Go! トラブルメーカー!  〜雑草は花園で咲く〜   作:ナッパー

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第五話、一難去ってまた一難! 俺の師匠はにゃんこ先生!

第五話

 月曜日の朝ってのは、なんでこうもも憂鬱なんだろうな。

 あくびを噛み殺しながら教室に入ると……なんだ? クラスメイトの視線がいつもより痛い気がするんだけどど。

 ま、気のせいだろう。

 昨日はあのあと、ゆいに付き合って画材を買い直して……結局寮に戻ったのは夜遅くだった。

 本来、夜遅くに外に出る時は外出届け? みたいなもんを出さないと行けないらしいんだが、めんどくせぇーから書いてねぇ。

 まぁ幸い休日だから門限は結構緩かったし、晩飯前にはギリギリ戻れたから別にいいだろ。

 んでもって全身の筋肉痛がひどい。

 今日は一日、保健室のベッド占領して寝てようかな……。

 

「春山さん。少々お時間よろしいかしら?」

 

 教室のドアが開いた瞬間、氷のような……いや、有無を言わせぬ威圧感のある声が響いた。

 顔を上げると、案の定、腕を組んだ海藤みなみが立ってやがった。

 

 「みなみ様だ……」

 

「あの子……何かやらかしたんじゃ」

 

 案の定、周りの奴らがザワザワザワザワと騒ぎ立て始める。

 ていうかなんだよみなみ様って、気持ちわりぃ……。

 

「……あ? なんだよみなみパイセン。俺は今日遅刻もしてねぇし制服も着てるぞ」

 

 「ええ。身だしなみについては及第点ね。……用があるのは別の件よ。ついてきなさい」

 

 「拒否権は?」

 

 「ありません」

 

 みなみは涼しい顔で言い放つと、カツカツと靴をを鳴らして歩き出した。

 鼻くそをかっぽじりながら、気だるそうにみなみの後ろを着いていく。

 周りの野次馬共はまだ騒いでやがる。

 まぁ、昔から学校ではやらかして職員室に呼ばれて周りから騒がれるってのは日常茶飯事だったし慣れてっけどな。

 

 ……にしても、連れて行かれる場所がおかしいぞ。

 職員室でも生徒会室でもねぇ、校舎の端っこにある人気のない廊下だ。

 突き当たりにある扉の上には、第2生徒会室とか書かれた古びた札が下がってる。

 

「……おいおい。ここ、もしかして説教部屋すか?」

 

 俺は思わず身構えた。

 昨日の届出出さなかったことか? いや、それはねぇなみんな何も言ってなかったし……。

 それとも今までの素行不良の積み重ねか?

 いや、それはその場で注意されてっから今更だし。

 誰もいない密室で、生徒会長直々の長時間お説教コース……やばい、ゲロ吐きそうなんだけど。

 

「さぁ、入って」

 

 みなみが扉を開ける。

 俺は覚悟を決めて、足を踏み入れた。

 

 「あ! 春山くん! ごきげんよう!」

 

 「……は?」

 

 そこに広がっていたのは、予想外の光景だった。

 春野はるかが元気いっぱいに手を振っている。

 その横には、優雅に紅茶を飲んでいるトワと、ファッション雑誌を持って奥の椅子でくつろいでいるきらら。

 そして、部屋の隅にはゆいが、パフのモフ毛のブラッシングをしてやがった。

 

 「春海! おはようロマ!」

 

  アロマまで飛んできやがった。

 

 「……なんだよこれ。朝のホームルーム前だぞ? 何の集まり?」

 

 ポカンとして、みなみに振り返った。

 

「説教じゃ……なかったのかよ。俺ぁてっきり、昨日の外出届け出さなかったことネチネチ詰められるもんかと」

 

 「ふふ。それについてはまた後でたっぷりと指導しますけれど……今は違います」

 

 みなみはクスリと笑うと、部屋の中を見渡した。

 

 「ここは第2生徒会室。以前は物置として使われていた場所だけれど、今は誰も使っていないの。だから、私たちのたまり場……プリキュアの作戦会議室として使わせてもらっているわ」

 

 「へぇ……要は職権乱用ってやつか」

 

 「人聞きが悪いわね。有効活用って言いなさいよ」

 

 きららが雑誌から顔を上げて茶々を入れる。

 なるほどな。変身ヒロインにもこういう隠れ家が必要ってわけか。

 少しだけ安心して、俺は適当な椅子にドカッと座った。

 

「で? わざわざ朝のホームルーム前に呼び出したってことは、ただの茶飲み話じゃねぇんだろ?」

 

 俺が本題を促すと、みなみが入り口の鍵を閉めて、真剣な表情で振り返った。

 場の空気が、スッと引き締まる。

 

「ええ。昨日の件について、改めて話があるの。……あなたの中に眠る影のことよ」

 

「影、ねぇ……」

 

  俺は自分の腹をさすった。

 昨日の暴走と、一瞬の共闘。

 今は大人しいが、こいつがいつまた暴れ出すかわからねぇ爆弾だってことは、俺が一番わかってる。

 

「昨日の戦いぶり、見事でしたわ。けれど、あれはあまりにも危険な綱渡りです」

 

 トワがティーカップを置き、心配そうに眉を寄せる。

 

「本来、ゼツボーグは人の夢を檻に閉じ込めて生まれるもの。それを人間が体内に宿し、あまつさえ使役するなど……あってはならないことです」

 

「そんなこと言われてもよ……一体どうしろってんだよ。出し方もわからねぇし、腹切って取り出すわけにもいかねぇだろ」

 

 腹に手を当てて、切腹のジェスチャーをしながら投げやりに言う。

 そんなやる気がねぇ俺を見て、アロマがバサバサと飛び上がった。

 

「チッチッチッ! だから今こうやってみんな集まってるロマ! こういう時こそ、ロイヤルティーチャーにお願いするロマ!」

 

「あ? ティーチャー?」

 

 次の瞬間、テーブルの上に置かれたオモチャみたいな機械の画面がパァッと光り輝き、そこから煙のように何かが飛び出した。

 

「ごきげんようエブリワーン!」

 

「うおっ!?」

 

 光の中から現れたのは、頭に赤いリボンをつけ、頭の髪? いや、毛がツインテールのシャム猫……の姿をした妖精だった。

 いや、ただの猫じゃねぇ。

 二本足で立って、ステッキを持って、妙に気品がある。

 また変な生き物が増えやがったぞ……。

 

「お初にお目にかかりますわーん プリンスハルミ。わたくしはミス・シャムール。プリンセスプリキュアが真のプリンセスになるためのレッスンを行っているロイヤルティーチャーよーん」

