緑谷が家に戻ると、中には誰も居らず、家の中は荒らされていた。どこかに隠れていないかと家の中を探すが、緑谷引子の姿を見つける事はできなかった。
家で待ち続けるが、母親が戻ってくる気配は無い。外に出て思い付く場所を走り回り、人に聞いて探すが見つからない。
家の中に血の跡は見当たらなかった。誰かに連れ去られたか、事件に巻き込まれたか、何も分からないまま時間だけが過ぎる。
緑谷はオールマイトに連絡を取ろうとするが、繋がらない。既に交通機関もある程度回復し、ネットも電話も使うことができる。
「オールマイト……」
家で、オールマイトがAFOを倒した時と思われる動画を何度も見返す。流れそうな涙をぐっと堪えるが、そこから先が繋がらなかった。
『おそらくは、AFOに連れ去られたのだろう』
AFOのやり口を知っている継承者の一人がそう言う。仮にそうだったとしても、今どこにいるのかが分からない。今はただ、OFAの訓練をする事しかできなかった。
その道中、雄英の生徒の一人に出会う。
「お前はヒーロー科の……」
「君も無事だったんだ!」
「校長が近くにいたおかげで、運良く助かった」
ばったり遭遇したのは心操だった。体育祭の個人戦で戦っていないため、二人の関りは薄い。彼は今この近くで、復興の手伝いをしているとのことだった。
心操はリカバリーガールと共に校長に助けられた。その後、オールマイトと根津に、一緒に来ないかと誘われるが、彼は断った。
「どうして!? 絶対ヒーロー科に、ヒーローになるって」
「あの時、俺はあのヴィランと、死ぬヒーローを見て、『ヒーロー科じゃなくて良かった』って思っちまった」
心操は俯いて震える。恐怖によって彼の心は折れてしまい、自分で裏切ると分かるからこそ、二人の手を取ることはできなかった。
「俺は器じゃなかったんだ」
「そんなことない! だって君は今だって、他人のために動いてる!」
心操は乾いた声で笑い、少しだけ自己肯定感を取り戻す。作業があるからと立ち上がり、歩いて行く。
「お前はまだ戦うのか?」
「そのための力だから」
せいぜい頑張れよ、そう言って心操は去っていった。
OFA程の力となると、訓練できる場所も限られる。緑谷が雄英高校跡地に向かうと、そこに一人の少女がいた。
「麗日さん?」
実家に帰ったはずの麗日が雄英にそこにいた。彼女は緑谷を見て顔を青くしている。
「デクくん! 何でここに!?」
「麗日さんこそ! 実家に戻ったはずじゃ?」
麗日は誤魔化すように頭を掻く。
「ここの様子が気になってすぐ戻って来た。それじゃ、もう行くから!」
そう言って、立ち去ろうとする麗日の手を緑谷は掴む。
「ごめん。でも麗日さんが、救けを求めているように見えたから」
麗日はその顔と言葉に安堵すると共に、暗闇に後ろから引かれ、囁かれるように言葉が思い浮かぶ。
『助けられるのは二つに一つ。両親か、緑谷か』
敵はこれまでのようなヴィランではない。国の公的機関であり、逆らえばどうなるか分からない。
両方を助けたい。でもそんな事はできないし、できたとしても、身に覚えのない罪によって、自分も両親も追われることになるかもしれない。
緑谷を売ることは、法を守るという正しい事だ。でも彼自身は悪い事を何もしていない。でも国にとって都合が悪いなら、それは悪い存在なのだろうか。
今の国のトップは超常解放戦線である。彼らが考える正しさとは、麗日が考えるものとはあまりにかけ離れている。
『生きにくい』
トガヒミコは今の社会が生きにくいと言った。今の自分が社会に適していないなら、誰かを傷つけなければ生きられない世の中なら、人を助けるのが悪い世の中なら、きっと今の世の中は麗日にとって生きにくい。
『どちらかしか選べないなら、麗日さんならどちらを選びますか?』
