Go! トラブルメーカー! 〜雑草は花園で咲く〜 作:ナッパー
その日は、バターみてぇにとろけちまいそうな暑い放課後だった。
難解でクソムズイ授業を終えて、宛もなく校舎の外を歩く俺。
周りにゃ、友達同士グループで集まって談笑してる奴らやら汗流して部活に勤しむ奴ら、みんなそれぞれの放課後って奴を楽しんでやがる。
「青春してんねぇ、まじで」
肝心の俺はって言うと、まぁ相変わらずの一匹狼だな。
欠伸をしながら制服のポッケに手を突っ込んで気だるそうに歩く。
この場違い感……これこそがこの俺のデフォルトだ。
むしろ今までが騒がしすぎたんだよ。
女子五人と珍獣二匹、そしてミス・シャムールとか言うクソ猫……アイツらと関わると退屈はしねぇが、まじで疲れんだよな。
会う度にお茶会だの夢だのプリキュアだの、話すことは前向きなことばっか。
たまにならそれもいいんだけどよ、それが毎日だとさすがに胃もたれしてくる。
原因はそれだけじゃねぇ。
あいつらが目をキラキラさせながら何かを話す度に、俺はこいつらとは違うんだって事が嫌でも思い知らされる。
だからココ最近、アイツらとは距離取ることにしてんだよ。
精神衛生上な。
さて、今日は久しぶりに昼寝でも決め込むかな。
最近は勉強のレベルも上がってきて、ついて行くだけでも大変だ。
ただでさえ多かった放課後の補習だって、日に日に頻度と難易度上がってくるしよ……流石に疲れが溜まってるわ。
んなわけで、俺が選んだ安息の地は、人気のない校舎の裏手……のつもりだったんだがよ。
どこに行っても生徒がいやがる。
逃げるように歩いているうちに、俺はテニスコートの近くまで来ちまっていた。
「まじかよ……よりにもよって一番騒がしいとこに迷い込んじまった。」
気だるくそう呟いた瞬間だった。
パコォォーン!! と、どこからか金網越しに乾いた破裂音が響いてくる。
興味本位でその音がする方向へと向かって目の前に見えたテニスコートを金網の隙間からこっそり覗き込んだ。
「……うわ。やってんなぁ、テニス馬鹿」
そこにいたのは、ルームメイトの藍原ゆうきだ。
いつも部屋で来てる真っ白なテニスウェアを着て、マシンから飛び出すボールを次々と打ち返してやがる。
右へ、左へ……無駄にキレのある動きでコートを走り回るその姿は、いかにも俺、頑張ってます!って感じで暑苦しいことこの上ねぇ。
「キャーッ! ゆうきくーん! ナイスショッート!」
「今のスマッシュ素敵ー!」
「休憩にお水どうぞー! ゆうきくん!」
そして、コート脇のベンチには、黄色い声を上げる女子生徒が三人。
いわゆる取り巻きってやつか。
タオルだのドリンクだのを抱えて、熱っぽい視線を藍原に送ってやがる。
「……ケッ。くだらねぇ」
俺はため息交じりに、地面を睨みつけてそう吐き捨てた。
いいよなイケメンってのは……人がどんなにイライラしててもお構いなしだぜ。
その圧倒的なオーラをこれでもかってくらい持たざる者に見せつけてきやがる。
玉遊びに必死になって、女にチヤホヤされて、絵に描いたような青春ごっこかよ。
見てるだけで胸焼けがしてくるぜ。
ますますイライラしてしてきちまった俺は、関わり合いになる前にとっととズラかろうとポケットに手を突っ込んだまま踵を返した。
「ん?なんだよ春山じゃねぇか!」
だが、世の中ってのはそんなに甘くはねぇらしい。
コートの中からやけに通るデカい声が飛んできやがった。
俺はチッ、と舌打ちをして、聞こえないフリをして歩を早める。
だが背後から地面を踏みしめる音が猛スピードで近づいてきやがった。
「無視すんなよ! 春山!」
「……あー、うるせぇうるせえ……鼓膜破れるわ」
金網越しに叫ぶ藍原に、俺は耳に指を突っ込みながら渋々足を止めた。
そこには、汗をだらだらかいてラケットを握りしめた藍原ゆうきが、ハァハァと荒い息を吐きながら立ちはだかってやがる。
流れる汗、真っ赤になった顔。
夏の太陽を擬人化したみてぇな暑苦しさに、俺は露骨に顔をしかめた。
「なんだよテニス馬鹿。練習の邪魔しねぇように気を使って立ち去ろうとした俺の優しさが分からねぇのか?」
「優しさ? 挙動不審にしか見えなかったぞ。で、何しに来たんだよ。まさか俺の華麗なプレーに見惚れてたとか言わねぇよな?」
藍原はニカっと屈託のない笑みを浮かべやがる。
こいつ、俺が嫌味言ってることに気づいてねぇのか、それともスルーしてんのか……どっちにしろ調子が狂う野郎だ。
「アホか、寝言は寝て言えや。たまたま通りかかったら、あまりにもマヌケな光景が見えたもんでつい足が止まっちまっただけだよ」
俺が鼻で笑って言うと、藍原の後ろから追いついてきた女子三人組が、あからさまに嫌悪感を露わにした顔で俺を睨みつけてきやがった。
「げっ……なにアイツ」
「うわ、あの噂の転入生じゃない? 目つき悪っ……」
「なんでゆうきくん、あんなのと知り合いなの……? 怖っ」
取り巻きの女子共からヒソヒソ陰口が飛んでくる。
目は合わせねぇようにしてるくせに、言葉の端々には明確な拒絶が含まれてやがる。
まあ分かっちゃいたがこれがこの学園での俺の正しい評価だよな。
あいつらが異常なだけで、この学園の生徒にとっちゃ俺は異物でしかねぇ。
だけどよ……こんなあからさまに拒絶されちゃ誰だってむかつくぜ。
「おいてめぇら……」
俺はポケットに手を突っ込んだまま、取り巻き女子三人衆に思いっきりガンを飛した
次の瞬間、ビクッ! と女子共の肩が跳ね上がる。
「人の顔見てヒソヒソ話とは、随分といい度胸してんじゃねぇか。ノーブル学園じゃ、陰口も淑女のたしなみなのかよ?」
普通の女子ならここでビビって目を逸らすところなんだがよ。
だが、さすがは名門校のお嬢様たちだぜ。
俺の予想に反して、こいつらは逃げるどころか、ムッとして一斉に俺を睨み返してきやがった。
「さっきからジロジロと……失礼じゃないかしら?」
「そうよ! ゆうきくんは真剣に練習してるの。あなたみたいな不真面目な人が茶化していい場所じゃないわ!」
「とっとと消えてくれない? 目障りなんだけど」
おーおー、怖ぇ怖ぇ。
口々に罵倒が飛んできやがる。なるほどな、アイドルの親衛隊ってのはどこの世界でも強えぇもんだ。
俺はわざとらしく両手を上げて、肩をすくめてみせた。
「へぇ、言ってくれんじゃねえのてめぇら……そんなに大事かよ? あんな汗臭そうなやつが」
俺は顎でコートの中の藍原をしゃくってそう吐き捨てる。
そんな俺の言葉を聞いた瞬間、女子共は顔を真っ赤にさせて、目の前まで詰め寄ってきやがった。
「なっ……! ちょっと!ゆうきくんに向かって失礼なこと言わないでくださる!?」
