短編集 赤い帝国   作:デブレツェン

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不思議の国のアリスより、「私をお食べ」って、意思表示の欠缺。






赤い帝国 〜第二話 惆悵〜

その日は激しい雨に濡れる日だった。白い帽子をぐっと握りしめて申し訳程度に風雨を凌ぐ。

私が次に向かったのはその根城。彼らの根城は下水道に位置して、そこには彼の仲間を名乗るものが2人ほど居た。ぴちゃりぴちゃりと、水滴が水面に木霊する。そして、その空間に新たに私の靴音をしばらく混ぜて、不気味な協奏曲を演奏し続けた。また、その楽譜が進むにつれて彼らの明るい湿っぽい城塞も近づいてくるのだ。

赤い帝国というのがやり手だと、つくづく感ぜさせられた。こんな、酷い臭いと湿度の場所でしか活動できないのは少し気の毒だな。そうして私がその城塞の扉を開くと、中からまるで黄金のような眩い電灯が私を瞬時に目眩しへと苦しませる。

「みんなやったよ!国家連合と接触できた!ようやく僕らは報われるんだ!」

ジョーカーは舞いながら不気味な勾配のテーブルに腰を掛けた。こちらを見るのは、金髪を短く切りそろえた中性的な女と、黒髪の少年である。前者はそうだ、お嬢様と呼ぶがいいだろう。後者は何だ、あのぐしゃぐしゃな髪の毛は何とかしてくれ。もういい、面倒なので小僧。

「ああ、やっとか…よかった…」

涙するお嬢様と、それに同調する小僧。私は別に全権大使でも何でもないのだが、この騒ぎだ。ジョーカーも勝ち誇ったような顔をしている。反対に、私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。明るい電球は未だちかちかと光っている。

「あのさ、申し訳ないけど私」

「あ、お茶は紅茶でもいいですか?」

ジョーカーの遠慮ない態度に私は煙草のように深い溜息を吐いた。そして右手から懐中時計を取り出す。すでに時刻は午後十一時。そろそろ異変に気づき始めることだろうな。しかしジョーカーたちはその気じゃない。特に小僧は遊び相手を手に入れた。そんな表情をして私をだまって見つめて来ているのだ。そんなつぶらな瞳をしないでくれ。どんどん罪悪感という傷口が広がる。

「すまない長居はできないんだ。」

「そんなこと言わずに」

「そうだよ!もうちょっと居てよ!」

口を開いたのはお嬢様だった。このお嬢様というには少し乱暴な子は、結局名前を知らずじまいだが、結局何かに似ているのに代わりない。強いて言えばコロボックルステーションの「魔女さま」なんか似てるんじゃないかい?強いて言えば。

「じゃあ少しだけ。貴女はどうしてこの活動を?」

「私?私は純粋に酷いと思ったから。」

ああ、正常な思考ができる人間も居るのだ。こんなことを仕出かす祖国への恐怖、そして道徳心。それらが織りなす小さな心が、彼女を突き動かすのだろう。情報源はいい。粗方分かっている。そして私はそこにあった小さな椅子に腰掛けた。

「貴方は?」

「私ですか?私は色盲ですので。赤いのが見えないタイプの。」

「へえ。」

軽く流すが、そこまで怒る様子はなかった。色盲もだめなのか。

「あっちの子は?」

「あの子は、そうですね。親を口封じに殺したときに、たまたま逃げて生き残ったんです。」

しかしその小僧が私に対して興味を示したりすることはない。音は聞こえていそうだが、どうだろう。そして私がそっと触れるとすぐに逃げる。まるで何から何まで、自分の見るモノトーン世界だけがあり、その外部たる異次元からいきなり奇襲を喰らったかのような、何とも言えない反射的な反応である。一言でびびっていると言うふうには片付けられないということだ。

「自閉傾向が強い子なんです。」

ああ、と私は納得する。

「あの子最後に言ってましたよ。『あのひと、だめ。ばいばいしたい。』ってね。」

それをレジスタンスの意思と捉えるのは如何なものだろうか。そうは言っても、彼自身そこそこやる気ではあるらしいのが笑えない。自閉傾向の強い人間は、自作語が多かったり間違った解釈をしたりする。文章がおかしいのはそのせいだろう。この小僧が私に懐くのも実はそこそこの異常事態だったりするんだ。自閉というのはそもそも人の顔を覚えるのも苦手で、中々それらが一致することはない。逆に言おう。自閉の子に名前と顔を覚えられたら、おめでとう。君はかなり好かれている。彼は奥で爆弾をいじっていた。そう言うタイプの人は何か一つ長けていることが多いが、彼も例外ではないらしい。そうして彼の作った幻想的な爆弾がどこかで作動するのだろうか。きっと彼はそれを夢見ているのだろう。

