Go! トラブルメーカー!  〜雑草は花園で咲く〜   作:ナッパー

14 / 16
第九話! ブレイクタイム! 春海とお嬢様達ハチャメチャお茶会!

 

 

 風を切る鋭い音が、狭い部屋の中に一定のリズムで響いてくる。

 俺はベッドに寝転がりながら、コンビニで買ってきた少年ジャンプのページをめくった。

 だけどよぉ、内容は頭にこれっぽっちも入ってこねぇ。

 

 「フッ……! シッ……!!」

 

  鋭い呼気と、衣擦れの音。

 そして視界の端でチラチラと動く暑苦しい影。

 

 「だぁー……もう!」

 

 俺はバサッ! と音を立てて雑誌を閉じると、上半身を起こしてベッドの向かい側を睨みつけた。

 

 「おい、テニス馬鹿。……いい加減にしろや」

 

 そこには、テニスウェアと短パン姿で、汗だくになりながらテニスラケットを振り回しているルームメイト藍原ゆうきの姿があった。

 

「あ?」

 

 藍原はラケットを振り切った姿勢のまま、汗を拭いながら俺の方を振り向いた。

 

 「なんだよ春山。今、いいとこだったんだぞ。……イメージの中で全国大会の決勝戦、タイブレークまでもつれ込んだ大事な場面だ」

 

 「知らねぇよそんな妄想……ていうか狭い部屋の中でラケットブンブン振り回すなっつってんだよ。風圧がこっちまで来てうぜぇんだよ」

 

 俺が抗議すると、藍原は信じられないって顔でに眉をひそめた。

 

「素振りは基本だぞ。それに、今日は外が雨でコートが使えないんだ。部屋で基礎トレするしかないだろ」

 

 

 「だったら廊下でやれや廊下で。……せっかくの休日にまったり漫画読んで暇つぶししようと思ってたのによぉ、お前のフッ! だの ハッ! だのがうるさくて集中できねぇんだよ」

 

 俺はジャンプを丸めて、藍原の方へポイと投げた。

 藍原はそれをラケットの面で器用にポンと受け止めると、呆れたようにため息をついた。

 

「お前なぁ……。貴重な時間を漫画なんかで潰してんじゃねぇよ。暇ならお前も筋トレでもしたらどうだ? そんなナマクラな体じゃ、いざって時に動けないぞ?」

 

「余計なお世話だテニス馬鹿! 俺は省エネ主義なの!」

 

 俺はふてくされて再びベッドに倒れ込んだ。

 正直に言うと、こいつとは決定的にノリが合わねぇ。

 熱血、努力、根性。

 俺が一番嫌いな言葉を服着せて歩かせてるような奴だ。

 だが、藍原は俺の嫌味なんて意に介さず、ニカっと笑って言い放ちやがった。

 

 「ま、お前が何と言おうと俺は止めないけどな。……俺の夢は、プロテニスプレイヤーになってグランドスラムを達成することだ。そのためには、一分一秒も無駄にはできねぇんだよ!」

 

 藍原は再び、空気を切り裂く見てぇな素振りを再開しやがった。

 その目は、狭い寮の部屋なんかじゃなくて、遥か遠くの世界を見据えてやがる。

 

「……チッ。勝手にしやがれ」

 

 俺は枕で耳を塞ぎ、壁の方を向いて寝返りを打った。

 夢、夢、夢。

 この学園に来てから何回この言葉を聞いたか……。

 どいつもこいつも自分の夢は……だのなんだのよぉ。

 別に不快じゃねぇが、いい加減胃もたれしてきた。

 

「シュ!……ハッ!」

 

 さっきからビュンビュンビュンビュン……あの風切り音と藍原の暑苦しい息遣いが脳みそに突き刺さってくる。

 ダメだ。

 これじゃ寝るどころかイライラして寿命が縮むわ。

 

 「だぁー! もうやってらんねぇ!」

 

 俺はガバッと布団を跳ね除けて起き上がった。

 目の前では相変わらず自分の世界に入り込んでるテニス馬鹿が、必死でラケットを振ってやがる。

 こいつの集中力はすげぇと思うが、今はただの騒音公害だ。

 

 「おいテニス馬鹿、俺は避難する」

 

 「おう、行ってらっしゃい。……水分補給は忘れんなよ」

 

「誰がテメェの心配するかよ! 俺の心配だよ!」

 

 俺はベッドの横に脱ぎ捨ててあった黒いジャージをひっつかむと、頭から被った。

 この学園の指定ジャージじゃねぇ。

 地元で着てた、安物のジャージだ。

 こっちの方が体に馴染むし、何よりこの窮屈な学園で少しでも反抗してる気分になれる。

 

 「じゃあな。熱中症で倒れても知らねぇぞ」

 

 俺は捨て台詞を残して、逃げるように201号室を飛び出した。

 バタン! とドアを閉めると、ようやくあのビュンビュン音が少し遠のく。

 

 「ふぅ……。休まる場所がねぇってのは地獄だな」

 

 廊下をペタペタと歩く。

 すれ違う男子生徒たちは、みんな休日の私服もお上品で、俺のこの黒ジャージ姿をうわぁ……って目で見てきやがる。

 はん、見せもんじゃねぇぞコラ。

 ガン飛ばしてやると、みんな慌てて目を逸らしやがった。

 平和なこって。

 

「さてと……どこ行っかな」

 

 外は雨。

 中庭のベンチで昼寝ってわけにもいかねぇ。

 となると、行き先は一つしかねぇか。

 俺はポケットに小銭が入ってるのを確かめてから、校舎の方へ向かった。

 目指すは男女共有談話室

 男子寮と女子寮のちょうど真ん中あたりにある、唯一、男女が同じ空間にいられるフリースペースだ。

 あそこなら自販機もあるし、ふかふかのソファもある。

 何よりあのテニス馬鹿の素振り音は聞こえねぇはずだぜ。

 

 「空いてりゃいいけどな……」

 

 大きな欠伸を一つかまして、俺は気だるげに廊下の角を曲がった。

 

 そんな淡い期待は、談話室のドアノブに手をかけた瞬間に粉々に打ち砕かれた。

 

 「キャハハハ! それウケる〜!」

 

 「もう、パフちゃんったら口の周りクリームだらけよ?」

 

 「ロマ! 僕のクッキーを取るなロマ!」

 

 中から聞こえてくるのは、静寂どころか動物園みてぇな騒ぎ声。

 嫌な予感がして、俺はドアの磨りガラスからそっと中を覗き込んだ。

 

「……うげっ」

 

 思わず声が出ちまった。

 広い談話室のど真ん中、一番デカいソファを占領していたのは、見覚えがありすぎる女子集団だった。

 春野はるか、海藤みなみ、天ノ川きらら、紅城トワ、そして七瀬ゆい。

 足元にはパフとアロマ。

 フルメンバー全員集合じゃねぇか。

 テーブルの上にはお菓子だの紅茶だのが広げられてて、まさに優雅な女子会……いや、魔女集会か?

 どっちにしろ俺みたいな黒ジャージの男が足を踏み入れていい空間じゃねぇ。

 

「……なんでピンポイントでいんだよ、あの騒がしい連中が」

 

 俺はチッ、と舌打ちをした。

 よりによって、今一番関わりたくねぇ……いや、関わったら絶対に面倒なことになる連中だ。

 あいつらに見つかれば、俺のゆっくり安眠計画がおじゃんになる

 はるみん! だの春海くん! だのって絡まれて、おもちゃにされるのがオチだ。

 

 「……帰ろ」

 

 俺は瞬時に回れ右をした。

 ジャージの襟をグイッと引き上げて顔を半分隠し、背中を丸める。

 俺は空気だ。

 ただの通りすがりの、善良なジャージだ。

 気配を消せ……俺は忍者……白金のばあちゃんばりの忍者になるんだ……。

 俺は息を殺して、その場から忍び足で立ち去ろうとした。

 

 「クンカクンカ……」

 

 ドアの隙間から、掃除機みてぇに空気を吸い込む音がする。

 やべぇ……! あのモップ犬か!

