Go! トラブルメーカー! 〜雑草は花園で咲く〜 作:ナッパー
連行された先は、校舎裏にある広大な中庭だった。
綺麗に刈り揃えられた芝生に、色とりどりの花が咲き誇る花壇。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、どこからともなく小鳥のさえずりが聞こえてくる。
「絵に描いたような平和ボケだぁ」
眩しさに目を細めながら、白いベンチにドカッと腰を下ろした。
隣には、まだ俺にビビり倒している小動物こと七瀬ゆいが、縮こまるようにして座っている。
まぁ無理もねぇ気はするけどそこまで怖がられるとショックだな。
「はい、春山くん! どうぞ!」
なんやかんやぼんやりそんなことを考えていると
向かいに座ったはるかが、バスケットからサンドイッチを取り出して俺に差し出してきた。
「お……おう」
受け取ったサンドイッチを見ながら、少し目を見開く。
レタスの緑、トマトの赤、卵の黄色。
断面が綺麗に整ってて、コンビニで売ってる詐欺商品とは大違いなできだ。
「ほへぇ、すげぇなこれ……お前が作ったのか?」
俺が隣のメガネに聞くと、ゆいって奴はビクッと肩を揺らしてから、消え入りそうな声で答えた。
「は、はい……。お口に合うかわかりませんが……」
「さっきからビビりすぎだろ俺の事……まぁいいや、いっただっきまーす」
ゆいのビビり具合に少し戸惑いながらも、俺は手に持ったサンドイッチを一口で放り込んだ。
「……!」
うんま!
いや、美味いなんてもんじゃねぇぞこれ!
シャキシャキのレタス、ジューシーなトマト、そして絶妙な塩こしょう加減のたまごサラダ。
パンもふわふわで、具材と完璧に馴染んでやがる。
口の中で味が喧嘩とかしねぇで、仲良く手を取り合ってダンスしてるみたいだ。
これが手作りだぁ? 破壊力高すぎんだろ!
「……んぐ、むぐ」
俺は無言で咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。
目の前では、ゆいが不安そうに俺の反応を伺ってやがる。
「……ど、どうでしょうか……?」
「…美味ぇ、クソうめぇよこれ! 普通に店出せるレベルだぜ? 俺が保証する」
「ほ、本当ですか……!? よ、よかったぁ……!」
ゆいはパァッと顔を輝かせ、照れくさそうに頬を染めてもじもじしている。
さっきまで残像を残して逃げていた奴とは思えない変わりようだな……単純すぎんだろ。
「でしょー! ゆいちゃんの料理は世界一なんだから!」
突然、身を乗り出しくぬ春野はるか。
なぜか自分のことみたいにドヤ顔で胸を張る。
「いや、お前が作ったわけじゃねぇだろ」
「いいの! 親友の自慢は私の自慢だもん!」
はるかはニシシと笑うと、サンドイッチを頬張りながら熱っぽく続けた。
「それにね、ゆいちゃんはお料理だけじゃないんだよ? 絵もすっごく上手なの! 将来は絵本作家になるのが夢なんだから!」
「……絵本作家?」
俺は意外な単語に眉を上げた。
隣を見ると、さらに小さく縮こまって、顔を真っ赤にしている。
また戻ったな小動物状態に。
「は、はるかちゃん……! その話は恥ずかしいから……!」
「えー? 恥ずかしくないよ! ゆいちゃんの描く物語、私大好きだもん!」
「うぅ……」
はるかの真っ直ぐな称賛に、ゆいは茹でダコみたいに赤くなって口元に手を被ってやがった。
なるほどな。
料理がうまくて、絵も描ける……見た目は弱そうだが、意外と芯はしっかりしてやがるのか。
「さすがはこの学園の生徒だな……まぁ手に職つけるってのは大事だな、飯も作れて絵も描けるなんて最高じゃねぇか、将来食いっぱぐれはしねぇんじゃねぇの?」
俺が感心半分、皮肉半分でそう言うと、はるかのテンションがさらに上がってこっちに身を乗り出してくる。
「でしょでしょ! 夢に向かって頑張るゆいちゃんはすごいんだよ!」
「はいはい、わかったよ」
無意識に前のめりになるはるかを静止して、ランチBOXからもう一切れサンドイッチをとった。
なんかこいつ……この学園に居るお高く止まったようなやつらとはちょっと違った感じがすんな。
一言で言うと朝ドラの主人公と喋ってるみたいな感覚になる。
「じゃあじゃあ、春山くんは?」
すると、突然はるかが身を乗り出して、その大きな目ん玉で俺をロックオンする。
「は? なにが?」
「春山くんには、何か夢とかないの?」
「夢?」
唐突な質問に、俺はサンドイッチを口に運ぶ手を止めた。
夢、だぁ?
昨日のあの時の言葉がフラッシュバックする。
そういえばそんなこともちつき? 学園長も言ってたっけな。
「別にねぇよ、そんなもん」
興味なさそうにそう吐き捨てて、またサンドイッチを一口で口に放り込んだ。
「ええーっ!? ないの!?」
まぁ案の定、はるかは素っ頓狂な声を上げて、あんぐりと口を開けた。
まるで夢がない人間なんてこの世に存在するのかい!とでも言いたげな顔してる。
隣のゆいも、意外そうな顔でこっちを見ていた。
「ないものはない。悪いかよ」
俺がむすっとして返すと、はるかは慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、悪くないよ! 悪くないけど……」
彼女は少し言い淀んでから、またすぐに真剣な眼差しで俺を見つめ返してきやがった。
「でも、ここノーブル学園だよ? 夢を叶えるための場所なんだよ? きっと春山くんにも、これから見つかるよ!」
元気いっぱいな明るい声でその言葉を聞いた瞬間、俺の中の嫌な記憶が一瞬飛び出してきやがる。
――お姉ちゃんにできてなんであんたにできないの!
