消えてしまった刑事さん   作:片岬(旧:片霧)

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消えてしまった逆転――探索パート一日目①――

心音side

 

希月心音の先輩弁護士である王泥喜法介が、しばらく事務所を離れると宣言したのは、今日の昼前のことだった。

少し遅れて成歩堂弁護士事務所にやってきた王泥喜は、謝罪もそこそこに葵大地が被告人の事件について、自分だけで調べると告げた。

心音や、所長の成歩堂も真実のために協力し合うべきだと主張したが、王泥喜は頑なだった。

 

「どうしてですか! 葵さんのこと、オドロキ先輩が無実にするんじゃないんですか?」

「そのつもりだよ。けど……俺は希月さんのことも、成歩堂さんのことも信じてる。だから、葵のことを頼むよ」

 

そう言って、葵のことを二人に頼み、王泥喜は事務所を去っていった。

暗い表情は見えなかったが、その瞳は心音たちを見てはいなかった。

心音は人の声から感情を読み取ることができる。だからこそ分かった。暖かな熱を感じる期待と、そして、その裏を這う、疑念。

 

心音は納得できず、王泥喜ともっと話し合おうとしたが、成歩堂に止められた。成歩堂曰く、全力でこの事件を解決することが、彼のためになると。

王泥喜を悩ませ、この事務所をしばらく離れるという決断をさせたのは、確かにこの事件のためだろう。心音ははやる気持ちを抑え、成歩堂と共に事件解決のために、動き出した。

 

まず心音たちが向かったのは、葵大地が勾留されている留置所であった。

しかし、

 

「葵さんと話せませんでしたね……」

「取り調べ中じゃしょうがないね。また時間を置いて行ってみよう。彼とも話しておきたいし」

「そうですね!」

 

残念ながら、タイミングが合わずに会うことはできなかった。心音は、耳元の三日月型のイヤリングを触りながら言う。

 

「葵さん、何か言っていないことがあるような気がするんです」

「言っていないこと?」

「はい。昨日の裁判で、もうすぐ判決が出ちゃう! っていう時まで、話してくれなくて」

 

何かあるとは思うんですけど……。と心音は眉を下げる。

心音は、声から人の感情がわかる。それは常時という訳ではないが、葵からはよく聞こえた。

王泥喜へ対する信頼、そして――葛藤。何かを隠している。それが心音には分かってしまう。

王泥喜も、葵が何かを言っていないことを察して話すように説得していたが、結局最後まで葵からはその内容は話されなかったと思う。

 

「……何かありそうだね。よし、現場で事件のことを調べてみよう」

「はい!」

 

二人が次に向かったのは事件の現場、大河原宇宙センターだった。

エントランス――所謂施設へ繋がる入り口は、まるで遊園地の出入り口のようだ。ロケットの模型が置かれ、顔出しパネルまで置かれている。

入り口の屋根には、大きな文字パネルで”OHGAWARA SPACE CENTER”と表記され、真ん中にはGYAXAのシンボルマークが堂々と飾られていた。

GYAXA(ギャクサ)――政府の宇宙開発機関だが、一般人も見学が可能だ。一種の観光名所にもなっている。

心音は一昨日に王泥喜と共に、事件の捜査のため一度訪れていた。何度やってきても懐かしさを感じる。

 

この場所に詳しい心音が、成歩堂に施設の説明――観光名所になっていることを含めて――をしていると、突然のぶとい声が聞こえてくる。

 

「観光名所? ……笑わせるでない。この地は、人類の記念碑であるッ!」

 

ギャラクティック・スクーター――所謂、電動二輪車(セグウェイ)――に乗って登場したのは、白い立派な顎髭と口髭が特徴的な、館長――もとい、大河原宇宙センターのセンター長、大河原有忠(おおがわらうちゅう)であった。

つまり、前日の裁判で判明した、ラウンジで葵たちを見つけた第一発見者のうちの一人である。

 

「もしかして、あなたが第一発見者ですか?」

「いかにも。宇宙カイビャク以来、誰よりも先に現場を発見した栄誉ある人間だ。事件の話をするということは……諸君は、宇宙警察の人間かね?」

「ぼくたちは、葵さんの弁護士です。事件の調査をさせてほしいんですが」

「そうかそうか。話は聞いているぞ。ならば、偉大なるこのワシの特権で、特別に調査の許可を与えてやろう。存分に感謝するがよい。さあ! さあさあ!」

 

随分と恩着せがましい人である。

しかし、勢いに押されずに成歩堂が話を切り出した。

 

「先日の事件について、教えてもらえますか?」

「うむ…………断るッ!」

 

あまりにもキッパリと断られた。

 

「人類の歴史に残る我が目撃証言は、法廷で披露されることになろう」

「え? じゃあ、オオガワラさんが明日の証人なんですか?」

「いかにも! このワシこそ歴史の証人にふさわしい!」

 

心音の疑問に、大河原が遠くを見つめながら凛々しく答える。この人が証人なのかあ、と心音はちょっと憂鬱に思った。

仕方なく成歩堂が、事件に関係ない、大河原の役職であるセンター長がなにをしているかを尋ねたが、凄いことをしているアピールのみで、具体的なことは一切教えてくれなかった。

と、大河原は突然、電動二輪車に搭載された電話を取り、耳に当てる。

 

「業務連絡。総員、第一種休憩配置! 昼休み態勢を取れ!」

「なるほど。あたりをほっつき歩いて、偉そうに指示を出して回る人なんですね」

「その通り! 事実、ワシは偉い人! すなわち、偉人であるからな!」

 

心音の発言に、堂々と答える大河原。

すごい。皮肉が全く効かなかった。

 

「ん? なになに? どこが偉いのか、具体的に知りたい? いいだろう!」

 

さらには、彼の自慢話に付き合わなければならないようだ。

 

「ワシこそ、HAT-1号計画の中心、すなわちセンターを務めた人物だ! さあ。存分に感動するがよい。さあ! さあさあ!」

 

HAT-1号計画。宇宙分野に興味がある日本人なら、誰でも知っている計画だろう。

七年前に宇宙へ打ち上げられたHAT-1号ロケット。順調に航路を行き、そして小惑星探査機《みらい》を小惑星帯に向け発射し、有人ロケットは無事地球へ戻ってきた。発射された《みらい》は、無事に目的の小惑星に到着。小惑星の石を採取し、少し前に地球へ帰還した。

世間一般には、ロケット発射が無事に行われた輝かしい日だっただろう。

だが、心音にとっては、深海に投げ入れられたような日だった。

 

「その小惑星の石ってどんなものだったんですか?」

 

大河原から行われたHAT-1号計画の内容を聞いた成歩堂が、大河原にそう尋ねる。

大河原は考えるように少し黙ってから、髭を触る。

 

「検証はこれからだったのだ。《みらい》が戻ってきたのは、爆破事件の前日のことだからな!」

「じゃあ、検証が行われる前に盗まれてしまったんですね」

「むむ……! 盗まれていなければ、我が国の宇宙開発は他国の数年先へ行けたというのに!」

「確か、まだカプセルは見つかっていないんですよね」

「そうだ……。警察が必死で探しているようだが、まだ見つかっておらんのだ……」

 

項垂れる大河原は、ピンと尖った口髭までも萎びてしまっているように見える。

七年間かけた成果が盗まれ、それが戻ってきていない。いくら自らを偉人と褒め称えている人であろうと落ち込むようだ。

 

「かつての宇宙開発黄金期……我らが宇宙センターの先達は、月の石を持ち帰ることに成功した。それは、センターの歴史に燦然と輝く最も偉大なる成果! すると人々は宇宙への情熱に燃え、輝ける未来に想いを馳せたのじゃ!」

「へえ。月の石……ですか」

「小惑星の石の入手は、月の石に続くひさかたぶりの歴史的偉業ッ! 人類にもう一度、未来への夢と希望を届けたい! それこそが、宇宙の中心に座すこのワシの使命なのじゃ!」

「月の石も小惑星の石も、いろんな技術開発に使われて……文明の発展に貢献するらしいですよ。だから、どの国も必死なんです」

 

心音が大河原の想いの主張に続いて、現実的な情報を告げる。成歩堂が頷いていれば、大河原の肩がまた落ちた。

 

「くぅ……だというのに……どこに消えてしまったというのだ!」

 

その後も、予算が削られて厳しいことが窺える話を聞いたりしつつ、忙しいという大河原はギャラクティック・スクーターと操縦し、心音たちの前から去っていってしまった。

元気なおじいちゃんだなぁ……と心音は思いながら、気を取り直して大河原宇宙センターの方を見やる。

心音にとっては見慣れた、けれど随分と離れていた施設だった。いろいろな思い出のある、忘れられない場所。

 

歩き出した成歩堂に続き、大河原宇宙センターのエントランスの向こう側へ歩いていく。

昔と比べ、少し年季が入ったり、前庭の様子も変わっているようだった。以前にはなかった椰子の木が植えられていたり、花の種類が増えていたり減っていたり。

 

「……あ」

 

けれど、あの苗は変わっていなかった。

前庭の、花壇の一番隅。そこに小さな苗を植えた。鮮明に覚えている。植えてから、毎日欠かさず水をあげていたから。

どんな色の花がつくか、楽しみだった。あの人が持ってきてくれた――椿の花。

隣に面した木々も、椿だった。暖かな日差しに、しかし冷たい冬の温度の中で、瑞々しく花が咲いている。

大きな椿の木々は、白い花が咲いていた。その雪のような色に、かつて共に苗を植えて、手紙をくれた人の顔が思い浮かぶ。そう、あの人から初めて感じたのは、こんな優しい喜びだった。雪のように、いくつかの椿が地面に落ちている。

隣の小さな椿は、しかし立派に背を伸ばして、そうして、真っ赤な花をつけていた。赤い花が、土に落ちている。まで、血のように。

 

「ココネちゃん?」

「ッ、あ、ど、どうしましたか?」

「どうしたって……こっちのセリフだよ。顔、真っ青だよ。体調悪い?」

「い、いえ! 全然大丈夫です! ちょっとぼーっとしちゃってました」

 

えへへ、と笑って誤魔化すと、成歩堂は「そう……? 無理はしないでね」と気遣うように声をかけた。

それに笑顔で「はい!」と返事をすると、早足で成歩堂の横を通り抜ける。

 

「ほら、早く調べましょう!」

「ちょ、そんなに急がなくても」

 

追いかけてきた成歩堂と共に、心音は施設の中へと入っていく。

伸び伸びと咲く、椿の花を視界から振り払うように。

 

 

施設の中に入り、事件が発生した第一ラウンジへと足を運ぶ。

第一ラウンジは大人数が入れるような広い場所で、宇宙飛行士の訓練に使用する道具などが置かれている。

机や椅子も置かれており、休憩スペースにもなっていた。液晶が嵌め込まれている壁には、別の惑星をモチーフにしたであろう幻想的でファンタジーな映像が流れている。

このラウンジには三つの扉があり、管制室・第一発射台・エレベータに繋がっている。

第一発射台への扉は、指紋認証になっており、宇宙飛行士の葵大地、星成太陽、そしてセンター長の大河原有忠しか入れないようになっている。

 

「ラウンジは中央棟の三階の部分ですね。葵さんたちは、第一発射台から、このラウンジに逃げてきたんですよね」

「ああ。そうだね……って、あれは……」

「ん? 君たちは……もしかして、葵の弁護士の人たちかい!」

 

ラウンジへ繋がるエレベータの扉が開いたと思えば、そこから青い制服を着た男性が現れる。

赤い髪色をしていて、ワックスで鉛筆のように先を天井へ向かって尖らせている。側面は剃られていて、ツーブロックになっているようだ。

成歩堂たちを見て、目を見開いたかと思えば、駆け足で近寄ってきた。

 

「王泥喜君から聞いてるよ! 確か、王泥喜君の師匠と、後輩だったね」

「どうも……。えっと、あなたはもしかして……」

「俺は星成太陽。葵と一緒に宇宙にいく予定の宇宙飛行士だよ」

 

