いて、血が……!」

 

笑みを浮かべている。優しい笑みだ。柔らかい、人を安心させる微笑み。そんな彼の胸元に、刀が深々と刺さっていた。刃がめり込んでいる。柄が飛び出ていて、胸に赤い滲みが広がっていた。

心音は、突き飛ばされて、壁に頭を打ち付けて意識を失った。だが、目を覚ました。慶二の声が聞こえた。そうして、目を開けた心音の前に、慶二はいた。胸から刀を生やして。

 

思い出した、全て思い出した。そう、心音は、人質にされたところを慶二に助けられた。慶二は、犯人の銃を叩き落として、部屋の奥へと蹴り飛ばした。”怪我は?”と言われた。心音は泣きそうになりながら、必死で首を横に振った。振って、部屋の奥で倒れていた犯人が起き上がるのを見た。息が詰まって、声が出なかった。犯人は立ち上がって、壁にかけられていた刀を取った。慶二が振り返った、だが遅かった。刀が振り下ろされる、慶二は心音を突き飛ばした。体が宙に浮く。刀が慶二へ振り下ろされる、頭に振り下ろされたそれを、ナイフを持った右手で防ごうとする。頭に、刀は届かなかった。けれど、刀が慶二の人差し指を飛ばした。指が宙に浮く。落ちる。落ちる、衝撃。

 

声をかけられる。”心音くん”。いつもの優しい声。目を開ける。夢を見ていた。怖い夢。体を起こして、見上げる。影が濃い。見下ろされている。慶二が微笑む。その胸には、刀が突き刺さっている。胸を貫いている。

血が、広がる。

 

「わ、わたしが、わたしがいなかったら、慶二さんは死ななかったのに……! わ、わたしの、わたしのせいなんだ……!」

 

ただ、会いたかっただけだった。お礼を言いたくて、ここにいてと警察官に言われた場所から抜け出した。

久しぶりに会えると嬉しかった。手紙のお礼が言いたかった、一緒に植えた椿がちょっと大きくなったよと直接伝えたかった。

それだけだった。その行動が、大事な人を殺した。

全て自分のせいだった。ずっとわかっていた。だから、記憶に蓋をした。逃げ続けた。慶二から、日本から、過去から。

 

「そんなものは、信じられない」

 

そう、声が聞こえた。強情なほど、まっすぐで、そして強い熱を持つ声。

 

「……信じ、られない?」

「そう。君は、罪悪感で過去の記憶について、間違った解釈をしている」

「まち、がい……だって、わたし……」

「確かに、君は刀の突き刺さった慶二さんを見たかもしれない。けど、慶二さんは殺されてはいない」

「どう、して、断言できるんですか……!」

 

現に、慶二の死体はロボット研究室にあった。胸に刀を刺されて、死んでしまったのだ。

監視カメラに映ったのが、慶二。それは、あまりにも夢物語だ。

 

「君の記憶の中で、指を切られていたのは慶二さんだ。現場に残っていた遺体に、胸以外の傷はなかった」

「そんなの、わたしの記憶違いかもしれないじゃないですか! 本当は、犯人の指が、切られていたのかも……!」

 

記憶の中では、確かに慶二の指が切られていた。だが、幼い自分が作り出した偽物かもしれない。

だって、慶二は死んでいるのだから。

記憶の中の、胸に広がる血を思い出す。泣き出しそうだった。

心音の否定に、しかし成歩堂は毅然と告げる。

 

「刀は二つに折れていた。そして、刃部分は先端にしか血はついていない。折れた刀の方は、根元にしか血がついていなかった」

 

成歩堂が、凶器の写真をみせる。そこには、成歩堂の言う通り、根本部分で折れた刀。刃先に血がついているが、半ばにはついていない。そして柄の方は、刃が二、三センチしか残っていないように見えた。その部分が、赤く染まっている。

 

「君が見た光景は、刀が慶二さんの胸を貫いている姿じゃない。折れた刀が刺さっているにすぎない」

 

胸に、血が広がっている。

けれど、血は、床に垂れるほどではなかった。刀の周りで、滲んでいる。

 

「柄がある方は刃が二、三センチしか残っていなかった。そんな刀が胸にめり込んでも、致命傷になるとは思えない。むしろ、軽症だった可能性もある」

 

そうだ。慶二の後ろ。研究室の床、そこに、何かが、細長くて、銀色のものが、落ちていた。

 

「ココネちゃん。もう一度言うよ。慶二さんは、死んでなんかいないんだ」

 

過去の記憶にかき消えて聞こえなかった、その言葉が心音の耳に入ってくる。

死んでいない。

そうだ。

 

――慶二さんは、あの人は、”また会える”って、言ってくれたのに。

 

目の前にあった透明な壁が、砕け散るようだった。

記憶の中の慶二が、温度を持って現れる。胸に柄が伸びている。なのに、慶二は笑っていた。いつもと変わらない表情。膝を折って、視線を合わせてくれている。

そうして、呆然とする心音に、白いハンカチを渡してきたのだ。何かが包まれていて、赤椿の花のように、一部分だけが赤く染まっている。

 

「これを君にあげる」

 

あげると言われて、差し出された。心音は、真っ白な頭で手のひらを上に向けた。

それが乗せられる。少し重くて、赤い部分が、生温かった。

 

「大事にして、誰にも見せてはいけないよ」

 

慶二が微笑む。

白いハンカチの赤い部分と、慶二の胸に広がる赤い血の色が、とても似ていた。

 

「これは、僕の種だから。誰にも見つからないところに埋めてね。きっと、僕にまた会える」

 

さあ、行って。そう言われて、ふらつく足で、どうにか立った。

でも、その場から動けなかった。そんな心音の肩を慶二が優しく掴んで、後ろを向かせる。背を押された。

扉へと進む。心音が入ってきてから、子どもが一人入れるぐらいに開けられたままだった扉。

扉をくぐる。心音は振り返った。扉のすぐそばに、慶二が立っていた。

慶二は心音を見下ろして、笑みを浮かべたまま扉を、引いていく。消えていく、慶二が、扉の向こうへ。

音もなく扉が閉じられた。心音は震えていた。埋めなくちゃ、と思った。

慶二が、刀に刺されていた。死んでしまう。でも、人ができる方法を教えてもらっていた。

種を埋めなきゃ。そうしないと、会えなくなる。慶二さんに、会えない。会えない。失敗したら、慶二さんは死んじゃうんだ。

心音は手に持ったそれを、必死で握りしめて、隠れて、隠れて、隠れて、走って、走って、走って。

そうして、埋めた。

 

でも、

慶二は死んだ。

葬式があったと聞いた。心音は外に出られなかった。夕神は宇宙センターへ来なくなった。慶二は現れなかった。

幼い心音は思った。

わたしのせいだ。

誰にも見せなかったはずだった。誰にも見つかってないはずだった。誰にも言っていないはずだった。ちゃんと埋めたはずだった。

でも、どこかで、失敗したんだ。

わたしが、うまくできなかったから、慶二さんは死んじゃったんだ。

 

「……全部が、怖くなりました。わたしが研究室に行ったから、慶二さんは刺されてしまった。わたしがうまく種を植えられなかったから、慶二さんは死んでしまった。全部、わたしのせいだと思いました。宇宙センターにいることが、ただひたすら苦しかった。壊れてしまいそうでした。だから、記憶に蓋をして、日本から逃げ出したんです。あの人がいた場所から、少しでも遠くに行きたい、って」

 

頬に何かが流れる。熱いそれが、幾つも流れて、目の前がぼやける。心音はそれが嫌になって雫を拭った。

鮮明な世界を見る。罪悪感で蓋をしていた全てが、今ははっきりと見えた。

 

「慶二さんは、指を切られていました。そして、それをわたしが埋めました。ロボット研究室で亡くなった人に指が全てあったなら、それは慶二さんではありません」

 

また会えると、慶二は言った。

忘れていた約束を、果たさなければ。

 

 

 

成歩堂side

 

「慶二さんは、指を切られていました。そして、それをわたしが埋めました。ロボット研究室で亡くなった人に指が全てあったなら、それは慶二さんではありません」

 

涙を拭いた心音が、毅然とそう語る。

一つの真実が、悲しみに埋もれていた過去から姿を現した。

慶二は、心音をロボット研究室から指を持たせて逃した。胸に刀が刺さった状態だが、貫通していた訳ではなく、致命傷ではない。それは、心音と対峙した慶二が身動きできていた点からも、確かだろう。

成歩堂の目には、弾け飛んだサイコ・ロックが見えていた。黒い南京錠が、鎖が、彼女から取り払われていた。

成歩堂は明かされた真実を整理する。

 

「慶二さんは傷を負いながらも生きていた。そして、ロボット研究室に残された遺体は、慶二さんではなかった」

「……だが、俺が発見した時は、確かに慶二さんの姿をしていた。顔も、服装も、そのままだ」

「その時、その人はすでに?」

「いや……まだ生きていた。声は掠れて聞こえなかったが、確かに”亡霊”と言っていた」

 

夕神検事が、痛みを感じるように顔を歪ませる。

亡霊。状況だけ見れば、亡霊と相対した慶二が最後に犯人の名を口にした、としか考えられない。

だが、今は状況が違う。

 

「でも、その人の指は全てあったんですよね」

「……ああ。現場写真でも、胸以外に外傷はないのは確かだ。だが、犯人は顔に傷を負っていたんだろ?」

「ええ。慶二さんが顔をナイフで切った……」

 

明らかな矛盾が生じる。犯人は顔に傷を負っている。犯人と思われる人物は、慶二の服装、容貌をしている。

対して、監視カメラに映った人物は右手を庇うように押さえている。帽子を深く被り、鼻から下しか見えない。そして職員の服装を着ている。

 

「服を、入れ替えた。と考えるのはどうでしょう」

「犯人と、慶二さんの服を、か……。確かに、そうすりゃあ衣服は誤魔化せるだろうなァ。だが、顔はどうする」

 

そう。容貌についてはどうしようもない。これは、入れ替えることができるものではないのだから。

資料にある、UR-1号事件の被害者写真を見る。茶色の髪に、はっきりとした目元、高い鼻に、薄い唇。すっきりとした顔の輪郭。

何かないだろうか。この顔を、移植するように犯人に移す方法は。

そうして、成歩堂はその方法を“知っていた“ことを思い出した。

 

「……いるじゃないですか。同じように、顔を変えていた人が」

「なんだと?」

「そうですよね。写野さん」

 

成歩堂が視線を向ける。法廷の隅で、係官に囲まれていた写野が、仮面を黄色くして「え?」と呟いている。

 

「あなたは、番刑事の容姿そのままだった。それは、どうやっていんですか?」

「それは……マスクです。対象の容姿を、正確に再現し、それを被るのです。ワタクシは、マスクを作る技術と道具を持っています。秘密裏に捜査をするにあたり、必要なものですから。しかし、なぜ今そんな話を……」

 

それが聞ければ十分だった。成歩堂は写野から視線を逸らし、夕神検事へ……そして、番刑事へ向けて言う。

 

「つい先ほど、慶二さんの顔が、幼少期とは大きく違うという話が出ました。そして、番刑事の元へ現れた慶二さんは、幼少期の姿に似ていた」

「そ、そうだ! 兄さんは、遺影の姿とは全く別だった!」

 

番刑事が身を乗り出して主張する。それに、夕神検事が目を見開いた。

 

「……まさか、そんなことがあるってのか? 慶二さんは、警察官だぞ!」

「けれど、それしか考えられません」

 

首を横にふる。少しだけ、口に出すのを成歩堂はためらった。

脳裏に浮かぶ、七年前に見ていた、余裕そうな涼しい顔。けれど、意外と色々な面持ちをするのだと知った。

だがそれは、本物ではなかった。

 

「慶二さんは、ずっとマスクを被っていた。番慶二というマスクを」

「そんな……」

 

心音のか細い声。

それを聞きながらも、成歩堂は言葉を続ける。

 

「これなら、ロボット研究室に倒れていた人物が、慶二さんの顔をしていたこと。そして顔に傷がなかったことも説明できる」

「……マスクをかぶせりゃ、顔は慶二さんそのものになる。そして、マスクに隠れて、顔にある傷も見えねェ」

「ええ。そうしてそこから導き出される答えは……監視カメラに映っていた人物は、マスクを取った慶二さんだった。ということです」

 

切れた指を隠し、胸の傷は職員のジャケットで覆い隠した。おそらく、止血をして血が滲まないようにしたのだろう。

鎮痛そうな面持ちで、被告人席にいる心音が呟いた。

 

「でも、どうして慶二さんはマスクなんて……」

「……一つだけ、思い当たることがあるんだ」

「思い当たること?」

「ああ。写野さん、あなたの発言ですよ」

「わ、ワタクシですか?」

 

写野が、仮面の簡易化された目を瞬かせる。

写野は以前の証言で、慶二に命を助けられたことがあると言った。しかしそれは、一体どこで?

