王泥喜side
番轟三という刑事は騒がしい男だ。
決め台詞は「ジャスティス!」だし、声は快活で大きいし、体も大柄なので、いるだけで存在感がある。
真っ白な汚れが気になりすぎるスーツを身にまとい、ティアードロップ型のサングラスまでしている。あと、顎もちょっと割れている。
加えて彼は刑事なので、現場で忙しなく動いていることも多い。そんな訳で、視界に入ったら一発で番刑事だとわかるぐらいの、特徴的な人物だ。
「むっ。弁護士君ではないか!」
「わっ、番刑事……き、奇遇ですね」
「うむ! 今日はいいことがあるぞ!」
あんたは青い鳥か何かか、と王泥喜法介は思った。
王泥喜は、つい一年ほど前に弁護士になったばかりの新米だ。弁護士歴十年目のベテラン、成歩堂龍一が所長を務める、成歩堂法律事務所で働いている。
前髪を全て後ろに流しつつ、一部だけぴょんと跳ねた前髪と広いおでこ、燃えるような真っ赤なスーツがチャームポイントの青年であった。
「しかし、こんなところに一人でいるとは。いつものメンバーはいないのか?」
「今日はただ買い出しに来ただけなので……」
昼食の買い出しを誰がするかで事務所の面々でジャンケンをして、王泥喜が負けたのだった。これから近くにあるコンビニに向かうところである。
しかし、番刑事を見ていると、いつもの目に痛い白スーツ――そして銃が入っていると思いきや警察手帳が入っているショルダーホルスター――を着ているのに、周囲に他の警察官や騒がしい場所――事件現場――がないように思える。
「番刑事こそ、こんなところで何やってるんですか? 休憩中とか?」
「いいや、今はパトロール中なのだよ」
「パトロール?」
「ジャスティス! 休日はパトロールをすることにしているのだ」
指二本を立てて敬礼をする決めポーズと共にそう教えられる。
常々仕事を熱心だと思っていたが、ここまでとは……と王泥喜は感心してしまった。
「はあ、すごいですね」
「うむ! しかし、これは兄に習っているのだよ」
「え、お兄さんですか?」
「そう、兄も刑事だったのだ!」
誇らしげに胸を張る番刑事に、へぇ、と相槌を打ちながら内心で首を傾げる。「だった」?
「とっても優秀な刑事で、皆に慕われていたそうだ。兄が関わった事件の資料を見たのだが、成歩堂弁護士とも知り合いだったようだぞ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、彼が事件に巻き込まれたところを助けたことがあるそうだ」
まさか、成歩堂さんが番刑事のお兄さんと知り合いだったなんて、全然知らなかった。王泥喜はそう思いつつ、なぜ話してくれなかったのだろうと疑問に思う。
そもそも、彼の兄と知り合いなら、番刑事と出会った時に何かしらの反応をしそうだ。王泥喜は、成歩堂と共に番刑事に会ったことがあるが、普通だった気がする。もしかして、兄弟だと気づいてなかったのだろうか。
話を聞きながら一人考えていれば、番刑事が続ける。
「今はもういないのだが」
「……えっと、それは」
「ああ! 七年前に起こった事件で殉職したのだ」
あっけらかんと言う番刑事に、王泥喜は言葉が出なかった。殉職――亡くなったらしい。
にしては、番刑事は明るかった。悲しそうな顔をするでもなく、先程より声のトーンこそ下げていたが、誇らしげな顔は変わりなかった。
「兄は素晴らしい刑事だった。自分も兄のように立派な刑事になるのが目標なのだ!」
「そうなんですか……」
サングラスの奥の目を煌めかせて言う番刑事に、王泥喜はそう返すしか無かった。慕っている兄が亡くなったと言う話題なのに、随分と明るい。
これが、気を遣わせないためなのか、それともただの素なのか王泥喜には分からなかった。彼ならどちらもありそうな気がする。
「買い物は昼食かな?」
「はい、まぁ」
話題を戻したらしい番刑事からそう聞かれ、王泥喜は頷いた。ちょうどお昼頃で、コンビニに買いに行く所だったのだ。
「なら私も一緒に行こう! コンビニまでパトロールだ!」
元気よくそう言う番刑事に、腕に着いていた腕輪が反応する。腕輪に絞められたように感じるそれは、王泥喜の特技の一つだった。相手が嘘をついている時、腕輪が反応する。厳密に言えば、嘘をついた時の動きを目で見抜いて、それに体が反応して、腕輪に絞められたように感じる。ということなのだが。
「コンビニに何か用があるんですか?」
「むっ? 用は特にないが……」
そう否定する番刑事に対して、視界に意識を集中する。すると番刑事の姿が更に良く見えた。そうして眺めた先、指が僅かに動いているのを見て、人差し指を突きつけた。
「番刑事! 貴方は嘘をついていますね!」
「ぬっ!?」
「貴方は用がないと言う時、右手の指が動いています!」
「なんだって!?」
両手を上げて驚いた番が、直ぐにしょぼんと肩を落とす。人差し指を突き合いながら、少々小さくなった声で言う。
「むぅ、自分もお腹が減ったのでなにか食べようかと思っていたのだよ」
「はぁ、なんで嘘をついたんですか?」
「パトロールしていると言った手前、コンビニに買い物に行くと言いづらかったのだよ!」
直ぐに調子を取り戻し、堂々とそう告げた番刑事に、どうでもいいだろ……と思いつつ。職業柄、嘘を見抜いてしまった王泥喜はコホンと咳払いをして番刑事の隣に移動した。
「じゃあ行きましょうか」
「うむ!」
「何買うんですか?」
「おにぎりの予定だぞ!」
「ええ、その白い手袋でおにぎり食べるんですか……? 汚れちゃいますよ」
「むっ……! それは……非ジャスティス……!」
コンビニ袋を片手に、成歩堂弁護士事務所へと入る。
応接間を抜けて奥へ入ると、事務スペースだ。
そこにある所長机に、成歩堂が、ソファーに最近事務所に入ってきたばかりの希月が座っていた。彼女は帰国子女で、十八歳の若さで弁護士免許を持っている。黄色の改造スーツを着ており、首元に下げたモニ太という機械のネックレスと、頭につけた青いリボン、オレンジ髪のサイドテールが特徴的だ。
向かいのソファーには、人と同じぐらいの大きさの特大トノサマン人形――子供向け特撮のキャラクターである――が置かれており、そこまで広くない事務スペースを更に狭くしている。このトノサマン人形は、王泥喜が入ってきた時からずっと事務所にあった。
「オドロキ先輩お帰りなさい! カツカレーありました?」
「あったよ。はい」
「やったー! ありがとうございます!」
希月が喜ぶと、首に下げたモニ太の画面が希月と同じように笑う。どういう原理なのか、モニ太は希月の感情をそのまま映し出す仕組みらしい。
もろ手をあげて喜んだ後、カツカレーを受け取る希月は、代金を払うつもりはないようだ。すっかり奢られたつもりである。やれやれ。
「成歩堂さんはチキンですよね」
「そうそう。ありがとう。百五十円だっけ?」
「二百円ですよ……」
素かわざとか、値段を間違えつつも財布を取り出そうとする成歩堂に、王泥喜が「お金は大丈夫ですよ」と待ったをかける。
「そう? じゃあありがたく……」
「違いますよ。俺もおごってもらったんです。番刑事に」
「え? オドロキ先輩、番刑事にあったんですか?」
「うん。休みなのにパトロールしてたよ」
「わー…… 本当に熱心ですね。番刑事」
感心した声を出す希月の言葉を聞きながら、自分用ののり弁当を机に取り出す。
コンビニ袋に残ったのは、お菓子が一箱。「お使いのご褒美だ!」と、番刑事が追加で購入してくれたものである。
子供扱いのようで複雑だったが、もらえるものはもらっておくか、と買ってもらったのだった。
「そういうわけでお金は大丈夫です」
「あー……うん」
「……あの、どうかしました?」
目を向けた先で、成歩堂がのどに小骨が刺さったような顔をしていたので、思わず尋ねる。
「いや、そこは似ているんだと思って」
「……もしかして番刑事のお兄さんのことですか?」
「あれ、知ってたのかい?」
「知っていたというか、パトロール中の番刑事に聞きました。ついさっき」
「なるほどね……」
目を丸くしていた成歩堂が軽くうなずく。そして王泥喜からチキンを受け取って、袋を破き始めた。
「え、番刑事ってご兄弟いたんですか?」
カツカレーの包装を破いてまさに食べようとしていた希月が言う。
それに成歩堂がうなずいた。
「そう、刑事のお兄さんがいたんだよ。けど、見た目以外はあんまり似てなかったな。同じ茶色髪の茶色の目で、アイドルみたいに顔が整ってたよ。いつも黒いトレンチコートを羽織ってて、何でもできるタイプの人だったね」
番刑事と同じように、成歩堂も彼を語るとき過去形だった。ということは、成歩堂も彼が亡くなったことを知っているのだろう。
そこまで黙って聞いていた希月が「え!?」と大きな声を出した。
カラン、とプラスチックのスプーンが床へ落ちる。
「もしかして、番刑事のお兄さんって慶二さんですか?」
いや、成歩堂さん、お兄さんが「刑事」だって普通に言ってたけどな。と王泥喜は眉をしかめる。
しかし、希月の言葉に成歩堂が目を丸くした。
「ココネちゃん、慶二さんと知り合いだったのかい?」
「はい……ってことはもしかして慶二さんが言ってた、ナルホド君ってナルホドさんだったんですか!?」
「それは……多分そうだね」
「え? 一体どうしたんですか? 刑事さんってなんです?」
突然「刑事」について話し出した二人に王泥喜が困惑していれば、成歩堂が「あー」と納得した声を出した。
「番刑事のお兄さん、番慶二って名前なんだよ。だから慶二さんって呼んでたんだ」
「そういうわけですか……」
確かに番刑事と呼ぶと、フルネームで呼び捨てにしている感じになってしまう。
話が理解できたところで、どうやらその慶二さんとやらは二人の共通の知り合いだったらしいことが分かった。
「番刑事が慶二さんの弟さんだったなんて……偶然苗字が一緒なだけかと思ってました……」
「気持ちはわかるよ。背丈とかは一緒だけど、雰囲気が全然違うんだよね」
「はい、本当に! 慶二さんは柔らかい感じで。番刑事は元気! 正義に燃える!って感じで……てっきり慶二さんの弟さんは、慶二さんそっくりな人かと思い込んでました……」
「わかるなぁ、あの人の弟って言われただけじゃなんか想像つかないよね。ひとりっ子っぽいというか」
「わかりますわかります!」
弟の姿が想像できない、という謎の話題で盛り上がっている二人。置いていかれた王泥喜はソファに座った。
