早朝、私は煩悶に苦しみながら苛々と花に水をやっていた。私にはこの上なく憎む相手がいたからだ。名前は確か、いや、やはりいい。その名を口にするも厭になる。それだけ聞くとまるでヴォルデモートに同じ大厄災だが、それが個人の感に止まっていることは忘れないでほしい。加えて、当時の私にとってその憎悪は最高峰を迎えていた。同時に私は人の死を伴うそれも考えていた。私は憎くて憎くてたまらず、それを世間に訴える最後の手段を考えていたのだ。すでに夢だけでなく現実でも、※1マイケル・マイヤーズの如く、静かに虐殺の一撃を放つことを考えてしまっている。厄介なことに、と邪悪の化身は言いたいが、私の鎌が届かないほどそいつが遠くにいるのは不幸中の幸いとも言えた。
無論法律を遵守すべき立場なのに、こんな笑えない※2チョンボをするのは御免だ。だからこれを少しでも長い時間忘れるため、私はとにかく集中をしようとした。故に、この頃私は客観的に見るとかなり落ち着きがなかった。ただ、鳩がごとく自分の気に入った場所をぐるぐると環状線のように回って暇を潰す。勉強、食事、映画、ゲーム(しかもなるべく集中力のいる)、それら全てに憎しみというばい菌が移ってしまったから、次はどうすればいいか。それが私の最大の悩みだった。「※3キルミーベイベー」で言う、殺したいほど好きなら、反対に、私は殺したいほど嫌い。そんな強すぎる物を抱えて、どうにかなってしまいそうだった。これが、私の言う「煩悶」である。
幸いその煩悶は同時にガソリンの役割も果たしている。おかげで私はそこそこ良い学業成績を残して、同時に一流とは言えないが満足いく大学にも推薦を貰えた。だが残念なことに達成感はその煩悶をどうにかする材料にはならない。
最近の私のトレンドは、散歩だ。私が見ると、煩悶の所為で全ての景色がぐちゃぐちゃに見える。まるで、油絵の具をめちゃくちゃに塗ったように。逆に言えば、私にとって何も書いて無いも同然だった。考えることは全て集中意欲を増す材料。私は軍事に詳しかったので、今日はそれを足してみる。
「おお、あの広場は高射砲陣地によさそうだ。」
「ううむ、あの丘は砲兵を配置しよう。」
「ほほう、ここは海がよく見える。※3トーチカでいいだろう。」
こうして、自分の中で、今日限りの完璧な想像の要塞を作る。奴を迎え打つためか、それとも単なる暇つぶしかの検討も私にはつかなかった。が、今はどうでもいい。
そんな仕方のないことを考えながら、私はぐるりと一周して再び家の庭に戻る。花が出迎えてくれたが、特に嬉しい念はない。今日も今日で、要塞が完成し、そして取り壊された。それを意識したとき、再び煩悶が現れ出たのだ。
次に私は家で本を開いて見たりもした。本はいい。その間だけ現を離れることができる、魔導書のようなものである。私が好きなのは、決められた構図で、決められた想像しかできない漫画ではなく、曖昧な活字だった。本棚にある一冊を取り出すと、読み進める。出来ることならば、この小説のように※4GATEの向こう側にさっさと消えてしまいたいなあ。そんな感想を抱いて、はっとする。私はすぐに本を閉じた。だめだだめだ。こんなのではいけない。煩悶は再びに現れ始めた。こんな生活をして何日過ぎたのだろう。全てがつまらない。
次に法律の勉強を始めてみた。元来より興味のある分野なので、考えるのは大好きだ。しかし、この法律というものも復讐に組み込まれてしまっているのが悲しい。それを思い出すと再び煩悶に襲われた。煩悶は、現れれば現れるほどに出現のスパンが短くなる。前回の潜在意識が残っているからだ。
何もできないではないか。そうなれば寝るぐらいしかできない。そうして私は寝たくもないのに眠りについた。睡眠薬を水と共にがぶっと飲み干し、布団を被ればその内眠る。いけないのがこうやって使いすぎると、効き目が無くなることだった。
夢の中、私はぽつりと湿っぽいビルを歩く。そこには、本来誰もいない。それだけならばよかった。その先、私にとってのヴォルデモートが居たのである。
その時、私の中の邪悪が爆発した。それに従うがまま、いつのまにか握っていた包丁を持ち、その全てを込める。ああ、よかった。やっと煩悶から解放された。代償の代わりに。過去、それに言われた心無い言葉の全てが、塊となって私へと押しかけくる。それが、最後まで残るとは、流石に思わなかった。