さて、やる事はやった。特に収穫はない。

「そう…それじゃあ私はもう行くわ。」

「ああ、ちょっと待って。」

急にジョーカーの手に向かって何かが投げられた。私が袖口に隠している第二のマジック。真っ赤なリンゴを袖口に隠すのは、結構大変だぜ。本当の話。

「これは、リンゴ?」

「これを食べ切るまでは話をしてあげてもいい。」

そうして彼はどこからともなくフルーツナイフを取り出すとそれを切り分けた。手つきが慌ただしいので、2人の好物ではあるのだろう。現金な小僧め、こう言うのに反応するのは子供同然だな。ジョーカーはあっという間に小僧とお嬢様に取り憑かれ動けなくなった。ありがたく帰らせてもらおう。私が長居しない方が君たちのためにもなり得るのだから。

「暗号を送るから以降はそれで連絡を」

私は冷たく言い放つと、地下下水道を抜けていった。しかし彼らはリンゴに夢中。呆れてものも言えないや。こんな組織と手を組む義理はないだろう。改めて外に出ると空気が美味い。復讐のために、あんな鼻が曲がる空間に留まれるのも少しは尊敬できる。

ああ、早く行かなくては私はとんでもないことをしでかした。こうして私はホテルを早々にチェックアウトすると、迅速に駅へと向かったのである。

 

 

実は以前のようにレイの罠か何かに嵌められたかと疑うが、ここはボーダーを越えた先だ。さすがにないだろう。と、いうか実際に何もなかった。やがてゆっくりと鉄色のプラットホームを下ると電話がかかってきた。それが安全だというメッセージ。すかさず駅のトイレへと駆け込み、誰もいないことを確認してから携帯を開く。携帯が妙に重たく感じた。

「はいファロ・レディ。」

「ああ、ファロレディかい。君に少しお願いがあるんだ。君がまだ生き残っていると言うことは、おそらく赤い帝国の裏を見たと言うことだろう。実はその情報は何人ものスパイが欲していたもので、とても貴重なものさ。」

「ええ。見ましたよ。」

「ところで、これから私の部屋に来て欲しいんだ。いいかい?」

「ええ。もちろんです大統領。しかし、もう一仕事片付けてからでも?」

電話の奥からふぅっと息をつく声が聞こえた。大統領の癖だ。この大統領は、フレディ・クルーガーのような変態の癖をして頭がいい。なので仕事内容をきっと把握している。そして、この癖というのが二つ。一つが右手の指を不思議に、まるでパントマイムのように艶かしく動かす癖。もう一つが、この吐息癖である。これは、何か彼が諦めたときや、察した時、困った時によく使った。

「怖いから聞かないでおくよ。」

「光栄です大統領閣下。」

「楽しみにしておくよ親愛なるファロレディ」

「完遂の証拠に首でも送りましょうか?」

「勘弁してくれ。」

そうして私はトイレを出ると、携帯を畳んでポケットへとしまった。そして、予測通りそこに居た人物を優しく睨みつける。それは、大きなスーツケースを二つ携えていた見覚えのある人間だ。

「女子トイレを覗くのは変態だって知ってた?ねえ、色盲のジョーカーさん。」

ジョーカーは暫く黙っていた。まるで、「何を言ってるの」と誤魔化したいかのように。さらにこちらが可笑しいかのようにも微笑む。しかし数分も経てば彼の顔からは笑顔が消えた。そして無表情の彼は私へと、赤黒く濡れたナイフで猛攻を仕掛けたのである。すぐさま私は姿勢を変えて受けるが、それがまるで数トンの衝撃に感ぜられた。腹が痛い。

「そうだよファロレディちゃん。やっぱ気付いてたんだね。因みにいつから?」

「最初から。確信に至ったのは貴方にリンゴを突き出した時。」

「へえ。」

「だってファーストコンタクトからおかしいのよ。なんで工場内に居るの?と言うところから、都合よく出入り口までわかる。しかもこんな情報統制の効いた国で、わざわざあんな内部の情報を知ってる人が居るのよ。それだけでは断定できないけど、それでもだいぶ変じゃない。」