 

「へ……へぇ」

 

 英語と日本語が混ざった独特な喋り方をする猫に呆気に取られて挨拶を返すことも忘れちまった。

 ていうかなんなんだよプリンス春海って、勝手に俺を高級ホテルみてぇにすんなよ。

 そんな呆気に取られてる俺にお構い無しに、シャム猫はいきなり俺の膝に飛び乗ったかと思うとじろじろと観察し始めやがった。

 その視線は鋭くて、俺の中身まで見透かされているような気分になる。

 

 「ふむ……フムフム……なるほど、なるほど。これはベリー・インタレスティング……興味深い状態だわねん」

 

 一通り俺を見終わったのか、シャム猫は俺の膝の上で深く考え込んだ後、肉球のついたステッキで胸をトンと突いてきやがった。

 

 「結論から言いますわ。ユーがその『影』……ゼツボーグを取り込んでも自我を保っていられるのは、ユーのハートがエンプティ……空っぽだからですわ」

 

 「……は? 空っぽだぁ?」

 

 「イエス。夢がない。希望がない。けれど、絶望に完全に染まることもない。ユーの心には強固な『虚無』があり、それがブラックホールのようにゼツボーグの負のエネルギーを吸収し、拮抗させているのよん」

 

「はぁ? さっきからあんたの口調英語と日本語混ざって訳わかんねぇんだけど……えっと、つまり俺の中身はスカスカだから、変なもんが入るスペースができたってことか?」

 

 頭をポリポリ書きながら、膝の上に座るシャム猫に悪態をつく。

 褒められてる気がしねぇ。

 要は俺が空っぽのバカだって言いてぇのか?

 

 「ノン! ノン、ノン、ノン!」

 

 突然、シャムールが目にも留まらぬ速さで肉球ステッキを振り回し、俺の額をペシッ! と叩いた。

 

 「ってぇ! 何しやがんだクソ猫!」

 

 「猫ではありませんわよーん! ミス・シャムールとお呼びなさい!」

 

 猫は俺の膝から飛び降りると、机の上仁王立ち……いや、仁王座りをしてビシッと俺を指差した。

 

 「プリンス春海。先ほどから気になっていましたけれど、ユーのその言葉遣い、そしてそのダラしない姿勢……全っ然! ビューティフルじゃありませんわ!」

 

 「はぁ? ビューティフルだぁ?」

 

 俺は眉をひそめて鼻を鳴らした。

 

 「あのな、俺は男だぞ? それにバリバリのヤンキーだ! 美しさなんて求めてねぇし、丁寧な言葉なんてガラじゃねぇよ」

 

 「ノン! それが間違いの元ですわ!」

 

 シャムールはチッチッチッと指替わりのステッキを左右に振る。

 

 「言葉は心の鏡、姿勢は生き方の表れ。そんな乱暴な振る舞いでは、心まで荒んでしまいますわ。……心が荒めば、ユーの中の『影』もまた暴れ出す。違いますか?」

 

 「う……」

 

 反論できねぇ。

 確かに俺がカッとなった時とか、ブチ切れた時にあの鬼は暴れようとする。

 

 「真の強さとは、己を律すること。エレガントな振る舞いこそが、鋼の理性を育むのよん!」

 

 「えれがんと……」

 

 「そう! 背筋を伸ばす! 言葉はハッキリ丁寧に! それがレッスン・ワンですわ!」

 

 「勘弁してくれよ……」

 

「あははは! はるみんがエレガントだって!」

 

 俺がげんなりしていると、後ろできららが爆笑してやがるのが聞こえた。

 クソッ、あいつ後で殺す。

 

 「コホン。……話が逸れましたわね」

 

 シャムールは咳払いを一つすると、再び真剣な瞳で俺を見据えた。

 空気が一変し、場の緊張感が戻る。

 

 「ですが、これは非常にデンジャラスな状態であることに変わりないわねん」

 

 「……デンジャラス?」

 

 「イエス。今はユーの『ウィル』……強い意志が勝っていますが、もし心が弱り、本当の絶望に飲み込まれた時……」

 

 シャムールは一旦言葉を区切り、さっきよりも深く俺を見据えてくる。

 なんか……とんでもない事を言われる気がするぜ。

 

 「その影はユーを内側から食い破り、二度と人間に戻れなくなるかもしれないわ!」

 

「……は?」

 

 二度と、戻れなくなる。

 その言葉の意味を理解した瞬間、脳みそに冷てぇ氷水をぶっかけられたような寒気が走った。

 

 「ま、マジかよ……」

 

 乾いた笑い声を絞り出そうとしたが、喉の奥が引きつって上手く音にならねぇ。

 部屋の空気が、一気に凍りついたみたいに重くなる。

 はるか達が息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。

 内側から食い破られる。

 その言葉が、妙に生々しく腹の底に響きやがった。

 俺の中にいる、あのドロドロした影。

 今は大人しく寝てやがるが、こいつはずっと狙ってるってことか? 俺の心が折れる瞬間を。俺という人間が消えて、ただの絶望の塊に成り果てるその時を。

 

「冗談じゃねぇぞ……」

 

 喧嘩でボコられて入院とか、警察に捕まって少年院行きとか、そんなレベルの話じゃねぇ。

 俺が……春山春海って存在そのものが、この世から消滅するってことじゃねぇか。

 

 「……おいおい、にゃんこ先生。随分と怖い怪談話じゃねぇかよ」

 

 俺は精一杯の強がりで、口角を吊り上げた。

 だが、膝の上で握りしめた拳が、小刻みに震えてんのを止めることはできなかった。

 情けねぇ。

 ビビってる。

 俺は今、猛烈にビビってやがる。

 

 「脅しではないわよん。これはリスクの話です」

 

 シャムールは真っ直ぐに俺の目を見つめ返してきやがった。

 目ん玉に嘘の色はねぇ。

 こいつの目は本気だ。

 

「ユーの心にある『虚無』は、ゼツボーグを閉じ込める檻であると同時に、ユー自身を飲み込む落とし穴でもあるの。……一度落ちれば、そこは底なしのダークネス。光の届かない世界だわ」

 

 「…………」

 

 言葉が出ねぇ。

 あの時……影を取り込んだ時に感じた、あの底知れない寒さと孤独感がフラッシュバックする。

 あそこに戻る? しかも、永遠に?