そこで私は目を覚ました。これが私の望みなのか?そうであっていいはずがない。獏か何かに私の夢を壊していただきたいものだ。そう思い再び眠る。次の夢は裁判官となった自分の夢だった。
被告人を見るなり、私は卒倒しそうになった。奴が、奴がいるのだ。被告人として。口頭弁論が終わると、私は真っ先奴の有罪を訴えようとも思った。ところが、奴はどう考えても無罪なのである。弁護士が上手いのが腹が立つ。やはり、ダメだろう。感情に流されない建設的な議論により、結局奴は無罪になった。私がこうやって法律学を学ぶのは、半分奴をギルティーへと追い詰めるためであり、崇高な理念は5割しかない。結局この夢は私は煩悶との付き合いを代償に、ルールを守った。しかし、この夢の中では、本物のスーパーマンを私は突き落とし、復讐のため玉座に座った最低な人間なのである。煩悶は、より大きくなった気がする。こんな夢を見せるのは誰だ。※5ケルト人の言う3本足の馬が出たような気分だ。頭が痛い。私には獏じゃなくて、悪霊か何かが憑いているみたいに思える。
私はここで完全に目覚を覚ました。寝ても寝なくても多分もう同じだ。気づけば夜。私は、少し夜風に当たるため、近くにある橋へと向かった。
私は夢のことを思い出してみる。煩悶は、どうしてだろう。何を求めているのだ。この葛藤はどうすればいいのか。考えて見た末、今日あったことをすべて思い出した。要塞、廃墟、法廷、復讐。同時に私は結論へと辿り着いた。私が、この煩悶とチェースをすることも、自ら、もしくはこの煩悶自体を韜晦してしまうことも、能わないという。
卒爾私の見ていた全ての情景が暗転する。夜空に輝くキラキラと闇とが、あたかも砂時計のよう、一挙に私に降り注いだ気がするのだ。ああそうか、そういうことなのか。
私は声高らかに笑い始める。なんだ、そういうことか。可笑しい、面白い。結局どれほど計画を緻密に練ろうと、相手もまた、駒を動かして手を打つのだから。相手が動かなければ、例えば将棋なら理論上6手で玉将が取れてしまうじゃないか。「伊曽保物語」で習った腰抜けのいはからいとは、こういう状況を表すのだなあと我ながら。
思えば、「殺したいほど好き」というのの反対は、「生かしたいほど嫌い」でいいじゃないか。奴もいつか気づくんじゃ無かろうか。馬鹿なら馬鹿なりに、英才なら英才なりに、このジレンマをどうにか解釈する日がやって来るはずだ。その時にもし生きていれば。私と同じ煩悶を抱える奴を想像すると、マイケル・マイヤーズの真似事などどうでも良くなってきた。
次にやることは決まっている。私は橋の※6アイバーチェーンに立つと、きれいに足を揃える。
「嵐が過ぎた後に、語るにも落ちていく。目眩を振り解いて、いち、に、さんで踊り出す。」
我ながら、門出には相応しい歌を歌った。私は私が好きだ。誰よりも。
「行ってくる、か。」
以降、私の庭で花が咲き誇ることはなかった。
※解説
1 マイケル・マイヤーズ アメリカの映画「HELLOWEEN」シリーズに登場する殺人鬼。ゲーム、「dead by daylight」では、コラボキャラクターとして参戦した。本文中に登場する虐殺の一撃、邪悪の化身とは、そのゲームでマイケルが使用できる能力。
2 チョンボ 麻雀における、フリテンなどの失敗や不正。転じて、重大な失敗やとんでもない間違いなど。
3 キルミーベイベー カズホ氏による4コマ漫画シリーズ。本文中の「殺したいほど好き」というフレーズは、EDソング、「ふたりのきもちのほんとのひみつ」の歌詞、「好きよ貴方が。殺したいほど」より。
4 GATE 柳内たくみによる小説、「GATE 自衛隊彼の地にて、斯く戦えり」より。唐突に現れたGATEの向こう側は異世界に繋がっていて、そこから湧き出た、ファンタジー国家の軍隊と衝突する話。
5 ケルト人の言う3本足の馬が出た ケルト人の「夜、夢の中に3本足で骸骨の馬が出ると、身内に不幸が起きる。」という言い伝えより。
6 アイバーチェーン 吊り橋に利用されている、重ねる事で強度を増した大きなチェーン。