親指を自身へ向けて自己紹介をした星成の姿は、心音も知っていた。法廷資料の中で、彼の写真を見ていたのだ。そして、顔だけならそれ以外でも見たことがある。

 

「初めまして。僕は成歩堂龍一です。彼の代わりに、葵大地さんの弁護を引き継ぎました」

「ああ。最初に聞いたときはビックリしたけど……。王泥喜君が君たちだったら大丈夫、って言ってたからね。葵をよろしく頼むよ」

「はい。そのつもりです。ですが、薬を盛られたという話だったかと思いますが、もう現場に復帰していいんですか?」

「もちろん! 昨日の法廷も見にいったよ。ずっと気を失っていて事件の時の記憶はないけど……葵が俺に薬を盛るなんてあり得ない! きっと何かの間違いだ」

 

真剣な表情でそう告げる星成は、葵の無実を心から信じているように見えた。

そんな星成の視線が心音へと向いて、慌てて口を開く。

 

「希月心音です! 安心してください。葵さんは、必ず無実にしてみせますから!」

「そうか、それは安心……ってあれ? キミ、よく見ると、昔、どこかで会った覚えが……」

「え?」

 

目を丸くしてそう言う星成に、心音はヒヤリとする。

それから同時に、どうしようかと逡巡した。一昨日、王泥喜と共にやってきた時は”過去”について詳しく話すような出来事はなかった。その時は良かったと安堵していたが、どうやら星成はわずかに心音のことを覚えているようだった。

 

「そういえば、ココネちゃん。今回、やけに博学だったけど、もしかしてここに前に来たことあったりする?」

 

続いた成歩堂の言葉に、思わず肩が跳ねる。

心音は「えーっと……」と言葉を濁しながら、冷や汗を流して考える。

言った方がいいのかな。けど、積極的に言いたいことじゃない。幸せな記憶も多いけれど、同時に思い出すのも苦しい記憶もある。それこそ――葵さんではないけど、幻覚を見てしまうような――。

脳裏に”あの人”の姿が蘇り、背筋に悪寒が走る。それを必死に感じないふりをして、頭を回す。

いつ、心音のことをしっかりと覚えている人に会うかも分からない。そうなれば、心音が言わなくとも知られてしまうだろう。なら、ここで言ってしまった方がいいんじゃないか。でも、できれば言いたくない。口にしたら、思い出してしまうから……。

 

「おや! 弁護士くんたちではないか!」

 

そんな時、ラウンジに声が響く。ハッとして見てみると、そこには昨日、法廷でも見た刑事がいた。

白スーツに、ティアドロップ型のサングラス。捜査に全く向いていなさそうな服装の熱血刑事。番刑事だ。

近づいてくる彼に、成歩堂が声をかける。

 

「番刑事。捜査中ですか?」

「その通り! そういう君たちも捜査に来たのだな。朝には赤い弁護士くんを見かけたぞ!」

「王泥喜くんを? こっちに来てたんですね」

 

事務所に来るのが遅れた理由は捜査だったんだ、と心音が思っていると、番刑事が頷く。

 

「うむ! 仕事熱心で何よりだ。それより、そちらにも連絡が行くだろうが、昨日紛失した起爆スイッチが発見されたらしい」

「えっ! 見つかったんですか!」

「ああ。裁判所を特殊部隊が探し尽くして、見つけたようだ。しかも、面倒なことに見つかったのが……」

「見つかったのが?」

 

爆弾騒ぎで中断された昨日の法廷。消えた起爆スイッチの行方が分かったと言う話題に、思わず心音が食いつく。一旦、話題を変えたいという下心も少しあった。

しかし、番刑事はそこまで言って「いや、しかしこれは……」などとモゴモゴし始めてしまった。

それに、心音が目をキラリと光らせる。

 

「起爆スイッチがどうなったか分からないと、安心して眠れませんよぉ。寝不足で倒れちゃう。困ったなぁ~~」

「むッ! それはいけない! 市民の安眠を守るのもまた正義!」

「じゃあ教えてくれますよね?」

「いいだろう! 起爆スイッチは、爆弾処理班の馬等島晋吾という男の荷物から見つかったのだよ」

「えっ……それって……どういうことですか?」

「うむ……警察としては誠に恥ずかしいことなのだが……どうやら馬等島が起爆スイッチを盗んだらしい。しかも、今までも事件で解除した爆弾を盗み、横流しをしていたようなのだ」

「ええっ! そうなんですか!」

 

まさか起爆スイッチを盗んだのが身内、しかも余罪があるなどとは、確かに警察としては恥だろう。

心音が口をポッカリと開けていれば、番刑事はしおしおと肩を落として縮まってしまった。両手の人差し指をツンツンと押し付けてしょんぼりしている。

それに成歩堂が苦笑いをしながら言う。

 

「ま、まあ、犯人が捕まったのは良かったじゃないですか」

「それはそうなのだが……全くジャスティスではないぞ!」

 

落ち込んだと思えば、今度は拳を突き上げて怒り出した番刑事に、成歩堂はどうどう、と手を振る。

と、そこで何かを思い出したのか、成歩堂が口を開いた。

 

「あ、そうだ。じゃあ明日の裁判は」

「うむ、問題なく行われるぞ!」

 

勢いそのまま、番刑事は明日の裁判の再開を宣言する。

起爆スイッチが見つかったのはいいが、予定通り裁判が始まると言うのならば、のんびりとしていられない。

心音はひょいと前に進み出て、番刑事と目を合わせた。

 

「バン刑事! 私たち、事件の情報を――」

「ああ、喜んで提供しよう!」

「あれ?」

「刑事と弁護士、共に手を取り合い真実を追求するもまたジャスティス。さあ! 持ってけドロボウ! 弁護士くん、今日は無礼講だ!」

 

心音は勢いを削がれ、一度口を閉じた。番刑事がものすごく協力的な態度だ。

いつもは弁護士と警察という間柄、番刑事はどうにか情報を渡すまいとしてくる。何せ彼はいつも情報を漏らし、夕神検事からお叱りを食らっているので。

困ったふりをして情報を引き出しているのは心音だったが、こうも態度が違うと流石におかしいと感じる。

しかし、それをコソコソと成歩堂に相談すると、都合がいいからいいじゃないか。と返されてしまった。

こんなに協力的なので、現場の捜査に関しても、すぐに好きに調べていい。と言われてしまった。さらに、茶菓子でも用意しようかと言われる始末だ。

心音はやはり困惑したが、成歩堂は気にならないらしい。ナルホドさんってこういうところあるのよね、と心音は心の中でちょっと思った。

 

「番刑事は、事件当時、宇宙センターにいたんですよね」

「うむ! センターの警備に当たっていたのだ!」

 

成歩堂への番刑事の返答に、心音が「へえ!」と感嘆する。

 

「ロケットの打ち上げって、警察が警備するものなんだ」

「ぐ! う、うむ。その通りなのだよ。ハッハッハッハ! 警備中に爆発が起きたので、即座に避難誘導に当たったわけだ!」

 

心音は思ったことを口にしただけだったのに、番刑事が分かりやすく言い淀んだ上に、笑って誤魔化した。

思わず成歩堂の方を心音が見てみると、流石の彼も少々眉を寄せていた。

次いで視線を感じ、もう少し首を振ると、星成が心音を見ていた。その顔は訝しげで、心音と目が合うと小さく首を振られる。

宇宙飛行士の彼が違うというのなら、ロケット打ち上げの際に警察が警備するのは普通ではないのだ。

しかし、星成のジェスチャーに気づいていないらしい成歩堂はツッコミはせずに、話を続ける。

 

「その時のこと、教えてもらってもいいですか?」

「もちろんだ。最初に爆発したのは、中央棟の二階部分。直後、第一発射台のロケットに仕掛けられた爆弾が爆発したのだ。だからすぐさま、シェルターにスタッフと客を避難させた!」

「シェルターですか」

「宇宙センターには、地下に避難用のシェルターがあるんだ。事故などの緊急事態に対する備えだよ。いつでも使えるようにキチンと整備されてるんだ。安全第一だからね!」

 

番刑事の代わりに、この宇宙センターの職員の一人でもある星成が、成歩堂へ教える。

それに、番刑事が「その通り!」と大きく頷く。

そんな彼に、心音が尋ねる。

 

「爆発の時、バン刑事はどの辺りにいたんですか?」

「ジブンは、四階を警備していた。いやあ、実に大変だったよ。何しろ、爆弾の影響でエレベータが止まってしまったのだ。しかも……二階では階段も崩れたため、それより下には行けなかったのだよ」

「それじゃ、地下のシェルターまで辿り着けないじゃないですか!」

「だから四階の窓から、避難梯子を下ろして脱出したのだ。折り畳み式の不安定なものだが……下まで届く長さがあるのだよ! ジブンは、梯子を下ろしてすぐ、人が残っていないか見て回り、全員を避難させた後、最後にジブンもこれで大地に降り立った!」

「災難でしたね……」

 

避難梯子なのだから、折り畳み式なのも不安定なのも仕方がないが、緊急事態の時にそんな梯子を四階から降りていくのは怖いだろう。命綱もないのだろうし、下手をしたらそこで事故が起きてしまう。

でも、ともちょっと心音は思った。好奇心がくすぐられる。

 

「でも、避難梯子は降りてみたいかも」

「好奇心旺盛だね。そんな君にはあそこにある無重力体験装置をお勧めするよ」

「あっ、口に出てましたか?」

 

ラウンジに設置されている、月の重力が体験できるという装置を指差しながら告げられた星成の言葉に、心音は慌てて口に手を当てる。

そんなことをしていれば、成歩堂が番刑事に礼を言って、軽く頭を下げていた。

そのまま話が終わろうかとした時、番刑事が「待ちたまえ!」と二人を引き止める。

 

「今回は特別に、更なる情報を提供しよう。夕神くんにも内緒で、な」

「いつもは、夕神検事にがっちり口止めされてるのに……」

「まあまあ、いいではないか! 実はな……事件の目撃者がいるのだ」

 

番刑事が語ったのは、事件の目撃者が四階にいた宇宙センターの職員だということ。その職員は、避難梯子を降りている最中、三階の窓からラウンジ内を覗いた、つまり事件現場を見たという。

肝心の目撃内容はまだ事情聴取をしていないようで、番刑事本人も知らないと言った。

 

「まだ、センター内にはいるはずだから探してみるといい」

「四階の職員か……分かりました。ありがとうございます!」

「何だか、すごく協力的ですね。……気味が悪いくらいに」

 

礼を言う成歩堂とは対照的に、心音はどうにもしっくり来ずに素直な感想を口にする。

今までの裁判でも、心音は番刑事と捜査の際に話をしていたが、いつもはこんなのではなかった。しかも、夕神検事に隠し事をするなんて、普通では考えられない。番刑事は、ポカをして夕神検事に不利になるような捜査ミスをすることはあるが、夕神検事と共に事件を解決しようという姿勢は熱いぐらいだったのに。

 

「うむ。実は……その、アレなのだ」

「やっぱり、何か事情でも?」

「いや、何でもない。何でもないぞ! 心配ご無用というやつだ!」

 

口籠る番刑事に、成歩堂が尋ねるが、話の梯子を外されてしまった。

それでは――と去っていこうとする番刑事のそぶりに、心音は慌てて声を出した。

 

「あっ、ちょ、ちょっと待ってください!」

「な、なんだろうか?」

「あの……」

 

心音の脳裏で、ぐるりと番刑事がこの場にやってくる前の話題が頭に思い出された。

星成に顔に覚えがあると言われ、成歩堂にここへ来たことがあるのかと聞かれたこと。

このまま番刑事を見送れば、きっとその話題はうやむやにできるだろう。そうとは思いつつ、心音は息を飲んで覚悟を決めた。

 

「私、一時期ここで過ごしていたことがあって……。その時に、慶二さんという人と会っているんです」

「えっ」

 

心音の隣で、成歩堂が短く声を上げた。内心で謝りつつ、心音は続ける。

 