 ……ゾッとするぜ。

 

  「春海くんが……いなくなるなんて、そんなの嫌だよ……!」

 

 チラっと横を見ると、ゆいが泣きそうな声で呟きギュッと両手を握りしめている。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいて、真っ直ぐに俺を見てやがる。

  おいおいやめろよ、そんな目で見んな……。

 

「春海! しっかりするロマ! 僕たちがついてるロマ!」

 

 「パフも一緒パフ! 春海がいなくなるのは寂しいパフ〜!」

 

 アロマとパフが俺の膝に飛び乗ってきやがった。

 ……おいおい、鼻水つけんな。

 

 「大丈夫だよ、春海くん!」

 

 突然、ドン! とテーブルを叩く音が響いた。

 顔を上げると、はるかが身を乗り出して、朝ドラヒロイン見てぇな……太陽みてぇな笑顔を向けてきやがる。

 

 「春海くんは一人じゃないもん! 私たちがいるよ! そのレッスン、私たちも一緒に受けるから!」

 

「はぁ? お前らは関係ねぇだろうが……」

 

 「関係あるわ」

 

 みなみが静かに、だけど力強く言葉を被せてくる。

 

 「言ったじゃない……あなたはもう私たちの仲間……そして友達よ、友達がが危機に接していると言うのに、放っておくわけがないでしょう?」

 

 「そゆこと。アンタがいなくなったら誰が荷物持ちするわけ?  困るんだよねー、そういうの」

 

 みなみに続いて今度はきららが髪を弄りながら、そっぽを向いて言う。

 憎まれ口叩いてるが、その声が少し震えてんのを俺は聞き逃さねぇ。

 

「わたくしも、全力でサポートいたしますわ」

 

 トワが俺の前に立ち、真剣な眼差しで俺を見下ろす。

 その瞳には、深い共感の色があった。

 

「闇に飲まれる恐怖と孤独……それはわたくしもよく知っています。けれど、春海。あなたにはわたくし達がいます。……決して、一人にはさせませんわ」

 

 「てめぇら……どいつもこいつもよ」

 

 

 俺ら、会ってまだ一週間もたってねぇんだぞ……それなのになんでここまで気にかけてくれるんだよ?

 気に入らねぇ………。

 別にこいつらが気に入らねぇわけじゃねぇ。

 こんな気にかけられてる原因が、俺自身の不甲斐なさだってのが一番腹が立つ。

 それに、こいつらの言葉が凍りついた腹の底をジワジワと溶かしていくのを感じちまう自分がいて、それがどうしようもなく悔しかった。

 

「……わーったよ」

 

 深く息を吐き出し、震える拳をパッと開いた。

 ここは腹括るしかねぇって事だな。

 俺が俺でい続けるためには、このクソッタレな状態を乗り越えるにはよ……。

 

 「要するにだ。俺がその……エレガント? だか何だかを身につければ、この腹の中の爆弾を制御できる確率が上がる。そういうことなんだろ?」

 

「イエス! その通りだわ!」

 

 シャムールがパッと表情を明るくして、ステッキをくるりと回した。

 

 「心を磨き、強く美しい精神を養うこと。それこそが、闇に飲み込まれないための唯一の道! ……ユーにはその素質がありますわ」

 

「素質ねぇ……買いかぶりすぎだっつーの」

 

 椅子の背もたれから体を起こし、コキコキと首を鳴らす。

 

「いいぜ、乗ってやろうじゃねぇかその話。……俺だって化け物のまま野垂れ死ぬのは御免だからな」

 

 俺がそう宣言すると、はるかがパァッと顔を輝かせた。

 

「春山くん……! 頑張ろうね! 絶対、大丈夫だから!」

 

「ああ。……ま、俺はぜってぇ手のかかる奴だが……見捨てんじゃねぇぞ、にゃんこ先生」

 

 ニヤリと笑って挑発すると、シャムールも負けじと不敵な笑みを返してきやがった。

 

 「オフコース! ミーのレッスンはスパルタですわよん? ……覚悟なさいませ、プリンス春海!」

 

 こうして、俺の……いや、俺たちと猫の奇妙な師弟関係が成立しちまったってわけだ。

 やれやれ、退屈しねぇどころか命がけの課外授業の始まりかよ。

 だはぁー……めんどくせぇー。

 

――――――――

 

 

 放課後を告げるチャイムの音が、処刑台への呼び出し音みてぇに脳内に響く。

 普段ならよっしゃ帰るぞ!ってテンションが上がるとこだけどよぉ……今日ばかりは足取りが鉛みてぇに重かった。

 

 「はぁ……マジで行くのかよ」

 

 カバンを肩に引っかけ、ゾンビのみたいな足取りで廊下を歩く。

 もう帰っていいかな……俺。

 目的地は朝行った第2生徒会室……あそこで待ってんのは、優雅なプリンセスたちとスパルタ教育の猫の妖精だ。

 命がけのレッスン……だったっけか。

 そう言われたんならよ……滝に打たれるとか、燃え盛る炭の上を歩くとか、油風呂とか、そういう昭和のスポ根漫画みてぇな修行を想像して身構えていた。

 

 「……ちわーっす」

 

 覚悟を決めて、重ったるい扉を開ける。

 すると、そこには予想を裏切る光景が広がっていた。

 

「ごきげんようエブリワン〜! プリンス春海。お待ちしておりましたわよ〜ん」

 

「……は?」

 

 部屋の中には、ふわっと甘く香ばしい匂いが漂っていた。

 今日の朝来た時には茶色だった会議用テーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれその上には高級そうなティーセットと、色とりどりのスイーツが乗った三段重ねの皿? が鎮座している。

 

「あ、春山くん! 待ってたよ!」

 

 「あぁ、はるみん遅かったじゃない。てっきり逃げたかと思ったわ」

 

 はるかがエプロン姿でポットを持って走り寄り、きららがドーナツを齧りながらニヤニヤと俺を見る。

 みなみとトワは、既に優雅に席について紅茶を嗜んでいた。

 そしてその脇では、ゆいがノートを広げて何やら準備万端って顔で待機している。

 

「えーと……なんこれ? お茶会か? 俺、今日は修行しに来たはずじゃ……」

 

 俺が呆気に取られていると、ミス・シャムールが俺の目の前に音もなく着地した。

 その手には、どこから出したのか指示棒が握られている。

 

 「ノンノン! これぞまさに最初のレッスン! テーマは『エレガントなアフタヌーンティー』よん!」

 

 「……ああん?」

 

 思わずドスの効いた声を出しちまった。

 いや、ふざけてんのか? 俺の腹の中にはいつ爆発するかもわかんねぇ時限爆弾があるんだよな? 茶ァしばいてる場合かよ。

 