ジョーカーはお約束を守って見守ってくれるようである。私は遠慮なく続けた。

「あとリンゴを渡した時。あれがリンゴと断定できたのが、色盲ではないと確信した時。」

「おっしゃる通りですよ迷探偵さん。」

名探偵の所を少し揶揄するように言われたのに私は少し憤りを覚えた。しかしジョーカーは構わない。

「いつ来るかと思いましたが、まさかレジスタンス諸君を犠牲にする道を選ぶとは」

「残念だけど私はハイパーレスキューじゃない。貴方本当に変わらないわね。最初会った時から。」

「私はそう言う人間ですから。」

彼は煙草を口に含むと私に勧めた。おそらく毒などないが、もちろん断る。何より今はそんな気分じゃない。レジスタンスを救えなかったのは本当だ。素人2人を抱えて逃げる方が現実的じゃない。

「見ものでしたよあの餓鬼どもが喚くのは。私がリンゴを踏み潰し、泣き喚く中まずは自閉の方をぐさり。次にショートの方をぐさり。私のナイフが赤く濡れたのはこのせいですよ。」

そこまで言うとジョーカーは無言で私に果物ナイフを投げて来た。それは私のさらりとした髪を貫通し、壁に突き刺さる。そこには、名刺があった。いつだか見た、レイと同じデザインの。

「改めて、督戦隊内部摘発委員会のジョーカーです。以後、お見知りおきを。」

そうして、赤く滲んだスーツケースをこちらに滑らせる。そこからは、舐め覚えのある鉄の臭いがした。

「レジスタンスに屈して子供を殺すほうが滑稽よ。羹に懲りて膾を吹くってやつ?」

「ゲームでもしようよ。貴方が勝てば人質1人に、貴方の命まで助かる。ファロレディって言うからにはゲームは得意でしょう?」

私は挑発をしておきながら、その予想外の答えに殺陣師のようにわざとらしく身構える。どうやら、そこそこ図星の煽りは無視するスタンスらしい。なかなかメンタルが強いタイプだ。

「ゲームって?」

「君にひとつ、僕にひとつのスーツケースがありますね。」

二つのスーツケースへと目配せをする。両方とも、トマトを煮込んだように赤く滲んでいた。なるほどそれでこんな大荷物を持ってたわけだ。

「そのうちひとつには、瀕死にしたどちらかが入ってます。」

詰まる所まだ生きていると言うこと。もう片方は言わずもがな死んでいる。

「命を踏み躙る気?」

「思ってもいないこと言わないでくださいよ。冷酷なファロレディさん。」

そして彼はどこからかトカレフを取り出して、自分のスーツケースへ押し当てた。その手つきに何の躊躇いもなく、私はゾッとする。本当に殺すのか?本当に?そう問いかけたくなるような見え方である。

「どっちのスーツケースを撃ちたい?選んでみよう!でもそれじゃあベタで面白くないですね。」

すると床に聴診器が放られた。エブリンがすかさず拾い上げると、それを持つ。

「スーツケースをどちらかひとつ開けてみて下さい。その聴診器で、一度だけどちらかの心拍を診れます。ご安心を、瀕死の方も気を失っておりますので。ただし、念押しですが一回きり。そして、死んでる方も電気信号やらスピーカーで心音を再現してるので。」

なるほど賭け事を嗜む女性、という意を持つ『ファロレディ』にぴったりのデスゲームだ。私のコードネームをファロレディにした奴、出てこい。今夜だけはとことん恨んで恨んで恨み切ってやる。

そういえば何かの小説で、「あと先のことを考えれる奴は海賊にならない」と書いてあった気がする。こういうことなのだろう。その哀れな海賊は、その犠牲になったのだ。それだけの話だと思わないと、さすがの私にも良心の痛みが出てくるのだ。

「……わかった。」

そしてすぐ自分の持つ重苦しいスーツケースを開けた。入っていたのは髪を短めに切りそろえた方。お嬢様だ。

「大丈夫ですかお嬢さん?」

声をかけるが返事は一切ない。聴診器を当てると、どくどくと静寂に、しかしはっきり鼓動が鳴った。これが、虚偽でないことを祈るばかり。

「決めた。あっちのを撃ちなさい。」

ジョーカーは何の躊躇いもなく、黒い短筒を吹かせた。ぱあんという乾いた音と共に、嫌な硝煙の匂いが充満する。閃光がスーツケースを貫いたのだ。

「………ふふ…はははは……ははははは!残念!そっちは生きてましたあ!ほら、鼓動が止まったろ?死んでたらスピーカーから音がするから撃たれようが鳴るはずだよ!」

私は絶句した。嘘だろうこんなこと。嘘だと言ってくれよ。

 

