マブラブオルタネイティヴ 日出ずる処の鬼神   作:ユウ・ベルフ

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凍てつく絆

2001年12月下旬。

12.5事件の鎮圧から数週間後。

横浜基地の山城悠の私室。

「……入るぞ、悠」

ノックと共に月詠真那が入ってきた。

手には盆があり、温かい食事と、悠の好物だった甘味が乗っている。

以前なら、悠は尻尾を振って喜び、「あーんして」と甘えたかもしれない。

だが、デスクに向かって書類仕事をしていた悠は、振り返りもしなかった。

「……そこに置いておいてください、月詠少佐」

その声は、他人に接するような冷徹な響きだった。

真那の手が止まる。

「少佐」……? 今、なんと呼んだ?

「……悠。私だぞ。真那だ」

「分かっています。ですが勤務中です。私語は慎んでいただきたい」

悠はペンを走らせたままだ。

真那は唇を噛み締め、悠のそばに歩み寄った。

「……顔色が悪い。また食事を抜いたな? 左腕のマッサージもしていないだろう。……貸しなさい、私がやってやる」

真那が悠の左腕に触れようとした、その瞬間。

バシッ!!

乾いた音が響いた。

悠が、真那の手を乱暴に振り払ったのだ。

「……っ!?」

「……触らないでください」

悠がようやく振り返る。

その瞳は、かつての甘えん坊の弟のものではない。

深く、暗く沈殿した、光のない沼のような瞳だった。

「この手は……親友を斬った手です。尚哉の血で汚れている」

「悠、それは……!」

「貴女のような清廉な方が触れていいものではない。……穢れますよ」

悠は自嘲気味に笑い、自分の左手を汚いものを見るように見つめた。

「食事は後で摂ります。……下がってください、副長」

「……ッ、馬鹿者……!」

真那は震える声で吐き捨て、逃げるように部屋を出て行った。

扉が閉まると同時に、悠はデスクに突っ伏し、振り払った自分の右手を強く握りしめた。

(……これでいい。俺にはもう、姉様の優しさは眩しすぎる)