頭の中で耳障りな金切り声がキーキー響きやがる。
その時は確か……いや、もう思い出したくもねぇ、兎にも角にもあの頃はまだ無邪気すぎたんだ。
「アホか……俺にそんなもん出来るわけねぇってこれからも……この先もずっとな」
そう吐き捨てるように呟くとそこの自販機で買ったコーラでサンドイッチと嫌な記憶を一気に流し込んだ。
「そう……なんだね」
その言葉を聞いたはるかは、眉を八の字に下げてシュンと俯いちまってる。
さっきまでの朝ドラヒロインみたいな笑顔が嘘みてぇに消えてる。
まるで飼い主に怒られた犬みてぇな顔しやがって。
「あー、すまん、別にいじめるつもりなかったんだけどよ……炭酸の刺激が強すぎて口が滑っちまった、みたいだなぁアハハ」
気まず……こんなつもりで言ったわけじゃなかったんだけど。
さっきまでの楽しい夢発表会の流れを俺が完全にぶった切っちまったみたいだ。
この重苦しい空気をなんとかしねぇと、せっかくの美味いサンドイッチが台無しだ。
俺は空になったコーラの缶を軽く握りつぶしながら、強引に話題を変えることにした。
「……で、お前はどうなんだよ」
「え?」
はるかがパチクリと目を瞬かせて顔を上げる。
「お前だよ、えっと……はるかだっけ? 人には散々聞いといて、自分はねぇのかよ。その大層な夢ってやつは」
俺の問いかけに、はるかはパァアアっと満開の花が咲いたみたいに顔を輝かせた。
さっきまで泣きそうだったのが嘘みてぇにな……
なんだこの切り替えの早さは。
情緒のブレーキが壊れてんのか?
彼女はスッと背筋を伸ばして立ち上がると、胸の前で拳を握り、真っ直ぐな瞳で高らかに宣言しやがった。
「私の夢はね……プリンセスになること!!」
「ぶふぉっ!!」
盛大に空気にむせた。
肺が変な動きをして、ゲホゲホと無様な咳が出る。
今、なんて? ここ日本だぞ? 現代だぞ?
「ぷ、プリンセスだぁ……?」
涙目で聞き返すと、はるかは真顔で、いやむしろ一点の曇りもないドヤ顔で頷いた。
俺はまじまじとこいつの顔を見る。
いやマジだ。
中学生にもなって? 幼稚園の卒業文集の話をしてるわけじゃねぇよな?
「すまん、お前……頭、大丈夫か? どっか打った?」
俺は思わず、可哀想なものを見る目で彼女を見てしまった。
いくらなんでもアホすぎんだろ。
そりゃ情緒がぶっ壊れてんのも納得だわ
全寮制の名門校だかなんだか知らねぇが、ここは夢という名のヤベー奴らを閉じ込めておく隔離施設か何かなんじゃねぇの?
「つよく、やさしく、美しく! 世界中の人を笑顔にできるような、素敵なプリンセスを目指してるの!」
いや、こいつは真剣そのものだ。
ふざけてるわけでも、ウケを狙ってるわけでもねぇ。
俺は呆れ果てて、思わず天を仰いだよ。
「ハイハイ。じゃあなんだ、王子様が白馬に乗って迎えに来てくれんのを待ってんのか? 頭ン中お花畑だな」
小馬鹿にするように鼻を鳴らしてみるがはるかは怒らない。
代わりに、少しだけ表情を引き締めて、真っ直ぐに俺を見返してきやがった。
「待ってるだけじゃないよ。私がなりたいのは、自分自身の足で立つプリンセスなの」
「……あ?」
「だから、ノーブル学園で勉強もレッスンも頑張るの。夢を叶えるために!」
こいつの目には、一点の曇りもなかった。
馬鹿にされたことへの怒りよりも、自分の夢への誇り、そしてなりたいもんの方が勝ってる目をしてやがる。
太陽の光を反射して、その瞳は直視するには痛すぎるくらいににキラキラ輝いてた。
なんなんだこいつは、バカみてぇだ。
俺が将来の夢は? なんて言葉を聞いたのは小1の道徳の勉強ん時だけ。
家ん中では、いい学校に入って、いい会社に入って、家の名に恥じない人間になりなさい……ってな感じで、夢なんてのは言ってみれば母ちゃんから押し付けられるだけの、息苦しい義務でしかなかった。
なのに、こいつは違う。
自分の意志で、あんな馬鹿げた夢を……しかも小学校低学年くらいで卒業する夢を本気で信じてやがる。
こいつ……マジモンだ。
「……変な奴だなお前」
俺は視線を逸らし、ボソッと呟いた。
サンドイッチは美味いのに、なんか胸の奥が少しだけざらつく。
その時、無慈悲な鐘の音が学園中に鳴り響いた。
キーンコーンカーンコーン……
予鈴だ。昼休み終了の合図。
「あ! もうこんな時間! 急がなきゃ!」
ゆいとはるかが慌てて立ち上がり、2人してバスケットを片付け始める。
「次は掃除の時間だもんね。春山くんのクラスはどこ担当?」
「あ? 知らねぇよそんなん。適当にサボるし」
気だるそうに答えると、はるかは信じられないものを見るような目で俺を見た。
「ダメだよ! 『自分のことは自分でする』! それがノーブル学園のモットーなんだから!」
「うっせぇな、どうせ金持ってんだろこの学校……ルンバでも走らせときゃいいんだよ」
「ルンバはいません! さぁ、行くよ春山くん!」
「ちょっおい、引っ張んな!」
はるかは俺の腕をグイッと掴むと、強引に立たせようとする。
こいつ……細腕のくせに、なんて馬鹿力だ。
これが夢見る乙女のパワーってやつか?