この哀れな海賊がまだ真相に気づいていないことが。

 

「残念。貴方の負けですので、死んでもらいますよ?」

こちらにトカレフを向けると、私の鋭い目つきがジョーカーの眼球に映った。その黒い姿にジョーカーは異変を感じる。後から聞いた話だと、私はこの時まるで獄卒のような顔をしていたらしい。そして、周囲をサイレンと光が包み込んだ。

「………まさか?」

「残念。貴方とのお遊びに付き合っている間に、私は応援を呼んでみちゃった。」

ジョーカーには恐怖より疑問の念が残っている。私がいつ電話を切ったなんて言っただろうか。この駅でこんなことをして、どうして騒ぎにならないか。無論それは目立たない場所というのもあるが、誰も居ないからである。そして、ジョーカーはゲームに夢中なあまりその初歩的なミスを見落としていたのだ。

「さしずめ、このゲームは両方とも偽物もしくは別人の死体を使っているってところでしょう?そして本人は最初から死んでる。」

「………よく気づいたな。どうしてそう思った。」

私はふっと笑うと、前言われたことをそのまま返す。それは私にとって報復以上の意味を孕んでいるつもりだった。

「あんた督戦隊なら気づいてたと思ったよ」

彼の顔に怒りがふつふつと湧き出る。私は誰のものかもわからない死骸をどさっと捨てると、結った髪の後ろから、銀色の反射が美しいデザートイーグルを出した。

「私はGPSを付けたのよ。そうねえ、最初小僧にそっと触れたとき。それが一切動いてないから、はなからチャンスなんて与える気はなくて、私をただただ絶望させたいそういう意図が透けて見えてたのよ」

それを分かってて、掌で踊らされていたのか。こいつは、それを全てわかった上で演技をしていたのだ。そして、確実に追い詰めた。差し詰めジョーカーを情報源か何かにして利用するから殺さないのだろう。詰め将棋をしていたはずなのに、いつの間にか逆に詰まされていたのだ。どういう感情を持ってこれを迎え入れればいいか。それは、ジョーカーの場合怒りであった。

「エブリン・ベイカアアアアアアアア!貴様アアアアアアアア!」

ジョーカーがナイフを投げて私の体制を崩すとトカレフを打ち込む。熱い鉛は私の右腕を掠めて通り、そして私を苦悶の表情へと一瞬落とした。それでも、腕が外れるのも覚悟で引き金を引く。手振れを計算するなど不可能だろう。そうしてジョーカーはあえなく足を撃ち抜かれて、斃れた。駅には赤い絵の具が3つ、4つほど漏れる。かくして全てが終わったわけだ。喘息のような過呼吸が止まらない。当たり前だろう、こんなことをしたのだから。

「最初から、こうしてれば良かった。」

そう呟くと洗面所のシンクに水鏡を張って自分の腕をつけた。激痛に耐えながらあのことを考える。ジョーカーはなぜあんな手段を取ったのか。慢心か、それともそういう趣味があるのか。いずれにせよ、あの赤い帝国の残忍さが再び垣間見える場面にエブリンはぞっとする。まさかとは思うが、向こうのいう「ビョーキ」にこう言ったことを常習的にやらかしてるのでは。

もう、いいや。残りは警察や特高へ任せておこう。私はこれからも仕事があるんだ。

そうして駅のプラットフォームを出ると、国家連合の冷たい空気を吸い込んだ。あの時とは違う、とても心地よい冷気だ。

 

 

 

 

赤い帝国では、人権は認められていない人種が居る。それが、「ビョーキ」を持つ人物。それは絶対のルールであるが、裏を知られてはいけない。

左腹に深傷が残った。嫁入り前の娘を傷物にするとはけしからん奴だ。右腕の布を破ると、それを腹に巻いて包帯にする。目の前の牢獄ともいえない地獄には、呻き声と共に鞭の音が鳴り響いていた。

「くっ……ふはは…あははははは!」

エブリン。そうだ、エブリン。私を追い詰めた人間。仕掛けた罠を見破れないのに、それをぶっ壊すことはできるんだ。そういう型破りなタイプ嫌いじゃないよ。

そして中から適当に1人を取り出すと、サーベルを用いて幾度となく切り付ける。これが、エブリン・ベイカーであったら、どれだけ気持ちのいいことか。そして無表情へと変貌させられたその肢体をまた力を込めて切る。その傷一つ一つへと、彼女がエブリンに抱くオブセッションの感情が写し込まれていたように見えてならない。