 俺の体から漂うジャージの匂いを嗅ぎつけやがったな!?

 

 「この匂いは……誰かいるパフ!」

 

 パフの素っ頓狂な声が響く。

 

 「え? 誰かいるのパフちゃん?」

 

 「廊下パフ! ドアの目の前に誰かいるパフ!」

 

 おいおい嘘だろ警察犬かよてめぇは! 無駄に高性能な嗅覚してんじゃねぇよ!

 バレた。完全にバレた。

 こうなったらダッシュで逃げるしかねぇ!

 俺が足に力を入れて、床を蹴ろうとしたその瞬間だ。

 ガララッと勢いよくドアが開け放たれた。

 眩しい光と共に、元気すぎる声が鼓膜を直撃する。

 

 「ごきげんようー!!」

 

 そこには、朝ドラヒロインみてぇに満面の笑みを浮かべた春野はるかが立っていた。

 クソ、なんで今一番会いたくねぇ奴が目の前にたってやがるんだよ。

 

「あ! 春海くん!?」

 

 はるかが目を丸くして、俺の顔と、不審者全開のジャージ姿を交互に見やがった。

 ちっ、万事休すかよ。

 

 「……人違いです」

 

 俺は低い声で即答すると、くるりと回れ右をして立ち去ろうとした。

 だが、そんな子供騙しが通じる相手じゃねぇ。

 

 「やっぱり春海パフ! このちょっとしょっぱい匂いは間違いなく春海パフ!」

 

 足元から飛び出してきたパフが、俺のジャージの裾にガシッとしがみついてきやがる……。

 あと誰がしょっぱい匂いだ殺すぞ!

 

 「あーあ、見つかっちゃったね、はるみん」

 

 奥のソファから、きららがニシシと意地悪く笑いながら手招きしてやがる。

 

 「そんなコソコソしちゃってさ。……もしかして、あたしたちの優雅なティータイムに混ぜてほしかったの?」

 

 「んなわけあるか! 俺はただ、通りすがりの……」

 

 「あら、春海。奇遇ね」

 

 俺の言い訳を遮って、みなみが優雅にティーカップを置いた。

 その顔は、慈愛に満ちているようでいて、逃がさないという生徒会長の圧が混じってやがる。

 

「せっかく会えたのだもの。立ち話もなんだし中へいらっしゃい」

 

 「ええ、そうですわ。春海もご一緒にいかが?」

 

 トワまで目を輝かせて、自分の隣のスペースをポンポンと叩いてきやがる。

 

 「わたくし、春海のその真っ黒な装束……とても興味がありますわ。まるで闇に潜む忍者のようですもの」

 

 「ただのジャージだよ! ドンキで980円だ!」

 

 俺がツッコミを入れると、ゆいが慌てて新しいティーカップを用意し始めた。

 

 「あ、春海くん! ちょうどよかった! はるかちゃんと一緒にクッキー焼いてきたんだけど、作りすぎちゃって困ってたんだ。よかったら食べてくれないかな?」

 

 「ほらほら、ゆいゆいがこう言ってるんだから。遠慮なんてしないの」

 

 きららが援護射撃とばかりに煽ってくる。

 はるかも俺の腕をグイッと掴んで、強引に部屋の中へと引っ張り込もうとしやがる。

 

 「ささっ、どうぞどうぞ! 外は寒いでしょ? 温かい紅茶もあるよ!」

 

 

 「お、おい! 引っ張んな馬鹿力! 俺は静かに寝たいだけなんだよぉぉ!」

 

 俺の抵抗も虚しく、ズルズルと談話室の中へ引きずり込まれていく。

 パタン、と無情にもドアが閉まる音がした。

 ……やっちゃった。

 俺の安眠計画、ここに散る。

 

「さぁ、座って座って!」

 

 はるかに肩を押さえつけられ、俺は一番デカいソファの空いてるスペースに強制的に着席させられた。

 右にはトワ、左にはみなみ、正面にはきららとはるか。

 まさに四面楚歌。

 逃げ場なしだ。

 

 「へいへい……。どうせ逃げられねぇんだろ」

 

 俺は諦めて、背もたれにドカッと体重を預けた。

 ジャージのポケットに片手を突っ込み、両足は行儀悪く大股開き。

 どっからどう見ても、コンビニの前でたむろしてるヤンキーの座り方だ。

 この空間の優雅さを、俺という異物が全力で汚染してやってる気分だぜ。

 

 「チッチッチ! お行儀がなってないロマ!」

 

 すかさず、テーブルの上にいたアロマが翼を振って抗議してきやがった。

 

 「プリンセスたちの御前だロマ! もっと背筋を伸ばして、足を閉じるロマ! これだから春海は……」

 

 「うっせぇ焼き鳥。俺は客じゃなくて被害者だっての」

 

 俺がアロマをデコピンで追い払おうとすると、正面できららがニシシと笑った。

 

 「あはは、相変わらず態度デカいねーはるみんは。トワっちとかみなみんの前でもその態度崩さないんだから、ある意味大物だよ」

 

 「誰が大物だ。……つーか、そのあだ名で呼ぶのやめろ」

 

 「えー? 可愛いじゃん。ね、トワっち?」

 

 「ええ。親しみが持ててよろしくてよ?」

 

 トワまでニコニコしてやがる。

 完全にペースを持っていかれてるな……。

 俺がため息をついていると、ゆいが湯気の立つティーカップを乗せたソーサーを俺の前に置いた。

 

「はい、どうぞ春海くん。熱いから気をつけてね」

 

 「おう、サンキュなゆいゆい……って、おい! 俺までその呼び方うつりそうになってんじゃねぇか!」

 

 きららのペースに巻き込まれて変な呼び方になりかけた自分に舌打ちをする。

 目の前からは、甘いクッキーの匂いと、上品な紅茶の香りが漂ってくる。

 

 「……チッ。いただきます」

 

 俺はふてくされた顔のまま、片手をポケットから出してティーカップに伸ばした。

 だらしない格好、行儀の悪い足、不機嫌な表情。

 そのままで、カップの取っ手を掴もうとした、その瞬間だ。

 俺の右手の人差し指と親指が、吸い付くように優雅な曲線を描いて取っ手をつまんだ。

 小指は決して立てねぇで、かといって力みすぎねぇで自然なカーブを描いて添えられる。

 左手は音もなくソーサーを支えて、脇は軽く締められて背筋がほんの数ミリだけ無意識に伸びる。

 その所作は、まるで王宮の晩餐会に出ても恥ずかしくねぇほど、完璧で洗練された紳士の動きだった。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 場が静まり返る。

 俺の指先から繰り出された、場違いすぎるほど美しいティーカップの持ち方に、全員の視線が釘付けになった。

 「ロ……ロマ……!?」

 

 一番驚いたのはアロマだった。

 インコの目が飛び出るんじゃないかってくらい見開いている。

 

 「完璧な……フィンガー・ポジションだロマ!? 角度、力加減、肘の位置……ロイヤルフェアリーの僕から見ても、非の打ち所がないロマ!」

 

 「あら」

 

 みなみが目を丸くする。

 

 「すごいですわ春海! 完璧なマナーです!」

 

  トワが感嘆の声を上げる。

 

 「……っ!?」

 

 俺はハッとして、持っていたカップの中の紅茶が波打つのを見つめた。

 な、なんだ今の動きは!?

 俺の意志じゃねぇ! 勝手に体が反応しやがった!

 一体どこでこんなこと……あ。

 脳みそに蘇るのは、あのシャム猫の妖……ミス・シャムールによる地獄のレッスンだ。

 

 ――――ノンノン! 指先が美しくなくてよ!

 

 ――――もっと優雅に! エレガントに!