両方を助けたいなんて理想論でしかない。どちらかしか助けられないなら、麗日はどちらかを選ばなければならない。或いは選べずに、両方を失ってしまうか。
「麗日さん!!」
呼ばれて麗日ははっとする。緑谷の顔を見て吐きそうになった。今から目の前の人を裏切るか、目の前の人のために両親を見捨てなければならない。最後まで抗う事もできる。ヒーローらしく、Plus Ultra、壁を乗り越えて、両方を助ける第三の道を選ぶことも。
しかし、それは非常に困難である。困難だから選ばないわけではない。それが本当に難しい道だと分かるからこそ選べなかった。
敵の数は膨大で、国の権力を掌握している。自分は両親の居場所すら分からないのに、裏切ったと見做されればすぐに殺されかねない。
麗日は古瀬に連絡を取ろうともしたが、繋がらなかった。
ヒーローと情報のやり取りをしているなどとスケプティックに思われるとまずいため、古瀬はアドレスなどを全て変えている。
確実に両親を助けるには緑谷を売るしかない。しかし緑谷を裏切る事もまた、麗日にはできなかった。
ヒーローとしてみた場合、第三の選択肢以外ありえない。しかし現実的に見た場合、その選択肢は自殺行為に他ならない。
麗日はどうするべきか、答えを出すことができなかった。
「なにかな? 私なら本当に、全然平気やから」
「本当にどうしようもなくなったら言って欲しい。手を握るだけで心が和らぐんだ。君の強さだけに寄りかからない」
麗日は手を振りほどいて後ずさりする。
「本当にそんなんと、全然ちゃうから」
「自分の事より他人を優先して、ずっと、いつも、救けられっぱなしだ! 僕のヒーローだ!」
緑谷は後ずさる麗日に一歩近づく。
「具体的に何に悩んでいるのか分からないけど、僕は麗日さんを救けたい!」
麗日の目に涙が滲む。言ってはいけないと分かっていながら、口を開いて語りだす。
「家に帰ったら家が壊れてて、父ちゃんも母ちゃんも居なくて、公安の人が、両親を助けたかったら、緑谷出久を連れて来いって……」
AFOのやりそうなことだ、と歴代継承者が言う。
「僕も、家に帰ったら親が居なくて、家が荒らされてた。探したけど見つからなくて、無事かどうかも分からない。もしかしたら同じように連れ去られたのかも」
狙われていることを教えてしまえば、不意を突くことができなくなる。それは一種の意思表示に他ならない。
もし今、公安の人間に監視されていれば、麗日が言ってしまった事は伝わるだろう。そうなれば両親は無事では済まないかもしれない。
助けられるのは一つだけ。目の前で困っている相手を見捨てることができず、麗日は、緑谷出久を選んでしまった。
『九代目を呼び出したという事は、AFOの狙いはOFAだ。行けば間違いなく、敵が待ち構えているぞ』
『分かってます。それでも僕は行きます。僕が託されたのは、救けるための力だから。僕は捕まったみんなを救けたい!』
継承者は呆れた様子だった。何人かは好意的に受け取る。
「敵の狙いは僕だ。僕の力は特別なもので、敵はそれを狙ってる」
「人から貰った力やっけ」
「どうして麗日さんがその事を!?」
麗日がOFAについて知っていることに緑谷は驚く。
「前に井梨くんから聞いた。デクくんの力は特別で、オールマイトから受け継いだものやって」
なぜ古瀬がその事を知っていたのか、緑谷は疑問に思った。
『あまりその少女を信じすぎない方がいい。AFOに関わった以上、その子が裏切っていないという保証はどこにもない』
『麗日さんはそんな人じゃ……』
『九代目は、その子にとって両親よりも大切な存在なのか? 頭を働かせろ。もう、誰が裏切っても不思議じゃないんだ!』
『まあそうと決まったわけじゃないだろう』
緑谷は麗日を信じていないわけではない。しかし周りの人間を危険に晒さないために、緑谷は一人で戦う事を決意する。
