【完結】天才美少女とリオ先生   作:小鶴

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幻聴、または再考 / Re:

 

 

 

 

「は? 会ってなかったんですか?」

「⋯⋯ええ」

 

 グラスの氷がからんと鳴る。

 ケイに言われて、私は首肯した。

 

「ちょっと待ってください。あれから三年も経つのに一度も会ってないってことですか?」

「そうなるわ」

「先生とは会っているのに?」

「仕事で会う必要があるからよ」

 

 ケイは深いため息をついた。

 

「つまり、会う必要がないから行っていないと?」

「⋯⋯まぁ」

「⋯⋯⋯⋯はぁ」

 

 額に手を当て、上を向くケイ。

 

「もう3歳ですよ。簡単な言葉なら話せるし、もう自立移動もできるようになりました」

「アリスとケイはよく行っているの?」

「先生と、私と、アリスの3人で面倒を見てる感じですね。可愛いですよ、写真見ます?」

「結構よ」

 

 写真を断り、飲み物に口をつける。

 意図的に避けていたわけではないが、三年間触れられなかった話題に発展してしまった。

 

 ケイとはよく会っていた。それは、定期的に検査を行う必要があるということと、もっと単純に近況を報告し合うのが習慣になったからだ。

 

 ミレニアムの学長になったアリスは忙しい。

 勿論予定が合えばアリスとも会っていたが、頻度で言えばミレニアムの情報統括基幹()()()『Kei』として『遍在』するケイの方が会う機会を作りやすいので多かった。

 

「迂闊でした⋯⋯まさか、三年間見逃すとは」

 

 少し調べればわかったはずなのに、というケイ。

 ミレニアムネットワークの至るところに存在する彼女であればそうであろう。

 

 自己同一性すら克服し、複数地点に同時に存在する彼女は今やミレニアム生の生活の一部。

 

 ケイが自らを電脳体に変換できるようにしたのは、未来でアリスを一人にしないためなのだろう。

 ケイの体はアリスのものよりずっと人間に近い。

 

 元々超高性能AIであったケイにしか使えない裏技だ。

 

 

 ケイに手が届く性能のAIを、私たちは何年後に作れるだろうかと夢想する。

 現実逃避にも似た思考から現実に引き戻される。

 

「今からでも会いに行きますか、リオ?」

「なぜ?」

「なぜって、貴女⋯⋯」

 

 なぜ。そう、何故なのか。

 

「私が会う理由もなければ、会いに行くような関係でもないのだけど」

「⋯⋯」

 

 生まれてから、私は会いに行っていない。

 理由は不明瞭で、不鮮明であったが、会いに行く意義を持ち合わせていないことは確かであった。

 

 会いに行って、どうしようというのだろう。

 もう三歳になるあの娘がどんな風に育っていたとしても、会いに行くことがよいことのように思えなかった。

 

「貴女は⋯⋯」

 

 ケイは何かを言おうとして、取りやめていた。

 それを何回か繰り返して、私も何も言わずに待っていた。

 

 すっかり、人の機微に聡くなったように思う。私なんかは、とっくに抜かされてしまったようだ。

 

 

 

 飲み物の氷が小さくなった頃に、訥々と語った。

 

「⋯⋯私は、貴女たちの関係がどんなものであったか、それを知りません。だって人と人の関係とは、積み重ねの事を言うのでしょう?」

「⋯⋯そう、らしいわね」

「私が知っているのは貴女たちの積み重ねの最後の方だけです。長い本の、最終章の部分に少し触れただけ」

 

 彼女との付き合いは長かった。

 それでも、お互いの時間を重ねてきたわけではない。そのことは、私が一番よく知っていた。

 

「彼女が遺したものを、見なくともよいと? 私には、関係ないと思えません」

「⋯⋯どんな顔で、会えばいいのかわからないの」

 

 私は彼女との関係を表す言葉を持たない。

 

 知人と言うには近すぎた。

 友人と言うには傷つけすぎた。

 親友と言うには重ならなかった。

 

 昔は、きっと明確だったはずなのに。時の流れが、いや私が、関係を曖昧なものにした。

 