「汗臭いとかじゃないわよ! あれは努力の証なの!」
「そうよ! 何もしていないあなたに、ゆうきくんを笑う資格なんてないわ!」
俺の目を真っすぐ見ながら、キーキーキーキー猿見てえにヒスってきやがる。
さっきまで目逸らしてた癖によ。
我らがゆうきくんのことを貶されてさぞブチぎれてるっ感じだな。
面倒くせぇ……これだから優等生ってのは苦手なんだよ。
真っ直ぐすぎて、眩しすぎて、直視してると目が潰れそうになる。
この学園にきて未だになれねえところだ。
自分は頑張ってる、正しい側に立ってるって無自覚に信じ込んでやがる。
多分こいつらには微塵も見えてねぇんだろうな。
安全圏から間違ってる側の俺を叩いて、気持ちよくなってる自分たちの姿がよ。
「はいはい、ご立派なこって」
俺はわざとらしくパチパチと拍手をして、冷めた目でこいつらを見下ろした。
「精が出ますねぇ、藍原選手。たかが黄色い玉をあっち行ったりこっち行ったりさせて、必死こいて走り回ってよぉ……。そりゃあさぞかし崇高な努力なんでしょうよ」
「な……っ!?」
「それをこうやって、特等席で眺めてキャーキャー言うのが、お前らの高尚なご趣味ってわけか? ハッ、この女たらしが!」
俺の言葉は、決して汚い罵倒なんかじゃねぇ。
ただの事実を並べただけの皮肉だ。
だが、それが一番こいつらのプライドを刺激したらしい。
女子共の顔が、さっきよりも赤くなる。
「取り消しなさいよ!」
「最低……! 本当に最低!」
キーキーと喚く声がうるせぇ。
だが、不思議と腹は立たなかった。
代わりに胸の奥に広がるのは、冷たくて重い、ヘドロみてえな感情だ。
夢に向かって走る奴と、それを応援する奴。
そんな完璧な青春の図の中に、俺の居場所なんて1ミリもねぇ。
だからこうやって、泥を投げつけて汚すことしかできねぇんだ。
あーあ……マジ何やってんだろ俺、クソだせぇ。
「やめろ! みんな!」
ようやく、異変に気づいた藍原がラケットを置いて駆け寄ってきた。
女子たちと俺の間に割って入り、彼女たちを制止する。
「相手にすんな。……こいつはこういう奴なんだ」
「でもゆうきくん! こいつ、ゆうきくんのこと……!」
「いいから! ……頼む、今日はもう帰ってくれ。俺、こいつと話があるんだ」
藍原が真剣な顔で頼むと、女子共は不満そうに、でも渋々引き下がった。
「……わかった。ゆうきくんがそう言うなら」
「行こうみんな。関わっても時間の無駄よあんな奴」
去り際に、女子の一人が、俺の方をギロリと睨みつけて捨て台詞を吐いていった。
「ごきげんよう!」
フンッ! と鼻息荒く立ち去る女子たち。
全く最後まで耳に響く声しやがって……。
嵐が去った後の静けさの中、俺と藍原が金網越しに向き合った。
「……おい春海。お前何しに来たんだよ。」
藍原が低い声で言い放つ。
その目はマジだ。
怒りの炎が燃えてやがる。
「何しに来たって? ただの散歩だよ。……そしたらあまりにもマヌケな茶番が見えたもんでついな」
俺はポケットに手を突っ込んだまま、煽るようににやりと笑ってやった。
「なんだって……」
拳を固く握ってプルプルと震わせる藍原。
今にも噴火しそうなこいつの顔めがけて俺は更に続ける。
「夢だの努力だの……耳障りな綺麗事ばっか並べて、女に守ってもらっていいご身分だなオイ」
そう冷たく言い放って、さらに一歩、金網に顔を近づけた。
「俺は守ってもらってなんかねぇ! それに、あの子たちは純粋に俺を応援してくれてるだけだ! お前みたいに斜に構えてる奴にとやかく言われる筋合いなんてねぇぞ!」
金網を両手にわしずかみにして、とうとうブチ切れちまった藍原。
だが、もう俺は止まんねぇぞ、この際だ、こいつにはムカつくことが山程あったんだよ。
「へっ! そうかよ。……俺はお前みたいな真っ直ぐ生きてりゃ報われるって信じ込んでるおめでたい奴が一番嫌いなんだよ。……反吐が出るんだわ、そういうの見てっとよ。」
「……ッ! お前、何がそんなに気に入らねぇんだよ!」
「気に入らねぇも何も、存在そのものがウザいってんだよ」
二人で言い合いをしてる内に、俺の中でタバコの火みてぇに燻ってたイライラが、全身に引火したみてぇに駆け回る。
「ていうか俺は前からテメェに言いたいことがあったんだ……部屋だよ、部屋! テメェは寮に戻ってからも狭っ苦しい部屋の中で……ビュンビュンビュンビュンラケット振り回してんじゃねぇぞこのボケが!」
そしてとうとう、俺がこいつに一番ムカついてた事を……こいつの顔面を睨みつけて、傍からみたらさぞ醜悪な顔で言い放ってたやった。
そうだよ、俺はずっと気に入らなかったんだ。
あいつが努力と称して撒き散らす、あの暑苦しい熱気がよ。
「フッ! とか シッ! といちいちうるせぇんんだよ。こっちが漫画読んでリラックスしようとしてんのに、隣で必死こいて汗垂れ流されちゃあ、気が散って仕方ねぇんだわ!」
俺の言葉は、単なる騒音への苦情ってだけじゃねぇ
もっと根本的な、生理的な拒絶だ。
あいつがラケットを振るたびに響く、あの風を切る音。
あれは、あいつが前に進んでいる音だ。
夢に向かって、一歩一歩、確実に地面を踏みしめている音だ。
それを……文字通り何もしてない俺が、何もしようとしない俺が、すぐ隣で聞かされ続ける苦痛。
まるでお前は何をしてんだ? って、無言で責め立てられてるみてぇで、息が詰まるんだよ。
「お前のその無駄な熱気がよぉ、部屋の酸素を燃やし尽くしてんじゃねぇのか? おかげでこっちは酸欠になっちまいそうだぜ。……見てるだけで暑苦しいんだよテニス馬鹿が」
「なんだと……ッ!」
藍原が金網をガシッと掴む。
その指は、関節が白くなるほど力が入ってやがった。
「俺は……俺は遊びでやってんじゃねぇ! 夢を叶えるために、一分一秒でも惜しんで振ってんだよ! 何にも打ち込んでねぇお前に、俺の邪魔をする権利なんてねぇぞ!」
「はっ! 出たよ、その夢って単語」
俺は大きく鼻を鳴らして、藍原の顔面に向かって、わざとらしく吐き捨てた。
「どいつもこいつも、夢ありゃ偉いって思ってんのか? うぜぇんだよそういうの……。見てるこっちが恥ずかしくなってくんだわ。」
俺の中にあるのはただの嫉妬だ。
んなこたぁ分かってる。
分かってるからこそ、余計に自分が惨めに思えてくんだ。
夢のために熱苦しいほど必死に頑張ってるこいつと、夢も無いままなんも成し遂げようとしない俺。
元々は住んでる世界自体が違うってのも分かってる。
だからこそムカつくんだよ。
生まれや環境が違うってだけで、ここまで住む世界が変わるって事がよ。
同じ人間なはずだろ?