「僕が必ず、麗日さんの両親を救ける!」
そう言って走り出そうとする緑谷を、麗日は呼び止める。
「待って、私も一緒に戦う!」
「麗日さんは、ここに居て! 大丈夫、僕が必ず救けるから!」
もう誰も巻き込みたくない。そんな思いと共に、緑谷はOFAを使い、歴代継承者の個性を使って、圧倒的な速度で飛んでいく。
麗日はその後を追うが追いつけず、消えていった空を呆然と見つめていた。
一方で古瀬は、死柄木に拝謁していた。研究資料を見ながら、相手に成果物を見せて説明している。
「個性因子を完全にコピーする方法を確立しました。だって、コピーしたものとオリジナルで、見分けがつくなんてつまらないでしょう?」
実際に作られたものを、死柄木は興味深そうに見つめている。
「これがあれば、同じ個性をいくつも複製することが可能です。ただし以前の技術で複製されたもの、二倍などをコピーすることはできません」
「コピーからコピーを作ることも可能なのかね?」
「可能です。基本的にほぼ完璧に同一のものと考えていただいて構いません」
「これはいい。それでは早速、いくつかの個性の複製を頼もうか」
ドクターが捕縛されたことで、超常解放戦線では脳無の作成や、個性の複製が滞っていた。脳無の作成は、少数ながら続けられている。
「君は脳無の研究に興味はないのかい?」
「一人の人間に複数の個性を持たせる研究には興味がありますが、死体に持たせることに興味はありませんね」
「人には器の形というものがあるのだよ。二つの個性を入れれば中身を圧迫するか、混ざり合って変質してしまう。そうなれば中身と器が合わずに割れてしまうのさ。だから人に入れるよりも、形を歪ませられる死体の方が適しているのさ」
「それなら部分的に新しく付与するとか、新しく腕でも生やせばいいんじゃないですか?」
死柄木は相手の嘘が分かる。本気で言っていると知って彼は笑う。
「いいね。君は研究に向いているよ」
その後、古瀬は謁見の間を出て、瞬間移動で自身の研究室へと戻る。
古瀬が死柄木と会うことはあまり無い。何かの拍子にヒーロー側への協力がばれないとも限らないため、直接会うことは極力避けている。せいぜい研究成果を報告する時に会うくらいである。
新しい資料、保管リストを見ている時に、麗日の両親が捕まっているのを見つける。まだ付き合っているのかは不明だが、一応彼女の両親だし、助けておこうかなと思った。
ただ問題になるのが、どこに逃がすかであった。現状、安全な場所なんて殆ど無い。オールマイトにでも預けられればいいのだが、向こうも余裕が無いだろうし、預けられても困るだろう。
どこか良さそうな場所は無いかと古瀬は探す。国内は難しいと判断して、海外に逃がすことに決めた。
とはいえそのような伝手は無い。住む場所を用意して、スマホと金だけ渡して、後は自力で何とかしてもらおうかと思った。
調べてみると、他の生徒の両親も多くが捕まっている。こっちも後でどうにかした方がいいな、と古瀬は思った。
古瀬は培養液に入っている麗日の両親を別の死体と入れ替える。それから保管所の記録を改竄して、死亡したことにする。
それから、どこでもドアを使って購入した海外のアパートへと向かう。建物の所有者は、存在しない架空の人間にした。
二人を起こして事情を説明する。ヴィランに捕まっていたこと、身の安全のためしばらくここに居た方がいい事、生きていると知られると全員が危険に晒されるため、絶対に外部、特に今の日本との連絡は行わない事。
「金銭的な支援はできますが、それ以外は難しいので自力でお願いします」
「何から何まで、ありがとうございます」
「いえ、それでは」
後で、自分たちはこの人に助けられた、と証言してくれればそれで十分かなと古瀬は思った。現状は利敵行為を行っているため、後の批判に備えて実は色々と人を救ってたんです、という実績を作っておきたかった。