「バン刑事は、慶二さんの弟さんってオドロキ先輩から聞いたんですけど、そうなんですか?」

 

王泥喜から話を聞いた時から、心音はずっとそれを確かめたかった。しかし警察である番刑事と会う機会はなく、この事件が起こった。

ここで聞くことではないかもしれないが、どうしても話しておきたかった。

番刑事はパチリと瞬きをして、それから輝くように笑った。

 

「ああ! 慶二はジブンの兄だぞ! そうか、君は兄さんの知り合いだったのか」

「ほ、本当にそうだったんですね……」

「そうだぞ。兄とそっくりだろう? と言っても、昔から兄弟とは思われないことが多かったのだが」

 

ハッハッハ、と笑う番刑事の姿は、確かにそっくりとまでは言わずとも、かつての慶二と似ていた。と言っても、それは外見だけだ。首元で跳ねた茶色の髪、同じく茶色で、瞳の大きな目や高い鼻。しかし、外見以外の部分は、正直似ているとは言い難い。

雰囲気が違うのだ。番刑事はハキハキとしていて、ガタイがよく賑やかなイメージがある。あと、かなり抜けている。だが、慶二は佇まいがスマートで、何事が起きても涼しげで、穏やかなイメージだ。番刑事は正義漢の人で、慶二は――完璧な刑事を絵に描いたような人だった。

 

「しかし、そうか。兄さんを知っている人に会えて嬉しいぞ! そうだ、事件が片付いたら、兄さんがどんな人だったか教えてくれないか?」

「え、それはもちろんですけど……。どんな人だったかって、バン刑事の方が詳しいんじゃ」

「幼い時のことはよく知っているのだが……。兄さんは忙しい人で、警察になってから、どんな様子だったかはジブンは全く知らないのだ」

「それって、あまり会えてなかったとか?」

「あまりというか……」

 

番刑事は考え込むように、サングラスを押し上げて黙り込んでしまった。

しかし、数秒して心音の顔を見て、口を開いた。

 

「兄さんは中学を卒業した後、海外に留学をしてね! それから、一度も会えてないのだ」

「い、い、一度も?」

「うむ」

 

知らずに声が裏返っていた。

あの慶二さんが、弟の番刑事に、大人になってから一度も会っていない。

心音の脳裏に、かつての約束が蘇る。彼の弱さを感じたのは、あれきりだった。同時に、それは愛情の裏返しだったのだろう。

だというのに、あんなお願いをする人が、大事な弟に一度も会っていないなんて。

 

「だから兄さんのことを知りたいのだ! そうだ、成歩堂弁護士も兄が刑事として関わった事件を、弁護士として担当したことがあるのだろう?」

「……え、あ、ええ。あります、けど」

「その話もこの事件が終わったら教えてくれたまえ! 随分、兄の武勇伝があるそうじゃないか!」

「……そうですね。あの人には、色々と助けてもらいましたから」

 

話を振られた成歩堂が、どこか重い口調で頷く。

番刑事は嬉しげに「楽しみだ!」と返して、それから元気に

 

「それでは、ジブンは失礼するよ!」

 

と言って機嫌よく去っていってしまった。

番刑事はラウンジの扉を潜って、第一発射台の方へ消えてしまった。今は指紋認証が切られているため、誰でも入れるが、心音はその後を追おうという気は起きなかった。

 

「慶二さんの弟さんか……確かに、見た目が似てるかもな……」

 

そう、ポツリと星成が口にした言葉に、心音はハッと正気に戻る。

成歩堂が星成の独り言のような言葉に対して、声をかけた。

 

「星成さんも慶二さんのことを知っているんですか?」

「ああ……。彼が昔に、宇宙センターに来ていた時に話が合ってね。ロケット開発にも詳しかったし、彼も興味があったみたいで話が盛り上がって、いつの間にか仲良くなってたんだ。センターに入り浸ってた葵も懐いてたよ」

「葵さんも?」

「ああ。慶二さんはたまにしか宇宙センターに来なかったんだけど、偶然葵が来てる時に鉢合わせしてさ。ほら、慶二さんって誰とでも仲良くなれるだろ?」

 

一、二もなく頷くような言葉だった。慶二は、誰とでもすぐに親しくなれるようなタイプだったと心音も思う。

何せ、心を閉ざしていた幼い頃の自分と仲良くしてくれたのだから、誰にでも優しくできるし、人を理解できる人だ。星成や葵とも親しかったのも、納得できる。

 

「けどそうか。じゃあ君は……」

「はい。……ここで働いている、希月真理の娘です。小さい頃は、ここで過ごしてました」

「そうだったのか。希月教授に娘がいるのは聞いていたけど、全然顔を合わせたことがなかったから、すっかり忘れてたよ」

「昔は自分の部屋に引きこもってばかりだったので、むしろ見覚えがあると言われてビックリしちゃいまいた」

 

星成の少し申し訳なさそうな声に、心音は首を振る。

言わないでいたのは心音なのだから、星成が気まずく思うことではないのだ。

心音は成歩堂の方にも顔をむけて、頭を下げる。

 

「すみません、黙っていて……。あんまり、昔のことは思い出したくなくて……」

「いや、大丈夫だよ。むしろ、教えてくれてありがとう」

 

成歩堂の口にした言葉にホッと胸を撫で下ろす。

そんな二人を見ていた星成が「そうだ」と口にした。

 

「さっき、彼の話で気になったところがあったんだけど」

「……あ、もしかして、警備のところですか?」

「その通り」

 

星成が深く頷く。心音とアイコンタクトをしていたところだった。

ロケット発射のため、多数の警官が警備に当たっていた。というところだったはずだ。

 

「普通、ロケット発射のためにあんな厳重な警備は入らないよ。俺も直前であんなに警察が来ると知って驚いたんだ」

「そうだったんですか……。そうすると、七年前はもっと警備が薄かったとか?」

「……いや、七年前も厳重に警備してたね。慶二さんも来ていたし」

 

再びその名前が出てきた。心音の背筋がヒヤリと冷たくなる。

言葉の出てこない心音の代わりに、成歩堂が尋ねた。

 

「だったらいつも通りなのでは?」

「七年前も突然だったよ。つい前日まで、警察が来るなんて知らなかったからね。ああ、けど、七年前は一般人をセンター内に入れないようにしていたし……。今回は、一般人でも入れるようにしていたみたいだね。その代わりなのか分からないけど、警察は今回の方が多かったよ」

「なるほど……」

「まぁ、今回は前回と違って、犠牲者が出なくてよかったけどね……」

 

星成が目を逸らしながら語る。心臓が嫌な音を立てた気がした。

話を聞いていた成歩堂が静かに言う。

 

「それって、慶二さんのことですか?」

「え、そうだけど……知ってたのか? 関係者以外、知らないはずだけど」

「まぁ……最近知る機会がありまして」

 

驚きに目を丸くする星成と同じように、心音も驚いていた。

あの事件の後、関係者には箝口令――つまり事件の内容を口外してはならないと、警察から命じられていた。

大きな事件のため、関係者から漏れた情報が犯人に伝わり、捜査の撹乱に使用される可能性があるためだった。期限は決まっておらず、他言無用となっていたはずだ。小さな心音も覚えているのだから、よほど厳しく言われたのだと思う。心音自体、あまり過去の記憶はハッキリしていないのでなんとも言えないのだが。

 

「とにかく、七年前と同じように、今回も”何か”あったと考えた方がいいのかもね」

「何か、ですか……」

 

胸がざわつく。胃が重いような、嫌な感じだった。

何か、とは一体なんだろうか。それは、七年前に慶二をこの世から奪った相手に関わっているのだろうか。

慶二の笑みが脳裏に浮かぶ。優しげな笑みは、白い椿のように柔らかで綺麗なのに、次いで思い浮かぶのは、赤い血のような椿だった。

心音はあの事件が起こって、怖くなって逃げ出した。けれど、逃げた先のアメリカで偶然成歩堂と出会い、逃げてばかりではいけないと、弁護士になろうと決めた。

慶二は生前、心音は弁護士に向いていると言っていた。だが、弁護士を志したのは、出会った成歩堂が弁護士であったためだ。慶二の言葉で目指したわけではない。けれど、彼に向いていると言われた職業になって、何も感じなかったとかといえば、そんなことはなかった。弁護士になれて嬉しかったし――彼との約束を果たしたいと思えるようになった。

後ろを向いていてはいけない。前を向かなければ。でも、どうしても――心の奥で、何かがとぐろを巻いている。

 

「俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ。協力するよ」

「ありがとうございます。星成さん」

 

星成の力強い言葉が聞こえる。成歩堂が笑みを浮かべて礼を言った。

心音も、顔を上げて礼を言う。

そう、前に進まなければ。過去にずっと囚われていてはいけない。囚われていては、目の前の大事な人も助けることができない。

 

 

それから、星成は他スタッフから呼ばれて、その場を離れ、心音たちは捜査することになった。

まずは現在地点のラウンジから。

現在の審理の状況は、葵大地が大河原宇宙センターの爆破、および《みらい》のカプセルを窃盗した容疑にかけられている。

前回の法廷では、まさに有罪判決が下される直前に、証拠品の爆弾の起爆スイッチが盗まれる事件が発生。審理は中断されたのだった。

葵大地を無罪にするには、いくつか立ちはだかる問題がある。まず第一に、ロケットに爆弾をつけられる人物が限られること。ロケット発射台へ続く、第一発射台通路への扉は指紋認証式で、葵大地・星成太陽・大河原センター長しか入れない。ロケットの安全確認はされていたため、直前に入れる人物が爆弾を設置したとされる。そうなると、指紋認証で扉を通れる三人の内しか選択肢がなくなる。

カプセルの盗難についての議論が中心だったために、あまり大きく取り上げられなかったが、これも十分葵大地の立場を危うくさせている。

そして次に、星成太陽への精神安定剤の投与を葵が否定しなかったこと。葵大地はその件について、証言をしないことを選んだ。裁判長から見れば自白に等しいだろう。同乗者の星成太陽に薬を飲ませ、意識を曖昧にし、犯行の邪魔にならないようにした。そう説明できてしまう。

しかも、葵が所持していた精神安定剤の瓶には、彼の指紋しか検出されなかった。そして、本人からも少量の薬が検出された。副作用として意識の混濁と眠気が発生する薬を飲んでいたということは、証言にも信頼性がないと判断されるだろう。

 

そして何より問題なのは、葵大地以外に犯行が不可能だったことだ。

星成太陽は当然論外として、監視カメラに映った後から第一発見者に発見されるまで、あまりにも時間が短い。エレベータも爆発の影響で止まっていた施設内で、階段しか使えない中、第一発見者たちは他の第三者とは出会っていないという。そうなれば、葵大地が犯人となってしまう。

必要なのは、第三者の痕跡だ。葵大地以外にも、犯行が可能だったという証拠。

 

心音たちは、大河原宇宙センターのパンフレットに書かれているラウンジの上面図を確認しながら調査を始める。

 

「では……第三者の痕跡、探してみましょう!」

「その前に、ちょっと気になってたんだけど……。窓の外に妙な生き物が動いてないか?」

 

成歩堂の言葉に、心音が目を向ければ、そこには窓に模した液晶が設置された場所だった。

異星をイメージしたファンタジーな映像が流れるそれは、立体映像になっており、リアルといえばリアルだ。

その技術が珍しいのかなんなのか、困惑しているらしい成歩堂に「ただの立体映像ですよ」と心音が笑って伝える。

 

「そ、そりゃあそうだよね」

「確かこの部屋のどこかに、映像を切り替えるスイッチがあるはずです。手がかりと一緒にスイッチも探してみましょう」

 

調べてみると、ラウンジにはさまざまな器具や設備が置かれていた。

まず天井の中央部には、三百六十度回る、拷問器具のような宇宙飛行士用の訓練器具の椅子が設置されていた。無重力に耐えるための訓練器具だそうだ。確か、心音が昔いた時もあった気がする。

 

「これ、実際使う人いるんでしょうか」

「どうだろうね。ボクだったら絶対にやらないけど」

 