「もういいわ、話すだけ無駄だ」
これ以上こいつの顔を見てると、自分の中の汚い部分がどんどん溢れてきそうで怖ぇ。
俺は藍原に背を向けると、ヒラヒラと手を振ってその場を立ち去ろうとした。
あーあ、早くここから離れてぇぜ。
あの狭い部屋も、このテニスコートも、こいつがいる場所はどこもかしこも息苦しいんだよ。
「待てよッ!!」
次の瞬間、背後から鼓膜が破れそうな声が飛んできた。
だが、俺は足を止めねぇ。
知ったことか。
しばらくもう、お前らみたいな奴とはとは関わりたくねぇんだよ。
「逃げんのかよ! 言いたいだけ言って、背中向けて逃げんのか!」
「……あ?」
逃げる、という単語にピクリと俺の足が止まった。
俺が、逃げるだぁ? ゆっくりと振り返ると、藍原が金網越しにラケットを突きつけてきてやがった。
その顔は、血管がブチ切れそうなくらい真っ赤に染まっている。
「ふざけんなよ春山……! 俺の夢を、俺のテニスを、そこまでバカにしやがって……!」
藍原は荒い息を吐きながら、ギリリと歯ぎしりをした。
「だったら証明してみろよ! テニスがただの玉遊びだってんなら、お前にも簡単に出来んだろうが!」
「はぁ? 何言ってんだお前」
「勝負だ! 今ここで、俺とテニスで勝負しろ!」
藍原が叫んだ瞬間、俺は思わずポカンと口を開けた。
……は?
テニスで勝負?
喧嘩売られてんのかと思ったら、まさかのスポーツで決着かよ。
予想外すぎるバトルに、しばらく俺の脳みそはフリーズした。
「……バカかテメェは。なんで俺がお前と健全にスポーツしなきゃなんねぇんだよ。俺は喧嘩なら買ってやるって言ってんだ」
「うるせぇ! 俺がお前を許せねぇのは、俺のテニスを侮辱されたことだ! だからテニスで白黒つけるんだよ!」
藍原はラケットを金網にガン! と叩きつけた。
その目は、冗談でもなんでもなく、本気で俺をぶっ倒そうとしてる猛獣の目だ。
「お前が勝ったら、俺は二度と部屋で素振りもしねぇし、お前の前では息も殺して生活してやる! ぜってぇ認めたくねぇけど、テニスがくだらねぇ玉遊びだって認めてやるよ!」
「……へぇ?」
俺の口角が自然と上がりやがった。
それは、願ってもない提案だぜ。
あの鬱陶しい素振りがなくなるなら、俺の安眠は約束されたようなもんだ。
「だがな……もし俺が勝ったら!」
藍原はラケットを俺に突きつけたまま、吠えるように言い放った。
「その腐った性根、俺のサーブで叩き直してやる! テニスを馬鹿にしたこと、地面に頭擦り付けて謝りやがれ!」
「……へッ」
俺は鼻で笑った。
熱血漫画の主人公気取りやがってこの野郎。
どこまでも暑苦しい野郎だ。
だが……売られた喧嘩を買わずに逃げるのは、春山春海の流儀じゃねぇ。
俺は舐められんのが大嫌いだからな。
それに、こいつのその自身満々な面を、絶望で歪ませてやるのも悪くねぇかもな。
「上等じゃねぇか。その勝負、乗ってやるよ」
俺はニヤリと笑みを浮かべて、テニスコートの入り口へと歩き出した。
「後悔すんなよテニス馬鹿。……俺はルールもラケットの振り方も知らねぇが、徹底的に潰してやるからな」
――――――――
「……ぜぇ、はぁ……」
気がつくと、俺はコートの真ん中で、大の字になって空を見上げていた。
視界の端で、夕焼けが滲んでやがる。
結果は……言うまでもねぇ。惨敗だ。
いや、勝負にすらなってなかった。
1ゲームどころか、1ポイント……いや、1ラリーすら続きゃしなかったんだ。
俺の記憶にあるのは、黄色い弾丸みてぇなボールが俺の横を通り過ぎる風圧と、背後の金網に突き刺さる爆音だけ。
ラケット? 一回もボールに触ってねぇよ。空振り三振、完全試合達成だ。
「……ははっ、笑えねぇ」
俺は乾いた唇を舐めた。
まぁよくよく考えりゃ……いや考えなくても分かる当たり前の話だ。
俺は今日初めてラケットを握ったド素人。
対するあいつは、来る日も来る日も、俺が漫画読んで鼻ほじってる間も、あの狭い部屋で一心不乱にラケット振り回してたテニス馬鹿だ。
積み上げてきた時間が違う。
流してきた汗の量が違う。
そんな奴に、ポッと出の素人が気合だけで勝てるわけがねぇんだよ。
喧嘩ならまだしも、あいつの土俵で勝とうなんて、舐めてんのは俺の方だったってわけだ。
「……まじダセェ」
漫画の主人公気取りで挑んで、カスリもせずに秒殺。
ただの噛ませ犬じゃねぇか。
ちきしょう……恥ずかしさで今にも顔から火が出そうだぜ。
「……言ったろ、春山」
ネットの向こうから、藍原が冷たい目で見下ろしてきやがる。
汗一つかいてねぇ涼しい顔だ。そりゃそうだ、俺はただの準備運動にもなりゃしなかったんだからな。
「お前が馬鹿にした玉遊びは、そんなに甘くねぇんだよ」
藍原の言葉が、物理的な重みを持って俺の胸に突き刺さった。
反論? できるわけねぇよ。
今の俺は、ただ地面に這いつくばってるだけの敗者なんだからよ。
「ほら、立てよ春山。約束は約束だ」
すると、藍原がラケットを肩に担ぎながら、冷ややかな目で見下ろしてきやがる。
「俺が勝ったら、地面に頭擦り付けて謝る……そう言ったよな?」
「……ッ」
無意識の内にギリッと奥歯に力が入る。
正論だ。ぐうの音も出ねぇド正論だわ。
男に二言はねぇ。負けたなら潔く腹を切るのがスジってもんだ……頭じゃ分かってんだよ。
だけどよぉ……体が鉛みてぇに重くて動かねぇんだ。
筋肉が麻痺してるわけじゃねぇ。
ただ、俺の腹の底で、マグマ見てぇなな感情がグツグツ煮えくり返ってやがる。
悔しい。
クソみてぇに悔しい。
喧嘩だったらすこぶる自信がある俺が、こんなお遊戯みてぇな玉遊びで、手も足も出ずにひねり潰されたって事実がよ。
何より、俺が散々熱血だの単純だのって見下してたこいつに、逆に見下ろされてるこの状況が、死ぬほど我慢ならねぇ!