 

「慶二さんに命を助けられたことがあると言いましたね。どんな状況かと思ったんです。あなたは変装の技術も持っているし、腕時計からワイヤーを出して移動するなんていう芸当もする。そんなあなたが命の危険に陥ったとすれば……仕事中なのではないですか?」

「そ、それは……」

「前々から、慶二さんの異様な身体能力の高さ、特技の多さを疑問には思っていたんです。でも……さまざまな立場や人になる仕事をしているなら、納得ができる。慶二さんも、あなたと同じく、潜入捜査官だったのではないですか?」

 

写野の仮面が、ダラダラと流れる汗のエフェクトを写している。

数秒間。一文字になったライトの口元は動かなかった。だが、成歩堂が視線を逸らさないでいると、写野は両手を頭に手をあてて体を捻り出す。

 

「ぐぅうう……ッ! 全て、お見通しという訳ですか……! そうです! 七年以上前、同じ場所に潜入している際に、命を助けていただいたのです! ワタクシのミスで、死んでも仕方がない状況でした。しかし、彼は見放さなかった……! 潜入捜査官は、その特性上、素顔を晒すことはできません。彼の常の顔も、マスクであったのでしょう……」

 

写野の言葉に、何かが腑に落ちたような感覚を覚える。

慶二と関わった時に感じた彼の淋しさや、番刑事に長らく会っていなかったこと。それは、特殊な状況からくるものだったのかもしれない。

それは、成歩堂の想像にすぎない。だが、確認する手段が、今はもうある。なぜなら番慶二は生きているのだから。

成歩堂の隣にいる王泥喜が、額に指をおきながら口を開く。

 

「でも、おかしいですよね……。襲われて助かったなら、どうして慶二さんは犯人を身代わりに逃げ出したんでしょう。それに、その場では騙せるかもしれませんが、病院に行ったり警察が遺体を調査すれば、すぐにマスクだって分かるはずです。どうして番慶二として処理されたんでしょう」

 

確かに、あまりに不自然な状況だ。慶二は襲われた被害者だ。その場からこんな工作をして逃げ出す理由などないはずだ。

そして、病院、警察の対応もおかしい。マスクがいくら精巧だったとしても、顔には傷があったのだから血が漏れ出るかもしれないし、警察の調査でマスクを見落とすなどあり得ない。そもそも、警察なら慶二が潜入捜査官であり、その顔がマスクであると分かったはずだ。

それに、番刑事の話では、警察は番刑事が慶二本人ではないと主張しても、聞く耳を持たなかったという。警察から渡された資料は、本人であるとの証明が書かれていた。遺体が慶二でないならば、その資料はデタラメだ。つまり……捏造された資料。

 

「慶二さんは、日本政府の闇を追っていました。それはきっと、七年前からだったのではないでしょうか」

「……そうだ。俺も、一度だけ同行したことがあらァ。かなり前から、慶二さんは独自で調査をしていた」

「ならば……政府にとって、慶二さんは邪魔な存在だったのではないでしょうか」

 

夕神検事の顔に、ヒビが入る。

 

「なん、だと……じゃあ、テメェは……」

「……慶二さんは、政府を敵に回した。それは警察も含まれる。助けを求めても、その先で殺されるかもしれない。だから、慶二さんは逃げた。全てを騙して、消えるしかなった」

「ま、さか……だが、亡霊は……!」

「亡霊が行ったなら、警察や政府が慶二さんの死を、ここまで徹底的に偽造する理由はありません。慶二さんを邪魔に思っているのは、政府ですから。……慶二さんを襲った犯人については、亡霊は無関係だった可能性が高いと、ボクは思います」

 

額から汗を滲ませ、体を支えるように、夕神検事は机に肘を置いた。握りしめた手から、ギチリと音が鳴る。

相棒と呼び合っていた人物が、殺されたことにされていた。それが、彼も所属する組織の一部が、画策したものだった。

長年、亡霊を追ってきたと口にしていた夕神検事には、この推理は苦痛であり……あまりにもやるせ無いだろう。

けれど、彼は異議を出さなかった。いや、口に出す余裕がないだけなのかもしれない。ただ、耐えるように拳を握りしめている。

審理を聞いていた裁判長が、鎮痛そうな面持ちで首を横にふる。

 

「なんと……恐ろしいことでしょう。許されざることです。ですが、それならば、慶二さんは今は、一体どこにいるのでしょう?」

 

心配げな声色で裁判長はそう口にした。

慶二の居場所。それは、成歩堂にも想像がつかなかった。番刑事と共にいたのは、本物の慶二だっただろう。だが、その後は?

御剣が部屋に突入した時には、番刑事しかいなかった。慶二は、姿を消していた。

手がかりはなかった。

 

「それは……分かりませ――」

 

だが――ちょうどその時、成歩堂が持っていた携帯が鳴った。慌てて携帯を取り出す。表示は”御剣怜侍”だった。

電話をとり、すぐにスピーカーへ切り替える。測ったように、御剣の声が響いた。

 

『成歩堂! 見つかった……慶二さん、らしき人物が』

「な、なんだって!」

「なに……!」

「嘘、慶二さんが……!」

「兄さんが見つかったのか!」

 

まさかのタイミングだった。手がかりだけではなく、本人が見つかった?

御剣は興奮が抑え切れない口調で、続きを語る。

 

『”気になるものがあった”。と言っただろう。番刑事が監禁されていた場所から、鍵が見つかったのだ。その場所を特定し、突入してみたところ、一人の男性がいたのだ。衰弱しており、意識がはっきりしないが……番慶二だと名乗った』

 

別の場所……慶二が用意していた、他の隠れ家、だろうか。

しかし、御剣の口にしていた言葉が引っかかる。”らしき人物”とはどういうことか。

 

「その人は、慶二さんなのか?」

『それが、姿が違うのだ。髪色は黒。顔も慶二さんとは異なる』

 

髪色が黒、容姿も異なる。

番刑事が持っていた、兄弟の写真を思い出す。本当の顔、刑事の姿とは違う姿。

おそらく、慶二は今、慶二としての姿をしていないだろう。政府に追われる身なのだ、別の姿をしているはず。

なら、

 

「それは、慶二さんかもしれない」

『なんだと?』

「法廷で分かったんだ。慶二さんが、潜入捜査官だったと。普段の姿は、変装した姿だったんだ」

『何……っ! そう、だったのか。……ひとまず、彼は衰弱しているため、病院へ送られる。正常に話せる状態ではない。目が覚めたら、話を聞こう』

「ああ、頼んだ」

 

動揺していたものの、御剣はすぐに切り替えていた。頼りになるやつだと、成歩堂は内心で安堵する。

変装した姿だったというのは衝撃的だっただろうが、慶二が生きているという事実の前には、小さい出来事だ。

苦痛を耐える面持ちをしていた夕神検事が、憑き物が落ちたような顔で、会話を聞いていた。そうしてポツリと呟く。

 

「生きてるのか……慶二さんが……」

 

番刑事は、目を見開いて、じわじわ笑みが溢れてきている。心音は、口を覆って、目を潤ませていた。

 

「兄さん……! やはり生きていた!」

「慶二さん、良かった……!」

 

法廷に、安堵の空気が広がっていく。無罪判決を受けた時のような、肩の力が抜けるような。

今すぐには無理だろうが、意識の回復した慶二から話を聞けば、七年前の事件も、今回の事件も完璧に解決できるはずだ。

消えた慶二が、帰ってきた。

 

(……なんだろう、これは)

 

だが――なぜだろう。胸の奥、何かが凍って動かない。

何か、忘れている。大事な事実を。何かを、

何かが、肩を叩く。耳元で、見つけてと囁く。嘘に騙されるなと忠告を騙る。

 

「……待ってくれ」

『成歩堂? どうしたのだ』

 

吐き気がする。口のするのが、あまりにも嫌だった。意味がわからない。

これで全て、解決ではいけないのか。

それでも口を動かす。舌を動かす。――真実を、見つけなければならないから。

 

「その男……指は、全て揃ってるか?」

『何を言っている……』

 

御剣が理解に苦しむ、とでも言うように、答えた。

 

『当然だ。”全て揃っている”』

 

御剣は、法廷で明かされた、慶二の指が欠損しているという事実を知らない。

だから、そう、答えた。これは、ただの、紛れもない事実なのだ。

法廷中が、一瞬、音が消える。そして、次いでざわめき始めた。焦燥が法廷を満たす。

 

「それは、おかしいんだ。慶二さんは、七年前、指を切り落とされている」

『な、なんだと……では、あの男は……っ』

 

慶二では、ない。

慶二ではない男が、衰弱した状態で、番慶二と名乗った。

これは、一体どういう状況なのか。

法廷が喧騒に埋め尽くされていく。本当に慶二は生きていたのか。慶二とは何者なのか。なぜ偽物がいるのか。番慶二とは――。

 

「慶二殿は、逃げ出したのですね」

 

そう、男の声が聞こえた。仮面をつけた男が、仮面を青く染めて悲しげな表情を表示させていた。

逃げた。なぜ? 真実は、導き出された。慶二は、なぜまだ逃げるのか。

 

「どういうことです」

 

硬い声で成歩堂が問い掛ければ、写野は首を振った。

 

「固定概念を取り払い、一から考え直せばわかることでした」

 

諦めと、悲しみのような声色だった。

 

「慶二殿は生きている。そして、轟三殿を保護していた。しかし、ワタクシは亡霊に轟三殿を人質に脅され、カプセルは亡霊に盗まれ、亡霊は逃げおおせた。そこから見えてくる事実は、一つだけ」

 

いつの間にか喧騒が消えた法廷に、写野の声が響く。

 

「慶二殿は、亡霊に力を貸していた。と言うことでしょう」

「な、にを、言ってやがる! 慶二さんが、亡霊に手を貸すだって……? トチ狂ったことを……!」

 

夕神検事が今にも飛びかかりそうな勢いで、写野に噛み付いた。

亡霊に、力を貸していた? 生きていた慶二が、なぜ亡霊に。

 

「七年前。慶二殿は宇宙センターで、政府の息のかかった者に襲われた。それを察知し、彼は死んだと見せかけて姿を消した。そして――その先で、出会ったのではありませんか? 亡霊という犯罪者に」

「慶二さんを襲ったのは、亡霊じゃねェ!」

「ええ。ですが、亡霊がその場にいなかったとは証明されていません。何しろ、月の石が盗まれているのです。亡霊は、月の石を盗むために、大河原宇宙センターにいた。逃げていた慶二殿は、偶然か必然か、亡霊と出会った」

 

政府に抹殺されかけ、頼る当てのない状況。そんな中で、亡霊に出会った?

