いきなり時間がめっちゃ飛ぶ
「記録開始。開発レポートNo.72、記録者、白石ウタハ」
昨今のプログラムは目覚ましい発展を遂げている。私が今使っているコンピューターだってそうだ。
私が発した声を機械が認識し、狂いなく画面上に文字起こししていく。これを使うことで、キーボードをで打ち込むことなくレポートを仕上げられる。まあ、普段はキーボード入力で作成しているのだが。今この機能を使っているのは、眠気に抗うための気分転換と言っていい。
「――完成した歩行支援ユニット5号機は運動指令を含む生体信号を、コンピュータを介し、損傷していない神経に指令を送ることを実現する人工神経接続システムを搭載。手の筋肉の動きで操作できる非侵襲的な脊髄刺激法を用いている」
私が宣言をぶち上げた日から、丸々1年ほどが経過した。いつの間にか、私もヒマリも3年生になっていた。あの日から、エンジニア部の活動もしつつ、個人で歩行支援ユニットの開発に勤しんでいた。
多忙を極めた。個人の力では限界があり、開発は難航した。それでも、私の熱は消せなかった。
「――過去のカルテを確認した限りでは、被験者―――明星ヒマリの脳神経、並びに脊髄等の中枢神経系に損傷は見られない。が、脚部筋肉にも異常が見られないことから、確認できなかった神経異常が原因であると推測し、本機での起動試験を行う」
しかし、この1年余りで、目立った成果は上がらなかった。5号機の名の通り、これまでに4度、試験を行なっている。
結果はお察しの通り。ただただ、ヒマリに負担を強いるばかりになってしまった。
逆に、エンジニア部での開発は目覚ましかった。狂っていると言っても過言では無いものまで作れてしまった。
下半期の予算を7割吹き飛ばしたレールガン。
1、2年生の頃、やけを起こして作り、射撃実験で山を消し飛ばした"プロトタイプ・スーパーノヴァ"陽電子砲。
光学迷彩下着とかいうものまで。
エンジニア部で作ったものは、全て思い通り作り上げられた。だが、この歩行器だけが、思うように作れない。
難航する理由は、たったひとつ。
足が動かない原因がわからないのだ。
前述の通り、過去のどのカルテを参照しても、脳神経、脊髄系の異常は見られなかった。
ならば筋力の問題か、と言われると、それも違う。主な原因の筋疾患からなる筋炎や筋ジストロフィーなどの兆候も見られない。まるでそうあるべきだとでもいうように、理由なく動かないのだ。
「5号機の起動試験は1週間後を予定。結果は追って記入する。以上、記録終了」
その時、朝7時を告げるアラームが鳴った。またしても、夜を徹しての作業になった。今日は学校がある。支度をしなければ。
机の上、マグカップの中身は既に冷え切っていた。それを無理やり喉に流し込んで、立ち上がる。
「……今度こそ」
熱は失われることなく、未だ強く燃えている。
今日がミレニアムプライス発表の日であることさえ、見落とすほどに。
今日のミレニアムタワーは、少し異様な雰囲気を醸していた。なんというか、いつもと違って、緊張感のあるざわつき方をしている。その多くは大型モニターやホログラムを注視していた。
人混みを掻き分けて、タワーから出る。実習センターの方へ向かって歩く。上空を飛ぶモニター付き飛行船の数も、今日は多かった。
「…眩しいね。サングラスが欲しくなるよ」
寝ていないせいか、それとも暗い部屋で作業を続けていたからか分からないが、やたらと日差しが目に突き刺さる。ミレニアムの綺羅びやかなキャンパスが、今日だけは目に悪く感じる。
そんなことを考えているうちに、実習センターに辿り着いた。
カードキーを通すと、機械的な認証音とともに、自動ドアが開いた。こういったシステムを作るのも、我々エンジニア部の管轄である。プログラムはチヒロが組んでいるが。
いつもの足取りで、エンジニア部ハンガーの扉の前に辿り着いた。
「ふー…いつも通りだ、白石ウタハ」
ひとつ言い聞かせ、戸を開く。
「おはよう、皆」
「あ、先輩。おはよう」
テレビの前の人だかりに声を掛けると、真っ先に後輩――猫塚ヒビキの返事が返ってきた。テレビを食い入るように見ていた他の部員たちもその声で気づいたのか、挨拶を返してきた。
しかし、その中に、何時も快活な声で返事を返してくる後輩――豊見コトリの姿がなかった。
「…あれ、コトリは何処に?」