しかしどうやら二人とも、慶二さんやらとは親しかったようだ。
「けど、ナルホドくんがナルホドさんだったなんて……あだ名なのかなって思ってました」
「ははは……けど、あの人、僕のこと話してたのか」
「友人だって言ってましたよ! あたしが将来弁護士になりたいって思ってたら紹介してくれるって」
「そう……そんな風に言ってたんだ」
成歩堂の笑っていた顔が少しだけ歪む。
しかしすぐに口を開いた。
「ココネちゃんはどういう経緯で慶二さんと?」
「わたしのいた施設に時々来てたんです。それで困ってるところを何かと助けてもらって、わたしが一方的に懐いていた感じだったんですけど、すごく可愛がってもらいました」
昔を思い出すように語る口調は嬉しげで、しかし眉は悲しげに下がっていた。
二人にとって大切な人だったのかなと王泥喜は思う。
そんな時、パッと希月の視線がこちらを向いて王泥喜の肩が跳ねた。
「本当に慶二さんってすごかったんですよ!」
「え、あ、うん……」
「その様子、信じてないですね!」
信じるも何もどんな人か知らないしな……と内心で呟く。その心情が顔に出ていたのか。希月は嬉々として話し始めた。
「私、人の声から感情を読み取れるじゃないですか。けど昔はその力が強くて、母が作ってくれたヘッドホンをつけて過ごしてたんです」
希月の力のことは王泥喜も知っていた。法廷で何度も見たことがある。
希月はその感情を読み取る力と心理学を使い、法廷で証人が感情と矛盾する証言をしていることを暴き、真実を見つけ出してきた。その力で、王泥喜も何度も助けられている。
「本当に大変で、学校とかにも行けなくて。母は心理学の専門家ですし、機械にも詳しかったから、私の負担を減らそうと頑張ってくれてたんだと思います。けど、あの頃、私のことを母は研究材料だと思ってるんだって思い込んで、塞ぎ込んでたんです」
希月の視線が悲しげに下がった。まさか、幼い頃にそんな想いをしていたとは王泥喜は想像もしていなかった。
いつもの元気さが陰ったような希月に、成歩堂が声をかける。
「すれ違っちゃったんだね」
「はい……。それで一人で泣いていた時に慶二さんに声をかけられて、私泣いてたし、多分、説明もろくにできてなかったと思うんです。けど慶二さんは察してくれて、お母さんから渡されたヘッドホンの機能のことを教えてくれたんです。お母さんが私に渡してくれたのは、感情を聞き取りにくくするものだって。そして「大丈夫。お母さんは君を愛しているよ」って言ってくれて」
希月の顔が嬉しげにほころぶ。
しかしすぐに眉が下がった。
「けど、私その言葉が信じられなくて。あの時の私は、ヘッドホンをしていても、感情がすごく聞こえてたから……。そしたら慶二さんがヘッドホンのネジを調整して声の聞き比べをしてくれて」
「声の聞き比べ?」
声の聞き比べとは初めて聞いた。王泥喜が尋ねると希月は笑顔で言う。
「はい、ネジを回すと感情の聞き取る量を調整できたんです。ネジが回されて、感情が全然聞こえなくなった時、慶二さんの言っていたことが本当だったって分かりました。それから、私、すごい怖かったんです。何も聞こえないのが。感情が聞き取れるなんて、苦しいだけだと思ってました。けど、人の声に宿っているのって嫌な感情ばかりじゃない。愛でもあったんだって」
しみじみと語る希月に、自分たちではわからない気づきがあったのだろうと王泥喜は感じた。
「私も子供だったので、そこまでちゃんとわかってはいませんでした。けど、そこからなんとなく母との関係もうまくいくようになっていって。本当に慶二さんは私の恩人なんです」
そう笑顔で締めた希月に王泥喜はうなずいて、「すごい人だったんだね」と返す。王泥喜は慶二を知らないが、希月にとって大事な人であり、尊敬する大人だったことは痛いほど伝わってきた。
「その時の光景が目に浮かぶようだよ。そういうことをさらっとする人だったよね」
「あはは! そうですね! スマートでかっこいい人でした!」
そう言って笑い合った後、希月は床をふと見て、「あ!」と声を上げた。
「スプーンが落ちてます!」
「さっき落としてたよ」
「言ってくださいよ!」
スプーンを拾い上げた希月は、水道のある給湯室へ小走りで駆け込んだ。希月が中に入り、給湯室の扉がパタンと閉まった後、成歩堂がポツリと呟く。
「だっていうのに、約束を放り出して死んじまうんだからな……」
え、と王泥喜が視線を向けると、成歩堂は口元に持ってきたチキンを見つめていた。どうやら独り言だったようだ。
数秒チキンを見つめていたが、興味を失ったかのようにチキンを遠ざける。空を見る成歩堂は、なんだかとても煮え切らない表情をしていた。
希月は給湯室からすぐに戻ってきて、成歩堂は遠ざけていたチキンを食べ始めた。
それらを横目に、王泥喜も買ってきたのり弁当に入っている金平牛蒡を箸で掴む。
口に放り込みながら、王泥喜はかつて親友から聞いた話を思い出していた。
現在、昔からの夢であった宇宙飛行士の候補生として大河原宇宙センターという施設で働いている親友――葵大地が、まだ学生の時に言っていた。
彼が学生の頃から通っている大河原宇宙センターで、頼り甲斐のある刑事が時折訪れていたと。
親友の師匠――星成太陽と仲が良かったらしく、その縁で親しくなって、宇宙飛行士になるという夢を応援してくれていたと言う。
しかし、その人も葵が学生の頃に、とある事件に巻き込まれて亡くなってしまったのだという。
酷く気落ちしたように伝えてきたため、王泥喜も記憶に残っている。王泥喜も大河原宇宙センターに葵と共に行くことがあったが、王泥喜はついぞその刑事には会わなかった。
『王泥喜にも会って欲しかったよ。ケイジさんに』
そう悲しげに語った葵の面持ちが浮かぶ。
もしかして、心音さんたちが言っていた人と同一人物だろうか、と王泥喜は思ったが、違うか。と首を振った。
葵が行っていたのは大河原宇宙センターだ。心理学の専門家が、娘のためにヘッドホンを作るとしたら、大きな病院のような施設だろう。
王泥喜は咀嚼した食べ物を飲み込んで、海苔の部分へ箸を向けた。
しかし、そう、葵からその話を聞いたのは――確か、七年前のことだった。
世間では、大河原宇宙センターでのHAT-2計画が行われることが大きなニュースとなっていた。七年前に成功したHAT-1計画。その際、打ち上げられた探査機《みらい》も地球へと戻ってきた。
七年前の成功に続くかと、世間はHAT-2計画の実行を期待して待っていた。
そして、ついに大河原宇宙センターにてHAT-2計画が実行されるその時――施設内で爆発が起きた。
発射前にロケットは爆発し、HAT-2計画は失敗に終わった。しかし、これは人為的に爆弾が仕掛けられ、何者かが意図的に爆発させたことが警察の調査で発覚した。
――HAT-2計画を妨害した犯人が誰であるのか、世間が注目していた。
王泥喜法介は、大河原宇宙センターで起こった事件において、弁護士として被告人の弁護を行うことになった。
絶対に無罪を勝ち取らなければならなかった。否応もなく、それは王泥喜自身の絶対に果たさなければならない使命であった。
「オドロキ先輩。昨日も聞きましたけど……その目、一体どうしたんですか?」
「……大丈夫! それより、今日は絶対に無罪を勝ち取るよ」
「それは、もちろんですけど……」
王泥喜たちは、裁判所の被告人控室にいた。裁判が始まるまで、弁護士や被告人が待機する一室だ。そこで、隣にいた希月が眉を傾げる。
王泥喜の右目には包帯が巻かれていた。眼帯のように完全に塞がられてしまっている。
この裁判は、王泥喜が主に弁護を担当し、希月は助手という立場だった。
昨日、現場に行くなどして二人で情報を集めていたが、昨日まで王泥喜は包帯をしていなかった。
希月は未だに首を傾げていたが、王泥喜は声を大きくして言う。
「大丈夫! 俺がどうにかする!」
「頼もしいな。王泥喜」
拳を握りしめて叫んだ王泥喜に、かかる声。王泥喜が目線を向けると、そこには今回の依頼人――葵大地がいた。
着替えることも許さなれなかったらしく、事件当時の宇宙服のまま、ヘルメットだけを外している。腕には楕円形の酸素ボンベがついていた。
青みがかった黒髪と、そこに付けられた大河原宇宙開発センター――通称GYAXAのロゴが入った、ツバのプラスチック部分が一部欠けたサンバイザー。鼻に付けられたテープ状の白い絆創膏が特徴的な、現役宇宙飛行士。彼は、王泥喜の中学時代からの親友である。
「にしても、俺が宇宙に行く前に、王泥喜に弁護してもらうことになるなんてな」
「お前は何をそんなに落ち着いてるんだよ。もうちょっと緊張したりとかないのか?」
「ロケットの打ち上げに比べたらなんでもないさ。それに、王泥喜もいるからな」
歯を見せて笑う葵に、王泥喜の顔にも小さく笑みが浮かぶ。
その光景を見ていた希月が、葵に負けない笑みを浮かべた。モニ太にも笑みが表示される。
「葵さん、すっごくオドロキ先輩を信頼してるんですね!」
「まぁね。こいつがどれだけ努力して弁護士になったかは、俺が一番知ってるから」
「わぁ、話には聞いてましたけど、本当に親友なんですね!」
笑顔で話す二人を眺めながら、王泥喜は思う。葵は自分を信頼してくれている。だからこそ、必ず葵を絶対に無罪にしなくてはいけない。
もしここで、葵が有罪になれば、葵の宇宙飛行士になるという夢は断たれてしまう。
王泥喜が弁護士になるのを葵が一番に応援してくれたように、王泥喜は葵の宇宙飛行士になるという夢を一番に応援していた。
葵は念願だった宇宙飛行士になり、ついに宇宙へ挑めるところだった。師匠である星成太陽と共に、ロケットに乗って宇宙へ飛び立つ――その時に、あの事件は起こった。大河原宇宙センターでの爆発、そして、小惑星探査機《みらい》のカプセルの盗難事件だ。
前日の十二月十五日の九時ごろ、ロケットの発射が計画されていた。
しかしロケット発射の直前、大河原宇宙センターの第一発射台、そして中央棟二階で爆発が発生したのだ。
ロケットは第一発射台から発射される予定だった。第一発射台にいた大地葵と星成太陽の二名はどうにかラウンジまで逃げ延びた。
しかし、葵が次に目覚めた時、彼は大河原宇宙センター爆発、および小惑星探査機《みらい》のカプセル盗難犯として逮捕されることになったのであった。
(葵がそんなことをするはずがない! 絶対に裏に何かある!)