:鋼鉄の謁見

数日後。帝都・東京。

政威大将軍・煌武院悠陽への戦果報告のための謁見。

広間には、悠陽と悠の二人きりになる時間が設けられた。

本来なら、姉と弟に戻り、互いの無事を喜び合う時間のはずだった。

「……面を上げなさい、悠」

悠陽の優しい声。

だが、平伏した悠は顔を上げない。

「……恐れ入ります、殿下。一介の軍人が、将軍家の御尊顔を直視するわけにはいきません」

「悠……? 二人きりですよ? いつものように『姉様』と……」

「滅相もございません」

悠の言葉は、氷の刃のように悠陽の言葉を遮った。

「私は山城悠。殿下の『剣』であり、敵を屠るための道具に過ぎません。……道具が主に甘えるなど、あってはならぬことです」

悠陽の表情が曇る。

彼女には分かっていた。悠がなぜ、急に頑なになったのか。

あの日、雪の帝都で、彼が何を犠牲にしたのか。

「……自分を、罰しているのですか。友を斬ったことで」

「…………」

「それは私が命じたことです。罪があるなら、命じた私にこそある。貴方が背負う必要は……」

「いいえ」

悠は初めて顔を上げた。

その右目には、眼帯が巻かれている。そして残された左目には、一切の感情がなかった。

「斬ったのは私です。感触も、返り血の温かさも、断末魔も……すべて私のものです」

悠は立ち上がり、完璧な敬礼をした。

「報告は以上です。……これより横浜へ戻り、任務に復帰します。失礼いたします」

「待ちなさい、悠! 帰りなさい! 私の元へ!」

悠陽が玉座から立ち上がり、叫ぶ。

だが、悠は一度も振り返ることなく、広間を去っていった。

残された悠陽は、扇で顔を覆い、声を殺して泣いた。

:亡霊との対話

横浜基地、深夜の格納庫。

冷え切った空気の中、悠は一人、『建御名方』のコクピットに座っていた。

ここだけが、今の彼にとって唯一の安息の地だった。

阿頼耶識システムには接続していない。

ただ、暗闇の中で膝を抱えていた。

「……なぁ、尚哉」

悠は、誰もいない空間に話しかける。

「痛かったか。……苦しかったか」

返事はない。あるはずがない。

だが、悠の耳には、あの日の尚哉の最期の言葉が、呪いのように反響し続けていた。

『あとは……頼んだ』

「頼まれたよ。お前の部下たちも、お前の想いも、全部」

悠は震える手で、自分の首を絞めるような仕草をした。

「重いよ、さっちゃん。……全部背負うには、俺は弱すぎる」

真那に甘えれば楽になれるかもしれない。

悠陽に泣きつけば救われるかもしれない。

だが、それをすれば、尚哉への裏切りになる気がした。

自分だけが幸せになることなど、許されない。

「……だから、俺は一人で戦う。お前が待つ地獄へ行くその日まで」

悠は、涙を一滴も流さなかった。

涙はあの日、全て流し尽くした。

今の彼にあるのは、乾いた虚無と、義務感だけ。

翌朝。

格納庫に現れた悠の顔つきは、以前にも増して鋭く、近寄りがたいものになっていた。

207B分隊の武たちが挨拶しても、冷たく頷くだけ。

天照部隊の部下たちにも、事務的な命令しか下さない。

「……鬼になられた」

駒木咲代子が、遠くからその姿を見て呟く。

「あれこそが、本来の『鬼神』の姿か……」

優しかった悠は死んだ。

そこにいるのは、世界を守るためだけに機能する、悲しき戦闘機械(マシーン)だった

刻まれた業、赤き『烈鬼』

2002年1月某日。深夜の横浜基地、第1格納庫。

凍てつくような冷気の中、整備作業の音だけが響いている。

山城悠は、整備足場の上に立ち、自身の愛機『建御名方』を見上げていた。

その右腰部の装甲板は、先の戦闘での損傷修復を終え、真新しい白に塗り直されたばかりだった。

「……機付き長」

悠が、傍らで作業指示を出していた年配の整備班長に声をかけた。

「あ、山城中佐。どうされました? マッチングに不備でも?」

「いいえ。調整は完璧です」

悠は懐から一枚のメモを取り出し、機付き長に渡した。

「……一つ、頼みがあります。右腰の装甲に、この文字をペイントしていただきたい」

機付き長は、受け取ったメモを見て眉をひそめた。

そこに書かれていたのは、荒々しい筆致の二文字。

『 烈 鬼 』

色は、鮮血のような**「赤」**と指定されている。

「……『烈鬼』、ですか?」

機付き長は困惑した顔で悠を見た。

「中佐。パーソナルマークなら分かりますが、このような……禍々しい文字を入れるのは、軍規に抵触する恐れが……」

「知っています」

「それに、これではまるで……悪鬼羅刹の類です。斯衛の、ましてや山城家当主の乗る機体には相応しくありません。悪いことは言いません、おやめなさい」

機付き長は、悠を息子のように案じて諭そうとした。

英雄である彼が、自ら「鬼」を名乗る必要などないのだと。

だが、悠は引かなかった。

「……私は、烈士を殺しました」

静かな、しかし凍りつくような声だった。

「沙霧尚哉と、その同志たち。国を想い、命を燃やした『烈士』たちを、この手で斬り伏せた」

悠は、動く右手で、自身の右腰――機体のペイント指定箇所と同じ場所――を強く握りしめた。

「あいつらの血は、まだ私にへばりついています。……洗い流してはいけないのです」

「中佐……」

「私は烈士を喰らい、その志を無理やり束ねて進む『鬼』だ。……ならば、そう名乗るのが道理でしょう」

「……ですが……!」

機付き長は尚も反論しようとして、悠の顔を見上げた。

そして、言葉を失った。

眼帯の奥ではなく、残された左目。

そこには、狂気も、怒りもなかった。

ただひたすらに深く、底のない**「悲しみ」**だけが湛えられていた。

世界中の誰よりも傷つき、それでも血の池の中を歩き続けなければならないと定めた、少年の悲痛な叫びが聞こえるようだった。

(……あぁ。この人は、こうでもしなければ……息ができないのか)

機付き長は悟った。

この文字は、装飾ではない。彼が正気を保ち、戦場に立つための「戒め(呪い)」なのだと。

「……分かり、ました」

機付き長は深く帽子を目深に被り直し、メモをポケットにしまった。

「……ペンキを持ってこさせます。……私が、責任を持って書きましょう」

「……感謝します」

数十分後。

白と紫の高貴な機体『建御名方』の右腰に、決して消えることのない呪印が刻まれた。

『 烈 鬼 』

赤き塗料が、白き装甲の上で、まるで今流れた血のように鮮烈に浮かび上がっている。

悠はその文字を一度だけ撫で、そして誰にも聞こえない声で呟いた。

「……行くぞ、尚哉。……お前も一緒だ」

その日以降、戦場において『烈鬼』の文字を見た者は、敵味方問わず戦慄することになる。

それは人類の守護神の証ではなく、近づくもの全てをその業火で焼き尽くす、悲しき破壊神の象徴となったからである。

 