「おいおい、にゃんこ先生。俺は真面目にやろうと思って来たんだぜ? ケーキ食って紅茶飲むのが修行なら、幼稚園児でもできんだろ?」

 

 「甘いわねん、砂糖たっぷりのミルクティーよりも甘いわよん!」

 

 シャムールがビシッ! と肉球型のステッキを俺の鼻先に突きつける。

 それに合わせて、アロマがバサバサと俺の周りを飛び回り始めた。

 

 「そうだロマ! 春海は品格が足りなさすぎるロマ! まずは形から入るのが基本ロマ!」

 

 「パフも応援するパフ〜! 春海、頑張ってパフ!」

 

 足元ではパフが尻尾を振って、俺を見上げている。

 ……こいつら、完全に楽しんでやがるな。

 

 「いい? 闇に飲まれない強い心……それはすなわち、どんな時でも乱れない『平常心』と『品格』から生まれるの……所作の乱れは心の乱れ! 優雅な振る舞いができてこそ、強靭な精神が宿るのよーん!」

 

 「む……」

 

 言ってることは分からんでもないが……なんかこう納得いかねぇ。

 だが、トワが静かにティーカップを置きながら口を開く。

 

 「シャムールの言う通りですわ。わたくしも、心の平穏を保つためにたまに茶道を嗜むことがあります。春海、まずは形から入るのも重要ですわよ」

 

 「そうね。荒々しい心のままでは、あの影を抑え込むことはできないわ」

 

 本物の王女様だっていうトワと、生徒会長のみなみに言われると反論できねぇ。

 俺は渋々指定された席――みなみの向かい側、いわゆる上座っぽい席にドカッと腰を下ろした。

 

「春山くん、ここにお手本とか注意点をまとめておいたから、参考にして!」

 

 ゆいがサッと手書きのメモを俺の前に置く。

 そこには背筋を伸ばす、音を立てない、小指を立てないなど、細かいチェックリストがイラスト付きでびっしり書かれていた。

 仕事が早すぎんだろ、ゆい……。

 

 「座り方がなっていませんわ! 背筋を伸ばして、足は揃えるのよん!」

 

 「へいへい……こうか?」

 

 ガチガチに背筋を伸ばすと、シャムールが満足げに頷く。

 そして、俺の目の前になみなみと注がれた紅茶のカップが置かれた。

 湯気と共に、花の匂いが鼻をくすぐる。

 そしてめっちゃ熱そう……。

 

「さあ、まずは一口。音を立てずに、エレガントに頂くのよん」

 

 「飲むだけだろ……楽勝だ」

 

 俺は普段の癖で、カップの取っ手に人差し指を引っ掛け、鷲掴みにするように持ち上げた。

 ペットボトルや缶ジュースを飲む時の癖だ。

 

 「ストップ! ストップよーん!!」

 

 カップを口につけた瞬間、俺の手の甲にバチンとシャムールの肉球ステッキが高速で振り下ろされた。

 

 「ってぇ!!」

 

 地味に……いや結構痛てぇぞこれ!

 

 「なんという野蛮な持ち方ですの!? カップが泣いちゃうわよん! いいですか、取っ手には指を通さず、指先でつまむように支えるのでわ!」

 

 「はあ!? 指通さねぇでどうやって持つんだよ、落とすだろこんなもん!」

 

 「落とさないように指先に神経を集中させるのです! それがウィルを鍛えることに繋がるのよん! さあ、やり直し!」

 

「理屈が強引すぎんだろ……!」

 

 俺はおっかなびっくり、教えられた通りに取っ手をつまんでみる。

 ……なんだこれ、不安定極まりねぇ。

 俺のゴツい手には、この繊細な磁器のカップは小さすぎる。

 ちょいと力を込めたら、熱いお茶が入ったカップをひっくり返しちまいそうだ。

 

 「くっ……うぅ……」

 

 カップを持ち上げようとするが、指先がプルプルと震える。

 喧嘩で拳を握るのは慣れてっけど、こんな薄っぺらいカップをつまむ筋肉なんて使ったことねぇよ。

 だぁーもう! イライラするぜ!

 

  「あはは、はるみん震えすぎー。生まれたての子鹿みたい」

 

 「うっせぇぞ! きららてめぇ! 笑うな、集中できねぇだろうが!」

 

 「春海くん、肩の力を抜いて……リラックスだよ! 深呼吸、深呼吸!」

 

 はるかが必死にジェスチャーで深呼吸を促してくる。

 

「春海〜、お菓子あげるから元気だすパフ〜」

 

 隣ではパフがスコーンを差し出してくるが、今はそれどころじゃねぇ。

 冷や汗をダラダラ流しながら、なんとかカップを口元へ運ぶ。

 ただ紅茶を飲む。

 たったそれだけの動作が、喧嘩するより疲れんのはなんでだ……

 カチャカチャとカップとソーサーがぶつかって、小刻みな音が鳴り響く。

 

 「し、静かに……音を立てずに……もうちょいじゃ……もうちょい」

 

 自分に言い聞かせながら、俺はズズッと音を立てて紅茶をすすった。

 

 「ブッブー!! 音を立てちゃダメよん! やり直し!」

 

 「ぶふっ!?」

 

 シャムールの無慈悲な宣告に、俺は熱い紅茶を吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

 

 「マジかよ……これ、いつ終わんの……?」

 

 「ユーが真のプリンスとしての立ち居振る舞いを身につけるまで、ですわよん。さあ、次はスコーンの食べ方ですわ。ナイフを使わず、手で割って……」

 

 目の前には、優雅に紅茶を楽しむみなみとトワ。

 ニヤニヤしながらも俺の失敗を楽しんでいるきらら。

 そして、俺の無様な姿を甲斐甲斐しくサポートしてくれるはるか、ゆい、そして妖精たち。

 甘い香りに包まれた地獄の特訓。

 俺の放課後は、まだ始まったばかりだった。

 

「……だはぁー、もうめんどくせぇー!!」

 

 第2生徒会室に、俺の魂の叫びだけが、虚しく響き渡った。

 

 

 

 「本日のレッスンはここまでよん!」

 

 「はぁ……はぁ……終わり、か?」

 

 シャムールの終わりという宣言を聞いた瞬間、俺はテーブルに突っ伏した。

 魂が口から抜けそうだ。

 いや、半分くらい抜けてっかもしんねぇ。

 ただ茶を飲んでお菓子食っただけなのに、フルラウンドで殴り合いをした後みてぇな疲労感が全身を襲っていた。

 

「お疲れ様、春山くん。初めてにしては、筋が良かったよ!」

 

 はるかがニコニコと笑いながら、新しいお茶をマグカップで淹れてくれた。

 