じゃあねぇ、ここは一致かますか。
「ごめん……実は俺掃除はアレルギーなんだわ。医者に止められててな」
少し俯きながら悲しそうな顔をしてみる。
「えっ!?」
はるかが驚いて手を緩めた一瞬の隙……しめた!
「引っかかったな! ドアホ!」
そのまま強引に腕を振りほどき、うさぎのごとくその場からバックれた。
「あーっ! 嘘だ! 待って春山くん!」
「へっ、誰が待つかよ! あばよ、ピンクのタイフーン!」
「はぁ?! 何よそれー!!」
背後ではるかが何か叫んでいたが、俺は聞こえないフリをして校舎の裏へと走り去った。
「……ふぅ。撒いたか」
俺は校舎の裏手、ほかの生徒なんて滅多に通らねぇだろう渡り廊下の影に身を潜めていた。
中庭の方からは、掃除にいそしむ真面目な優等生たちの賑やかな声が聞こえるが、ここは死んだように静まり返っている。
「バーカ掃除なんざ、お利口な皆様だけでやってろっての」
ニシシと意地悪く笑いながら、ズボンのポケットをごそごそと探った。
指先に触れたのは、四角い箱の感触。
「へへっ。あったあった」
取り出したのは、少し箱が潰れたタバコだ。
家を出てくる直前、親父の書斎からこっそりくすねてきた戦利品だ。
『春海、父さんはな……本当はお前とバイクで走りたかったよ』
親父が昔、隠れてタバコを吸いながら寂しそうにこぼしていた言葉を思い出す。
母ちゃんのヒステリーに耐えながら、それでも俺を捨てきれなかった親父の、唯一の安息の匂い。
「悪ぃな親父、息子が有効活用してやるよ」
俺は悪びれもせず箱を開けると、一本抜き出して口にくわえた。
壁に背中を預け、少し気取ったポーズをとってみる。
これで火をつけちまえば、俺は完全にこのお上品な学園の異物になれる。
清く正しく美しく? 知ったことか。俺は俺だ。
ライターを取り出し、火をつけようと親指に力を込めた。
――その時だった。
「ロマ! 早く隠れるロマ!」
「パフ! 待ってパフ〜!」
茂みの方から、奇妙な話し声が聞こえてきやがった。
誰だ? 生徒か? いや、それにしては声がガキっぽいような……。
動きを止めて警戒してると茂みから飛び出してきたのは……。
「……あ?」
ピンク色のモップ……じゃねぇ、ピンク色の犬みたいな毛玉と、紫色のインコみてぇな鳥だった。
そいつらは俺の姿を見るなり、ビクッ!!と硬直しやがった。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
俺がくわえたタバコをポカンとさせたまま見下ろしていると、青紫の鳥が慌てた様子で、隣の犬の頭をバシッと叩いた。
「……ハッ! ちゅ、チュン! チュンチュン!」
「パ……ワン! ワワン! ワオーン!」
突然、そいつらは……その二匹は嘘くさい鳴き声を上げ始めた
鳥の方はまだいいとして、犬の方はどう見ても日本語のイントネーションだろ。
「なんなん? こいつら……」
しゃがみ込むと、二匹はガタガタ震えながら後ずさりする。
「野生にしちゃあ変なナリしてんな。……つーかお前ら、今喋ってなかったか?」
「ワ、ワン! (喋ってないパフ!)」
「ピヨ! ピヨピヨ! (ただの鳥ロマ!)」
必死に首を横に振る二匹。
なんか面白ぇ生き物だな。
この学園、人間だけじゃなくて動物まで変なのかよ。
ま、いいや。俺の邪魔さえしなけりゃなんでもいい。
「 ……シッ、シッ、トリ公、ワン公、あっち行け」
俺が手で追い払う仕草をすると、二匹は同時に目配せしながら逃げるように茂みの奥へと消えていった。
「……ったく動物園かよここは」
ツッコミたいことは死ぬ程あったが、気を取り直して、俺は再びタバコをくわえ直した。
ライターのカチッという音を響かせようとした、その瞬間。
ゾワリ……と背筋に、氷柱(つらら)を突っ込まれたような寒気が走った。
「……あ?」
俺の親指がピタリと止まる。
ライターの火がつかない。いや、空気が急に重くなって、火をつける気力ごと削ぎ落とされたみてぇな感覚だ。
なんだ? この感覚。
喧嘩の前の殺気とは違う。
警察に追い回されてる時の緊張感とも違う。
もっとこう……生理的に受け付けない、ドス黒くて粘り気のある嫌な気配。
風が止まった。
小鳥のさえずりも消えた。
世界から色が抜け落ちたみたいに、急に周りの景色が色褪せていく。
俺はくわえたままのタバコを、手でクシャッと握りつぶした。
こりゃ吸ってる場合じゃねぇ。
「……誰だ?」
俺は低い声で唸りながら、ゆっくりと振り返った。
誰もいない渡り廊下。
だが、長年喧嘩で培った俺の警鐘を鳴らしている。
なんかがいる。
ヤバい何かがいる、すぐそこに。
「……へぇ。気配に気づくなんて、君、意外と鋭いんだね」
頭上から、気の抜けたような男の声が降ってきた。