他の生徒の親も救出しておこうかと、超常解放戦線の拠点に戻ると、建物が大きく揺れる。照明が消え、その衝撃によって壁や天井の一部が落下する。
「何だ!?」
慌てて外の様子を確認すると、下の広間で緑谷が戦っていた。衝撃によって窓ガラスが割れ、古瀬は壁に叩きつけられる。
千を超える超常解放戦線の構成員が緑谷と戦うが、その圧倒的な力によって吹き飛ばされる。ある者は震え、ある者は絶句する。
「捕まえた人たちを解放しろ!」
更なる増援が到着するが、緑谷を捕らえることはできない。超常解放戦線の構成員だけでなく、警察やそれ以外の人間も入り乱れる。
「何をしている! 相手はたった一人だ! 囲め!」
緑谷の一撃が、数百を超えるその場の人間を纏めて吹き飛ばす。その光景を見て、彼らの多くは悲観に暮れる。
「随分と暴れたようだね。大丈夫、僕が来た」
死柄木が円環状の力場を形成させながら降りてくる。それを見て、超常解放戦線の構成員たちは歓声を上げる。
「最高指導者!」
「AFO!」
「オール・フォー・ワン!」
緑谷は死柄木を睨みつける。そしてその奥にいる、志村転弧に手を伸ばそうとする。
死柄木は百を超える分身を作り出し、緑谷はOFAと六つの個性を使ってそれらを纏めて倒そうとする。
「デラウェアスマッシュ!!」
その風圧で死柄木の分身が消えることは無く、全方向からエネルギーを放たれた落とされる。黒鞭を死柄木の一人へと巻きつかせて上昇する。
「2ndトランスミッション、二速、三速、四速、変速、五速、デトロイトスマッシュ!!」
「外れだ」
緑谷は死柄木の一人を殴るが、それは泥へと変わる。煙幕で姿を眩ませようとするが、あっさりと見つかって集中砲火を受ける。
何度も攻撃を受けて地面へと落ちるが、浮遊の個性で速度を軽減する。地面へと着地して、上空にいる死柄木たちを見上げる。
「デトロイトスマッシュ、五重!!」
死柄木の一体を殴り飛ばすがそれは泥へと変わり、他の死柄木たちによって殴られ、体を切り裂かれる。
「オール・フォー・ワン!! もう誰も!! 傷付けさせはしない!!」
「黙れゴミ虫」
死柄木と緑谷の拳がぶつかる。死柄木の腕が砕け散るが泥にはならない。それは本体だったが、失った腕はすぐに再生される。
緑谷は地面へと落ちるが、黒鞭で強引に体を動かす。その身を黒い姿へと変えて、コスチュームももはやほとんど存在しない。
死柄木は分身全てを緑谷へと突撃させる。二倍にも欠点はある。分身を残すと反乱を起こされる危険性がある点である。そのため彼は、在庫を緑谷に処分させる。
全ての分身が消えた時、緑谷は完全に満身創痍だった。対する死柄木は傷も消耗も殆ど無い。緑谷は死柄木に殴り掛かるが、右腕を掴まれて崩壊させられる。
「うっ、ぐうぅ!!」
緑谷は死柄木を睨みつける。左手で立ち上がり、跳躍して蹴りつける。しかし左足を掴まれて崩壊を使われる。
「気はすんだかい?」
緑谷はそれでも戦おうとするが、死柄木に頭を掴まれて持ち上げられる。そのまま炎で、右腕と左脚の傷口を焼かれる。彼はその痛みで絶叫する。
「おや、痛かったかい? それは悪い事をしたねえ。お詫びにいいものに会わせてあげよう」
緑谷は死柄木に頭を掴まれたまま、地下へと連れて行かれる。そこには広い空間にいくつもの牢が並んでおり、その中に雄英の生徒が入れられている。
「さあ、感動の再会だ。存分に喜ぶといい」
「ふっざけんなぁ!」
牢の中にいる爆豪が死柄木に向かって叫ぶ。その声を聞いて、緑谷は目を見開く。
「元気がいいねえ。彼から、いや、端からにしようか」
緑谷は体に拘束具を取り付けられる。死柄木が指を差すと、部下が鍵を開けて、中の生徒たちを連れてきて舞台の上に並べる。
「さあ緑谷出久くん、僕にOFAを譲渡してくれないかな?」
