何回か考えたことがある。アタイが四月一日の23時59分59秒に産まれたなんて話はエイプリルフールの嘘なんじゃないかって。だってほら、嘘みたいな話だし。
あーあ。もし1秒でも遅けりゃ、同級生の中じゃ一番の先輩になるんだから見下されることなんてなかったんだろうな。……こういうのなんて言うんだっけか。あれだ。食べ物の組み合わせで……そう! たらレバーってやつ。凪乃後輩が前に無意義だとか言ってたっけ。分かっちゃいるんだけどさ。
結局アタイはちっちゃくて力が無いから馬鹿にされて、同じように留年していたかもしれない。ま、一つだけ言えるとしたら——同じように留年したタイミングで恋太郎ファミリーと会うことはなかった。今のアタイはなかったってことだな。……あっ、二つ言っちまった。
「いやーそれにしても先ちゃんも大学生かー」
「エイラ先輩にはお世話になりました……!」
エイラ先輩を始めとした先輩方のご助力もあって、アタイは念願の大学生になった! お花の蜜は高校から大学にそのまま進学できるから、出席日数や単位が足りるかどうかが鍵だった。赤点ギリギリだとかそんなことは入ってしまえば関係ないね! 関係あるのはやっぱり年齢だよ! ……年齢かぁ。
これ以上の留年はお母さんや千優先輩、それにファミリーの皆にも心配をかけちゃうし、何よりアタイが高く高く積み上げた尊厳にヒビが入りかねないから、死に物狂いで勉強した。そしてそれが終わったからこそ、突きつけられる現実。大学に入ればアタイは年功序列の最下層……。また見下される日々が繰り返されるんじゃないかと、今から頭が痛い。
「……ね。ずっと勉強してたから体鈍っちゃったでしょ。動かしていかない?」
「先輩の誘いを断ることはアタイには一生できません!」
「パワハラとか気を付けてね?」
お誘いを受けて、エイラ先輩のお父さんが経営しているカポエイラ道場へとお邪魔した。
「ふっ……!」
「か……カッコいい……!」
地面に手をついて踊るように高い蹴りを入れるエイラ先輩を見て、思わず目を輝かせた。
「爪の垢を煎じて飲ませて下さい……!」
「本当に飲もうとするのはやめた方がいいかな……!? ほら、一から教えてあげるから」
「光栄です!」
エイラ先輩直々の指導を受けて、アタイも華麗な蹴りを放ってみせた。
「先ちゃんは普通のキックからかなー」
「分かりました!」
地面に転がるアタイの手を取ってくれたエイラ先輩を支えに、素振りを繰り返す。想像を絶する鍛錬にアタイの息は乱れに乱れた。
「まだ三回目だよ……!?」
さすがのアタイでも体が鈍ってしまっては仕方なかった。エイラ先輩はこっちのペースに合わせて、沢山休憩を挟んでくれた。
「やっぱりエイラ先輩はすごいですね。こんなキツい練習を毎日欠かさず……!」
「あはは……ありがとね」
エイラ先輩は困ったように頬をかくと、素振りをやめてアタイの隣に座り込んだ。
「……怖いよね。未来って物理で倒せないから」
「え——」
さっきまでの凛々しい顔つきと違って、目を瞑って震えながらエイラ先輩はそう告げた。
「あたしさ。臆病だから……新しいことに挑戦する時、いつも怖いんだ」
「そ、そんな! エイラ先輩はいつだって立派ですよ!」
「ううん……そんなことない。物理で倒せないものにはすぐ転がっちゃうし……。あたしからしたら先ちゃんの方が立派だよ」
「アタイがエイラ先輩より……。……ど、どこがですか?」
見ての通り体力とかは……だし、勉強も言うまでもなく……だし。アタイの最後の砦である年齢もエイラ先輩の方が上。気付けばハテナマークがアタイの頭を埋め尽くしていた。
「だって先ちゃん大体のものを物理で倒すことができないでしょ。それってすごく怖くない?」
「それは……ずっとそうでしたから」
「なのに先ちゃんは逃げなかった。だからファミリーという居場所ができたし、こうして裏番長を手放す決断もすることができた」
「……ありがとうございます。でもそれはやっぱり、千優先輩や恋太郎後輩。それにファミリーの皆がいてくれたからですよ」
「ふふっ、それもあるかもね。……大学生になって、新しい環境に変わるのって不安だと思うんだ」
「………。はい……本当は、怖いです」
「あたしね。ずっと怖がって生きてきたけど、そうやって迷って考えることは悪いことじゃないよって言ってくれた人がいて……。一緒にいてくれたから、勇気を分けてもらえたんだ」
「エイラ先輩……」
知らなかった……。エイラ先輩はいつも強くて堂々としているから、まさかアタイみたいな弱い人間と同じような悩みを抱えているなんて想像もしていなかった。
「あたし今でも迷ってる。カポエイラ道場を継ぐのか、それとも他の選択肢があるのか。先ちゃんの未来も同じ。シュレディンガーの猫みたいに、観測するまではあらゆることが起こり得る」
「シュレ……?」
「でもあたしは色んなことを経験して、迷った末に迷わず決断しようって思ってる。あたしの"今"に意味があるって信じてくれる人がいるから」
「……!」
話を聞きながら思わず握りしめてしまった拳を、エイラ先輩は優しく包み込んでくれた。
「先ちゃんの"今"の頑張りには意味がある。あたしは間近で見てきたから、断言できる。だから先ちゃんに頑張ってねって、言うつもりはない。怖くても今まで通りにいけば、なんとかなるって信じてみて」
今までもそうだった。アタイは絶対的に信じられるものが年齢しかなかった。自分自身のことが、信じられなかったんだ。だから自信がないって言うのかな。
「……ありがとうございます。アタイは弱いから、もしかしたらファミリーの皆を頼ってしまうかもしれないけど……」
じゃあアタイは恋太郎ファミリーに出会って、何を信じられるようになったのか。もう——答えは出てるじゃないか。
「皆が信じてくれるアタイを信じて、アタイなりに頑張ってみます」
「よく言った!」
「かはっ」
「きゃーッ!」
「エイラ先輩!?」
軽く背中を叩かれてむせてしまい、エイラ先輩が果てしなく転がっていった。腰が抜けた先輩の手を引っ張って立ち上がり、稽古の続きをつけてもらう。何か物になったかは怪しいけど、かいた汗が誇らしかった。
その晩。珍しく夜更かしをして、23時を過ぎても起きていた。筋肉痛がすごくて、眠れなかったからだ。もう大学生で大人なんだし、日を跨ぐまで起きてしまおうか。すると頭がやけに冴えて、アタイはまた考えた。四月一日の23時59分59秒に産まれたなんて話はエイプリルフールの嘘なんじゃないかって。
「ははっ……シュレなんとかの猫ってやつかな」
それが嘘ならアタイはその嘘に感謝したくなった。だって1秒でも遅れていたらアタイの"今"はがらりと変わっていたに違いない。
こうしてアタイは最高の誕生日プレゼントを胸に、秒針がその時刻を指した時にはぐっすりと眠りについていた。