見上げると、校舎の屋根の縁に、誰かが座ってやがった。
小柄な少年だ。
ダボッとした変な柄のパーカーを目深に被り、その顔は大きなフードでよく見えない。
手には携帯ゲーム機を持って、ピコピコと操作してやがる。
「……ごきげんよう。……って、言うんだっけ? ここの挨拶」
そのガキはゲーム画面から目を離さず、面倒くさそうに呟いた。
背中には、小悪魔が付けてそうな黒い翼が生えている。
「……なんだ? テメェ。ここの生徒って感じじゃねぇな……そんな高いとこでゲームしてると落ちんぞ」
精一杯の軽口を叩きながら、ポケットの中で拳を握りしめた。
ガキに見える。
だがわかる。
こいつから漂うオーラは、さっきの愉快な動物たちとは訳が違う。
純粋な悪意って奴と底知れない退屈が混ざったような、不気味な気配。
「ガキ、ねぇ……。ククッ、面白いこと言うね」
ゲーム機をパタンと閉じると、フードの下から片目だけを覗かせて俺を見た。
「僕の名前はロック。……君、いい匂いがするよ」
「あ? ブロックだぁ? ていうかなんだよいい匂いって……あぁドルガバの香水のせいだろ」
「違うよ。……君からは、諦めの匂いがする」
ロックとか名乗るガキはニヤリと笑った。
その笑顔は、無邪気な子供そのものだったが、獲物を見つけた捕食者のオーラをまとってやがる。
「この学園の連中はさ、どいつもこいつも『夢』だの『希望』だの、暑苦しくて眩しい匂いをさせてるから、僕、苦手なんだよねぇ。……でも、君は違う」
ロックが音もなく地面に降り立つ。
おいおい、こいつの周り重力無さすぎだろ。
異様な雰囲気と、脳内でなる警報で反射的に一歩後ずさった。
「君の目は冷めてる。夢なんてくだらない、努力なんて無駄だ……そう思ってるでしょ?」
「……ッ!」
図星を突かれて、俺は息を呑んだ。
「わかるんだね……その気持ち。頑張るのって疲れるもんね。期待されるのって、めんどくさいよね」
まずいぜこりゃ、このガキの言葉が甘い毒みたいに俺の耳に入ってきやがる。
「ねぇ、君。……いっそ全部、閉ざしちゃえば楽になると思わない?」
すると突然ロックが俺の顔を覗き込む。
フード被っててよくは見えねぇが、その瞳の奥にあるのは、底なしの絶望……多分こいつやべぇ!
「てめぇそれ以上近づくな! ぶっ飛ばぞこの野郎!」
俺は反射的に拳を振り上げた。
相手がガキだろうが関係ねぇ。
俺を見てニヤニヤ笑ってやがるそのツラが、人様を小馬鹿にしたようなその態度が、死ぬほど気に食わねぇんだよ。
俺は一番嫌いなんだ。
誰かに見下されるのも、舐めた口きかれるのもな!
「オラァッ!!」
渾身の力で横っ面に右ストレートを放つ。
だが、拳は虚しく空を切った。
「おっと。……野蛮だねぇ」
そのガキははまるで煙みたいにフワッと消えたかと思うと、いつの間にか俺の背後に回ってやがった。
「ははっマジかよ……」
薄々気づいてたが……そりゃ俺がビビってるわけだ、こいつ絶対人間じゃねぇ。
「でもさ、君のその怒り……悪くないよ。もっと中身が見たくなっちゃった」
振り返る間もなかった。
こいつの冷たい手が、俺の背中にピタリと触れる。
「お前の夢……見せるんだね、ロックユアドリーム!」
カチャリと、ドアノブを捻ったみたいな開ような音が、頭の奥で響きわたる。
「やめ……!」
抵抗しようとしたが、体が金縛りにあったみたいに動かねぇ。
こいつ一体何してやがんだ? 大事なもんをしまってる場所を、土足で踏み荒らすような感覚が走る。
「さーて、どんな素敵な夢を持ってるのかなぁ? ……ん?」
すると次の瞬間ロックの声が、急に素っ頓狂なものに変わった。
「あれ?……ない」
「……は?」
「ないよ。何にもない。君の心の中、スッカスカなんだね」
こいつは俺からパッと手を離すと、心底つまんなそうに肩をすくめた。
「真っ暗で、ドロドロしてて……夢なんてカケラも残ってないや。君、もう終わってるんだね」
終わってる。
その言葉が、ナイフみたいに俺の胸に突き刺さった。
「普通さぁ、どんな人間でも一つくらいはキラキラしたものを持ってるもんなんだよ。でも君にはそれがない。あるのは諦めと絶望だけ」
ロックは俺の顔を覗き込み、哀れむような、嘲笑うような目で言った。
「ねぇ、生きてて楽しい? そんな空っぽなままで」
次の瞬間、ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
もちろん反論しようとした。
うるせぇって、ほっとけって……いつも先公に怒鳴り返してる見てぇにこのガキにも……。
でも声が出ねぇ。
喉の奥に張り付いてるみたいに動かねぇんだ。
また心の中の嫌な記憶が蘇る。
――出来損ないが
――社会のゴミが!