「ふざけるな! 誰が、お前なんかに渡すか!」
目を大きく見開いて、緑谷は死柄木を睨みつける。個性を発動させて拘束具を破壊しようとするが、両隣にいる死柄木の部下によって薬を打たれて、電流を浴びせられる。
死柄木は予想通りの答えだと言った様子で頷く。
「無理やり奪ってもいいが、それを試すのは最後にしよう。さあ、まずは君からだ」
「ちょっ、俺ぇ?」
瀬呂は拘束された状態で、腕を掴まれて立ち上がる。彼は死柄木に触れられて、塵となってその体が崩れ落ちる。
「瀬呂ォ!!」
その光景を見た、眼鏡を掛けた白衣の男が憤慨する。
「AFO、彼らは脳無の素材として使うのです。できれば原型を残していただきたい」
「おっと、そうだったね。いやあ、すまない、すまない」
死柄木は愉快そうに笑う。緑谷は暴れようとするが電撃を浴びせられる。
その光景は、周りには衝撃の強い光景だった。もしかすると、そうなるかもしれないと心のどこかでは思っていた。しかしそれを実際に目の当たりにして、友人の死と自分の死が身近に迫って恐怖する。
「瀬呂ちゃん……」
蛙吹の目から大粒の涙が零れる。周りは顔を強張らせ、爆豪は恐怖を吹き飛ばそうとするように大声で怒鳴る。
「じゃあ次に行こうか。ああ、譲渡したくなったらいつでも言ってくれていいからね」
「AFO! AFO!! ヒーローは!!!」
電撃を浴びせられて、緑谷は地に伏す。
『冷静になれ九代目! 今は体力の回復に努めるんだ!』
「亡霊が騒ぐ。喚きたければ、好きなだけ喚けばいい。どうせすぐに、僕のものになる」
死柄木は指を蛙吹に向ける。指を差されて、蛙吹の表情が固まる。
「やめろ! やるなら俺を先にやれ!」
「ではそうしようか」
死柄木の腕が刃物へと変わり、切島の心臓を刺し貫く。
「君の個性は硬化だったか。まだ自分の体が刃物を通さないと思っていたのかな?」
切島は振り返り、クラスメイトの方を見てかすかに笑って息絶える。何か言おうとしたが、その言葉が発されることは無かった。
緑谷は暴れようとするが、薬と電撃によって体が動かない。必死に体を動かそうとするが、その光景をただ見ている事しかできなかった。
死柄木は次に口田を指さす。口田は個性を奪われて、完全な人の姿になっている。テレパシーで動物に命令しようとするが、何も伝わらない。
「動物に声は届いたかな? 君の個性はいい個性だ。存分に使わせてもらおう」
「僕の個性は……」
最後まで発するのを待たずに、死柄木は口田の心臓を刺し貫く。白衣を着た男がその遺体を嬉々として持っていく。
「それじゃあ次は」
砂藤が指さされる。両腕を掴まれて、死柄木の元へと連れて行かれる。
死柄木と周りの死体を見て、彼は即座に膝を突いて頭を下げる。
「た、助けてくれ。何でもする! だから命だけは助けてくれ!」
その顔には涙が浮かんでいる。周りはそれを見ても、責めることができなかった。蛙吹だけが落胆したような、失望したような顔をする。
「いいよ。じゃあ、そこにいる緑谷くんを痛め付けなさい」
「砂藤」
「砂藤ちゃん……」
そんな周りの声を振り切るように、砂藤は緑谷の所へと向かう。緑谷の前に立って、沈痛な面持ちを見せる。
「すまん、緑谷」
緑谷を立ち上がらせて、砂藤は腹に全力の拳を叩き込む。何度も腹部を殴るが、OFAによって体の頑丈さが増しているため、殆どダメージは通らない。
「砂藤くん……」
「すまん、緑谷。すまない、すまない」
「聞いてくれ。僕のこの力を、OFAを受け取ってほしい。無個性の今の君なら、この個性を受け取れるはずだ」
「OFAを、受け取る?」
「この個性があれば、AFOと戦える。みんなを救けられる」
「面白そうな話をしているねえ」
後ろから、死柄木はにゅっと顔を覗かせる。それを見て緑谷は睨みつけ、砂藤はぎょっとする。