しかし、慶二が犯罪者に力を貸すなど、想像がつかない。それに、相手は、普通の犯罪者ではない。それほどに、大きな理由が、なければ――。

 

「慶二殿にとって、一番の目的。それは、日本の闇を晴らすことだったのでしょう。敵の敵は味方……。彼は、闇を晴らすため、別の闇と結託したのです。それしか、道がなかったために……。亡霊は国際的なスパイです。日本政府の包囲網から逃げ果せる手段を持っていたでしょう。それは、死んだことにされ、政府から命を狙われていたであろう慶二殿には、喉から手が出るほどに欲しかったでものでしょう」

 

慶二は死亡扱いにされていた。だが、それを仕組んだ政府は当然、慶二が生きていることを知っている。

秘密裏に慶二を探していたのは確かだろう。そして、躊躇いなく殺そうとしていたはずだ。

 

「亡霊に手を貸すこと、それは慶二殿の立場では、唯一残された選択だった。……ですが、それは当然、許されざることです。闇を晴らすためとはいえ、別の闇に加担したのですから。罪を犯した彼は、逃げ続けるしかない。日本の闇が晴れた後でも。きっと、彼は一生、姿を現さないでしょう。彼は、亡霊という極悪人と手を組んだ犯罪者なのですから」

 

写野の白い表情が、法廷を見回す。誰も何も言わない。

成歩堂は、詰めていた息を吐き出し、机を強く叩いた。

認めてはならなかった。

 

「そんなものは、デタラメです! そもそも、亡霊が慶二さんと手を組むメリットはないでしょう!」

「そうでしょうか。慶二殿は潜入捜査官。しかもとても優秀な。さまざまな日本政府の情報を持っていたでしょう。だからこそ、政府の闇に気づいた。それを、亡霊がメリットと考えて手を組むことは、十分考えられる。そして、慶二殿には、政府の闇を晴らすという譲れない目的があった。それは、亡霊を裏切れば達成できなくなる。彼は政府に見つかってしまいますからね。であれば、慶二殿は、亡霊にとって、”絶対に裏切らない駒”ということになる」

「だ、だと、しても……!」

 

だとしても、なんだ。

何の言葉が続く。考えろ、何か言え。反論するんだ。

でないと、でないと、番慶二という男は、

 

「七年前。彼は自分の身代わりに、襲ってきた男を殺して己に仕立て上げた。その時点で、彼の命運は決まっていたのでしょう」

 

写野が語る、淡々と。事実を告げるように。

 

「今回の事件を、整理すれば分かることです。事実だけを並べれば、自ずと真実は導き出されます。番慶二殿は生きていた。轟三殿を保護していた。亡霊はカプセルを奪取した。ワタクシは亡霊に協力した……。ワタクシのこの轟三殿の服は、亡霊から渡されたものです。そして本人が使用していた衣服であることは、警察手帳に兄弟写真が入っていたことから確実です。亡霊は、轟三殿を保護していた慶二殿から、衣服と警察手帳を受け取っている」

 

言葉が何も、出てこない。筋が、通ってしまっている。

慶二は、番刑事を保護していた。それはもう証明されていた。番刑事の服に入っていた慶二のメモリと、七年前に死んでいなかった事実によって。

番刑事を保護していたならば、その服についても慶二が所持していただろう。それが、なぜ亡霊に協力した写野の元へ渡ったのか。

亡霊と慶二に繋がりがなければ、衣服の移動は成立しない。

 

「彼は亡霊と手を組み、ロケット爆破やカプセルの奪取を許した。無関係な葵大地殿や希月心音殿が容疑者に仕立て上げられるのを、見て見ぬふりをした」

 

それを、そんなことを、あの男が、許した。

 

「彼は、とうの昔に、刑事という立場を捨てていた。法は彼を許さないでしょう。だから、無関係な男を囮に、逃げた。きっと、もう二度とあなたたちの前には現れないでしょう」

 

そう、写野は締めくくった。

静寂が法廷を埋め尽くす。時間が止まったようだった。

あれほどに皆が探し、生きていてほしいと願い、ようやく見つけたと思った男が――亡霊に加担していた。そうして今、囮を置き、逃げた。

法から逃げるため、刑事の立場を捨て、何もかもを放り出して。

 

 

そんなことは、

そんなことは、許されない。

仕方がない、それしか選択肢がなかった、やむを得なかった――それが、なんだ?

そうであるならば、それを認めろ。悪行を引き連れて、姿を表せ。本当の顔で、姿で、ボクたちの前に。

法が許さない? だからなんだ。

そんなことで、そんな理由で、何もかもを放って、全てから逃げ出すなど。

記憶の奥底で、男が笑う。七年前、勝手に消えた男が、見つけてと嘯いた男が、何もかもを完璧に、救い出せていた男が。

頭が破裂しそうだった。顔中の穴という穴から、溶岩のようなものが噴き出しそうな、爆発寸前の、煮えつくような何かが、溢れる。

 

「黙りなァ!!」

 

沈黙を切り裂く怒号が、割れんばかりに鳴り響いた。

机を叩き割りそうなほどに殴打した男が、殺意さえ込めた瞳で写野を射抜いている。

 

「テメェ、黙って聞いてりゃあいけしゃあしゃあと! 慶二さんは、そんな人じゃねェんだよ! 心のねェサイコパスに加担するような、テメェのようなクソ野郎じゃねェ!!」

 

そうだ! と声が上がった。

 

「兄さんをそのように貶めるとは! 許せないぞ!」

「慶二さんは、絶対にそんなことはしません! あの人は、正しいことをする人です!」

 

検事席で、拳を握って激昂した男が叫んだ。

被告人席で、少女が身を乗り出して声を張り上げた。

慶二を信じる魂の叫びだった。

成歩堂は思った。ここまで信じられる彼らを――羨ましく思った。

葵や心音を信じたくとも、信じられなかった王泥喜の気持ちが、僅かに分かる。けれど、成歩堂のそれは、王泥喜の感じていた苦悩とは、根本が僅かに違った。

三人からの糾弾された写野は、静かに佇んでいた。そうして、簡略化された瞳で三者を見つめる。

面に隠れ、何を考えているか分からぬ顔で、こう語る。

 

「なんて、盲目的なんでしょう。けれど、真実の前には、信頼も、絆も。全てが儚く、脆い」

 

真実は、時にあまりにも信じ難く、暴風のように暴力的に人々をかき乱し、絶望させる。

けれど、人は、信頼や、絆があるから前を向いて、進むことができる。人を信じ、真実を向き合うことができる。

 

(そうだ。ボクたちは、そうやって前に進んできた)

 

あなたも、そう思いませんか。慶二さん。

 

 

 

 

夕神side

 

 

慶二が生きていた。それが証明された途端、今度は亡霊の協力者と確定している犯罪者が、慶二が亡霊に加担していたと宣う。

脳の血管が何本か切れたのではないかと思うほどの激昂。今すぐにあの顔面を潰して、仮面を肉にめり込ませてやりたい衝動。

切るなんて生ぬるい。拳で骨を削ってやらねば気が済まないほどだった。

だが、ここは法廷だ。あの男を叩きのめすには、言葉と証拠がよく似合う。

 

「――あの日、ロボット研究室で倒れていた男は、俺が見つけた時は、まだ死んでいなかった」

 

七年前のあの日。無様にもマスクを被った他人を慶二と思い込んだ。それも慶二の想定内だったろうが、気付けていれば、少しでも手を貸せていたのではないかと思う。相棒が死んだと思い、敵討ちに躍起になっていたとは、お笑い種だ。

それでも、この七年間は、無駄ではなかったと。そう相棒に示したい。

写野が夕神の言葉に、仮面のライトの線を歪ませる。

 

「それが何か? その後、失血死したのでしょう」

「だが、変だと思わねェか? 男は胸を刀で刺されて倒れていた。マスクをとりゃあ顔にも傷はあったろうが、それ以外は無傷だ」

「それの何がおかしいというのです」

「同じ刀を刺された慶二さんは、刀を抜いて逃走までしてみせたんだぜ。刃物は普通、刀を抜いた後に大量に血が流れる。つまり、男は失血する傷に蓋をされていた状態さァ。そんな男が、なぜ失血で死ぬ? さらに言えば、俺は男を見つけ、すぐに救急車を呼んだんだぜ」

「……何が言いたいのです?」

「つまり……死んだ男は慶二さんに殺されたんじゃなく、”番慶二をこの世から消すために、番慶二として政府に殺された”ってェことさ」

 

政府が慶二を始末したいと思っていたのは事実だろう。だがその前に、政府を探っている行動を止めたかったはずだ。情報を揃えられたら終わり……なら、その人物自体を奪ってしまえばいい。

番慶二という人物を公式に殺すことで、身動きを取れなくさせる。そうして秘密裏に捜索し、見つけたところを本当に殺せばいい。元々死んだ人間扱いだ。死んだとて、何も問題がない。

だが――そのためには、代わりの遺体がいる。

そうしてそれが、都合よく現れた。だが、それは生きていた。慶二は襲ってきた相手を撃退しながらも、命までは奪わなかった。身代わりとして細工をして、助かるようにしていた。しかし、政府によって都合の良い遺体に変えられた。

 

「だから、慶二殿のマスクを被った他人を、慶二殿として政府が殺したと?」

「他人の遺体を慶二さんとして勝手に焼くやつらだ。それぐらいはするだろうさァ」

「慶二殿の存在を消すために、他人を殺すなど……。何一つ証拠などないではありませんか」

 

証拠がないのは、写野のも同じだ。慶二が襲ってきた男を殺そうとしていた証拠など、何一つない。

 

「そうだ。証拠はねェ、だが、状況を考えれば、誰かが来る前に殺しておいた方が都合がいいんだよ。あの人にとってはなァ」

「慶二殿にとって、都合がいい?」

「ああ。あの時は、俺が第一発見者だった。だが、他の奴らに見つかる可能性だってあらァ。生きていた男が、もし慶二さんがどこへ逃げたかを把握していたら、それを告げ口される。そうでなくとも、逃げるのに都合の悪い情報を話されたら厄介だ。なら、最初から逃げる前に絶命させた方がいい」

「そ、そんな時間はなかったのではないですか」

「バカ言っちゃいけねェ。わざわざ服の入れ替えまでやったんだぜ。殺し切るぐらい朝飯前だろうさ。……だが、あの人はやらなかった。自分が逃げ切る可能性を上げるより、襲ってきたクソ野郎の命を取った」

 

もしあの男が慶二の逃亡手段を理解し、それを吐いていたらと思うと、悪寒が走る。慶二は捕まり、どうなっていたことか分からない。

夕神が見つけた時の"亡霊”という言葉も、日本政府の駒ではない夕神へ混乱を招かせるためだったのだろう。

写野は、顔のような仮面の表示を歪めながら、なおこう語る。

 

「百歩譲り、慶二殿が生かしていた犯人を政府が殺したとしても、慶二殿が亡霊に協力していたことの否定にはなりません」

 

ああいえばこう言う。自分の荒が出るからと、駄々をこねるガキのようだ。

一発、そのふざけた顔に切れ目を入れてやろうかと構えた時に、心音の声が聞こえた。

 

 

 

心音side

 

「百歩譲り、慶二殿が生かしていた犯人を政府が殺したとしても、慶二殿が亡霊に協力していたことの否定にはなりません」

 

慶二は亡霊に加担などしていない。それを証明するには、どうすればいいのか。

写野と夕神検事の話を聞きながら、心音はある疑問を抱いていた。

そう、そもそもの話だ。

 

「こう考えてみたらどうでしょう。そもそも、七年前の事件に亡霊は関わりがなかった、とか」

「……何を言っているのです?」

 

呆れに呆れが乗った声が帰ってくる。けれど、心音は口に出して、それが確信に変わった。

耳に付けた、月の形をしたピアスに触れる。モニ太と同じく、心音の大事なものだ。母からの贈り物。

 

「このピアス、お母さんが月の石を削って作ってくれたんです。すごいですよね。けど、とっても貴重な研究材料でそんなことしないと思うんです。だからこう思うんです。貴重は貴重だけど、価値自体はもうなかったんじゃないかって」

「価値がないですって? 何を言うのです……月の石ですよ」

「一般の人からみたら価値があるかもしれません。けど、月の石が採取されたのは、もう十年以上前ですよ。それに、お母さんは研究者ではあるけど、鉱物の研究者じゃありません。ロボットの開発をカグヤさんと一緒にしていました。その部屋に、盗られたら困る石なんて置きますか?」

 

心音の言葉に、聞いていた王泥喜が頷いた。

 

「確かに……昨日、希月教授に話を聞いたら、月の石自体に研究材料としての価値はないって言ってたよ」

「やっぱり!」

 