そう胸の内で叫びながら、王泥喜は希月と葵を見つめる。
人の嘘を見抜く瞳は、今は片目を包帯に巻かれ、能力を封印されていた。もちろん、そうしたのは王泥喜自身であった。
親しげに話す二人から目を逸らす。その先で、法廷係官が法廷へ来るように王泥喜たちを呼んだ。
序審法廷制度、という法律がこの日本には存在する。
これは犯罪の増加に伴い施行された法律で、比較的新しく作られた法律である。
この法律では、事件発生・または起訴から三日の内に「序審法廷」と呼ばれる裁判が行われる。
そこでは、被告人が「有罪」か「無罪」かを決めることになる。何があっても、三日の期限が延長されることはない。
かつてはかなり長い間裁判が行われていたが、犯罪の増加により時間のかかる法廷システムでは処理しきれなくなってしまい、施行された法律だ。施行時には被告人の人権が守られていない、検察側に有利すぎる、捜査時間が足りない、憲法に違反しているなど数多くの批判意見が存在したが、今ではこの法律が当然となっていた。
そして序審法廷で三日のうちに有罪か無罪かを決定され、有罪の場合は一ヶ月以内に量刑を決める通常裁判というものが行われる。
つまり、序審法廷で一度有罪になってしまうと、被告人がどれほど無罪に思えたとしても、証拠に疑わしい所があったとしても、覆すことができない。判決に対する再審要求、控訴はほぼ行われず、行われたとしても証拠不十分として却下されてしまうことが殆どだ。
――つまり、被告人は起訴された時点で、危機的状況にあると言って良い。
大河原宇宙センター爆破、および小惑星探査機《みらい》カプセル窃盗について裁判が行われるのは、地方裁判所の第四法廷。
木材で作られた、厳粛さを感じさせる法廷内。
傍聴人席が、法廷を左右にぐるりと囲んでいる。高い段差の上に席があるので、まるで舞台の二階席のようだ。
法廷は中央奧に裁判長席が高い位置に設置されている。そしてその左右に、弁護士席。検事席と並ぶ。その奥に証人が立つ証言台がある。裁判長席からまっすぐ先の位置になっている。ただ、今回は証言台の隣に、見慣れない金属製の大きな台車のようなものが置かれていた。
証言台の後ろは階段になっており、その先は法廷の外へ出る両開きの扉があった。
天井付近には、裁判長や傍聴人を含め、法廷内の皆が見やすいように、大きな液晶の画面が設置されている。写真、映像などの証拠品を見る場合、ここに表示される仕組みになっていた。
王泥喜たちが法廷へ入ると、すでに傍聴人は数多く揃っていた。ニュースでも大きな話題になっている裁判のため、席が全て埋まるほど傍聴人がいる。
裁判長席にも、坊主頭と白い髭が特徴的な裁判長が既に着席していた。そして――検事席には陣羽織のような白黒の特徴的な衣服を羽織った、鷹のように眼光の鋭い検事、夕神迅がいた。癖のある長い黒髪を後ろで縛っており、前髪の一部が白くなっている。そして、何より特徴的なのは肩に鷹がとまっている所だ。彼が飼っている鷹であり、裁判中でも構わず飛び回っている。夕神検事の口元には、鷹の羽が咥えられていた。
こんな検事いていいのか。と王泥喜は毎回思うが、裁判長にも法廷係官――法廷の警備官だ――にも注意されないので、問題はないらしい。
王泥喜は既に何度か、この検事と争ったことがある。しかし、今日の夕神検事はいつもよりも少しひりついているように感じた。
弁護士側、検事側、両者ともに揃った様子を見て、裁判長が口を開いた。
「それではこれより、葵大地の法廷を開廷します」
裁判長が弁護側、検事側の準備が整ったことを確認し、検事側――夕神検事が冒頭弁論を始める。
「昨日のことだ。事件は……大河原宇宙センターで起きた」
「ふむ。わが国における宇宙開発の拠点として、有名な施設ですな」
頷く裁判長に、夕神検事が、ああ、と相槌を打つ。
「そこで、”ロケットの打ち上げ”が予定されていた。だが、打ち上げの直前……午前九時二十八分のことだ。爆弾を使った妨害事件が発生し、打ち上げは、中止されちまった」
「ふむ。爆弾とは……。実に恐ろしい」
「そして、爆破事件の下手人としてしょっ引かれたのが……被告人・葵大地……」
前髪から覗くギラリとした夕神検事の瞳が、被告人席にいる葵を睨む。
「何を血迷ったのか、てめェが乗り込む予定のロケットを爆破しやがった。しかも、自分の師匠が七年前に打ち上げた宇宙探査機……そいつが持ち帰ってきたカプセルまで盗みやがった」
「師匠、と言いますと、星成太陽さんですな」
「ああ。やっこさんも一緒のロケットに乗り込んでいた。だが、下手人に気絶させられていたのさ。経験豊富なベテラン宇宙飛行士は、爆破の邪魔だったんだろうなァ」
夕神検事はニヒルな笑みを浮かべながらそう言う。だが、「まぁ、命があっただけでも儲けもんだが」と最後に口にしたその口元から、笑みは消えていた。
「ふむ。事件の概要は、おおむねわかりました。ところで、ちょっと気になることがあるのですが……証言台の横にある、あの、いかにも固そうな鉄の箱はなんですかな?」
冒頭弁論が終了した後、裁判長が証言台の隣にある金属製の大きな箱に目を向ける。
”511103UR”と文字が側面に印字されており、蓋には黄色と黒のストライプの模様が描かれていた。車輪がついており、箱の状態で動かせるようになっている。
裁判長の疑問を受けた検事が、一つ頷いて答える。
「ありゃァ、おめえさんの……”カンオケ”さァ……」
低い声でそう呟きながら、身を捩り腰に手を当てる様はまさに侍と言った風体である。
あからさまな冗談に、しかし裁判長は叫び声を上げて机の下に隠れてしまった。
またやってるよ……。と王泥喜はそれを見ながら内心でため息をつく。夕神検事は心理操作が得意で、その技術で裁判を有利に進める男だ。だが、こうして必要もなく裁判長や弁護士側をおちょくることがあった。
しかも、身を捩り腰に手を当てて抜刀するような体勢から繰り出される手刀は、どういう原理なのかわからないが、実際にモノが切れてしまう。それで何度か王泥喜の前髪は犠牲になっている。王泥喜は何か刃物でも投げているのではないかと思っているが、王泥喜の目をもってしてもその何かは見切れていない。
つまり、夕神という男は、誠に厄介で捻くれている、危険な男というわけであった。
「……冗談だ。ありゃァ事件の証拠品だ。やたらとでけェから、仕方なくあそこに置いてあるだけさ。まあ、中身についてはおいおい説明してやらァ」
「ふう。まったく……。寿命が五十歳ほど縮まりましたぞ」
「……五十歳縮まったら、寿命がなくなっちゃうんじゃ?」
「シッ! そういうこと、言わない!」
検事側の冗談も、裁判長は慣れているのか軽く返しているが、それに希月が月の形をしたイヤリングを触りながら首を傾げた。
言わなくて良い所を言及する希月に、王泥喜は小さくツッコミを入れる。
緊張していた空気が少しだけ和らぐ。そのタイミングで、夕神検事が担当刑事を指笛で呼んだ。
「ジャスティス! 番轟三、ここに参上ッ!」
笛でやってくる犬のように登場した白スーツと元気の良さが特徴的な刑事が、警察手帳を見せつけながら名乗りを上げる。
担当刑事――つまり、今回の事件の捜査を担当したのは、番刑事であった。
裁判長が番刑事に事件の詳細を頼むと、彼は意気揚々と説明を始めた。
「では、まず、大河原宇宙センターのパンフレットを見たまえ! この中に、宇宙センターの内部を解説した絵がある」
大河原宇宙センターは施設が一般にも公開されており、一般客へ向けたパンフレットがある。
それは王泥喜も承知であり、昨日、大河原宇宙センターへ希月と共に調査に行った際に同じものを入手していた。
遊園地のパンフレットのような華やかなパンフレットには、宇宙センター内部の地図が記載されている。宇宙センターを真横から見て、何階まであるか分かりやすく示された、建物を輪切りにしたような地図だ。
建物が三つあり、それを通路がそれぞれ一直線に繋いでいる。一番左に四角い建物の第一発射台、真ん中に円柱型の中央棟。そして右の四角い建物が一般客が楽しめる見学スペースである。三階部分に通路があり、中央棟から左右に繋がれている。
「そして、左側の第一発射台と中央棟部分を拡大し、詳細にしたものが、我々警察が作成した、この断面図である。第一発射台と中央棟があるのがわかるかね?」
「左側の四角い建物と、右側の丸い建物のことですな」
「うむ。事件は、この第一発射台と、中央棟のラウンジで起こったのだ。では、この断面図を使って、事件をわかりやすく解説してあげよう!」
警察が作成した詳細な地図が、弁護士側の手元にもやってくる。
地図の形はパンフレットのものと同じだが、番刑事の言った通り図が拡大され、第一発車医大と中央棟について詳しい説明が記載されている。
第一発射台はその名の通り、ロケットが発射される建物である。図には建物の中にロケットの図と、内部の構造が描かれていた。ロケットが建物内部の左側に設置され、右側には建物の構造――中央棟から繋がる第一発射台通路と、その先の建物中層。ハシゴとエレベーターで行ける上層。そしてその中層の下にある下層と分かれている。
第一発射台通路からは、中央棟三階のラウンジへ繋がっていた。