「それでどうするんだい? 君が次の継承者になるのかい?」
蛇に睨まれた蛙のように、砂藤は顔を強張らせる。俺は、と数度繰り返す。
一度心折れた人間の方が遥かにやり易い。受け取るつもりなのか、死柄木はじっと砂藤を見ている。
「君しかいないんだ! 週に一度のシュガータイム。砂藤くんの作るお菓子は美味しかった! みんな君のお菓子を食べて笑顔だった! あの時間を取り戻せるのは君だけだ! 君はまだヒーローだろ!?」
死柄木は砂藤の背中に刃物を忍ばせる。もしも受け取る素振りを見せたら、即座に殺すために。
「緑谷、すまん」
砂藤は手を痛めながら、OFAで強化された緑谷の体を殴り続ける。緑谷はその返事を聞いて目を丸くする。
砂藤が受け取らなかったのは、一番の理由は恐怖に屈したためである。それに死柄木が後ろにいるこの状況下で受け取って何とかなるとは思わなかった。
死柄木は個性で、それが本心からの言葉であると分かる。刃物を引っ込めて、そっと背中に手を当てる。
「いい返事だ。君に個性を与えよう」
死柄木は砂藤に増強系の個性を与える。軽かった拳の音が力を増し、緑谷の腹部に僅かながらダメージを与える。
「それじゃあ次は、君にしようかな」
死柄木が指さしたのは爆豪だった。それを見て爆豪は挑発的に笑う。
「やってみろよ白髪野郎!」
両腕を掴まれて、爆豪は死柄木の所まで連れて行かれる。
「よせ! やめろ!」
緑谷は殴られながら、明らかに他とは違う動揺を見せる。爆豪は暴れて左右の部下を蹴り飛ばすが、即座に鎮圧される。死柄木の手が、爆豪に近づく。
「かっちゃん!!」
「来るんじゃねぇ! こんな奴、俺一人で!」
殴る砂藤を緑谷は睨みつける。
「やめろ! 邪魔するな!」
その気迫に押されて、砂藤は手を止める。緑谷は這って死柄木の方へと向かう。しかしその体は部下によって押さえられる。
「やめろ!」
『やめろ九代目! それ以上言うな!』
「OFAを譲渡する。だから、やめてくれ!」
死柄木は手を止めて、立ち上がる。そして頭を垂れる緑谷の方へと歩いて行く。
「馬っ鹿やろう! 俺なんかのために、その個性を渡してんじゃねえ!」
『止めるんだ九代目! 奴が約束を守る保証なんて無い!』
「守るさ。君がOFAを渡してくれるならね」
死柄木は緑谷の前に立つ。そしてその奥にいる弟、与一を見る。
「感動の再会と行こうじゃないか」
『それが君の選択なのか。……後悔はしないね?』
「僕としては続けてもいいよ。実はまだまだたくさん用意してるんだ。最後の一人までいなくなって、それでも抱きかかえたいなら好きにするといい。差し出さないなら、奪うだけだ」
緑谷は体を起こして、爆豪たちの方を見る。彼ら、轟、蛙吹、尾白、爆豪もまた緑谷の方を見ている。
「緑谷、俺の事は気にしなくていい! だからその力をそいつに渡すな!」
「本当は死にたくないわ。でもその力を渡すことで多くの人が傷付くことになるなら、覚悟を決めるわ」
「僕は、そこまでの覚悟は持てない。でも、僕のせいで君の足を引っ張りたくない」
「感動的だねえ。さあ、どうする?」
OFAはオールマイトから受け継いだ、大切な宝物であり力である。巨悪を倒すために生まれた、誰かを救けるための力だと緑谷は認識している。
繋がれたバトンを落とすことに対して罪悪感があるかは分からない。口では謝罪や後悔を口にするだろうが、実際にその気持ちがあるかは不明である。
『もはや戦う力は無く、力を受け取る相手もいないか』
『上手く彼らの誰かに譲渡できれば』
『この力の行き先は君に委ねられた。我々は見守るしかない』
『最後まで諦めるな! 壁を乗り越えていけ!』
緑谷は力を振り絞って拘束具を破壊しようとする。黒鞭で体を動かして、浮遊で体を浮かせて、死柄木を殴り飛ばしたかった。
しかし現実は、立ち上がることすらままならない。
