——コンコン、と小気味の良いノックが聞こえてきました。この礼儀正しく完璧なノック音は間違いありません。お姉様ですね。
「精が出ますね」
「明日はおばあ様も見に来るので……少しは成長した姿を見せたいんです」
「ですがそろそろ休まれてはいかがですか?」
たおやかな手つきでカモミールティーを淹れてくれました。その所作はいつも通り美しくて、初めてお姿を拝見した時のように作り物のお人形さんのような麗しさを覚えました。
「……じゃあ、ちょっとだけ……」
明日は年に一度しか開催されないメイド検定の日。中学校を卒業したらこの検定に合格することが女井戸家のならわし——。もし不合格なら一年後まで修行のために女井戸家に帰らなくてはならない。去年はうっかりバニーガール検定を受けてしまって、百八さんのおかげで合格して翌年のメイド検定まで見送ってもらえましたが、さすがに次はありません。なんとしても合格しないとファミリーの皆と……お姉様とも会えなくなってしまう。
「あまり根を詰めすぎるのもよくありませんよ」
「む、無理なんてしてないですよ! なんたって妹はお姉様のように完璧なメイドになるんですから!」
「……妹……」
不安から逃げるように検定の勉強に打ち込んで、それでもやらかさない自信がまったくなくて。でもそんな様をお姉様に見せまいと強がる。そんな自分がなんだか情けなく思えてしまいます。
「私は……それほど頼りないでしょうか?」
「どっ、どうしてそうなるんですか!? お姉様のことを妹はずっとお慕いしています!」
「以前
妹も似たようなことをおばあ様から教えられたことがあります。自信が無いことよりも、態度に出すことの方が恥ずべきことだと。それはメイドとして当然のことです。
「ですが羽香里様に叱られてしまいました。お嬢様とメイドである以前に、一緒にこの家で育った家族なのだから頼ってほしいと」
「お嬢様がそんなことを……」
「私にとっては妹も大切な家族なのです」
「へっ……!? そんな。妹のことを大切な
「家族です」
姉妹関係であることだけは頑なに認めてはもらえませんでしたが、言いたいことは伝わりました。それと同時に驚きました。お姉様といえば他人ファーストの権化のような性格です。なのにこんな風に自分を主張するような真似をするなんて……それってもしかしなくても、妹がお姉様にとって特別ってこと……!?
「はひはひ……」
「妹?」
「はっ……! し、失礼しました」
「やはり明日の検定のことで不安なのですか?」
「それも……あります。ただそれだけじゃなくて。正式にお屋敷のメイドになって一年半経ったのに……いまだにドジばかりで……」
一度話し始めたら止めどなく言葉が溢れてきて、お姉様は静かに受け止めてくれました。正直なところ雇用主の羽々里様がドジっ子メイドも守備範囲だからクビになっていないだけで、結構なやらかしをしてしまっています。気を付けようとしているのに、治らない。バニーガール検定の時もそうでした。自分のドジさ加減が嫌になって——
「お姉様のようになりたくてずっと働いてきたのに……妹にはメイドの才能なんてないんじゃないかって……!」
「妹……」
言葉にしてみるまで分かりませんでした。自分がこれほどまでに追い込まれていたなんて。メイド検定はきっかけに過ぎなかったんです。少しでもお姉様に近づけたと言えるような何かが妹の中で何一つ積み重なっていないから、自信と言えるものがなかったんだって。
「確かに無礼は正さねばなりません。ですが——」
「……!?」
聞き終えたお姉様が優しく抱きしめてくれました。お姉様の心音が聞こえるはずなのに、自分の心音がうるさくて掻き消えてしまいます。
「私めは妹に才能がないなどとは思いません」
「そ、そんな! 嘘です……! お姉様と比べたら妹なんて……」
段々と尻すぼみになって言葉が消えていきます。そして妹が落ち着くまで抱きしめてくれたお姉様は、肩を掴むと目を真っ直ぐ見据えました。虹色の瞳を久しぶりに拝見して、思わず気が引き締まります。
「人の振り見て我が振り直せ……この言葉の意味、分かりますか?」
「それはやっぱり……誰かと比べて自分の悪いところを見つけろってことじゃ?」
「いいえ。たとえ誰かに影響を受けようとも、最終的な決断をするのは自分自身と私は考えております」
「影響を受けても、最後は自分で考える……?」
「私めの仕事ぶりに感銘を受けて、自身もそのようなメイドになりたいと志してもらえたのは喜ばしいことです。ですが妹は私ではありません。女井戸妹なのです」
「あ……」
「先日胡桃様と寧夢様の誕生日の際……メイド検定が迫っているというのに、もてなしを優先したのもそうです」
「それは……大切なご友人ですから。当然のことですよ」
「ふふっ。それにお二人に喜んでもらえるように催しを企画し、当日は司会も務めましたね。ああいったご奉仕は私めの得意とするところではございません。妹だからできたことでございます」
「お姉様……」
そうか……そうだったんですね。ずっとお姉様のようなメイドになりたかった。それだけを考えて日々頑張ってきました。でもお姉様のできることが妹にはできなくて。だから何も築き上げている気がしなかった。あの日見たメイド姿があまりに完璧すぎたから。お姉様と違って妹は完璧とは程遠いです。けど、それでもいいんですね。だって妹には、妹なりに築き上げてきたものがあるんですから——!
「——ありがとうございます。妹はお姉様のようなメイドになろうとしすぎたのかもしれません」
ドジる時に走る強張りのようなものが一気に抜けていって、妹はお姉様の前でようやく自然体になれたような気がします。
「影響を受けることは悪いことだとは思いません。しかし囚われることはないと思うのです」
「ふふっ。なんだかお姉様も昔とはずいぶん変わりましたね」
「ええ……迷い、考えることを私はしてきませんでしたから。これは妹だけに言いますが……後悔していることがあるのです」
「お姉様が……ですか?」
「はい。恋太郎様が五股様だった頃、羽々里様は明らかに余裕を失っておりました。しかし余計な心配はいらないというご命令に私はただ従うばかりでした」
「……ありましたね。妹は入ったばかりであまり事情は分かりませんでしたが、解決した後にファミリーの皆に聞きましたよ」
「あの時お二人の一番近くにいたのは私でした。しかしお力になれなかった……。恋太郎様があれだけ遠くから羽香里様を救出に来られたというのにです」
「……難しいですよね。正しい答えがある訳でもないですから」
「ええ。ですのでよく考えることにしたのです。なぜなら……大切な家族でございますから」
完璧だと思っていたお姉様ですら後悔していたことがあって、そこから学んで変わっていっているんですね。もしかしたらメイドの道に完璧なんて到達点はないのかもしれません。
「妹も……お姉様を見習って妹なりに考えてみようと思います。ふふっ。やっぱり妹はお姉様のようになりたいのかもしれません」
「分かりますよ。私も百八様のようになれたらと思い、その姿勢を真似ていますから」
「むぅ……。それだと妹も百八さんになりたいみたいじゃないですか」
口を尖らせるとお姉様が吹き出して、思わず釣られてしまいました。思えば不思議なものです。憧れていたお姉様と家族のような繋がりができるなんて。
「妹はあくまでお姉様の影響を受けた
「私めに妹はおりません」
恋太郎さんと出会っていなかったら、ずっと憧れたままだったのかもしれません。本当に不思議な人です。そんな人と人を繋ぐ誠実さも大好き——違う! そんなこと思ってない!!
本格的なお祝いはメイド検定の後ということで、二人でささやかなパーティーを開きました。なんてことのない会話をするひと時がまるで本当の家族の時間のようで、妹にとっては最高の誕生日でした。