王泥喜たちが資料を確認し終えると、番刑事による事件の経緯の説明が始まった。
「ロケット打ち上げの直前のことだ。爆弾がドッカーン! と爆発した」
ドッカーン! のところでわざわざ両手を上げ、驚いた顔をして番刑事が言った。それに、相変わらず騒がしい人だな、と王泥喜は思いつつも黙って証言に耳を傾ける。
「中央棟の二階と、第一発射台で爆弾が爆発したのである。幸い、そのとき第一発車台には、乗組員の二人しかいなかったらしい。彼らはラウンジまで何とか逃げてきたのだが……その爆発のどさくさに紛れ、探査機《みらい》が持ち帰ったカプセルは盗まれていたのだよ!」
拳を握りしめ、怒り心頭の様子で証言を終えた番刑事に、裁判長が鎮痛そうな面持ちで言葉を返す。
「ふむ、爆破事件にくわえて、窃盗事件まで起こるとは……。しかし、カプセルには何が入っていたのでしょう?」
「小惑星のサンプルとやらが入ったカプセルだったらしい。だが、盗まれて、いまだ発見されていねェ。貴重な研究材料だったが、下手人にしてやられたわけさ」
裁判長の疑問に夕神検事が答える。その様子は葵をカプセル窃盗の犯人と疑っていない様子であった。だが、王泥喜からするとあり得ない話だ。
宇宙を愛し、宇宙に挑み、その謎を解き明かそうとする葵に限って、彼の師匠である星成が打ち上げ、七年の月日を経て地球に戻ってきた、貴重な小惑星の欠片が入ったカプセルを盗むことなどあるはずがない。
しかし、今はそこを主張したとしても夕神検事に感情論で話すなと黙らされるだけだろう。王泥喜は気持ちをグッと堪え、番刑事に対して質問する。
「あの。中央棟の爆弾は、二階に仕掛けられていたようですが、第一発射台の爆弾は、どこに仕掛けられていたのでしょう?」
「うむ。第一発射台の爆弾はロケットに仕掛けられていたぞ。高さで言うと、発射台の中層あたりにあたる。ゆえに、発射台中層のエレベータ付近は火の海になっていたようだ」
火の海、とはまた穏やかではない。乗組員の二人は、死と隣り合わせだっただろう。その中から脱出できるとは、さすが葵と星成さんだ。と王泥喜は内心で感嘆する。
しかし、番刑事の証言は一旦ここで終了である。
「今のところ有利な証拠は、無さそうですね……」
「まあ、いつものことさ。尋問で、証言を引き出していこう」
そう、たいていにおいて有利な証拠がないのは、成歩堂弁護士事務所が受ける仕事の常である。
しかし、必ず何か大事な事実が隠れているはずだ。それを引き出す。たとえ、”本人によって”その事実が隠されていたとしても。
証言が終われば、次はその証言に対して弁護士側の尋問が始まる。
いくら完璧と思われる証言でも、隠し事や勘違いがあることが存在する。証言からその食い違いを探し、逆転の糸口を探す。それが成歩堂から受け継いだ王泥喜のやり方であった。
証言していた番刑事に詳しく尋問をすると、いつくか新しい証言や証拠品が提出された。
まずは、事件当時、番刑事が避難誘導に当たっていたこと。厳戒態勢が敷かれていたといい、爆弾が爆発後、警備中の警察や機動隊が避難誘導に当たったという。
センターにいた人たちを、センターの地下にある緊急事態用の避難設備である地下シェルターに避難させたとのことだった。
次に、爆発の影響で第一発射台のエレベータは止まり、三階のラウンジの証明は落ち、真っ暗になっていたこと。しかし、監視カメラなどのセキュリティは、非常電源で動いていたこと。
更に、第一発射台には二人しかいなかったこと。そして、第一発射台の指紋認証を通れるのは、葵と星成、そしてセンター長の大河原有忠のみ。しかし、爆発が起こった午前九時二十八分。センター長の大河原は他のスタッフとおり、完璧なアリバイがある。
最後に、現場には指紋のついていない、未使用のナイフが落ちていた、ということ。この最後のナイフについては、王泥喜も昨日の調査で確認していた。
事件時の大まかな状況は掴めてきた。しかし、だからこそ王泥喜は初めから考えていた疑問に立ち返る。
「あの。そもそもの疑問なんですが。自分が乗るはずのロケットに、爆弾を仕掛けたりはしないのでは?」
爆弾はまさに葵たちが乗り込んでいたロケットで発生した。今回は運良く生き延びられたが、下手をすれば容易に死んでしまう。
そんな危険を犯してまで、爆弾を爆発させるなど、葵ではなくとも普通はやろうとはしないだろう。
しかし、それを読んでいたように夕神検事は番刑事に向かって顎をしゃくった。
「オッサン、動機だ」
「承知したッ!」
夕神刑事の指示を受け、番刑事が話し始める。しかしそれは王泥喜にはおおよそ信じられないものだった。
「被告人は、宇宙恐怖症だったのだよ!」
「あ、葵が宇宙恐怖症だって……!?」
宇宙恐怖症――宇宙について考えただけで身が凍りつく。
番刑事がいうには、葵は宇宙恐怖症を患っており、そのため直前になって怖じ気付き、爆弾を使い発射を止めたという。
「そんなバカな……! あの葵が……!」
「残念ながら証拠もあるのだよ。これを見たまえ!」
そう言って番が取り出した証拠品は、白い錠剤だった。それを弁護士側や裁判長に見せながら、番刑事が説明する。
「精神安定剤だよ。被告人の持ち物から見つかったのだ。どうやら恐怖を抑えるためにこっそり飲んでいたようだ」
「訓練をしていく中で宇宙が身近になって、宇宙への興味より恐怖のが大きくなっちまったんだろうなァ」
「そんな……だ、誰かがこっそり持ち物にいれたとか……!」
「うむ。精神安定剤の入っていた小瓶にはしっかりと被告人の指紋だけが着いていたぞ!」
はっきりと不利なことを伝える番刑事に、王泥喜は頭を抱えそうになる。
事件発生から裁判までの時間が短く、話す時間が少なかったとはいえ、王泥喜は葵からそんな話は聞いていなかった。
「で、でも、仮にそうだったとしても、爆破までするなんておかしいでしょう!」
「そうでもないんじゃねェか?」
「え……」
夕神が自然な調子で、世間話でもするように語りかけてくる。
「聞けば、被告人は学生の頃から、星成太陽を師匠と言って慕ってきたそうじゃねェか。念願叶って尊敬する宇宙飛行士の元で働き始めて、ようやく宇宙に行くって時に、宇宙が怖くなったから行けないなんて言えるもんかねェ」
そこまで言って、夕神はニヤリと笑みを浮かべて王泥喜を見た。
「それに、どうやら親友とやらと、互いの夢を熱心に応援し合っていたそうじゃねェか。そりゃあ、本当のことなんざ余計に言えねェだろうよ」
「……!」
名前を言われなくともわかる。親友とは王泥喜のことで、夕神はそこまで承知している。
確かに、葵とは互いの夢を心から応援していた。だが、どんな理由があろうとも、それが今回の事件に繋がるなんてありえない。
固く葵の無実を信じる王泥喜とは裏腹に、夕神は更に語る。
「何らかの妨害工作により宇宙センター爆破事件が発生し、ロケット打ち上げは、やむを得ず中止される……そうなりゃ師匠にも親友にも、情けねェ醜態を晒さずに済むってェことさ」
唇を噛み締めた王泥喜に、希月が慌てて声を上げる。
「惑わされちゃダメです! あれは夕神検事の心理操作ですよ! オドロキ先輩を動揺させるためです!」
「……分かってる。はぁ、ありがとう。希月さん」
王泥喜は一旦頭を振り、熱くなった頭を冷ます。
「一旦冷静になって考えてみよう。番刑事は、二人は第一発射場から逃げてきて、カプセルは爆発のどさくさで盗まれたと言っていた。けど、いつ無くなったかは言われてないよね」
「そうですね。葵さんは盗めなかった、あるいは他の人が盗んだという証拠があれば、葵さんのカプセル盗難の濡れ衣ははらせます!」
「うん。それに、爆破事件と盗難事件が無関係だとは考えにくいし……。カプセルのことを突き詰めていけば、きっと爆破事件についても、葵の無実を証明出来るはずだよ」
「はい!」
考えを整理した王泥喜たちを検事席から眺めていた夕神検事が、ニヤリと顔を歪める。
「さて……そう言ってられるのも今のうちだぜ」
「な、なんですって……」
「カプセルの盗っ人が葵大地ではない。お前さんたちはそう言いてェわけだな」
「そ、そうです! そもそも――」
「そもそも?」
夕神検事が言葉を復唱する。それに、王泥喜の言葉が止まった。
「オドロキ先輩? どうしたんですか?」
「……いや、ずっと疑問だったことがあるんだ。けど、それを言ってもいいのか……」
「どうしてですか! おかしい所があるなら突き付けないと!」
「そう、なんだけど……」
「ヘッ、泥の字。刀の抜き所を見極められねェってツラだな。ダメ押しだ。こいつを見やがれ」
言い淀む王泥喜に、夕神検事が一つの証拠品を取り出す。手に持っていたのは、何かのDVDのようだった。
「これは……?」
「監視カメラの映像の一部を切り取ったデータだ。被告人たちが第一発射台通路から脱出してきた際、ラウンジにあるカメラに、二人の姿が映ったってェわけさ」
夕神検事から新たな資料が提示される。そのDVDには、発射台の扉からラウンジへ入ってくる二人の人物の姿が映し出されていた。
薄暗い中だったが、カメラの光の調整機能のおかげか鮮明に録画されている。二人とも宇宙服を来ており、片方は力なく倒れ込んでおり、もう一人がそれを抱えてラウンジへと進んでいる。そしてその人物の左手にはカプセルが抱えられていた。