 

 あのスパルタ教育が、俺の体に紅茶=エレガントに飲むべしって条件反射を植え付けやがったんだ。

 ヤンキー座りしながら、手元だけ貴族。

 今の俺は最高にマヌケで、最高に気持ち悪ぃキメラ状態だぜ。

 

 「くっ……!」

 

 俺は震える手で優雅に持ったままの紅茶を口に運んだ。

 味? んなもんわかんねぇよ。

 ただ口の中に広がる渋みがあのレッスンの辛さを思い出させるだけだ。

 

 「……もう紅茶は見たくねぇ」

 

 俺はカップの縁に口をつけたまま、死んだ魚のような目でボソリと呟いた。

 

「えっ、すごいよ春海くん! 今の所作、すごく自然で……まるで本物のプリンスみたいだった!」

 

 はるかが目をキラキラさせて、身を乗り出してきやがる。

 その純粋な眼差しは今の俺には痛てぇよ。

 

「やるじゃんはるみん! 今の所作、すっごく綺麗!」

 

 きららも目をキラキラさせてと笑う……だけじゃなく、なぜか嬉しそうに何度も頷いてやがる。

 

 「見た目はワイルドなのに、指先は超エレガント……。そのギャップ、モデルのあたしから見てもかなりアリだよ。うん、ポイント高い!」

 

 「ポイントとか知らねぇよ……。こりゃ全部ニャンコ先生の仕業だ」

 

 俺は勢いよくカチャンと音を立ててソーサーにカップを戻した。

 

 「あのクソ猫、夢の中まで出てきて姿勢矯正しやがってよぉ……。おかげで俺の体は紅茶を見ると勝手に反応するパブロフの犬ってやつになっちまったんだ」

 

 「パブロフ……ふふ、春海らしい例えね」

 

 みなみが口元に手を当てて笑う。

 

「笑い事じゃねぇよ。……俺にはこんなお上品な持ち方は合わねぇんだよ」

 

  俺は首をコキリと鳴らすと、改めてティーカップを睨みつけた。

 そうだ、俺は春山春海。

 ドンキのジャージ着て、地べたを這いずり回る男だ。

 永遠のワルだ。

 紅茶だろうが何だろうが、ジョッキでビールみたいにガシッと掴むのがお似合いなんだよ!

 

 「見とけよテメェら……これがお似合いの飲み方じゃ!」

 

 俺は意識して、指をワシの爪みたいに広げた。

 ガシッと、野蛮に、男らしく。

 カップ全体を上から鷲掴みにしてやる!

 

 「ふんすっ!」

 

 気合を入れて右手を伸ばす。

 だがカップに触れる直前……。

 

 「あ?」

 

 俺の指が、勝手に空中で軌道修正しやがった。

 鷲掴みにしようとした親指と人差し指が、磁石に吸い寄せられるみてぇに取っ手へと滑り込んで、残りの指が優雅に添えられる。

 結果、持ち上がったカップは、さっきよりもさらに完璧な角度で、俺の口元へ運ばれてきた。

 

「ど! どうしてだよオオォッ!!」

 

 俺は情けねぇ悲鳴を上げた。

 戻らねぇ。

 戻らねぇどころか、意識すればするほど、体が正解の動きをなぞりやがる!

 

 「あはは! すごいすごい! 体が美しさを覚えちゃってるんだね!」

 

 きららが手を叩いて大喜びしている。

 

 「いいよはるみんその持ち方! 無理して強がるより、そっちの方が断然スマートでカッコいいじゃん! ふふっ、あたしはそっちの方が好きかも!」

 

 「す、すごいですわ……。無意識の領域までマナーが浸透しているなんて……やはり春海にはプリンスの才能がありますのね」

 

 トワまで感心したように頷きやがる。

 ちげぇ! これは才能じゃなくて呪いだ!

 

 「くそっ……! ガシッと! 俺はガシッと持ちてぇんだよ!」

 

  何回やっても、指先が勝手にエレガントになる。

 きららたちの称賛の視線が、針みてぇに突き刺ささった。

 

「呪いだ……これはあのクソ猫の呪いなんだよぉぉ……!」

 

 俺は完璧に美しい所作で紅茶を飲み干しながら、心の中で血の涙を流した。

 賑やかな笑い声に包まれた談話室で、俺だけが一人、エレガントという名前の牢獄に囚われちまっていた。

 

「だぁーもう! やってらんねぇ」

 結局、口の中に残るほろ苦い後味に耐えきれなくなった俺は、談話室の隅にある自販機へ直行した。

 小銭を投入し、ボタンを連打して、ガコン! と落ちてきた赤いラベルのペットボトルコーラをひっつかんで、ソファに戻る。

 

 「プハァー……ッ!!」

 

 ここれだよこれ!

 このシュワシュワと甘ったるいジャンキーな味……

 俺の体には、この体に悪そうな黒い液体がお似合いなんだよ。

 俺は紅茶の残ったティーカップをテーブルの隅に追いやり、コーラを片手にふんぞり返った。

「ちょっと春海、紅茶のあとにコーラだなんて……お腹を壊すわよ?」

 

 みなみが呆れたように苦笑する。

 

 「うるせぇ。これは口直し……いや、俺のアイデンティティを取り戻す儀式だ」

 

  俺が炭酸のゲップを押しとどめると、みなみはふと表情を柔らかくして、俺の顔を覗き込んだ。

 

 「それで? どうなの、春海」

 

 「あ?」

 

 「こちらの生活には……ノーブル学園には、もう慣れた?」

 

 生徒会長としての顔と、友人としての顔が入り混じった問いかけだ。

 俺はコーラのボトルを投げてキャッチしながら、天井を見上げた。

 

「んー……まぁ、生活にゃ多少は慣れたよ。飯は美味ぇし、ベッドもふかふかだしな。……同室のテニス馬鹿がうるせぇのを除けば、環境は悪くねぇ」

 

 そこは認めざるを得ねぇ。

 前の荒れた生活に比べりゃ、ここは天国みたいなもんだ。

 

「でも?」

 

 みなみが先を促す。

 なんだよ、やっぱりこいつにはお見通しか。

 

 「……勉強だよ、勉強。アレには一生慣れる気がしねぇ」

 

  俺はガシガシと頭を掻いた。

 

 「進度が速ぇんだよ、この学校! 先生の言ってることも呪文みてぇだし、教科書開いた瞬間に脳みそがシャットダウンしやがる。ただでさえ勉強大嫌いなのに……追試とかあったらマジで終わるぞ、俺」

 

 「ふふ、それならまた私たちが教えてあげるわよ? いつでも頼ってちょうだい」

 

 「……お手柔らかに頼むわ」

 

 俺はため息をつき、そしてさらに顔をしかめた。

 勉強に関してはみなみパイセンにはずっと頼りっぱなしなんだよな。

 放課後、生徒会の活動? の合間を縫って色々教えてくれるお陰で何とかついていけてるって感じだぜ。

 めっちゃ厳しいけど。

 

 「あはは、だよねー。こないだの数学の時間もひどかったもんね」

 

 同じクラスのきららが、ニシシと笑いながら暴露し始めやがった。

 

「はるみんってば、教科書開いて3分で机に突っ伏してちゃってたし。先生に当てられても寝ぼけて、あぁん? とか言っちゃうし。ある意味才能だよ、その肝の座り方は」

 

 「ええ。黒板を見つめる目は、完全に虚空を彷徨っておりましたわね」

 

 トワまで紅茶を優雅にすすりながら頷いてやがる。

 

 「ゼツボーグ相手にはあんなに勇敢に立ち向かうというのに、文字や数字にはからっきし……。あなたの精神というのは、実に不可解なものですわ。」

 

 「ええっ? そうなの? 春海くん、普段はあんなにキリッとしてるのに……」

 

 別クラスだからか、俺の授業態度を知らねぇはるかが、意外そうに目を丸くする。

 くそ、きららの野郎、余計なことをベラベラと……!