次にラウンジに置かれた近未来的なデザインの椅子と机。これは、遊園地にあるコーヒーカップのように回るという。トレーニング装置だそうだ。

気になる設備は、窓に模した大きな液晶のすぐ隣にある、小さめの窓だ。火災用の排煙窓と書いてある。

 

「ここから第三者が逃げたとか……!」

「窓の空き具合を見ると、人が通れそうには見えないね」

 

そして、ラウンジには三つの扉が通じている。東側に管制室・西側に第一発射台通路・南側にエレベータへ、それぞれ続いている。

管制室は宇宙に行ったロケットや探査機と情報をやりとりするための部屋だが、今では六階に新しい司令室ができたため、今回の打ち上げでは使われなかった部屋だ。この管制室は指紋認証式になっており、センター長しか通れないようになっている。停電時も、予備電源で動作をし続けるようになっているそうだ。

 

「本当に詳しいね、ココネちゃん」

「パンフレットに書いてありますよ!」

 

第一発射台通路へ続く扉は、現在は誰でも入れるようになっているが、事件当時は葵大地・星成太陽・大河原センター長しか入れないように指紋認証式になっていた。事件当時は、扉の奥の第一発射台通路は煙が充満していたという。

扉の横に、指紋認証の機械が設置されている。そして、そのさらに横に人の顔ほどもある、謎のロータリースイッチ――いわゆる、ガスコンロのつまみのような赤いボタンがある。ガラスに守られて、触れられないようになっていた。

 

「なんのボタンでしょう」

「何か意味があるんだろうけど……わからないね」

 

その扉の近くにあるのは、ダストシュートと月面歩行訓練器だ。

ダストシュートの方は名の通りゴミ箱で、床にある扉を開くとゴミを入れられる。宇宙センターには掃除ロボットがおり、そのロボットたちがここにゴミを捨てるのだ。

月面歩行訓練器は、月の表面のような床と、天井から吊るされている紐状の設備になっている。

紐状の部分に体を入れて、上から吊り上げられることで重力の少なさを体験する訓練器なのだろう。

続いて、酸素カプセルが二台置かれている。訓練後の体力回復に使うそうだ。そしてその隣には管制室、そして反対側には大きな鏡が壁に設置されていた。

 

「大きい鏡! ダンスの練習でもするんでしょうか?」

「とりあえず、ダンスの練習のために置かれてるんじゃないことは分かるよ」

 

調べるものはたくさんありそうだ。二人はそれぞれの場所を見ていく。

 

まず最初に見つけたのは、スイッチだった。

机の近くに寄って観察していると、机には収納が付いており、そこにスイッチが収納されていたのを成歩堂が見つけたのだった。

 

「迷った、とにかく押す! それがスイッチの鉄則です!」

 

成歩堂は呆れた顔をしていたが、それでも見つけたスイッチを心音の言うがままに押した。

すると、壁に備え付けられていた液晶の画面が真っ黒に変化する。

 

「あ! 立体映像が消えましたよ!」

「なんか……殺風景になっちゃったね」

 

そうは言いつつも、画面が暗くなって動きがなくなったために画面を調べやすくはなった。

何かないかと黒い画面を見ていれば、第一発射台側の液晶に、明らかな異常を見つけた。

 

「こ、これ! ナルホドさん、見てください!」

「これは……銃弾の跡だ。よく見つけたね」

「だって、結構大きいですよ、これ。きっと超大型の銃で撃ったんです!」

「いや。ぼくも銃弾は見た事あるけど、これは普通の銃のものだよ」

 

心音が見つけたのは、液晶の画面を蜘蛛の巣状に割った銃弾の跡だった。

映像には支障がなかったのか、画面が明るいうちは全く見えなかった。

人の顔よりも大きな蜘蛛の巣状の跡に、心音は超大型の銃だと思ったが、そうではないようですぐに否定されてしまった。

ナルホドさん、銃弾見たことあるんだぁ。と思いながら、脳内で普通の銃であるとメモしておく。

ここで銃が撃たれたという事実が浮かんできたが、残念ながら、周囲を探しても銃弾は残っていなかった。警察が持っていったのだろう。

番刑事に聞いてみよう。と話がまとまったところで、情報をファイルしながら、次の場所を探していく。

 

そして、天井のぐるぐると回るトレーニング器具の近くに、心音はおかしなものを見つけた。

 

「ナルホドさん! あそこ、何か刺さってます!」

「何かの破片?」

「あの丸み、見覚えがあります! 酸素ボンベの一部じゃないですか?」

「そうかもしれない。こんなものがここにあるってことは、ここでボンベが割れたということだ」

「確か、葵さんの酸素ボンベは壊れていなかったので、星成さんの酸素ボンベでしょうか……」

 

ロケットで宇宙へ行こうとしていた二人は、宇宙服を着ていた。宇宙服には、酸素ボンベも二の腕部分についていた。

事件当時の宇宙服をそのまま着ていたという、葵の酸素ボンベは壊れていなかった。とすれば、星成の酸素ボンベの破片だろう。

 

「酸素ボンベが壊れるような何かが、ここであったってことだね」

「酸素ボンベって、かなり頑丈ですよね。何があったんでしょう。葵さんもそのことについて何も言っていなかったし……」

「さっきの銃弾の跡が関わってるのかな……。よし、他の箇所も調べてみよう。他にも当時の状況がわかるものがあるかもしれない」

「はい!」

 

続いては、東側の扉――第一発射台に続く扉に近づく。

この扉には、指紋認証の機械がある。手の絵が書かれた液晶に手を乗せれば、登録された人物の場合、開くようになっているようだ。

 

「犯人は、指紋認証を突破して爆弾を仕掛けたってことか」

「じゃん! こんなこともあろうとかと、持ってきました! 指紋検出粉!」

 

成歩堂の言葉に、心音は元気よく声を上げた。指紋検出粉という、警察が鑑識でよく使用しているものだ。指紋の上に粉を振りかけて、息を吹きかければ指紋が取れる優れものだ。成歩堂弁護士事務所に仕舞われているのを気づいて、持ってきていたのだった。

指紋認証装置の指紋を検出してみると、一人分の指紋がはっきりと出てきた。

 

「指紋が誰のものか、調べておきたいな。まあ、流石に真犯人のものってことは、ないだろうけど……」

「バン刑事なら、指紋のデータを持ってるかもしれませんよ」

「そうだね。それと、この扉を映した監視カメラの映像もあるんだったね」

「はい。前回の法廷で提出されてましたよ」

 

心音はカバンからゴソゴソと前回の資料を取り出す。法廷では映像で流れていたが、再生機器がないため映像の大事な部分を紙に印刷した資料だ。

そこには宇宙服を着た二人の人物が、第一発射台通路からラウンジへやってくる姿が頭上から映されており、一方の人物をもう一方の人物が手助けして歩いている。手助けしている方の人物は、カプセルを片手に持っていた。

 

「できれば、この少し後の映像こそ見てみたいんだけどな」

「そっか。この後にカプセルが盗まれているんですもんね。これもバン刑事に頼んでみましょう」

「そうだね。確か、葵さんはロケット発射台から降りる時、カプセルを落として、星成さんを担いで梯子で降りたって証言したんだよね」

「はい。でも、宇宙服ってすごく重いですよね。両手が空いていたとしても、人を一人背負って降りるなんてできるんでしょうか」

「僕もちょっと引っかかってたところなんだ。それに、落としたっていうカプセルも、この映像を見る限り、壊れたりもしていないようだし」

 

写真のカプセルは、腕に抱えられているが、半分ほどは見えている。カプセルにヒビが入ったり、凹んでいたりという様子は見えない。

宇宙服は、資料に書かれているのを確認したところ、一着百キロほどだという。それを自分で着て、相手も着ているとすれば、総量は二百キロだ。その状態で梯子を降りるなんて、普通では考えられない。緊急事態だったといえど、少々無理があるように心音には思えた。

葵さんと話せたら、これも聞いておかないとな。と心音は思いつつ、次の場所への調査へ移ろうと視線を動かす。

 

すると、パッと視界に映った、月面歩行訓練器に興味が引かれ、近づいてみる。

心音がワクワクと歩いて行けば、訓練器の奥、壁際にあった側溝に目が行った。

 

「あれ! 何か側溝の中で光ってます!」

「側溝の中に? よし。蓋を外してみるか」

 

小さな隙間の奥、何かが光るのを見つけて声を上げれば、成歩堂が進み出た。

そしておもむろに側溝の隙間に手を差しこんで、よっこいしょ。という掛け声と共に重そうな側溝の蓋を外し、床に置いた。

側溝の中には、大量の配線が並べられていた。外からは見えないように側溝の中に収納されているのだろう。

その中で、一つだけ金色に輝くものがある。小さなもので、円柱形に見える。

 

「何だろ、これ。金属製の米粒でしょうか」

「すごく小さいけど、これは銃弾だよ。直径は二、三ミリくらいか。口径で言うと……十口径……?」

「口径って、確か、銃口のサイズのことですよね」

「十口径の銃なんて、聞いたことがないぞ。これ、よっぽど特殊な銃の弾じゃないかな」

 

成歩堂が銃弾といったそれは、確かに注意深くみてみれば、銃弾の形をしていた。

しかしとても小さい。指先に乗ってしまうほどの大きさだ。普通の銃では、撃てないだろうというのは心音でも分かる。

銃自体も相当小さなもののはず、と考察する成歩堂に、小さな銃を想像する。この銃弾の大きさなら、手のひらで包めてしまうぐらいの小ささではないだろうか。

 

「なんでこんなところに落ちてたんでしょう? 上面図で言うと、下側の左端。南の扉付近です。端の方だし、調査が行き届いてなかったのかな」

 

第一発射台通路への扉と、エレベータへの扉は隣にある。銃弾は、エレベータの方の扉に近い場所にあった。しかし、米粒のように小さくとも、銃弾なんて、ものすごく重要な証拠だ。

番刑事は仕事熱心な刑事で、正義のために邁進していて、やる気十分だが、時々ものすごいポカをする特徴がある。

 

「さては番刑事、見落としたな。……これは切り札になるぞ」

 

そう言いながら、成歩堂が慣れた手つきで携帯で写真を撮り、持っていたメモに弾丸について記述する。

 

情報をファイルし終わった成歩堂が側溝を戻す。その姿を眺めていると、背後から突然声がかかった。

 

『ようこそ! ようこそ! お客さま! お客さま!』

「わっ! なんだ! っていたァ! 指が挟まった!」

「ナルホドさん、大丈夫ですか!」

 

突然の声――音の高い電子音での声が聞こえ、成歩堂が側溝に置こうとしていた蓋を取り落としてしまった。挟まれた指を後ろから見ていた心音も、思わず顔が歪む。慌てて心音が蓋を上げて成歩堂の指を救出する。

赤くなった指を二人で確認していれば、声をかけてきた正体が、また音を出した。

 

『大丈夫? 大丈夫?』

「な、なんだこれ……」

『アタシ、ポンコ! P・O・N・C・O……ポンコだよ!』

 

現れたのは、キャタピラで動く金属でできたロボットだった。顔部分は液晶になっており、可愛らしい表情が映し出されている。頭にはアンテナのようなものが二本飛び出していた。

オレンジ色に着色されていて、両手が動く形式となっている。心配そうに両手を前の方で縮めていた。

それは、心音にとっては見覚えのある、懐かしい友人の姿だった。

 

「ポンコ! 会いたかったよー!」

「ココネちゃん、知ってるの?」

「はい。昔はよく一緒に遊んでました。Psychological Operator & Navigating Companion。略してポンコって言うんです」

「へぇ……さすが帰国子女、発音いいね」

「えへへ」

 

心音に習って、成歩堂がポンコへ挨拶をすると「あなた、知らない!」と返されてしまっていた。

小動物に嫌われた時のような顔をする成歩堂に、心音が「初対面の場合は登録が必要なんです」とフォローを入れる。

成歩堂の代わりに、心音がポンコに登録をするようにお願いすると、ポンコが心音に言われた通り登録をしだした。

 