「カプセルを持っているのが葵大地だ。被告人は星成を気絶させ、第一発射台から引きずってきた。片手にカプセルを抱えながらな。そして、カプセルをそのまま盗み出した」
そう口にした夕神検事に、王泥喜が大きく声を上げた。
「異議あり!!」
――が、声とともに検事側に人差し指を突きつけたまま、王泥喜は押し黙った。眉間に深いシワを刻みながら、睨むように検事席にいる黒髪の男を見ている。
「お、オドロキ先輩?」
後輩の狼狽えた声が聞こえるが、王泥喜は異議を口に出すのが正解か、判断がつかなかった。これは、明らかにあの男の――罠だ。
「……先程、第一発射台に行けるのは葵と星成さん、大河原センター長というのが番刑事から話されました。ですが、ラウンジには指紋認証はなく、誰でも行けたはずです」
しかし、足を踏み込まなければ真実には近づけない。
王泥喜の言葉に、夕神検事が口元を歪めながら顎を撫でた。反論するつもりは無いようだった。
「監視カメラには、カプセルを持っている葵が映っている。つまり、カプセルはラウンジに持ってこられていたということです! ならば、誰にだって盗み出すことが出来る!」
そう、これがずっと王泥喜の考えていたことだった。カプセルが盗まれたタイミング。それが事件の鍵になる。カプセルが無くなったのが第一発射台でなら、葵の容疑は強くなるだろう。だが、誰でも入れたラウンジでならば、別の人物が盗んだと主張できる。
しかし、検事は皿が割れるように笑った。
「そう、肝はここさ。カプセルが盗まれた、しかしラウンジに来るまでは確かにあった……」
「そうです! それなら――」
「だが、それこそが下手人の犯行だと示してンのさ」
王泥喜の言葉を遮り、夕神検事が語る。
「おっさん。ラウンジにいた被告人と星成を見つけたのは誰だ」
「うむ! 彼らを見つけたのは大河原センター長と賀来ほずみ刑事だ。賀来ほずみ刑事は爆弾事件の専門家だぞ! 爆弾騒ぎの後、センター長と一緒に避難誘導を行っていた。星成たちの話を聞いて、急いで現場に駆けつけたらしい。そのときにラウンジにいる被告人と倒れている星成を見つけたのだ!」
第一発見者に刑事がいたとは初耳だった。
夕神検事は口角を上げながら言う。
「第一発見者が二人を見つけた時刻と、監視カメラの映像の間はおそらく数分しかねェ。しかもエレベータは止まっていた。第三者がいれば、必ず階段で第一発見者と鉢合わせしている。つまり、この短けェ間に、カプセルを盗み出せるのは被告人しかいねェのさ」
「くっ……!」
確かに、監視カメラと発見された間に数分しかないなら、もし第三者がいたとしても、逃げる際に賀来刑事たちと鉢合わせになってしまうだろう。だが、だとしても、これは決定的な証拠ではない。
王泥喜が異議を申し立てようとした瞬間、夕神検事の手刀が翻る。瞬間、王泥喜の前髪が数本ハラハラと落ちた。咄嗟に逃げたものの、そのまま異議を唱えていたら、おでこが切れていたかもしれない。
「ちょ、ちょっと! いきなり何するんですか!」
「こっちが話してる途中だ。最後まで大人しく聞いとくンだな」
「な、なんですって……」
「教えてやるって言ってンだよ。決定的な証拠について、なァ」
夕神検事が顎を撫でる。その鷹のような瞳は、口元に浮かぶ笑みとは異なり、射抜くように王泥喜たちを見つめていた。
「被告人は、自身から完璧に疑いの目を吹き飛ばす方法を、もう一つ持っていたのさ。物語を締めくくるド派手な花火。”第三の爆弾”でなァ」
「異議あり! 何を言っているんですか! 第三の爆発なんて起こってませんよ!」
「そうさァ。爆発自体は起こってねェ。第一発見者の賀来刑事が爆弾に気づき、爆弾処理班に渡したからな。だが、第三の爆弾が、ラウンジで見つかったのは事実だ」
希月の異議にも直ぐに切り返した夕神検事は、羽を加えた口元で、証言台の横にある鉄の箱を指し示した。
「証言台の横の鉄のカンオケ。ありゃァ……爆弾の運搬ケースだ。こいつで、解除済みの爆弾を運んできたのさ。ラウンジで見つかった、この悪趣味なぬいぐるみ爆弾をよ」
新しく提示された証拠品、”ぬいぐるみ爆弾”。ラウンジにあったとされるそれは、王泥喜も見た目だけなら見たことがあった。
赤い象の姿をしたぬいぐるみで。悪魔のように黒いツノと尻尾が生えている。長い鼻で筆を持ち、片手に「罪」と書かれた紙を持っている。”ねつゾウくん”という名前の、冤罪撲滅運動のキャラクターだったはずだ。
「中央棟の二階に、発射台のロケット、そしてラウンジの”第三の爆弾”。被告人は三発の花火を打ち上げる腹づもりだったってェわけだ。幸い、三発目を打ち上げる前に、解除されちまったが……爆発してりゃあ、カプセルの所在も吹き飛ばせちまう。そして、邪魔な目撃者もなァ」
「じゃ、邪魔な目撃者……?」
「ああ。他の奴らを誤魔化せたとしても、同乗していた星成は、被告人がカプセルを盗もうと行動していたことに気づいた可能性がある。ここで証拠品の所在ごと打ち上げちまうつもりだったのさァ」
「あ、あ、葵が、星成さんを殺そうとしていたって言うつもりですか!」
「当然だ。だから言っただろう。”命があっただけでも儲けもん”だってなァ」
鋭い瞳が、長い前髪に隠れる。
確かに、夕神検事は裁判の冒頭弁論後にそんなことを言っていた。
「それに、爆弾を使わずとも、被告人はナイフを所持していた。第一発見者に見つからなきゃ、星成はどっちみち殺されていたのさァ」
「さ、最初から殺すつもりなら、そもそもラウンジまで星成さんを連れてくる意味がないじゃないですか!」
「ラウンジには監視カメラが設置してある。そりゃァ乗組員なら知ってて当たり前だ。その監視カメラに星成を助けているような姿を映させ、弟子が師匠を助ける感動的な場面を演出する……ケッ、反吐が出るぜ……」
地を這うような低く刺々しい声色ときつく歪んだ顔が、発した言葉への嫌悪感を全面に表している。
しかし王泥喜は知っている。葵大地はそんなことをするような男ではない。異議ありの叫びと共に、湧き上がる怒りのまま机を叩いた瞬間、再び居合が王泥喜を襲った。危険に叫び声を上げた王泥喜を気にせず、夕神検事は続ける。
「決定的な証拠なら、もちろんあるぜ。爆弾処理班が管理しているから、今は手元にねェんだが……被告人のポケットから見つかったのさァ。爆弾の起爆スイッチがなァ」
「な、なんだってぇえええ!」
王泥喜の叫びを皮切りに、法廷を囲んでいた傍聴人が一気にざわつく。爆弾の起爆スイッチ。あまりにも決定的な証拠だ。
一番効果的な場面でこれを出すために、今までずっと隠していたのか。傍聴席にも、裁判長にも、そして被告を信じている王泥喜に対しても。弁護人の心を折るために。
王泥喜は歯噛みする。
「ラウンジに着いたところで、第一発見者に見つかった被告人は、決定的な証拠品を隠滅する暇がなかったんだろうなァ。てめェのポケットに隠すたァ……間抜けな爆弾犯だぜ」
「ぐううううう。バカな……そんな葵が……ウソだ、ウソだ!」
理論ではない。今までずっと親友として過ごしてきた時間が、王泥喜に葵は無実だと叫んでいる。
だが、そんな言葉はもちろん夕神検事にも、傍聴席にも、裁判長にも届かない。
果てには、夕神検事は王泥喜から背を向けて、「頭を冷やして現実を見ろ」と口にする。
「ふむう。被告人が犯人であることは、疑う余地がないようですな」
そんなはずはない。こんなのは真実じゃない!
裁判長の言葉に、心からそう叫びそうになる。だが、あまりにも決定的な証拠を前に、反論の言葉を考えあぐねる王泥喜に、夕神検事が背を向けたまま語りかけてきた。
「納得できねェって顔だなァ。あくまで依頼人を信じるってか……だったら被告を、尋問してみるがいい」
振り向いた面持ちに、意地の悪い笑みが浮かんでいる。
おそらく、被告人への尋問も夕神検事の罠なのだろう。圧倒的に不利な証拠品を突きつけ、弁護側の心を折りにくる。そして被告人への尋問。
さらに弁護側を追い詰める何かがあるのだろう。
「あ、あいかわらず、えぐい手を使ってきますね、あの人」
希月が饅頭が潰れたような顔で、疲労したようにそう語る。
だが、彼女の言う通り、相変わらずなのだ。これまでも王泥喜は夕神検事と対峙して、様々な窮地に見舞われてきたが、なんとか切り抜けてきた。
追い詰められているのは事実だが、やるしかない。王泥喜法介は葵大地を心から信じているのだから。
「さあ、出番だぜ。畜生にも劣る天下の大悪党……葵宇宙飛行士さんよォ!」
証言台に、宇宙服を着た男がやってくる。
オレンジ色の大きな宇宙服に身を包み、頭にはバイザーをつけ、まっすぐな瞳をした宇宙飛行士――葵大地。
証言台に堂々とした姿で立った葵に、裁判長が語りかける。
「証人。名前と職業をお願いします」
「葵大地。宇宙飛行士です!」
「ふむ、随分と元気の良い証人ですね」
「ええ、無罪になるって分かってますから!」
ニカッ! と歯を見せて太陽のように笑う葵に、裁判長が目を丸くする。
「これはこれは……随分と自信たっぷりですね。弁護士側はいつも通りピンチですが……」
(いつも通りってなんだよ!!)