そう言うと、ヒビキはものすごく困惑した様子で私に言った。
「……先輩。今日、何の日?」
「…何の日って―――」
そう言いかけた時、液晶の向こうから声が聞こえた。それは聞き馴染みのある、そして、今私が探していた人物の声だった。
『――これより、ミレニアムプライスを開催します!司会者の豊見コトリです!』
「…今日、ミレニアムプライスの日だよ……忘れてた?」
「……あっ」
歩行器の開発に躍起になっていたせいで、今日がミレニアムプライス授賞式の日であることを忘れていた。幸い、ミレニアムプライス向けの作品は既に提出していたため、今日の発表に支障はなかった。
「…私としたことが。すっかり忘れてしまっていたよ」
ちゃんとしてくださいよぉ、と、部員たちの中から声が上がり、それによって笑いが生まれた。
―――部員全員で一丸となって取り組んだことなのに、それを忘れていたなんて。
―――私は。
胸にちくっと棘が刺した。それを気取られないように、笑ってごまかした。
「そうだ、今日だったね。…じゃあ、私達の"光学迷彩下着セット"が何処まで行けるか、見せてもらおう」
「きっと大賞取りますよ!私達エンジニア部の傑作品ですよ!!」
「間違いないよねー!」
「…というか先輩、いいの?」
テレビの前で部員たちと騒いでいると、ヒビキが私に声を掛けた。
「…何が?」
「候補作品の代表って、現地行かないといけないんじゃなかったっけ…?」
「……そんな、まさか。そんなこと―――」
そう言いながら、白衣のポケットからスマートフォンを取り出した。予定を確認するための行動だったが、確認するまでもなく、状況を理解することとなった。
―――コトリからの、鬼のような着信。
身体から血の気が引いていくのがはっきりわかった。
『昨年の優勝作品であるノアさんの"思い出の詩集"は、本来の意図とは少し違ったようですが―――』
今、コトリは現地にいる。つまりこれは、私が会場に姿を現さないのを心配して―――
「…まさか、これも……?」
「……すまない、そのまさかだ」
流石に、この展開は部員たちも笑えなかったらしい。私の言葉を聞いた瞬間、皆が散り散りになって行動し始めた。交通機関を調べる者、使えそうな作品を探す者など、行動は様々だ。
「…と、取り敢えず急いで向かうよ。…電車とタクシー、どっちが早い?」
「モノレールはあと2分で出ます!こっからじゃ間に合いません!!」
「タクシー呼びます!」
「すまない、助かる!」
「はいこれ、ウタハ先輩」
ヒビキから入場に必要な証明書諸々が入ったポーチを受け取って、来た道を戻らんと走り出す。
「正面大通りに呼びました!走って!」
「気を付けて!」
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる!」
扉を蹴破る勢いで開き、実習センターの廊下を全力で走る。自動ドアが開き切る前の僅かな隙間を通り抜け、大通り目指して全力疾走。
身体が重い。どう考えても徹夜の影響だ。何時もより息が切れるのが早い。しかし、足を止める理由にはならない。
正門を突破した先で、タクシーはすでに待っていた。後輩たちに感謝しなければならない。
「ぜぇっ…予約した白石です…エキスポセンターまで――」
「あーっ!ちょ、ちょっとストップストップーッ!!」
タクシーに乗り込んで行き先を告げた瞬間、少し遠くからそんな声が聞こえた。その声はだんだんと近づいてくる。つい最近、よく通信機越しに聞いた声だ。
「乗せてぇぇぇ―――わあっ!?」
「モモイ!?」
「ウタハ先輩!?」
声の主―――才羽モモイは私の胸元に、頭から転ぶようにして突っ込んできた。金の髪に、猫耳が特徴的なヘッドセットをつけている。その顔は汗でびっしょりと濡れていた。
「…あの、そちらの方は……」
「友人です。行き先は?」
「えっ、あ、えーっと、ミレニアムプライスの会場に……」
「一緒だ。お願いします!」
「はいっ。かしこまりました」
運転手はそう言うと、すぐさま車を走らせ始めた。私達の様子を見て察してくれたのだろう。何時もより速度が速い気がした。
「いやー、助かったぁ!ありがとうウタハ先輩!」
「別に私は何もしていないけど…もしかして、モモイもか」
「あれ、ウタハ先輩も遅刻?」
そう言いながら、モモイは珍しいものを見るような目でこちらを見た。濃い桃色の目が私を射抜く。