 

 「うっせ! あんなごちゃごちゃした数字見てたら、誰だって眠くなんだろ!」

 

 俺が抗議して、ふてくされたみてぇにコーラのボトルを揺らしていると、それまでニコニコ話を聞いていたゆいが、ぽつりと口を開いた。

 

「でも……私は、春海くん偉いと思うな」

 

 「あ?」

 

 ゆいは手元のスケッチブックを抱きしめながら、真っ直ぐな目で俺を見た。

 

「だって春海くん、どんなに嫌いだとか面倒くせぇとか文句言いながらも……みなみさんの補習、一度もサボってないでしょ?」

 

「だ……っ!」

 

 図星を突かれて、俺は言葉に詰まっちまった。

 

 「放課後も、生徒会室でみなみさんにしごかれてるの、私見たよ。……なんだかんだ言って、春海くんは投げ出さないもん。すごく真面目だなって、私、尊敬してるんだ」

 

 「~~っ! てめぇ! か、勘違いすんな!」

 

  俺は慌てて顔を背けた。

 顔が熱ぃ。

 こりゃコーラの炭酸のせいだろ、うん、絶対そうだ。

 

 「俺はただ……えっとぉ、その……、みなみパイセンの目が怖ぇから付き合ってやってるだけだ! サボったら殺されそうだしな!」

 

 「あら人聞きの悪い。私はただ、熱心に指導しているだけよ?」

 

 みなみが涼しい顔で紅茶をすする。

 嘘つけ。

 あの笑顔の裏にあるサボったら承知しないわよオーラは、ゼツボーグなんかより数倍怖ぇんだよ。

 

「それにだ! もうすぐ……定期考査とかいうクソ面倒なイベントがあるんだろ?」

 

 俺は指折り数えて、忌々しそうに言った。

 

「そこで赤点なんか取ってみろ……。ただでさえ世話になってる村瀬のおっちゃんに、こっちも高い学費立て替えてやってんのに何だこのザマは! ってボコられるのがオチだぜ! 俺はな、自分の身を守るために仕方なくやってんだよ!」

 

 「ふふっ、やっぱり春海くんはツンデレだね」

 

 ゆいが楽しそうに笑う。

 ……チッ。

 調子狂うぜ、まったく。

 

 「あ、そういえば……」

 

 ゆいのツンデレ認定に俺が顔をしかめてると、はるかがふと思い出したように手をポンと叩いた。

 

 「さっき春海くん言ってたよね? 同室のテニス馬鹿って」

 

 「あ? ああ……藍原のことか」

 

 俺が気だるげに頷くと、はるかはやっぱり! って感じで目を丸くした。

 

 「それって、藍原ゆうきくんでしょ? 春海くんのルームメイト」

 

「おう、そうだけど……。なんだはるか、あいつのこと知ってんのか?」

 

 俺がコーラのボトルをテーブルに置きながら聞くと、はるかは少し複雑そうな、でもどっか懐かしむような苦笑いを浮かべた。

 

「知ってるも何も……幼稚園の時、同じ組だったの」

 

 「へぇ、幼馴染ってやつか」

 

 「うん。……でも、あんまりいい思い出じゃなかったかなぁ。昔のゆうきくん、いじわるだったんだもん」

 

 はるかは指先で頬をかきながら、遠い目をした。

 

 「私がプリンセスになりたいって言ったら、お前がプリンセスになれるわけないだろって凄くいじめてきて……。私の夢をバカにする、天敵みたいな男の子だったんだよ」

 

 「へぇー……そりゃあいつらしいな」

 

 俺は鼻を鳴らした。

 あの直情的な性格だ。

 ガキの頃から遠慮なしに人の痛いとこ突いてたんだろうぜ。

 

「それに、この間の球技大会でもね……私、テニスなんてやったことなくて、ラケットの握り方もわからないようなど素人だったから、ゆうきくんに散々へたくそって呆れられちゃって」

 

「あー……なんか目に浮かぶわ」

 

 「でも、それがすっごく悔しくて!」

 

 はるかがその時の感情を思い出したのか、拳をぎゅっと握りしめて熱く語り出しやがった。

 

「お前には無理だって言われたまま終わるなんて、絶対嫌だったの。だから私、絶対に見返してやるって思って……ミス・シャムールにお願いして、テニスの特訓をしてもらったの!」

 

 「げぇっ……」

 

 俺は思わず顔をしかめた。

 あのスパルタクソ猫に? 自分から教えを請うだぁ?

 マゾなんかこいつは。

 

 「ていうかあの猫、テニスまで教えんのかよ……」

 

 「うん! すっごく厳しかったけど愛のあるレッスンだったよ! それに、みなみさんときららちゃんにも付き合ってもらって、放課後みんなで猛特訓したんだよ!」

 

「ええ。懐かしいわね。はるか、本当に飲み込みが早くて驚いたわ」

 

 みなみが目を細めて微笑む。

 

 「ま、あたしのサーブのおかげでもあるけどねー。あの時はハルハルも必死だったし、あたしたちも負けてらんないなって思えたし」

 

 きららも楽しそうに当時の事を振り返ってる。

 三人で汗水垂らして、一つの目標に向かって努力した思い出か……多分こいつらの連携が息ぴったしなのも、根っこの部分でその絆の強さ的な何かが関係してんのかもな。

 

「……で? 結局、その地獄の猛特訓の成果はどうだったんだよ、まさか空振りして終わりましたなんてオチじゃねぇだろうな。」

 

 俺はコーラを煽りながら、話を先へ促した。

 

「えへへ、それがね……バッチリだったんだよ!」

 

 はるかは嬉しそうにVサインを作りやがった。

 

「最初のサーブ、自分でもびっくりするくらい綺麗に決まってね、サービスエース取れたの! ゆうきくんもポカーンとしてて、私のこと見直したって顔してて……! あの瞬間は本当に、やった! って思ったなぁ」

 

 「へぇ、やるじゃねぇか。あの猫の指導は伊達じゃねぇってことだな」

 

 俺が素直に感心すると、はるかは急に肩を落としてでもね……と声を曇らせた。

 

「試合はそこまでだったの」

 

 「あ? なんでだよ」

 

 「……出ちゃったんだよ。ゼツボーグが」

 

 「うわぁ……でたー!」

 

 俺はソファーに思いっきり深くもたれかかって、天を仰いだ。

 なんちゅうタイミングの悪さだよ。

 せっかくの晴れ舞台を台無しにされるとか、同情してもしきれねぇ。

 

「いきなりコートの真ん中にシャットが現れて……」

 

 「あー、そのテニス馬鹿が狙われたってわけね」

 

 「うん。……ゆうきくんね、シャットが出てきた時、逃げるどころか食ってかかったんだよ。俺はテニスを邪魔されるのが一番嫌いなんだよ!って」

 

「はぁ? いや、あいつバカか? ……いや、バカだったわ」

 

 俺は呆れて口を開けた。

 相手は変な魔法使う変質者だぞ? ラケット一本で勝てる相手じゃねぇだろ。

 まぁ俺も同じような事はやったけどな。

 

 「それで……そのままシャットに突っかかっていって、絶望の檻に閉じ込められちゃって……そのままゼツボーグにされちゃったんだ」

 

「…………おいおい」

 

 俺は奥歯をギリッと噛み締めた。

 マジでクソだなあの化粧野郎。

 人の大事な勝負に水差すとか、一番やっちゃいけねぇことだろ。

 喧嘩の作法も知らなきゃ空気も読めてねぇ。

 顔だけじゃなくて根性まで腐ってやがる。

 ナルシストでストーカーで性格ブサイクとか、救いようがねぇなオイ。

 あいつ、次に会ったらマジで顔面の形が変わるまでぶん殴ってやろ。

 

「あの時は本当に大変だったよね……。正直、あたしたちもまだ連携とか未熟だったし」

 

 きららが、やれやれって感じで肩をすくめてる。

 

「ええ。それに生徒たちを避難させながらの戦闘だったから、精神的にも消耗したわ」

 

 みなみも紅茶のカップを見つめながら、当時の苦労を思い出してるみてぇだ。

 

「うん、私も見てるだけで怖かったよ……」

 

 膝の上でパフの毛の手入れをしてるゆいも、当時の事を思い出すように答えた。

 

「…………」

 

 はるかが当時の苦労話に花を咲かせる中、トワだけは会話に入ってこねぇで、ずっと俯いていた。

 カップを持つ手が、ほんの少しだけ震えてる気がする。

 顔色もわりぃ。

 まるで自分のことみたいに痛ましそうな顔をしてやがる。

 

「おいおいどうしたん? トワちゃん」

 

 俺が声をかけると、トワはハッとして顔を上げたが、すぐにまた視線を落とした。

 

 「……いえ。ただ……申し訳なくて」

 

 トワの声は、消え入りそうに細かった。

 その拳が、膝の上でギュッと握りしめられる。

 

「あの頃のわたくしは……絶望のプリンセスとして、ディスダークに君臨していました。。シャットの暴挙も……元を正せば、わたくしという存在があったからこそ……」

 

 「絶望の……プリンセスだぁ?」

 

 俺は眉をひそめた。

 何言ってんだこいつ? シャットが暴れたのはあいつの性格がクソだからだろ?