「まぁ、王泥喜はここぞと言うところで力を発揮するタイプなので」
なっ! と葵が王泥喜に対してサムズアップをしてくる。同じように返してやりたいが、今の状況はかなりまずい。この尋問で何か有利な情報を引き出せないと、今日中に判決が下される可能性も高い。
そんな不安は飲み込んで、王泥喜は机に手を置きながら叫ぶ。
「ああ、大丈夫!」
「そう、俺たちは大丈夫だ!」
大丈夫。それは二人の合言葉であった。
だがそれを引き裂くように、検事側からの異議あり――代わりの「黙りなァ!」と言う怒声が法廷内に響き渡る。
「本当に”そう”かは、この後の尋問でよォく分かるだろうさ」
そう発せられた言葉は冷たい。
その瞳に、強い違和感を覚える。これまでの夕神検事からは感じたことのない何か。
王泥喜の隣にいた希月が、小さく呟く。
「夕神検事の声から、感じます。これは……強い、憎悪……」
大河原宇宙センター爆破、および小惑星探査機《みらい》カプセル窃盗事件。
これまで夕神検事と争ってきた裁判は、全て殺人がらみの事件だった。だが、今回は唯一死人は出ていない。
だが、夕神検事の被告人を有罪にしてやろうという気概は、今回が一番強烈な気がしていた。
その理由は、憎悪なのだろうか。だが、何に対して恨みを抱いているのか。
そんな中、夕神検事の怒声に怯まない葵が口を開く。そうして、被告人、葵大地の証言が始まる。
「ロケットが発射しようと言うとき、爆発が起きたんだ。星成さんはその爆発の衝撃で気絶してしまったみたいで、星成さんを担いでロケットから脱出したんだ。その後はエレベータで中層に降りて、通路へと向かった。カプセルも宇宙開発にとって大事なものだから、一緒に持って行ったんだ。決して盗む目的じゃないし、ロケットの爆発なんてしていない!」
拳を握り、堂々とそう証言する葵は、嘘をついているようには全く見えない。しかし、もし嘘をついていたとしても、王泥喜ならばその目で嘘を暴くことができる。そう、いつもなら。
今は片目が塞がれていて、その能力は発揮できない。だが、一つずつ探っていけば、光明が見えてくるはずだ。
そう、一つずつ。最初は、中層までへの移動方法だ。
「待った! さっき、エレベータで中層に降りたって言ったな。それは、発射台の内部にあるエレベータのことだよな」
「ああ。操縦席への昇り降りには、いつもそれを利用するんだ。それに、カプセルを持って星成さんを担いでいたんだ。エレベータを使わないと降りられないだろ?」
「それは確かにそうだ……。けど、事件当時、中層エレベータ付近は爆弾によって火の海になっていたはずだ!」
「なッ……!」
証拠品にもある情報を王泥喜は突きつけた。
驚きの声を上げた葵が、咄嗟に目元を隠すようにバイザーを下げる。
「エレベータは使えなかったはずだ。つまり葵、お前の証言は決定的に矛盾してる!」
「ぐ、うぅ」
バイザーにかかった手が、さらに下に下がっていく。噛み締めた口元は焦りに歪んでいるのが、片目を隠した王泥喜からでもよく見てとれた。
と、下がりに下がったバイザーが下げに下げすぎて、頭からスポンと脱げる――直前に、葵の姿が証言台から消えた。
「ひ、被告人はどこです!?」
突然の事態に裁判長が叫ぶ。法廷がざわつき、よもや逃亡かと思われた先、葵がひょいと現れた。後ろ向きの姿で。
「え、えっと、葵さん?」
「うん。これでよし」
希月が戸惑いがちに声をかけると、宇宙服の背中を見せていた葵が、くるりと真正面を向く。
そこには、とれかけたバイザーがしっかりとつけられた状態の葵大地がいた。その目は、真っ直ぐとしていて、先ほどまで青い顔をしてバイザーを下げに下げていた姿は幻想だったかと思うほどであった。
「すみません! ちょっとバイザーが取れそうだったので、しゃがんで直してました」
「ああ、しゃがんでいただけですか……。まぁ、次からは気を付けるように」
しっかり九十度頭を下げて謝る葵に、裁判長も毒気を抜かれた教師のように軽い注意だけで済ませている。
はい! と葵は元気よく返事までした。その姿に、裁判長は感心したように頷いて「私の若い頃にそっくりですね」などと言い始めた。
王泥喜は知っている。バイザーは葵にとってとても大事なものだ。というのも、あのバイザーは中学の頃、彼が母親から買い与えられたものなのだ。最初はただの帽子だったが、つけやすいように葵が改造してバイザーのような形になっている。そして、中学の校章がついていた正面も、今はGYAXAのマークが付けられている。長年使ってきたため、バイザーの正面は少し欠けていた。葵が肌身離さずつけている証拠であった。
葵の母親は中学の頃に事故死している。それがきっかけで、同じく母のいない王泥喜と葵の距離はぐっと縮まった。だからこそ、葵のバイザーが彼にとってどれほど大事なものかを王泥喜は知っている。そして、彼が先ほど、それを取り落としそうになるほど動揺していたことも、理解できてしまった。
「葵、答えてもらうぞ。どうやってお前はカプセルと星成さんを担いで中層へ降りたんだ!」
葵はニカリと笑うと、堂々と胸を張って言う。
「ああ。ちょっと思い違いをしてたんだ。俺はエレベータじゃなくて、ハシゴを使って降りたんだ」
「ハシゴ……」
「そう。けど分かってる。カプセルを持って、宇宙服まで着た星成さんを担いでハシゴなんて降りられないって思うだろ? でも、カプセルは頑丈な素材でできてる。緊急事態だったから、カプセルを下へ投げて、それから星成さんを担いで降りたんだ」
「カプセルを投げた……けど、いくら頑丈だって言っても、壊れてしまうかもしれないじゃないか!」
「でも、壊れなかった。それに、監視カメラに映ったカプセルも壊れてなかっただろ? まぁ、ちょっと凹んだりしていたかもしれないけど……実物がないし、俺もそこまで覚えてないんだ」
申し訳なさそうに首の裏を掻く葵に、それ以上追求ができない。整合性がきっちりと取れている。
第一発射台の上層から中層に降りるには、エレベータとハシゴの二つの手段がある。エレベータは火の海になっていて使えなかっただろうが、ハシゴは爆発地点より離れた壁際にあった。そちらを使うのは十分可能だろう。
カプセルについて、確かに宇宙空間で使用されるカプセルなのだからそれなりの頑丈さはあるはずだ。上層から投げられ、もし何かの損傷があったとしても、爆破が起こっていた状況なら、それを葵が見逃していても不思議ではない。
「爆発で死ぬかもしれない状況で、カプセルを持って逃げたのか?」
「大事なカプセルだからな。小惑星の欠片が入ってるんだ。もし気絶していたのが俺だったとしても、星成さんが回収してくれていたと思うぞ」
「その大事なカプセルを、かなりの高さから落とした、と」
「そ、そりゃあ、カプセルだって大事だけど、星成さんを落とすわけにはいかないからな」
葵の手がバイザーの位置を治すように動かす。
王泥喜はその仕草を見つめながら、口を開いた。
「なら、そのまま星成さんを担いでハシゴを降りて、中層に落としたカプセルを持ってラウンジまで移動した。それは確かなのか?」
「そうだ。間違いないよ」
「じゃあ、ラウンジで何が起こったのか、教えてくれないか。そうしたらお前の疑いも全て晴れる!」
そう、重要なのは、カプセルがなくなったとされているラウンジで何が起こったか、だ。
現在、そのラウンジでカプセルを盗めるのが葵だけとされているため、彼が被告人となっている。爆破事件については起爆スイッチの件もあるが、ラウンジで起こったことが解明されればその謎も解けるはずだ。
「そりゃあいいじゃねェか。単純明快。だが一点でも曇りがありゃあ……分かってンだろうなァ」
「……ええ、もちろんです」
夕神検事の鋭い眼光を見つめ返しながら、言葉を返す。王泥喜がチラリと葵を見ると、胸を張り、薄い笑みを浮かべていた。
「ではラウンジで何が起きたかを話してもらえますかな」
「はい! 任せてください」
力強く返事をした葵は、依然堂々とした姿勢で口を開く。
「爆破が起こった後、星成さんが気を失ってしまったんだ。だから、カプセルを持って、星成さんを担いでラウンジまでようやく辿り着いた。周囲は暗くて、停電してるみたいだった。それで……星成さんを床に下ろして、カプセルも置いて、救助を待ってたんだ」
そう言って葵の証言は終了した。
それに、希月が思わず声を上げる。
「え! そ、それだけですか? 何か、怪しい第三者を見たとか……!」
「いや、俺はラウンジで他の人は見てないかな」
「そ、そんな……!」
サラリと返された希月は、両手で頬をおさえて肩を落とす。
随分と短い証言だった。本来ならば、この証言の中で葵がカプセルを盗めなかったこと、または第三者による犯行を立証しなくてはいけない。
しかし、あまりにも証言に凹凸がなさすぎる。
「ど、どうしましょう、オドロキ先輩!」
「……大丈夫。詳しく聞けば、もっと情報が得られるはずだ。本当に何もなかったはずはないよ」
「葵さんも決死の脱出の後ですし、混乱しているんでしょうか……」
希月の不安げな声を聞きながら、王泥喜は葵を見つめた。
先ほどの証言で、葵がカプセルを盗めなかったこと、または第三者による犯行は立証できないだろう。まずは、証言を引き出さなくてはいけない。
「さっき、誰もいなかったと言っていたけど、ラウンジは停電していて暗かったんだろう? 人を見逃していた可能性もあるんじゃないか」
「……まあ、言われてみればそうかもしれない。ただ、俺が見た限りでは人はいなかったように思う」
「じゃあ、第一発見者の賀来刑事と大河原センター長が来るまで、怪しい人物は見なかったってことか?」
「え? ……あ、ああ。そうだよ」
え? ってなんだよ。え? って……。
葵は王泥喜からの言葉で、目を丸くしていた。当然のことを聞いただけなのに、なぜそんな反応をするのか。
「賀来刑事たちが来るまで、葵は何をしてたんだ?」
「何って……その場で待機してたよ。変に動いたら現場が混乱するだろ?」
「……なら、その間、カプセルはどうしてたんだ?」
「だから、床に置いてたんだ」
「爆発の中から持ってきた貴重なカプセルをそこら辺に置いておいたのか?」
「もちろん自分のすぐ近くに置いておいたさ」
バイザーに軽く手を添えながら、そう自信を持って返答する葵に、王泥喜は言葉を返す。
「なのにカプセルは無くなったのか? お前のすぐ近くにあったのに」
「……そ、それは……まあ……く、暗かったし……」
「けど、手の届く範囲にあったはずだ。賀来刑事たちが来るまでは、手元にあったのか?」
「ぐ……」
葵の、バイザーにかける手が力む。目が彷徨いて、歯を食いしばって言葉が止まった。
明らかに挙動のおかしい親友に、王泥喜は揺れるほどに机を叩く。
「葵! なんでもいい、話してくれ!」
揺れる目が王泥喜の方へ動き――しかし、バイザーの下へと隠れた。
「……すまない。爆発があった後で、記憶が混乱しているみたいだ。ラウンジに行った後のことは、あまりよく覚えていない……」
「そんな……じゃあ、カプセルは……」
「手元に置いていたと思ったけど……違ったかもしれない」
そうバイザーを下げて話す葵の声は、淡々としている。事実だけを話しているような、冷たい氷の壁を張っているような。