「やめ……」

「ああ!いやだいやだ!言葉は人間の喋るものだよ。」

そうして喉を掻っ切ると、そこから鮮血が流れ出た。もちろん、これ以上喋ることは出来ないだろう。床に赤黒い血溜まりができる。それが今の彼女とそれの、感情の移しのようで美しい。ああ、なんて良いのだ。これだけ気分が高揚したのは初めてである。

「知恵遅れのくせして言葉を話すな。」

曇天に顔を落とすレイは、最後その頭を靴で踏みつけると、エレベーターへと向きあった。

「エブリン・ベイカー。いいよ。探すまでもない。だって。」

レイはくるりと振り返る。そこには、阿鼻叫喚の領域が広がっているのだ。ここが、地獄だろうか。私は地獄だと思う。ならば、地獄に送られるべき人間が居るだけだ。私はここに居るべき。もちろん、閻魔の側近として。

「もう、戦争が起きるもんね。」

そして、選ばれた犠牲者の脳天にサーベルを差し込んだ。もう血は流れない。出涸らしのようだ。

 

 

 

 

 

大統領府に着くとまず行われたのは治療。医務室でたっぷり絞られた。どうして放っておいたのかと。まあよく考えれば当たり前だ。だって、銃痕を治療せずほぼ放置したのだから。まして私があの「ファロレディ」であるというのは、より怒られる要因に繋がった。結局向こうの主張は真っ当で無理もないので、私は適当に聞き流しさっさと目的へと向かった。

「ああ、すみません大統領。少し主治医に怒られてしまって。」

「いやいや、大丈夫だよ。」

目の前には白ワインと、立派に盛り付けられたオードブルがある。食べる気は一切ないが、少しくらいは話を合わせねば。とりあえず座ると、じっと皿とにらめっこを繰り広げた。これを全部食うには少し私のお腹が足りない。

「ああ、まあとりあえず、エブリンくんの生還に乾杯。」

「乾杯。」

一口飲むと美味しいかどうか聞かれた。もちろん美味しいと答えるが、実際は味なんて何もわからない。オードブルに使われたオリーブの匂いが口の中に未だ残留するので、ワインでうがいをする。向こうはそれを楽しんでると解釈してしまったようである。

「赤い帝国の実態は見せてもらったよ。私はあの国は好きになれなかったが、それが今少し変わった。悪い方へね。」

「つまり?」

「単刀直入に言う、と言いたいが、まずは僕の正体を話さねばね。」

彼女の前に一枚の髪が置かれた。診断書である。医師の名前と診断した病名。様々な事項を新聞を読むように順繰りで巡って行った。

「自閉症?」

「ああ。誰のものかもわかるかい?」

「……フレデリック・ラースロー……大統領閣下の!?」

「一昔前ならこの時、そんな大声で言うなと怒られたよ。私はね、これを包み隠していたんだ。どうしてか分かるかい?」

「当時の選挙では、こう言った精神疾患は不利な因子になるから。」

「さすがファロレディだよ。」

そう言って、大統領はワインを飲み干す。対象的に私のワインは一向に減らない。きらきらと輝く、魅力的なはずの黄金の水は、たまに振動を受けて揺れるだけで、私の口へ積極的に入ろうとは全くしなかった。

「私はもっと言えば僕の出身地はここじゃない。」

それが更に私の驚きを増した。私は気を紛らわすために少しだけワインを飲む。体温が上がってぽかぽかしてくる方がそこはかとなく機嫌を取りやすいのだ。

「ああ。お察しの通り。」

彼はワイングラスを置くと、少し袖を引いてから言った。そこに、痛々しい血の後とともに刺青が書かれている。ワイングラスは、既に空となっていた。私はそれを暫く黙って見つめるしかできなかった。凄惨たるあの象徴、赤い帝国が言う「ビョーキ」だとして監禁したそれそのものが目の前に居るのだ。

「赤い帝国の出身だ。」

「んで、最初のお話に戻る。僕はね、あのにっくき赤い帝国に戦争を仕掛けようと思うんだ。いや、それが理由だ。それ以外に何のメリットも理由もない。」

「ただ仁義に則った戦争、ということ?」

「その通り!いやはやエブリンくんには驚かされる。」

戦争を吹っ掛ける理由は、今までずっと考えてきたがまさか私情から来ているとは。これは一種のテロか?それとも国民が納得している以上、私は何も言えないのか?