 なんでこのお姫様が、自分が悪いみてぇな顔してんだよ。

 

「……そうですわ。記憶を操られていたとはいえ、わたくしは彼らを従え、あまつさえはるか達を……プリキュアを亡き者にしようとしていた。……その罪は、決して消えない」

 

 トワは唇を噛み締めて、申し訳なさそうな表情で震えてる。

 その姿からは、いつもの天然で優雅な余裕なんて微塵も感じられねぇ。

 まるで、私は過去に人をぶっ殺しましたってな感じで、刑務所から出てきたばっかの奴見てぇな顔してんぜ。

 

「おいおい……」

 

 俺はポリポリと頬をかいた。

 詳しいことは知らねぇが、こいつが途中から転入してきたってのは前にクラスの奴から聞いた事はあった。

 それに、あのゲーセンの帰り……公園でシャットとやり合った時のことを思い出した。

 

「あー……そういや、こないだゲーセンの帰りにシャットとやり合った時も、あいつなんか言ってたな」

 

 俺は天井を見上げて、記憶の糸を手繰り寄せる。

 確かあのクソピエロ野郎、トワに向かって未練がましく叫んでたっけか。

 なんかすごいおしゃれな横文字だったことは覚えてんだけど。

 

 「えっと、確か……トイレット様……だか、ヘッドライト様だか……そんな名前で呼んでたような気がすっけど」

 

「……トワイライトだよ」

 

 俺の適当な発言を訂正したのは、はるかだった。

 いつもの元気な声じゃねぇ。静かで、真剣なトーンだ。

 

 「トイレットでも、ヘッドライトでもない。……トワイライト……それがあの時のトワちゃんの名前」

 

 「……そうですわ」

 

 トワが、か細い声で肯定する。

 怒りもしねぇ。ただ、その名前が出ただけで、古傷を抉られたみたいに肩を震わせてやがる。

 

 「その名前は……わたくしの罪そのもの。消そうとしても消えない、永遠の烙印……」

 

 「トワちゃん……」

 

 はるかは悲痛な顔でトワを見つめると、その震える手を両手でそっと包み込んだ。

 

 「もう、自分を責めないで。……あの時のことは、全部ディスピアの仕業だよ。トワちゃんも被害者なんだもん」

 

 「ですが……!」

 

 「過去は変えられないわ」

 

 みなみが静かに、けれど力強く言葉を紡ぐ。

「でも、変えられない過去を悔やむより……今のあなたがどう生きるかの方が、ずっと大切よ。今のあなたは紅城トワとして、そしてキュアスカーレットとして……誰よりも気高く、私たちの仲間として戦っているじゃない」

 

 「んー、そゆこと。ぶっちゃけ昔のことなんて関係ないし」

 

 きららが、トワの隣でポツリと言った。

 軽い口調だけど、その目は真っ直ぐにトワを見てる。

 

 「あたしが知ってるトワっちはちょっと抜けてて、でも誰よりも頑張り屋さんな今のトワっちだけ。……それ以外はノーカウントってことで、いいじゃん?」

 

 「みんな……」

 

  トワの瞳に涙が滲み始める。

 そこへ、ゆいの膝にのってたパフと机に乗っていたアロマが心配そうにすり寄っていった。

 

 「そうですロマ。トワ様は……僕達の希望ですロマ」

 

 アロマがトワの膝に翼を置き、真っ直ぐに見上げる。

 

 「過去に何があったとしても……トワ様はホープキングダムの、僕達の誇り高きプリンセスですロマ! それは絶対に変わりませんロマ!」

 

 「トワ様はとっても優しいパフ。……パフは、今のトワ様が大好きパフ!」

 

 パフもトワの服の裾に顔を埋めて、精一杯の敬愛を伝えている。

 妖精たちの小さな体から伝わる温もりに、トワの瞳からついに雫がこぼれ落ちた。

 

 「パフ……アロマ……」

 

 トワは二人を抱きしめると、濡れた瞳で、けれどどっか憑き物が落ちたような顔で微笑んだ。

 

 「……ありがとうございます。皆様の温かいお言葉……わたくしの胸に、深く沁みますわ」

 

 その光景を見て、俺はまたコーラを一口飲んだ。

 気まず……完全に蚊帳の外やんこれ。

 俺もなんか喋った方がいいんかな。

 いや、でもこういうしんみりした雰囲気嫌いなんだよなぁ俺。

 背中がゾワゾワしてくらぁ。

 俺は心の中で毒づくと、一気にコーラを飲み干して、空になったペットボトルをテーブルにコンッと少し乱暴に置いた。

 このままじゃ、全員で涙の海に沈没しちまうぜ。

 そんなの御免だ。俺は湿っぽいのは嫌いなんだよ。

 

 「ま、なんだ」

 

 俺は頭をガシガシと掻きながら、わざとらしく明るい声を出した。

 

 「俺は、その昔のこととか? トワイライト様だかトイレット様だか知らねぇけどよ」

 

 「……っ」

 

 トワがハッとして顔を上げる。

 俺はあえてトワの目を見ねぇで、明後日の方向を見ながら鼻を鳴らした。

 

 「俺が知ってんのは、この間ゲーセンで太鼓の達人の筐体ぶっ壊しそうになった、馬鹿力の天然王女様だけだぜ?」

 

 「えっ……?」

 

 トワがキョトンとして目を丸くする。

 

 「あの時の太鼓の音、マジで凄かったからな。……あんなパワフルな演奏かませる奴が、いつまでもウジウジしてんじゃねぇよ。似合わねぇぞ」

 

 俺はニッと意地悪く笑って見せる。

 まぁ半分は本音で、半分は照れ隠しのジョークだ。

 過去がどうとか、罪がどうとか、俺にとっちゃ知ったこっちゃねぇしどうでも良い。

 俺が見てきたのは、初めてのゲーセンに目を輝かせて、全力でバチを振るっていたあの姿だけだ。

 

「……ふっ、ふふっ」

 

 俺の言葉に、トワが堪えきれないように吹き出した。

 

 「馬鹿力……天然……。ふふ、春海、貴方という人は……」

 

 トワは涙を指先で拭うと、さっきまでの悲壮感なんて嘘みてぇに、晴れやかな笑顔を俺に向けた。

 

「それに俺の周りにゃ、多分お前よりやばい奴なんてたんまりいるしよ」

 

 「えっ……や、ヤバい奴って……?」

 

 はるかが少し引きつった笑顔で聞き返してくる。

 まぁお嬢様学校育ちのこいつらにゃ想像もつかねぇだろうな。

 俺は指折り数えて、地元の先輩たちの武勇伝……いや、恥さらしな面白犯罪歴を語ってやった。

 

 「例えばよぉ、同じ中学の先輩だった奴なんだけどな。入った定食屋の飯が出てくるのが遅ぇってだけでキレてよ。次の日店ん中に火点いた爆竹とロケット花火ぶち込んで、店主の爺さん婆さん病院送りにした馬鹿とか」

 

「ひぃっ……!?」

 

 はるかが口元を押さえて青ざめる。

 だが、まだ序の口だ。

 