 「……嫌味かよ」

 

 「そんなことないよ! 私なんて最初は……もっとダメダメだったもん」

 

 「そうね。はるかも最初は見ていられなかったわ」

 

 みなみがクスっと笑いながらカップを置く。その所作一つとっても、無駄がなくて綺麗だ。

 

 「なぁ、お前らさ……」

 

 「ん? 何?」

 

 俺はこのレッスンの最中、ずっと気になってた事があったんだ……忘れかけてたけどよ、ここはノーブル学園って超がつくほど名門校だ、当たり前っちゃ当たり前だけどな。

 少し俯いたまま、ゆっくりと口を開く。

 

 「なんでそんな、軽々しくできんだよ。……こんな、めんどくせぇ作法とか、小難しいルールとかよ」

 

  俺はテーブルの上のゴージャスな食器たちを指差した。

 俺にとってはこんなもんはただの窮屈な枷にしか見えねぇ。

 住む世界が違う。改めてそう突きつけられた気がした。

 

 「俺にゃ才能がねぇってのは分かってる。でもよ、お前らは涼しい顔してやってんじゃねぇか。……正直、同じ人間とは思えねぇよ」

 

 俺の言葉に、場が一瞬静まる。

 最初に口を開いたのは、きららだった。

 

 「軽々しく、ねぇ……。ま、あたしはモデルだし?  こういう繊細なことは元々得意だからね」

 

 彼女は長い髪を払いながら、茶目っ気たっぷりにウインクする。

 あ、そうだった……こいつモデルだったわ。

 道理で手つきが手馴れてるって思ったよ。

 だが、その横でトワが静かに首を横に振った。

 

 「いいえ春海。軽々しくできているわけではありませんわ。わたくしたちも、努力しているのです」

 

 「努力?」

 

 「ええ。強く、優しく、美しくありたいと願う心……その夢のために、日々自分を磨いているのです。だからこそ、自然と振る舞えるようになるのですわ」

 

 「そうだよ! 私もプリンセスになりたいって夢があるから……今頑張れているの!」

 

 はるかが身を乗り出して力説してくる。

 また夢、か……。

 そんなキラキラしたもん、俺には無縁だと思ってたけど、ゆいの時といい、こいつらの芯の強さはそこから来てんのか。

 今の俺には、その眩しさが少しだけ痛かった。

 

「……へっ、やっぱ眩しすぎるぜ、お前ら」

 

 小っ恥ずかしさを誤魔化すように、ガシガシと頭をかいた。

 

 「悪ぃな、今日はもう帰るわ。これ以上いたら知恵熱が出そうだ」

 

 「あら、残念。では続きはまた明日ですわよん、プリンス春海?」

 

 シャムールの不敵な笑みと、みんなのごきげんようという声を背中に受けながら、俺は逃げるように第2生徒会室を後にした。

 

 

 「ふぅ……やっとシャバの空気だぜ」

 

 校舎を出て、正門までの長い道のりを歩く。

 夕日が校舎をオレンジ色に染めてやがるが、今の俺にはそんな感傷に浸ってる余裕はねぇ。

 脳みそがわけのわからねぇ作法でパンク寸前だ。

  周りにゃ誰もいねぇ……よな?

 挙動不審に校門前を見渡しながらポケットの中をゴソゴソ弄る。

 指先に触れたのは、小さな箱の感触。

 「おっ……あったあった」

 

 親父の書斎からくすねてきた、もう一箱のタバコだ。

 一箱目は前に、みなみに見つかって握りつぶされちまったが……実はもう一つ持ってきてたんだよーん!

 

 「へっ、まさか予備があるとはあの生徒会長も思うめぇ……」

 

 正門の影、死角になる場所に身を潜める。

 震える手で白い筒を取り出し、口にくわえた。

 ライターの火花を散らし、タバコ先端に火をつけようとしたその時だった

 

 「ダーメーロマーッ!!」

 

 「ぶっ!?」

 

 突然、頭上から聞き覚えるのある甲高い声が降ってきたかと思うと、バサバサという羽音と共になんかがの顔面に突撃してきた。

 

 「あちっ!? おわっ!?」

 

 不意打ちを食らった俺は、驚きでくわえていたタバコを落としちまった。

 地面に落ちたタバコを、青いインコ――アロマが器用に足で踏んづける。

 

 「な、何しやがるアロマ!」

 

 「何しやがる、はこっちのセリフロマ! 春海、未成年の喫煙は法律で禁止されてるロマ! ましてやプリンスを目指す者が、校門の前でタバコを吸うなんて言語道断ロマ!」

 

「パフもそう思うパフ! 春海、めっ! だパフ!」

 

 そしていつの間に足元にいたパフは俺の足元でプンプンと怒ったように飛び跳ねる。

 こいつら、いつの間に付いてきてやがったんだ……!

 

「ばっ、声がデカいんだよ! 静かにしろ!」

 

  俺は慌てて周囲を見回した。

 やべぇぞこれ……幸いまだ誰も通りがかってねぇみたいだが、ここで騒がれたら一発でアウトだ。

 

 「いいか、これはアレだ……ただのチョコだ! 棒状のチョコ! だから見逃せ、な? 後でクソ高いドッグフードとハトマメ買ってやるから!」

 

 人差し指を口に当てて必死に口止め工作を図る。

 だが、アロマは呆れたように首を振った。

 

 「賄賂なんて効かないロマよ! 春海はまるで反省してないロマ。これは、みなみに報告案件ロマ!」

 

 「は……?」

 

 みなみ、という単語が出た瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。

 

 「みなみは以前、春海のタバコを注意したはずロマ。それなのに隠し持っていたなんて知れたら……今度こそ、生徒会室で氷漬けにされるかもしれないロマ~!」

 

 「お、おい待て! 生徒会長だけは勘弁してくれ!