「……おい、聞こえてんのか? 男なら潔く……」
「だぁー! うっせぇな!!」
俺は叫びながら、地面を思いっきり拳でぶん殴った。
その勢いでガバッと跳ね起き、藍原の胸ぐらを掴み……かけ、寸前でその手を止める。
ここで殴ったら、それこそ俺の負け犬決定だ。
それくらいの理性はまだ残ってらぁ。
「……まだだ」
俺は藍原を睨みつけたまま、地獄の底から絞り出すような声で唸った。
「まだ終わってねぇぞ、コラ」
「は? 何言ってんだお前。スコア見ろよ、完敗だろ」
「いいかてめぇ! 今の俺はド素人だ! ルールもラケットの握り方も知らねぇ素人が負けただけだっつの! こんなんで勝った気になってんじゃねぇぞ!」
「はぁ!? いやお前が勝負を受けたんだろうが! お前も男なら潔く……」
「うるせぇうるせぇ! とにかくこのままじゃ終われねぇんだよ!」
俺はハァハァと荒い息を吐きながら、人差し指を二本立てて藍原の鼻先に突きつけた。
「2週間だ。……2週間よこせ」
「あ?」
「2週間後、もう一回勝負だ。それまでに俺がテニスってのを叩き込んで、てめぇをこのコートに沈めてやる」
俺の提案に、藍原は呆れ果てたように口を開けた。
「あのなぁ春山……俺が何年テニスやってると思ってんだ。たかが2週間で追いつけるわけ……」
「追いつくんだよ! 俺ならな!」
俺は一歩踏み出し、藍原の顔の目の前で吠えた。
こんなん負け犬の遠吠えだ、誰が見てもな。
だけど引けねぇよ。
ここで引いたら、俺は一生こいつにデカい顔されたまま生きていくことになる。
そんなの、死んでも御免だ。
「もし、次の試合で俺が負けたら……今度こそ土下座してやるよ! てめぇの靴の裏でもなんでも舐めてやる!」
「いらねぇよそんなもん!」
「それだけじゃねぇ!」
俺は血走った目で畳み掛けた。
自分でも何を言ってるのか分からなくなってくるくらい、頭に血が上ってやがる。
「負けたらその場でバリカン持ってこいや! お前の目の前で、このトレードマークの赤髪を5厘刈りにしてやるよ!」
「ご、5厘……!?」
「そうだ! ツルツルのマルコメ君になってやるって言ってんだ! そんでもって、俺がこの学園にいる残り2ヶ月ちょいの間、お前のパシリでもマネージャーでも何でもやってやるよ! 部屋の掃除も洗濯も、あとドリンクの用意も全部俺がやってやる!」
俺の滞在期間は残り2ヶ月半ほど。
その間、こいつの奴隷になってやるって宣言だ。これ以上の屈辱はねぇぞ。
「お、お前……マジで言ってんのか?」
藍原がドン引きした顔で後ずさりする。
そりゃそうだ。
今の俺は、自分で自分の首に縄をかけて、崖っぷちに立ってるようなもんだからな。
だが、こうでもしなけりゃ、俺の腹の虫が収まらねぇんだよ!
「おうよ、マジもマジ、大マジだ! ……その代わり、俺が勝ったらテメェが俺のパシリになれ! 俺がこの学園から出ていくその日まで、一生春山様って呼んで奴隷にしてやっからな!」
俺は強く握った拳を藍原の前に乱暴に差し出した。
決闘だ、決闘の申し込みだ。
「どうだ藍原! 逃げんのか!?」
「……ハッ。面白いじゃねぇか」
すると藍原はニヤリと笑って、俺の拳を硬く握って来やがった。
その掌はマメだらけでゴツゴツしてやがる。くそ、ムカつく手だぜ。
「いいぜ、その勝負乗った。……後悔するなよ春山。2週間後、泣きながらバリカン入れさせてやるからな」
「ケッ、泣くのはテメェだバーカ!」
俺たちは互いの手をギリギリと締め上げながら、火花を散らした。
こうして、俺の安眠を賭けた……いや、男のプライドと少ない学園生活の全てを賭けた、無謀すぎるリベンジマッチが決まっちまったのだった。
「……って、やべぇ、言っちまった……言っちまったよぉぉぉぉ!!」
藍原と別れて、校舎の裏手に回った瞬間、俺は校舎裏の壁にガンガン頭を打ち付けた。
額が割れて血が出てっけど……関係ねぇ。
バカだ。俺は大バカ野郎だ。
売り言葉に買い言葉とは言え、調子こいて大見得切っちまった……冷静になって考えてみろよ俺。
テニスだぞ?
ルールも知らなきゃ、ラケットの握り方も知らねぇ。
対する相手は、毎日アホみたいに素振りしてる現役バリバリの選手だ。
2週間? 無理に決まってんだろ! 精神と時の部屋でもなきゃ間に合わねぇよ!
「クソッ、でももう後には引けねぇ……!」
負けたら5厘刈り。そしてあいつの奴隷。
そんなの、死んでも御免だ。俺のプライドが許さねぇ。
くそ……考えろ。
どうする? どうすりゃこの逆境を乗り越えられる。
「もう……あれしかねぇ」
壁に額を打ち付けたまま、ボソッと呟いた。
こうなりゃもう……奇跡を起こすしかねぇ!
「どこだ……どこにいやがる!」
次の瞬間、俺は血走った目で校舎の周りを走り回った。
探してんのは、あのお節介なプリンセスたちだ。
あいつらに会うのは気が引けるが、もう背に腹は変えらんねぇ……あいつらに頼めば、何とかしてくれっかもしれねぇ! アレを出してくれっかもしんねぇ!