思わず声が出る。そう、だからずっとおかしいと思っていたのだ。そしてそのおかしさは、別の箇所へ繋がっていく。

無事に飛んだロケット。無事に宇宙への軌道に乗った探査機。

 

「七年前、電話で亡霊による脅迫があったと大河原さんは言っていました。けど、実際に起こったのは、慶二さんへの襲撃と、研究材料としては価値のない月の石の盗難だけ……。国際スパイだったら、普通は今にも発射しそうなロケットを止めると思いませんか? だって、ロケットが発射しちゃったら、日本の宇宙開発は一歩先に進んでしまう。なのに、ロケット自体は無事に飛んで、探査機《みらい》も無事に戻ってきた」

「なら、なんだというのです……」

「分かりませんか? 七年前の事件、これは……亡霊の名を騙っただけの、亡霊とは無関係な事件だった。そして、慶二さんが政府から命を狙われているなら、これらの工作をおこなったのは、誰なのか分かります」

 

胸の内に、怒りが滲んだ。自分達の不正を隠すために、多くの人を巻き込んで、大事な人を消し去ろうとした。

なんて卑怯で、なんて卑劣なんだろうか。

それでも、その怒りを抑えて、言葉を紡ぐ。それが、ここでの戦い方だから。

 

「七年前の出来事は、政府が慶二さんを排除するために作り上げた、でっち上げの事件だったんです! あなたが主張する、亡霊と慶二さんが七年前に出会ったなんていうのは、嘘っぱちです!」

 

写野へ、人差し指を突きつける。ライトが点滅し、歪む仮面は、赤や黄色で点滅していた。

表情がぐちゃぐちゃと変わり、そして赤い色合いでピタリと止まる。

 

「……どうにかして、慶二殿を亡霊の協力者にしたくないという気持ちは、痛いほど伝わってまいりました」

 

怒りの色合いをしたライトが、しかし笑みをかたどる。

 

「しかし、ならば今回の事件はどう考えるのです? 七年前の事件で関わりがなかったとしても、今回は違います。この衣服と警察手帳は、亡霊から受け取ったものです。轟三殿を慶二殿が保護していたなら、亡霊と慶二殿は確実に繋がりがあるのです! ロケットの爆破に、カプセルの奪取。そして”一般人”に罪を被せる所業。それをどう説明するのですか!」

 

怒りの声に、喜悦が聞けえる。汚い、嫌な声だった。

耳を塞ぎたくなるような衝動を耐える。だが、すぐに次の言葉が浮かばなかった。

亡霊に協力していた写野が持っている番刑事の衣服と警察手帳。それは、確かに慶二でないと亡霊には渡せない。

 

慶二は、心音に頼んだ。大事な人を助けてほしいと。

当然守る。慶二との約束だから。優しい笑みを浮かべるあの人が、怖いものなんてなさそうなあの人が、怯えながら頼んでくれた。

でも、心音にとって、慶二も大事だった。大事な人だった。だから、まとめて守る。

あなたが不当に扱われるなら、わたしが盾になる。あなたの優しい笑顔を守るために。

 

何も考えられていなかった。だが、言ってから考えればいい。叫ぼうとして、心音は先輩が指を突きつけるのを見た。

 

 

 

王泥喜side

 

「待った!」

 

口をついて出た。夕神検事と希月の主張で、点と点が、繋がった。

こんなことがあり得るのか、と思う。けれど、導かれた結論は、王泥喜にとっては無視できないものだった。

写野へと指を突きつける。だが、すぐに口を開こうという気持ちにはなれなかった。

沈黙を保つ王泥喜に、裁判長が痺れを切らす。

 

「お、王泥喜くん! 何か言いたいことがあるなら、早く言ってください!」

「……慶二さんが、亡霊となんの関わりもなかったと言える、可能性があります。過去、現在に渡って」

「ほ、本当ですか、オドロキ先輩!」

 

心音が両手を頬に当てて、飛び跳ねるように驚愕している。

そう。王泥喜が思いついたこの考えなら、確かに慶二は亡霊と何の関わりもなくなる。だが――全てが逆転してしまう。

 

「この事件には、ずっと亡霊の影が付き纏っていました。ですが、それが、間違いだとしたら?」

「ど、どういうことなのだ?」

 

眉を下げて首を捻る番刑事に、そうなるのも頷けると思う。思い至った王泥喜でさえ、耳を疑うような話だ。

 

「七年前、亡霊によって慶二さんが殺された事件は、政府による捏造であったという話が出ました。それならば、今回もそうだったのではないでしょうか」

「え? し、しかし、今回はロケットが実際に爆破されたのだろう? 犯行予告もあったと、資料に書いてあったし……」

「はい。ですが、その犯行予告は、七年前、政府が使った手法と同じです。そして、ロケット爆破に使われた爆弾は……警察で保管されていたものが使用されていた。馬等島が亡霊へ横流ししたのだと思われていたようですが、馬等島は”あれほどの高火力の爆弾は、自分が管理できないもっと厳重なところに保管してあるはず”と主張していたそうです」

「……ま、まさか、政府がその爆弾を……?」

 

番刑事の額から冷や汗が流れる。

そう、こんなことをする国家があるなど考えられない。だが、保身に走り、己のことしか考えない者たちが、七年間を逃げ延び続け、いつ自分達の首にかかった縄を引くかわからない男を、今度こそ抹殺しようとしたならば。

番刑事の言葉に、ゆっくりと頷く。

 

「その可能性が高いでしょう。そうすると、あの爆破自体……」

 

王泥喜も、自分で語っていてこんなことがあり得るのかと思う。信じ難いというよりも、信じたくないほどだ。

ここまで腐った国で、自分達は生きていたのか。そうして、七年前に消された男は、一人で戦ってきたのか。

夕神検事が、思案に口を閉ざした王泥喜の言葉を引き継ぐ。

 

「亡霊を装った、政府の罠ってわけか……。あの場所には、慶二さんと親しかった奴らが大勢いる。そもそも、あの人は一般人が危険に晒されるのを、黙って見過ごせる人じゃねェ。だからこそ、七年前と同じ手口で犯行予告をすることで、慶二さんを呼び寄せた……」

「で、ですが! ですが、そんなもの、逃亡中の慶二殿は知るよしもないでしょう!」

 

写野が仮面の下から汗を流して反論する。

王泥喜は昨日の大河原との会話を思い出していた。

 

「大河原さんは、宇宙センターの電話が盗聴されていたと言っていました。そこから、今回の犯行予告を知ったのではないでしょうか」

「と、盗聴……」

「HAT-2号のロケット発射に関して、慶二さんは警戒していたのではないでしょうか。七年前に、自分が殺されかけた場所ですからね。だから盗聴器を仕掛けていた。そして、政府からの亡霊を騙った犯行予告を知った。……もしくは逆だったかもしれませんね。慶二さんが盗聴をしていると、何かのタイミングで政府が気づき、これを利用しようとした……」

 

これは可能性の一つに過ぎず、確たる証拠はない。

だが、王泥喜はこの盗聴器は、慶二が置いたものだろうと思った。

王泥喜は、慶二という人物を知らない。知る前に消えてしまった。けれど、ここまで様々な人々の話を聞いて、慶二という人物なら、それぐらいはやるだろうと思った。

それに、慶二は葵と約束をしていた。葵がバイザーを握りしめながら口にした、あの言葉。

 

――王泥喜、本当にすまない……。信じたかったんだ、俺も……慶二さんが生きてるって……。約束を、守りに来てくれたんだって……。

 

政府から隠れながらも、約束を守るために、駆けつけたのだと。

どんな約束か、王泥喜は内容を知らない。けれど、葵が第一ラウンジで見た男は、本当に、葵のためにやってきたのではないかと。

 

「なら、なぜカプセルを盗むのです! 亡霊でないのなら、カプセルは不要なはず! それに、葵殿からカプセルを受け取ったのは亡霊であると証明したのはあなたたちでしょう!」

「うっ……!」

 

思わず声が漏れる。

確かに、カプセルは月の石とは異なり、とても貴重な研究材料だ。亡霊が欲しがるのも理解ができる。

何か、慶二が手にしなくてはならない理由があった? しかし、その理由がわからない。何かを見落としているのか、どこで見落としたのか。

しかし、それ以前に、写野の”カプセルを受け取ったのは亡霊であると証明したのあなたたち”という部分が問題だった。

亡霊がその場にいて、見学スペース通路から中央棟に飛び乗ったと主張したのは成歩堂と夕神検事だ。そして、その証拠を亡霊の心理データで示した。

自分達で証明した事実が、自分達を苦しめる。

そこに、毅然とした希月の声が響く。

 

「慶二さんは亡霊じゃない。ですから、恐怖心があります。それなら、見学スペース通路からの飛びついたりしない。……だったら、脱出ルートは一つだけです。見学スペースから慶二さんは逃げたんですよ」

「え。でも、監視カメラには希月さんと番刑事に変装していた写野しか写っていなかったんだよ」

「写野は、亡霊は職員の制服を着ていたと言っていました。見学スペースは当初、入れ替えもバレていなかったから、警察もろくに調査をしていなかったはずです。だからわたしも、誰にも気づかれずに、気絶から起きた時に見学スペースから出られちゃったわけですし……。ゴタゴタが落ち着いて、職員が出入りしていた時に、見学スペースから紛れて出て行ったのかもしれません。かなり待たないといけませんけど、できないことじゃない。翌日や、翌々日の監視カメラをちゃんと確認したら、もしかしたら写っているかも!」

 

希月が拳を握りしめる。少し前まで、青い顔で震えていた人物と同じだとは思えなかった。

辛いことを思い出しただろうに、前を向いて、諦めない姿に勇気づけられる。

王泥喜は希月の言葉を引き継いで、写野へと告げる。

 

「慶二さんがカプセルを盗んだ理由は分かりません。ですが、亡霊でなくともカプセルを持ち去れるし、現場から逃げることもできる!」

「ぐうぅッ! 馬鹿な、馬鹿なことを言わないでください! あれは亡霊だ! ワタクシは脅されていたのですよ!」

 

仮面が激しく点滅する。赤いライトが仮面を駆け巡って、鬼のような表情が浮かんだ。

それに、夕神検事が冷静に語る。

 

「どうだろうなァ……。残念ながら、テメェの”脅されていた”ってェのも、証拠はねェ。テメェが勝手に言ってることだ。それに……潜入捜査官なんだろう? しかも”亡霊”の捜査に参加していた。本当のところは知っていたんじゃねェか? 七年前も、今回も亡霊なんぞ関わっていなかった、ってな。あんたは亡霊に騙されているふりをした日本政府の駒で……慶二さんを殺そうと行動していた、間者なんじゃねェのか?」

 

片方の口角がクイっと上がる。夕神検事の主張に、当然証拠はない。だが、あり得ない話ではなかった。

潜入捜査官の写野は、慶二について政府から殺害を命じられていても何もおかしくない立場だ。

写野は慶二に接触し、協力をするふりをして殺害するタイミングを狙っていた。そう解釈しても写野の行動は辻褄があう。その中で、自分が亡霊としても逮捕されないように立ち回っていた。だから、葵や希月が容疑者として捕まった。

夕神検事の言葉に、写野は仮面の色を目まぐるしく変える。頭をかき乱しながら、写野が刺々しい声で半ば叫ぶように言う。

 

「な、な、なんと無礼なのでしょう! なんの証拠もなくダラダラと希望的観測ばかりか、ワタクシを貶める発言まで! なんと、なんと愚かなのでしょう! どうしてそこまで人を信じられるのか。なぜ七年前に姿を消した、無責任な男を……!」

 

目に痛いほどに、真っ赤に仮面のライトが輝いた。

乱れた頭を抱える写野に、夕神検事が、穏やかとさえ思える笑みを浮かべて口を開く。

 

「当然だ。俺たちは、あの人を信じてるんだからなァ」

 

夕神検事の言葉が発せられた直後。真っ赤に染まった仮面のライトが、さらに赤く輝いたかと思うと、バチッ! という音を立てて一部のライトが消える。同時に、仮面から黒い煙が登り始めた。

操り人形の糸が切れたように、写野が静かになった。

 

 

 

轟三side

 