――その腐った性根……どうにかならないかねぇ。
――生きてて楽しい?
この学園に来る前、前の学校の奴らだったり先公に言われてきたクソみたいな言葉の数々、そんなヘドロみたいに心にへばりつく思い出が固まって、俺の心にくい込んでくる。
図星だったからだ。
俺自身が一番よくわかってたことを、他人に、しかもこんな得体の知れねぇガキに暴かれたことが、どうしようもなく惨めで、悔しくて。
「……あ……あぁ……」
間抜けな声を発しながら膝から力が抜けた。
俺はその場に、ガクリと崩れ落ちる。
地面の冷たさが膝に伝わってくるが、もうどうでもいい。
立ち上がる気力さえ湧いてこねぇや
「かわいそうに。夢を見る前に絶望しちゃってるなんてさ」
ロックは冷ややかな目で見下ろしてくる。
「君の夢はもう覗く価値もないや。……だって君は、もう僕たちディスダーク側の住人みたいだもんね」
俺は地面に手をついたまま、何も言い返せなかった。
ただ、自分の空っぽさを突きつけられて、呼吸をするのさえ苦しかった。
「……ねぇ」
ロックが俺の周りをゆっくりと歩き回る。
「僕、ちょっと気になることがあるんだよね」
「……あ?」
この期に及んで一体何するってんだこいつは。
「普通はさ、夢を持ってる奴から夢を抜き出して、それを絶望に染めることでゼツボーグを作るんだけど……」
ロックはしゃがみ込み、俺の顔を覗き込んだ。
「最初から絶望してる人間を素体にしたら、一体どんなゼツボーグができるのかなぁ?」
おいおいなんてこと考えてんだこいつ……実験だ? こいつ、俺をモルモットにする気か。
「ちょうどいいや。君、暇そうでしょ? 僕の実験に付き合ってよ」
ロックが俺の胸に手を伸ばす。
逃げなきゃ。頭じゃわかってるのに、体が鉛みたいに重くて動かねぇ。
「行くんだね、ゼツボーク!」
この野郎ががそう叫んだ瞬間、俺の胸からドス黒いもやが噴き出した。
「……う、あぁぁぁぁっ!!」
熱い。
苦しい。
俺の中のヘドロみたいな感情が、無理やり外へ引っ張り出されていく。
視界が歪む。
俺の体から溢れ出た黒い影は、瞬く間に膨れ上がり、巨大な何かへと形を変えていきやがる。
不定形で、泥のようにドロドロとした黒い塊。
定まった形を持たず、ただそこに在るだけで周りの空気を腐らせるような、おぞましい存在。
「……なんだ、ありゃ……」
俺は地面に這いつくばったまま、震える声で呟いた。
俺の心の中身があんな形をしてるのか?
あんな、得体の知れねぇ化け物なのかよ。
「へぇ……。こいつは凄いね。夢がない分、純粋な『虚無』って感じかな」
このクソガキがぁ……実験が成功したみたいにケラケラ笑ってやがるわ。
「ムダダ……ゼンブムダダ……ゼツ……ボーグ!!」
俺の中から出た化け物はと、俺の口癖を不気味に反響させながら咆哮を上げた。
俺の意識が恐怖と絶望で塗りつぶされそうになる。
あぁ、なんかもうどうでもいいわ……疲れたしこのまま寝ちまおう。
重いまぶたが閉じかけた、その時だった。
「――おやめなさい!!」
凛とした声が、絶望に染まった空間を切り裂いた。
「あ?」
薄目を開けると、上空から眩い光が四つ、流星みたいに降り注ぐ。
ピンク、青、黄色、そして赤。
モノクロだった世界に、鮮烈な色が戻ってくる。
光が弾け、俺と化け物の間に四人の少女が舞い降りた。
「……なんだ、ありゃ……」
よーく目を凝らして見てみりゃ、俺の目の前にいたのはフリフリのドレスに身を包んだ、派手な格好の女たち。
こんな時にイベントのコスプレか何かか?
いや、違う。
そんなチャチなもんじゃねぇ。
そいつらの背中からは、言葉じゃ説明できねぇ強さみてぇなもんが溢れてやがった。
「げっ、プリキュア……」
ロックって野郎は心底嫌そうな顔をして、大袈裟に肩をすくめた。
プリキュア? なんだそりゃ。
聞いたこともねぇ名前だが、こいつらのことか。
「なんだよ、もう来たの? しかも4人揃ってさぁ。せっかく面白い実験の最中だったのに」
「また人の心を実験台に……許せない!」
真ん中に立った、ピンク色のドレスの少女が叫ぶ。
その声……どこかで聞いたことがあるような……いや、ついさっき聞いたぜ!