あいつに知られたら今度こそマジで殺される!」

 

 前回の冷たい目を思い出して、俺はガクガクと震え上がった。

 だが、アロマはここぞとばかりに勝ち誇った顔をする。

 

 「だったらプリンスらしく振る舞うロマ! 清く、正しく、美しくロマ!」

 

 「だーかーら! 俺はプリンスなんざ目指してねぇっつってんだろ、バーカ!」

 

 売り言葉に買い言葉で怒鳴り返すと、アロマは右の翼を立てて左右に振った。

 

 「チッチッチー! 甘いロマ、春海は甘すぎるロマ! そんなことではレディを守れないロマ! 覚悟が足りない男はモテないロマよ〜?」

 

 「ああん!? なんだテメェそのムカつく舌打ちは!」

 

 このクソ鳥が……ぜってぇ面白がってやがる。

 俺がアロマを捕まえようと手を伸ばした、その瞬間だった。

 

「ガハハハハ!! なんだなんだ、春海! 随分と賑やかじゃねぇか!」

 

 突然、背後から鼓膜を破るような爆音が響いた。

 この下品でデカい笑い声……そして、鼻をつくスパイシーな匂い……俺の身体が犬みてぇに反応して硬直する。

 恐る恐る振り返ると、そこには見覚えがありすぎる、強面の男が立っていた。

 ヨレたスーツに、無精髭。

 手にはなぜか食いかけのカレーせんべい。

 見覚えのありすぎるシルエットに、軽く心臓が飛び出る。

 

「む、村瀬のおっちゃん!? なんでここにいんの!」

 

 「おう、久しぶりだな春海! なんだその顔は。感動の再会だろ? ガハハハ!」

 

 村瀬勤(むらせ つとむ)。

 俺の地元の少年課の刑事で、腐れ縁の疫病神だぜ。

 俺をこのノーブル学園にねじ込んだ張本人でもある。

 

 「感動もクソもあるかよ! ストーカーかアンタは! ここ管轄外だろ!」

 

「人聞きの悪いこと言うな。今日はちょいと望月先生……おっと、ここの学園長に用があってな。ついでにお前の様子を見に来てやったんだよ。感謝しろ!」

 

 村瀬のおっちゃんはバリボリとカレーせんを齧りながら、ニカっと笑う。

 その豪快な態度は、取調室で俺にカレーせんを勧めてくる時と全く変わらねぇ。

 現役の刑事がこんな場所で何やってんだか……。

 と、その時。俺の背後から小さな声が漏れた。

 

「いい匂いがするパフ。カレーの匂いだパフ……」

 

 「シーッ! パフ、静かにするロマ!」

 

 マズい。食い意地の張った犬が反応してやがる。

 俺は慌てて咳払いをしながら、背中でモゾモゾ動く二匹をさらに押し隠した。

 

 「ん? なんだ春海、今なんか犬みてぇな声がしなかったか?」

 

 村瀬のおっちゃんの目が光る。

 刑事の勘ってやつか、なんでこういう時だけ鋭いんだよこのオッサンは!

 

 「い、犬ぅ? ハッ、そんなもんいるわけねぇだろ! 俺の腹の虫だよ、腹の虫! 勉強しすぎて腹減ってんだよ!」

 

 「ほう、腹の虫が『パフ』とか鳴くのか? 最近の中学生は進化してんなぁ、ガハハ!」

 

 「うっせぇな! それより何の用だよ、クソジジイ!」

 

 俺が話を逸らそうと悪態をつくと、村瀬のおっちゃんは突然真顔になって、俺の足元……さっきアロマに踏み消されたタバコに視線を落とした。

 

「……ま、用ってのは顔見せと、警告だ」

 

 「あ?」

 

 「せっかく望月先生が拾ってくれた命だ。ツマンネェことで棒に振るんじゃねぇぞ? 俺の仕事を増やすなよ、春海」

 

 ほんの一瞬だけ、刑事の顔を見せるおっちゃん。

 やべぇ……やっぱり怖いわこの人。

 そういえばこの人、警察じゃ泣く子も黙る鬼村瀬とか言われてたっけ……学園にねじ込まれる時もこんな顔してたんだ、すっかり忘れてたわ。

 

 

「ガハハ! なーんて! 冗談だ冗談! ……びっくりした?」

 

 またいつもの顔に戻って、俺の背中をバシバシ叩きながらおっちゃんは下品に笑った。

 

 「ふっざけんなクソジジイ! 心臓止まるかと思ったわ!」

 

 俺が胸を押さえて怒鳴っても、おっちゃんは腹を抱えて笑い飛ばしやがる。

 本当にこの人の悪い冗談には昔から耐性がつかねぇ。

 

 「ま、立ち話もなんだ。俺の用事が済んだら少し付き合えよ春海」

 

 「はぁ? いや、俺はこれから帰って……」

 

 「いいからいいから。ほら、そこの土手まで散歩だ。お前の腹の虫も暴れだしてることだしな」

 

 おっちゃんはニヤリと俺のカバンの中でモゾモゾ動く膨らみを指差した。

 ちっ、やっぱ全部お見通しかよ。

 観念して、重い溜息を吐き出す。

 

「……へいへい、分かりましたよ」

 

 学校から少し離れた河川敷。

 夕日が川面をキラキラと照らす中、俺たちは土手沿いの道を歩いていた。

 周りに人がいないことを確認して、俺はカバンのチャックを開けた。

 

 「おら、もういいぞ。出てこい」

 

 「プハァ〜! やっと出られたパフ〜!」

 

 「暑苦しくて死ぬかと思ったロマ……!」

 

  勢いよく飛び出したパフとアロマ。

 俺は慌てて人差し指を立ててシッ! と制した。

 

 「バカ! 喋んな! 鳴き声だけでいろよ!」

 

 おっちゃんの前で人語を話されたら、それこそ病院送りか科捜研にでも行っちまう。

 幸い、おっちゃんは前を歩いていて、二匹の話し声には気づいていない様子だった。

 

  「ほう、やっぱり犬と……インコか? 変わった組み合わせだな」

 

 振り返ったおっちゃんが、興味深そうにパフとアロマを見下ろす。

 

 「あー……まあ、拾ったんだよ。こいつらが腹減らして死にかけてて……」

 

「お前が動物ねぇ……。昔は野良猫と喧嘩してたお前がか? ここに来てまだ一週間も経ってないのに随分丸くなったもんだ」

 

 俺が適当に着いた嘘を、おっちゃんは鼻で笑いながらも穏やかな顔で聞いていた。

 

 「おっちゃんさぁ……いつの話してんだよ」

 

 俺が唇を尖らせていると、パフがおっちゃんの足元に擦り寄っていった。

 その鼻がひくひくと動いている。

 

 「パフ! パフパフ〜!(いい匂いがするパフ! おじさん、いい匂いパフ!)」

 

 パフがつぶらな瞳で見上げているのは、おっちゃんの手にあるカレーせんべいの袋……尻尾をプロペラみてぇにブンブン振ってやがる。

 

 「ん? なんだワンコ? お前もこれが食いたいのか?」

 

 おっちゃんは強面の顔を少し崩すと、袋から一枚、カレーせんを取り出した。

 

 「ほらよ。激辛だぞ? 食えるか?」

 

  「パフッ!」

 