兄のことを、何も知らなかったのだと、轟三は痛感していた。

留学して以来、兄のことは何も。潜入捜査官であったことも知らなかった。別の顔で活動していたことも知らなかった。七年前に、殺されてかけて、そして生きていたことも知らなかった。日本のために、一人苦闘していることも知らなかった。

こんなに、兄のことを信じてくれる人たちがいることも、知らなかった。

皆が諦めず、兄の正義を信じてくれていた。

 

――轟三は、自分の命のことだけ考えてね。

 

それは無理なことだった。轟三は兄を大事に思っている。唯一の兄弟で。大切な家族で、代わりのいない人。

もう、兄のいない世界には戻れない。兄は轟三の前に戻ってきたのだ。それはもう、手放すことはできない。

家で共に過ごしていた幼少期よりも、七年前に死んだと聞かされて開いた胸の穴よりも、もっと大きな存在になってしまった。

この世界のどこかにいるであろう兄を、今すぐにでも探しに行きたかった。

何もできなくとも、そばにいたい。

 

 

写野の仮面のライトが、何度か瞬く。そして、顔の表示が戻った。しかし、消えた一部のライトは完全に壊れたのか、顔の一部が抉れたような顔が表示される。

吊り目のようなライト。だが、色は白い。

そのライトの口が動く。

 

「……分かりました。あなた達が何を信じるか、それはワタクシの知ったことではありません。ワタクシを貶める発言は、あまりにも侮辱的ですが、ワタクシにはそれを否定できる証拠はない。もちろん、あなた達がワタクシを貶めるに足る証拠もです。ここで、これ以上何かを話したとて、真相が明らかになることはないでしょう」

 

写野が姿勢を正す。語っている最中、赤いライトが瞬いたが、冷静になったのか白に戻った。

王泥喜達の主張について、否定をすることはしないが、肯定は絶対にしないという意志を感じる。

そして、それに対して、王泥喜たちは顔を険しくしながらも、誰も口を開かなかった。開けない、と言うのが正しいのかもしれない。それは、轟三も同じだった。

写野の言葉は事実だった。否定にしても肯定にしても、主張を事実とできる証拠はないのだろう。写野は好きに慶二を貶め、王泥喜たちは兄を信じた。

 

「それに、これから日本は激動の時代になるでしょう。法曹界は良くも悪くも大きく変わる。番慶二殿の落とした告発文という爆弾によって……。番慶二が善か悪か……そのことさえ、瑣末に過ぎません。今はただ、この法廷を終わらせるべきでしょう」

 

兄が人々に送った告発文。それは、世間をひっくり返すものなのかもしれない。轟三は中身を知らないが、命を狙われるほどだ。多くが変わるのは、確かだろう。だがそれは、きっと良い方向へのはずだ。

審理を聞いていた裁判長は、眉間に皺を寄せつつも頷いた。

 

「確かに、その通りです。慶二さんの行動を決定づける証拠はありません。そして、彼の行方もわからない。今後の調査に期待しましょう。我々も、忙しくなるでしょうから」

 

裁判長が木槌を持つ。

 

「随分と長引きましたが、これは希月心音の審理です。彼女が犯行を行なっていないことは、十分すぎるほどに証明されています。それでは、判決を言い渡します」

 

木槌を振り上げる。

轟三が知らぬ間に始まって、そうして駆けつけて、兄について多くを知った裁判が終わる。

 

だが、その直前――今まで沈黙を保っていた青い弁護士が終わりを退けた。

 

 

 

成歩堂side

 

己の待ったの声が響く。誰もが驚き、怪訝な顔をして、瞠目している。

 

「な、ナルホドくん。どうかしたのですか」

「……一つ、彼に聞きたいことがあります」

「彼……写野変蔵ですかな」

 

裁判長の動揺した声に、成歩堂は頷いた。

そして、一つの質問を投げかける。

 

「写野さん。あなたは、慶二さんについて、知っていることはありませんか?」

 

一部が壊れた仮面が、怪訝そうに動く。しかし、すぐに通常の表情――真面目な顔なのだろうか――に戻った。

そして、彼は胸を張って、堂々と告げる。

 

「神明に誓って、ここに宣言しましょう。ワタクシは、慶二殿について何一つ知りません」

 

はっきりと告げたそれに、成歩堂は、隣の王泥喜を見遣った。

王泥喜は、腕輪に手をかけて写野をじっと見ていた。そして、首を横に振った。

 

「嘘はついていないようです」

 

そうか、と相槌を打つ。成歩堂は次いで、心音の様子を見た。

彼女は目を閉じて、静かに耳を澄ませていた。そうして、目を開ける。

 

「感情も……冷たいだけです。動揺している声じゃありません」

 

心音の言葉に頷く。

嘘をついている様子も、感情の不可思議な機敏もない。

写野は慶二については何も知らない。

 

「でも、僕にはそうは見えない」

「え?」

 

王泥喜が困惑の声を出す。彼にも見せてやりたかった。

そう考えて、思い直す。やはり、これを見せるのはやめておいた方がいいだろう。

 

「見えるんだよ。数え切れないほどの鎖と、南京錠が」

 

気味が悪いほどだった。鎖が、ミミズのように身体中に巻きついて、蜘蛛の巣のように空間に張り巡らされている。赤い南京錠がいくつもぶら下がり、見ているだけの成歩堂の精神を圧迫する。鎖と南京錠によって、空間が埋め尽くされている。地獄の監獄のような、悍ましい場所。

 

「そんな。嘘をつくときは、必ず体に現れるはずですよ!」

「感情だって、小さくとも動きはあるはずです!」

 

王泥喜と心音の言葉を聞きながら、成歩堂は懐から勾玉を取り出した。

霊力の込められた、相手の嘘を持ち主に見せる道具。

鎖にがんじがらめになっている写野が、その仮面のライトを訝しげに変化させる。

 

「なんですかそれは……。おかしなオカルティズムで、法廷を掻き乱そうとするのは止したほうがいいでしょう」

 

さあ、裁判長。と写野が判決を促す。それに、裁判長が頷く。

 

「ええ。では――希月心音に、判決を言い渡します」

 

――無罪。

 

裁判長の口から、正式に心音が無罪判決であると判決が下される。

法廷に紙吹雪が降り注ぐ。彼女の無罪を祝って、事件が解決したことを祝って。

降り注ぐ。鎖に封じられた空間に、紙吹雪が舞う。そうして落ちて、消えていく。

裁判長が振り上げていた木槌を、振り下ろす。それが、閉廷の合図だ。

 

「……待ってください」

 

音が響く前。そう口にした。

成歩堂の言葉に、裁判長が手を止める。

 

「分かってしまったかもしれません。番慶二の居場所が」

 

法廷の人々が息を呑む音が聞こえた。そして、裁判長が目を見開く。

 

「な、な、な……なんですとおおお!」

 

そして一気に、法廷中が騒ぎ出した。

 

「ほ、本当か! 一体、兄さんはどこにいるのだ!」

「成の字……! そりゃあ、嘘じゃねェだろうな……!」

「慶二さんの、居場所が……!」

 

番刑事と夕神検事が、前のめりに成歩堂へと言葉を投げかける。

心音は驚愕に呆然としている。

そして、同じ弁護士席では、王泥喜が成歩堂を見つめていた。

 

「一体、どうして分かったんですか?」

 

成歩堂はそれらの声に応えなかった。そして、裁判長へと語りかける。

 

「しかし、慶二さんの居場所を明かす前に、二つ説明しておかなければなりません。一つは、カプセルを持ち去ったのは、王泥喜くんたちが推理した通り、慶二さんであったということです」

「先ほどの話でも出てきましたな。しかし、持ち出す理由も、その証拠もないと……」

「ええ。ですが、理由なら、思い当たるところがあるんです」

「思い当たること、と言いますと」

「七年前に消えた、”月の石”です」

 

月の石。それは、七年前に現場から消えた研究材料だ。

だが、心音や真理の証言から、それに研究材料としての価値はほとんどないことは確認されている。そんなものを、亡霊が盗まないということも。

なら、結局、それは誰が盗んだのか。

 

「”月の石”を盗んだのは。慶二さんだと考えられます」

「け、慶二さんが月の石を? しかし、なぜ彼が月の石を盗む必要があるのですか」

「慶二さんは犯人から折れた刀を突き刺されている。かなりの乱闘があったのでしょう。そうなると、手を怪我していた慶二さんが、置かれていた月の石に触れてしまったのかもしれません。慶二さんは政府から逃げなければならなかった。だから、彼を追う情報になり得る血痕を現場に残すわけにはいかなかった」

「確かに、その状況下なら、持ち去らなければならないかもしれませんが……」

 

裁判長が首を捻る。成歩堂が頷いた。

 

「ええ。監視カメラに映った変装をした慶二さんは、月の石なんて持っていませんでした」

「あ! そうです。確かに、手ぶらでしたね」

「慶二さんは自分で持ち出した訳ではない。つまり、それ以外の方法で、月の石を持ち去ったはずです」

 

別の方法。それに、夕神検事が口を出す。

 

「それが、カプセルとどう関係があるんだ」

「あの場で、唯一”月の石”を、それとは知られずに持ち出せるものがあったんです。それは――《みらい》のカプセルです」

「……なんだと」

「カプセルは探査機《みらい》に積み込まれるため、事件後のロボット研究室から運び出されました。慶二さんはそのカプセルに、月の石を隠したんです。そして、カプセルは七年間、宇宙を漂っていた。六日前、小惑星のカケラを持って、カプセルは地球に戻ってきました。その中に、月の石を隠しながら……」

「なら、慶二さんはそれを政府に渡さねェために……!」

 

成歩堂は肯首した。

もし、調査のためにカプセルが開けられたら”月の石”が発見されてしまうだろう。月の石は七年前の事件の際に盗まれてもので、さらには血痕も付着している。宇宙センターの何も知らない人々は、当然警察に連絡するだろう。そうすれば慶二の情報が渡ってしまう。

カプセルが宇宙から帰ってくるにあたり、おそらく、元々慶二は宇宙センターに忍び込んでカプセルを奪取する計画を練っていたのだろう。そのために宇宙センターの電話を盗聴していた。その中で、亡霊の犯行予告を聞き、犯行の当日にカプセルを盗むことにした。

裁判長が感嘆する。しかし、次いで尋ねた。

 

「しかし、それと慶二さんの居場所が、どう関係するのですかな?」

「それを話す前に、二つ目の説明をさせてもらいましょう」

「むむ。確かに、二つ説明があると言っておりましたな」

「はい。二つ目は――」

 

息を吸う。頭は冷たく、冴えていた。なのに、脳の奥だけがじくじくと痛む。

 

「慶二さんが、亡霊だということです」

「ぼ、亡霊……?