拳を握りしめる王泥喜の隣で、希月が声をあげた。
「先輩。私に任せてください」
「希月さん?」
「爆発の影響で記憶が混乱しているなら、私のカウンセリングで何かわかるかもしれません。葵さんが話せていないこと、必ず私が見つけて見せます!」
拳を手のひらに当てて気合いを入れている希月に、王泥喜はその姿を見つめた。
希月の特技である”カウンセリング”。別の名をココロスコープ。彼女と共に挑んだ今までの裁判で、王泥喜も何度も助けられてきた。
人の声から感情を読み取る彼女の能力と、アメリカで学んだ心理学。そして彼女が首から下げている機械――モニ太だ――によって、証言の感情を解析し、証言と感情の食い違いなどから本来の出来事や、隠された想いを見つけ出していくのだ。
「……分かった。頼んでいいかな」
「任せてください!」
希月は元気よくピースをした後に、首からネックレスのように下げている丸い機械――モニ太に触れて起動させる。
希月の感情を表すように表情を変える機械から、モニターが宙に出現し、そこに映像が現れた。
「葵さん。先ほどの証言、また話してください!」
「あ、ああ。分かったよ」
突如現れた弁護側の特殊な機械に戸惑いつつも、葵は再び口を開いた。
「爆破が起こった後、星成さんが気を失ってしまったんだ。カプセルを持って、星成さんを担いでラウンジまでようやく辿り着いた。周囲は暗くて、停電してるみたいだった。それで……星成さんを床に下ろして、カプセルも置いて、救助を待ってたんだ。けど、爆破からようやく逃げ延びたと思って、気持ちが緩んでいたのか、あまりラウンジについてからの記憶がはっきりしないんだ。でも、大河原センター長が来てくれたのは覚えてるよ。安心したな」
葵の証言は最初の証言とさほど変わらなかった。王泥喜が指摘した箇所が追加されている程度だ。
証言が語られるたび、モニ太から表示された画面に、事件当時の光景が再現されて表示されていく。
そうして四隅に、喜怒哀驚の顔がついている。希月が声から感じ取った感情がそこへ表示されるのだ。喜怒哀驚の顔が色をついて動くことで、どのぐらいの大きさで、証言の際にどんな感情が動いているかを分かりやすく表している。
二人で覗き込むようにその画面を眺めていると、希月が首を傾げて葵を見た。
「葵さん……どうして爆破が起こった後、そんなに驚いていないんですか?」
「え? ど、どういうことかな」
「ロケットで爆発が起こって、しかも星成さんが気絶してしまったという状況なのに、葵さん、あんまり驚いていないんですよ」
希月の指摘に、葵が目を丸くする。
隣で聞いていた王泥喜は、確かにその通りだと思う。
普通、これからロケット発射というところで爆発が起きて、頼りになる師匠が気絶してしまっていたら、普通の人だったらパニックになってもおかしくはないだろう。モニターでは、驚いてはいるものの、その反応は弱い。
「ま、まあ、宇宙飛行士として訓練しているから、多少のことでは驚かないよ」
「うーん……。どうなんでしょう、オドロキ先輩、どう思いますか?」
胸を張って答える葵に、希月が首を傾げながら尋ねてくる。
それに、王泥喜は少し目を瞑って考えた後、こう答えた。
「気にはなるけど、今は他の証言も見てみよう」
「そうですか? 分かりました」
希月は後ろ髪を引かれるような表情をしつつも、王泥喜に従って葵への追及を止めた。
葵は表情を変えずに、次の証言を語っていく。
次の証言は、ラウンジにたどり着いたことについてだった。だが、そこで画面が異様な反応を見せる。
「えっ、喜びと驚きがものすごい反応……!?」
「どうしてラウンジにやってきたときに……」
画面では喜びと驚きが強烈に反応していた。ラウンジにたどり着いただけにしては、明らかにおかしな感情だった。
「葵! どうしてラウンジに来た時に、こんなに喜んで、しかも驚いてるんだ?」
「ど、どうしてって……命からがらラウンジまで辿り着いたんだ。喜ぶに決まってるだろ!」
「なら、なぜこんなに驚いてるんだ。ロケットが爆発した時より驚いてるじゃないか!」
「なっ、そ、それは……その……!」
葵の頬に汗が流れる。王泥喜の指摘に、歯を食いしばった後に、ギュッと葵は目を瞑った。この反応で覚えがないなどというのは無理な話だ。絶対に何かがある。
葵は、苦虫を潰したような苦々しい顔で、こう言った。
「げ、幻覚を見たんだ……」
「幻覚、だって?」
葵が顔を手を当てる。それから、深いため息をついて再び口を開いた。
「ああ。ラウンジに辿り着いて、俺もかなり動揺してた。周りも暗かったし……。だから、ラウンジに大河原センター長がいる幻覚が見えたんだ。ラウンジにセンター長がいるなんて思っていなかったからすごく驚いたし、同時にものすごく安心した。すぐにただの幻覚だって気づいたけど、元気付けられた気がして、それで冷静になれたんだ」
「そ、それは、センター長が実際にその場にいたんじゃないのか?」
「いや、いなかったよ。すぐに霧みたいに消えてしまったから、何かの影を見間違えたんだと思う」
希月のモニターの映像がすぐに修正される。ラウンジにやってくる葵と担がれた星成、その目の前に薄ぼんやりとした幻覚の大河原センター長が現れる。これが、葵が見た光景なのか。
幻覚――確かに、ロケットの爆発、火の海の中からの生還、気絶した星成を担いでハシゴを降りて、カプセルを持ってどうにかラウンジへ辿り着いたという精神状況なら、幻覚を見たとしても不思議ではないかもしれない。電気が落ちて暗い中、頼れる相手を思い浮かべて、その人物がいるのではと脳が勘違いしてしまうのは無理もないかもしれない。
「け、けど、誰かの影をセンター長と見間違ったのかもしれない!」
「……すまない。そこまでは覚えてないんだ」
「くっ……」
ここで第三者がいたとなれば、その人物がカプセルを持っていったと仮説が立てられる。だが、葵本人がその人物を見ていないとなると、第三者の存在は仮説すら立てられない。
「オドロキ先輩、気を取り直してください! まだ証言は残ってます!」
「そ、そうだね」
希月の声援に、いつの間にか深く刻まれていた眉間のシワを戻し、王泥喜はあらためてモニ太の画面を観察する。
こうなれば、他に感情と証言が食い違っているところを見つけるしかない。
そうして証言を見ていくと、最後の最後、希月と王泥喜は揃って顔を見合わせた。
「おかしいですよね」
「ああ、おかしい」
「おいおい、何がおかしいっていうんだよ」
「おかしいんだよ。だって、お前は”安心した”って言ってるのに、全然喜んでないんだから」
――大河原センター長が来てくれたのは覚えてるよ。安心したな。
そう告げた葵の感情は、悲しみの顔の部分が少しだけ反応しているだけで、喜びなどは全く見つからなかった。
悲しみの顔は”不安”や”恐怖”としても解釈できる。何か、葵にとってよくないと思う感情が、安心したと口にしているときに出ているのだ。
最初は首を傾げていた葵だったが、王泥喜から感情の矛盾を指摘され、顔がこわばった。
「そんなわけないだろ……。緊急事態で、ようやく助けが来たんだ」
「そう。普通だったら喜ぶはずだ。なのに、その感情が一切ない」
「……」
葵の口元がぐっと一文字に閉じられる。険しい顔は、何か思い当たるところがあるのだろうと推測で出来た。
だが、葵が何かを自分から口にしようという姿勢は感じられない。
「一体どういうことでしょう。オドロキ先輩の言う通り、普通は喜ぶはずなのに」
「つまり……葵はその時、普通の状態じゃなかったんだ」
「普通の状態じゃない?」
そう、葵は普通の状態ではなかった。だからラウンジで大河原センター長の幻覚を見て、持ってきたはずのカプセルの所在を忘れ、ラウンジに本物の大河原センター長がやってきても喜べなかった。
王泥喜の中で、点と点が線で繋がっていく。人差し指を指した先、葵大地がバイザーに手を添えて王泥喜を見つめていた。
「ラウンジでの大河原センター長の幻覚、カプセルの消失、本物の大河原センター長を見ても喜ばなかったこと。葵、お前――ラウンジにやってきた時から、記憶が曖昧なんじゃないか!?」
「ッ!」
バイザーを掴む手に、骨の線が浮かぶ。一文字に閉じられていた口元がわずかに開き、噛み締めた白い歯が見えた。
「葵! 本当のことを教えてくれ!」
歪んだ目元が、王泥喜を見る。祈るような気持ちで、その瞳を王泥喜は見つめ返した。
しかし、バイザーが鼻まで下がる。傾いたバイザーで、葵の表情は読めなくなってしまった。
「葵……!」
「葵さん、どうして……」
王泥喜と葵の視線は交わらない。隣で希月がか細い声をあげた。
その時、
「天下の大嘘つきサンよォ。てめェが言えねぇなら、こっちから教えてやらァ」
そう低い声が検事席から響き、机がけたたましく叩かれる。
法廷中の視線を集めた夕神検事が、口元に羽を咥えて告げる。
「おめェさん。”クスリ”の副作用が、あったんだろう?」
「……ぐッ!」
「ど、どういうことですか?」
「ヘッ。言っただろう? こいつァ宇宙恐怖症だったって。だから打ち上げ前に飲んでたのさ。精神安定剤をなァ。こいつの身体から検出されたんだよ」
「せ、精神安定剤? 副作用?」
また初耳の事実だ。確かに、葵が宇宙恐怖症という話は以前に出ていた。だが、王泥喜は半ば信じてなかった。
だが、この話の流れは……。王泥喜の額から冷や汗が吹き出す。それと同時、証言台から声が上がった。
「待ってくれ! 俺は精神安定剤なんて飲んでない!」
「だが、薬の成分が体から検出されてる。その薬の副作用は意識の混濁、眠気が主に挙げられる。だからお前さん、ラウンジに来てからのこと……一から十まではっきり言えねェんだろう」
「い、言えるさ! はっきり覚えてる!」
「なら聞くが、現場にやってきた賀来刑事の見た目はどんなだった? 記憶がはっきりあるなら、答えられるだろ?」
「……そ、それは……」
何かが喉に引っかかったように、葵の声が止まった。
不味い、と王泥喜は歯を噛み締める。完全に夕神検事のペースだった。
「ならこれは覚えてるか?」
「な、なんのことですか……」
「てめェの師匠に盛った薬のことだ」
ギロリと夕神検事の目元が不気味に動く。
あまりの内容に、王泥喜が声を上げた。
「ほ、星成さんに薬を……? 一体どういうことです!」
「言葉の通りさ。こいつァ、自分の師匠にも自分と同じ薬を盛ったのさ。しかも、かなりの量だ。星成が気絶していたのは、ロケット爆破の衝撃のためじゃねェ。こいつに薬をたっぷり飲まされたからなのさ」
「ま、まさか……そんなわけが……!」
「既に言ったはずだ。被告人が精神安定剤を所持していたこと、その瓶には被告人の指紋しか着いていなかったこと……。そして、星成の体からはその薬と同じ成分が検出された」
「な……なんだってぇええ!!」
あまりの衝撃に王泥喜は叫ぶことしかできなかった。
葵の記憶の混乱――それがこんな結末にたどり着くなんて。
最初、葵は幻覚などの症状を焦燥していたからだ、と説明していた。だが、体から薬の成分が検出されてしまっているなら、薬の副作用の可能性の方が極めて高い。それに、本物の大河原センター長がきた時の感情の矛盾も、それで説明できてしまう。意識の混濁か眠気によって、大河原センター長がきたことを認識できなかったのだ。