『あなたのお名前は? ニックネームでもいいよ!』

「えーっと、リューイチです」

 

心音は特に何も考えず、成歩堂を下の名前で登録することにした。

 

『リューイチ! アタシに、顔をよーく見せて!』

「は、はあ……」

 

ポンコに言われた通り、成歩堂がポンコに近づいて顔を見せると、少しした後に「顔パターン登録完了!」とポンコが言う。

 

『アタシたち、これでおトモダチ! リューイチ、仲良くしてね!』

 

成歩堂は満更でもない顔をしていた。

ポンコはすぐに「案内するよ! ついてきて!」と言い出すと、その場から動き出す。

それに、どこへ行くか分かった心音がすぐに後ろを付いていく。

 

「行きますよ、ナルホドさん!」

 

訝しげな表情の成歩堂を連れ、ポンコの後ろを付いていった心音が着いたのは、宇宙センターの見学スペースだった。

巨大なロケットが聳え立ち、周囲にはロケット開発に関する資料が展示されている。

ガラス張りの中にスタッフの制服や、宇宙服。当時の写真や書類などが見えやすいように置かれていた。

空中には惑星を模した巨大な球体が吊り下げられていたり、宇宙人のUFOなどのファンタジーなものも吊り下げられている。

来る最中までは打って変わって、目を見張って見学スペースを見回していた成歩堂が尋ねる。

 

「ロケット……だよな。本物なのかい?」

『ようこそ、ようこそ! 見学スペースは、朝の九時から十七時まで、年中無休で開放! ここには、この国の宇宙開発史と、HAT-1号関連の資料があるよ! ロケットはレプリカだけど、本物と同じ大きさなの!』

 

ポンコが定型文と、成歩堂からの質問へ答える。

それを確認してから、心音は持っていたパンフレットを広げた。

 

「見学スペース……地図で言うと、場所はここですね」

「なるほど。第一発射台の正反対まで来たのか」

 

パンフレットの地図には、真ん中に中央棟、左に第一発射台。そして第一発射台と同じ形の施設として、右側に見学スペースがあった。三階にあるラウンジから、通路で繋がっているのも同じだ。

先ほど心音たちがいたのは第一ラウンジで、見学スペースへ続いている扉があったのは第二ラウンジだった。

成歩堂がポンコに尋ねると、見学スペースにあるロケットのレプリカは、七年前、HAT-1号計画で打ち上げられたHAT-1号のレプリカであること、レプリカだが、内部まで本物そっくりにできていることが分かった。

さらに、ポンコにHAT-1号関連の資料を案内されている中で、とある写真を成歩堂は見つけたようだった。

 

「これは……」

『リューイチ! それは、HAT-1号関係者の記念写真だよ』

「そうか。もしかして、この女性……」

 

成歩堂が見つめていた写真は、五人の人物がロケット発射台の前で撮った写真だった。皆笑っていて、活気に満ちている。

左からまだ幼い葵大地、今とは髪型の異なる星成太陽。真ん中には大河原センター長。左から二番目に尖った二つのお団子が特徴的な紫髪の女性。そして一番左は、黒髪をポニーテールにした、着物を着た女性がいた。

成歩堂の言葉に、心音は頷く。

 

「はい。一番左にいるのが、私の母なんです」

「そうなんだ。今回の事件を担当しているって、お母さんは知っているの?」

「多分、知らないと思います。話していないので……」

「こういうのを聞くのはアレなんだけど……あんまり、仲良くない感じなのかな」

 

少々気まずげに尋ねてきた成歩堂に、慌てて首を横に振る。

 

「いえ! そういうわけじゃあ……。弁護士になったのは話してありますし、時々電話もしてます。けど、なんというか、この事件を担当しているって言うのは……言わなくてもいいかなって……」

 

ここには思い出が多すぎる。わざわざ母に言って、心配させてしまうのも避けたかった。

成歩堂は「そっか」とだけ言って、それ以上追求はしないでくれた。

 

『もともと、ここは第二発射台として使われていたの! だから、入口もその時のまま。三階からしか入れないんだよ!』

「地上からも入れるように、改装すればいいんじゃないの?」

『そうしようって話もあったんだけど、予算削減のせいで立ち消えたの! 予算! 予算が欲しいよ! 予算! 予算!』

 

ポンコは両手を顔に持ってきて泣き出してしまった。顔の表示を青くして、泣いているような簡易的な表情を表示している。

この表情も、心音は昔から好きだった。泣いていても、機械だから当然、声から全く感情が聞こえてこない。だから、安心して話を聞くことができた。

 

『HAT-1号は、宇宙で探査機《みらい》を発射したんだよ。《みらい》は、小惑星の石を採って五日前に帰ってきたの!』

 

悲しんでいた顔とは打って変わって、喜ばしげに探査機の解説をするポンコ。しかし、その小惑星の石もカプセルごと盗まれてしまった。

まだ情報が登録されていないため、ポンコは知らないのだ。

 

「えっと、ポンコ。宇宙センターについて、もっと他のことも知りたいな!」

 

笑顔のポンコがなんとなく可哀想になって、心音が話を逸らせば、楽しげな様子はそのままに、ポンコが心音の言葉に答える。

 

『分かった! 宇宙センターのロケット発射台にはすごい秘密があるんだよ。ロケットは、発射台の中で組み立てられるんだよ。そして、出来上がったロケットは発射台ごとレールの上を移動するの。そのまま、打ち上げ場まで運ばれて行くんだよ!』

 

ポンコが連れていってくれた先の掲示には、ポンコの説明が図として描かれていた。

ロケットは発射台、つまり今回事件が起きた第一発射台、そしてかつてはこの見学スペースとなっている第二発射台の中で組み立てまで行われた。しかし、打ち上げ場は別の場所にある。具体的に言うと、中央棟の真っ直ぐ後ろだ。そこまでどうやって運んでいくのかと言うと、発射台の建物の下にレールが敷かれており、第一発射台の建物ごと、電車のようにレールの上を動いて、中央棟の後ろにある打ち上げ場まで移動するというわけだった。

中央棟を中心として、左右対称に第一発射台、そしてかつての第二発射台である見学スペースがあるのは、レールが円を描いて敷かれているため、レールの位置上、左右対称でないといけなかったのだろう。

ものすごい設備だし、ものすごく建設するのにお金のかかりそうな装置だ。

 

『すごい? すごい? 昔は、予算がいっぱいついてたから作れたんだ!』

 

今の改修すら立ち消えてしまう状況とは全く異なる。昔はそれはそれは予算がついたのだろう。時代の流れは切ない。

しかし、それはそれとして、発射台が動いているのは見てみたい。大きなものが動くだけで感動的なので、それはもう見ていて面白いのだろう。

今、ロケットの司令室は六階にあるが、昔に作られた仕組みなら、動かすのはきっと三階ラウンジから行ける管制室のはずだ。

 

「これ、きっとあの《管制室》から動かすんですよ。やってみたいなあ」

『そうだよ! 操作は管制室から! でも、その前に……ラウンジにある安全装置を解除しないといけないんだ!』

「大掛かりな移動には、面倒な手順がツキモノなわけだ」

「その決定的瞬間、ぜひ見たいです! 発射台の移動、次はいつやるの?」

『データ検索中…………現在、全ての予定が保留中だって』

 

そりゃあ、ロケットが爆破され、貴重な小惑星のサンプルが盗まれたとなれば保留になるか。と思いつつ、諦めきれずに再び尋ねる。

 

「それじゃ、一番最近だといつ動かしたの?」

『データ検索中……ゴメンね。ゴメンね。その答えは、回答プログラムにないみたい』

 

心音は「そっかぁ」と言って大人しく引くことにした。

ポンコはとても高性能で、優しいロボットだが、中身はプログラムだ。データにないことは答えられない。

その後、成歩堂からポンコへの情報収集で、今回の事件で盗まれた《みらい》のカプセルが、探査機《みらい》と共に帰ってきてから、第一発射台の金庫に保管されていたことが分かった。しかしそうなると、余計に葵大地しか持ち出しが出来ない。

葵は犯人ではないだろうが、持ち出そうと思った気持ちも分かる。

成歩堂がポツリと「葵さんは、爆発から守ろうと持ち出したのかな」と口にする。

 

「宇宙センターにとっては、大事な歴史的成果ですもんね。でも、中身を確認する暇もないうちに、事件が発生して……」

「犯人に盗まれたってわけか」

 

成歩堂の言葉に、心音は頷いた。

カプセルは、七年前に葵の師匠である星成が宇宙へ送り出した探査機《みらい》の大事な成果だ。そしてそれらは、師匠だけでなく、宇宙センターのスタッフ全員の努力の結晶でもある。葵が緊急事態の中でも、持っていこうとしたのは当然のように思えた。

 

ポンコから聞けることは大体聞けただろうと言うことで、二人は番刑事の元へ足を運ぶことにした。

番刑事には立体映像の液晶にあった銃弾跡や、指紋認証の機械にあった指紋、そして監視カメラのその後の映像について聞かなければならない。

まだ協力的かな、と心音は思いながらラウンジで話した後に、番刑事が消えていった第一発射台へ続く通路へ歩を進めた。

 

「……むむう。どうするべきなのだ? 正義の道は、果たしてどちらに……!」

 

第一発射台通路は、第一発射台に繋がる、長い通路だ。左右にガラスの大きな窓が貼られていて、外が見えるようになっている。

通路には「1」と数字が振られており、普通に歩ける右側の通路。左側には動く歩道――いわゆる、水平型のエスカレータがある。飛行場などにある、階段状になっていないエスカレータだ。

通路では、ポンコと同じ形の――しかし多少色合いや形の違う――ロボットが掃除機を背負って通路の掃除をしている。

そして――一人、白スーツの男がサングラスを押し上げてひどく悩んでいた。

 

「なんか、道に迷ってますね……」

「ほんとだ。まあ、話を聞いてみようか。まだ協力的だといいけど」

 

相変わらず興味のないことにはサッパリしているな、と心音は思いながら、成歩堂の後をついていく。

心音は少々、悩んでいるらしい番刑事が気になっていた。

 

「番刑事。今、お時間大丈夫ですか?」

「む、弁護士くんたちではないか。ああ、もちろんだとも!」

 

深刻そうに悩んでいたが、すぐにいつもの調子を取り戻して受け答えをする。

そんな番刑事に、成歩堂は第一ラウンジの監視カメラについて尋ねる。続きがあれば見せてほしい、と言う成歩堂に、番刑事はゴソゴソと手帳型の小型再生機器を取り出して、二人へ画面を向けた。

 

「よろこんでお見せしよう!」

 

番刑事が取り出した再生機器を、二人で覗き込んで流れる映像を見る。

第一発射台通路から、宇宙服を着た二人がヨロヨロと入ってくる。星成とカプセルを持つ葵さは疲労困憊で、今にも倒れそうに見えた。法廷での話が本当なら、精神安定剤も飲まされていたのだから、意識が朦朧としていたのかもしれない。

どうにかラウンジにたどり着いた葵は、何かに気づくように僅かに顔を上げて――そこで突然、画面が真っ暗になった。

 

「あれ? き、消えちゃいましたけど」

「そうなのだ。どうやら爆発の影響でケーブルが断線したらしい。ゆえに、この後の映像は残っていないのだ! ハッハッハ!」

「そ、そんなぁ」

 

へにゃりとした声が喉からこぼれる。

監視カメラは肝心な部分の映像が途切れていた。

法廷に提出された後の映像後は、記録に残っていなかったと言うことだ。

 

「けど、葵さん、何かを見つけたような動作してませんでした?」

「そうだね。前の方を見ていたような……確か、法廷では”幻覚を見た”って言ってたんだっけ」

「はい。大河原さんの幻覚を見たって」

 

そう、葵は法廷で、ラウンジに着いたときに大河原の幻覚を見たと証言した。

極限状態だったために見えた幻覚だ、と本人は語っていたが、検事側の主張は精神安定剤の副作用だ。

どちらにせよ、本人が幻覚だと証言しているので、第三者ではない。王泥喜は第三者の影を見間違えたのでは、と指摘していたが、葵本人はあくまでも幻覚だったはず、あまり覚えていない主張していた。