 「あとは、高校生のくせにヤクザのパシリやってた先輩とかな。オレオレ詐欺やらクレカ詐欺で、ボケた婆ちゃん騙して小遣い稼ぎまくってよ。結局警察にパクられて少年院行きになった奴もいたな」

 

 「しょ、少年院……」

 

 みなみときらら、そしてゆいが絶句して顔を見合わせる。

 その単語、この学園じゃまず聞かねぇもんな。

 

 「極めつけは、近所の暴走族の総長やってた先輩だな。最近ニュースでも話題になってる闇バイトってやつに応募してよ。仲間と一緒に白昼堂々、地元の宝石店に強盗に入って捕まったんだわ」

 

 俺はそこで、思い出し笑いがこみ上げてきた。

 

 「覆面被ってバール持ってガラス叩き割ってよぉ……。いっぱしの強盗気取ってたけど、速攻で警官に囲まれてやんの。パトカーに乗せられる時なんて、母ちゃーん! 助けてくれー! って鼻水垂らして泣き叫んでてさぁ!」

 

「…………」

 

 全員、言葉を失って石像みてぇに固まってやがる。

 トワに至っては、口をポカンと開けて瞬きすら忘れている。

 そりゃそうだ。

 夢を絶望に変えるとかいうファンタジーな悪の組織の話より、生々しいリアルな犯罪者の話の方が、ある想像できて意味キツいもんな。

 だが、俺は腹を抱えてテーブルをバンバン叩いた。

 

 「ギャハハハハ!! ありゃマジで傑作だったわ! まさにリアル警察24時だぜ!? あんなマヌケなショー、金払ってでも見れねぇよ! いやー、見てる分にはクソ面白かったなぁ!!」

 

 ひとしきり爆笑した後、俺は涙を拭いながら、ドン引きしているトワに向き直ってニヤリと笑った。

 

 「どうよトワちゃん?! 金とか快楽のため罪のない人様傷つけて、最後は無様に捕まって人生棒に振る救いようのねぇ馬鹿どもだ。……それに比べりゃあ、洗脳されて操られてただけのお前なんて、可愛いもんだろ?」

 

 俺は悪びれもせずに言い放った。

 

「少なくとも、お前の言う罪とか何とかってのは正直よく分かんねぇしどうでもいい……むしろ地元の先輩の方がよっぽどタチが悪ぃし、ダサかったぜ。自分の意志で悪さして、最後はマヌケに泣き喚くんだからな」

 

 俺はそこまで言って、再びニカっと笑ってやった。

 そうだ、こんなマジのヤバいエピソードに比べりゃ、誇り高きお姫様の苦悩なんて、眩しすぎて目が眩むってての。

 

「ねぇねぇゆい……」

 

 しばらく場がシーンと静まり返る中、ゆいの膝の上で首を傾げてたパフが、無邪気な目で口を開いた。

 

「あ?」

 

 「さっき春海が言ってたショーネンイン……?って、どんなところパフ? 遊園地みたいに楽しいところパフ?」

 

 「ぶっ……!!」

 

 俺が吹き出しそうになった瞬間、ゆいの顔色がサァーッと青ざめた。

 

 「ひぃっ!? だ、ダメだよパフちゃん!!」

 

 ゆいは慌ててパフの両耳を塞ぐように抱きしめた。

 その顔は、見てはいけないものを見せてしまった保護者のみてぇに引きつってやがる。

 

 「そ、それは……えっと……パフちゃんは一生知らなくていいことなの! ねっ!? 分かった!?」

 

 「パ、パフぅ……?」

 

 ゆいの必死の形相に、パフは訳も分からず目を回してやがった。

 

「に……人間界にはディスダークと同じくらい恐ろしい奴がいるロマ……」

 

 俺のエピソードに、アロマの奴もガタガタ身震いしてやがった。

 ま、温室育ちの妖精にゃあやっぱ刺激が強すぎたか。

 俺が少しやりすぎたかと反省しかけた時だ。

 

「……春海」

 

 凛とした声が響いた。

 顔を上げると、トワが俺を真っ直ぐに見つめていた。

 さっきまでの迷いや、自分を責めるような弱々しい色はもうねぇ。

 

 「ありがとうございます」

 

 「……あ?」

 

 トワは椅子から勢いよくに立ち上がると、俺に向かって深々と頭を下げた。

 

 「貴方の話……正直、あまりに野蛮で驚きましたけれど。……でも、おかげで目が覚めましたわ」

 

 顔を上げたトワは、憑き物が落ちたみてぇに晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 

「貴方の言う通りですわね。過ぎ去った過去の影に怯え、ウジウジと悩むなど……今のわたくしには似合いませんわ」

 

 トワは胸に手を当て、自分自身に言い聞かせるように、力強く宣言した。

 

 「わたくしはもう……トワイライトではありませんもの」

 

 その言葉には、確かな自信とプライドが宿っていた。

 過去の罪を否定してるわけじゃねぇ。

 背負った上で、前を向く覚悟をしてやがる。

 

 「わたくしは……プリンセス・ホープ・ディライト・トワ! 誇り高きホープキングダムの王女にして、キュアスカーレット……皆様の仲間ですわ!」

 

「おう! その意気だト……今なんつった?!」

 

 俺は思わず聞き返しちまった。

 あまりにもサラッと言いやがったけど、今こいつ、すげぇ長い単語並べなかったか?

 

「プリンセス・ホープ・ディライト・トワですわ!」

 

 トワはキリッとした顔で、もう一度流暢に言いやがった。

 

「お前そんな本名だったんか!?」

 

 俺は思わず食い気味にツッコミを入れた。

 

 「なげぇよ! 早口言葉かってんだ!」

 

 「あら? ホープキングダムでは正式な名乗りですけれど……」

 

 トワが不思議そうに小首を傾げやがる。

 その顔にゃ嫌味も誇示もなく、ただそれが当たり前だと思っているような、きょとんとした色が浮かんでた。

 

 「……はぁ」

 

 俺は脱力して、深くため息をついた。

 今まで異世界の王女だのホープキングダムだの言われても、正直どこかファンタジーな設定というか、お嬢様特有のごっこ遊びの延長くれぇにしか思ってなかった節があった。

 だけどよ……。

 

「いや、なんつーか……今ので信じられたわ」

 

 「え? 何をですの?」

 

 「お前がマジモンの王女様だってことだよ」

 

 俺は呆れつつも、妙に納得していた。

 

 「こんな舌噛みそうな長ったらしい名前、一般庶民は逆立ちしたって付けねぇからな。……その無駄に豪華なネーミングセンス、間違いなくモノホンだわ」

 

 俺が降参したように両手を上げると、トワはふふっと嬉しそうに微笑んだ。

 

「ご理解いただけて光栄ですわ。……ですが、春海は今まで通りトワで構いませんわよ? 皆様もそう呼んでくださっていますもの」

 

 「おう、助かるぜトワちゃん、いちいちフルネームで呼んでたら日が暮れちまう」

 

 俺はニヤリと笑い返した。

 これでようやく、こいつの天然がどこから来てるのか、腹の底から理解で来たきがするぜ。

 

「そういやさ……」

 

 俺は少し言い淀んでから、視線を宙に彷徨わせた。

 柄じゃねぇ。

 マジで柄じゃねぇのは百も承知だ。

 だが、さっきのはるかの話……あのテニス馬鹿の話を聞いてから、なんか喉の奥に小骨が刺さったみてぇに気になってやがった。

 

「あんま俺からこういうこっ恥ずかしい話したくねぇんだけどよ……。お前らの夢って、なんなんだ?」

 

 「えっ?」

 

 全員がキョトンとして顔を見合わせる。

 

 「いや、はるかがプリンセスになりたいとか、ゆいが絵本作家になりたいってのは知ってるけどよ。……他の三人の話はあんま聞いたことがねぇなって思ってな」

 

 俺は視線でみなみ、きらら、トワの三人を順に指した。

 

「生徒会長に、売れっ子モデルに、本物のプリンセスだろ? 現状でも十分すぎるスペック持ってんのに、これ以上何を目指すってんだよ」

 