 

裁判長の口から、惚けた声が溢れる。

成歩堂は、理解できるまで口を閉じて待っていた。すると、検事席から机を叩き、身を乗り出す男を見つけた。それは、シンプルな衣服を着た男――番刑事だった。

 

「と、突然何を言い出すのだ! 兄さんは生きていて、亡霊が変装した姿ではなかったと分かったばかりだろう!」

「……ボクが言いたいのはそういうことじゃない。あなたのお兄さんが、亡霊だった、ということです」

「ど、どういうこと、なのだ?」

「つまり、慶二さんの正体は国際的なスパイである、亡霊であった。ということです」

「な、な、なぜそうなるのだ!」

 

同じ言葉の繰り返し。しかし、三度目でようやく意味が通った。だが、その困惑に、成歩堂はどこか救われるような気がした。皆同じなのだと。

 

「亡霊は国際的なスパイで、数々の国で暗躍している犯罪者です。この亡霊が犯してきた犯罪の数々……それがどこまで事実か、ボクには分かりません。具体的にどのようなことをしたのかも。ですが、スパイとは――別の国の潜入捜査官であるとも言える。他国にとっては等しく”スパイ”です。そしてスパイは、驚異的な身体能力とスキル、コミュニケーション能力を持っている。あの人にピッタリです」

 

そう、ピッタリだ。これ以上ないぐらいに。

 

「ですが、七年前の事件と今回の事件は、亡霊が起こしたものではない。それは確かでしょう。亡霊の名を騙って、政府が罪を擦りつけようとした。慶二さんが実際にしたのは、カプセルの奪取だけでしょう」

「……政府が、あの人に”亡霊”という犯罪者の汚名を被せたってェことか? 自国のスパイであった、慶二さんに」

「ええ」

「証拠は、なんだ」

 

夕神検事が静かに問う。しかし、その拳は震えていた。

彼は分かっているのだろう。もう、成歩堂が確信していることを。そして、それを示す証拠を持っていることを。

 

「慶二さんと亡霊を結びつける証拠は――亡霊の心理分析資料です」

「亡霊の、心理データだと?」

 

夕神検事の目が見開かれる。それは、彼が提出した資料だ。七年前からずっと、夕神検事が持ち続けてきた証拠。

 

「亡霊の劣化した音声データから、心理データは作られた。その音声データは、慶二さんのものだったのではないでしょうか。警察は、夕神検事に、慶二さんを亡霊として捕まえさせようとしていた」

 

七年前、慶二さんと夕神検事が近くにいたのも、政府側の策略だったのだろうと成歩堂は思う。

互いに信頼しあっている相棒を、亡霊として捕まえさせようとする。悪趣味だが、効率的ではあった。

しかし、成歩堂の主張に、心音が声を上げる。

 

「待ってください! 慶二さんは、感情のある人です! 柔らかくて優しい、そんな心の持ち主です。それに、普通の人と同じように、怯えることもあります!」

 

声から感情を読み取れる力を持った彼女が、そう身を乗り出す。

その能力があり、実際に慶二と関わってきたからこそ、慶二に感情があると確信している。

亡霊の心理分析結果は、”感情の起伏が極端に少なく、普通の人ならば抱く感情を、抱かない人物と思われる”というものだ。それは、彼女の感じてきた慶二の声とは、全く違うのだろう。

だが、

 

「そうかもしれない。けど、それが”本物の感情”かどうか、わからないと思わないかい?」

「え……」

 

成歩堂は手元にあった資料から、七年前の現場写真を取り出す。慶二だと思われていた男が写っている写真。しかし、重要なのはそこではなかった。

 

「このヘッドホン、ココネちゃんが幼い頃につけていたものだね」

「それ……は、はい。壁にぶつかった時に、落としたものです……」

 

現場写真、ロボット研究室の壁際にヘッドホンが落ちているのが映っている。

ピンク色の、ウサギの耳のようなアンテナが突き出た子供用にしては大きなヘッドホン。丸いフォルムは、可愛らしく、表面にはアンテナ以外に引っかかるものもない。そのヘッドホンは、心音の母が、彼女の強すぎる能力を抑えるために作り出したものだった。

 

「以前、話してくれたね。君はこれで、慶二さんに声の聴き比べをさせてもらったって」

「はい。ヘッドホンのネジを動かして、全く感情が聞こえない声と、いつもの声を……。当時のわたしは、ヘッドホンが感情を聞き取りにくくするものだって、ちゃんと分かっていなかったから、慶二さんがヘッドホンで実践してくれたんです」

 

当時の心音は、感情を読み取る力が強すぎて、ヘッドホンの機能の恩恵を十分理解できていなかった。それを、慶二が出力を調整して試してくれた。そう、心音は理解している。

成歩堂は傍聴席を見上げた。そうして、検事席の後ろのあたりにいる女性を見つける。

 

「カグヤさん」

 

そこには、カグヤが座っていた。監視カメラを届けにきた時から、彼女は傍聴席で裁判を聞いている。

険しい表情の彼女の目が、成歩堂を映す。

 

「このヘッドホンに、声の感情の聞き取り量を調整する機能はついてますか」

「……見てわかるでしょ。ネジなんて表面にはつけてない。それに、このヘッドホンはマリと私が作った精密機器よ。そんな調整、できるわけない」

「……え?」

 

カグヤの固い声は、ヘッドホンに出力の調整機能などないことを告げた。

心音の、唖然としたか細い声が聞こえる。

成歩堂は、心音を見据えて口を開く。

 

「ヘッドホンには、声の感情を調整する機能はない。つまり――慶二さんが、自由に声の感情を調整できたんだ」

「え、え……で、でも……。だって、声の調整なんて、普通できません! 生きていたら、絶対に何かの感情が聞こえるんです! しかも、あの時は、本当に何も聞こえなかったんですよ!」

 

心音が、必死にそう訴える。

何も聞こえない。彼女がここまでいうのなら、本当にあり得ないことなのだろう。生きている人間の声から、何も聞こえないなど。

 

「ココネちゃん。どうして、慶二さんに声の聴き比べをさせてもらったことを、カグヤさんに言っていなかったんだい」

「そ、れは……慶二さんが、宇宙センターの人たちには、秘密、って……」

 

宇宙センターの人たちには秘密。だから、心音は成歩堂たちにはこの話をしたのだ。ずっと約束を守ってきた。

心音が、口を閉じる。考え込むように、陰った顔で眉根を寄せていた。

 

「慶二さんは普通じゃなかった。あの人は、感情を自由に操作できたんだ。だから、君へ行ったことを宇宙センターの人には言わないようにと口止めをした。カグヤさんや真理さんが知ったら、すぐにおかしいと気づかれてしまうからね」

 

成歩堂の言葉に、心音は肯定も否定もしなかった。ただ、唇をかみ、苦しげな、煩悶の表情を浮かべている。

成歩堂は心音から視線を移した。そうして、その先に仮面の男を見た。

 

「写野さん、あなたは以前、亡霊のことを悪魔と言いましたね。過去を洗い、暴き、そしてその人物そのものになって、相手を騙し、操る……そんな悪魔だと」

「ええ。その通りです」

 

写野が鷹揚に頷く。成歩堂もそう思った。だから、そのままを口にする。

 

「僕もそう思いますよ……”番慶二”さん」

「……………?」

 

壊れていない部分に映し出された目のアイコンが、パチパチと瞬く。

眉代わりの目の傾きが追加され、そうして口が開いた。

 

「……なんですって?」

 

状況の理解できていない、純粋な困惑の声。その声を発した男に、成歩堂は告げた。

 

「ボクは、写野変蔵――あなたが、番慶二であると主張します」

 

 

 

王泥喜side

 

指も突きつけず、平然と慶二の居場所を告げた。

そんな成歩堂を、呆然と見つめる。

あまりにも淡々としすぎていて、聞き間違いかと誤認しそうになった。だが、この弁護士は、王泥喜の上司は、確かに言った。

”写野変蔵が、番慶二である”と。

 

そんなわけがない。としか思えなかった。

王泥喜は、人の嘘が見抜ける。見抜けてしまう、と言ってもいい。意識せずとも、相手が隠し事や嘘をついていれば、腕輪が反応してしまうのだ。

小さな嘘や誤魔化されたものなら、見つけられないこともある。だが、写野はハッキリと慶二のことは知らないと口にした。そうして、腕輪は反応しなかった。ピクリとも。

そして、彼が慶二なら、これまであまりにも多くの嘘をついてきたはずだ。大胆で、腕輪が大きく反応するはずの嘘を。それを、全て見逃していたはずがない。それに何より、王泥喜は写野がライターについて嘘をついていたときに、その能力で嘘をついていると暴いたのだ。そのほかの、彼が慶二であったならついていた、多くの嘘に気づかないはずがない。

 

はずがない。

はずが、ないのに、王泥喜の頭に浮かぶのは、とある日の光景だった。

 

――ジャスティス! 休日はパトロールをすることにしているのだ。

――はあ、すごいですね。

 

この事件が始まる前、写野が、まだ番刑事として振る舞っていた頃。何も気づかずに、パトロールをしている番刑事に出会った。

少し話をして、コンビニへ向かうことにした。その時、彼が小さな嘘をついた。

 

――番刑事! 貴方は嘘をついていますね!

――ぬっ!?

 

腕輪が反応し、ついそれを指摘してしまった。

小さな嘘は、本当にくだらないものだった。けれど、あの時、

 

――貴方は用がないと言う時、右手の指が――

 

右手の、どの指が、動いていただろうか。

そう、あれは、右手の、

 

「右手の、人差し指……」

 

血の気が失せる。

 

 

 

成歩堂side

 

困惑、という表情をライトで形作っている男へ、成歩堂は言う。

 

「その手袋を取ってください。あなたの右手の人差し指を、見せてください」

 

UR-1号事件。あの時、慶二は指を切り落とされている。

本人であるなら、右手の人差し指が欠損しているはずだった。

写野は、番刑事の服装をしている。白スーツに、ガンベルト。腕時計に、そして、白い手袋。

その下に、人差し指がなければ、

 

「な、にを、言ってやがる! 亡霊が慶二さんってェなら、こいつは、事件当日、慶二さんと行動していたんだぞ!」

 

検事席から、夕神検事が身を乗り出してそう叫ぶ。

確かに、法廷ではそれが前提となっていた。写野と亡霊が共に行動していた、と。

 

「……本当にそうでしょうか?」

「な、なんだと……?」

「事件当日、亡霊……つまり、慶二さんは第一ラウンジに潜み、葵さんからカプセルを受け取った。そして、見学スペース通路に逃げ込んだ。その後は、見学スペース通路から中央棟に飛び乗った、もしくは、見学スペースに隠れて、事が落ち着いた後に脱出した。これがボクたちの認識です」

「ああ。そうだ。その二つのルートしか、逃げ道はねェ」

「ですが――これは、慶二さんがいなくとも成り立つ」

「……どういうこった」

 

机に置かれた夕神検事の握り拳が震える。

 

「まず第一に、写野は変装の達人です。番刑事に化け、声も仕草もそっくりだったのはお分かりでしょう。それなら、写野が慶二さんの姿になり、同じことをしても都合がつきます。まず、慶二さんは事件の前日に、自分の顔でココネちゃんに会い、気絶させた。そして、事件当日は番刑事として現場にいて、隙を見て第一ラウンジに隠れた。その時に、コートを着たのでしょう。葵さんがやってきた時に、闇の中、コートを着た姿で慶二さんの声で話しかけ、カプセルを手に入れた」

 

裁判長が、眉根を寄せる。

 

「たしかに……亡霊が飛び乗ったという証拠も、慶二さんが見学スペースに隠れていたという証拠もありませんでした。まさか、どちらも真実でなかった、ということなのでしょうか……」

 

裁判長の言葉に、しかし、夕神検事は顔に汗を浮かべながら成歩堂に問いかける。

 

「なら、カプセルはどうしたってんだ。カプセルは、写野は持っていなかったんだぞ」

「ココネちゃんが最初に疑われた時、どうしてカプセルを持っていたと考えられたか、思い出してください。監視カメラは扉を通る人物の、胸から上しか映さないように画角が変わっていた。……つまり、カプセルを画角に映さないように持ち運ぶ事ができたからです。見学スペース通路から飛び移ってはいない、見学スペースに隠れてもいなかった。こんなに単純な事だったんですよ。ボクたちに、気づかせないようにしていただけだ」

 

そう、うまく視点をずらされていた。誘導されていた。

 

「写野と行動していた人物は、幻だった……」

 

そう呟いた夕神検事の視線が机に落ちる。それから、ゆっくりとその目が写野へと向いた。

写野も、当然成歩堂の推理を聞いていただろう。しかし、その仮面の顔は緊張感のない、怪訝そうな表情をしていた。そうして、一つ大きなため息をつく。心底呆れ返ったため息だった。

 

「今度は何をいうのかと思えば。なんという想像力なのでしょう。賞賛に値します。ですが、カプセルも、現場に一人しかいなかったというのも、ただのあなたの妄想でしょう」

「ええ。ですが、それならこれまでの話にも辻褄があう。あなたが番刑事の衣服や警察手帳を持っていたのは、番刑事を保護していた本人だったから。番刑事を保護していたのも、命を狙われているあなたへの脅しとして、政府に人質にされる可能性があったから」

「なるほど。つける薬もないとはこの事です。ワタクシからは、何もいう事がない」

「なら、見せていただけますね。その、右手を」

 