酒呑童子の教室、凍てつく休息

2002年2月。横浜基地、戦術機シミュレーター講義室。

そこには、奇妙な光景があった。

「……いいか、白銀。XM3のこの挙動制御(マニューバ)は、入力のタイミングがコンマ2秒早い。お前の反射神経なら、もう少し『待って』から入力した方が、機体の追従性が上がる」

ホワイトボードの前で、悠は武の質問に丁寧に答えていた。

その口調は穏やかで、かつての「頼れる兄貴分」そのものだ。

「珠瀬、君の長距離射撃の補正データだが……ここを修正しておいた。風の影響を計算に入れすぎている。FCSをもっと信じていい」

「は、はい! ありがとうございます、中佐!」

悠は一人一人のデータを細かく分析し、彼らが生き残るための最善の技術を、惜しみなく伝授していた。

本来の彼の優しさが、どうしても滲み出てしまう瞬間だ。

「……よし。座学はここまでだ」

悠がチョークを置く。

その瞬間、部屋の空気が一変した。

「全員、シミュレーターへ入れ。……実戦形式だ」

悠の右目の眼帯が、冷ややかに光った気がした。

武たちは息を呑み、敬礼して駆け出した。

優しかった教官はもういない。そこには、これから彼らを地獄へ叩き落とす「鬼」がいるだけだ。

最強の信頼、断絶する日常

『演習開始(コンバット・スタート)!!』

仮想空間の荒野。

悠の『建御名方』が、亡霊のように揺らめいたかと思うと、瞬時に武たちの懐へ飛び込む。

『遅いッ! 死にたいのか!』

手加減など微塵もない。

阿頼耶識システムに接続した悠は、まさに**「酒呑童子(しゅてんどうじ)」**――鬼の頭領の如き威圧感で、訓練兵たちを蹂躙する。

『うわぁぁっ!?』

『きゃあっ!』

次々と撃墜判定が出される中、悠の指示が飛ぶ。

『真那! 右翼の展開が甘い! 207Bの死角を埋めろ!』

『了解!』

悠は、誰よりも先に、必ず月詠真那へ指示を出す。

それは絶対の信頼の証だ。「俺の意図を理解できるのは、世界でお前だけだ」と言わんばかりの、阿吽の呼吸。

真那もまた、悠の思考を先読みし、完璧にサポートする。戦場において、二人の魂は一つに溶け合っているように見えた。

『その他各機、真那に従え! 彼女の動く方向が正解だ!』

戦闘中、悠の声には熱があった。信頼があった。

だが。

「……お疲れ様でした」

演習終了後のロッカールーム。

コクピットから降りた悠は、まるでスイッチを切ったかのように無表情に戻っていた。

「悠。……今の連携だが、少しタイミングを修正したい」

真那がタオルを差し出しながら歩み寄る。

戦場での熱を帯びたまま、自然に悠の汗を拭おうとする。

だが、悠は一歩下がってそれを避けた。

「……報告書にまとめて提出してください、月詠少佐」

「悠……?」

「私はこれから、整備班との打ち合わせがあります。……失礼」

悠は真那と目を合わせることなく、冷たく敬礼して通り過ぎる。

その背中には、張り詰めた緊張感と、拒絶の意志が漂っていた。

「……また、逃げるのか」

真那はその場に立ち尽くす。

戦闘中はあれほど深く繋がっていたのに。コードを抜いた瞬間、悠は遠い場所へ行ってしまう。

それが、悠なりの「ケジメ」であり「罰」なのだと分かっていても、真那の胸は張り裂けそうだった。

届かぬ愛情

その夜、格納庫の片隅。

悠は、物陰から第2小隊――『烈士組』の様子を眺めていた。

「あーあ、今日もコテンパンにされたわね」

「隊長の動き、人間じゃないわよ……」

「でも、最後にカバーに入ってくれたの、隊長よね?」

駒木咲代子たちが、筋肉痛を訴えながらも、どこか充実した顔で笑い合っている。

悠はそれを見て、小さく、本当に小さく安堵の息を漏らした。

(……笑えているなら、いい)