そこからさらに、星成太陽への薬の服用。これから共にロケットに乗る相手に絶対にしてはならないことだ。
つまり――。
「葵大地はロケットが爆破されることを知っていた。何せ自分で仕掛けたんだからなァ。それを悟られないために、同乗者であった星成に薬を盛って、眠らせた。そしてラウンジへと連れて行き、監視カメラに師匠を助け出す自分を映させた。さらに師匠を刺し殺し、カプセルの所在を隠すため、ラウンジを爆破しようとしていたが――馬鹿げたことに、自分の宇宙恐怖症が足を引っ掛けたわけだ。飲んでいた薬の効果で、意識が混濁した被告人は、師匠を刺し殺すことも、ラウンジの爆弾を爆発させることもできなかった。そして賀来刑事たちが現場に到着し、起爆スイッチは宇宙服に隠すしかなかったってェわけだ」
「……ま、まさか」
「だが、気に食わねェのは、カプセルを隠すことにゃあ成功してるところさ。それに必死で、その他全てが疎かになったってェわけだろうがなァ」
そう締めくくった夕神検事に、しかし異議が口から出てこない。
王泥喜は歯を噛み締め、葵を見た。何か、何か言ってくれないか。夕神検事のいうことは違うと、もっと別の考えがあったとか、星成さんに薬なんて盛っていないとか。なんでもいい。
しかし、葵はバイザーを下げ、目元を多い、口を固く閉じていた。汗が流れるのが見える。だが、その口は開かない。
バン! と机を叩く音が聞こえる。目を向けると、夕神検事が机を叩き、肩を震わせていた。
「こりゃあ傑作だ! 俺が刀を抜くまでもねェ! 単純明快! 真っ黒さ!」
机が壊れる勢いで、何度も机が叩かれる。夕神検事の笑い声が響き、そして電気が落ちるようにピタリと止んだ。
「……詳しい話は牢の中で聞かせてもらおうか。てめェが隠したカプセルの所在も、全てなァ」
肌を刺すような、刺々しい、凍った声がそう告げる。
それに、裁判長が重く頷いた。
「そうですね。被告人の犯行は立証されたように思います。これ以上、時間をかける必要はないでしょう」
「そ、そんな……!」
裁判長が木槌を持つ。それに、何も考えずに「待った!」の声が出た。
「まだ何かあるのですか?」
「あ、あります! まだ、まだ、検証されていないことが……!」
「私としては十分議論されたと思いますが……」
「泥の字。……もう潮時だ。てめェの刀は折れてんだ。最初っからなァ」
夕神検事から静かに告げられた言葉に、胸を深く刺されたような痛みが走る。
最初から、折れている。そんなことはない。そんなはずがない。
葵は、葵は無実のはずだ。それは王泥喜が一番わかっていた。一番信じていた。そう、そのはずだった。
王泥喜からの反論が行われないことを確認し、裁判長が再び木槌を手に持つ。
木槌が振り上げられ、法廷の終わりの合図を鳴らそうとする――瞬間。
「待った!!」
若い、突き抜ける声が裁判所に響く。オレンジ色の髪色を持つ彼女、希月だった。
希月は両手を机に叩きつけて、それから必死の形相で言う。
「葵さん! まだ、まだ言っていないことがあるんじゃないですか!」
証言台に立った葵が、鬼気迫る希月の表情に顔を顰める。
「このままだと、葵さん、有罪になっちゃうんですよ! オドロキ先輩、葵さんを宇宙に送り届けてやるんだって言ってました……! 宇宙に行くのが夢だったんじゃないんですか!」
希月の瞳は、うるんで涙の幕が張っていた。
王泥喜は止めることもできず、ただその言葉を聞いていた。
「オドロキ先輩は確かに頼りないところもありますけど! 最高の弁護士です! オドロキ先輩のこと、信じてくださいっ!!」
希月の言葉が法廷に響く。法廷は静まり返っていた。
そして希月の言葉を真正面から受け止めた葵が、拳を握る。ギチリ、と軋む音がした。
バイザーに隠れていない、真っ直ぐな瞳だった。内から輝くような瞳が、希月と――王泥喜を映す。
「信じてるさ。この宇宙の誰よりも、王泥喜のことを俺は信じてる」
痛いほどに真っ直ぐだった。思えば、葵大地という男は、裁判が始まる前から王泥喜のことを、信じていた。いいや、信じきっていた。
ここへ来ても、あと少しで木槌が鳴り、有罪判決が下されるこの瞬間でさえも、葵は王泥喜のことを、心底信じている。
王泥喜法介なら、葵大地を助け、宇宙へ送り出してくれると。
「――ッ!」
歯を食いしばった。頭は真っ白だった。何も考えられていない。ただ、無償の信頼がそこにあるだけだった。
だが、王泥喜は叫ばなければならなかった。腹の底から、何も考えていなくとも、”異議あり”と。
「皆さん!! ここから退避してください!」
しかし、王泥喜の”異議あり”は、腹から声を出す前に、女性の尋常ではない憔悴の声に遮られた。
裁判所の扉を蹴破るように現れたのは、髪型をボブにしたスーツ姿の女性だった。
王泥喜はその顔に見覚えがあった。裁判資料にあった、第一発見者の賀来ほずみ刑事だ。
裁判中にも関わらず、証言台の前まで駆けてきた賀来刑事に、裁判長が声を上げる。
「い、いきなりなんですか!」
「この法廷に証拠品としてある爆弾の起爆スイッチが紛失しました! おそらく何者かに盗まれたものと思われます! すぐにここから退避してください!」
「な、な、な……!」
――なんですとぉおおおおお!!
裁判長の驚愕の声が法廷中に響く。
それと同時に、事態を把握できていなかった傍聴人たちが、一気に騒ぎ始め、悲鳴が上がり始める。
法廷は、一気に混乱へと飲まれていった。
宇宙センター爆破事件および探査機《みらい》のカプセル窃盗事件の審理中に起きた、爆弾の起爆スイッチ紛失事件。
起爆スイッチで起動する爆弾は、審理が行われている第四法廷にて、爆弾運搬ケースに収納されていた。
起爆スイッチは遠隔で発動できるもので、スイッチが押されれば爆弾が爆発する。
紛失した起爆スイッチ、そして賀来刑事による報告と避難誘導。その結果、第四法廷にあった爆弾は――爆発せず、法廷にいた傍聴人、検事、裁判長、そして弁護士ともども、怪我人はいなかった。
しかし、法廷は一旦中止され、裁判は安全が確保されるまで中断となったのだった。
「俺は……どうするべきなんだろう」
王泥喜法介は悩んでいた。
宇宙センター爆破事件および探査機《みらい》のカプセル窃盗事件の審理は、証拠品である爆弾の起爆スイッチ紛失事件により一時中断。
そして安全確保と調査のため、裁判所は警察によって封鎖されてしまった。
そのため、審理の再開は調査終了後となり、一日目の裁判から一夜明けて、十二月十七日の審理は禁止となった。
本来ならば、同じ事件を担当し、助手として手助けしてくれている心音と共に捜査を行うため、成歩堂法律事務所へと向かう準備をしなくてはならない。
だが、王泥喜は早くに家を出て、大河原宇宙センターへと足を運んでいた。
宇宙センター爆破事件および探査機《みらい》のカプセル窃盗事件が発生してからまだ二日しか経っていない大河原宇宙センターだが、数人の警察官が見えるだけで、センター自体は通常通りスタッフなどもいるようだった。もちろん、まだ一般人の自由な出入りはできないだろう。
王泥喜は、警察官たちの目を盗みながらエントランスを抜け、中へと入った。
施設内に入り、しばらく歩いていたところで――聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おや、そこにいるのは弁護士くんではないか」
「うわっ、番刑事……」
声の主は、白いスーツが特徴的な番刑事だった。
前日に証言台に立っていたことからも、この事件の担当刑事なのは分かっていたが、よりにもよってこの人に見つかってしまうとは。
そう王泥喜が内心で頭を抱えていれば、番刑事が笑みを浮かべる。
「こんな朝早くからロケット見物にでも来たのかね!」
「どうしてそうなるんですか……」
「なら 現場の捜査か。関心関心!」
「……え、追い出さないんですか?」
「ああ。好きに見て回るといい!」
二本指を立てて敬礼をするポーズを決めながら、当然のように捜査許可をくれる番刑事に王泥喜は首を捻る。
弁護士には現場を捜査する権利はなく、基本的にいつも現場からは追い出される。
今までは、後輩である希月がうまい具合に、こちらを助けてくれるように番刑事を誘導して捜査ができていた。番刑事は”困っている人を助けるのも正義”という考えなので、弁護士であっても困っていたら助けてしまうのだ。だが、今はその演技をしてくれる希月もいないし、そもそも変に協力的である。
「しかし、今日も一人きりなのか。朝ごはんの買い出しだろうか?」
「違いますよ! 買い出しでここまで来ないですよ。それにさっき、自分で現場の捜査って言ってましたよね」
「そうだったな!」
ワッハッハ、と何が面白いのか大きく笑う番刑事は、なら、と口を開く。
「他の弁護士くんたちと喧嘩でもしたのかね?」
「ち、違いますよ……」
「そうなのか? では別行動中か!」
一人納得したように頷く番刑事に、少し跳ねた心臓を撫で下ろす。
喧嘩などではない。ただ、大きな引っ掛かりに、胸がずっとざわついているだけだ。
今日も元気で、顔色も良い番刑事に、この人は悩みなんてなさそうだな。と若干失礼なことを王泥喜は思う。
「……番刑事は、信じたい相手を、どうしても疑ってしまう時が来たら、どうしますか?」
「む? 信じたい相手を、か。そうだなぁ」
ポロリ、と出てしまった言葉に、適当に返されるかと思えば、番刑事は真剣にサングラスを顔に押し当てて考え始めてしまった。
言わなくていいことを言ってしまった。と後悔しながら、かといって答えが気にならない訳でもなく、王泥喜は大人しく番刑事の前で答えを待つ。
サングラスから手を離して、茶色のガラス越しに、番刑事の視線が真っ直ぐに王泥喜を見る。
「信じられるまで、とことん調べるぞ!」
「……とことん、ですか」
「ああ! ジブンは相手を信じたい! なら、心から信じ切れるまで、調べて調べて、納得するまで調べ尽くして、相手を信じる! それがジブンのジャスティスだ!」
刑事らしい意見だな、と王泥喜は思った。
同時に、迷いのない良い意見だとも思った。少なくとも、迷い続けている自分よりは良い。
決めポーズを決めた番刑事が、続けて言う。
「信じたいのなら、その気持ちを信じればいいのだ! だが、疑いがあるなら、信じたい気持ちに盲目的になってはいけない! 自分が納得できてこそ、それは信頼なのだよ!」
「……番刑事って、良いことも言うんですね」
「褒めても何も出ないぞ!」
自分で言っておいて、これは褒めていたのだろうか。と疑問に思いつつ、王泥喜は素直に礼を言った。
番刑事は「うむ!」と元気よく言ってから、褒めても何も出ないと言っていたのに、事件当日、重要な場面を見たという人物についての情報をくれたし、ついでに事件関係者全ての指紋の書類までくれた。
喜びすぎだろう、と思いながらも返せと言われては困るので、王泥喜はありがたく書類をもらうことにした。
その後、番刑事と離れ、改めて気になった箇所の捜査をして、王泥喜は成歩堂弁護士事務所へと向かった。
自分の信じたい人たちを信じるために、一旦事務所を離れると告げよう。そう決めて。