「はぁ……はぁ……い、いたッ!!」
中庭のベンチ。
夕暮れの中で、のん気に談笑している二人組を見つけた。
春野はるかと、天ノ川きららだ。
二人とも手にマーブルドーナツを持って、キャッキャと楽しそうにしてやがる。
「おい!! てめぇら!!」
俺はなりふり構わず、全力疾走で突っ込んだ。
「ふぇっ!? は、春海くん!?」
「うわっ、びっくりした! なになに、猛獣が出たみたいな顔して」
はるかが驚いてドーナツを落としそうになり、きららが目を丸くして身構える。
俺は息を切らしながら、二人の前で急停止した。
ゼェゼェと荒い息を吐きながら、鬼気迫る形相で二人を睨みつける。
「だ、出せ……!」
「え? な、何を……?」
「猫だ! あの生意気なクソ猫の妖精を今すぐ呼び出せ!!」
俺ははるかのちっちゃい両肩をガシッと掴むと、親の仇みたいに前後に激しく揺さぶり始めた。
「あ……あう……あうあうあう……!」
「聞いてんのかコラ! 出し惜しみすんな! 俺の命がかかってんだよ!」
「あうあう……め、目が回るぅぅ……」
はるかの頭がガクガクと揺れ、目がぐるぐると渦を巻き始める。
口から魂が出かかってるが、今の俺に加減なんて言葉はねぇ。
「ミ、ミス・シャムールのこと!? わ、わかったから……ゆ、揺らさないでぇ……!」
「まぁまぁ、落ち着きなよはるみん」
きららがやれやれと肩をすくめながら、俺の口元に食べかけのドーナツをグイッと押し付けてきやがった。
「むぐっ!?」
「そんなに鼻息荒くしてたら、はるはるが怯えちゃうでしょ? まずは糖分でも摂ってクールダウンしなさいって」
「んぐ……ふがっ……!」
甘ったるいチョコの味が口いっぱいに広がる。
俺は無理やりドーナツを飲み込むと、きららを睨みつけた。
「てめぇコラ……窒息させる気か!」
「人聞き悪いなー。親切心だよ、親切心。……で? 命がかかってるって何の話?」
きららはニシシと面白そうに笑いながら、ベンチに足を組んで座り直した。
そんな余裕そうなきららを前に、俺は口の周りにベッタリついた砂糖を手の甲で乱暴に拭い取う。
口の中に広がる甘ったるいチョコののおかげか、焦る心とは裏腹に、頭の中はすこぶる冷静になってく。
クソッ、悠長にドーナツ食ってる場合じゃねぇんだってのによ。
俺は未だに目を回してフラフラしているはるかと、ニヤニヤしながら次のドーナツに手を伸ばそうとしているきららに向かって、事の顛末を洗いざらいぶちまけた。
あのテニス馬鹿に喧嘩を売ったこと。
勢いで売り言葉に買い言葉、2週間後のリベンジマッチを申し込んじまったこと。
そして……ここが一番重要なとこだ。
「負けたら5厘刈りで、あいつの奴隷だ」
俺がそう締めくくると、一瞬の静寂が訪れ。
「ぶっ……あははははは!!」
きららが腹を抱えて爆笑しやがった。
ベンチをバンバン叩いて、涙目になりながら笑い転げている。
「ご、5厘!? あははは! マルコメはるみん!? ヤバい、想像しただけでお腹痛い~! 似合いすぎでしょそれ!」
「笑い事じゃねぇんだよ! 俺の命より大事なこの赤髪とプライドがかかってんだぞコラ!……っていうか似合いすぎってなんだよ!殺すぞ!」
俺は吠えたが、内心じゃ冷や汗が滝のように流れてた。
そうだ、俺はとんでもねぇ約束をしちまったんだ。
あの時は頭に血が上ってて勢いで言っちまったが、冷静になってみりゃ自殺行為もいいとこだ。
テニスのルールすら知らねぇド素人が、毎日アホみたいに練習してるエースに勝負を挑む? しかも期限はたったの2週間?
ジャンプ主人公だってギリ逃げ出すレベルの無理ゲーだろ。
「す、すごいことになっちゃったね……」
ようやく目が覚めたはるかも、信じられないものを見るような顔で口を開いた。
「でも、相手はゆうきくんだよ? テニス部のエースだよ? 2週間で勝つなんて、普通に考えたら……」
「無理だね、1000パーセント」
きららが笑い涙を指先で拭いながら、バッサリと切り捨てやがった。
「だってはるみん、ラケットの持ち方も知らないんでしょ? 勢いだけで勝てるほどスポーツは甘くないよ」
「うぐっ……わ、わかってんだよそんなことは!」
正論すぎて反論できねぇのが悔しい。
自分の浅はかさを呪いたくなるが、今さら後悔しても時間は戻らねぇ。
負けて坊主になって、あのテニス馬鹿にへへーっって頭を下げる自分の姿を想像しただけで、吐き気がしてくる。
そんな屈辱を味わうくらいなら、死んだほうがマシだ。
だからこそ、頼れるもんは何でも頼るしかねぇんだよ。
プライド? そんなもんはあのコートに置いてきたわ!
「だから言ってんだろ! あのクソ猫……いや、にゃんこ先生なら、はるかにテニス教えたって言ってたじゃねぇか! あいつなら何とかできるかもしれねぇだろ!?」
俺は藁にもすがる思いで食い下がった。
相手があの説教臭い猫だろうが、今は救世主にしか見えねぇ。
すると、はるかが手をポンと叩いて俺の方を向く。
「そっか! ミス・シャムールなら、何かいい特訓方法を知ってるかも……てことだよね! そういうことなら……ちょっと待ってて!」
はるかは通学カバンから、おもちゃみてぇなピンク色のタブレット……確かレッスンパッドとかいうのを取り出す。
「ごきげんようミス・シャムール……」
はるかがそう呟きながら、レッスンパットの下にあるピンク色のハートの宝石をタッチペンでなぞる。
すると次の瞬間、パァァッ! と光が溢れ出した。
頼む……!
出てきてくれ、にゃんこ先生……!
俺は祈るような気持ちで、その光を見つめた。
「ごきげんようエブリワーン!」
「来た!」
光の中から現れたのは、相変わらず無駄に綺麗なポーズを決めた、シャム猫の妖精……ミス・シャムールだった。
肉球のステッキをくるりと回し、宙に浮いたまま俺の顔を見るなり、ニヤリと口角を上げやがる。
「お久しぶりですわねん、プリンス春海。……その切羽詰まったフェイス、ただごとではありませんわねん?」
「おうよ、ただごとじゃねぇ! 俺にテニスを教えろ! 今すぐにだ!」
俺が身を乗り出して頼み込むと、シャムールはわざとらしく驚いてみせた後、ふむ、と顎に手を当てた。
「テニス、ですか。……はるかの時と同じですわね。でも、ユーは確か運動神経は悪くないはず。なぜそんなに焦っているのです?」
「そ、それは……」
俺が言い淀んでいると、横からきららがクスクスと笑いながら割り込んできた。
「それがねー、聞いてよシャムール。はるみんったらね、テニス部のエースに喧嘩売って、負けたら5厘刈り&奴隷生活っていう、とんでもない賭けをしてきたのよ」
キララは面白がっているような、でもどっか呆れているような口調で肩をすくめながら続ける。
「ほんと、無茶しすぎだよねー。勢いだけでどうにかなる相手じゃないって、はるみんも分かってるくせにさ」
「うるせぇな……負けちゃいけねぇって時があんだよ。そのー、男には誰にでもよ」
図星でド真ん中から指されちまった俺は反射的にキララに言い返す。
てめぇには一生分かんねぇよ! 男の意地とかそういうのはよ!