成歩堂の推理を妄想と酷評した男に、右手の開示を要求する。

白い手袋に覆われた右の手。そこに、真実が隠されている。

写野は、肩をすくめた。そうして、”いいでしょう”と口にする。

 

「ですが、その前にお伝えしましょう。私の右手の人差し指は、欠損しています」

 

右手を胸の前で広げながら、写野はサラリと明かす。

法廷に、驚愕の声が上がった。

欠損している。右手の、人差し指が。

だが、仮面には焦りも何も表示されていない。丸いライトの目が、瞼が閉じられるように線だけになる。

 

「しかし、これは以前の任務で負傷したもの。あなたの妄想とは全く無関係の傷なのです」

 

仮面が僅かに青い色を帯びた。仮面の口が動く。

 

「あなたが慶二殿に会いたいと思う気持ちは尊重しましょう。ですが、彼はもういない。消え去った。それは、あなたが一番お分かりでしょう」

 

そう、彼は七年前に消え去った。あらゆるものを残して、跡形もなく消えてしまった。

身勝手に、見つけてほしいという願望を成歩堂に託して。

 

「ええ、ですから、ボクが見つけないといけないんですよ」

 

その指を掴んで、引き摺り出して、剥き出しにする。

もうずっと前から、そうしてやりたいと渇望していた気がした。

 

「あなたはミスを犯した。最悪のミスです。本当に消え去りたいならば、託すべきじゃなかった」

「何を言い出すのです。託した? 一体何を……」

「分かりませんか?」

 

分からないわけがないだろう。託したあなたが。とぼけたふりをして、白を切るつもりだったんだろう。

させてやるわけがない。

成歩堂は写野を見つめた。ふざけた仮面を。その奥を。

 

「”指”ですよ」

 

僅かにあった、仮面の青い色が白く消えた。

 

「あなたは、ココネちゃんに指を託した。誰にも知られぬように、埋めてくれと。その行方は、今ならもう分かります」

 

七年前の事件後、心音が発見されたのは前庭だったそうだ。

そして、その前庭には、彼女が慶二たちと植えた椿の木があった。

心音は慶二との約束を守り、種――慶二の指を埋めた。だが、慶二は死んだことになり、会えなかった。

彼女が一番恐れたのは、前庭にある椿だ。赤い花のついた、あの少し小さな椿。

あの根本に、慶二の指が埋まっている。

 

「埋めれば、また会える。ココネちゃんはその言葉を信じて、あなたの指を埋めました。あなたたちと植えた、椿の根本へ。肉はすでにないでしょうが、骨は残っているはずです。DNA鑑定をすれば、それはあなたと一致するはずだ。そのことは、誰よりもあなたが知っているでしょう」

 

火葬された骨は、DNAが高熱によって壊れるためDNA鑑定はできない。だが、土中に埋められ白骨化した骨ならば可能だ。

あなたは託した。そして、彼女はそれを正しく成し遂げた。ならば、あなたは約束を守るべきだ。

 

「ずっと前から、あなたはボクたちの側にいた。政府から身を隠しながら、弟を守り、被害が出ないように陰ながら働きかけてきた。そして、今、再び消えようとしている。……そんなことは、ボクが許さない」

 

そう、ずっと、ずっとボクは許せなかった。

仮面の男へ、指を突きつける。真実を、真相を。その仮面を今こそ剥ぎ取る。

 

「姿を表してください。写野変蔵……いや、番慶二!」

 

 

 

ふっ、と。

電光掲示板の表情を形取っていたライトが、電池が切れたように全て消えた。

写野は、棒立ちだった。顔の失われた姿で、顔を闇に落として、事切れたように、ピクリとも動かない。

静かだった。法廷中が、動かなくなった仮面の男を凝視していた。

そうして、男の腕が、何かに操られるようにゆるりと動く。顔につけた仮面に、白い手袋をつけた手が伸びる。

その手で、仮面が鷲掴みにされる。

黒く染まった仮面が、ずれる。

その、下から

 

「やっぱり、見つけてくれたね」

 

 

 

心音side

 

花が。

花が、咲き乱れる、咲き溢れる、咲き狂う、世界の全てを埋め尽くすほどに狂い咲く。

極彩色の花々が、現実を侵食するように花開く。証言台も、床も、壁も、天井も、人々さえ飲み込んで、仮面の奥の顔を花で彩り尽くす。

 

「――あ、ああ、はな、はなが」

 

感情がない? 起伏が極端に少ない? 嘘だ。そんなのは嘘だ。

花が強烈に匂い立つ。我が世の春と咲き誇る花々は、花弁に囲まれた花芯部分が、人の口のように、長く増殖していた。

帯化だ。植物に詳しい友人に聞いたことがあった。植物の遺伝子異常などで起こる、奇形。

床を、壁を、人々を埋め尽くす花の全てが、帯化していた。極彩色の美しさに紛れ、奇形を隠すその異様な花々が、嬉しいと、幸福だと、会いたかったと口々に訴える。

あの人が亡霊なわけがないと思っていた。感情を自由に操作できる、ヘッドホンの聴き比べが彼の技術だった。しかし、それが、この事実に勝るとは思えない。感情が溢れ出して、爆発して、とめどなくて――悍ましいぐらいなのに。

 

 

 

王泥喜side

 

花が、と口にして崩れ落ちてしまった心音に、弁護士席から飛び出し、駆け寄る。

心音の目は虚で、両手で顔を覆って唇を震えさせていた。

 

「希月さん!」

「はな、が、はなが……!」

 

一体、何を見ているというのだろうか。いや――何を聞いたというのか。

希月は、写野の声を聞き、ココロスコープで感情の差異を暴くこともしていた。それなのに、突然こんなことになるなんて。

法廷の隅で、係官に両脇を囲われていた男。仮面をつけ、成歩堂と問答をしていた人物。それが、仮面をとって、悠々と歩いていた。そうして、自ら証言台の位置へつく。正面を向いた男は、にっこりと、柔らかな笑みを浮かべた。

男の顔は、形のよい眉とはっきりとした目元が特徴的だった。茶色の瞳に、スッと通った鼻筋。薄い唇が、形良く弧を描いている。

番刑事の顔ではない。そしてこの顔は、UR-1号事件の資料で見た。被害者の顔として。

 

「……どうして……腕輪は、反応しなかったのに……」

 

呆然として、言葉が溢れた。信じられなかった。嘘に体が反応しない、そんな人間が、いるのか。

男は――番慶二は、手にしていた仮面を懐に仕舞う。そして、右手を持ち上げた。

 

「それはね、これのせいだよ」

 

白い手袋が、剥がされる。右手が、現れた。健康的な色合いの、普通の色合いをしたなんの変哲もない右手。

慶二が、その指を全て滑らかに動かしてみせる。

 

「……欠損が、ない」

 

慶二は目を細めて笑い、”あるよ”と言った。

右手の人差し指に、左手を添える。そうして、人差し指の根本に爪を引っ掛けるようにすると――皮膚が、剥がれた。

息が詰まる。皮膚が、捲れるように剥がれていく。それは――シリコンのようなもので出来ている、偽物の皮だった。

そうして偽の皮膚が剥がれた先――そこには、金属の細い棒が骨のように指の根本から生えている。

その金属が、本物の指の骨のように曲がった。

 

「これ、作るの大変だったんだ。でも、機械工学とかは、幸い、昔にちょっと教えてもらっていたことがあって。けど、装着して自在に動かせるようになったら、不思議と機械でも意図しない動きをするんだ。嘘をついたら、勝手に動いたり」

 

彼が番刑事に化けていた頃、動いた右手の人差し指を思い出す。なら、なぜこの法廷では動かなかったのか。

 

「でも機械は機械だから。スイッチひとつで動かないようにもできる。嘘をつくところで、接続を切ってたんだよ」

 

理論としては理解できる。だが、それを何食わぬ顔をして、誰にも悟られずにできるというのか。

スイッチを切って動かないようにしたら、人差し指だけが動かせなくなるということだ。逆に不自然になるものなんじゃないのか。

しかし、その違和感を覚えさせず、体に反応が現れる瞬間にスイッチを切り替え、嘘をつき続ける。

それが、息をするようにできるというのなら、

それは、あまりにも、人間とは言い難い。

 

 

 

夕神side

 

生きていた。かつての相棒が、かつて尊敬し、背中を追い、その隣に立ちたいともがいた男が。

 

「……慶二、さん」

「迅くん」

 

パッと視線が夕神を映す。体が意志とは無関係に震えた。

名前を呼ばれた。それは、まるで七年前と変わらない。親しげに、宇宙センターで出会った時のように、明日の裁判について資料を持ってきたよと足を運んだその時のように。感慨もなく、罪悪感も哀愁もない。

変わらないのはその声だけではなかった。その面持ちも、うっすらと乗る笑みも、茶色の瞳が瞼に隠れるタイミングも、薄かった笑みが深まる強さも。

何ひとつ変わらない。ただ、髪型と服装を変えた、ロボットのようだ。

 

「この顔では久しぶりだね」

 

それでもその笑みは、親しげで、喜ばしげで、柔らかい。

番慶二が、長年、夕神が探し続けてきた亡霊であった。人の心を持たないサイコパス。悪魔のような男。

 

「……あんたが、亡霊、なんですか」

「まぁ、そういうことになるんだろうね」

「随分と、他人事ですね」

「僕も、いつの間にか”亡霊”にされていたからね。潜入捜査官として行ってきた他国での諜報活動、妨害工作がそのまま国際的スパイっていう”亡霊”の仕業にされていて、ビックリしたよ。僕がしていないことも盛られているし。君や怜侍くんから話を聞いてみて調べてみたら、そんなのだったから、独自調査がバレたんだなぁって分かったよ。ありがとうね、あのとき教えてくれて」

 

なんの感謝だ? あんたを捕まえようとしてる奴が、隣にいたというのに。

 

「亡霊の音声データ……。あれも、あんたのものだったんですか」

「そうだね。身内に裏切られると、そういうものが流出するから怖いよね。僕も上は信頼していなかったから、音声データの、しかも劣化したものしか見つけられなかったみたいだけど」

 

あはは。と男が笑う。懐かしい笑い声だった。軽快で、どこか楽観的で、安心する笑い声だったもの。

乱れていた髪を、男が整える。元々、番に変装していたため、髪は茶色だ。整えられた髪は、以前の慶二の髪型に似たものになった。

 

「……七年前のことも、今回のことも、法廷で話された通りなんですか」

「うん。本当、あの通りだよ。七年前にロボット研究室で同僚から襲われたんだ。潜入捜査官のね。職員に変装していたみたいだけど、戦闘の腕で分かった。法廷で話された通りに逃げたよ。もちろん、殺してなんていない。でも、彼は気の毒だったね……」

 

慶二の声が陰る。全てを知っていてなお、わざとらしい、とは思えなかった。

 

「盗聴器に関しては、前から宇宙センターの電話につけててね。それで、政府が”亡霊”を騙ってやらかそうとしているのに気づいたから、みんなの安全確保とカプセルの回収に行ったんだ。七年前に”月の石”を僕が持ち去っただろう? 政府はそれしか情報がないし、カプセルのことなんて気づいていなかったから、もうあれしか僕を誘き寄せる手段がなかったんだろうね。事件の最中の動きについては、法廷で出たのと、ナルホドくんが言っていたので全部だよ」

 

クイズの答えを解説付きで読み上げるように、スラスラと語っていく。

それから慶二は広げた指を二本折ってから、首をひねる。

 

「あとは……何か言っていないことあるかな。あ、轟三については、一年半ぐらい前に会いに行ったよ。そこで保護したんだ。その後は僕が変装してた。変装し始めてから半年後ぐらいに、潜入捜査官がやってきてね。轟三を僕への人質にしようとしたんだろうけど、逆に捕まえた。それが”写野変蔵”。それで僕は、そこから”写野変蔵”が”番轟三”に変装した存在の”フリ”をして動くようになるんだけど……」

 

慶二は折り曲げていない指で自身の顎を撫でる。

 

「轟三のマスクを被っていた時、迅くんに切られて血が出ただろう? 顎にだけ血糊を中に仕込んでいたんだよね。まさか使う機会があるなんて思わなかったけど!」

 