「恥ずかしながら、今日のことをすっかり忘れていてね。後輩たちのお陰で、何とかなりそうだ」
「珍しいね。いやぁでもよかった!私だけじゃなくて!」
「ははっ。そうだね、私もそう思うよ」
陽気に話してみせた私とモモイ。だが、2人の表情には、それぞれ何か硬いものがあった。
ひとりは部長としての自身の不甲斐なさを。
もうひとりは自分達の運命の行方を思っていた。
あのあと、私とモモイは、ぎりぎり発表の時間には間に合った。
結果としては、私達の作品である"光学迷彩下着"は7位入賞。最優秀賞受賞とはならなかったが、3桁を超える秀才たちの作品群の中で7位と考えれば、とても栄誉ある結果だ。
ちなみに、モモイ達の作品である"テイルズ・サガ・クロニクル2"は特別賞を受賞。本人は泣いて喜んでいた。少し前の騒動にて手を貸した際、彼女らの立場については聞いていたので、自分ごとのように嬉しかった。
そんなこんなで、今は司会を務め上げたコトリを探している。発表が終わり、ほとんどの人が帰路につく会場は、少しずつざわめきが収まりつつあった。
「…いた。おーい、コトリーっ」
「あっ、ウタハ先輩!」
手を振りながらコトリを呼ぶと、ぱたぱたとこちらに駆けてきた。その顔は明るいが、ほんの少しだけむくっとしていた。
「心配したんですよ!どれだけ呼んでも一向に出なかったんですから!」
「すまない。私としたことが……」
もう、と言いながら、コトリは私の胸をぽかぽかと軽く小突いた。
「あ、でも、ちゃんと間に合ってくれて良かったです!もし先輩が居なかったら、司会者が賞を受け取るとかいう異常事態に…」
「本当にすまない…反省してるよ」
「…まあ、それはさておいて…やりましたね!!」
「ああ。やったよ。皆のおかげだ。ありがとう、コトリ」
「こちらこそ!ありがとうございますっ!!」
そう言いながら、コトリと固く握手を交わす。コトリは私の腕を、ぶんぶんと上下に大きく振った。メガネの奥から覗く緋色の瞳がきらきらと輝いている。
「折角だから、一緒に帰って、部の皆と祝勝会でもしようか」
「あ、私はまだ後片付けがありまして…」
「そうか、大変だね。私も手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。それに、ウタハ先輩、最近お疲れみたいですし…先に帰って、身体を休めてください」
今日の遅刻もそういうことでしょう?と、コトリはこちらの核心を突いてきた。
―――これは私個人の問題なのに、そのせいで、皆に迷惑をかけている。次はもっと上手く―――
「…先輩?」
「ん…ああ、いや、大丈夫だ。お言葉に甘えさせてもらうよ」
「お気をつけて!あ、ちなみに疲労回復には十分な睡眠が効果的ですよ! 睡眠中には日中使われている脳細胞が休まり、全身の新陳代謝、疲労回復が図られますから! 1日に理想的な睡眠時間は6~8時間前後とされてますが、十分な睡眠時間がとれているのであれば、時間にこだわる必要は―――」
結局、身体を休めることはできなかった。
理由はとても嬉しいことだった。エンジニア部総出で、祝勝会の準備が始まっていたのだ。帰ってきた私を、彼女らはクラッカーで出迎えてくれた。
そこからは全員でお祭り騒ぎとなった。遅れて帰ってきたコトリや、途中でお祝いの言葉を掛けに来てくれたユウカやノアをも巻き込んで、大いにミレニアムプライス受賞を祝った。
時間を忘れて楽しんだ。私が知る中で、ハンガーが一番盛り上がった日になったと思う。
気がつけば夜だった。全員で後片付けを終え、お開きになるころには、すでに23時を回っていた。
「…さて、帰ろうかな」
実習センターを出て、モノレール駅へ向かう。先程までの喧騒が嘘のように静かで、少しばかりの寂しさを覚えた。ひとり歩く私を、ミレニアムタワーの光だけが照らす。
モノレール駅に着くと、すでに列車が止まっていた。深く考えず、ルーティンに従って乗り込む。
「……流石に、堪えるね」
完徹後の大騒ぎは、私の体にダメージを与えていた。誰もいない車内の座席に腰掛けると、それがどっと出た。
少し眠ろう。そう思い、目を閉じた。
『―――、終点です。ご乗車ありがとうございました』
無機質なアナウンスで目を覚ました。その瞬間、冷や汗がどっと出た。