真っ直ぐすぎて耳が痛くなるようなこの声……。
「大丈夫パフ?!」
「しっかりするロマ! 意識を保つロマ!」
彼女たちの足元から、今さっき校舎裏で見たピンクの犬と青紫色の鳥が駆け寄ってきた。
なんだよやっぱ普通に喋れんのかい。
いや、今そんな事はどうでもいい。
「逃げ、ろ……」
ギリギリの意識の中、掠れた声で絞り出す。
「あの化け物は……なんかヤバい……俺の、中から飛び出して……。」
「春海君……下がってて! ここは私たちが食い止めるよ!」
ピンクの少女が、俺を背に庇いながら言った。
こいつ……今俺の名前を? それに無鉄砲に前へ出るその姿勢。
さっき中庭でプリンセスになるとか叫んでた、あの変な女……春野はるかと重なる気がした。
まさか……な。
あんなドンくさそうな女が。
「行くよみんな!」
ピンクの少女の号令に、他の三人が頷く。
青いドレスの奴、黄色いドレスの奴、そして赤いドレスの奴。
四人が一列に並び立った。
「咲き誇る花のプリンセス! キュアフローラ!」
「澄み渡る海のプリンセス! キュアマーメイド!」
「きらめく星のプリンセス! キュアトゥインクル!」
「深紅の炎のプリンセス! キュアスカーレット!」
次々と名乗りを上げ、ポーズを決めていく。
なんだよ、プリンセスって。
マジで意味がわかんねぇぞ。
これが普通なら痛い奴らだって笑い飛ばすところだ。
だけど、今の俺には笑えなかった。
こんな状況も状況だげどよ、そいつらが本気だってことが、背中越しにビリビリ伝わってきやがるからだ。
「「「「つよく、やさしく、美しく!」」」」
四人の声が重なる。
彼女たちは一斉にスカートの裾をつまみ、優雅に、しかし力強く言い放った。
「「「「Go! プリンセスプリキュア!」」」」
その名乗りが終わった瞬間、俺の体の震えが止まった。
なんだ、この感覚。
ただの決め台詞じゃねぇ。
自分自身を奮い立たせ、敵に立ち向かうための、魂の誓いみてぇな響きだ。
すげぇ
俺は薄れゆく意識の中で、ぼんやりと思った。
あの4人の背中。
「「「「冷たい檻に閉ざされた夢、返していただきますわ!」」」」
「「「「お覚悟は、よろしくて!?」」」」
「やっちまえ、ゼツボーグ!」
ロックが指をパチンと鳴らすと、泥の化け物が咆哮を上げた。
『ゼンブ……キエロ……ゼツボーグ!』
化け物が腕を振り上げる。
その腕がドス黒い槍のように鋭く伸びて、赤いドレスの少女を狙った。
「危ねぇッ!」
俺が叫んだ瞬間。
「――およしなさい!」
赤い少女は避けようともしなかった。
優雅にバイオリンのような武器を構え、一筋、弦を を引く。
その瞬間、真っ赤な炎が渦を巻き、迫りくる泥の槍を蒸発させた。
熱気がこっちまで届く。
すげぇ……あいつ、顔色一つ変えてねぇ。
ていうかなんなんだよこの炎は!どっから出てきたんだ?!
「夢を持たぬ魂など、虚しいだけですわ! わたくしが焼き尽くして差し上げます!」
赤いドレスの少女キュアスカーレットとか言うやつが、優雅にバイオリンを奏でるように武器を振るう。
その瞬間またまた出てきた真っ赤な炎が、生き物みたいにうねりながら泥の化け物に襲いかかった。
クソ熱い……。
離れている俺の頬がヒリつくほどの熱量だ。ぜ。
普通なら、あんなもん喰らえば一発で消し炭だろう。
『ムダダ……』
だがゼツボーグは、迫りくる炎を避けることもしなかった。
ドロリとした黒い体が波打ったかと思うと、あろうことか炎を飲み込むように受け止め、一瞬で鎮火させてしまい上がった。
「なっ……!?」
スカーレットが目を見開く。
「わたくしの炎が……効かない!?」
「あはは! 言ったでしょ? こいつは『虚無』だって」
ロックが空中で足をぶらつかせながら、心底楽しそうに笑う。
「普通のゼツボーグなら、夢っていう核(コア)があるから、そこを浄化すればいいんだけどさぁ……こいつにはそれがない。何を与えても満たされない、いわば空っぽの底なしなんだよ」
『ゼンブ……キエロ……ゼツボーグ!』
次の瞬間、ゼツボーグの体がボコボコと泡立ち、無数の黒い槍となって四方八方に飛び散った。
「危ないッ! プリキュア・バブルリップル!
青いドレスの少女、確かキュアマーメイドとか名乗ってたやつが前に出て、巨大な水の泡を作り出し、盾にする。
だが、泥の槍は水の盾を容易く突き破り、彼女たちを吹き飛ばした。
「きゃあああっ!!」
「くっ……! 強い……!」
最前線にいた赤、青の2人が地面に転がる。
「マーメイド! スカーレット!」
次の瞬間、黄色い衣装を着た女……えっと、キュアトゥインクルが狼狽の声をあげる。
畜生! 俺の絶望って奴はあんなキラキラしてすごそうな連中でさえ止められねぇのかよ。
俺からでてきた力がそれだけ強いって事だから少し嬉しいけど……こいつらでもどうしようもねぇならもう……。
「諦めないで!」
次の瞬間、ただ一人、ピンクの少女、キュアフローラが、満身創痍なみんなに向かって叫ぶ。
「春山くんの心が空っぽだなんて、私は思わない!」
彼女は俺の方をチラリと見て、力強く言った。
「だって、あんなに美味しいサンドイッチを食べて美味しいって言ってくれたもん! 友達の夢をすごいって認めてくれたもん!」
「……は?」
何言ってんだこいつ? こんな状況で、サンドイッチの話かよ。
「小さな幸せを感じられる心があるなら、それは虚無なんかじゃない! 絶望なんかじゃないよ!」
フローラ……いや、春野はるかが拳を握りしめ、地面を蹴る。
おいおいこいつ無鉄砲だ! 策もなしに突っ込んで、どうするつもりだってんだ!