「5厘……? オーマイガー!」
そんな俺らのやり取りの横で、シャムールが両手で口元を覆って、信じられないものを見るような目で俺の頭を見つめる。
「その燃えるようなレッドヘアが……ツルツルのスキン・ヘッドに!?」
シャムールはそこで言葉を区切ると、一瞬遠くを見るような目をした。
ん? おいコラ待て、なんか嫌な予感がする。
「……ブフッ! ノ、ノンノン! それはあまりにも……くくっ、アン・エレガント! 美しく……ぷふっ、ありませんわ!」
シャムールは必死に上品ぶろうとしているが、口元を抑える手はプルプル震えてるし、隙間からプッとかククッとか漏れてやがる。
「てめぇコラ! 今想像して笑ったろ!? こいつの坊主ウケるとか絶対思っただろ!!」
俺が顔を真っ赤にして怒鳴りつけると、シャムールは震える肩を必死に抑えながら、涙目で手を振った。
「ノ、ノン! 滅相もございませんわ! ただ、ユーのワイルドなフェイスと、輝くスキンヘッドのコントラストが……ふふっ、あまりにもアーティスティックすぎて……!」
「やっぱバカにしてんじゃねぇか! このクソ猫が!」
俺が地団駄を踏んで抗議していると、横から真剣な声が割り込んできた。
「私からもお願いします、ミス・シャムール!」
「……あ?」
見ると、はるかが俺の横に並んで、シャムールに向かって頭を下げてやがった。
「理由は……その、ちょっとアレかもしれないけど、春海くんは本気なんです! 私にテニスを教えてくれた時みたいに、春海くんにも力を貸してあげてくれませんか?」
「は、はるか……」
おいおいこいつ、俺のために……。
呆気にとられる俺の背中を、今度はきららがバンと叩いた。
「ま、あたしからも頼んであげるよ。はるみんが無様に負けちゃって、一生奴隷生活とかさすがに可哀想だし」
きららはヤレヤレと肩をすくめながらも、シャムールに向かってウインクを飛ばす。
「それに、はるみんが本気で何かに打ち込むところ、ちょっと見てみたい気もするし? お願い、シャムール」
「お前ら……」
二人揃って頭を下げてくれやがった。
こんな風に応援されちまったら、もう引くに引けねぇじゃねぇかよ。
「……なるほど。プリンセスたちがそこまで言うのであれば」
シャムールはようやく笑うのをやめて、コホンと咳払いをして姿勢を正した。
そして、スッと俺の方へ向き直り、ステッキで俺の肩をトン、と叩く。
「ユーのその必死なパッション、そしてプリンセス達の願い……しかと受け止めましたわ。男が一度口にした言葉を撤回せず、リスクを背負ってでも勝負に挑む。それもまた、プリンスへの第一歩! このレッスン、引き受けましたわよん!」
「マ、マジかよ!? やったぜ!」
俺がガッツポーズを決めると、シャムールはスッと目を細め、不敵な笑みを浮かべた。
「ただし! たった2週間でエース級に勝とうなんて、並大抵の努力じゃ足りませんわよん? ……それこそ、地獄を見るようなハード・レッスンになりますわお覚悟はよろしくて〜?」
煽るような意地悪い目つきで、俺を見据えてきやがるニャンコ先生。
だがな……俺の返答はもう決まってんだ。
「上等だよ……地獄でも何でも連れて行けや! あのイケすかねぇテニス野郎に勝てるなら悪魔に、いや猫にだって魂を売ってやるよ!」
俺が啖呵を切ると、シャムールは満足げに頷いた。
「オーケィ! では、善は急げですわ! さっそく特訓開始よん! 場所は……そうね、誰にも邪魔されない秘密のコートへご案内しますわ!」
「あ? 秘密のコートだ?」
シャムールはニヤリと笑うと、肉球のステッキを夕焼けの空に掲げて、高らかに叫んだ。
「レッスン・フェアリーパワー!!」
次の瞬間、レッスンパッドの画面から目が潰れるような強烈な光が溢れ出しやがった。
「うおっ!? 眩しっ!!」
俺は反射的に腕で顔を覆って、ギュッと目を瞑る。
視界が真っ白に塗りつぶされる。
……ん?
それだけだ。
風が吹くわけでも、体が浮くわけでもねぇ。
ただ一瞬、光っただけ。
「なんだよ、ビックリさせやがっ……て……」
俺は悪態をつきながら、恐る恐る目を開けた。
そして、言葉を失った。
「……は?」
そこは、さっきまでいた夕暮れの中庭じゃなかった。
校舎も、ベンチも、沈みかけてた太陽も、跡形もなく消え失せてる。
代わりに目の前に広がっていたのは……どこまでも続く不思議な色の空間と、そのド真ん中に鎮座する、ピカピカに整備されたテニスコートだった。
「な、なんじゃこりゃ……!?」
俺は自分の頬を強めにつねってみる。
痛てぇ。
夢じゃねぇ。
まばたき一つしてる間に、世界が丸ごとすり替わっちまったみたいだ。
「うわぁ……! 懐かしい~っ!!」
俺がポカンとしてると、隣にいたはるかが目をキラキラさせて歓声を上げやがった。
「ここだよここ! 私がゆうきくんに勝つために特訓したコート! あの時のままだぁ!」
はるかは嬉しそうにコートの中を駆け回り、ネットの感触を確かめたりしている。
まるで実家に帰ってきたみてぇなはしゃぎっぷりだ。
「マジかよ……。一瞬で場所が変わっちまったぞ」
俺は呆れて開いた口が塞がらなかった。
あのおもちゃのタブレットが光ったと思ったら、これかよ。
ドラえもんかここは。
常識が通用しねぇにも程があるだろ。
「よーこそ! ここがレッスンパッドの中、秘密のテニスルームよん!」
空中にフワフワと浮かびながら、シャムールが得意げにステッキを振った。
「ここなら誰にも邪魔されず、思う存分打ち合えますわ! 時間はたっぷりある……さあ、感心してる暇はありませんわよん!」
次の瞬間、シャムールがパンパン! と手を叩きながら俺の真横にフワっと着地する。
軽やかな音を立てて突っ立てやがったその姿を見て……俺は我が目を疑っちまった。
「……あ?」
そこに立っていたのは、さっきまでのちんちくりんなシャム猫……じゃなかった。
スラっと伸びた手足に、ツインテールの髪型。
白いシャツの上に黒いベスト見てぇな服を着て、胸の真ん中にはトレードマークの赤いリボン……モデル顔負けのとびきりの美女が立っていやがった。
その手には、いつの間にかラケットとボールが握られている。
「は? え……え!?」
さすがの俺でも思わず二度見する。
慌てて目をゴシゴシ擦るが、幻覚じゃねぇ。
ついさっきまで宙に浮いてた猫が、瞬きする間に人間にすり替わってやがる。
「ね、猫が女になりやがったぞ……」
色々頭がこんがらがっちゃいるがもう突っ込まねぇぞ、俺は。
人間バージョンのシャムールってことか。