聞いたことのない駅名だったのだ。どう考えても寝過ごしたのだと、起き抜けの頭はそう判断した。
取り敢えず、プラットホームへ降りた。辺りは真っ暗で、月明かりだけが地面を照らしている。5月半ばの涼しい夜の風が抜けていく。少し、潮の香りがした。
「…何処まで来てしまったんだろうね、私は」
半ば混乱しつつも、改札を抜けて駅を出た。そこは無人駅で、人っ子ひとり見当たらなかった。電光掲示板に次発列車の表示がなく、帰れないことを悟った。遠くで波の音が聞こえる。
駅前通りは閑散としていて、街灯がついたり消えたりしている。ミレニアムにもこんなところがあるのかと、都市部とのギャップに驚かされた。
行く宛もなく、ただ道路を歩いていくと、向かって右側、西の方角に海が現れた。石造りの堤防の向こう側に砂浜海岸が見える。波の音の正体はこれだったか。
「…海か。最近、行こうとも思わなかったな」
ひとりごちながら、何か飲み物を買おうとして、近くの自販機に立ち寄る。
お金を入れて、冷たいコーヒーを買った―――筈だった。
「…システムエラーかな?」
出てきたのは温かいココアだった。幼少期に一度飲んだっきりの、とびきり甘いやつ。
業者が間違えたか、それともシステムエラーか――そう思ったのも束の間、ディスプレイに表示された文字列を見た瞬間、その疑問は解決された。
ディスプレイに任意の文字列を表示する。そんな芸当ができる人間は一握り。そして、そういういたずらを、真面目な彼女らは好まない。とすると、できる人間はただひとり。
「…ヒマリだね」
「ええ、そうですとも。私です」
振り返ると、ヒマリがいた。もう5月だというのに、少し厚着をしている。
「何でこんな所に?」
「あら、スマートフォンにメッセージを送った筈だったのですが…」
「スマホ?」
白衣のポケットに入れっぱなしのスマートフォンを取り出した。そういえば、今日は受賞式のときから一度も取り出していなかった。
モモトークにメッセージが一件。ちょうど、帰路についた頃に送られてきていた。
「…少しばかり、誘導させていただきました。お返事を返してくれませんでしたから」
「…まったく気付かなかった」
「あまり乙女を待たせてはいけませんよ?私は存外、寂しがり屋なんです」
そう言いながら、いたずらっぽく笑うヒマリ。それは自販機の仄かな明かりに照らされ、夜闇の中でぼんやり、しかし確かに輝いている。
「…もう夜も遅い。夜更かしはお肌の天敵だよ。帰ったほうがいいんじゃないかな」
「それはあなたもでしょう?誤魔化せると思わないでください。一体いつから寝ていないんですか?」
「む…」
「……今夜はお互い様ということで。よろしくお願いします。ね?」
「…ふふ。わかった。そうしようか」
そう聞くと、ヒマリは満足気な表情で、海の方へ車椅子を走らせていく。彼女を表現したような、純白の車椅子。それに、私は黙ってついていった。
彼女は少し背の低い堤防を見つけると、そこに車椅子を寄せた。私は堤防の上に腰掛けた。西の水平線には火星が沈みかけていて、その少し上に木星が見える…と、昔学んだ。
「…月が綺麗ですね?」
「…月、真上だよ」
「あら、粋じゃないですね」
「……ああ。"あなたとなら死んでもいいよ"かな?」
「ええ。まあ私のほうが綺麗ですけど」
「そう言ったんだ」
「…あら、あらあらあら、まあ……」
そんな会話に、2人して笑う。波が静かに押し寄せては帰っていく。その先は黒く夜空を映していて、時折月と星の明かりを反射する。
「…ウタハ」
「なんだい」
「ちゃんと、ご飯は食べていますか」
唐突に、ヒマリはそんな事を聞いてきた。唐突すぎて一瞬言葉が詰まったが、私はそれに答えた。
「…一応、ちゃんと食べているよ」
「本当に?」
「本当だよ」
答えながら、プルタブではなく、キャップタイプの缶を開けて、ココアを一口飲んだ。冬ではないというのに、温かさと甘さが身に沁みた。
「…ちゃんと、寝ていますか」
「……寝れる時は、寝ているはずだ」
「ちゃんと、笑えていますか」
「…うん」
自信はなかった。が、私はそう答えた。
まだ笑えるはずだ。さっきもそうだった。
「なら…ちゃんと、今、生きていますか」
そう言うと、ヒマリは私の右手を握った。手袋はしていなかった。その指先は冷たくて、細くて、力を込めれば壊れてしまいそうだった。