彼は彼女たちの輪には入らない。

以前のように「カツカレー」を囲んで笑い合う資格は、自分にはないと思っているからだ。

悠はポケットの中の鎮痛剤を握りしめ、闇の中へと消えていった。

部下を愛しているからこそ、近づかない。

真那を信頼しているからこそ、甘えない。

その矛盾した態度は、周囲から見れば**「孤高の鬼神」**として映り、悠の孤独をより一層深めていくのだった。

第32章 鬼の採点、修羅の証明

2002年3月。富士演習場。

国連軍、帝国軍の正規兵が見守る中、次世代OS『XM3』の採用可否を問う最終評価試験が行われていた。

参加部隊は以下の4つ。

第207戦術機甲小隊(伊隅ヴァルキリーズ):XM3搭載の正規部隊。

横浜基地守備隊・第1分隊:通常OSのベテラン。

横浜基地守備隊・第2分隊:通常OSのベテラン。

第201特殊任務警護部隊(天照):山城悠率いる最強の仮想敵(アグレッサー)。

『演習開始』

ブザーと共に、荒野が戦場と化した。

通常OSのベテラン部隊は、武たちの変幻自在な機動に翻弄され、瞬く間に判定撃破されていく。

「なっ、速い!?」

「ありえない挙動だ! 奴らの関節はどうなっている!」

だが、天照部隊だけは違った。

特に、白と紫の機体――右腰に赤く**『烈鬼』**と刻まれた『建御名方』は、悪夢そのものだった。

『……遅い』

悠の声が響くのと同時に、建御名方が消える。

阿頼耶識システムによる超反応。

XM3の機動ですら、悠の「未来予知」じみた先読みの前では子供の遊びに見えた。

「くそっ! まだだ!」

白銀武が『吹雪』のスラスターを限界まで吹かす。

悠の長刀が武の首を刈り取ろうとしたその瞬間、武はXM3の特性を活かし、地面を滑るように急制動をかけ、刃を紙一重で回避した。

『……ほう?』

悠の左目がわずかに見開かれる。

今の斬撃は、通常OSなら確実に撃墜判定が出ていたタイミングだ。

それを、新任少尉が避けた。マグレではない。OSが思考に追いついたのだ。

悠は追撃の手を緩め、建御名方を後退させた。

『……そこまで。状況終了(エンド・エクササイズ)』

第33章:A+の理由

演習終了後のブリーフィングエリア。

評価シートへの記入が行われていた。

ベテラン衛士たちは渋い顔をしている。

「評価:B。……動きが軽すぎて、実戦では編隊を乱す恐れがある」

「評価:A。性能は良いが、新兵がこれを使うと自分の腕を過信して死ぬぞ」

彼らにとって、XM3の挙動はあまりに異質であり、手放しで賞賛できるものではなかった。

天照部隊のメンバー(真那や駒木たち)も、「A」や「B+」といった慎重な評価を下している。

そんな中、山城悠は無言でタブレットにペンを走らせていた。

【総合評価:A+】

【備考:対BETA戦において極めて有効。OSの最適化が進めば、評価は『S』に値する】

その高得点を見た真那が、小声で尋ねる。

「……悠。買い被りすぎではないか? 確かに動きは良いが……」

悠は冷淡に答えた。

「私情ではありません。……奴らは、私の動きについて来ました」

「……!」

「阿頼耶識に接続した私の機動に、コンマ数秒とはいえ追従し、回避した。……これは、通常の人間の反射神経では不可能です。XM3は、凡人を天才の領域へ引き上げる可能性を持っています」

悠はタブレットを置き、遠くで整備を受けている207小隊の機体を見つめた。

(……これがあれば。あの時、和泉たちも死なずに済んだかもしれない)

心の中で、守れなかった学徒兵たちの顔がよぎる。

このOSは、これから死ぬはずの何千もの命を救う盾になる。

だからこそ、悠は冷徹に、しかし最高級の評価を与えたのだ。

予期せぬ実戦

その時だった。

演習場の地面が、不気味な地鳴りを上げ始めた。

ズズズズズ……ドォォォォンッ!!