 パフは迷わず飛びついた。

 丸いせんべいをフリスビーみたいにキャッチすると、バリボリといい音を立てて煎餅を噛み砕く。

 

 「ガハハハ! いい食いっぷりだ! こいつは見込みがあるな!」

 

 おっちゃんはパフの頭をワシャワシャと撫で回した。

 

「パフ~♪」

 

 パフも嬉しそうに目を細めて、甘えた声を上げている。

 その様子を、俺の肩の上で見ていたアロマが、うっとりとした顔で呟いた。

 

 「ああ……パフはなんて愛らしいロマ! お菓子を食べる姿も、気品と可愛らしさに溢れているロマ! まさに天使ロマ~!」

 

 「……お前、身内に甘すぎねぇか?」

 

 さっきまでの俺への説教口調はどこ行ったんだよ……アロマは完全にデレデレモードだ。

 アロマはハッとして、コホンと咳払いをした。

 

 「と、とはいえ、あんな刺激物を食べさせて大丈夫か心配ロマ! 春海、あとでパフにお水をあげるのを忘れるんじゃないロマよ!」

 

 「へいへい……」

 

 俺とアロマが小声でこっそりやり取りしていると、おっちゃんがふと、遠くの夕日を見ながら口を開いた。

 

 「……春海。お前、この学校で上手くやってんのか?」

 

 その声色は、さっきまでのふざけた調子とは少し違って、どこか父親みてぇな響きを含んでいた。

 

「へっ……やってるように見えるかよ? 挨拶はごきげんようだぜ? そしてさっきなんて茶でシバかれて……」

 

「茶だぁ?! ギャハハ! なんだそりゃ聞かせてくれ!」

 

 おっちゃんは涙を流しながら、膝を叩いて爆笑した。

 くそっ、人の不幸を最高の肴にしやがって。

 

 「笑い事じゃねぇんだよ! ……あそこには変な奴しかいねぇんだ。頭の中がお花畑で夢がプリンセスとか言ってる奴に、俺のタバコを握りつぶしてくる生徒会長! それに生意気なモデル女に、自称王女様ときたもんだ」

 

 俺は川に向かって石ころを蹴り飛ばしながら、この数日間で出会った連中のことを吐き出した。

 ゼツボーグだのプリキュアだの周りから見たら明らかにおかしな話は省いたけどよ……それでもやっぱ自分で話してても頭がおかしくなってくる位は変なエピソードが多かった気がする。

 

「どいつもこいつも、俺の都合なんかお構いなしだ。レッスンだのお茶会だって連れ回しやがって……。今日も今日とて、猫の妖精に姿勢が悪いだの、飲み方が汚ねぇだの説教されてたんだよ」

 

 「猫の妖精……だぁ? お前、慣れない環境で幻覚でも見てんじゃねぇか? ガハハ!」

 

 「うっせぇ! 比喩だよ比喩! ……とにかく、毎日が嵐みてぇなんだよ」

 

 クソが、文句は次から次へと出てきやがる

 なのに不思議だ、胸の中にあるのはドス黒い苛立ちじゃねぇ。

 むしろ騒がしくて面倒くさいあいつらの顔を思い出すと、口元が勝手に緩みそうになるのを必死で堪えなきゃならねぇ。

 

「……へぇ。まぁ、お前がそんなに他人のことをベラベラ喋るなんざ、珍しいな」

 

 一通り俺が話し終わった後、おっちゃんがニヤニヤしながら、俺の顔を覗き込んできた。

 その視線はまるで取調室でオトしにかかる時の目つきで、俺は思わず視線を逸らす。

 

 「別に? なんでもねぇよ。ただの腐れ縁……いや、その」

 言葉に詰まる。

 なんて言えばいい? 仲間? あいつらはそう言ってるけどそんな大層なもんじゃねぇか。

 それじクラスメイト? それじゃあ他人行儀すぎる。

 

 疲れはてボサボサになった頭をガシガシかきむしり、誰にも聞こえないような小声で、ボソリと呟いた。

 

「……友達だよ。……あいつらは」

 

 川の流れる音がかき消すつもりつもりで呟やいた小さな声。

 だけど、地獄耳の刑事にはそれすらもバッチリ聞こえていたらしい。

 「……おう、そうかそうか! こっちでもできたか、友達!」

 

 おっちゃんは俺の背中を、折れるんじゃねぇさかってくらいの強さでバンバン叩いてきた。

 

 「いってぇな! こっちでもってなんだよ! 俺だって地元にダチぐらいいらぁ! えっと……ケンジとかテツとかよぉ!」

 

 「あーはいはい、あのアホ連合な。あいつらも元気にしてるぞ?」

 

「アホ連合言うな! ……まあ、元気してんならそれでいいけどよ」

 

 ふと、はるか達の顔を思い浮かべた。

 地元の連中とつるんでゲーセンに入り浸ったり、喧嘩したりするのは楽しかった。

 気も楽だ。

 だが、ここの連中は……何かが違ぇんだ。

 

 「……ここの奴らはさ、眩しいんだよ」

 

 「眩しい?」

 

 「あぁ。なんて言えばいいんかな? 夢だよ、夢。……どいつもこいつも、夢に向かって全力疾走って感じでよ……眩しすぎんだよ」

 

 俺はポケットの中で手を硬く握る。

 あいつらは……いや、あの学園はやっぱ特別だ。

 この学園にいる間俺は何回夢って単語を聞いた事か。

 

 プリンセスになりたい春野はるか

 絵本作家を目指す七瀬ゆい。

 他の奴はまだ聞いちゃいねぇが、大抵アイツらといる時に出てくる話題なんててめぇらの夢ばっかだ。

 

「俺にゃ、そんな大層なモンねぇからよ。……あいつら横にいると、たまに……自分がものすっげぇちっぽけで、空っぽな人間に思えちまうんだ」

 

 気がつけば、俺は弱音を吐いていた。

 誰にも言えなかった言葉だ。

 こういうの劣等感って奴なのかな……。

 アロマたちにも、もちろん本人たちにも言えるわけがねぇ。

 昔から俺を知ってるこの腐れ縁の刑事だからこそ、つい口が滑っちまったのかもしれねぇな。

 

「なるほどなぁ……」

 

 そうボソッと呟くとおっちゃんは、バリボリと音を立てていたカレーせんを食べる手を止めた。

 そして夕日が沈んでいく地平線を眺めながら、静かに口を開く。

 

「……春海。夢ってのは、探して見つけるモンもあれば、向こうから勝手に転がり込んでくるモンもある」

 

 

 「あ?」

 