「プリキュア・フローラル・トルビヨン!」
彼女の手から、無数の花びらが嵐のように舞い上がった。
華やかで、力強い、ピンク色の竜巻。
それが泥の化け物を包み込み、動きを封じる。
『グググ……』
「今だよ! トゥインクル! マーメイド!」
「了解! キラキラ! 流れ星よ! プリキュア・ミィーティア・ハミング!」
黄色い少女が魔法のステッキみたいなもんを空中にかざすと、ものすごい数の流れ星光現れ化け物の頭上から降り注ぐ。
「高鳴れ! 氷よ! プリキュア・フローズン・リップル!」
次は青い少女が同じような魔法のステッキを空中にかざすと、ステッキの先っぽから冷気を放ち、泥の足を凍らせて地面に縫い付ける。
すげぇ……。
あいつら、言葉も交わさずに完璧に連携してやがる。
三人の攻撃を受けて、さすがの化け物も動きが止まった。
その隙を、赤い少女――スカーレットは見逃さなかった。
「皆様の想い、繋ぎますわ! ……羽ばたけ! 炎の翼!」
そう叫ぶ彼女のバイオリンが、さっきよりも強く、激しく鳴り始める。
なんかわかんねぇけど必殺技みたいな何かが来そうな感じだぜ!
「プリキュア・フェニックス・ブレイズ!!」
彼女が叫んだ次の瞬間、どデカい不死鳥の形の炎が俺のゼツボーグに向かって一直線に突き進む! いやだからどっから出しやがったんだその炎はよ!
そんな事を考えてる内に不死鳥の炎が泥の塊を飲み込んで、凄まじい爆発が起きた。
熱風が吹き荒れ、視界が白く染まる。
……やったか?
あんなもん直撃したら、骨も残らねぇだろ。
ていうか残っていいはずねぇだろうが! だが、煙が晴れたその先にいたのは――。
『……ムダダ……キエロ……』
「なっ……!?」
スカーレットが息を呑む。
そこにいたのは、黒焦げになりながらも、ニョキニョキと泥を再生させて元通りになっていく化け物の姿だった。
無傷……じゃねぇが、倒れてねぇ。
それどころか、炎を食ったせいでさらに巨大化してやがる。
「あはははは! 残念でしたぁ!」
ロックが腹を抱えて笑い転げる。
「言ったでしょ? こいつは虚無だって……君たちのキラキラした夢の力なんて、ブラックホールみたいに飲み込んじゃうんだよ!」
「ゼツボーグ!!」
化け物が咆哮と共に、全身から無数の泥の触手を放った。
「きゃあああっ!!」
反応が遅れた4人が、まとめて吹き飛ばされる。
受け身も取れずに地面に叩きつけられ、ドレスが泥で汚れていく。
「そ、そんな……フェニックス・ブレイズが効かないなんて……」
「嘘……私達の技が、全部……」
プリキュアたちが地面に伏し、絶望的な空気が流れる。
ロックは勝ち誇ったように俺を見下ろした。
「ほら見なよ。君の心の闇は、プリキュアでも救えないってさ。……やっぱり君は、こっち側の住人なんだよ」
こっち側。
救えない。
可哀想な、空っぽの春海くん。
今日何回俺はその言葉を聞いた……ほんとに全部どうでも良くなってきたぜ。
いっその事このまま絶望に……いや、ちょっと待てよ?
その時、ブチッと俺の中何かが切れる音がした。
ふざけんな、よくよく考えてみればなんでどいつもこいつも俺を哀れみやがってんだ?
俺を見下して、勝手に分類して、勝手に絶望してよさ。
「……いい気になってんじゃねぇぞ」
俺は地面に手を突き、ふらつく足に力を込めた。
クソッタレが……膝が笑う。
恐怖で体が震えてやがる。
だけどそれ以上に、無性に腹が立つ腹が立って仕方ねぇ。
「下がっていて! あなたが敵う相手じゃ……!」
「ダメだよ春海くん! 逃げて!」
ボロボロのピンクの少女と青い少女が、俺を止めようと叫ぶ。
「うるせぇ、引っ込んでろや」
俺はそれを手で制し、ゆらりと立ち上がった。
震える足で一歩、また一歩と、化け物の方へ歩き出す。
「お、おいおい。何するつもりなんだね?」
ロックが小馬鹿にしたように、ヒラヒラと手を振る。
「まさか、生身で勝てるとでも思ってるの? バカだねぇ。大人しく寝てれば痛い思いしなくて済むのに」
「……あぁ、バカで結構だ、馬鹿野郎」
俺はクソガキを無視して、化け物の真正面に立った。
見上げれば、ビルみてぇにデカい泥の塊。
俺の絶望。俺の成れの果て。
『ムダダ……オマエハ……ムダダ……』
化け物が、頭についた鍵穴みてぇな1つ目で俺を見下して、巨大な腕を振り上げる。
すげぇ圧力だ、普通の神経ならチビってるだろうな。
でも、今の俺は違ぇぞ!