いや、マジで美人じゃねぇかコノヤロウ。
「驚くのは早いですわよん? この姿になったからには手加減なし……ミーの指導はスパルタですわ!」
「い、いやちょっと待て! やっぱ突っ込むぜ! なんだその姿!?」
「レッスン・ワン! まずはボールとお友達になるところからですわよん! ラケットの上でボールをポンポン弾ませて、ボールの重さと反発を感じるのです!」
俺のツッコミなど聞く耳持たず、シャムールが指を鳴らす。
その合図と共に、俺の目の前にラケットとテニスボールがボトッと落ちてきた。
「……は?」
俺は足元のボールを拾い上げて、呆れたように目の前の美女を見上げた。
「おいおい、冗談はその姿と顔だけにしてくれよ」
俺はボールを握りつぶさんばかりに力を込めて、焦りを隠さずに吠えた。
「俺に残された時間はたったの2週間なんだぞ!? ボールとお友達だぁ? そんな悠長にお遊びやってる暇なんか1秒もねぇの! もっとこう、必殺のサーブとか、一撃必殺のスマッシュとか、勝てる技を教えろっつってんだ!」
俺の剣幕に、シャムールは涼しい顔でチッチッチッと人差し指を振った。
「ノンノン! これだからアマチュアは困りますわねん。……ユーはその試合で一度でもボールに触れまして?」
「うっ……」
痛いところを突かれて言葉に詰まる。
触るどころか、カスリもしなかった。
「基礎のない人間に、必殺技などありえませんわ! 急がば回れ、千里の道も一歩から! ボールの挙動を知らずして、エースに勝つなど100万年早いですわよん!」
「そ、そうだよ春海くん!」
コートの外で見守っていたはるかも、うんうんと大きく頷きながら声を張り上げた。
「私も最初はラケットの持ち方から始めたんだよ! 地味に見えるけど、ボールがどこに飛んでいくか分からないと、試合にならないもん!」
「はるはるの言う通り。はるみんさぁ、焦る気持ちはわかるけどね?」
すると、キララの野郎が後ろで俺の両肩をつかみながらニヤニヤと茶々を入れてくる。
「基礎飛ばしていきなり応用やろうとしても、どうせできっこないって。それともなに? そんなに早く5厘になりたいわけ?」
「だぁーッ! うっせぇ! 分かったよ! やりゃあいいんだろやりゃあ!」
俺はヤケクソでラケットをひっ掴むと、ボールを乗せてポンポンと突き上げ始めた。
ポン、ポン、ポ……コロッ。
3回続いたところで、ボールはフレームに当たって明後日の方向へ転がっていった。
「……あり?」
「あーあ……」
キララがわざとらしく額に手を当てて、深ーいため息をつきやがった。
「う、うるせぇ! これは……多分ラケット歪んでんだよ!」
俺が顔を赤くして言い訳すると、人間姿のシャムールが美しくも厳しい顔でため息をついた。
「これは時間がかかりそうね。……いいこと? 今日中に100回連続成功するまで、次のステップには進ませませんわよ! 覚悟して励みなさい!」
「ひゃ、100回だぁ!?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は握ったラケットを地面にポロリと落としちまった。
いきなり100回て……無理だろ! 今日中になんて!
「春海君! ファイト!」
コートの脇から、はるかがポンポンと手を叩いて声援を送ってくる。
その満面の笑顔は、今の切羽詰まった俺には煽りにしか見えねぇ。
「うるせぇ! 気安く言ってくれんじゃねぇか! 100回だぞ100回! 途中で落としたら最初からとか、どんな拷問だよ!」
「あら? 文句を言っている暇がおありかしら? 時間は刻一刻と過ぎていきますわよん?」
シャムールが長い黒髪をファサッとかき上げながら、意地悪く時計を指差す。
その姿はいつもの猫じゃなくて、スラッとした大人っぽい美女だけどよ、言ってることはまんま鬼軍曹だ。
くそが、妖精猫の時より威圧感が増してやがる!
「だぁークソ! わぁったよ!やりゃいいんだろやりゃあ!」
俺はヤケクソでボールを投げ上げ、ラケットを突き出した。
「あぁー!! ちくしょう! またフレームに当たりやがった!」
今度は7回目で、ボールが明後日の方向に飛んでいく。
俺はラケットを地面に叩きつけそうになるのを必死で堪えた。
イライラする。
たかがボールを上に弾くだけで、なんでこんなにうまくいかねぇんだよ!
「力が入りすぎですわ。手首を固めず、膝を使ってリズムを取るのよん」
「それができりゃ苦労しねぇっての!」
再びトライするが、今度は15回で失敗。
その次は5回。
やればやるほどドツボにハマっていく感覚だ。
汗が目に入って沁みる。腕がパンパンに張ってくる。
「あーあ。こりゃ日が暮れるどころか、夜が明けちゃいそうね」
壁にもたれ掛かりながら頬杖をついていたきららが、意地悪そうに俺を見てくる。
「ねぇはるみん。私オシャレな帽子屋さん知ってるから、試合終わったら一緒に見に行こっか?」
「てめぇ……! 縁起でもねぇことすんじゃねぇ!」
俺はきららをギロリと睨みつけた。
マルコメ……5厘……奴隷生活。
最悪のキーワードが脳内を駆け巡る。
……冗談じゃねぇぞ。
自分でした約束とはいえ、あんなテニス馬鹿に一生コキ使われるなんて、死んでも御免だ!
「上等だこの野郎。見とけよ、絶対クリアしてやるからな!」
俺は深呼吸をして、グリップを握り直した。
怒りを力に変えるんじゃねぇ。集中力に変えろ。
相手はボールだ。
喧嘩の相手のパンチを見切るよりは遅ぇはずだろ?
ボールの動きをよく見ろ……中心を捉えろ……!
ポン……ポン……ポン……。
リズムが生まれる。
手首の力を抜いて、膝で衝撃を吸収する。
シャムールの言ってたことが、少しだけ分かった気がした。
「50……51……」
はるかが小声でカウントしてくれる。
腕が鉛みてぇに重いが、今は止まるわけにはいかねぇ。
「80……81……!」
ゴールが近づくにつれて、ボールを見る目からノイズがチラつく。
心臓の音がうるせぇ。
あと少し……あと少しだ……!
「98……99……100!!」
「っしゃオラァァァァッ!!」
100回目のボールが高く上がった瞬間、俺はラケットを放り投げて雄叫びを上げた。
全身の力が抜けて、その場に大の字に倒れ込む。
「はぁ……はぁ……どうだ……見たか、コラ……!」
天井を見上げながら、荒い息を吐く。
たかがボール突き100回でこのザマだ。
先が思いやられるなんてもんじゃねぇ。
「ブラボー! やればできるではありませんか!」
シャムールが覗き込んできて、パチパチと拍手をした。
どうよ 俺の集中力はよ!