『或いは、内側から叩ければ。OFAの譲渡という形で奴の精神の壁を壊し、奴の精神を直接叩くことができればあるいは。いや、万に一つもない可能性だ。奇跡でも起きない限り、成功しないだろう』
「あの向こう側に、泣いている子供を感じたんだ。このまま、何もできないまま終わるのは嫌だ! まだ、諦めたりはしない! 僕は彼らを救けたい!」
『砕け散るほど強く渡せ。そうすれば、OFAが渡ることなく攻撃できる』
緑谷は顔を上げて、死柄木を見る。
「拘束具を外せ、AFO! お前に、OFAを渡してやる!」
死柄木は少し迷った後、部下に拘束具を外させる。壁に寄りかかりながら立ち上がろうとするのを、砂藤が死柄木に言われて支える。
満身創痍の状態。左腕も右足も、負傷していて殆ど動かない。それでもなお左腕を振りかぶって、死柄木の胸部へとOFAを叩き付ける。
九人分の意思を乗せて、OFAが死柄木へと叩きつけられる。それらの意志は死柄木の精神へと叩き付けられ、与一の因子を残して砕け散る。
死柄木は精神にかなりの衝撃を受けるものの、OFAを受け止めきる。他の六つの個性は使えなくなったが、与一の因子を手に入れる。
「他のは砕けてしまったか。まあだが、一番欲しかったものは手に入った。だからもう、これはいらないな」
死柄木の奥にある、志村転弧の存在が磨り潰されて完全に消える。緑谷はその光景を見てやめろと叫ぶが、手は届かなかった。
他の因子は失われ、OFAは死柄木に奪われた。まだ体には残り火があるが、それで勝てない事は明白だった。
それでもまだ戦える、と言うように緑谷は死柄木を睨みつける。しかし死柄木の方は、もはや緑谷に興味が無かった。
「さて、サンドバッグを続けたまえ。体を守るだけでも、残り火は消費する。完全に戦う意思と力を奪ってあげよう」
そう言って、死柄木はその場から立ち去る。他の生徒たちは牢の中に戻された。
少し時は遡り、緑谷と死柄木の戦闘直後、古瀬は周りの様子を確認する。下では破壊された建物の、瓦礫の撤去が行われている。
一階へと降りると、既に死柄木と緑谷の姿は無かった。周りに事の顛末を聞きつつ、古瀬は緑谷がどこに行ったのか探す。
気の探知で、緑谷と死柄木が地下にいる事を知る。同じ場所に、A組の生徒も何人かいるようだった。
それから間もなく、A組の生徒の気が消える。詳細を確認すると、死柄木に殺されたようだった。古瀬は慌ててその場へと向かう。
吹き抜けの上の窓から、下の様子を確認する。すると、知り合いの死体が床に転がっている。それを見て、古瀬は気分が悪くなり吐きそうになる。
かといって、本当に吐いている場合ではない。なんとかして救助する必要があった。
この時、古瀬は牢のせいで緑谷の姿が見えなかった。
現状で、死柄木と戦って勝てる見込みは無い。また死柄木がいるこの状況下で助けるのも難しい。そして唐突に発生した問題のため、何の準備もしていない。
全員を助けるのは難しい。古瀬は主人公、緑谷のみを助ける事にした。
幸い、緑谷は、今日は殺されないようだった。かといって明日も死なないとは限らない。とにかく急ぐ必要があった。
いくつもの仕込みを行い、まるでいくつもの偶然が重なって発生した脱走のように見せかける。それだけでは不十分なので、本当は嫌だったが、何か使えそうな者は無いかと古瀬はリストから探す。
古瀬は現在、AFOによって個性を奪われた人の個性を復活させる研究を行っていた。一応既に完成はしているのだが、まだ死柄木にも報告していない。
そんな人間が脱走したらどう考えても自分が疑われる。一応、緑谷と死柄木の戦闘で機械が故障して、眠らせていたヒーローが起きたというカバーストーリーを作ってはいるが、やらないに越したことはない。
とはいえ、そうも言っていられない。脱走の手引きができそうな人間がいないかとリストから探す。