実際に私が見てきてあの惨状は放って置けないと思う。それに、あの出身者なら増してや抱く憎悪は大きいだろう。そしてその人物が目に映っている大統領それそのものだ。しかし、復讐はいつでも戦争を正当化する材料というわけでもないはずだ。大統領は空のワイングラスにワインを注がせている。ああやって、いつも大喰らいで大酒飲みなのも或いはその反動なのかもしれない。だから、どうすべきか私の頭では二大の派閥が内戦を繰り広げているのである。

「いいよ。君はとにかく僕らに情報をくれればいい。だから、そんなに畏るんじゃないよ。」

それでも、私の中には何か納得できないものがあった。そしてそれを抱えたままではどうしてもいられないと、自分でも分かっていた。この腫瘍は、きっとあることをせねば取り除かれないだろう。いや、それさえできれば戦争そのものを止めることもできるやもしれない。

「大統領。」

私はすうっと息を吸うと、莞爾の顔を浮かべる大統領に言い放った。

「私に考えがあります。」

 

 

 

 

大統領府に吹く風はあの時と同じくして、しかし異なるものだった。私の白いコートに霧雨が押しかけてくる。ぶわっと空風がコートを舞い上げると、冷気が空間を縫って私の素肌を凍らせた。これには堪らず、木造の古い喫茶店へと駆け込む。既に、白い豪奢な服は水を吸って不恰好なものへと変わっていた。私はそこでコーヒーを頼むと一旦コートを脱ぐ。寒い。あんなことがあった後に、あの堅苦しい食事だ。喉を通るはずもない。少なくとも、私にとってはこのコーヒーの方が数百倍美味く感じたのである。それに、オードブルの生ハムが、どこか配布食料に使われる成れの果てをまざまざと連想させて厭だった、というのも一因だ。

ほうっと息を吐くと、自分の体温が余程下がっていたことを感ぜさせられた。ぐしゃりと濡れた髪を少しいじると、水が一滴程度落ちる。どうやら私の、絹糸のように美しい糸はこの程度でも死んでしまうらしい。

私は何も入れていないコーヒーを、匙でからからと混ぜながらながめる。

実はあの計画というのは別に口から出まかせではない。そうだとしても、赤い帝国に再びいくのか。あの恐ろしい国に。あの国の恐ろしいのは、理解のないのでも、強制労働でもない。惆悵の連鎖というものを、強制的に断ち切ってしまっていることにこそある。だとすると私は、蜘蛛糸を上り切った後にまた血池に戻るただの変人にも見えよう。

それでも、私は行くのだ。そうして香り高いコーヒーを一口飲む。苦い味と、芳醇な香りが鼻に充満した。そう言えば、と、あの哀れなリンゴたちのことを思い出す。あのリンゴは、何だったんだろう。私がお嬢様に渡し、ジョーカーを出し抜くのに利用して、最後ジョーカーに踏み潰されて死ぬ。それが期待した最後はせめてお嬢様たちの腹に収まることだったろうに。でも、いいんだ。私は環境主義者でもなくば給食委員でも墓守でもない。感情がどうであれ、理論上あのリンゴがどうなろうが良いことになってしまう。リンゴがどのような形であれ、必要条件であっても、この哀れなリンゴに向ける気持ちは変わらないだろう。例え、それが無碍にされても、利用されても、食べられても。だって、どう転んでも結局有意義なのだから。そして、それは赤い帝国がやる愚行にも当てはまるなと思い、くすりと笑った。

そうして喫茶店を出ると、すっかりと晴れ上がっている空にオリオンが悠々と立っていた。思わず数秒間を天蓋に囚われるが、はっとしてすぐに夜道を歩み出す。そうして、いつの間にかご機嫌に歌を歌っていた。道ゆく通行人も知れず。

「赤いリンゴに、くちびる寄せて。黙って見ている青い空。」

リンゴは何も言わないけれど、リンゴの気持ちはよく分かる。そうだ、それでいいんだ。所詮何も言わないし言えないし、言いにくい。それでも、彼らはものを言うし、意思表示を与えるのだ。

「リンゴかわいや、かわいやリンゴ。」

そうして私はおそらく崩れ去ろうとする街並みを下って行った。

 

 

 

 

 

続く

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