「なっ、地震か!?」

「いや、震源が浅い! まさか……!」

演習場のど真ん中、第3セクターの地面が陥没し、そこから赤い甲殻を持つ異形の群れが噴き出した。

BETAだ。

それも、戦車級(グラップラー)だけではない。地中を掘り進むのに適した突撃級(デストロイヤー)も混じっている。

『緊急事態(エマージェンシー)! 演習場内にBETA出現!』

『地下坑道からの迷い込みか!? 数は不明!』

現場は混乱に包まれた。

ここは安全地帯のはずだ。実弾など装填していない機体も多い。

パニックになりかけた無線を、氷のような声が裂いた。

『……総員、狼狽えるな』

山城悠だった。

彼は瞬時に阿頼耶識システムを再接続し、状況を把握していた。

『207小隊および守備隊は、直ちにペイント弾から実弾へ換装せよ! 弾がない者は後退し、補給コンテナを守れ!』

『天照部隊、前へ! 我々が壁になる!』

悠の『建御名方』が、猛スピードでBETAの噴出口へ向かう。

その背中には、禍々しい赤き**『烈鬼』**の文字。

『……演習は終了だ。これより、BETA駆除任務(実戦)へ移行する!』

『遅れた奴から死ぬぞ! 全機、私に続けぇぇぇッ!!』

悠は先頭を切って突っ込んだ。

酒呑童子の如き殺気を撒き散らしながら、彼は訓練兵たちを守るために、再び修羅へと変貌する。

薬漬けの勇気、歪んだ覚醒

演習場は阿鼻叫喚の巷と化していた。

地面から湧き出したBETAの群れが、ペイント弾しか持たない守備隊の戦術機に群がる。

「う、撃てない! 実弾がない!」

「いやぁぁぁ! 嫌だ、食われたくない!」

装甲が引き裂かれ、中から引きずり出された衛士が、赤い肉塊へと変わっていく。

その光景を、白銀武は呆然と見ていた。

(……なんだよ、これ)

彼の『吹雪』はXM3を搭載している。理論上は最強のはずだ。

なのに、同じOSを積んでいるはずの熟練衛士たちが、手も足も出ずに殺されていく。

(あんたら熟練なんじゃないのかよ……! 俺の作ったOSを搭載してるんだろ……?! もっとちゃんとやってくれよ!!)