軽く、確かに握り返す。私の体温が伝わって、次第に指先も暖まっていく。
私はちゃんと…"今"を生きているのだろうか。
今日だってそうだった。1年と少し前の約束を果たさんと躍起になって、今やるべきことを見失っていたのではないか。
ミレニアムプライスのこと。
エンジニア部のこと。
部長として、忘れてはいけなかったもの。それら全て。
そんな私は…今、生きているのだろうか。過去に置いていかれたまま、時が止まっているのではないか。
「……生きてるのかな、私は」
ヒマリから言葉が返ってこない。その代わりに、少しだけ握る力が強くなった。
昔は、約束を追えば"今"を生きていられた。
だが、時は流れた。いつしか、私ひとり、ヒマリと2人の人生ではなくなってしまった。
仲間ができた。後輩ができた。部長になり、責任感が芽生えた。約束を追っていくだけでは生きられなくなった。
「…生きていると言うには、些か責任を負いすぎたのかも」
ヒマリは最近楽しそうだ。何やら新しい後輩ができたとか、新しい部活を任されたとかで、凄く充実しているように見える。
彼女は今を生きている。私は、未だ。
すぐ横にいるウタハは目を合わせてくれなかった。その目線は水平線の向こう側に向けられていて、何処かへ逸れていくことはない。疲れの乗った、淡い紫の瞳。
「…生きるためには、何が必要だと思いますか?」
私は問う。
「……何だろう」
「…温かくすること、お腹一杯であること、です」
受け売りですが、と念押ししながら言う。
遠回しにあなたを気遣った。こんな形では伝わらないと分かっていながらも、こんな言い回ししかできなかった。だって、直接言えば、きっとあなたは受け取ってくれないから。
「……なるほど。おすすめの方法とかあるかい」
「例えば、私が普段使っているようなブランケット。しっかり下半身を保温してくれますよ」
「いいね。今度買ってみよう」
体温の多くは筋肉から生産される。それ故、私のように、下半身を使わないことで大腿筋が衰えてしまっている身としては、ブランケットは手放せない。私の寒がりも、それがひとつの理由。
―――だが、最近はそうでもないかもしれない。理由についてはなんとなく分かっているが、これは彼女へのサプライズとして取っておきたかった。
もう少しなのだ。
「…ヒマリ。次の試験、目処が立ったよ。1週間後だ」
「ちょうどその頃だと思ってました。頑張っちゃいますよ、私」
「…あまり無理はしないでくれよ?」
私が言えないことを、あなたはさらりと言ってのける。そして、その言葉が、あなた自身に向くことはない。
この1年と少し、私はとても幸せだったと思う。
あなたはいつでも、私に全霊を注いでくれた。それが本当に嬉しくて、楽しくて、幸せだった。
立てなくてもよかった。ただ、こうしてあなたと共に、情熱をぶつけ合える日々を過ごしたいと、そう思った。
でも、それではあなたが幸せになれないから。私だけでは不釣り合いだから。だから立って、あなたの情熱に応えたかった。
だが、私はいつまでも立つことができないまま。何も返すことができないまま、時間だけが過ぎていった。
「…そろそろ帰りましょうか」
「……もう電車ないよ?」
「言いましたよね?ここまで来るのに、少し誘導したと」
「……ああ、そう来たか」
「ええ。少々ハッキング致しまして。帰りは貸し切り、ですよ」
時が立つにつれ、あなたの表情は曇っていった。だんだんと疲れが乗るようになった。
―――私は怖くなった。このままでは、あなたが壊れてしまうのではないかと。私の足の為に、人生を棒に振ってしまうのではないのかと。今日、海岸へ呼んだのも、少しでも気が軽くなれば、という意図があった。少々時間が遅すぎたが。
だが、この会話を以てしても、私の不安は拭えないままだった。
あなたが立ち上がって、振り返った時だった。
「……今度こそ裏切らない。絶対だ」
鬼気迫る表情。
「……ええ。期待していますね」
私が倒れたあの日、あなたを呪ってしまったのだ。
この呪縛を解く方法はひとつだけ。
―――私が、立つこと。
お疲れのウタパイ。病んでる人の描写って難しいですね。
考えなしにストックを投げてるのでいつか切れます。頑張って書かねば…
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