 決定的な別れがなかったのは、ひとえに彼女の寛容さのお陰だった。

 私のことを分かってくれるという傲慢があった。

 その優しさが、私と彼女を繋げる唯一だった。

 

 そのことに気づいたのは、ずっと、ずっと後だった。

 

 

 会ったとして、どう説明したら良いのだろう。

 彼女が遺したものに、どう触れたらいいのだろう。

 

 私は貴女のお母さんの何だったと、話したらいいのだろう。

 

 それが、分からなかった。

 

「積み重ねとは、共に過ごした時間だけではないでしょう。きっと」

「そう、かしら」

「私は、そうだったらいいと思います」

 

 それは、祈りにも似ていた。

 

 母の胎から取り出された、あのときの赤子を思い出した。

 

「私は会うべきだと思います。それで何かが変わっても、変わらなくてもいいんです。分からないままでも、きっといいんです。この後、一緒に行きましょう?」

 

 

 

 氷が溶けきる頃に、私は席から立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄い色の目が、私を見据えていた。

 その姿が、彼女と重なるのを自覚する。

 

 生まれた直後に会ったきりだったその赤子は、少女に近づいて私の前に立っていた。

 

 似ている、と思った。

 それは、この娘に失礼だ。

 

 母親を知らない子供に、勝手にその面影を重ねるのは。

 

 私は膝をついて、目線を合わせる。

 

 

 重なる。

 

違う。

 

 大きくなったわね。

 

 重なる。

 違うはずだ。

 

 聞こえなかったかしら。

 

 重なる。

 違っている。

 

 ⋯⋯。

 

 重なる。

 違う?

 

 上手く口が動かせていないことに気が付いた。

 

 重なる。

 重なる。

 重なる。

 

 目眩がした。

 

 

 冷静になってみれば、瓜二つというほどではない。

 ここまで幼い頃の彼女を私は知らないし、それを差し引いても細かいところで差異があった。

 

 間違いなく彼女の子供で、間違いなく先生の子供でもあった。

 

 でも、そんな目で見られてしまえば、すべてが誤差だ。

 どうしようもなく想起する。

 

 こんな予感がしていた。

 会わなければよかった。

 会うべきではなかった。

 

 そんな言葉が脳裏をよぎりながら、自らの幼さを嫌悪した。

 

 その少女が両の足で立っていることに、私の脳が違和感を訴える。

 ついぞ叶わなかった願いを思い出す。

 

 もう居ない貴女。誰も彼もを置いていった貴女。

 姿がブレる。

 

 

 私の脳が補正する。

 

 

 幻視する。

 私が見たいものに変換する。

 輪郭が動く。

 

 それは最悪で、最低で、冒涜だった。

 

 

「――? ――、――――――!」

 

 ケイの声が遠い。

 周囲の様子を拾えない。視界が曲がる。

 平衡感覚を失い、自分の体なのに、言うことを聞かなかった。

 

 

 私は貴女ではなく、貴女の判断を尊重した。

 それは臆病だったからだ。

 貴女を止められはしないとわかってしまったからだ。

 私は、返したかっただけなのだ。

 あまりにも受け取ったものが多すぎたから。

 それに気づいたのが遅すぎて、返すタイミングを逃して、逃して、それは大きく膨れ上がって。

 

 返し方が、わからなかったのだ。

 

 

 目の前の――が、不思議そうに言った。

 久しく聞いていない声。

 

 よく似ている声で、私に。

 

「どうしたの?」

『どうかしましたか、リオ?』

 

「あ、 」

 

 駄目だ。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

「だれ?」

 

 

 目眩が、収まった。

 何度か頭を振って、もう一度目を見る。

 体の自由が効いた。

 

「そうね、自己紹介がまだだったわ」

 

 

 今度は、重ならなかった。

 だって、彼女が私を知らないはずがないのだから。

 

 まだ、答えは出ないから。いつか、胸を張って答えられるように準備しよう。

 

 だから、今は、どうか許して欲しい。

 

 

「調月リオよ。貴女のお父さんと同じ――先生を、しているの」

 

 

  

『まぁ、及第点、ですね』

 

 