 

「人がいたと思ったなら、幻覚かも知れなくても、そう主張した方がいいと思うんですけど……。明らかに幻覚だと分かるような感じだったんですかね。半透明だったとか」

「そうかも知れないね」

 

ラウンジの監視カメラの相談を終え、次に成歩堂は現場で見つけた弾丸について尋ねる。

そうすると、番刑事はすぐに回答をくれた。

 

「あれは、賀来刑事が撃ったものだ」

「賀来刑事が?」

「ああ。被告人に威嚇射撃をしたらしい!」

「威嚇って……そんな危険な状況だったんですか?」

「詳しいことはわからん。本当は明日の証人として証言するはずだったのだが……」

「え、出てこないんですか? 警察なのに」

「うむ……。昨日、起爆スイッチの盗難騒ぎがあっただろう。彼女は爆弾事件の専門家なのでね、そちらの捜査に駆り出されてしまったのだ。馬等島は余罪も多くあって、捜査に時間も人手も奪われてしまっているのだ」

 

眉を下げてそう語るところを見るに、番刑事自身も困惑しているようだった。

現役の警察官、しかも爆弾処理班が爆弾の起爆スイッチの盗難、さらには爆弾の横流しの余罪が多数あれば、警察の威信にかけて全て洗い出そうと言うのは想像はできる。だからと言って、今回の裁判に大事な証人が来れないなんて。心音が眉を顰めていると、番刑事が続けて言う。

 

「しかし! 第一発見者は二人いるのだ」

「大河原さん、明日の証人ですね。となると、明日の焦点は……」

「そうだ。まさしく威嚇射撃をした際の話が、明日のメインディッシュとなるだろう!」

 

撃った本人から話は聞けないが、共にいた第一発見者から話が聞けるなら、当時の詳細な様子が分かるだろう。

これ以上、この話が膨らまないのを察して、心音が次の話題をふる。

 

「バン刑事。ラウンジで見つけた指紋を照合させてもらえませんか?」

「事件関係者の指紋データなら、ジブンが用意したものがある。ココロばかりの贈り物だ。遠慮なく受け取りたまえ!」

 

番刑事が取り出してきた事件関係者の指紋データの資料を、目の前にいた成歩堂へ渡す。

何十枚もあり、随分と多くの人物が指紋を取られたのだと察せられた。

そして、そのうちの一人は心音であった。

 

「こ、これは……かなりの数の指紋データがあるみたいですね」

「うむ。事件とセンターに関係する人間全員の指紋を集めたぞ! 夕神くんに、”徹底的に”と言われてな。大変だったぞ!」

「なぜか、わたしとオドロキ先輩と……近くにいたロボットまで取られちゃいました。指紋」

 

一昨日に王泥喜と共に捜査に宇宙センターを訪れた際、警察官たちに囲まれ、やってきた番刑事に問答無用で指紋を取られたのだ。

随分困惑したものの、指紋を――なぜかロボットのものまで――取るだけ取ったら、番刑事たちはさっさと去ってしまった。

 

「指紋は、この事件において、特に重大な証拠になるのだ。ラウンジには指紋認証が必要な扉が多々あるだろう? 出る指紋によっては、事件の意味がひっくり返ってしまうからな!」

「まあ、爆弾犯は、ラウンジの指紋認証を通ったわけですからね」

「お。そうだ。ついでに、この写真のデータもくれてやろう」

「これは……第一発射台側の扉の写真ですか?」

「うむ。夕神くんが、この写真を注意深く見ていたのだよ」

「夕神検事が?」

「そうなのだ。何か考え事をしているようだったぞ」

 

第一発射台の扉についての写真を受け取っている成歩堂を見つつ、心音が声を掛ける。

 

「ナルホドさん。それより、早く指紋を照合しましょうよ!」

「そうだね。番刑事、すぐに照合できますか?」

「うむ。任せたまえ!」

 

番刑事は専用の小型の機械を取り出すと、そこに成歩堂たちが持ってきた写真のデータを取り込む。

少しして、すぐに結果は出てきた。

 

「どうやら、あのセキュリティドアを開けたのは、星成くんのようだな」

「ロケットに乗り込むときに開けたんだろうな」

 

成歩堂の言う通り、心音もロケットに乗るときに指紋認証で開けたのだろうと思った。

特に問題もない。ある意味、予想通りすぎるぐらいの結果だった。有益な情報ではない。残念ながら。

指紋の認証まで終わり、番刑事に聞きたいことは全て聞き終わったとき、成歩堂が心音も思っていたことをとうとう口にした。

 

「やっぱり番刑事、何か変ですよね。異様に協力的ですよ」

「む……ま、まあな。お互いチカラを合わせてこそのジャスティスだろう」

 

一理あるかも知れないが、以前の番刑事だったら絶対に言わないようなことだ。

気になっていた心音は、これ幸いにと成歩堂の後に続いて追撃する。

 

「さっきも、何か悩んでるみたいだったし……。何か裏があるとか、そんなこと、ないですよね?」

「なッ! 何のことだね! ジブンに限って、そんなはず……」

 

番刑事がそう言ったとき、成歩堂が瞠目する。

 

「こ、これは……《サイコ・ロック》じゃないか」

 

成歩堂の言葉に、心音は以前、成歩堂と行った別の事件の調査で聞いた言葉だと思い出した。

サイコ・ロック――人の心にかかる鍵のこと。霊力の入った勾玉を突きつけると、人の秘密が見えるという。そして、関連する証拠品を突きつけると、その秘密を暴くことができる。

その説明を、成歩堂が番刑事に告げる。驚いた面持ちの番刑事は「そのガタクタにいくら払わされたのだ?」と遠慮なくぶった斬っていた。まあ、気持ちはわからないでもない。

心音は、以前、成歩堂にサイコ・ロックについて説明されたときに「そうなんだ」とすぐに納得していた。成歩堂の知り合いの霊媒師の卵だという、綾里春美という少女の存在を知っていたのも大きいかも知れない。

サイコ・ロックは、相手が秘密を抱えていると鎖に繋がれた赤い南京錠が見えるそうだ。相手の抱えている秘密の強さによって、南京錠が出てくる数も変わる。

そして、証拠品を突きつけるなどして秘密に迫っていくと、その南京錠が弾け飛び、全て解除できると、相手は観念して秘密を吐くという。

 

「番刑事。何か隠しているんでしょう。話してもらえませんか」

「む、むむむ……しかし、正義の道はどちらに……」

 

サングラスを押し上げて悩む番刑事に、成歩堂は物知り顔で頷いた。

 

「番刑事の悩み……痛いほどよくわかりますよ」

 

確かに、心音もすぐに分かった。番刑事が悩むことといえば一つだけだ。

 

「あなたは……恋に悩んでいますね!」

 

あれ? と思ったときには、番刑事が両手で頭を抱えて目をカッピラいていた。

 

「ななな! なぜそれをッ! ジブンは……ジブンはッ!」

「えっ! 当たってるんですか!?」

 

百八十度違う方向の内容に、思わず声を上げれば、番刑事は悔しげに白状する。

 

「実は、ジブンは金魚ちゃんたちとコイを飼っているのだが、コイが一匹で可哀想なのだ!」

「……はあ」

「だから金魚ちゃんたちの水槽にコイを入れてあげたいのだが、調べてみればコイは小魚を食べてしまうというのだ!」

「それは……困りましたねぇ」

「そうなのだ! うう、可哀想なコイ! 金魚ちゃんたちの水槽を切なそうに眺めているのが見ていられないぞ!」

 

それって、食べたくて見てるんじゃないかなぁ……と心音は特に回す気もない頭で思った。

 

「違ったみたいだね」

 

真面目に話を聞いていなかったらしい成歩堂が、涼しい顔をしてそんなことをいう。

ナルホドさん、時々こういうところあるよなぁ。と眺めながら、二人の会話を引き続き聞く。

 

「番刑事の悩み……痛いほどよくわかりますよ」

 

そこからやり直すんだ。と心音は成歩堂の隣で思う。

 

「何か、正義に反することが行われてるんじゃないですか?」

「い、いや! そんなことはない! 爆弾が起きるまでは、何事もなく全てが順風満帆だったのだ!」

「爆発が起きるまでは何事もなかった……?」

「うむ。平和そのもの! みな口笛を吹きながら警備に当たっていたよ! 何せ、単なるロケット発射の警備。もうユルユルの甘い警備体制だった」

「……警備体制が甘かった? それはこの証拠品と矛盾しますね」

 

そう言って成歩堂が取り出したのは、警察の避難誘導について記載された書類だ。

前日の裁判で証言されたものがまとめられた書類である。そこには「厳重な警備が敷かれる中で爆発が発生。直後から、警官と機動隊が避難誘導を行う」とはっきり記載されている。

 

「事件前、ここで行われていたのはロケットの打ち上げですよ。なのに爆発の発生前から、機動隊も出るほどの厳戒態勢が敷かれていた。はたして……これが、”ユルユルの警備体制”ですか?」

「むぐうううッ!」

 

星成も疑問に思っていた点だ。そもそも警察が警備をしていることが、彼はおかしいと言っていた。それに加え、厳重な警備体制。何かがあったと考えたほうが筋が通る。

番刑事の様子を見て、成歩堂の目が何かを確信したようにキラリと光る。どうやら、一つ南京錠が壊れたようだった。

こういう顔をした時のナルホドさんから逃れられる人はいないのよね、と心音はボスの手腕をドキドキと見守る。

 

「ち、ちょっと待ちたまえ! しかしだよ! ロケット打ち上げは、国を挙げての重大極まるイベントなのだ! そう! だからジブンも警備に駆り出されていたんだよ!」

「確かに、守備範囲の広い番刑事なら、それもあるでしょう。でも……この人が最初から警備に参加しているのは不自然なんです!」

 

そう言って、成歩堂は一人の人物の書類を取り出す。それはボブの凛々しい顔をした女性――賀来刑事の書類だ。

 

「賀来刑事は、爆弾事件の専門家。彼女が来ていたということは……爆弾がらみの事件が起こる可能性が事前に予測されていたんじゃ?」

「……むむっ、むおおおおおおおッ! 弁護士くん、さすがだああああッ!」

 

頭を抱え、そう叫ぶ番刑事に、成歩堂の鋭かった目が元に戻る。

どうやら全ての南京錠を解除できたらしい。勾玉を持っている本人にしか南京錠や鎖の光景が見えないので、心音の目からは、成歩堂が鋭い問答で番刑事を屈させたようにしか見えない。それも間違いではないのだろうが。

番刑事は、両手の人差し指をツンツンと突かせながら、口を尖らせてしょんぼりした様子で口を開いた。

 

「認めよう。ジブンの負けだ。我が正義の悩み、聞いてくれたまえ」

 

番刑事は周囲に誰もいないことを確認して、真面目な顔でこう話し出した。

 

「実は、打ち上げの数日前に何者かから爆破の予告があったのだ。にもかかわらず、打ち上げは強行されることになった」

 

爆破予告――警備の異変は、そこからだったというわけだ。

爆破予告がされていたため、爆弾事件の専門家の刑事も、機動隊も来ていた。

しかし、星成がそれを知らなかったことからも、スタッフなどには知らされずに打ち上げは実行されようとした。

最悪の事態が容易に想像できてしまい、心音は眉を顰めて尋ねる。

 

「爆破予告……犠牲者が出たらどうするつもりだったんでしょうか?」

「うむ……そうなのだ。そんなものは、決してジャスティスとは呼べんッ!」

 

そう叫んで、拳を怒りに振るわせる番刑事に、成歩堂が冷静に問いかける。

 

「その爆破予告、どんな方法で行われたんですか?」

「大河原センター長のもとに、直接電話で予告があったそうだ。しかし、警察局から指示が出た。予告の事実を隠蔽しろとな」

「それは、かなりの大ゴトだ。番刑事が気にするのも当然ですよ」

 