逃げるどころか、ポケットに手を突っ込み、メンチを切るように睨み上げてやった。
「おい。誰を見下ろしてんだ、クソ野郎が」
自分でも驚くくらいドスの効いた声が出た。
「俺は一番嫌いなんだよ。誰かに見下されるのも、舐めた口きかれるのもなァ……!」
『……!?』
振り下ろされようとした化け物の腕が、ピタリと空中で止まる。
俺の気迫にビビったのか? いや違ぇな。
こいつは俺だ。
俺の一部だ。
なら、主人の命令を聞かねぇわけがねぇ。
「俺が空っぽだぁ? 絶望だぁ? 笑わせんじゃねぇよ」
俺は一歩踏み出し、化け物のドロドロした体に手を伸ばす。
「俺のやりてぇことはこの俺が決めてんだ! したり顔で人様にお説教されんのも、道を決められんのも、勝手に絶望判定食らうのももうごめんなんだよ!」
俺の手が、化け物の体に触れた瞬間。
バクンッ! と心臓が跳ねた。
「テメェは俺の絶望だろ? だったら……俺の心の中で大人しくしてろやオラァッ!!」
喉が焼き切れるほどの叫びと共に、化け物の泥を鷲掴みにした。
この行動に意味も、ましてや勝算なんてもんもねぇ、でもよ……喧嘩で……ましてやてめぇから生み出した絶望なんかに負けるのが一番嫌いなんだよ俺は!
その瞬間、自分自身でもありえねぇ事が起きる
『グオオオオオオッ!?』
巨大なゼツボーグが苦しみだし、その体が渦を巻いて収縮し始めたのだ。
まるで、排水溝に吸い込まれる水見てぇに……。
吸い込まれる先は俺の掌。
「なっ……!? ゼツボーグが、吸収されてる!?」
ロックが目玉が飛び出るほど驚愕する。
プリキュアたちも言葉を失って見ている。
「ぐ、ううううううッ!!」
熱いし重いし吐き気もしてきた。
膨大な絶望のエネルギーが、俺の体に戻ってくる。
血管が焼き切れそうだ。
だが、手を離さねぇぞ、ここで離したら、俺は一生この化け物に負けたままだ。
「戻れ……戻れやこのボケ!! 俺の一部なら、俺に従えぇぇぇッ!!」
ズゾゾゾゾッ!!
最後の泥一滴まで、俺は無理やり体の中にねじ込んだ。
……静寂が戻る。
そこにはもう、化け物の姿はなかった。
残っているのは、ゆらりと立つ俺の姿だけ。
全身からは、湯気のような、どす黒く赤いオーラが立ち昇っている。
「げっぷ」
そのまま口元を乱暴に拭うと、呆然としているロックをギロリと睨みつけた。
「ごちそうさん……ゲロまずい飯だったぜ。お代わりは遠慮しとくわ」
「な、一体何が起きたんだね?」
ロックの野郎は、口を半開きにして固まってやがる。
ま、そりゃそうだろうな。
実験台のモルモットが、実験器具ごと取り込んじまったんだからよ。
ざまぁみろってんだ。
「……おい、クソガキコラ」
ふらつく足で一歩踏み出し、震える手でロックを指差した。
視界がグラグラ揺れる。頭ん中で、何かガンガン鐘を鳴らしてる見てぇだ。
ま、そりゃそうだろうな。
あんなドロドロしたもんを無理やり飲み込んだんだ。身体が悲鳴を上げて当たり前だろ。
だけど……それでも俺はこの喧嘩に勝ったんだカッコつけさせてもらってもバチは当たンねぇだろ。
「二度と俺の前にツラ見せんじゃねぇぞ……次どっかで会ったら、そのフードひっぺがして頭に根性焼きな」
ドスの効いた声で脅してやった。
本当は立ってるのがやっとなんだけどよ、ハッタリかますのは大得意なんだよ俺は。
「……チッ。つまんないないなぁ」
ロックはつまらなそうに舌打ちをした。
だが、その目には少しだけ警戒の色が見える。
そら見たことか、ビビってやがるな。
「ま、いいや。データは取れたしね。……今日は帰ってゲームしよっと」
クソガキは負け惜しみみてぇなセリフを吐き捨てると、瞬間移動みてぇに一瞬で姿を消しちまった。
逃げ足の速い野郎だぜ。
「待ちなさい! ロック!」
ピンクの少女――フローラが追いかけようとするが、もう遅ぇ。
あいつの気配は完全に消えていた。
もう終わった、のか?
静寂が戻る。
校舎裏の渡り廊下には、俺と、フリフリの服を着た4人の女たち、そして変な動物二匹だけが残されていた。
「はぁ、はぁ……どうだ……この野郎が……」
気が抜けた途端、全身の力がごっそり抜け落ちる。
はったりにも限度ってのがあるんだ。
膝がガクガク震えて、もう限界だ。
地面が急に近づいてくる。
「春山くん!!」
フローラが……春野はるかが叫びながら駆け寄ってくるのが見えた。
その顔は、必死で、心配そうで……なんか、すげぇ泣きそうな顔をしてやがる。
バーカ、俺なんかのために、そんな顔すんじゃねぇよ
そう言いたかったが、口が動かねぇ。
視界が暗くなる。
最後に見たのは、心配そうに俺を覗き込む4人の顔と、真っ青な空だけだった。
あぁ、クソ、やっぱ俺、誰かの世話にならなきゃ生きていけねぇのかよ。
情けねぇなぁ。
でも待てよ……今思えば、はるか以外の青いヤツと黄色いやつの声と顔……どっかで見たことあるようなないような……赤い奴はほんとに知らねぇけど。
最後の最後に余計なことを考えた瞬間、俺の意識は、そこでプツンと途切れちまった。