色々と計画を考えて、古瀬はマンダレイを起こすことに決めた。
マンダレイ、個性はテレパス。緑谷を出口まで導くのに使えるかと考える。古瀬にも同じ事をできるが、自分が関わっていると知られるわけにはいかない。
古瀬は数日かけてマンダレイの個性を戻した後、一度外に出て、変装して大吾になる。目立つので展開装甲は使わずに、グラハムの姿でこっそりと侵入して保管庫へと向かう。
捕らわれていたマンダレイを培養液から引っ張り出して、別の部屋へと持って行って目覚めさせる。
「起きたまえ」
何度か頬を叩かれて、マンダレイは目を覚ます。状況が分からないまま周りを見て、古瀬の姿を認識する。
「あれっ、私何で裸なの!?」
「それは今、重要な事ではない。それよりもやってもらいたいことがある」
古瀬からすると今更だし、本当にどうでもいい事だった。
マンダレイはつなぎ服を着て話を聞く。ここは超常解放戦線の拠点の一つ、古瀬は潜入してここを見つけた。捕らわれている人間がいるから、逃がすのに協力して欲しい。
「逃がすのは雄英生の緑谷という少年だ」
「緑谷、あの子か!」
「知っているのか?」
「うちに合宿に来てた子だね。ヒーロー科の生徒でしょう?」
それなら話は早い、と脱出計画について説明する。緑谷を指示した場所まで誘導して欲しい、という内容であった。
幸い、死柄木は現在この建物にはいない。居場所は分かるが、その理由についてまでは、古瀬は知らなかった。
問題は、マンダレイが他の雄英生を置いて逃げる事を許容できるかどうかであった。無理に逃がそうとした結果、全員が死ぬなんてことになりかねない。
双方の妥協点を話し合った結果、まずは緑谷を助けるという事で話が纏まる。それ以降の判断は各々で行えばいいという事になった。
仕掛けが作動するまで、しばらくは待つ必要があった。倉庫で待機していたが、待ち時間のことを想定しておらず、会話と時間を潰すのに苦労した。
夜、緑谷の拘束具の機能が停止する。それに合わせて、マンダレイがテレパスを送る。
『緑谷くん、聞こえる?』
「えっ、誰? その声は、マンダレイ!?」
『静かに。声を上げないで。これから指示を送るから、その通りに動いて』
「でも僕には拘束具があって……」
『大丈夫。落ち着いて動かしてみて。外れるようになっているはずよ』
緑谷が腕を動かすと拘束具が外れる。音を立てないように置いて、扉の前まで移動する。
『これから一瞬だけ電源が落ちるわ。その瞬間だけ扉が開くから準備して。申し訳ないけど、こちらがいる場所まで来られる?』
緑谷からマンダレイへ、右手と左足を失っているという情報が伝えられる。それを聞いて、古瀬は驚愕する。
「何だと!」
「どうする? 作戦を変更する?」
「やむを得ないか。危険だがこちらから助けに行くしかない。君は緑谷くんの回収を頼む。この地点で合流しよう」
マンダレイはテレパスで、緑谷に呼びかけながら移動する。緑谷は死柄木と戦った事や、その後の事について気弱な発言を繰り返している。
マンダレイは緑谷を励ましながら走るが、この時になってようやく体が動きにくい事に気付く。彼女の認識では、今は全面決戦のすぐ後だが、実際には一カ月以上開いている。その分、筋力も体力も衰えているわけで、少し動くだけですぐに息切れする。
牢の近くにいた緑谷を担いで、来た道を引き返す。
「他にも、捕まっている人がいます。彼らも、救けないと」
「悪いけど、今の私たちじゃ君一人助けるので精一杯だから」
「そんな……」
出口付近まで来たところで、通路の照明が点く。建物内が慌ただしくなる。
「急げ! 牢にいない事に気付かれた!」
マンダレイはバイクに緑谷を乗せて、自分もその後ろに飛び乗る。古瀬はすぐにバイクを動かして、その場から走り去った。