武の心の中で、現実逃避と責任転嫁が渦巻く。

恐怖で足が動かない。207B分隊の他のメンバーも同様にパニック(恐慌状態)に陥り、棒立ちになっていた。

『……チッ』

通信機越しに、誰かの舌打ちが聞こえた。

山城悠だ。

彼はモニターで凍りついた「ひよこ」たちを一瞥し、即座に司令部へ回線を開いた。

『こちら天照1(アマテラス・ワン)。ひよこ共に処置の必要を認む。……「処置」の許可を求む』

『……了解した。許可する。使用量は規定値内にとどめよ』

許可が降りる。

悠は冷ややかな声で、207B分隊の回線に告げた。

『……ひよこ共、楽にしろ。今から興奮剤と暗示(プログラム)をやる。力抜け』

悠がコンソールを操作し、強制介入コードを送信する。

武たちのパイロットスーツから、ガス状の薬剤と、微弱な電気信号による暗示が注入される。

「が、あ……っ!?」

武の視界が明滅する。

恐怖心が麻痺し、代わりに燃えるような高揚感が湧き上がってくる。

震えが止まった。BETAが怖くない。むしろ、目の前の敵を破壊したくてたまらない衝動に駆られる。

だが、それは「勇気」ではなかった。薬によって理性を焼き切った「蛮勇」だった。

「……はっ、なんだ。やれるじゃないか」

武が操縦桿を強く握りしめる。

「俺のXM3なら、あんな化物、敵じゃない……!」

訓練課程で叩き込まれた「慎重さ」や「連携」が、頭から抜け落ちていく。

:愚者の独走、指揮官の孤独

『よし、全機聞け。これより私が指揮を執る!』

悠の号令が響く。

『天照部隊は2個分隊に分ける! 第1小隊は真那、第2小隊は駒木が指揮しろ!』

『天照は長刀を抜け! 前線を支え、一匹たりとも通すな!』

『生き残った守備隊第1・第2分隊は、それぞれ真那と駒木の指揮下に入れ!』

「「「了解!!」」」

天照部隊が即座に展開し、BETAの奔流を受け止める壁となる。

そして悠は、ハイになっている武たちへ命令を下した。

『207小隊! 貴様らはヘッドクォーター(本部)へ戻り、実弾兵装コンテナを持ってこい! 前線に補給ポイントを設置する!』

その命令に、武が噛み付いた。

「そんな! 司令部から補給を送ったと、さっき通信があったじゃないですか!」

武の声は上ずっていた。

「俺たちを戦わせない気ですか!? 逃げろって言うんですか! 我々では役に立たないと言うことですか!!」

その身勝手な言い分に、生き残っていた守備隊のベテランが怒鳴り返す。

『馬鹿野郎! 司令部の通信を鵜呑みにする奴があるか!』

『兵站を軽視するとは、訓練学校で何を学んできた!!』

だが、武は聞く耳を持たない。薬の影響で、「自分は最強だ」という万能感に支配されているからだ。

悠は、ため息を押し殺して諭した。

『武、聞け。……この中で、我が天照を除いて機動力に勝るのは、貴様らの吹雪だけだ』

悠の声は冷静だった。

『天照が前面を支え、時間を稼がねばならぬのは分かるな?』

『補給物資を送ると確かに報告はあった。……だが、恐らく既に補給部隊は全滅しているだろう』

BETAの出現位置からして、後方支援部隊が真っ先に食われた可能性が高い。悠の阿頼耶識は、後方の反応が消えたことを既に感じ取っていた。

『だからこそ! 機動力で勝り、対BETA用として有効なOSを積んでいる貴様らが、命綱(アモ)を持ってくるのだ! ……行けッ!!』

「……っ、了解!!」

武は納得していない様子だったが、命令には逆らえなかった。

「俺が行けば一番速いんだろ!」と言わんばかりに、僚機を待たずに単機で飛び出していく。

「ま、待ってください白銀君!」

「タケル!?」

千鶴や冥夜たちが慌ててその後を追う。

バラバラの編隊。統率の取れていない動き。

それを見送った悠は、コクピットの中で独りごちた。

「……全く。まだ唯衣や上総の方が素直だったな」

1998年。死地を共にした少女たち。

彼女たちは未熟だったが、悠の言葉を信じ、最後まで命令を守り抜いた。

それに比べれば、今の彼らは危なっかしくて見ていられない。

『……そう言うな、悠』

専用回線で、真那の声が届く。

彼女だけには、悠のボヤきが聞こえていた。

『彼らはまだ「死」を知らんのだ。……これから嫌でも学ぶことになる』

「……ですね。甘ったれた考えは、BETAが食い尽くしてくれるでしょう」

悠は感情を切り替え、冷徹な指揮官の声に戻った。

『では、月詠少佐。第1小隊のフォロー、頼みます』

『……了解。背中は任せろ』

:修羅の防衛線

「天照、抜刀!!」

真那の号令と共に、真紅と純白の『武御雷』が長刀を構える。

右翼には、駒木率いる『烈士』仕様の『不知火・弐型甲』たちが、黒い壁となって展開する。

『来るぞ! 衝撃に備えろ!』

BETAの波が激突する。

だが、天照部隊は一歩も引かなかった。

悠が、阿頼耶識システム全開で戦場を縦横無尽に駆け回り、綻びそうになる箇所をピンポイントで補修していくからだ。

『第2小隊、右が薄い! 駒木、押し返せ!』

『了解! 烈士組、突撃ぃッ!!』

『第1小隊、光線級の予兆だ! 3秒後に伏せろ!』

『全機、防御姿勢!』

悠の『建御名方』は、右腰に刻まれた赤き**『烈鬼』**の文字を晒しながら、猛然と舞う。

片腕とは思えない超反応。

左手の盾で要撃級を殴り飛ばし、右手の長刀で突撃級を串刺しにする。

「(……まだだ。武たちが戻るまで、この線は維持する)」

悠の左目(義眼部分)が怪しく光る。

かつて唯衣たちを守った時と同じように、彼は再び若者たちのために、その身を盾としていた。

たとえ彼らが、薬でイカれた「ひよこ」であったとしても。

:第38章 裸の王様、泥濘の現実

ヘッドクォーターへの道中。

白銀武の『吹雪』は、単機でBETAの小集団に囲まれていた。

「くそっ! なんで死なないんだよ!」

武は87式突撃砲を乱射する。

XM3による照準補正は完璧だ。弾丸は吸い込まれるように要撃級の顔面や関節に命中している。

だが、敵は倒れない。

それどころか、赤い塗料(ペイント)を撒き散らしながら、怒り狂って突進してくる。

「不死身なのか!? こいつら、化け物かよ!」

武は真顔で叫んだ。

彼が今撃っているのが「演習用の模擬弾」であるという事実が、薬でハイになった頭から完全に抜け落ちていたのだ。

恐怖と混乱の中、武はとっさに背中の長刀を抜いた。

ズバッ!!

一閃。要撃級の腕が切り落とされる。

「切れる……! これなら!」

武は長刀を振り回し、XM3の高機動を駆使して立ち回る。

避けて、斬る。避けて、斬る。

シミュレーター通りの動き。俺は強い。俺は戦える。

だが、現実は非情だ。

「はぁ、はぁ……! くそっ、キリがない……!」

生身の肉体にかかるGの負荷。そして人を斬る(BETAだが)という根源的な消耗。

素人の武のスタミナは、急速に底をつき始めていた。

一瞬、操縦桿を握る手が緩む。

ドォォォォンッ!!