 重なっていない声が、聞こえた気がした。

 それは何とも、都合のいい、幻聴だった。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

「 」

「何アレ」

「燃え尽き症候群らしいよー」

「面倒ね」

「何かずっとやってた研究やめたんだってー」

「へぇ。なんでかしら」

「さぁー?」

「 」

 

 

 やる気が、なくなってしまった。

 

 こっそり、こっそり進めていた研究を再開する気が綺麗さっぱりなくなってしまった。

 なーんにもやる気がない。

 

 なーにが過去に行こうだ。馬鹿馬鹿しい。

 

「うががががっがが」

「うわ急に喋った」

「うるさいー。どうせあの先生のことで悩んでるんだー」

「なんでそれを」

「うわ急に人語を解するようになった」

 

 そんなにわかりやすかったのだとしたら、普通に恥ずかしい。

 

「なんであの人に執着してるのさ」

 

 なぜ。そう、何故なのか。

 

「あの人ってそもそも外じゃ見なくない?」

「見ないねー」

 

 リオは外に出ない。

 だから、私から動かないと、リオに会うことができない。わざわざ、辺鄙な場所に自分から行ってるのだ、私は。

 

「最近会ってないから調子悪いんだー」

「ちっちちっちがいますが???」

「動揺が酷い」

 

 なんでこんなに筒抜けなのかと頭を抱える。いや、我が友人たちが鋭いというよりも、私が分かりやすいだけなのだろうか。

 

「あの先生ってさ、ユイの何なのよ?」

 

 リオが、私の何なのか。

 私にとっての、リオとは何か。

 

「⋯⋯私が聞きたいぐらいですよ」

 

 口が、滑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリス姉さんって、私の母と仲良かったんですか?」

「はい、とてもよくしてもらっていました!」

 

 夕方、私はなんとなく学長室に訪れていた。

 アリス姉さんとは昔からの付き合いで、よく家にも訪れてきてくれたものだから、ミレニアムの学長なのだといわれても全くそういった目で見ることができなかった。

 

「⋯⋯? ユイは、そういうことを聞きたがらなかったと思うんですが⋯⋯」

「そう、ですね」

 

 アリス姉さんは少し不思議そうであった。私も、別にこのことが聞きたくて学長室に、ひいては姉さんに会いに来たわけでは無かったはずだ。

 

 思考を整理したいのは本音だったが、それでもこの一言目は私でも意外だった。

 

「多分、私は自分で母のことを知りたかったんだと思います」

 

 

 どちらかと言えば、自分で知りたかったのだ。

 私は私のことしか信じていなかった。

 私は私でしかなく――結局、他人からの評価を意味のあるものだと思っていなかったからだ。

 

 他人からの呼び名。

 他人からの評価。

 他人からの言葉。

 他人の心。

 

 全てに、どれほどの意味があるのだろうか。

 どう思われようが、私は変わらないのに。

 人の心なんてわからないのに。

 

 見えないものは嫌いだ。

 観測できないものは好ましくない。

 だって、見えないということはあるのかすら不明瞭であるということだ。

 

 そんなものをいちいち考えるのは、全く合理的でない。

 想像する時間に意義と意味がない。

 浪費にほかならない。

 

 

 

 それでも、例外があった。

 

 

 

 リオからの言葉は、評価は、心は、気になった。

 

 リオがどう思っているかは気になった。

 リオがどうしたいかを聞きたかった。

 リオが私に掛ける言葉の裏は知りたかった。

 

 

 私を見るリオの目の意味を分かりたかった。

 

 

 そして、それを聞くのも怖かった。

 聞いて、取り返しが付かないことを犯すのを恐れた。

 

 

 だから、自分で知りたかった。

 誰の主観も入らない、『私の主観』の母を知りたかったのだと、思う。

 

「そうすれば、リオの錯覚の正体を知れると思ったからです」

 

 自分でも確信があるわけではない。

 しかし、今までは誰かに聞きたいわけではなかったのだ。

 

 

 だから過去に行く方法なんてものをコソコソ調べた。プラナから無理やり聞き出して、砂狼さんのワープ能力の転用を試みた。

 場合によっては、ケイ姉さんとアリス姉さんの権能を使わせるような状況を画策しただろう。

 