あはは、と慶二が笑った。なら、あんたは自分の切られる場所が分かった上で、葵を庇ったと? 人外じみていて笑えもしない。

 

「御剣くんが見つけてくれた、”番慶二”って名乗った人が、本物の”写野変蔵”だよ。あ、別に、無理矢理閉じ込めてたわけじゃないんだ。説得して、僕に協力してもらったんだよ。それで、誰かが来たときに、僕の名を名乗るようにお願いしていたんだ」

 

慶二が指をまた一つ折り曲げる。

それから夕神へ向けて笑いかけ、”他に聞きたいことはあるかい?”と尋ねる。

ひとつ、聞きたいことがあった。猛烈に、叫び出したいぐらいに。

けれど、口に出せなかった。勇気がなかった。

代わりに、きっとそんな問いよりも重要なことを尋ねる。

 

「あんたの弟に託したメモリ……なぜ、あのタイミングで出てきたんですか。あれも、あんたの作戦ですか」

「ああ……。情報が集め終わったのが最近だったっていうのもあるけど、実は捕まえておきたい人物が、ついこの間まで海外にいてね。そのまま海外逃亡されたら困るから、帰ってくるまで待っていなくちゃいけなくて。でも、僕は今回の事件でバタバタしてしまうし、万が一があったら怖いからね。一番大事なところに隠しておいたんだ」

 

一番大事なところ――弟のポケットの中。

 

「それでポケットから見つかって、メモリを見ようってことになった後、偽爆発騒動があっただろう? もちろんあれも僕がやったんだけど、その時に混乱に乗じて、法廷にいた潜入捜査官を動けないようにしてたんだ。彼らは政府側で、どんな手を使ってもメモリを破壊しようとするから。そして、安全にメモリが実行されて、情報が拡散されたというわけだね」

 

”ああ、それから起爆スイッチを盗んだのも僕で、その時に小型スピーカーをケースに仕込んだんだよね。馬等島に罪をなすりつけたのは、彼が爆弾の横流しをしているのを知っていたからだよ”、と付け足した慶二は、薬指と小指を折った。

今の、この”結末”を考えれば、慶二はその時々において、最善であり最高の判断をしたのだろう。

だが、それを、なぜ選択できたのか。

 

「……あんたには、未来でも見えるんですか」

「さすが迅くん。その通りだよ」

 

そう言って、慶二は目を細めて、片方の口角を強く上げて、悪戯っぽく笑った。

その笑みさえ、偽物なのか。

 

 

 

轟三side

 

夕神の問いに関して、男は滑らかに答えていく。

茶色の髪に、形の良い眉毛。大きな目元に、茶色の双眼。遺影で見た姿だった。

一年以上、轟三は兄と共にいた。むしろ、兄としかいなかった。他者との連絡手段はなく、会話など存在しなかった。

兄とだけ、関わってきた。そして、その兄は、癖のある黒髪で、目つきが鋭くて、鼻もあんなに高くはない。

夕神との会話が止まった。夕神に向いていた視線が、轟三へと、ずれた。

 

「……本当に、兄さん、なのか」

 

男は柔らかく微笑んだ。笑い方は、兄のままだった。

そうして男は、首元に手を添えた。そうして、首元を掻くように下から上へと指を滑らせる。

 

「こっちの方が轟三には馴染み深いか」

 

メリメリッ、と脳内で音が聞こえた。

そんな光景だった。首元から、その皮膚と肉の間に指が捩じ込まれる。開いた隙間を掴んで、男が皮膚を剥ぎ取っていく。

家畜の解体のようだった。ウサギが皮を剥がれるように、ズルリと皮が綺麗に禿げる。

しかし、中から出てきたのは肉ではなく――兄の、顔だった。

 

「あはは、びっくりした顔してる」

 

無邪気に笑う表情は、轟三の知っている兄の顔だった。幼少期の姿から変わりなく、しかし幼さは消え、男前になった。

癖のついた黒髪は耳の下ほどの短さで、目元は鋭く、目は月のない夜のように黒い。精悍な顔立ちで、幼い日の時のように柔らかに笑う。少し喉に引っかかるような低い声が、耳に落ち着く。

 

「その顔が、本物の顔……なのか?」

「うーん、そうでもないよ」

 

兄が再び首元に指を滑らせる。また皮膚が抉れる。そのまま、顔の半分ほどまで持ち上げれば、下からは女性のようなほっそりした輪郭が現れる。

持ち上げていた皮膚を――マスクを首元まで戻し、兄の顔で眉を下げた。

 

「仕事で顔をいじらないといけないこともあってね。この下の顔も、本物ってわけじゃないんだ」

「なら……刑事の時に、あの顔をしていたのはどうしてなのだ」

「深い理由はないけど……このマスクを気に入っていたから、かな」

 

手にしていたマスク――というよりも、人の頭部の皮をなめしたかのようなそれを持ち上げる。

兄はマクスの目の部分の穴を示して”目の色は、瞳に入れた色を自由に変えられるコンタクトレンズで変えてるんだよ”と付け足した。

 

「そうなのだな」

「そう。でも、普段使いはこっちのマスクで良かったよ」

「どうしてだ?」

「普段使いがこっちのマスクだったから、この顔で会いに行った時に、轟三にすぐに信じてもらえたからね」

 

そう言って、轟三が一年半の間に見慣れた”この顔”で兄が微笑む。

何度も何度も部屋で会って、真正面で話し合って、笑い合って、食事だってしたことがあったのに、一度も”この顔”がマスクだと思わなかった。

一年半、兄は何度も部屋に訪れた。生活に必要なものを持ってきて、本やゲームなど、嗜好品もいくつも持ってきてくれた。部屋の一室は改造されていて、部屋内部だけで生活が可能だった。時折、部屋に来ないことも、何日も空けることもあったが、数日後には必ずやってきてくれた。色々な話をしてくれて、轟三の話をいくらでも聞いてくれた。一緒にゲームもした。室内で出来るものに限られたが、兄は幾らでも室内でできる面白いゲームを持ってきてくれた。轟三は一人で暇な時は筋トレなどをして、いつでも職場に復帰できるようにしていた。いつでも、兄と共に仕事ができるように。その日が、楽しみだった。

 

「兄さん」

「なに?」

 

裁判は、終わった。部屋の中で止まっていた時間は動き出した。轟三は外に出て、兄は部屋にはもう来ない。

この結末に、どんな想いをここにいる人々は抱いているのだろうか。喜びか、怒りか、驚きか。

轟三は、少し、大切なものを失ったような、取られてしまったような、そんな感覚に陥っていた。

こんな気持ちになるなど、想像もしていなかった。

望まれない感情だろう。だから、轟三はそれらを端に置いて、事実だけを口にした。

 

「一年半、一緒にいられて、とても楽しかった」

 

笑ってそう告げた。

兄は、上がっていた口角を落として、目を瞬かせる。

それから、そっと笑んだ。

 

「……僕もだよ。轟三」

 

それは、かつて小さな空洞で見た、あの微笑みに、少し似ていた。

 

 

 

成歩堂side

 

 

「どうしてメモリが作動した直後に、名乗り出なかったんですか」

 

自身の声が、法廷に響く。検事席の弟と話していた男が、ゆっくりと体を弁護士席へ向く。

ようやく振り向いた男は、成歩堂の知っている男とは、随分と顔が違う。そしてこの顔も、本物ではないという。ペテン師が、と思った。

男は”そうだねぇ”と言って、手にしていたマスクを慣れた手つきで被り始めた。三秒もしないうちに、番慶二の顔となる。

そして、懐から仮面を取り出し、自分の顔を隠すように顔の前に翳した。

 

「あの状況で突然、”ワタクシ”が実は”慶二でした”と言っても信じられないだろう?」

 

仮面がずれ、また慶二の顔が現れる。声がその時々で、全く別人に変わっていた。

 

「それに、僕自身、今になっても政府に追われる爆弾みたいな存在であることは変わりない。君たちの安全を第一に考えると、名乗りでない方がいいかと思ってね」

 

そう、慶二は七年前と何も変わらぬ顔で笑む。

頭が熱くなる。目の淵が痙攣した。

何が、安全を第一に、だ。そうやって、他人を理由にして、どれほどの人の心に傷を負わせてきたというのか。

 

「それで、約束を全て放り出して、また消えようと?」

 

心音と約束をしたのだろう。彼女は確かに、約束を守って、あんたが種などと嘯いた指を埋めた。

夏に海へ行くと約束をしただろう。結局あんたが死んで、水に流れてしまった約束だ。

見つけてなどと、馬鹿げた願いを背負わせて、勝手に消えた。

あんたは完璧だったはずだろう。ふらりと現れてトラブルを嘘みたいに解決して、笑って去る。その能力も、技術も、知恵も、予言のような知識もあったくせに。

慶二は成歩堂を見つめていた。その瞳には、今にも掴みかかりそうな男が映っていることだろう。

そんな男を数秒眺めて、慶二は表情を変えた。口を開く。

 

「うん。……ごめんね」

 

慶二は眉を下げて、小さく笑みを浮かべながら言った。秋の夜空のように、寂しげだった。

それすらも、その表情すらも、その憂いを帯びた声色すらも、全て偽りなのだろう。全部作り物。感情のない男が、人に擬態して同情を誘っている。

歯が軋む音がする。声を荒げそうになった直前、少女の声が聞こえた。

 

「ナルホドさん!」

「……ココネ、ちゃん」

「違うんです……! 慶二さんの、感情は本物なんです! だから……!」

 

王泥喜の手を借りて、立ち上がった心音がそう叫ぶ。

その声は痛切だった。声から感情を聞き取る力を持った少女。彼女の言葉は、どうしたって無視はできない。

だが、この男はその力を全て欺いた。それなのに、なぜそこまで信じられるのだろうか。

それほどに、それでも信じられるほどに、心音には感情が、聞こえているのか。

慶二は、心音の言葉に、眉を下げて彼女を見つめているだけだった。

 

「……あなたは、この結果にならなかったら、どうするつもりだったんですか」

 

宇宙センターの職員は全員無傷。最初の容疑者となった葵大地は無罪となり、次に容疑者となった希月心音も無罪となった。

番轟三は発見され、メモリは実行された。

だが、そうならない結末もあったはずだ。多くの人が不幸になり、死ぬかもしれない可能性もあった。

慶二が何もかもを想定し動いていたとしても、誰か一人でも、彼の想定と異なることをすれば、この結末はなかった。

法廷で、この中の誰か一人でも欠けていたら、誰か一人でも前へ進む筋道を見つけられていなければ、七年間、番慶二が日本のために動いてきたことが全て水泡に帰すかもしれなかったのだ。

慶二は、下げていた眉を元に戻して、やはり、笑った。

 

「”君たちは約束を守ってくれる”。そう信じていたからね」

 

亡霊が、無垢に笑う。

感情が極端に希薄なサイコパスが、

己の感情さえも自由自在に操れる怪物が、

七年間、この日のためだけに死に続けてきた刑事が、心底嬉しそうに、微笑んでいる。

 

 

 

裁判長が、木槌を持つ。本当の、法廷の終わりが近づいていた。

 

「まさか、このような結果に終わるとは……。まず、これは個人的な意見ですが……あなたが生きていて、良かったと思います。慶二さん」

「ありがとうございます」

「ですが、複雑な事情があったとはいえ、あなたが行ったこと、全てが正当化されるわけではありません。起爆スイッチやカプセルの盗難……。他にも様々なことがあります。追って、判断が行われるでしょう」

「ええ。わかっています」

「しかし、あなたは今の日本に……必要な刑事だと私は思います。いつか、また会えることを祈っていますよ」

 

裁判長の言葉に、慶二はいつも通りに微笑んで、”はい”と答えた。

木槌が落ちる。法廷を閉める音が鳴る。

慶二は、係官に両脇を固められ、証言台から去っていく。この後、彼はどうなるのか、成歩堂にはわからない。

もしかしたら、また、しばらく、会えなくなるかもしれない。それさえも、わからない。

法廷から背を向けた慶二は、係官に連れられて、法廷を後にする。

彼は、一度も、振り返らなかった。

 

 

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