「がはっ!?」

死角から突っ込んできた突撃級の体当たり。

回避が間に合わなかった。

『右腕部破損』『左脚部駆動系ロスト』。

吹雪がバランスを崩し、無様に地面を転がる。

「あ……あぁ……」

起き上がれない。

モニターには、赤い絨毯のように押し寄せる戦車級(グラップラー)の群れ。

金属を噛み砕く嫌な音が近づいてくる。

「いやだ……死にたくない……!」

武の視界が涙で歪む。

「純夏……冥夜……誰か……!」

股間が熱くなる。失禁した温かさだけが、冷え切った恐怖の中で唯一の現実だった。

戦車級が吹雪に取り付き、コクピットハッチをこじ開けようとする。

赤い顎が見える。死の臭いがする。

「うわぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

武が絶叫し、目を閉じたその時。

:烈鬼降臨

グシャァッ!!

何かが潰れる音。

続いて、BETAが無理やり引き剥がされる金属音。

「……え?」

武が恐る恐る目を開ける。

モニター越しに見えたのは、自分に取り付いていた戦車級が、ミンチになって吹き飛ぶ光景だった。

そして、その中心に立つ、白と紫の巨人。

『建御名方』。

右腰に刻まれた赤き**『烈鬼』**の文字が、返り血を浴びてさらに赤黒く濡れている。

『……無様だな、白銀』

悠の声は、地獄の底のように冷たかった。

「や、山城……中佐……?」

悠は武の救難信号を受信し、前線を真那たちに任せて単機で駆けつけたのだ。

建御名方が、武の吹雪の首根っこを掴んで引き起こす。

『死にたくなければ、そこで震えていろ。……これより、掃除を行う』

悠は吹雪を放り捨てると、群がるBETAの方を向いた。

そこからの光景は、戦闘ではなかった。

一方的な**「虐殺」**だった。

長刀が閃くたびに、BETAの肉片が雨のように降る。

滑空砲を使わず、あえて殴打と斬撃のみで敵を粉砕していく様は、武の目には「血をすする化け物」そのものに映った。

「ひっ……」

武は震えが止まらなかった。BETAへの恐怖よりも、目の前の「味方」への畏怖が勝った。

:蹂躙のその先へ

数分後。

遅れて到着した207小隊(千鶴や冥夜たち)が、実弾コンテナを抱えてやってきた。

「タケル! 無事か!」

「山城中佐! 補給物資、到着しました!」

『遅い!』

悠が一喝する。

『第1、第2小隊へ回せ! 直ちに弾薬を行き渡らせろ!』

実弾が装填される。

天照部隊と、生き残った守備隊の火器に命が吹き込まれる。

『反撃開始(カウンター・アタック)!!』

『一匹残らず駆逐しろ! 演習場を更地に変えるつもりで撃て!!』

「「「了解ッ!!」」」

形勢逆転。

実弾を得たXM3部隊(天照)の火力は凄まじかった。

悠の『建御名方』を筆頭に、真那の『武御雷』、駒木の『不知火・烈士』が、鬱憤を晴らすかのようにBETAを狩り尽くしていく。

その圧倒的な蹂躙劇を、守備隊のベテランたちは呆然と見ていた。

「あ、あれが……天照……」

「鬼だ……。本物の鬼がいる……」

夕暮れの演習場。

BETAの死骸の山の上で、悠の『建御名方』は静かに武の機体を見下ろしていた。

その姿は、武の心に生涯消えない「敗北」と「畏怖」を刻み込んだ。

夕闇の惨劇

戦闘終了から数十分後。演習場のセーフティエリア。

大破した『吹雪』の足元に、白銀武は座り込んでいた。

「うぅ……あ、あぁ……」

興奮剤の効果が切れ、揺り戻しとしての強烈な虚脱感と恐怖が彼を襲っていた。

股間は濡れたままで、鼻をつくアンモニア臭と硝煙の臭いが混じり合う。

自分は特別なパイロットだと思っていた。XM3を作った英雄だと思っていた。

だが現実は、失禁して泣き叫ぶだけの子供だった。

「……白銀」

優しい声が降ってきた。

顔を上げると、そこには神宮司まりもが立っていた。

彼女は武の隣にしゃがみ込み、汚れた肩を気にすることなく手を置いた。

「……まりも、ちゃん……」

「無事でよかった。……怖かったわね」

その言葉に、武の堰が切れた。

「俺……俺、漏らしちゃって……何もできなくて……! 皆に、山城中佐に、あんなに偉そうなこと言ったのに……!」

「いいのよ。誰だって最初はそう。……生きて帰ってきた。それだけで、貴方は立派な衛士よ」