 知りたいことは、紙を追っていくだけで見つかるものでない。

 

 

 でも、きっとそれに意味はない。

 それは、リオのことを信じられていない証明だ。

 

 

 聞けば、きっと足りない言葉なりに伝えてくれるはずだ。私が教えを請うて、彼女は断ったことがないのだから。

 

 それでも勇気が出なかった。

 散々他人がなんだの言っておきながら、望ましい答えを得られないことを私は恐れただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、まだ取り繕っていますね、私」

 

 

 リオが母と私を重ねていることには気付いていた。

 きっとそれはリオの未練。

 

 時々、そう、それは時々だったけれども。

 リオは気を抜いた一瞬に何かを幻視していた。

 

 

 母は多分、リオの心の大きな部分を占めていた。

 

 

 それに気づいた日から、私は母に嫉妬した。

 

 

 死んでもなお、こんな風に想われていることが羨ましかった。

 リオの心のこんなに大きい部分を占めているのをずるいと思った。

 

 私の読む論文も、組み上げられた美しい理論も、入った部活も、ひそかな目標の『全知』の学位も。

 全部、全部に母の名前がちらつく。

 

 リオが私を母に重ねる一瞬、灼けるような熱が胸の内から湧いてくるのを感じた。

 

「ああ、私は母を超えなくてはならないのだと。それが私の『難題』でした」

 

 そうすれば、きっとリオは私だけを見てくれる。

 母と錯覚しなくなる。

 

 でも、どうしたら死人に勝つことができるのだろう。

 死人は美化される。思い出の中で風化し、いずれは原型をとどめなくなる。

 それが、本物の『天才』なら猶更だ。

 

 母が本当の天才であったことは、彼女の遺したものを見れば一目瞭然だった。

 

「だから、私は母に会って、リオの目の前で私の方が優れているのだと。そう証明しなくてはいけないと思ったのです」

 

 でも。

 私じゃないほうがいいと言われた日には。

 『貴女の母の方が優れていた』なんて言われた日には。言われなくても、そう思っていると分かった日には、私はきっとどうにかなってしまう。

 

 

 

 なのに。

 

 

『貴女と会えたのは、良いことだったもの』

 

 

 リオは、どんな気持ちでそれを言ったのだろう。

 何でもないように言った言葉が、どれだけ。

 

 ああもう、単純な私が嫌になる。

 こんな言葉で、どれだけ私が満たされたか。

 

「まあ、ただの、心境の変化なんです。本当に」

 

 長々と語ったが、結局、何やら安心してしまっただけなのだ。

 

 私は。

 

 

 

 

 

 

「お母さんのことが、知りたいんですか?」

「有り体に言えば」

 

 もう、色々吹っ切れてしまったので。

 

 そう言うとアリス姉さんは、腕を組んで、少し悩んでいるようだった。

 

「アリスとしては、構いません。ですが、アリスからどのくらい話してよいものか、というのがありまして」

「?」

「本当は、先生とかリオ先輩に聞いた方がいいと思います」

「それはちょっと」

 

 まだ、そこまで心の準備ができているわけではない。

 はっきり言って、吹っ切れたものの心がいきなり強くなったわけではないのだ。

 

 リオに向かって私のお母さんの話を聞きに行くのが初手なのは嫌だった。

 

「先生は駄目なんですか? 今喧嘩中とかですか?」

「今更聞きに行くのもなんだかなあという感じで⋯⋯」

「わがままです!!」

 

 姉さんはぷりぷり怒りながら、腕を組んで見せた。

 

「私から話すのもいいですが、どうせなら色々な人から聞きましょう! あと、絶対に先生とリオ先輩にも話を聞いてくださいね!」

 

 

 いい加減、知るべきなのかな、とは思う。

 

 私のお母さん。

 父の奥さん。

 論文の著者。

 ヴェリタスの設立者。

 お墓に刻まれた名前。

 リオが私を通して見てる人。

 2つの写真に写る、私にそっくりの女の人。

 

 

 私の誕生日が、命日になった人。

 

 

 

 明星ヒマリという人の事を。

 

 

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