隠蔽――とても穏やかではない。警察局からの指示ということは、相当立場の上の人々が関わっているのだろう。

成歩堂のフォローに、番刑事の怒りに震えていた顔が、しゅんと落ち込んだ。

 

「むう。だが、それだけではないのだ。我が戦友、夕神くんのことも……」

「夕神検事ですか? 喧嘩でもしたんですか?」

「喧嘩ではない。……彼の正義についての話だよ。これは……彼が法廷に立っている理由にも関わることなのだが……」

「夕神検事が法廷に立つ理由? 一体、それって……」

 

心音は、昔の夕神検事を知っている。優しい兄のような人で、とても温かな目をしていた。

今はまるで、刃のように鋭く、被告人を容赦なく切り刻もうとしている。それは、今回の裁判では顕著に思えた。

時折感じた、被告人――葵大地への憎しみのような感情。その声は、耳に残っている。

心音は、慶二が消えてしまってから、逃げるようにアメリカへと渡った。いや、実際、逃げたと言っていいだろう。

恐ろしかった。彼がいた記憶の濃いこの施設が、あの事件が、彼がいない事実が。あの椿が。

 

心音は逃げた。なら、夕神はずっと一人で戦ってきたのだろうか。何を思って、検事席に立っていたのだろう。

 

「こんなことをキミたちに話すのは、本来はルール違反なのだろうが……」

「いいじゃないですか! たまには、少しくらいハメを外しましょうよ!」

「うむ……あるとき、夕神くんがこう言っていたのだ。……”慶二さんの弟のあんただから言っておく”と、前置きを入れてね」

 

浮かんでいた名前が、番刑事から出てきて、心音は思わず息を呑む。

 

「”俺は、七年前の亡霊の影を追いかけているのさァ”とな」

「七年前……」

 

七年前――胸がざわついた。その年数は、まさにあの人がいなくなった過去への数字だった。

成歩堂が番刑事に、少しだけ前のめりになって尋ねる。

 

「その、七年前の亡霊という言葉……何か心当たりは?」

「……心当たりはないが、なんとなく想像はつくのだよ。キミも知っているだろう。七年前、ジブンの兄が殺されてしまった。その兄が殺された理由に、その”亡霊”が関わっているのではないか、と思うのだよ」

「慶二さんの死に、”亡霊”が関わっている、と……」

「うむ。そして、夕神くんは、今回の事件の背後に、その”亡霊”がいると考えているようだ」

 

亡霊。慶二をこの世から決してしまった事件に関わる、何者か。

成歩堂が、番刑事の話に手のひらを出して待ったをかけた。

 

「ま、待ってください。亡霊の話って、今回の事件にも関係あるんですか?」

「うむ。今回の事件と、七年前の事件は関連性が多いのだ。まず……七年前の事件も、この宇宙センターで起きている。その上、いずれの事件も、電話による脅迫があったのだよ」

 

だから、七年前も多くの警察が来ていた。それは、心音も知っているところだった。なぜなら、そんな多くの警察官たちの会話が聞こえて、慶二が来ていると知ったから。

いつもとは違う部屋に連れて行かれて、大人しくしているように言われた。けれど、心音は慶二に会いたくて、こっそり部屋を飛び出したのだ。

ぞわりと背筋に寒気が走る。胸を張って立っていないと、座り込んでしまいそうだった。

 

「それが、夕神刑事が、亡霊にこだわる理由なんですか?」

「おそらく……ジブンも他から聞いた話だが、夕神くんと兄はとても息の合うコンビであったらしい。相棒、と呼び合っていたそうだ」

 

成歩堂の問いに、番刑事がそう答える。

心音も、慶二がそう呼んでいる光景を見たことがある。二人は、幼い心音が見ても、とても気の合う相棒同士だったと思う。夕神の前では、慶二はどこか気を抜いていて、自然体であったように見えた。慶二が夕神をからかって、夕神が呆れながらも声は嬉しげにしていたのをよく覚えている。

しかし、番刑事の言葉から数秒間、成歩堂が口を開かなかった。あれ、と思い心音が成歩堂を見ると、目を細めて眉間に皺を寄せて、なんだか苦いような、酸っぱいものを食べたような顔をしていた。

 

「……慶二さんが?」

「ああ。互いに認め合った、とても良い間柄だったらしい」

「……なるほど」

 

成歩堂の声は苦々しい。その声は、なぜか怒りが滲んでいた。

どうしてかは分からなかったが、心音は成歩堂の代わりに番刑事に声をかける。

 

「あの。もしかして、夕神検事は……アオイさんを、亡霊としても疑っていませんか? 何だかすごく……アオイさんに対して、敵意があったように思えて」

「いや。さすがに、葵くんが亡霊だとは思っていないだろう。だが、何らかの形で関わっている。そう考えているかもしれん」

 

ずっと気になっていたことではあった。裁判での夕神刑事は、葵に節々で敵意のような――いや、もっと根深い憎しみの色があったように思う。

亡霊とは思っていないだろうという言葉にホッとしたものの、だからと言って楽観できる状況ではない。

番刑事は拳を握り、鬼気迫る顔で語る。

 

「しかしそれは、私怨にすぎん! そこには……もはや正義はない!」

 

正義に燃える男は、そう断言すると、しかしすぐに肩を落とした。

 

「ジブンはこれまでずっと、夕神くんの判断を信じてきた。だが……今回に限ってはどうにも心配でならないのだ。冷静さを欠く夕神くんが、もしや《冤罪》を生んでしまうのではと」

 

冤罪。この国ではよく聞く言葉だった。

悲しいけれど、この国の法律――序審法廷では三日間で被告人が有罪か無罪かが決められてしまう。警察の捜査もその期間にしなければならず、調査が行き届いていないことが多々ある。そうすると、十分な議論がなされないうちに被告人が有罪となってしまう。

判決に対する再審要求、控訴はほぼ行われず、行われたとしても証拠不十分として却下されてしまう場合がほとんどだ。

そんな中、七年前の事件とも関係があるとされる亡霊に関係者として捕まってしまったら、葵大地は一生、塀の外へは出て来れないだろう。

そんなことが頭の中をよぎった時、成歩堂が力強く番刑事に言葉を返した。

 

「大丈夫ですよ。そうならないために、ぼくたち弁護士がいるんですから」

 

その言葉に、少し安心した様子で番刑事が言う。

 

「夕神くんには申し訳ないが、今回はキミたちを応援させてもらう。このこと、夕神くんには内緒だからな。絶対だぞ!」

 

まぁ、バレたらお叱りどころじゃ済まないだろうなぁ。と心音は思う。

けれど、それぐらい夕神検事のことを想ってくれていると知れて、少し安心する気持ちもあった。

 

「夕神くんはジブンの戦友! だからこそ、感情に任せて被告人を追い込むことなどさせたくない! しかし、法廷での夕神くんを止められるのはキミたちだけなのだ」

「バン刑事、夕神検事のこと、真剣に考えているんですね」

「ああ。もちろんだ! 彼はジブンの戦友でもあり、兄さんの相棒でもあるのだからね!」

 

二重の意味で、気にしているということなのだろう。同じく刑事であった兄の相棒――確かにそれは、特別な相手かも知れない。

 

「それに、そのことだけではない。ジブンは、警察局の隠蔽気質も許せないのだよ!」

「そういえば、そもそも警察が爆破予告をもみ消したのが発端ですもんね……」

「ああ! 七年前、きっと兄もそういった事情で警備をしていたと思うのだ。そして、犠牲となってしまった。あんなことは、二度と起きてはならないことだ! 今回は被害者はいなかったとはいえ、また同じことが続いてしまっては意味がない!」

 

拳を握って腕を震わせる番刑事の声からは、明確な怒りが立ち上っている。

しかし、番刑事は拳をおさめて胸を張ると、腰に手を置いて堂々と宣言した。

 

「だからこそ、ジブンは内側から警察局を変えたいと思っているのだよ! その時、隣に夕神くんがいてほしい!」

「それは……すごく、いいと思います! わたしも協力します!」

「弁護士くん……! ありがとう! その時は頼むぞ!」

 

番刑事の宣言に、思わず食い気味に協力すると言えば、番刑事は目をきらめかせて喜んだ。

 

「また何か困ったことがあったら、わたしにも相談してくださいね。わたし、慶二さんから、番刑事のことも頼まれているので!」

「何? 兄さんから?」

「はい。危ない目に遭っていたら、助けてあげてほしいって」

「兄さんがそんなことを……」

 

心音の言葉に、目を瞬かせた後、どこか深い音色で番刑事がそう言った。

それから「そうか、なら尚更、希月弁護士くんによろしく頼まなければ!」元気よく告げて、バッと番刑事は手を差し出してきた。

それに迷いなく心音も手を伸ばして、ガッシリと握手をし合う。

 

「では、成歩堂弁護士くんも、法廷でよろしく頼んだぞ!」

「任せてください、番刑事」

「心から感謝するぞ!」

 

握手を終えて、成歩堂にそう告げた番刑事は、”お礼に”ともう一つ情報提供をしてくれた。

事件当日、事件現場を見たという例の目撃者は、宇宙センターの入り口当たりにいるとのことだった。

 

「ジブンは、全力を傾けて役立つ証拠品を探すことにするよ! さあ、一緒に叫ぼう! せーの……「ジャスティス!」」

 

番刑事は「では、さらばだ!」と言って、第一発射台の通路を駆け抜けて行く。

その後ろ姿をどこへ行くんだろうなぁ、と見ていれば、成歩堂が心音に声をかけた。

 

「一緒に言ってあげたんだね」

「……つい、ちょっと盛り上がっちゃって」

 

番刑事の決め台詞を一緒に叫んだのを上司に聞かれて、心音は恥ずかしがりながらサイドテールの髪を撫でた。

 

 

 

二人は番刑事の話通り、目撃者の話を聞くため、宇宙センターの入り口――エントランスへ戻ってきた。

その先で、エントランスにいるロボットを見つけた。先ほどのポンコと姿は似ているが、少々外見が違うロボットだ。

塗装されている色が青緑色で、アンテナのようなツノがない。心音たちを見つけると、ポンコと同じように挨拶をしてきてくれた。

声が少し低いことから、おそらく男の子をイメージして作られているのだろうな。というのが分かる。

 

「ほらほら、こっちへおいで」

「案内? 迷子? それともももももももももももボぼぼぼぼぼボクはポンタ? 案内内内かな? かな? かな?」

 

かつては友達として仲良く遊んでいた心音が近寄ると、しかし様子がおかしい。

明らかに正常ではないロボットに、流石の心音も眉を寄せる。

 

「こら! 勝手に外に出ちゃダメでしょーが!」

 

心音と成歩堂が顔を合わせていたとき、施設側から声が響き、一人の女性が現れた。

コスプレちっくな近未来的な制服を着て――宇宙センターの服だ。他のスタッフでも同じような服を来ている人を心音は見かけていた――透明なゴーグルをつけた、目つきの鋭い女性がいた。紫色の髪色をしており、髪を二つの団子上にまとめている。が、先がとんがっているので、アンテナかツノのようだ。そう、鬼のツノのような。

 

「ッたく、またか。この……ポンコツ!」

 

そんな女性がズンズンとロボットに近づく。そして斜め四十五度。思いっきり手刀を食らわせた。

ロボットの頭が振り子のようにぐわんぐわんと揺れる。人間であったら首を痛めるどころでは済まないかも知れない。

 

「ガピピッ! ……あれ? ここは、外? いつの間に?」

「おッ! 戻ったねポンコツ! 危ないところだったねー! このまま直らなかったら、来週の粗大ゴミの日に出すところだったよ。やっぱ、斜め四十二点五度の手刀に勝る薬はないね」

 

所々物騒なセリフが聞こえてくる。そして、どうやら四十五度ではなく、四十二点五度だったらしい。

懐かしい人物に、心音は目を瞬かせる。目撃者というのはこの人だったのか。

 

「あの。失礼ですが、あなたが事件の目撃者でしょうか? ぼくたち、こういうものです。成歩堂龍一といいます」

「ふーん。弁護士サマ、ねえ。わたしは、夕神かぐや。このセンターでロボットの研究開発をしているの」

 