だが、既に俺の手首は痙攣して小刻みに揺れてやがる。
さすがにこれ以上は続行不可だ、まぁ初日だし今日はこれで終わり……。
「ですが、これはまだ準備運動。……本番はここからですわよん?」
「ヘッ?」
やり遂げたっていう開放感から一変、俺の表情は一気に絶望に染まった。
「ハハッ……鬼かよあんた」
無意識に乾いた笑いが口から漏れ出す。
「レッスン・ツー! 次は走り込みと素振り1000本ですわ! さぁ、立ちなさいプリンス!」
「殺す気かぁぁぁッ!!」
こうして、俺の地獄の特訓一日目は、終わる気配を見せずに続いていったのだった。
「1……2……3……ッ! クソが! もう腕がもげそうだぜ……!」
二日目……今度はサーブの練習だ。
以外に早いかもとか思う奴もいるかもしんねぇ。
最初は俺もそう思ってたさ。
ああ、そうさ、ひたすらに空中に向かってサーブを打つだけ。
ボール? んなもんどこにも見当たらねぇな。
俺は、ミス・シャムールがどこからか取り出してきた、鉄板でも入ってんじゃねぇか? ってくらいドチャクソ重いラケットをひたすらに振り回していた。
「ノン! 腰が浮いていますわよん! もっと低く、大地を掴むように!」
シャムールが肉球ステッキを指揮棒みたいに振るたびに、俺の背後でパチンとでっかい音と一緒に肉球型のシャボン玉が弾ける。
少しでもフォームの乱れがあったらこれよ。
痛みはねぇ分、音がデカくてシャボン玉が割れる度に俺の心臓がバックンバックン跳ね上がる。
「にゃ……にゃんこ先生! そろそろ休憩を……」
「ノンノン! 休憩ならさっき取りましたわよ! ほら! あと97回!」
「さっきって、たったの30秒前だろうが! このブラックニャンコが!」
俺は文句を垂れながらも、鉛みてぇに重いラケットを再び振りかぶった。
ここで止めたら、また最初からカウントをやり直されかねねぇ。
この美魔女……いや、鬼教官なら平気でやりやがる。
「4ッ! 5ッ! 6ッ!」
「ノン! 腕だけで振ろうとしていますわ! 背筋を伸ばし、膝のタメを肩に、そして腕へと伝えるのです! 波のように、美しく、エレガントに!」
「うるせぇ! そんな余裕なんてねぇよ馬鹿野郎!」
悪態をつきながらも、俺はシャムールの言う通りに少しずつ姿勢を微調整して行く。
不思議なもんで、この異常に重いラケットを振るには、腕の力だけじゃどうにもならねぇ。
体全体の反動……全身のバネを使わねぇと、まともに振り抜くことすらできねぇんだ。
シャボン玉の破裂音にビクつきながら、俺はひたすらに空を斬り続けた。
脳みそが真っ白になってくる。
腕の感覚はとっくに消え失せて、肺は焼けるように熱い。
あのテニス馬鹿への怒りすらも薄れ、ただあと何回、どう振れば重さを感じねぇか、だけを体が勝手に探し始めていた。
「98……! 99……! ……100ォォォォッ!!」
最後のスイングを振り下ろした瞬間、俺の指からラケットがすっぽ抜けて、ドスンと鈍い音を立ててコートにめり込んだ。
それと同時に俺は膝から崩れ落ち、そのまま仰向けにぶっ倒れた。
「ぜぇ……はぁ……はぁ……終わっ……た……」
喉の奥から血の味がする気がする。
視界の端で星がチカチカ飛んでやがる。
もう一歩も動けねぇ。明日こそ絶対全身筋肉痛で死ぬ。
「春海くん! 大丈夫!? 顔が真っ白だよ!」
はるかが髪をを揺らしながら、慌てた様子で俺の顔を覗き込んできた。
その横で、きららは呆れたように冷えたスポーツドリンクのペットボトルを、俺の頬にピトッと押し当ててきやがる。
「ひゃっ!?」
「お疲れはるみん。でも大丈夫? 干からびたカエルみたいな顔してるよ」
「うるせぇ……干からびたカエルに謝れ……」
息も絶え絶えに口答えしながら、俺はきららからペットボトルをひったくり、起き上がる気力すらないまま仰向けで喉に流し込んだ。
冷たい液体が、焼け付くような食道を通って胃の腑に落ちていく。
マジで死ぬ。明日から指一本動かねぇ自信がある。
そんな俺を見下ろしながら、コツ、コツ、とヒールの音を鳴らしてシャムールが近づいてきた。
「エクセレント! フォームの基礎は、どうやらその体に叩き込まれたようですわねん」
シャムールが優雅に肉球ステッキを振ると、周りの空間が歪み始めて、地面に深く突き刺さっていたはずの鉄板ごと、煙のようにフッと消え失せた。
「時間も時間ですし、今日のレッスンはここまでにしておきましょうか」
「よっしゃ……やっと解放だぜ……ははは」
地獄の終わりが確定した瞬間、糸が切れたように地面に大の字になったまま、すっかり日が暮れてオレンジ色に染まった空を見上げる。
もう指先一つ動かすのも億劫だぜ。
体中の筋肉が、これ以上動かしたらブチ切れてやるからな、なんてデモを起こしてる気がする。
「あら、そんなに嬉しそうな顔をしてはダメねぇ。ユーにはまだ、プリンスとしての『宿題』が残っていますわよん」
「しゅ……宿題だぁ?」
嫌な予感しかねぇ。
俺が眉間にシワを寄せると、シャムールははるかときららの方を向いて、いたずらっぽく微笑んだ。
「はるか、きらら。……このボロボロのプリンスを、ちゃんと寮までエスコートしてあげてくださる? 途中で行き倒れてしまっては、明日のレッスンに響きますもの」
「はいっ! お任せくださいミスシャムール!」
「了解〜。じゃあ、はるみん。ほら、立って立って。肩貸してあげるから」
はるかが俺の右腕を、きららが左腕を強引に引っ張り上げる。
「ちょ、待て……! いでででで!! 痛ぇって! 筋肉が悲鳴あげてんだよ!」
「もう、我慢しなさいって。ほら、いち、に、いち、に!」
まるで介護される爺ちゃんみてぇな格好で、俺は二人に引きずられるようにして歩き出した。
背後でシャムールが楽しげに笑ってる声が聞こえる。あのクソ猫……マジで覚えてろよ。
「……なぁ」
「なぁに? 春海くん」
寮に戻る途中、俺ははるかに不安そうに呟く。
「明日……俺、ちゃんと生きてると思うか?」
「あはは! 大丈夫だよ、春海君はしぶといもん。明日もレッスン、頑張ろうね!」
変わらねぇ満面の笑顔で答えるはるかを見て心が安心しちまったのか、深いため息を着いた。
藍原との再戦まで残り1週間と5日……自分から蒔いた種とはいえ改めて無謀な戦いをしてる事を改めて実感する。
だがまぁ……案外何とかなりそうだ。
こいつらと一緒ならな。
思いのほか長くなってしまったので後半に続きます!