 俺が素朴な疑問を口にすると、きららがニシシと悪戯っぽく笑いながら、身を乗り出してきやがった。

 

 「あれぇ? もしかしてはるみん、あたしたちのことに興味湧いてきちゃった感じ?」

 

「……あ?」

 

 「素直じゃないなー。なんだかんだ言って、あたしたちのこと知りたくてたまらないんでしょ?」

 

 きららが指先でツンツンと俺の腕をつついてくる。

 うぜぇ。けど、否定しきれねぇ自分がいるのがもっと腹立つ。

 

 「……ち、ちげぇよ! ただの暇つぶしの世間話だ! 言いたくなけりゃいいんだよ! 別によ!」

 

 「あはは、顔赤いよー?」

 

 「うるせぇバーカ!」

 

 俺が顔を背けると、三人は顔を見合わせて、どこか嬉しそうに微笑んでやがった。

 

 

 「んで、なんなんだよ、お前らの夢って……」

 

 俺が観念して聞くと、まずはみなみが紅茶のカップをソーサーに置き、背筋をスッと伸ばした。

 

 「私の夢は……海藤家の事業を支え、多くの人の役に立つ立派な人間になることよ」

 

「……はぁー、優等生だなおい」

 

 俺は呆れたように天井を仰いだ。

 確かこいつは……海藤グループとかいう世界規模の超巨大企業のご令嬢だったんだろ? いつぞやかのクラスの奴らが、そんなこと言ってんのを聞いた事がある。

 それを支えるって、規模がデカすぎて俺の脳みそじゃ想像もつかねぇよ。

 

 「父や兄のように、世界中の人々と関わり、社会に貢献する。……それが、今の私が目指している道だわ」

 

「へぇ……。ま、お前なら余裕でなれそうだけどな」

 

 俺が言うと、みなみは少しだけ複雑そうな、でも穏やかな笑みを浮かべた。

 ……なんだよ? 少しばかし迷いがあるような顔しやがって。

 

 「はいはーい、じゃあ次はあたしね!」

 

 きららが元気よく手を挙げた。

 

「あたしの夢はトップモデル! ママ……天ノ川ステラを超えるような、世界一のモデルになること!」

 

 「世界一だぁ? お前なぁ、今でも十分売れっ子だろ」

 

 「ノンノン、甘いよはるみん。あたしが目指してるのはもっと上、宇宙一のキラキラ星になることなんだから!」

 

 きららは瞳をキラキラ輝かせて、空にある星を掴むような仕草をした。

 貪欲だねぇ。

現状に満足しねぇでさらに高みを目指すってか。

 まぁそのハングリー精神は、嫌いじゃねぇけどよ。

 

 「そして、わたくしは……」

 

 最後にトワが、胸に手を当てて静かに口を開いた。

 

 「わたくしの夢はグランプリンセスになることですわ」

 

 「グランプリンセス? はるかの言ってる花のプリンセスとは違うのかよ?」

 

 「ええ。ホープキングダムの伝説にある、世界を救う鍵となる存在……。わたくしはグランプリンセスとなって、今度こそこの手でホープキングダムを救い、民を導く立派なプリンセスになりたいのです」

 

 トワの言葉には、さっきまでの天然さは微塵もなくなって、王族としての重たい覚悟が込められていた。

 国を救う、か。

 これまたとんでもねぇスケールの話だ。

 

 「……なるほどな」

 

 俺はポリポリ頬をかいた。

 社会貢献に、世界一のモデルに、国を救う救世主。

 どいつもこいつも、眩しすぎる夢をお持ちだことで。

 

 「ねぇねぇ、じゃあ春海くんはどうなの?」

 

 不意に、はるかが身を乗り出してきやがった。

 その瞳は、相変わらず朝ドラヒロインみてぇにキラキラしてやがる。

 

「前は夢なんてねぇって言ってたけど……この学園に来て、何か見つかった?」

 

 「あ? 俺か?」

 

 全員の視線が俺に集中する。

 うわぁ……一番避けて通りたかった流れなんだけど。

 俺にそんなもんがあるわけねぇだろ。

 真面目にありませんって答えるのも癪だし、かと言って適当なこと言うと場がシラケちまいそうだし……。

 俺はソファの背もたれにダラリと深く沈み込むと、あくび混じりに小指で耳をほじりながら、超適当に口を開いた。

 

 「あー……そうだな。俺は……海賊王になるわ」

 

 「えっ?」

 

 「富、名声、力……この世の全てを手に入れて、あのゴールド・ロジャーを超える男になるんだよ。……知らんけど」

 

 あえて気だるく、適当にはるかに言い放った。

 これなら流石に、やる気ねぇ冗談だって分かるだろ。

 

 「か、海賊王……!?」

 

 だけど……はるかはポカンとした後、なぜか頬を紅潮させて目を輝かせやがった。

 

 「す、すごい! 海賊王!? なんかよく分かんないけど、すっごくかっこいい響きだね!! 世界を股にかける海の男ってことだよね!? ステキすぎるー!」

 

 「すごいパフ! 春海は海の王者になるパフ! かっこいいパフ〜!」

 

 パフまで尻尾をブンブン振って尊敬の眼差しを向けてくる。

 ……は?

 いやいや、待て待て。なんでコイツら真に受けてんの?

 

 「……バーカ。冗談に決まってんだろ」

 

 俺は呆れたように吐き捨てた。

 

 「漫画だよ漫画! ワンピース知らんのか? んなもん本気にする奴があるかよ」

 

 「むぅ……なーんだ、冗談かぁ」

 

 はるかが風船がしぼんだみてぇにに、ガックリと肩を落としやがった。

 

 「もう、春海くんったら。人がせっかく感動したのに紛らわしいよぉ……。てっきりすっごい壮大な夢があるのかと思ったのに」

 

 「勝手に感動したのそっちだろ。……大体よぉ」

 

 俺は再びソファに深く体を沈め、天井のシミを見上げながら言った。

 

 「前にも言ったけどよ、俺は夢なんてもんはねぇし、持とうと思ったこともねぇよ。将来がどうとか、世界がどうとか、そんな遠い先の見えねぇこと考えて何になんだ? 疲れるだけだろ」

 

 俺は鼻を鳴らして、吐き捨てるように続ける。

 

 「俺はな、今が楽しけりゃそれでいいんだよ。今日一日を適当に笑って、飯食って、寝て過ごせりゃ、それで十分だ。……先のことは、そん時になったら考えらぁ」

 

 しゅんとしてるはるかの気なんて考えねぇで、俺は堂々と言ってやった。

 まだこの学園に来て二週間ちょっとだぜ? 確かにぶっ飛ぶくらい波乱万丈な事は続いたし、俺の腹の中にゼツボーグとかいうやべぇ爆弾ってのも抱えちまったけどよ。

 人ってのはそう簡単に変わりゃしねぇだろ……ましてや夢を持つなんざ……この学園に三ヶ月いたところで、いや、天地がひっくり返っても持つ事はねぇ。

 そうだぜ。

 夢だの希望だのそんなキラキラしたもんは、俺にゃ毒でしかねぇ。

 ふと、脳裏に嫌な記憶が蘇りやがった。

 耳の奥で、ガラスが割れる甲高い音と、ヒステリックな女の叫び声が反響する。

 

 ――どうしてあんたはそうなの!?

 ――なんで言ったことができないのよ!

 

 最悪だ……また思い出しちまった。

 いつもなんかにイラついてて、金切り声を上げていた母ちゃんの顔。

 ガキの頃の俺は、それでも必死だったぜ。

 テストでいい点を取りゃ、言うことちゃんと聞いてれば、あいつが笑ってくれるんじゃねぇかって。

 いい子だねって、頭を撫でてくれるんじゃねぇかって、馬鹿みてぇに信じてたんだけどなぁ。

 

 ――お姉ちゃんを見てごらんなさい! あの子はあんなに優秀なのに!