 「それに、夢を持ってる奴だけが偉いわけじゃねぇ。夢を追う奴を支えたり、守ったり……そういう生き方だって立派なもんさ。 それによ……ほら、あそこの奴見てみろ、」

 

 おっちゃんはニカっと笑うと、その大きな手で一つの方向を指さす。

 

「ああいう奴がなぁ、お前が言うキラキラした夢を持ってると思うか? ん? 思わねぇだろう……大半はああいうのなんだよ」

 

 そこに居たのは、死んだ魚みてぇな目ををしたデブで冴えなさそうなおっさんが、犬を連れて虚ろな目で歩いてる姿だった。

 リードに繋がれた犬だけが元気よく尻尾を振っているが、飼い主の方は今にも電池が切れそうな顔をしてやがる。

 

「あーあー、ひでぇ辛してやがるぜ。ありゃ、夢どころか明日の希望すらなさそうなツラだな」

 

 俺が小馬鹿にしながらも率直な感想を漏らすと、おっちゃんはニッと笑って、バリッと最後の一欠片のせんべいを噛み砕いた。

 

 「違いねぇ、明日にでもどっかで野垂れ死んでそうな顔してるよな? あいつ。だけだあのおっさんはな、今日一日を必死に生き抜いたんだよ」

 

 「はぁ? 生き抜いた?」

 

 「おうよ! もしかしたらあのおっさんも、嫌な上司に頭下げて、満員電車に揺られて、客に理不尽な文句言われて……それでも逃げ出さずにこうして犬の散歩をしている。……それがどれだけすげぇことか、ガキのお前にはまだわからねぇか?」

 

 おっちゃんは目を細めて、そのくたびれた背中を見つめた。

 

 「夢を持って輝く奴は、確かに眩しいし立派だ。だがな春海……夢なんか見る余裕もなく、ただ家族のため、守るべきもんのために、泥水すすってでも毎日を淡々と繰り返す。……そういう意地だけで立ってる奴も、俺は嫌いじゃねぇ」

 

 「意地……ねぇ」

 

 「ああ。世の中、夢だの希望だのってキラキラした能書き垂れる奴が多いがよ……そんなもんは腹いっぱい飯食ったあとのデザートみたいなもんだ」

 

 おっちゃんは空になったカレーせんの袋を小さく折りたたみながら、鼻を鳴らした。

 

 「なくてもいいんだよ、夢なんて。大半の人間は、明日の飯をどう食うか、どうやってローン返すか、どうやって家族を笑わせるか……そんな目の前の現実だけで手一杯だ。でもな春海……それを死ぬまでやり切れる奴が、一番強ぇと俺は思うぜ?」

 

「……」

 

  おちゃんのその言葉を聞いて、腹の中につっかえてた物がストンと落ちる感覚がした。

 そうだったな……ここは選ばれたエリートしか入れねぇ名門校だ。

 元々俺とは生い立ちも、スペックも環境も……何もかも違う。

 言うなれば、生まれながらのスタートってのが違うんだ。

 しんみりしてきた空気の中で、おっちゃんは更に続ける。

 

「お前の友達が太陽なら、お前はそれを支える地面……アスファルトにでもなりゃいい。踏まれても蹴られても、ビクともしねぇ頑丈な地面にな」

 

 おっちゃんは俺の肩にポンと手を置いた。

 その手は大きくて、ゴツゴツしてて、タバコとカレーの匂いが染み付いてて……妙にあったかかった。

 

「夢がないってことは、絶望することじゃねぇ。自分が空っぽだってんなら、誰かの夢を一番近くで支えてやるための器がデカいってことだろ? ……焦るな春海。お前はお前のやり方で、その眩しい連中と付き合っていきゃあいいんだよ」

 

 「……器がデカい、か。よく言うぜ」

 

「ガハハ! 物は言いようだからな! ……ま、お前は昔っから自分のことは二の次で、人のために身体張れる馬鹿だ。春山春海って男の値打ちは、夢の有無なんかで決まりゃしねぇよ」

 

 そりゃ不意打ちだぜおっちゃん。

 そんな真面目なトーンで、真正面から肯定されるなんて思ってなかった。

 やばい……なんか目頭が熱くなって来たんだけど。

 俺はこぼれそうな涙を必死に押し殺そうと、必死に俯いた。

 

「まぁ、言い方変えればお前はこの学園のレベルには到底ついていけねぇって事にもなるがな!」

 

 ……は?

 ぴたっ、と。

 溢れかけた涙が瞬時に引っ込んだ。

 

 「感動返せや、俺の純情な涙を返せこのクソジジイ」

 

 そんな怒りの抗議の声を上げるより早く、おっちゃんは車の方へ走っていきやがった。

 

「じゃあな春海! これからが大変かと思うが頑張れよ! ガハハハ」

 

 そう言い残して、車は走り去っていった。

 後に残されたのは、くせぇ排気ガスの匂いと、ほんのり臭うカレーせんの残り香……そして行き場を失った俺の拳だけだ。

 

「渋い大人のおじさんかと思ったら……ただのデリカシーのない奴だったロマ」

 

 ずっと黙ってインコのフリしてたアロマが深くため息をつきながら羽で顔を覆う。

 

 「パフぅ……ちょっとがっかりパフ……」

 

 パフも耳をぺたんと垂らして、残念そうに呟く。

 さっきまでのリスペクトは、音を立てて崩れ去った見てぇだな。

 

 「……ちげぇねぇ。ったく、締まらねぇジジイだぜ」

 

 俺は呆れて溜息を吐き出したが、不思議と腹は立っていなかった。

 あの一言で湿っぽい空気を吹き飛ばしてくれたのか、それとも単に性格が悪いだけなのか。

 ……ま、多分両方だろうな。

 俺は苦笑しながら、ポケットの中のタバコの箱をギュッと握りしめる。

 吸うのはやめだ。

 ちょっとばかし、頑張って見てもいいかもな。

 色々思い悩んでたらすっかり腹減っちまった。

 夕日もとっくに沈みかけてあたりは薄暗くなってきてる。

 

 「帰るぞ、お前ら。……腹減った」

 

 「賛成パフ! ご飯パフ!」

 

 「やれやれ……付き合いきれないロマ」

 

 少しだけ、足取りが軽くなった気がした。

 帰り道、空には一番星が光ってた……アロマとパフはその星を目をキラキラさせて見ていたが、俺は足元のアスファルトをしっかりと踏みしめて歩いていた。

 

 ちなみに次の日……クソ鳥が俺のタバコの事をしっかりみなみにチクリやがって、俺は生徒会長お得意の冷ややかな眼光でしっかり氷漬けにされてしまいましたとさ。

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