かぐやは、どこからか注射針のような、SFで見るような光線銃のようなものを取り出す。何かしでかすのでは、と心音はちょっと内心でびくついたが、そのまま光線銃は仕舞われた。

しかし、名前について、ナルホドさんも気がついたかな。と心音はチラリと成歩堂を見る。そう、名前の通り、彼女は夕神検事の家族――詳しくいうと、姉だった。

かぐやは外に出てきてしまっていたロボットについても、一応説明してくれた。ポンコツくんという名前らしい。だが、ロボット本人からポンタだと否定されていた。が、しかしかぐやの手腕により――というかロボットの頭の蓋を開けて中身を弄ることにより――ポンタは反抗心をへし折られ、絶対服従していた。あまりにもあんまりなやり方である。ロボットの人権を侵害していた。ロボットに人権はもしかしてないかも知れない。

 

「あ、あの……お久しぶりです、かぐやさん」

「ん? なぁに、会ったことあるかしら……。あら、その首から下げてるの……」

 

心音が前に進み出て、様子を見ながら挨拶をする。

すると、やはりかぐやは心音に気がついていなかったらしい。じっと心音を観察して、そして首元にあるモニ太を見つけた。

そう、これは何度も改良しているが、プロトタイプは目の前の彼女と母からもらったものだった。

 

「あんた……帰ってきてるなら言いなさいよ!」

「ひッ、ご、ごめんなさい!」

「なぁに、弁護士になったって聞いたけど、もしかして今回の事件を担当してるわけ?」

「は、はい……。葵さんの弁護を……」

「よりにもよってこの事件なの? というか、ここに来てるってことは、もう真理には会いに行ったんでしょうね」

「それが、まだ行ってなくて……」

「はぁ? 最初に行くべきでしょうが!」

「ひいッ!」

「ちょ、ちょっと、お、落ち着いてください!」

 

ポンタと同じように斜め四十二点五度で叩き直されそうな勢いだ。そんなかぐやに、成歩堂が間に入った。

心音は成歩堂の後ろに隠れながら、怒られるとは思っていたけど、ここまでとは……とため息をつく。

それを、鋭い瞳でかぐやが睨みつけている。そういう顔は夕神検事とそっくりだった。

 

「えっと、二人は知り合いなんですか?」

「ここで働いてる希月真理はわたしの親友よ。まあ、親友の娘ってだけ」

「あと、カグヤさんは、夕神検事のお姉さんです」

「ちょっと、何勝手に教えてるの。個人情報よ」

「いいじゃないですか。すぐ分かることですし!」

 

成歩堂の後ろから言い返せば、きつい目つきで見られてピャッと背に隠れる。

 

「えっと、積もる話もあるとは思うんですが、実はぼくたち事件の目撃者を探してまして……」

「……しょうがないわね。さっさと話を終わらせて、その子に説教させてもらおうかしら」

 

別に説教しなくていいのに……! と思いつつ、事件の話は心音も聞きたい。大人しく後ろからひょっこりと姿を出した。

 

「わたしは、中央棟四階のロボット研究室にいたのよ。爆発のせいでエレベータが止まっちゃってさ。避難誘導の刑事に言われて、ハシゴを降ろしたんだ。他の部屋にもハシゴはあるのにめんどくせーなと思ったんだけど」

「ええ、ええ。面倒ですよね」

 

成歩堂が言葉だけの同調をしている。

 

「で、ハシゴを降りるとき、三階の第一ラウンジの窓あたりを通ったの。そこから、ナイフを持った人物の姿が見えたわ。ま……それだけの話」

「さ、三階の第一ラウンジって……事件現場じゃないですか」

 

あまりにさらりと出てきた事実に、成歩堂と共に心音も目を見開いた。

 

「そうよ。右端に、小さな窓があるでしょ。その窓の外から見たってわけ。真っ暗な部屋で、怪しい奴がライターを明かりに使ってたわ。右手にナイフを持ってね」

「それ、犯人ですよ! 誰だか分かりましたか?」

「分かるかっつーの。停電してたのよ、あの時のラウンジは」

「そうですか……。あの、時間は覚えてますか?」

「ええ。時刻は十時ジャストだったわ」

「他に、何か分かりませんでしたか? 犯人の特徴とか……」

「うーん。なにしろ真っ暗だったからね。ただ……左手に持ってたライターに、キレイな飾りがあるのが見えたわ。……何かの惑星かしらね。青かったし、地球の飾りかな」

 

思い出すように斜めの方向を言いながらそう説明する。かぐやは、成歩堂たちの方へ視線を戻してニヤリと笑った。

 

「あれが犯人なのね。小物の趣味は悪くないわよ、ソイツ」

 

左手に地球の飾りのついたライター。そして右手にナイフを持っていた。

葵はライターをラウンジで使った、などの話はしていなかった。おそらくライターを持っていた人物が真犯人なのだろう。とても有益な情報だ。姿が見えなかったのは残念だが、ようやく重要な手かがりが見つけられた。

 

「証言、ありがとうございます。葵さんの無実、必ず証明しますよ」

「ふぅん。せいぜい頑張ってね。ま、期待はしてないけど」

「え?」

「あ、別に弁護士が嫌いってわけじゃないのよ。けどね、ほら、警察って無能じゃない?」

「無能、ですか……」

「それに、法律もあってないようなものだし」

 

ポンタを肘置きにしてそんなことを言うかぐやに、成歩堂が眉を顰める。心音も困惑していた。

昔から自分の意見をビジバシ言う人ではあったが、こんなに過激ではなかったはずだ。

 

「どうして警察が無能だと思うんですか?」

「目の前で迷宮入りになった事件を見たらそうも思うでしょ。あんなに警察がいて、証拠もいろいろあったのにね」

「……もしかしてそれは、慶二さんの事件ですか?」

「あら、知ってたの? 情報通じゃない。そう、その事件。それに、彼自身も警察に不信感があったみたいだし」

「慶二さんが、警察に不信感、ですか?」

「ええ。それで事件が起きて、自分が殺された事件が迷宮入りなんだから。警察なんてやめて、わたしの助手になれば良かったのに」

 

頬に手を当てて、かぐやはため息をつく。

 

「法律に関してもそう。序審法廷なんてアホらしい法律が制定されてから、真相のわからない事件ばっかり」

「そう思う、何かきっかけがあったんですか?」

「別に、元々法律なんて興味なかったけど。そういえば、慶二さんが言ってたからかしら」

「え、何て言っていたんですか」

「確か”優秀な検事がいなければ、どれほどの犯人が罪を逃れたのか。優秀な弁護士がいなければ、どれほどの無実の人が罪を被せられたのか。僕には想像がつかない”……だったかしらね。あんまりわたしにはそう言う話をしなかったから、印象に残ってる」

 

かぐやと慶二が親しくしていたのは知っていたが、そんな深い話までしていたのか。心音は穏やかに笑う慶二の顔を思い浮かべる。

あの笑みの下、自分の所属する組織や法律に、思うところがあったのだろうか。

 

「それに、今現場を捜査している刑事も無能そうだし」

「そっ、そんなことは、ないと思いますけど……」

 

バッサリと切り捨てる発言に、つい口を出す。だが、フォローがうまくいかない。何せ、心音も今までの事件でさんざん現場を担当している刑事――番刑事のうっかりを見てきた。

背の高いかぐやが、心音を見下すようにして言う。

 

「あの刑事、わたしたちの指紋を取るときにこいつの指紋まで取ったのよ? ありえないでしょ」

 

こいつ、と言いながらホンタの頭を叩く。やめてくださいー! とポンタが叫んでいた。

どうやらロボットたちも全員指紋を取られているらしい。確かにそれは無駄かもしれない。

 

「で、でも、バン刑事は慶二さんの弟なんですよ!」

「あの刑事が、慶二さんの弟……? そんなわけないでしょ。確かに苗字は同じだけど、それだけの赤の他人よ」

「本当ですよ!」

 

散々な言われようだ。意地になって言い返すが、かぐやは涼しい顔をしている。

そして、心音から成歩堂へとパッと視線を移した。

 

「あ、そうそう。噂で聞いたんだけどさ。明日の法廷って、センター長のじいさんが証人なんでしょ?」

「大河原さんですか? はい、そうですけど……」

「あーあ。かわいそ。気をつけてね。あの人、大嘘つきの大ボラ吹きだから」

「え?」

「立派に見えて、このセンターもなかなか大変でさ。隠し事だらけのお年頃なのよ。ま、せいぜい”優秀な弁護士”になれるように、頑張りなさいよ」

 

結局、かぐやは番刑事を慶二の弟と認めず、別の話になった。だが、その話もなかなか穏やかではない。

大河原センター長が、嘘つきでホラ吹きだと語るかぐやの目は、面白がっているように弧を描いている。

ただ、最後の激励だけは、心音は本心に思えた。

 

「じゃあ、わたしは失礼するわ。行くよ!」

 

ポンタをぶっ叩いて去って行こうとするかぐやを、成歩堂とともに見守る。

なんだかんだと、色々と話してくれたな。そう思っていると、かぐやが心音を睨みつけてくる。

 

「何やってんの。アンタも行くのよ!」

「えっ!」

「真理に会ってないんでしょ」

「そ、そうですけど……」

「ったく、親不孝な娘ね!」

 

腕を掴まれてしまい、そのままずるずると引っ張られる。力づくすぎる!

抵抗できずにそのまま歩き出す。後ろから慌てた様子の成歩堂がついてきた。

 

「な、ナルホドさぁん!」

「うーん……まあ、ちょっとぐらい話していけば……?」

 

助けを求められた成歩堂は、そう言って頭をかいて笑う。残念ながら、心音に味方はいないようであった。

 

 

かぐやに捕まってやってきたのは中央棟五階だった。

そこに、ロボット心理研究室――つまり、心理学の観点からロケット開発に貢献している心音の母、希月真理の研究室があるという。

 

「前って、四階じゃありませんでしたっけ」

「七年前の事件の時に変えたのよ。事件現場になった場所で仕事なんて、集中できないでしょ」

 

確か、慶二が殺されてしまったのは、ロボット研究室――かつて、四階にあった真理の研究室だ。

しかし、おかしな点に心音は思い至る。

 

「でも、昔はロボット研究室で、それってかぐやさんとお母さんの共同研究室でしたよね」

「だから真理だけ移動させたんでしょ」

 

つまり――元は五階の研究室はかぐやと真理の共同研究室だった。それを事件が起こったので、一人だけ分けたというわけだ。

こういう、わかりづらい優しさをかぐやは持っていた。それを理解したのは、心音にとってはここ最近のことなのだが。

だが、優しさを向けるのは、たいてい母である真理に対してだとも思う。心音にとっては、当たりの強い恐い人という印象が強い。

閉じられた扉の奥、大きめの窓からロボット心理研究室の中が見えた。そこには、長らく見ていなかった母の姿がある。

 

「ほら、行きなさいよ」

「一緒に行ってくれないんですか?」

「親子水入らずでしょ。こいつは持っていっていいから、さっさと行きなさいよ」

 

かぐやは心音から手を離し、代わりにポンタを押し付けてきた。

行きましょう! と言ってくるポンタに、心音は覚悟を決めてポンタと共に研究室へ足を向ける。成歩堂も手を振って見送ってくれた。

横に引くタイプの扉に手をかけて、スライドさせる。

目に飛び込んできた部屋は、以前心音が宇宙センターで過ごしていた時と、全く変わりないように見えた。

階数が変わったが、内装はほぼ同じだったようだ。部屋の右側に棚があり、そこに母の趣味の骨董品などが並んでいる。以前と違うのは刀が置かれていないことだろうか。

ロボット用の充電設備があり、そして左側にはロボットの修理や解体を行う手術代のような大きな機械が置かれている。

研究室に入ってきた心音に、中にいた着物を着た人物が顔を向けた。

 

「……心音?」

「う、うん……。ただいま。お母さん……」

 

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