まりもは微笑み、ポケットからハンカチを取り出した。

そして、武の涙で汚れた顔を拭おうと、顔を近づけた。

「さあ、顔を上げて。……今日は美味しいものでも食べて、忘れましょ。悠……山城中佐も、きっと許してくれるわ」

「……はい。……ありがとう、まりもちゃん……」

武が涙を拭い、少しだけ救われたような顔をした、その時だった。

ガブッ。

湿った、硬い音がした。

「……え?」

武の目の前。

まりもの顔が、無かった。

大破した吹雪の残骸の陰。

そこから音もなく現れた、人間大の異形――兵士級BETA。

それが、まりもの頭部を、背後から丸ごと噛み砕いていたのだ。

首から上が消失したまりもの体は、まだ自分が死んだことに気づいていないかのように、ハンカチを握ったまま一瞬だけ静止し――。

ドサッ。

武の膝の上に、力なく倒れ込んだ。

切断面から、止めどない鮮血が武の顔に、体に、温かく降り注ぐ。

「あ……あ、あ……?」

武は理解できなかった。

さっきまで笑っていた。励ましてくれていた。

その温もりが、今はただの肉塊となって、自分の上で痙攣している。

兵士級が、咀嚼しながら武の方へ顔を向けた。

その虚ろな目と目が合う。

「あ……ああああああああああああああああああああッ!!!!!」

第42章:修羅の慟哭

ザシュッ!!

絶叫する武の目の前で、兵士級の体が縦に両断された。

音もなく駆けつけた山城悠が、生身で、刀(日本刀)を振るったのだ。

悠は『建御名方』から降り、休息を取ろうとしていた矢先、武の悲鳴を聞いたのだ。

「……まりも、先輩……?」

返り血を浴びた悠は、武の膝の上にある「それ」を見て、凍りついた。

特徴的なロングヘアーはない。優しい笑顔もない。

あるのは、見慣れた軍服と、首から下の肉体だけ。

「……嘘、だろ……」

悠の手から、刀が滑り落ちる。

9-6作戦からの戦友。

国連軍の中で唯一、心を許せた友人。

IFルートでは救えた命。

それが、こんな……こんなゴミのような死に方で。

「いやだぁぁぁ! まりもちゃん! まりもちゃん!!」

武が、首のない遺体を抱きしめて狂乱している。

悠は、ゆっくりと武に近づいた。

その表情は、能面のように無機質だった。

悲しみも、怒りも、許容量を超えて焼き切れてしまったのだ。

「……白銀。……離れろ」

「嫌だ! 直してよ! 誰か直してよぉぉッ!」

「離れろと言っているッ!!」

悠は武の胸ぐらを掴み、力任せに引き剥がして地面に投げ飛ばした。

そして、まりもの遺体を、自分のジャケットで優しく包み込んだ。

「……すまない。……すまない、先輩……」

悠は、動かない左手で遺体を抱え、右手で武を見下ろした。

その隻眼には、先ほどの「烈鬼」の文字よりも深く、暗い闇が広がっていた。

「……見たか、白銀。これが現実だ」

冷徹な声。だが、その奥底には血を吐くような悔恨が滲んでいた。

「一瞬の油断。慢心。甘え。……その全てが、死に直結する。貴様が泣いている間に、貴様を守ろうとした人間が死んだんだ」

「あ、ぅぅ……」

「刻み込め。その血の温かさを。脳漿の臭いを。……一生忘れるな」

悠は踵を返し、遺体を抱えたまま歩き出した。

背中越しに、武の慟哭がいつまでも響いていた。

格納庫の裏。

悠は誰もいない場所で、崩れ落ちるように膝をついた。

ジャケットに包まれた友の亡骸は、もう冷たくなり始めていた。

「……まただ。……また、俺は」

尚哉を斬り、和泉たちを見殺しにし、そして今、まりもを失った。

阿頼耶識でBETAの接近に気づけなかったのか?

いや、演習終了の安堵で、接続を切ってしまっていた。

俺が、油断したから。

「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

悠は声にならない叫び声を上げ、コンクリートの壁に頭を打ち付けた。

何度も。何度も。

額から血が流れるまで。

(……俺は疫病神だ。俺に関わった人間は、みんな不幸になる)

孤独は決定的になった。

もう二度と、誰にも心を開かない。

誰も愛さない。

ただBETAを殺すだけの機械になる。

赤く染まった視界の中で、山城悠という人間の心は、完全に死んだ。

 

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