 ――あんたは本当にダメな子ね……お姉ちゃんの出来損ない

 

 だけど、返ってくんのはいっつも比較と罵倒だけだったなぁ。

 優秀で、綺麗で、自慢の種だった姉ちゃん。

 それに引き換え、俺はいつだってじゃない方だった。

 どれだけ歯を食いしばって頑張っても、母ちゃんの理想のハードルには届かねぇ。

 期待に応えようとすればするほど、自分が惨めな失敗作だってことを突きつけられるだけだった。

 そして、最後には……。

 

 ――もういいわ。

 

 あの時……俺が初めて髪を赤色に染めた時に言われた、投げ捨てられたような冷え切った言葉。

 もう怒りすら消え失せたよ興味のない、ゴミを見るみてぇな冷たい目。

 

  ――あんたにはもう、何も期待しないから

 

 プツンって、俺の中で何かが切れた音がしたのをよく覚えてる。

 期待ってのはな、裏切られた時に人を殺す凶器になるんだよ。

 頑張った先に待ってんのが絶望なら、最初から何もしねぇ方がマシだ。

 夢なんて見なけりゃ、傷つくこともねぇ。

 俺が今、こうしてヘラヘラと笑ってられんのは、あの時期待に応えるって重荷を捨てたからだ。

 だから俺は、絶対夢なんて見ねぇ。

 見たくもねぇんだよ。

 

「……春海くん?」

 

 不意に名前を呼ばれて、俺はハッと我に返った。

 顔を上げると、ゆいが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

 おっといけねぇ……また自分の世界に入り込んじまってたか。

 無意識のうちに相当シケたツラをしてたに違いねぇ。

 

「あ、あぁ……わりぃわりぃ。ちょっとボーッとしてた」

 

 俺が誤魔化すように頭を振ると、ゆいは少しだけ困ったように微笑んで、優しい声で言った。

 

 「あのね……無理に見つけなくても、いいんじゃないかな」

 

 「……あ? 何をだよ?」

 

 「夢のことだよ。……春海くんが今はなくていいって思うなら、それでいいと思う」

 

 ゆいの言葉は、俺の強がりを否定するもんじゃなかった。

 むしろ、そのまんまの俺を受け入れてるような、柔らかい響きだった。

 

 「夢って、誰かに強制されるものじゃないし、義務でもないもん。……春海くんが毎日楽しく笑っていられるなら、それが一番素敵なことだよ」

 

「ゆい……」

 

 「そうだよ!」

 

 はるかも、ニカっと満面の笑みを向けてきやがった。

 

 「夢は自由だもん! いつかこれだ! って思うものに出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。……でも、春海くんは春海くんだよ!」

 

「そうね。はるかの言う通り、人には人のペースがあるわ。」

 

 みなみも紅茶を一口含んで、穏やかに頷く。

 

 「焦る必要なんてない……あなたがあなたらしくいられる場所が、ここにある。今はまだ……それだけで十分じゃないかしら」

 

 「ま、そーゆーこと」

 

 きららが頬杖をつきながら、ニシシと笑った。

 

 「無理してキャラ変えて、私たちみたいになろうとしても、はるみんらしくないし? 今のまんまたまにバカやって笑ってる方が、あたしは見てて楽しいけどね」

 

 「そうですわ」

 

 トワも、慈愛に満ちた瞳で俺を見つめてくる。

 

「わたくしも……本当の自分を見つけるまで、随分と遠回りをしました。……春海も、ゆっくりとご自身の道を探せばよろしいのです。わたくしたちが、ずっとそばにおりますわ」

 

「お前ら……」

 

 どいつもこいつも……。

 俺は顔を手で覆って、視線を逸らした。

 なんなんだよ、この空気。

 俺が一番嫌いな、しみったれた空気なんだけど。

 昔、俺を切り捨てたあの冷たい目とは正反対の……あったかすぎて、火傷しそうな視線だ。

 期待しねぇって言われた時の絶望より、こうやって無条件で受け入れられる方が……今の俺には、何倍もこたえるぜ。

 

「……だぁーもう!調子狂うことばっか言いやがってよてめぇらは!」

 

 俺は照れ隠しに悪態をついたが、胸の奥にあったドス黒い鉛みたいな塊が、また少しだけ軽くなった気がした。

 

 「まぁとにかく!」

 

 はるかがパンと手を叩いて、ニヘッと笑った。

 

 

 「春海くんにもいつか、素敵な夢が見つかるといいね! 私たちはいつでも応援してるから!」

 

「…………」

 

 ああもう、眩しい。

 眩しすぎる。

 こいつらのピュアな善意が、俺のひねくれた心に突き刺さって痛ぇぜ。

 これ以上ここにいたら、俺のキャラが崩壊しちまう。

 

 「だぁー! もういい! もう十分だ!」

 

 俺はヤケクソ気味に、テーブルの隅に追いやってた冷めきった紅茶を手つきだけ優雅に、一気に飲み干した。

 苦ぇ。

 すっかり冷えて渋くなってやがる。

 だけど、今の俺にはこの苦さがちょうどいい。

 ガチャン! とソーサーにカップを戻し、俺は勢いよく立ち上がった。

 

「俺はもう部屋に戻るぜ! あの暑苦しいテニス馬鹿もそろそろ素振り終わってる頃だろうよ!」

 

 俺は逃げるように出口へと歩き出したが、ふと足を止めて振り返った。

 これだけは言っとかねぇとな。

 

「あとな……もう一個だけ文句言わせろ」

 

 「なになに?」

 

 きららが面白そうに首を傾げる。

 

「さっきも言ったけどな、この学園の生活に多少は慣れる努力はしてやるよ。飯も美味いし、お前らみたいな物好きとつるむのも……まぁ、悪くはねぇからな」

 

 俺はそこで言葉を切って、忌々しそうに顔をしかめた。

 

 「だけどな! あのごきげんようって挨拶だけは……死んでも慣れる気がしねぇからな! あんな背中が痒くなる言葉、俺の口から出ることは一生ねぇと思え! じゃあな!」

 

 俺は捨て台詞を残して、今度こそ談話室を後にした。

 

 だけど、そんな俺の背中に向かって、はるかが懲りずに声を張り上げやがった。

 

「えーっ? 素敵な挨拶だよ? だってプリンセスっぽくていいじゃん! 春海くんも言えばいいのにー!」

 

 「春海、ごきげんようパフ! また遊ぶパフ!」

 

 パフが無邪気に尻尾を振って叫ぶ。

 

 「まったく、最後まで素直じゃない奴ロマ。……ごきげんようロマ!」

 

 アロマまでニヤニヤしながら手を振ってやがる。

 マジでどいつもこいつも……!

 

 「うっせぇ! 二度と言うかバーカ!!」

 

 俺がそう吐き捨てて勢いよく談話室の扉を閉めた。

 背後から聞こえる楽しそうな笑い声をBGMに、俺は足早に廊下へと消えていった。

 

 

 「まったく、調子狂うぜ……」

 

 廊下を歩きながら、俺は大きく息を吐いた。

 あいつらのキラキラした空気のせいで、もっと胸焼けしそうになっちまったじゃねぇか。

 俺にはやっぱり、静かな部屋でゆっくりするに限るな。

 男子寮に戻り、自分の部屋の前まで来ると……。

 ブンッブンッと扉の向こうから、鋭く風を切る音が聞こえてきやがる。

 ……マジかよ。

 嫌な予感が的中したことに呆れながら、俺はドアノブを回した。

 ガチャッと扉を開ける。

 

 「千、百、二ぃッ!! 千、百、三ッ!!」

 

 そこには、部屋の真ん中で汗だくになりながら、鬼の形相でラケットを振るルームメイト、藍原ゆうきの姿があった。

 床には汗の水溜りができてるし、熱気がサウナみてぇに充満してやがる。

 俺が出て行く前からずっと続けてたのかよ、こいつ。

 俺は脱力して、ドア枠に持たれかかった。

 

 「……まだやってたんかいお前」

 

 ……もっかいあいつらんとこ戻ろっかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。